昭和29年
年次経済報告
―地固めの時―
経済企画庁
信用膨張の役割
次に経済膨張における金融の役割を検討してみよう。経済が発展する場合には通貨供給量の増大は不可避である。銀行は信用創造によって新しい資金をつくり出し、これを企業の設備投資、あるいは追加運転資本として貸付けこの過程において「貯蓄以上の投資」が行われる。その結果、国民所得は増大し、貯蓄も従って増加するから、事後的には投資は貯蓄に見合うようになる。しかしこのような過程が繰り返されたからといって、金融を膨張の原因とみることはできない。なぜならば、前述の輸出、特需、財政、投資といった原動力が先に作用して資金需要が生まれるからである。それでは動乱以来の銀行貸出し1兆9,000億円の増大を総て受動的なものとして考えることができるかというと、決してそうではない。最近の信用膨張はもっと積極的な意味があったようである。この点についてはまず二つの理由が考えられる。第一は、過剰生産傾向を胎んだ膨張経済における金融の役割だ。企業は販路のあてが余り確実でないのに増産してしまう。滞貨ができればもとよりのこと品物を販売しても決済が円滑でなければ、企業は次の生産のための原料の仕入れや賃金の支払いができない。それは有効需要を次々に減らす方向に作用するはずだ。ところが銀行が滞貨融資をしたり受取手形を割引いてやったりする。それは銀行が仮需要をつけてやるに等しい。こうしてしばらくつないでいる中に、別の刺激が利いてきて有効需要は増えて滞貨もはけ決済も順調に行われる。このような金融の前貸し機能は経済の歯車を膨張側にのみ回す作用をしたごとくである。
第二は、金融の自動調節作用がうまく働かなかったことである。本来ならば金利による資金調節作用や銀行の健全経営の見地からする支払準備保持の必要等が過度の信用膨張を抑制すべきはずのところ、その働きがいろいろな事情で麻痺してしまい、企業者の誤った積極態度を是認するような結果になったことである。
以上企業──市中銀行──日銀の信用面における絡み合いにおいて右の二点がどのような現れ方をしたかみてゆくことにしよう。
まず企業の設備投資熱である。終戦直後は戦災復旧、現在は近代化と一貫して企業の投資意欲は極めて盛んであるが、所要資金を自己資本で賄うことができず、財政資金や銀行借入れに依存する。安易に銀行借り入れに依存する態度は次のような種種の原因に基づいている。その第一は、過去十数年に亘ってインフレを続け、円が減価するから借金の負担は実質的に極めて軽くなったことである。いわゆる債務者利潤がでるから金は借りておいて損はないという経験である。次に増資よりも借入の方が有利だという事実だ。税法上配当金は利益処分として課税対象となり借入れ利子は経費として扱われるから、配当率、利子率をそれぞれ10%とすると前者は100円につき22円のコスト、後者は10円で済む勘定である。第三に、企業が資産再評価を十分に行っておらず減価償却が不足のためにみせかけの利潤率が高くなり、高い金利で金を借りても引合うように見えたことである。償却不足は年間1,000億円に達する。もし、再評価後の償却を厳密に行えば、28年上期の企業に実質的利潤率は11%内外から7~8%に低下し、年利9分内外の現在の金利を下回ることになる。従ってもし資産再評価が十分に行われていたならば、いわゆる過剰投資傾向もかなり抑制されていたはずである。なお償却不足によるみせかけの利潤は税や配当になって外部に流出し設備の補修には新しく借入れを増大せねばならなかった事情も附言しておこう。
また企業は設備投資のみならず生産増大にも頗る強気だ。しかし売上げの決済は必ずしも円滑でない。26年上期から28年上期までの2年間に法人企業の売上げは6,000億円増えているが、その7割は割引手形を含めて売掛債権になっている。企業は売掛、買掛で相互に信用を供与し合いながら手形経済のネットワークを拡大してきた。しかし賃金支払等現金をどうしても必要とする面は銀行融資を仰がねばならない。銀行がこれに貸応じたことは企業間の信用膨張の追認を行ってきたに等しい。
