昭和30年
年次経済報告
経済企画庁
貿易
世界貿易における日本の地位
それでは世界の中で日本の貿易はどのような地位を占めているであろうか。まず日本の貿易は昭和29年で世界の輸出額の2%、輸入額の3%を占め、輸出では世界の第11位、輸入では第9位である。日本貿易の地位は最近かなり回復してきたが戦前に比べるとなおはるかに低くなっている。( 第21表 )。
この貿易の低位の理由は日本をとりまく市場の変化と関連がある。戦前の日本貿易の地域分布は、朝鮮、台湾、中国等の近隣諸国が4割、東南アジア、北米がそれぞれ2割程度占めており、近隣諸国とは綿布、鉄鋼、機械と食糧、鉄鋼原料を、東南アジアとは綿糸布、人絹糸布と工業原料を、またアメリカとは生糸と綿花、石油、鉄鋼くず、機械等を交換した。戦前の日本経済の発展はこのような特産品や工業生産物と食糧、原料との交換を可能にした市場関係の存在と密接な関係があったのはいうまでもない。この市場関係は現在大きく変化している。領土の喪失、中国貿易の減少、インドの工業化、アメリカの生糸輸入の激減、これらの事情は戦前の条件を基礎にして形成されてきた日本の貿易形体の根本的変化を要求するものであった。その結果、戦前と比べて戦後の日本の貿易は、その商品構成においては重化学工業が、また市場においては近隣諸国に代って、対米輸入、東南アジア輸出への依存が著しく進んでいる。だがこれらの変化はこの世界市場の大変動に対応するためには、はるかに不十分で、これが現在の貿易水準低位の一因をなしている。綿糸布に代わる重工業品は世界市場において、まだ競争力が不十分であり、また対米輸入の増大はドル不足をもたらし、貿易の増大を妨げている。
世界市場の変化に対する日本貿易の適応の状況については特に次の二点が注意される。
第一に日本の輸出構成が重化学工業化したといっても、世界全体からみれば日本はやはり繊維の大供給国であって、機械、鉄鋼、化学品等のウエイトは極めて低いという点である。
日本貿易が世界に占める地位を商品別に見ると 第23表 の通りで、世界総輸出中の大きな割合を占めているのは、繊維品であって、化学肥料、鉄鋼、ガラス等になるとかなり低く、機械に至っては1.5%に過ぎない。世界の機械輸出はアメリカが44%、イギリスが20%、西ドイツが14%を占めているのである。もとより、資本や労働の条件が相異しているから日本の最適輸出産業は直ちに欧米諸国と同じものだとはいえないであろう。また繊維品自体についても後進国の自給化は必ずしも品質面、価格面の差異による経済的な分業関係の成立を妨げるものではない。しかし前述のような世界貿易における日本の繊維品輸出の優位性はやがて後進国によっておきかえられてゆくことはほぼ明らかである。
第二に日本にとっては対米依存度が強くなっているが、日本を、世界の他の諸国の側からみると、日本を主要な輸入地域としている国は現在でもやはり第一に琉球、韓国、台湾等の近隣諸国であり、ついでビルマ、タイ、インドネシア、パキスタン等の東南アジアの国々である。近隣諸国は、その国の総輸入中3割から6、7割を、また東南アジア諸国は2割前後を日本からの輸入によっている。また日本を主要な輸出市場としている国も輸入の場合とほぼ同様で、このほか、綿花輸出国のメキシコ、石油、輸出国のサウジアラビアが加わっているに過ぎない。日本がアジア諸国の貿易中大きなウエイトを占めているという事実は、日本にとってアジア諸国の購買力が高まることは直ちに日本の輸出増大に効果があり、また日本のこの地域からの輸入の増減がこれらの国々の経済にとって極めて重要な影響を与えることを意味している。このように外からみれば日本がアジアの重要市場であるのに、日本にとっては、アメリカからの輸入が東南アジア全体からの輸入よりも大きく、さらにアメリカにとっては日本からの輸出は生糸の減少の結果、戦前よりもさらに小さく、わずかに3%の比重しかもっていない。これらのことは、現在の日本の貿易構成が輸出入市場の変化に十分適応できていないことを示すものであろう。
