昭和29年

年次経済報告

―地固めの時―

経済企画庁


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各論

物価

動乱後における物価騰貴の過程

物価騰貴の起点

朝鮮動乱直後我が国の物価は急激に上昇したが、その起点は海外需要の増大であった。このため我が国の輸出価格は海外諸国の買付競争によって醸成された海外グレイマーケット相場の急騰にひきずられて高騰し、一時は正常な国際物価をも上回る高値を示した。しかも我が国の輸出価格はもともと割安な水準から出発しただけに、動乱後の騰貴率は異常に高いものとなり、昭和26年3月までに9割近く上がった。輸出商品の国内価格も同じ期間に9割騰貴している。なおこの間輸入価格も約4割高となった。

しかしながら、26年春頃からようやく後退に転じた国際市況を反映して輸出価格が反落に転じ、26年9月には動乱前の6割高、27年3月には3割高、その後ほぼ2割高で横ばいに推移している。このようにグレイマーケット相場への直結から一時は国際物価を上回った輸出価格も、その後は漸次これにさや寄せする動きを示したわけである。この点、輸出商品の大宗であり、国際価格の変動に対して敏感な繊維は、26年3月の8割高から27年4月には動乱前の水準まで低落した。他方、輸入価格も28年にはほぼ動乱前の水準まで戻っている。

従って、輸入価格に先導された国内物価も、以上のような輸出価格の反落に順応して下落したならば、国際物価に対する割高という現象も一時的なものに過ぎず、ほどなく解消していたはずである。

第81表 表輸出入物価指数

物価水準を維持させた要因

こうして輸出価格が反落したにもかかわらず、国内物価は依然として5割高の水準を維持してきたが、その主な原因としては、金融の支え、国内需要の増大、コスト高の三つを挙げることができよう。

金融の支え

動乱勃発後海外需要の増加に刺激されて繊維、機械、金属、化学、製材など関連産業部門の生産が急激に上昇し、1年後の昭和26年6月には動乱前よりも4割も上回るに至った。しかし、海外需要は26年春頃から後退に向かったため、かかる異常な増産は26年春頃から夏にかけて急増した輸入原材料の到着とも相まって、国内市況を圧迫することになった。ことに、高値買付を行った油脂、ゴム、皮革などの新三品や、輸出不振に陥った繊維品などは価格の著しい反落を招いたが、夏と年末に行われた滞貨融資や救済融資で食い止められ、国内市況全般への波及が防止された。その後も化繊、ソーダ、薄板、ゴムなどにみられる操短、綿紡の価格調節あるいは鉄鋼の建値協調などの市況安定措置がとられ、また滞貨融資も必要に応じて行われた。

第82表 主要商品価格の推移

国内需要の増大

昭和26年春頃から輸出が減退してきた時期に、他方では特需が漸増してきた。特需では海外需要ではあるものの国際市況にはほとんど左右されずに価格も国際相場と比較的無関係に動いてきた。またこの間に国内投資が盛んとなり、これらに伴ってようやく消費も上昇した。こうした特需や国内需要は徐々に大きな国内市場を形成するようになり、増大する生産を次第に吸収していった。そのため投資財価格は引続いて高水準を維持し、ものによっては漸騰している。例えば、金属価格は26年4月をピークとして国際市況の後退から多少反落したものの、その下落の幅は少なく、最近まで動乱前の2倍以上という商品類別中で最も高い水準を維持している。また機械も27年春頃まで漸騰して動乱前の9割高に達し、その後ほぼこの水準を保っている。その他建築材料は29年1月まで一貫して上昇を示しているが、このうち木材は29年1月中旬に動乱後のピークに達して3倍以上の水準を示し、セメントも26年末までに8割上がって、その後もこの水準を崩していない。このように投資財関係の商品は旺盛な国内需要に支えられて一般に高水準を維持している。また輸出商品でもその輸出価格は 第83表 のように低落したが国内価格はその割合に下がらない。

第83表 投資財の卸売価格指数

第84表 主要輸出商品の価格指数

コスト高

こうした経過を辿っている間に、動乱直後工業製品の高騰に対しておくれていた基礎原料の価格が漸騰してきた。すなわち原料品価格は石炭、電気料金、木材などを中心にジリ高となり、この間輸入原料価格は昭和26年春以降反落して最近では動乱前の水準まで戻っているけれども、原料品全体としては動乱前の8割高をこえるに至った。このため動乱直後にみられた「原料安製品高」の傾向は前述したように27年の年央頃から逆転している。

また食糧価格も米価を中心として漸次上昇し、賃金も漸増してようやくコスト高の支えが入り、それだけ物価も下がりにくくなってしまった。

第85表 原料品の価格指数

第86表 消費財の価格指数

物価とコスト

物価と賃金

最後のコスト高という点についてはここに一つの疑問がある。なるほど原料や賃金が上がった。しかしこのうち原料の価格は、主としてそのまた原料の価格と賃金と利益とから成り立っているので、こうして次々に分解してゆけば結局は賃金と利益だけが残ることになる。従って物価水準全体を考えた場合、原料が上がったというだけではコストが高くなったことにはならない。それでは賃金はどうか。鉱工業生産部門についてみると、勤労者一人当たりの平均賃金は昭和25年から28年にかけて7割も上昇しているけれども、ほぼ労働生産性の上昇に見合っているため、生産物一単位当たりの賃金は 第87表 のように増えていないことになるから、賃金もコスト高の原因にはならない。

