昭和29年
年次経済報告
―地固めの時―
経済企画庁
経済の膨張化と農業
朝鮮動乱以降の我が国経済の膨張化傾向は昭和28年にいたって国際収支の悪化により一段と表面化した。このような経済の動きに対し農業はいかなる関係をもったであろうか。元来、経済発展における農業の役割は受動的なものだとされている。しかし我が国農業は一般経済とのいくつかの接触面を通じて、経済の膨張化に決して無関係ではなかった。戦後における実質農家所得の増加や消費水準の上昇は、戦前極めて低位にあったものが漸く正常化されたものとみることができるが、同時にそのような変化が最近の膨張経済と多かれ少なかれ関連をもっていることも否定できない。それでは農業はいかなる面を通じて国民経済の動きと関連をもったのであろうか。
国民所得からみた農家所得
農業が我が国産業にしめる重要性は、総就業者数に対する農林業就業者の割合が、例えば昭和25年で49%、28年で44%に及んでいることからもうかがうことができる。ところが反面このような膨大な農業従事者によって年々産み出される農業からの所得は、国民所得の2割前後に過ぎず、しかも最近その比重は漸減し、28年では17.3%にまでおちていることが注目される。
しかしながら、やや観点を変えて、農村経済の国民経済にしめる比重を所得面から測定するということになれば、農家所得、つまり農家が農業及び農業外からうる所得の合計が、個人としての国民全体が受け取る所得、すなわち個人所得にどれほどの割合をしめるかをみる必要がある。当庁の試算によれば 第118表 にみるように、右の比率は26年度以降34%を示している。
ところで、個人所得の処分面は個人消費支出、個人税及び税外負担、及び個人貯蓄に分けられる。このうち農家がどれだけの割合を占めているかをみると、同じく第118表に示されているように、消費においては25年度の47%から若干の起状はあるが、26年度以降はほぼ45%台をたもっており、また租税諸負担の面では、25年度の26%から28年の18%までかなり顕著な減退をみせている。かくて貯蓄の面では、次第にその比重をたかめ28年で36%を記録している。このような個人所得と処分面における農家の役割を、より一層はっきりさせるために、これを総人口に対する農家人口の割合と対比してみれば、各年度とも傾向として、所得面では人口の比重より1割方少なく、消費は人口比を上回るもののほぼそれと同程度であり、税金や貯蓄は人口の割に多くないということがわかる。このように生産部門としての農家の所得力が相対的に低いことは、貯蓄を下回る農業投資、あるいは民間総投資にしめる農業投資の低さにも現れている。
国民経済の所得面、支出面において農家経済のしめる割合は大体以上にみたごとくであって、このことからも我が国の経済の分析において農家経済は重視すべき地位にあることが分かるであろう。
米価の上昇とその影響
戦前における我が国米価は、生産性の相対的低下にもかかわらず外地米の移入によってその相対的上昇が抑えられていた。ところが戦後における米の需給、特に内地種の米の需給構造は戦前に比べて大きく変化した。昭和9─11年には内地人口6800万人に対し米の国内生産約900万トン、朝鮮、台湾より移入の約200万トン、合計約1100万トンの内地種の米が供給されていた。これに対し、戦後の25─27年には国内人口約8500万人のところに内地種の米の供給は国内生産約950万トン以外にはほとんどなく、人口の25%増に対し供給は逆に約14%減少している。戦前は外地米の供給により我が国の米価は国際的に孤立して低く保たれていたのであるが、戦後は内地米の商品としての特殊性からかえって孤立高となる要因をはらんでいる。もちろん国内米価も、外麦や外米の輸入によって間接的な影響は受けるが、その代替性にはおのずから限界があり、内地米価格は常に上昇しようとする潜在力をもっている。
米価のもつこのような潜在作用はいきおいその統制価格にも反映せざるを得ない。いま、米価と他物価及び賃金の上昇率を戦前と戦後とについて比較してみると、 第119表 のように生産者手取米価の対戦前倍率は消費者物価指数、パリティー指数、名目賃金指数のそれをいずれも上廻っている。実質米価指数も実質賃金指数に比べてかなり高い。農業所得指数は必ずしも全面的に米価を反映するものではないが、その対戦前倍率は27年までは都市世帯収入のそれをかなり上廻っており、28年は凶作のためほぼ同水準になった。これに兼業所得を加えた農家所得の倍率はそれよりもさらに大きい。
