第2章 人手不足による成長制約を乗り越えるための課題 第1節
第1節 高まる人手不足感と企業部門の対応
本節においては、企業の人手不足感の現状やこれが企業活動に及ぼす影響を概観するとともに、人手不足に対する企業の対応としてとられている雇用者の賃金引上げや省力化投資の現状と課題を分析する。さらに、省力化投資の効果と期待される生産性向上への効果等について検証する。
1 人手不足の現状
(企業の人手不足感は、非製造業でバブル期並みとなるなど、歴史的水準まで高まり)
はじめに、企業の人手不足感の動向を、日銀短観を基に概観しよう。直近2024年6月調査時点の雇用人員判断DIは、全規模全産業ベースでマイナス35%ポイントと、「不足」と回答する企業の割合が「過剰」と回答する企業の割合を大幅に上回っており、企業の人手不足感の深刻さを物語っている(第2-1-1図(1))。DIの水準としては、バブル期の景気拡大期のピークである1990年11月調査及び1991年2月調査におけるマイナス46%ポイントという既往の不足超幅の最高値は下回っているものの、バブル期は、供給面の制約というよりは過剰な需要が人手不足感を引き起こしていたという点で、近年とは状況が異なる。また、コロナ禍以前の2018年12月調査及び2019年3月調査のマイナス35%ポイントと同程度となっているが、それ以降、コロナ禍による経済社会活動の抑制により、一時的に不足感が緩和していたに過ぎず、こうした人手不足感の拡大の流れは、傾向として続く構造的なものとなっている。
次に業種別に長期のDIをみると、製造業では2024年6月調査のDIがマイナス21%ポイントと、コロナ禍前の不足超幅を下回っている一方、非製造業ではマイナス45%ポイントと、1990年11月調査及び1991年2月調査のマイナス47%ポイントに迫るまで人手不足感が拡大している。また、規模別に長期のDIをみると、大企業(全産業)では2024年6月調査のDIがマイナス28%ポイント、中小企業(全産業)ではマイナス37%ポイントと、バブル期の1991年2月調査のマイナス40%ポイント、マイナス47%ポイントよりは不足超幅が低いが、中小企業の非製造業では、バブル期のピークを超えて人手不足感が高まっていることが確認される。
さらに、現行の産業分類で遡及可能な2010年以降について、企業規模別に業種別寄与度を確認すると(第2-1-1図(2))、製造業の人手不足感は、機械関係業種を中心にコロナ禍前を幾分下回る程度となっている。一方、非製造業では、大企業・中小企業ともに、建設・不動産、卸売や対事業所サービス、小売や対個人及び宿泊・飲食サービスなど、幅広い業種において人手不足感が拡大しており、相対的に労働集約的な業種の人手不足感が深刻である様子がうかがえる。
(企業の人手不足感は幅広い職種で、年齢別には中年層を中心に高まり)
ここで、企業の人手不足感の高まりの内容や背景を探るべく、内閣府が2024年に実施した「人手不足への対応に関する企業意識調査」等2(以下「アンケート調査」という。)の結果をみてみよう。まず、従前、人手不足感が高まっていたコロナ禍前(5年前)から現時点にかけて、企業にとっての働き手の職種別、年齢別の人手不足状況に変化がみられるのかを確認する。
第2-1-2図は、横軸に5年前の人手不足割合(人手が「不足」、「やや不足」と回答している企業の割合)を、縦軸に2024年現在の人手不足割合をとり、業種ごとの人手不足感をプロットしたものである。分布が45度線より上に位置する場合には、5年前から現在にかけて人手不足感が高まっていることを示している。職種別にみると、人手不足感は専門・技術職、営業・販売職、事務職の順で高いという状況に変化はみられないが、いずれの職種でも分布が45度線よりやや上方に集積しており、職種にかかわらず人手不足感が高まったことが分かる。年齢別にみると、若年層(~34歳)、中年層(35~54歳)、高齢層(55歳~)の順で人手不足感が高いという状況に変化はみられない一方で、若年層については、45度線を中心におおむね均等に各業種が分布しているのに対し、中年層では、45度線よりも上方に分布が集積しており、5年前と比べて人手不足感が高まっていることが分かる。また、高齢層も一部の業種では、大幅に不足感が高まっている。このように、企業の人手不足感は、幅広い職種において、年齢別には中年層において、5年前と比べて高まっている様子がうかがえる。
(人手不足感拡大の背景に、転職市場拡大とそれに伴う企業間の人材獲得競争の激化)
