昭和29年
年次経済報告
―地固めの時―
経済企画庁
凶作の波紋
昭和28年は相次ぐ農業上の災害におそわれ近年まれにみる不作の年であった。災害による農業生産の低下は、農業経済の各部面はもとより、国民経済全般に対してもさまざまな影響を及ぼした。ところで朝鮮動乱以降27年までの我が国農業の動きは、生産は自然条件にめぐまれて順調に伸び、価格関係も概して好転を続け、このため農業所得は年々増加をたどり、加うるに兼業所得の著増により農家所得は実質的にも改善され、消費水準も上昇の一途をたどった。しかしこの間にあって、直接間接の統制下にある主要食糧以外の農産物の中には漸く過剰傾向をみせ始めたものもあり、これらのものの価格は軟化の兆しを示し、また農業所得の階層間不均衡の拡大傾向もみえ始めていたことが注目される。
災害の実態
28年度の主要な農業災害としては、4月及び5月に生じた晩霜被害、続いて台風2号、6、7、8月に各地を襲った水害、8月下旬より9月上旬にかけての異常低温を主因とする冷害、台風13号、及び以上のような気象条件を誘因とするイモチ病、二化めい虫の発生などを挙げることができる。このため農地及び農作物の被害は多額にのぼった。農林省調査によれば、農地及び農業用施設の被害額は約1,000億円、その復旧所要額は約670億円に達し、そのうち国家経費を必要とする額は580億円に及んでいる。次に、作物被害のうち水稲については 第114表 にみるように、前4ヶ年平均に比し2倍半近くの減収となり、その額は約1,000億円に達する。地域的には東山、東海、関東の被害が大きかったのに対し中国、四国、九州の諸地方は比較的作況が良好であった。その他の農産物についても多かれ少なかれ作柄は悪く、主要作物のうち反当収量で前年を越えているのは大麦のみである。
この結果は農業生産指数の低下となって現れ、9─11年を基準とする28年の指数は 第83図 にみるように97.7となり、前年に比し約9%の低落をみた。このうち、耕種作物は前年比13%低下してちょうど9─11年の生産水準となり、養蚕は前年比9%低下して戦前生産の約3割の水準に止まっている。これに対し災害の影響を受けることが軽微でありしかも需要の急増をみた畜産物は前年比41%の伸びを示し戦前水準を7割近くも越えており、特に牛乳生産は戦前の2.5倍に達している。
凶作と物価関係
昭和28年の農村物価の動きを農林省「農村物価賃金調査」によってみると、農産物が前年比7%の上昇をみたのに対し農業用品は1%の低落、家計用品は約3%の上昇で、この両者を総合した農家購入品では2%弱の上昇に止まり、物価関係は前年よりもかなり農家に有利になった。このように農産物価格の上昇率が相対的に高かったのは、凶作による農産物の供給量の減少が主要な原因になっていることはいうまでもない。このことは農産物価格の時期的推移と地域的差異に明瞭にあらわれている。
まず農産物価格を28年の上期と下期に分け、これを前年同期に比較すると 第84表 のように麦類、工芸作物、まゆなど少数のものを除きほとんどすべての農産物は下期の騰貴率が大きくなっている。上期はまだ27年の豊作の影響が尾をひき農産物の出回りも多く価格は比較的安定していたが、6、7月頃を境として不作気構が濃厚となり、ヤミ米の急上昇をはじめとして農産物は全般的に騰勢をたどった。これに対し農業用品及び家計用品物価は上期から下期にかけて全体として微騰を示したに過ぎなかった。
第84表 28年における農産物価格の対前年変動率(期別前年同期比)
このように凶作は農産物価格に大きな影響を与えているが、他面災害の程度は地域的に大きな差があるため、農産物価格の動きは地域的にもかなり明瞭な差異を示している。特にヤミ米については、食糧統制のため単一市場の形成が阻まれている関係もあって、作況の悪い地域ほど下半期の値上がり率は大きくなっている。食糧庁調査による粳精米自由価格の動きをみると、水稲作況指数が67であった群馬県では上半期のヤミ米価格の前年同期比は約1割高に過ぎなかったのに、下半期には7割以上も上昇している。これに反し作況指数117の豊作にめぐまれた鹿児島県では前年より価格はむしろ低下し、しかも年間ほ
農村の物価水準については前述のごとくであるが、次に「農家経済調査物財統計」によって農家の実効価格による24年度基準の受取価格指数及び支払価格指数をみると、 第85図 のように28年度では前者は176で前年度比18%の上昇に対し後者は134で4%の上昇に過ぎず、価格関係は実効的にも一層農家に有利になっている。支払価格指数に対する受取価格指数の割合も25年度の1.05から年々好転し28年度には1.32に上昇した。ただこの場合、基準にとった24年度は不況の影響により農産物価格が相対的に低かった年である点に注意する必要がある。戦前(9~11年度)を基準とすれば、この割合は28年度で1.25となり、24年度基準の場合よりもやや低くなる。
凶作と農家経済