このような最近における米価の上昇は、一般的にいって農家に有利に作用していることはいうまでもない。しかしこれを階層別にみればその影響は必ずしも同様ではない。食糧庁統計は、27年度において、経営面積4反以下の零細米作戸数は総米作戸数の50%におよんでいるのに、その供出数量は全体のわずか5%に過ぎなかったことを示しており、農林省統計調査部の「農業動態調査」は、総農家の中で米の配給を受けた農家の割合は27年度は28%、28年度は凶作の影響を受け40%にも達したことを教えている。また「米生産費調査」によれば 第91図 のように経営面積の大きい農家ほど生産性は著しく高くなっている。これらの事実は上昇した米価の恩恵が均等に受け取られていないことを示している。
次に米価上昇の消費者に与える影響をみよう。28年における都市世帯の配給米支出金額は家計支出総額の6.7%に過ぎないから、これのみを切りはなして考えれば消費者米価のある程度の引上げはそれほど問題ではないようにみえる。しかし所得階層に分けてみると、29年1月の消費者米価12.5%の引上げは東京都勤労者世帯について月所得12,000円未満層では負担増加率1.23%であるのに対し20,000~24,000円層では0.75%、44,000~56,000円層では0.50%となっており、低所得階層に負担率が大きくなることを示している。戦前においては前述のように外地米の流入により米価は低く抑えられ、それは都市家計のエンゲル係数を低め、低賃金の割合には高い生活水準を可能にした。最近においては製造工業の実質賃金は既に戦前水準を越えているのに、勤労者世帯のエンゲル係数は戦前の約40%内外に対しなお50%程度の高さにある。これは戦後における支出構成の変化もさることながら、食料価格の対戦前上昇率が他物価に比し大きいことも一因をなしている。
消費水準と賃金
最近における農家の可処分所得増加の主要な原因としては、農産物価格の相対的上昇、農外所得の増加、減税及び農地改革の影響を挙げることができる。前の三者については他の箇所に述べてあるので、ここでは簡単に農地改革の影響についてふれておこう。
戦前においては農業所得のうち労働所得として分配される割合は50%前後に過ぎず、小作農の場合はその農業所得の約半分は土地所得として地主の手に収められた。農地改革前においては、総耕地面積の約半分を占めていた小作地は現在では全体の1割にも達しないほどに減少した。戦後新たに自作化した農家は、戦前においては農業所得の5割の分配にあずかったに過ぎなかったのに対し、今やその全額を取得し得るに至った。残されたわずかの小作地についてもその小作料は反当たり最高600円の金納制に法定されており、28年3月現在勧業銀行調査による統制小作料と自由小作料とを平均した実収小作料も中等田で反当たり1,087円、中等畑で反当たり716円に過ぎず、これは現在の耕地の収益力からみて極めて軽い負担だといってよい。従って戦前300万町歩に近い小作地を耕作していた多数の農家は、改革後は自作たると小作たるとを問わず、租税負担関係の変化を考慮に入れても非常に有利な状態になったということができる。
農村の消費水準が戦後年々上昇し、28年には「国民生活」の項にみるように9~11年基準で131の高さまで達したのは以上のような所得上昇要因があったからである。戦前においては農業の生産性の相対的低下にもかかわらず、前項に述べたように米価の上昇は抑えられ米価率は長期的にはほとんど変化しなかったため、農村の生活水準は相対的に低下せざるを得なかった。この低い生活水準の農村から年々約20万人の人口が都市に供給され、賃金水準を引き下げる役割を果たした。ところが戦後は農村の価格関係、所得関係が戦前とかなり変化し消費水準は前述のように上昇しており、また最近における兼業の増加は都市的な生活様式を農村に持ち込み、これがまた農村の消費性向を高める傾向もあると思われる。このような状態の下においては余剰労働力の増加などの事情があるにしても、農村が低賃金労働力の給源として果たす役割は戦前に比べてかなり変化しているであろうことは想像に難くない。しかも農業外には低賃金に対するより強い抵抗要因として労働組合組織の強化があり、賃金をめぐる諸条件は戦後大きな変化をみている。