次に、アンケート調査を基に、企業が人手不足に陥っている要因として回答している主な事項を確認しよう。第2-1-3図をみると、5年前においては、「業務に必要な資格や能力を持つ人材の不足」、「業務量の拡大」が複数回答で半数を超え、最も大きい要因として挙げられていたが、2024年現在は、これらの回答割合は依然高いものの、「離職者・退職者の増加」を挙げる企業の割合が5年前の38%程度から56%程度へと大幅に増加し、最も大きな要因となっていることが分かる。こうした結果は、この間に、比較的若年層を中心に転職等希望者が800万人程度から1,000万人超にまで増加していることや(第2-1-4図(1))、実際の転職者が正社員間で増加していること(第2-1-4図(2))など、転職市場が拡大傾向にあることとも整合的である。
また、採用活動との兼ね合いで、人手不足が解消されない背景についての回答をみると(第2-1-5図)、「採用活動をしても応募が少ない」という企業の割合が7割程度と最も多い点は変わりがないが、「応募はあるが、より良い条件の他社へ流れる」や「採用しても短期間で退職してしまう」と回答した企業の割合が4割程度となるなど、コロナ禍前と比べて大幅に拡大していることが特徴的である。転職市場の活性化等も背景に、企業の人材獲得競争が厳しさを増している様子がうかがえる。
(人手が不足していると回答する企業は労働生産性が低い)
それでは、人手不足感の拡大は企業活動にどのような悪影響をもたらしているだろうか。アンケート調査の結果から、企業が人手不足による悪影響として挙げている要素をみると、回答企業割合が高く、かつ、この5年間でより多くの企業が指摘するようになっている事項としては、「労働時間の増加」や「採用コストの増加」といった、コスト面に関する点が挙げられる(第2-1-6図)。また、回答割合に変化はないものの、「人繰りや労務管理の煩雑化」を挙げる企業は5割程度と多く、これらを併せて考えると、企業は、人手不足の弊害として、企業経営上のコスト増や効率性の低下など、生産性に及ぼす悪影響を意識しているとみられる。
そこで、企業単位で、人手不足感が労働生産性にどのような影響を与えているかを確認するため、アンケート調査と企業の財務データをマッチングし、人材の過不足感と労働生産性の関係を推計した。具体的には、労働生産性3を被説明変数とし、業種や企業規模をコントロールした上で、人材の過不足感(ダミー変数)を説明変数とした回帰式を推計した4。
結果をみると、第2-1-7図のように、人手が「適正」とする企業と比べると、人手が「やや不足」や「不足」としているとする企業は、労働生産性が有意に低いという結果が確認され、「不足」企業は「適正」企業に比べて3割程度低くなっている5。
また、資本装備率6を被説明変数とし、人手の過不足感との関係を推計すると、「不足」企業では、「適正」企業と比べて、資本装備率が有意に低く、不足する人手に対して、十分な量の設備投資を行えておらず、このことが、結果として、「不足」企業の労働生産性を低めている可能性もある。
2 人手不足に対する企業の対応と課題
(人手不足への対応策として、従業員の待遇改善を行う企業の割合が急増)
以上でみてきたように、企業の人手不足感は、非製造業を中心に幅広い業種で高まっており、それが労働生産性にも影響を与えている。では、こうした中で、企業部門は、人手不足への対応としてどのような対策をとっているのであろうか。アンケート調査における企業の人手不足への対応策についての回答結果をみると、おおむね以下の点が特徴的である(第2-1-8図(1))。
第一に、5年前と現在とで比較して、回答企業の割合が最も大きく増加しているのは「従業員の待遇改善」である。5年前には4割超であったものが、現時点では約7割と最も高い回答割合を有する項目へと躍り出ている7。他にも「従業員の育成」、「定年延長・定年後の再雇用制度の拡充」などの項目でも回答割合が増加していることと併せて考えれば、転職市場が拡大する中での人手不足感の高まりという状況下において、企業が既存雇用の流出を防ぐための対応をより積極的に行っている様子がうかがえる。
第二に、5年前に最も高い回答割合であった「新卒・中途採用数の増員」は、期間を経た変化はほとんどみられないが、現在も6割程度と高い回答割合となっている。「新卒・中途採用条件の緩和」や「一度退職した社員の再雇用」8といった項目の割合も増加していることと併せて考えれば、人手が不足する中で、新たな人材の確保が企業にとって重要なイシューであり続けていることが分かる。
第三に、上記のような既存又は新規の人材確保策と比べれば回答割合が相対的に低いものの、「省力化投資」を挙げる企業の割合も増加している。例えば、クラウド等も活用したバックオフィス業務の効率化はもとより、小売やサービスなどの店舗におけるキャッシュレス決済端末やセルフレジの導入など、日常生活の身近な面でもこうした企業の取組を垣間見ることができるであろう9。