先に述べたように、昭和28年度は農業生産の著しい減退をみたが、他方農産物価格の大幅な上昇があった。このように明暗二つの要因に織りなされた28年度の農家経済は如何なる推移を示したであろうか。そしてまた地域的、階層的に如何なる変化をみたであろうか。
一般的動向
まず農業収支関係を全府県平均でついてみると、農業収入面では前年度比7.6%の増加をみた。(現金、現物を含む総額、以下特記しない限り同様)農業収入の大宗をなす稲作収入は前年度ほとんど変化がなかったが、供出収入のみでは91%に過ぎなかった。稲作収入が前年度と同程度であったのに対し、果実、野菜、まゆなどは減収割合よりも価格上昇の割合が大きかったため、また畜産物は増産に加うるに価格上昇のためいずれも前年度よりもかなり収入増加となり、全体として先にみたように約8%の収入増加を示した。これに対し農業経営費は農業用品価格の微落にもかかわらず、災害に伴う投下数量の著増により前年度に比べて16%の増加となった。特に増加率の高かったのは、いもち病のまんえんを反映した薬剤支出で47%の増加であった。かくて農業所得は5%の増加をみたが、これは家計費の77%をみたすに過ぎず、農外所得への依存度をますます強めている。
農業所得の伸びが比較的小さかったのに対し農外所得は前年度に比し24%の大幅上昇をみた。このように農外所得が増加したのは、政府の災害対策、農業共済金の支払増加、一般賃金水準の上昇などがその原因をなしている。
農業所得と農外所得とを合計した農家所得では前年度比11%の増加となったが、その所得構成は 第115表 に示すように農業所得の比重を一層小さくし、現金部分のみについてみれば農家所得の半分は農外所得の占めるところとなっている。
次に支出面についてみると、家計費の増加率は農家所得のそれとほぼ同率の12%であった。これに対し家計用品物価の上昇率は3%に過ぎなかったので「国民生活」の項にみるように農家の消費水準は引き続き上昇をみた。農家の租税公課負担は金額においては約4%の増加をみたが所得に対する負担率では同じく 第115表 にみるように前年度よりもさらに低下し戦前と同率になった。
以上のような所得と支出の関係から農家の余剰は前年度比15%の増加をみたが、この余剰は 第86図 に示すように借入金の増加分とともに主として固定資産投資と貯蓄とに向けられた。すなわち一戸当たり余剰の前年度比増加分5,000円と借入金増加分5,000円計1万円が固定資産の増加6,000円と貯蓄の増加4,000円計10,000円と見合っている。固定資産投資は建物が最も多く、農機具、土地がこれについでいる。ただ借入金の純増分が前年度に比しさらに増加したことと、減価償却を考慮すれば固定資産投資がなお少ないという点に注意しなければならない。
なおここで25年度を基準とする農家経済諸指標の実質水準をみると 第87図 で示すように、租税公課の減少に対し他はすべて増加しており、特に農外所得と貯蓄の伸びの大きいことが注目される。
地域別考察
28年の異常気象の多様な地域性についてはさきに述べた通りであるが、これはさらに技術水準、経営組織などの差異とからみ合って農家経済に複雑な地域差をもたらした。まず農区別に農業所得を前年度と比較すると 第88図 にみるように、瀬戸内、東北は1割以上も増加しているのに対し、北関東、南関東、北陸では4%内外減少を示している。農家所得についてみれば、農業所得の減少の著しい災害地域に対しては政府の対策も重点的に行われたアとなどもあり、その地域差は若干緩和された。しかし支出面においてはそれほど地域性がみられないため、農家の余剰は大きな地域差を示し、瀬戸内の前年度比6割増加に対し、北関東は逆に4割近くの減少となった。
これに関連して注目されるのは、近年における東北地方の農業生産力の発展である。28年における東北地方の冷害気象を、大冷害を被った昭和9年のそれに比較すると、両年の気温の型はやや異なっていたが稲作に対する気象条件としては両年とも甲乙をつけ難いほど不良のものであった。それにもかかわらず28年の水稲の減収率は9年に比べて非常に低いところに食い止められた。そのため28年度の東北の農業所得は前年度比11%、農家所得は17%それぞれ増加し、その増加率は全国各農区のうち最高であった。このように不良気象に対する抵抗力が強まったのは、戦争中から戦後にかけて東北農業の生産構造が急速に高度化されたことによるものである。
災害の地域差は農区のように比較的広い地域についてみるとかなり平均化されてしまうが、例えば東北の冷害では一般に山間部と平坦部、表日本と裏日本との対比においてそれは最も鋭くあらわれている。これは自然条件の差異に加うるに、両者の間の生産力水準に差異があるためである。また風水害では局地的に激甚な被害を与えたことが特徴的であった。
階層別考察
農業経営規模の如何によりその生産性には明らかな差異がみられるが、さらに最近では米価政策などの影響もあり、農業所得の不均衡はやや拡大傾向をもっているようにみえる。例えば、北関東区について26年度と27年度とを比較すると、 第89図 の累積分布曲線にみるように27年度の方が農業所得分布の不均衡をやや強くしている。農家所得についてはこの傾向は多少緩和されてはいるが、やはり同様な傾向にある。