一方、農業労賃の工業労賃に対する比率は 第120表 でみるように、戦前は60%程度であったものが戦時中はかえって農業賃金の方が高くなり、戦後は再び低下して最近ではわずか30%程度に落ち、都市と農村との間の賃金隔差は拡大されている。農村の賃金が主として限界所得によって左右されるものとすれば、相対的に所得の低い農家が生じたことになり、戦前以上に相対的に低い賃金の労働力を都市に供給することが可能なようにみえる。しかし農村にはいわゆる労働市場の成立が不十分であり、その雇用関係も旧来の地縁的、血縁的紐帯を通じて成立することが多く、また被傭者は自家の農業経営に従事するかたわら一時的に雇用される者が大部分であって純粋の農業労働者は我が国では極めて少ない。このように非近代的な雇用関係と制限された移動性の下において、戦後農村人口の急増と新しい労働手段の急速な普及をみたのであるから、右のような農業労賃の相対的低下は決して異とするに足りない。そしてこの低賃金の労働力は、いわば閉じこめられた労働力であるから、都市賃金に対する引下げ作用は比較的少ない。
農村と雇用の調節機能
戦前550万戸内外に固定していた農家数は29年2月の調査によれば610万戸に増加しており、また農林業労働力は戦前の1400万人前後から28年は1700万人強へと増加している。これに対し農家の経営する耕地面積は16年の586万町歩から27年は545万町歩へと減少しており、その結果農家1戸当たりの耕地面積は戦前に比し15%程度小さくなっている。戦後は畜産の発展などにより経営集約化の方向にあるとはいえ、耕地利用率は25、6年の152%を頂点として以後停滞の兆しをみせ、人口の圧力を経営の集約化により緩和することの容易でないことを示している。総理府統計局が28年3月現在について行った調査によれば、農家の余剰従業員数は大体100万人から150万人の間と推定され、これだけの人口は農業の側からは外部に排出することが望ましい潜在的な失業人口である。このような点を考えると農家が新たに人口を収容する力はかなり弱まっているとみなければならない。
第二に所得の面からみると、実質農家所得は既に戦前水準を2割以上も上回り、消費水準も前述のように戦前を3割も越えている。この点のみからみれば、農家の人口扶養力は戦前よりも大きくなっているように思われる。しかしこのように上昇した消費水準を支えている有力な原因の一つとして、実質兼業所得が戦前の2倍近くに増加していることを忘れてはならない。一戸当たり経営耕地面積が1.5町歩程度以下の農家は兼業所得なしには家計支出が賄えない実情にある。従って雇用の減少により人口が農村に流入するような場合には、兼業所得に支えられている農家所得もまた低下するであろうことは容易に想像される。しかも27年の農林省調査によ黷ホ、世帯人員に対する兼業従事者の割合は3反未満の29%、3~5反層の21%に対し2町以上層では約5%に減じており、非農業部門に雇用の減退が生じた場合その影響を強く受けるのは零細農家であるから、その人口収容力には多くの期待をかけ得ない。さらに下層農家の兼業は賃労働者、日雇人夫、季節出稼など比較的景気の動きに影響を受けやすい種類のものが多いという点はこの傾向を一層強めることになる。
第三に戦後の民主化の風潮あるいは相続法の改正などにより従来の家族制度に比し世帯単位の独立性が強くなった点を無視し得ないであろう。このような戦後の変化は、それだけ心理的、社会的に都市から農村への人口逆流には円滑性を減じていると思われる。
農村における人口収容力のこのような変化は、企業の面では過剰雇用を生じやすく、それはまた反面において社会保障制度が重要性を加えたことを意味するものであろう。
財政との関連
農業は戦前より財政依存度の相対的に強い産業であったが、戦後においてもこの傾向は変わっておらずむしろ一層その性格を強めている。農林関係財政支出の総財政支出に対する割合は、9~11年度においては5%前後であったものが最近では約10%に上昇しており、また農林関係財政支出の農林水産業国民所得に対する割合も戦前に比較して最近では右とほぼ同様の変化を示している。海運、電力など特殊の産業は別として農業の財政依存度がこのように強いのは、我が国のような小農経営の下にあっては農家の資本蓄積が困難であり、またその収益力が相対的に低いため通常の金融を通じて資金を調達することも不可能であるため、国による追加資本の供給なしには農業生産力の維持増大をはかることができなかったからである。戦後はさらに食糧増産の必要や災害の頻発などに関連した支出増加のため、上述のように財政依存度は一層高くなった。