さらに、企業規模別・業種別の状況を確認すると(第2-1-8図(2))、最も高い回答割合を有する項目が、大中堅企業では「新卒・中途採用の増員」であるのに対し、中小企業では「従業員の待遇改善」であるという点が挙げられる。採用活動面で相対的に競争力がある大中堅企業では、新規の人材獲得に最も力を入れることができるのに対し、中小企業では既存の従業員の引き留めを最優先の課題としている様子がうかがえる。また、「省力化投資」に取り組む企業の割合は、企業規模を問わず製造業において相対的に高いが、5年前からの変化幅という点では、中小企業の非製造業が大きく増加している。日銀短観の雇用人員判断DIでみたとおり、中小企業の非製造業では人手不足感が特に深刻であり、そうした状況に対して省力化投資を進めている様子がうかがえる。
(人材の確保や引き留めのために賃上げを行う企業の割合は着実に増加)
このように、企業の人手不足への対応策としては、「従業員の待遇改善」など既存雇用の流出防止、「新卒・中途採用数の増員」など採用強化による新規人材の獲得、「省力化投資」といった取組が挙げられているが、以下では、5年前から直近への変化が相対的に大きい「従業員の待遇改善」と「省力化投資」に焦点を当て、人手不足に対する企業の対応をより詳細に確認していく。
まず、従業員の待遇改善に関して、厚生労働省「賃金引上げ等の実態に関する調査」の結果を基に、30年ぶりの賃上げ水準となった2023年の賃金改定において、企業が最も重視した要素(単一回答)をみてみよう(第2-1-9図(1))。これによると、企業が賃金改定において最も重視した要素は、「企業の業績」に次いで、「労働力の確保・定着」や「雇用の維持」が大きい。また、5年前の2019年からの変化をみると、「企業の業績」を選択する企業割合はマイナス14%ポイントと大きく低下し、逆に、「物価の動向」(プラス7.7%ポイント)とともに、「労働力の確保・定着」(プラス6.2%ポイント)、「雇用の維持」(プラス5.1%)が大きく伸びており、企業の賃金設定行動が大きく変化していることが分かる。
このうち、「労働力の確保・定着」は、新規の労働者を確保し定着させるための賃上げを、「雇用の維持」は、既存労働者の流出を防ぐための賃上げをそれぞれ意味している。これらの項目を賃上げに際し最も重視した要素として選択した企業の割合を時系列でみると(第2-1-9図(2))、2010年代半ば以降、人手不足感が高まる中でいずれも緩やかに上昇し、直近の2023年では「労働力の確保・定着」は既往最高値を記録したバブル期に迫る水準まで上昇し、「雇用の維持」は調査項目となった2002年以降で最高値となっている。「雇用の維持」がバブル期には調査対象項目として存在しなかったこと、また、本調査項目は単一回答であることなどを踏まえれば、広い意味で人材の確保・引き留めのために賃上げをする企業の割合は、実質的にはバブル期を超えているとも考えられる10。
(デフレ以降、フルタイム労働者は労働需給引き締まりと賃金上昇率の関係が希薄化)
このように、近年は、人手不足感が拡大する中で労働需給が引き締まり、人材の確保・定着のために賃金を引き上げる企業の割合が増加してきた。今後も、人口減少による労働供給の下押しが続くと見込まれる中、そうした流れは継続していくものと考えられる。では、労働需給の引き締まりが、実際の賃金上昇率を押し上げる程度は経年的に変化しているであろうか。この点を確認するため、ここでは、労働需給と賃金上昇率の関係を示す賃金版フィリップスカーブの動向を確認する。具体的には、横軸に有効求人倍率(各月の平均とのかい離でプラスを需要超過、マイナスを供給超過と規定)を、縦軸に時給ベースの所定内給与(以下「所定内時給」という。)の前年同月比をとり、両者の関係性について、<1>我が国がデフレに陥る前の1983年~2000年、<2>デフレ下にあった期間が大宗を占める2001年~2012年、<3>2013年以降現在に至るまで、の三つの期間に分けて確認する。結果をみると、以下の点を特徴として挙げることができる(第2-1-10図(1))。
第一に、就業形態計でみると、有効求人倍率と所定内時給の間のプラスの関係、すなわち労働需給のひっ迫が賃金上昇率を押し上げるという関係は、期間を問わず成り立っている。