第87表 鉱工業における賃金と販売価格指数

こうみてくると、動乱後の我が国物価の高騰も全体としてみる限りでは決してコスト高ではなく、企業の利益をふくらませただけだから、これを削減すれば対外的な物価割高は解消しそうにみえる。しかし大蔵省調べの法人企業統計をみても、鉱工業生産部門の売上高利益率は25年の3%から26年に9%とかなり上昇したものの、27、8年は5%に戻っているからそれほど増えたとは考えられない。

しからば動乱後鉱工業品の価格が上がり、しかも生産物単位当たりの賃金が増えなかったのに、なぜ企業の利益率が思ったほど増加しなかったかを分析してみよう。

輸入依存度の増大

第一は、輸入原料に対する依存度が増えたことである。25年から28年にかけて鉱工業生産は8割増加したが、原料の輸入量は2.2倍に増大している。その結果、鉱工業品の値上がりによって増加した企業収入のうち相当部分が海外へ流出することになった。大体の見当として、25年に対する価格の値上がりで増加した収入のうち28年では3割程度が海外へ逃げてしまった。この点はコストを高めたことにはならないが、販売価格が上がった割合には国内の賃金や利益に対する分け前が少なくなったわけである。

コスト高の解明

第二は、原料高製品安への転化がやはりコスト高を意味するということである。動乱直後まず製品の価格が上がり、生産物単位当たりの賃金はもとより、原料の価格も国内産に関する限り値上がりがおくれた。この段階では、価格の騰貴で増えた収入はほぼそのまま企業利益の増大となって現れた。しかしその後、製品価格が反落する一方原料価格が騰貴していわゆる原料高製品安の過程に移ったため、製品部門の利益率が減って原料部門の利益率が増えることになった。この間物価も生産物単位当たり賃金も全体としてはほとんど動いていないから、企業の利益率も単に原料、製品部門間の分配が変わっただけで、両部門をあわせれば増えも減りもしなかったようにみえる。ところがそうはいかない。例えば、ある年度における企業の利益が製品部門で10、原料部門で0だったとする。次の年度に物価水準全体は変わらないが、製品価格が5だけ下がり、原料価格が逆に5だけ上がったとしよう。この場合に賃金が変わらないとすれば、原料部門の利益は0から5に増えるが、製品部門の利益は、原料の値上がり5と製品の値下がり5のはさみうちで、10から0に減ってしまう。つまり原料、製品両部門の利益をあわせると、初年度の10が次年度には5に減り、残りの5は製品部門の原料費に織り込まれ、コスト高となって吸収されてしまったわけである。これを実態に則して試算してみると、28年の鉱工業品価格が25年に対して値上がりした部分のうち3割程度が鉱工業部門の利益増大に基づいている。しかし企業にとってこのすべてが現実の利益増大になったわけではなく、かなりの部分が前述のような経緯からコスト高に転化してしまったため、鉱工業部門全体の利益率は25年当時に比べてそれほど増えないことになった。

賃金についても同じことがいえる。鉱工業部門全体の生産物単位当たり賃金は前述のようにほとんど動かなかったか、そのうち鉱業部門だけをみると27、8年の単位当たり賃金は25年に比べて2割5分ほど高くなった。こうして原料部門の賃金が増加すれば、たとえ全体の賃金が増えなくてもコスト高の要因となるわけで27、8年では25年に対する鉱工業品価格値上がり分のうち約2割が賃金の上昇に基づいているように思われる。なお、利子、賃借料も次第に増加して、27、8年では25年に対して価格騰貴部分の1割程度を占めるに至った。

このようにいくつかの要因が重なりあった結果、動乱後物価が急騰し、一方生産物単位当たりの賃金が変わらなかったにもかかわらず、企業の利益率は大して増えないということになった。これもつきつめれば国内資源が貧弱なために起こった現象である。すなわち経済規模が拡大すると、一つには原料に対する輸入依存度がますます増えて、せっかく増加した企業収入の相当部分が海外に流れ、二つには石炭などの国内原料が増産につれて生産条件が悪くなり、この面からコスト高を招いている。

物価引下げと利益率

物価が上がった割合に企業の利益率が増えていないということになると、物価の引下げは必ずしも容易ではなさそうである。昭和28年の鉱工業品価格は25年に比べて約4割高くなったが、この間に売上高利益率は3%から5%へ増えたに過ぎない。いま大雑把に試算してみると、鉱工業品の価格が28年の水準より4、5%ほど下がっただけで、利益率は3%に戻ってしまう。この際に生産性も下がるとすれば、利益率はさらに減るであろう。もとより企業の利益率は業種により、また個々の企業によって違いがあり、物価が下がるときも各企業の利益が一様に減るわけではないが、少なくとも企業全体をみた場合、3%や5%の利益率はあながち高いものであるとは思われない。しかもそのうちには減価償却を十分に行っていないために生ずるみせかけの利益が含まれていることを考えあわせる必要がある。

29年6月頃の鉱工業品価格は28年の水準より既に1、2%下がっており、卸売物価全体としてもほぼ同程度落ちているが、さらに物価を引き下げていくためにはコスト高の是正に取り組まざるを得ないであろう。

ともかく動乱後における国内市場の拡大は需要の面から割高な物価を支えてきたが、こうして高い物価水準を維持しているうちに、他方で国内需要を構成する賃金や利益が産業の各段階へ原料を通じて浸透し、いわゆるコスト高となって次第に物価水準の底を固めていった。そして国内市場拡大への過程は、また需要とコストの両面から物価割高への途ともなり、そこに均衡水準ができ上がったのである。


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