昭和29年

年次経済報告

―地固めの時―

経済企画庁


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総説

経済膨張の機構

内需と物価

輸出伸び悩みの根因はポンド地域の輸入制限のような外的条件を別としては、我が国物価の国際的割高にあるといわれる。しかし割高の直の意味も右のような経済循環の認識に照して初めて明らかにすることができる。

我が国の物価は国際的にみて2割内外割高だといわれる。例えば卸売物価は動乱前に比べておよそ5割高である。アメリカの卸売物価は1度動乱前の17%高まで急騰したものの、現状では10%高の水準に戻った。イギリスの物価水準は動乱前の2割5分の上昇率に過ぎない。為替レートの切下げを行わずに卸売物価が動乱前の水準に比べて5割以上も騰貴している国は、日本を除けば、ブラジルと台湾とニカラガの3カ国しかない。しかも繰り返して述べる通り、この程度の物価割高におさまっていること自身も輸入の増大によって可能になっているのである。

なぜ物価が国際的に割高になってしまい、また割高ですんでいるのであろうか。朝鮮動乱直後から昭和26年半ばまで世界各国の物価は輸出の急増と国内再軍備需要の増大に伴って一斉に上昇した。しかしその後世界経済は再軍備の引き延しと共に調整過程に入り、西欧諸国の物価は下落に向った。動乱直後世界物価以上に上り過ぎたわが国の物価と世界物価との間に生じた割高の幅は、調整過程でも我が国物価が下げ渋ったために、ほぼそのまま今日まで持越されているのである。

第20図 主要商品価格の国際比較

我が国の物価は動乱直後から輸出の急増によって、繊維を中心とする輸出商品を先頭に急騰した。製品価格の上昇が先行し、原料価格や賃金はその上昇に追随し得なかったので26年には企業者の利潤の幅が拡大した。しかし26年の春から下期にかけて、前に述べたように世界経済動向の転換に遭遇し、我が国においても新三品の低落、繊維の不況が現れた。この際このような局部的不況が全般に拡大しないように、救済融資、滞貨融資等によって不況の波及を防ぐ役割を果たしたのが金融であった。こうして金融が下支えしている間にもそれまでに行われた産業投資、政府投資増大の影響は次第に現れ 第21図 にみる通り、金属、機械など投資財価格は漸騰を続けた。そのために繊維等輸出関連商品の価格は低落したにもかかわらず、卸売物価総合としてはほぼ横這いに推移したのであった。ついで27年に入ると共にそれまで物価の騰貴に比して遅れていた賃金も次第に上り、国内消費需要の増大するに従って、金融によってやっと支えられていた消費財滞貨もそのはけ口をみつけることができたのである。

第21図 朝鮮動乱後の物価変動

ところで、そのような国内市場の拡大過程は、実は取りも直さずコスト要因の上昇過程なのである。都市勤労者及び農村の購買力が今日これほど増大したのも25年に対して賃金8割、米価7割の上昇があったればこそである。それらの上昇率が生産増加率とほぼ見合っているのも必ずしも偶然ではなさそうだ。しかし今日では賃金ひいては米価の上昇は鉱工業製品のコスト引下げを困難ならしめる基本的な原因の一つになっている。動乱直後の企業利潤は利潤率と共に増大した。しかしその後コスト上昇による利潤率の減少は内需増大による販売高の増大によってカバーされた。企業にとってその利潤の源泉であった内需が、今日ではコスト引下げを困難にする最も重要な要因になっているというのも皮肉な成り行きである。今日から考えれば日本物価と国際物価との幅が開いたときに、国内生産増大のはけ口を輸出に見出すのではなく、国内市場の拡大によって吸収しようという決意が行われたに等しい。しかし内需増大の途を選ぶことが許されたのも、特需によって外貨収入が保証され、さしあたり輸出を増やさなくても済んだからにほかならない。こうして一旦内需増大の途を歩み始めれば、コスト価格構造の乖離の故に、途中から輸出振興への途に切り換えることは難しい。ひたすら国内市場拡大の途を歩み続け、膨張を通じての均衡の急坂を駈上るほかはなかったのである。


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