ただし、第二に、期間を通じた変化に着目すると、我が国がデフレ状況に陥る以前の1983年~2000年と比べ、デフレ下にあった期間が大宗を占める2001年~2012年や、それ以降の2013年以降では、賃金版フィリップスカーブが下方シフトするとともに、傾きがフラット化している11。下方シフトについては、我が国経済がデフレ状況に陥り、そうした状況が長引く中で、企業部門が収益確保のためにコストカットを行い、賃金上昇を抑制してきた結果であると考えられる。一方、フラット化については、物価も賃金も動かない状態となり、名目賃金上昇率をマイナスに切り下げることが難しいという「名目賃金の下方硬直性」が存在する中で、<1>景気後退期に賃金を引き下げることができず、賃金水準を十分に調整することができなかった企業が、景気が回復する局面では、過去の賃金水準の調整不足が解消されるまで、逆に賃金の引上げを抑制する、<2>長期的な雇用安定を優先する下、将来の賃金引下げリスクを回避しようとする結果、景気拡大局面においても、企業が賃金引上げを抑制する、という二つのメカニズムを通じて、名目賃金が十分に上昇しなくなる「上方硬直性」が生まれていたとの指摘がある12。まさに、デフレ状況下における特有の現象が生じたと言えよう。
次に、時系列データ上、1994年以降のデータに限られるという制約はあるものの、賃金版フィリップスカーブを一般労働者(フルタイム労働者)とパートタイム労働者に分けて確認しよう(第2-1-10図(2)(3))。
結果をみると、まず、パートタイム労働者、フルタイム労働者ともに、デフレ状況に陥って以降の2001年~2012年にはフィリップスカーブのフラット化が進んだ一方、2013年以降は、労働需給と所定内時給との間にプラスの関係が成立している13。
次に、2013年以降のフィリップスカーブを、デフレに陥る以前の1994年~2000年と比べると、パートタイム労働者では上方シフトがみられるのに対し、フルタイム労働者では下方シフトに加え、傾きのフラット化が顕著であり、労働需給のひっ迫が賃金上昇率を押し上げる力は弱まっている。パートタイム労働者については、主に外部労働市場で賃金が決まることから、一般に、労働需給がひっ迫する局面では賃金上昇率の関係がより明確であると考えられる。加えて、近年においては、継続的な最低賃金の引上げがパート労働者の時給上昇率の底上げにつながり、フィリップスカーブを上方にシフトさせているとみられる。一方、主に内部労働市場が中心のフルタイム労働者については、雇用の維持が優先される中で、デフレ下を経た企業がコスト抑制の手段として賃金上昇を抑制してきたことのほか、上記の名目賃金の上方硬直性の影響を色濃く受けていると考えられる。
しかしながら、こうした状況は、春闘の賃上げ率が2023年には30年ぶり、さらに2024年には33年ぶりの水準となるなど、四半世紀以上ぶりに物価と賃金がともに動き出したことによって、今後は変化していくことが期待される。すなわち、我が国がデフレに陥る以前のように、物価と賃金がともに上昇することがノルムとして定着していけば、賃金版フィリップスカーブの上方シフトとともに、名目賃金の下方硬直性とこれに起因する上方硬直性の影響が薄れ、労働需給の引き締まりと賃金上昇率の関係が回復していくことが期待される。こうした点からは、この度の賃上げを一過性のものとすることなく、賃金と物価の好循環を確実に実現させていくことが重要であろう。
(高年齢化が進む中、女性の留保賃金は上昇し、労働力人口は伸びにくくなる状況も)
次に、賃金引上げに関連して、これまで生産年齢人口が減少する中にあっても、労働力人口や就業者数の増加を主にけん引してきた女性について、いわゆる「ルイスの転換点」論に係る検討を行う。ルイスの転換点とは、発展途上国において、工業化の過程で、当初は農村部から都市部への低賃金の余剰労働力が供給されるが、工業化の進展に伴い農村から都市部への流入が減少し、賃金が上がり始める転換点を指す。我が国においては、2010年代前半以降これまで労働参加が拡大してきた女性や高齢者は、労働供給の賃金弾力性が高く(賃金の上昇に対して、労働供給がより大きく増加する)、こうした労働参加の拡大により、経済全体の賃金上昇率が抑制される影響があったが、女性等の労働供給が限界を迎えれば、賃金上昇圧力がかかるようになるという仮説として、ルイスの転換論の考え方が応用されている。
ここでは、古川(2023)を参考に、女性に焦点を当て、パート労働者の留保賃金を試算する。留保賃金とは、現在労働市場に参加していない人が、その水準以上の賃金であれば就労する(それ未満であれば、就労せず非労働力のままでいる)ような賃金水準を指す。留保賃金の試算に当たっては、リクルートワークス研究所の「全国就業実態パネル調査」の調査票情報を独自に集計し、年齢等の個人の属性が留保賃金に与える影響を推計する。ここでは、古川と同様の考え方により、前期に就労していなかった者が、当期にパートとして就労しているか非就労を継続しているかという情報や、市場の賃金水準を踏まえ、最尤法により、年齢階級や、就業希望はあるが就業していない理由、本人の不労所得(配偶者の収入や不動産賃貸収入等)といった属性ごとに、留保賃金に与える影響を推計した14。