次に市中銀行はこのように旺盛な資金需要にどうして貸応じられたかを考えてみよう。市銀の貸出しのかなりの部分は貯蓄性預金の吸収等の本源的資金によらず前述の信用創造で賄われた。一つの銀行の企業への貸出しは相当部分どこかの銀行の預金に歩留る。その銀行もこれを元にして貸出しを行う。こうして繰り返して最初の資金の何倍かの貸出しが行われるわけであるが、預金の歩留りと貸出しなどの関係を考慮して幾何の預金に対しては何ほどの支払準備があればよいかという比率を示すのが、預金支払準備率である。これが戦前は10%以上であったのに対して、現在は4~5%に落ちている。この率の低下しただけ信用膨張の度合いをふくらまし得るわけであるが、支払準備が少なくて済むというのも実は容易に日銀からの追加借入れに依存しうる気安さからにほかならない。日銀借入実効金利は市中貸出金利より低く、すなわち順鞘であったばかりでなく、預金コストを下回っている場合も多かったから、市銀は預金吸収に骨を折るより日銀から金を借りてそれを貸した方が有利だった。
それでは通貨の調節を司る中央銀行の立場はどうであったか。仮に純粋な金本位制であったならば国際収支の悪化は自動的に国内経済膨張に抑制効果を及ぼす。すなわちその場合は国内通貨発行高が金やドルなど外貨準備と直結しているから、例えば3億ドルの外貨が流出すれば通貨も1,000億円縮小する。こんなに通貨が収縮すれば経済膨張どころではない。我が国の通貨制度はいうまでもなく管理通貨制である。しかしそれでも、国際収支の赤字は外為会計の揚超を通じて民間の資金を吸い上げ、デフレ効果を発揮するはずだ。ところがその作用を妨げてしまったのが輸入金融である。輸入業者は自分の手金を使う代わりに銀行から借りた金で外為会計から外国為替を買ったのである。輸入金融の優遇は動乱直後の緊急輸入時の遺制である。しかも輸入金融は単に輸入為替決済の段階にとどまらず、別口外為貸やスタンプ手形制度のように生産金融の段階まで含んでいるほか、最初の段階で金融がついて物が輸入されると丁度フリーパスをもらったようにその後の国内取引においても金融がつき易かった。輸入金融の残高は逐年増加を辿り28年度末においては約3,000億円に達し昨年の輸入増大に主要な役割を担っていた。また別口外為貨が100%日銀依存であることはいうまでもないが、その他の輸入金融もスタンプ手形等の一部を除きほとんどが日銀の高率適用制度から除外されていたため、結果的には輸入決済手形貸の90数%をはじめ輸入金融の大半が日銀信用の造出によって賄われていたのである。こうして日銀信用は動乱以来3倍に増大している。
右に述べたところを逆に振り返ると、日銀信用の増大が市銀の過度の信用膨張を助長し、それはさらに企業者の態度の積極化をもたらし、これが財政及び投資の刺激による経済の膨張、国際収支の赤字など一連の作用に一層の加速度を加えたのである。もしこの過程に物質騰貴を伴っていたならば、もっと早く円価値の護持の必要性が痛感されていたであろう。所得インフレであっただけに国際収支の赤字がはなはだしくなるまで膨張が看過されたのであった。
以上説明した経済膨張にあっては、購買力が増大したから増産するのでなく、増産したから購買力が増え、貯蓄があったから投資するのでなくて、投資したから貯蓄が増えるという関係が成り立っていた。同じことは財政についてもいえるのであって、いわゆる歳入の自然増収も歳出の増大による所得増大に負う処が大きいといわなければならない。このような逆立ちした関係が大きな破綻もなく進行し得たのも、信用膨張の働きに負うところが大きかった。