それでは28年の凶作は所得の階層差に如何なる作用を与えたのであろうか。この場合も立地条件、経営組織、技術水準の差異、あるいは兼業依存度の如何により、その影響ははなはだ複雑である。「28年東北冷害実態調査報告」(農林省)によれば、一般的に農業構造の近代化が進んだ地帯では経営規模が大きく反当収量水準の高い農家ほど概して被害率は低くなっている。しかし停滞型の農村ではこの関係は乱れており、例外的には逆の現象さえ現れているところもある。次に見方をかえて、最も災害を大きく受けた北関東区と、作況が比較的良好であった瀬戸内区とについて、その階層別農家経済の変化をみると 第90図 に示すごとくである。
凶作と食糧経済
米の生産量に対する供出量の割合は最近次第に低下してきているが、28年の凶作はこの傾向を一層促進した。 第116表 米の割当率、供出率の変化 にみるように、米の供出率は戦争中の60%以上はしばらく別としても、戦後23、4年の45%に比べ26、7年は42%に低下しており、最近米の統制が次第に緩和してきたことを示している。このように供出率が低下しているところに生産量の大幅減退がおこれば政府買入数量の減少は当然であるが、さらにヤミ価格の騰貴によって供出量の確保は一層困難になりがちである。
28年産米の生産量は5492万石という前年比2割におよぶ減収であったが、このような事態に直面して供出量の増加をはかるためには価格の引上げ以外に途はない。 第117表 にみるように、28年産米の生産者基本価格のみについては減収加算石当たり555円を含めても前年比10%程度の上昇にとどまったが、早場米奨励金、超過供出奨励金、供出完遂奨励金などの大幅増額のため、これらを含めた生産者手取米価は前年比21%も引き上げられた。このような米価引上げにもかかわらず28年産米の供出率はわずか37%にしか達せず、従って供出数量は前年度比74%の2034万石(5月末現在)に過ぎなかった。
生産者米価の21%の引上げに対し、他方消費者米価は29年1月より10キログラム当たり従来の680円から765円に12.5%の引上げを行ったに過ぎなかったため、その差額として約280億円の財政負担を必要とするに至った。また政府買入量の減少により、東京、大阪などの大都市においては従来11日分の内地米の家庭配給が行われていたものが8日分に減少し、生産県においても内地米配給日数の減少をみた。
現在の食糧需給の状態の下においては、生産の低下は直ちに輸入の増加を意味する。28年度の主要食糧輸入は当初の輸入計画3095千トンを改訂し1280千トンの追加輸入を行わざるを得なかった。このため28年度の主要食糧輸入金額は489百万ドルと、前年度比53百万ドル増加し国際収支悪化の一つの要因となった。
昭和28年の農業災害と国民経済
28年の凶作が我が国経済の推移に与えた影響としては、相反する二つの面が考えられる。まず、デフレ的な要因としては第一に食糧の不足を補うための輸入増加がある。28年度は凶作により約130百万ドルの追加輸入が行われたが、これはいうまでもなく470億円程度の通貨吸収が行われたことを意味する。第二は食管会計の供米代金の支払減少である。生産者の平均手取米価は前述のように28年は前年に比し21%も上昇したが、供出数量の低下により供米代金の支払額は前年よりも約230億円減少した。これはそれだけ第三・四半期の財政散超額の減少となった。これに対しインフレ的要因としては、さきに述べたように28年産米については280億円の財政負担が行われ、特にそのうち食管会計の繰越利益金からの支出がかなりあったという点を挙げることができよう。また災害対策として、風水害対策費300億円、冷害対策費115億円が追加支出され、さらに農業勘定支払共済金の対前年増加額260億円、485億円を限度とする災害融資などもあり、これらは直接、間接農家所得の増加を通じ一般購買力の増大に貢献した。災害の国民経済に与えた影響は以上のように二面的であったが、現実の動きとしては災害と関係のない要因によって経済は一段と膨張したことは総説にみた通りである。
ところで見地をかえて農家と消費者とに与えた災害の影響はどうであったろうか。農業生産指数は前年比9%低下し、米では20%の減収を来したのに対し、生産に要した原単位はかえって増大したのであるから、価格関係に変化のない限り農業所得は減少する筈である。しかし、先にみたように価格関係の好転により農業所得はかえって前年度比5%の増加をみた。加うるに兼業所得の大幅増加があったため農家所得は前年度比11%、総額として約2,000億円の増加となった。消費者との関係については、凶作による農産物価格の上昇のためそれだけ実質所得の移転が行われたが、27年から28年にかけて賃金のかなり大幅の上昇があったため、米価の値上がりを含む消費者物価の8%の上昇を吸収してなお17%も実質消費を増加させることができた。