主な結果としては、第2-1-11図のとおりであり、第一に、年齢が高いほど留保賃金が高いこと、第二に、配偶者の収入や不動産賃貸収入等を含む、本人にとっての不労所得が高い(500万円以上)場合には留保賃金が高くなることが確認される。
こうした結果と、非労働力の女性における年齢等の属性別の人口を組み合わせて、留保賃金の動向を試算し確認すると、女性の留保賃金は長期的に一貫して上昇傾向にあることが示される(第2-1-12図)。また、労働参加の拡大に伴い、女性を中心に非労働力人口が減少する中で、近年の女性の非労働力人口における年齢階級別のシェアの変化をみると、人口構造の変化もあって、25歳~44歳の層はシェアが低下しているのに対し、45~64歳の中高年層はシェアが拡大している(第2-1-13図)。年齢が高いほど女性の留保賃金の水準が高いことと合わせて考えると、女性の留保賃金の上昇は主に年齢構成の変化、つまり高年齢化が大きな要因と言える。留保賃金の上昇は、それ以上の水準の賃金が提示されないと就労を選択しない賃金の水準が上昇していることを意味することから、現状、我が国においては、男女間の賃金格差が大きいが、女性の賃金が十分に上昇していかなければ、人数ベースでみた女性の労働参加が頭打ちになる可能性が高いと考えられる。換言すれば、人手不足感が一層高まる中にあって、企業においては、人材確保の観点からも、女性雇用者が多い分野の募集賃金を重点的に引き上げることが必要となる。こうした外圧効果による賃金引上げは、企業内の既に働いている雇用者の賃金を押し上げる内圧効果を通じて、男女間賃金格差の是正にも寄与することが期待される。また、非労働力人口から雇用者への参入という観点だけでなく、企業は、今働いている雇用者の維持の観点からも賃金を引き上げる必要性が高まると考えられる。
(人手不足に直面する企業では、そうでない企業に比べ、設備投資スタンスが積極的)
ここまで、企業が人手不足への対応策として強化している取組のうち「従業員の待遇改善」についてみてきたが、以下では、同じくアンケート調査において、5年前と比べて取り組む企業の割合が増加している「省力化投資」について詳細を確認する。まず、人手不足の深刻化による労働需給のひっ迫と省力化投資との関係について確認していこう。
はじめに、企業が人手不足に直面しているかどうかによって、設備投資へのスタンスに違いがあるかを確認する。ここでは、日銀短観のオーダーメード集計値により、人手不足感が傾向的に拡大してきた2013年度から2022年度までの期間における、各年3月調査時点での企業の雇用人員判断(「過剰」、「適正」、「不足」)別に、同調査時点における設備投資の当年度実績見込みの伸び率を整理した(第2-1-14図)。ここでは、人手不足感のある企業が、業種別にみて、省力化の観点で、有形固定資産15かソフトウェアのいずれの投資に注力しているかを確認するため、投資形態を二つに分けて分析している。結果をみると、以下の点が確認される。
第一に、人手不足に直面している企業(雇用人員判断が「不足」である企業)では、そうでない企業(雇用人員判断が「適正」又は「過剰」である企業)に比べて、有形固定資産投資、ソフトウェア投資のいずれについても、2013年度から2022年度の平均でみた設備投資の伸び率が高く、設備投資へのスタンスが積極的であると言える。特に、企業間の人手不足感の違いによる投資スタンスの違いは、ソフトウェア投資において顕著である。
第二に、業種別にみると、製造業では、ソフトウェア投資のみならず、有形固定資産投資についても、雇用人員判断の状況によって設備投資の伸び率に明確な差が確認できる。一方、非製造業では、ソフトウェア投資には明確な差がみられるが、有形固定資産投資では、雇用人員判断が「適正」と「不足」との間での大きな差は確認できない。この点からは、製造業では、人手不足に直面する企業が、生産の自動化などに資する機械設備も含めた省力化投資に積極的に取り組んでいるのに対し、非製造業では省力化投資の中心がソフトウェアである可能性が示唆される。
第三に、企業規模別にみると、第二の点と同じ構図が、大企業と中小企業との間で確認できる。すなわち、大企業では有形固定資産投資とソフトウェア投資のいずれも、雇用人員判断別に明確な差が確認できるのに対し、中小企業ではソフトウェアでのみ差がみられる。大企業に比べて資本集約度が低い中小企業では、ソフトウェアの導入が省力化投資の中心である可能性が示唆される。