このような観点から市場拡大の方向として一般の関心が強いものは東南アジアと中共である。東南アジアについては戦後開発や工業化の動きが活発であり、我が国は地理的な条件にも比較的恵まれているうえ、より高度の製品や技術を供給し得る能力もある。従って、貿易や経済提携を通じて経済関係を緊密にすることは相互の経済発展に役立つところが大きい。また、この地域との貿易の比重を高めること、米国の域外調達に参加することなどは、我が国の当面するドル不足問題の解決に間接に役立つ所も多い。なお我が国との経済提携については29年以降本年3月までに、タイの錫鉱開発、屠殺場、冷凍設備建設、インドの亜鉛華、亜鉛末工場及び碍子工場建設、パキスタンに対するゴム製造技術の提携など新たに9件の契約が成立した。さらに最近は有力な東南アジアの協同開発機構であるコロンボ・プランへの正式参加及び技術供与の決定、ビルマとの賠償協定の締結、アジア関係の重要な国際経済会議への参加などを通じて、アジアの経済発展に果すべき日本の重要な役割と能力とが改めて内外の認識をえてきており、このような動向は我が国の東南アジアとの経済提携を今後一層活発化させる要因になるものとみられる。
中共との貿易( 第28表 )も29年は著しく回復し、前年に比べて輸出は4倍、輸入は4割増となったが、輸出入の金額としては日本の輸出及び輸入総額のそれぞれ1.2%及び1.7%を占めるに過ぎず、また中国側からみても対日輸出入は総額に対しそれぞれ3.6%及び1.7%程度の小規模に過ぎない。中共は現在経済5ヵ年計画を実施しており、1954年はその第2年度に当たって順調な達成をみたが、その対外貿易は中共の社会主義的工業化に奉仕すべきものとされており、国営貿易を中心に相手国との協定を通じて計画的な運用が図られている。従って中共自体の貿易の商品別内容は経済の計画性を反映して1953年の輸入構成では機械器具、工業原料などの生産財が87%を占め、消費財は13%に過ぎない。一方輸出も生産財輸入の裏付けとして組織的に行われており、内需の統制によって農産品、鉱産品、手工業品などの輸出余力増加に努めている。また市場別にはソ連圏の比重が年々増加し、1954年は貿易総額の8割を占めている。
日本の対中共禁輸は29年半ばまでにはほぼ西欧並みに緩和されたが他の共産圏輸出に比べて制限はなお厳格である。また取引品目は重要度に応じて分類されており、しかも中共側の需要の強い品目、例えば、鋼材、亜鉛鉄板、船舶、大型機械などはまだ禁輸の対象となっているため、貿易拡大にはかなりの限界がある。このように両国の経済体制や貿易制度が相異なるため、戦前のような緊密な経済関係の回復を期待することはできないが、最近は両国ともに貿易促進の熱意が高まり、30年5月には東京において輸出入各3,000万ポンドの貿易協定(民間協定)が締結され、今後の発展が注目されている。
最近の世界貿易の拡大傾向は初めにみたようにかなり著しく、貿易自由化の風潮もまた強まってきた。世界の貿易が拡大しかつ自由化の方向にあることは日本の貿易発展にとってもまた基本的には好ましい環境であり、日本貿易の将来をいたずらに悲観することはあやまりであろう。しかし世界の市場は戦前日本貿易が発展した時とは著しく変化しており、過去の姿のままを将来にうつし出すことは望まれない。日本商品に対する世界の需要も後進国の繊維品の自給化傾向と先進国の重工業品の輸出競争との板挟みになっており、また輸出入市場のアンバランスからくるドル不足も世界的な問題であって、日本だけで解決することは困難である。このような世界の経済環境の中で日本経済の資本や労働の特性をいかした国際分業の役割が何であるかはなお慎重に検討されなくてはならない。過去における日本の輸出の発展も、ヨーロッパに対する特産品、アメリカへの生糸、中国及び旧領土への綿糸布、雑貨、資本財、東南アジアへの綿人絹糸布、雑貨とその市場の条件と国内経済の発展段階の変化に柔軟な対応を示すことによって実現されたものであって、今日においても世界貿易の拡大化と自由化の環境が現実に日本貿易の発展となって結実するためには、その世界市場の変化に適合した経済体制を整えてゆくことが重要であろう。