農業と財政との関係は具体的には極めて多岐にわたっているが、生産的財政支出として主要なものは公共事業費、その他の補助金、低利資金の供給などである。いま農林関係経費の半ばをしめ、農業に対する財政投資において基幹的役割を演じている農林関係公共事業費につき、その一般会計歳出総額に対する比率の推移をみると 第121表 に明らかなように最近かなり顕著な上昇をみせている。公共事業費総額に対する比率についても同じ傾向である。また公共事業補助金とその他の補助金とを合計した農林補助金の補助金総額に対する割合は戦前の3割内外に比べて最近では15%前後に低下しているが、農林関係財政支出に対する割合は最近においても戦前と同じく5割強に当たっている。農林漁業に長期資金を供給している農林漁業金融公庫(27年度までは農林漁業融資特別会計)の貸出額も、26年120億円、27年208億円、28年287億円と次第に増加した。
次に、農家の租税公課負担について一べつすると、その農家所得に対する負担率はシャウプ税制改正前の24年度においては平均16%におよんでいたものが、最近では1割以下に低下している。市町村税のみは負担率が増大したが、その他の租税公課負担が軽減されたためである。このように25年度以降農家の負担は次第に軽くなってきたため、「農家経済調査」の対象農家についてみれば28年度には戦前の負担率に復帰した。
経済の均衡的発展と農業
以上述べたように、戦前にみられたような低米価、低賃金、企業の高い蓄積率という関係は戦後かなり弱まり、また雇用、賃金に弾力性を与えていた農村の機能も戦後若干変化を示している。このように農村の国民経済に対してもつ意義は戦後やや変質した。かかる現状において、物価水準の引下げという国民経済的要請を、農業所得を低下させることなく果たすためには、生産量と生産性とを同時的に引き上げる以外にはない。
前記のように「米生産費調査」によれば、経営面積の大きい農家ほど反当たり生産量は高く、石当たり生産量は低くなっている。また戦後における農業技術の発達、特に農業機械の普及は経営の適正規模を一層高いところに押しあげている。従って経営の集中、生産性の向上、コストの引下げは、それ自体としては内部的にも外部的にも強く要望されているとみてよい。しかし現実の問題として、前述のような農村における大量の余剰労働力の存在はその反作用を強めている。
それでは、かかる相反する作用の中にあって、経営の合理化、集中化の動きは現実にどうなっているであろうか。最近における農地の移動状況を通じてその傾向をうかがってみよう。まず、耕作目的の農地移動の概要をみると、農地改革が一応終了した26年以降所有権の移転が全移動の約8割を占め、耕作権関係の移動では賃貸借解除解約、更新拒絶(小作地返還)、耕作権移転(小作農の変化)、耕作権設定(新規貸付)の三者を合わせて約2割となっている。所有権移転を移動形態別にみると 第122表 のごとく、戦前比較的重要な地位を占めていた貸付目的の所有権取得すなわち自作地→小作地及び小作地→小作地の移動形態は現在農地法の禁止するところであり、事実上行われていない。最近、小作地→自作地の移動のように地主が保有地を小作農に売却し、また小作地を引き上げて自作化する傾向が強いため小作地は年々減少傾向にあり、現在小作地面積は総耕地の約9%、50万町歩程度になっている。小作地の比重はこのように低下しているが、「仮装自作」のようなヤミ小作もあり、今後人口圧力の増大などがあればこれはさらに増加するおそれがある。ところで自作地を売買した農家数を経営規模別にみると、 第92図 にみるように3反未満層では「売った戸数」が「買った戸数」より多いのに対し3反以上では概してこの傾向は逆になっており、特に1~1.5町層では「売った農家」に比し「買った農家」の割合が著しく大きくなっている。また「農業動態調査」の結果も、5反未満層の比率の低下、1~2町層の増大傾向を示している。このように緩慢ではあるが中農化の傾向をみせ多少とも合理化の方向をたどっているが、27年度の調査によれば土地を売った農家の4割以上が売却理由として「金の必要」を挙げており、経営集中はその反面に社会問題が生じ易いことを示している。中規模農家の増加傾向はこのように現象的には緩慢な動きしか示していないが、内面的には経営集中化の力と分散化の力とが戦前とは比較にならない強さで作用し合っていることを忘れてはならない。
以上みたように、農村と都市との経済発展を均衡的ならしめるような価格関係や財政関係などは経済にある程度膨張的影響を与えることになり、他方農業の生産性の上昇を通じて農工間の均衡をはかることにも過剰人口の抵抗があって、戦後の新しい条件の下で農業問題を国民経済との関連において解決することは必ずしも容易でない。