これらの点について、池田・近松・八木(2023)では、日銀短観の個票データを用い、人手不足の状況が一時的であるか長期化しているかによって、企業の設備投資スタンスの違いを分析している16。これによると、有形固定資産投資とソフトウェア投資のいずれについても、直面する人手不足が一時的であれば企業は設備投資を直ちに積極化させることはなく、人手不足感が強まって長期化(慢性化)してくると非線形に投資を増やすとの結果が示されている。
(5年前と比べ、企業の省力化投資は、ソフトウェアやシステムの導入を中心に増加)
次に、アンケート調査からも省力化投資の状況を確認すべく、企業における5年前と比べた省力化投資の度合い(増加、変化なし、減少等)を、企業規模別・業種別にみてみよう(第2-1-15図(1))。結果をみると、以下の点が特徴として挙げられる。
第一に、5年前に比べて省力化投資を増加させた企業の割合は、いずれの企業規模、業種でも5割程度以上となっており、人手不足が深刻化する中で、企業が省力化投資により積極的に取り組むようになっている様子がうかがえる。第二に、省力化投資を増加させた企業の割合は、企業規模別には大中堅企業が、業種別には製造業が相対的に多くなっている。これらは、いずれも日銀短観のオーダーメード集計の結果とも整合的な結果である。
続いて、企業はどのような内容の省力化投資を増加させているのかを、業種別に確認しよう(第2-1-15図(2))。結果をみると、第一に、製造業、非製造業のいずれにおいても、7割超の企業が「WEB・IT関連のソフトやシステムの導入」を増加させており、ソフトウェア投資が省力化投資の重要なツールとなっていることが確認できる。第二に、製造業では、「生産の自動化」を増加させる企業が4割以上となっている一方、非製造業では1割に満たない。これらの点は、日銀短観のオーダーメード集計において、人手不足企業とそうでない企業とでは特にソフトウェア投資に大きな差がみられたこと、また、製造業では人手不足企業が有形固定資産投資も積極化させているのに対し、非製造業ではそうした状況が確認できなかったことと、それぞれ整合的な結果であると言える。
そのほか、AIや機械学習を含むRPA(Robotic Process Automation)についても、製造業、非製造業ともに相応の割合の企業で投資を増加させていることが確認できる。一方、肉体労働をサポートするロボットの導入や接客等のロボット・自動化などは、非製造業において省力化投資の事例として取り上げられることが多い一方で、本アンケート調査の結果としては、投資を増加させている企業の割合が相対的に限定的となっている。
(省力化投資へのハードルとして、コスト面や人材面を課題に挙げる企業が多い)
ここまで、人手不足による需給のひっ迫は企業の省力化投資を促すこと、また、企業の省力化投資の取組は、大中堅企業と中小企業、製造業と非製造業のいずれにおいても、5年前と比べればかなりの程度進んできたと評価できることを確認した。一方で、業種や規模、省力化投資の具体的な内容によっては、企業の取組には一定の差があることも確認できた。そこで、さらにアンケート調査から、企業が認識している省力化投資のメリットと障壁について確認しよう。
まず、企業が省力化投資のメリットと考えている要素をみると(第2-1-16図(1))、製造業・非製造業を問わず、「業務の効率化」を挙げる企業が8割以上と最も多い。また、「人件費の削減」も、製造業で5割程度、非製造業で4割程度と相応の企業がメリットとして認識している。すなわち、企業の省力化投資のメリットは、限られた資源を効率的に活用すること、また、より少ない人手で付加価値を生み出すことであり、すなわち生産性の向上効果が期待されているとみられる。また、製造業と非製造業を比べると、業務の効率化を除いて、いずれの要素も、メリットとして挙げる企業の割合が製造業で多くなっている。このように、製造業で相対的に省力化投資に積極的であることは、様々な点で省力化投資のメリットを認識していることが影響している可能性もあり、非製造業を含めて、省力化投資のメリットを広く共有することの重要性を示唆している。なお、省力化投資と人件費の関係については、労働分配率の分析の文脈で後述する。
一方、省力化投資の導入に際して障壁として意識されている要素をみると(第2-1-16図(2))、導入費用やランニングコストなどコスト面を課題に挙げる企業が多いことが分かる。また、こうしたコスト面の障壁に加え、従業員の教育訓練の必要性や、新たな専門人材投入の必要性も課題として指摘されている。このように、省力化投資に当たっては、単に投資を実行するだけでなく、新たな技術やツールを有効に利活用していくための人材確保も課題として認識されており、この点からは、リ・スキリングの促進により、省力化のための新たな技術を使いこなせる人材の育成を図り、労働移動を促していくことも重要な課題と言えよう。
3 省力化投資の効果と課題
(産業単位では、製造業は投資と生産性の関係がみられるが、非製造業では明確でない)
ここでは、企業が期待している効率性の改善や人件費の抑制といった省力化投資の効果について、複数の角度から分析する。まずは、省力化投資と労働生産性の関係を確認するべく、マクロ統計である国民経済計算のデータから、製造業・非製造業別に、産業別の時間(マンアワー)当たり実質労働生産性と、同じく時間(マンアワー)当たりの機械設備やソフトウェアの実質固定資産ストック、すなわち資本装備率との関係を確認する。
第2-1-17図(1)のとおり、製造業においては、機械設備装備率、ソフトウェア装備率ともに、労働生産性とは正の相関関係がみられるが、機械設備の方がソフトウェアに比べ、労働生産性への影響が強いことが示唆される。また、非製造業においても、機械設備装備率、ソフトウェア装備率ともに労働生産性とは正の相関関係が示唆されるが、その傾きは製造業に比べて緩やかであり、投資と生産性の関係が弱い形となっている(第2-1-17図(2))17。
(しかし、企業単位でみると、省力化投資は、生産性の向上に寄与している可能性)
そこで次に、アンケート調査の結果を用いて、人手不足への対応策として省力化投資を実施している企業とそうでない企業との間で、労働生産性に差があるのかを確認する18。労働生産性については、前掲第2-1-7図と同じ定義として、企業財務データとマッチングして企業単位で作成し、業種や企業規模をコントロールした上で、傾向スコアを用いた逆確率重み付け法による平均処置効果を推計すると、省力化投資を行っている企業では、そうでない企業に比べ、時間当たりの労働生産性が10%程度高いという結果が得られた(第2-1-18図(1))。
また、同様の手法で、省力化投資を5年前から増加させたことによる労働生産性への効果を推計すると、省力化投資を増加させた企業は、そうでない企業に比べ、10%以上、労働生産性が高いという結果となっている(第2-1-18図(2))。さらに、省力化投資の内訳ごとに、労働生産性への影響をみると、接客等のロボット・自動化や、RPAへの投資の強化は、労働生産性を相対的に大きく押し上げる効果があることが確認される。接客等のロボット・自動化への投資は、飲食・宿泊サービスで強化している企業割合が高く、人手不足の中にあって、自動化を通じて、省力化を図ることにより、生産の効率化につなげているとみられる。RPAの投資を増加させている企業は、輸送用機械、鉄鋼・非鉄金属など製造業や、金融・保険業などで多く、生産管理や人事管理、事務処理等の面などで効率化を進めている様子がうかがわれる。また、幅広い業種でみられるWEB・ITへの投資の強化も労働生産性を押し上げる一定の効果があることが確認できる。以上のように、企業別に確認すると、人手不足が顕著な非製造業等で導入が進む接客等のロボット・自動化やRPA、WEB・ITなどへの投資を積極化させている企業では、労働生産性への正の効果が顕在化していると言える。
(我が国の労働分配率は長期的に低下し、主要先進国と同水準に)
最後に、企業において省力化投資の主要なメリットの一つとして認識されている人件費の抑制について、労働分配率との関係で確認する。労働分配率とは、生産活動の結果として新たに生み出された付加価値が、どれだけ労働者に報酬(賃金や福利厚生費などの人件費)として分配されているかをみる指標である。省力化投資の結果として、より少ない人手で生産活動を行うことが可能となった場合、企業が生み出す付加価値が一定であるならば、労働分配率は低下することになる。ここでは、機械設備やソフトウェア投資の増加が労働分配率に及ぼす影響を検証する。
具体の議論に入る前に、まず、我が国の労働分配率の長期的推移を確認しよう。主要先進国と比較する観点で、国際比較可能な国民経済計算ベース19の労働分配率をみると(第2-1-19図)、第一に、いずれの主要先進国でも、労働分配率は長期的には低下傾向にあること、第二に、我が国の労働分配率の長期的な低下度合いは相対的に大きいことが確認できる。我が国の労働分配率は、1980年代前半には他の先進国に比べ5%ポイントから10%ポイント程度高い水準にあったが、その後、徐々に水準が低下し、2015年以降の平均では他の主要先進国とおおむね同程度の水準となっている。
次に、企業規模別・産業別の労働分配率を「四半期別法人企業統計」20からみると(第2-1-20図)、中小企業においては、製造業・非製造業のいずれも労働分配率が高く、均してみればおおむね横ばいで推移している一方、大中堅企業、特に非製造業では、景気変動による上昇・下落を伴いながらも、1990年代後半以降、トレンドとしては低下しており、これが、経済全体の労働分配率の低下傾向を規定している。労働分配率の分子(人件費)、分母(付加価値)の動きを規模別・業種別に確認すると、大中堅の非製造業では、付加価値が顕著に増加する中で、人件費の増加が緩やかなものにとどまり、結果として、労働分配率の低下が相対的に大きくなっていることが分かる。
(近年、機械設備投資はより労働代替的に、ソフトウェア投資は労働中立的に変化)
では、企業ごとに労働分配率はどのような要因によって変動するのであろうか。ここでは、「経済産業省企業活動基本調査」21の調査票情報を独自集計したデータ等を用いて、労働分配率に影響を与える要因について分析を行った22。具体的には、労働分配率を被説明変数とし、<1>資本との代替・補完関係を示す指標として資本財価格(機械設備又はコンピュータ・ソフトウェア)、<2>グローバル化の指標として売上高に対する輸出の比率(輸出比率)及び費用総額に対する輸入の比率(輸入比率)、<3>従業者に占めるパートタイム労働者の比率(パート労働者比率)等を説明変数とする固定効果モデルを推計した23。推計期間は、2001年度から2021年度の20年程度とし、期間を前半・後半の2つに区分して推計を行った。
結果をみると(第2-1-21図)、まず、パート労働者比率については、後半期間の方がやや影響は小さくなっているが、推計期間を通じて、係数が統計的に有意にマイナスとなっている。すなわち、パート労働者比率の上昇は、労働分配率の低下と一定の関係があることが確認される。また、グローバル化関連指標である輸出入比率については、どの資本財価格を用いるかでやや結果が異なる。輸入比率については、係数が推計期間を通じておおむね有意にマイナスとなり、後半期間の方がその影響が大きくなっている一方、輸出比率の係数については、前半期間がプラス、後半期間がマイナスとなっている。このように、総じてみて、企業活動のグローバル化の進展は、近年にかけて、より労働分配率を押し下げる方向に働いている。
次に、資本と労働の代替・補完関係を示す指標として、資本財価格の係数を確認すると、資本財の種類によって結果が大きく異なることが分かる。まず機械設備については、前半期間は係数が統計的に有意にプラス(逆符号で表しているので、資本財価格の低下と労働分配率の上昇が有意に関係)であるのに対し、後半期間は有意にマイナス(資本財価格の低下と労働分配率の低下が有意に関係)となっている。この結果は、機械設備と労働との関係が、かつては補完的であったが、近年では代替的になっていることを示唆している。近年では、製造業を中心に、かつてよりもオートメーション化やロボット化が進んだことで、より労働力を必要としない生産体制へと変化している可能性がある24。
一方、ソフトウェアについては、資本財価格の係数が、前半期間では統計的に有意にマイナスであるのに対し、後半期間では統計的に有意とはなっていない(符号はプラス)。ソフトウェアについては、かつては労働と代替的であったものが、近年は、少なくとも代替的ではなくなっているという変化が生じている可能性がある。この点については、情報化が急速に進んだ1990年代後半から2000年代にかけては、経理・人事給与・販売・物流管理など幅広い業務で一部の労働が代替されたが、近年では、ソフトウェア等の知的財産が高度化する中で、IT・プログラミング、システム・エンジニアリングなど、これらを扱える専門分野の人材が必要になっているという意味で、労働と補完的な方向に変化が生まれつつある可能性がある25。
このように、省力化を含む設備投資と労働分配率の関係は、投資の種類や時代に応じて変化しており、必ずしも一意に決まるものとは言えないが、本分析からは、機械設備投資は、近年、より労働と代替的になっており、これらの投資促進は、主に製造業企業の人手不足感の緩和に資する側面があると言える。一方、ソフトウェア投資については、少なくとも近年については、必ずしも労働を代替するものではなく、アンケート調査でも確認されたように、企業にとって、これらを使いこなせる人材の確保の重要性と、無形資産投資として、より高い付加価値を生み出す投資手段としての重要性が増しつつあることが示唆される。