第2節 海外進出を通じたグローバルな活力の取り込み
我が国の製造業企業は、海外進出を通じて、海外のリソースを活用しつつグローバルな需要を取り込み、成長につなげてきた。
しかしながら、急速に海外進出が進むことによって、国内の生産が減少し、雇用が失われるとの懸念もある。実際に、2011~2012年にかけて、円高の進行や新興国の台頭もあって、複数の大企業が国内工場の閉鎖を発表した。
本節では、まず、企業の海外進出が業況や雇用に与える影響を分析する。次に、海外進出を成長につなげる観点から、中小企業を中心に海外進出の障害となる要因を明らかにする。最後に、アメリカとドイツの海外進出の経験を踏まえて、海外進出に対する政策対応の在り方を検討する。
1 海外進出の個別企業への影響
リーマンショック後の円高の進行、東日本大震災後に生じた生産拠点分散化、電力料金の上昇などを背景として、製造業企業の海外進出が加速しているとの指摘が多い41。製造業企業が海外に進出すると、それぞれの企業の業況や雇用はどのような影響を受けるのだろうか。
また、日本型下請生産システムの下では、元請企業が海外進出した場合には、下請企業の受注は減少することが考えられる。そのため、製造業企業の海外進出による影響も、元請・下請の別で異なると考えられる。
ここでは、海外進出による個別企業の収益や雇用などの変化を明らかにする。その際、企業規模や元請・下請の別によって差が生じているかどうかについても検討する。最後に、中小企業を中心に海外進出の障害となる要因をさぐり、求められる政策対応を明らかにする。
(1)海外進出が企業の業況や収益に与える影響
ここでは、個別企業における海外進出の動向、目的の変化、業況や収益への影響を見てみよう。
●増加する海外進出
我が国製造業の海外進出の状況について、「企業活動基本調査」の個票を用いて、2000年度と2010年度の状況を比較すると42、大企業は、海外進出している企業の割合が増加しており、半数を超えている。中小企業も大企業を上回る勢いで増加しており、全体に占める割合も大企業に比べれば低いものの約2割となっている43(第2-2-1図)。
海外進出する企業が増加している背景としては、①我が国国内市場の縮小と新興国市場の拡大、②新興国の技術水準の上昇、③リーマンショック以降の円高などが指摘されている44。また、自由貿易協定(FTA)のメリットを享受するために、FTAを複数の国と締結している韓国のような国に海外進出する例も見られる45。
●現地市場獲得型の海外進出が多い
海外進出する企業が増加する中で、目的も変化しているのだろうか。1990年代の円高局面では、生産コストの削減や我が国への逆輸入を目的とした「国内生産代替型」の海外進出が多かった。しかし、近年では、進出先の国やその近隣諸国での需要を取り込むことを目的とした「現地市場獲得型」の海外進出にシフトしつつある46。
ここでは、「空洞化に関する企業の意識調査47」により、最近の海外進出の目的を企業規模別に確認しておこう。リーマンショック後(2009~2012年)における海外進出の目的を聞いたところ、大企業も中小企業も「現地需要要因」と回答する現地市場獲得型の企業が多く、特に大企業は7割弱を占めている。ただし、中小企業については、平均的には大企業と比べて生産性が低く、新興国企業とのコスト競争に強くさらされていることから、「生産コスト要因」と回答する国内生産代替型の企業も4割程度と一定程度の割合を占めている(第2-2-2図)。
●元請企業の要請が無くても海外進出する下請企業も多い
下請企業は元請企業の要請を受けて海外進出しているのだろうか。初めて海外進出する際に元請企業の要請があったか否かを聞いたところ、大企業の下請企業では7割弱、中小企業の下請企業では約5割の企業が「要請があった」と答えており、元請企業の要請を受けて海外進出する企業が多いことが確認できる(第2-2-3図)。
ただし、下請企業では、元請企業の要請が無くても海外進出に踏み切っている企業が相当数存在しており、大企業で2割、中小企業で3割に上っている。
この背景として、元請企業が海外進出し、国内受注の減少を懸念した下請企業が、元請企業の要請の有無にかかわらず、海外需要に活路を見出そうとしていることが考えられる。特に、中小の下請企業は、取引の多くを元請企業に依存する傾向が強い。また、元請企業の海外生産拠点は、部品などを日本からではなく現地で調達しようとしている48。そのため、仮に元請企業が国内生産拠点を閉鎖する形で海外進出してしまうと、中小の下請企業の受注が激減してしまう。そこで、元請企業の海外生産拠点からの受注を求めて、たとえ要請が無くても、元請企業の後を追いかけて進出することになるケースもある。
●海外進出によって売上や収益は改善
我が国製造業では、海外進出が進展していること、海外進出企業の多くが現地市場の獲得を目的としていることを見た。それでは、海外進出した企業としていない企業(以下、非進出企業という)で、売上や収益に違いがあるのだろうか。また、違いがあるとすればそれはなぜだろうか。ここでは、リーマンショック後(2009~2012年)の状況を見てみよう。
まず、売上高増減率を企業規模別に見ると、大企業・中小企業ともに、海外進出企業の方が非進出企業よりも売上の伸びが大きいことが分かる(第2-2-4図(1))。次に、「企業活動基本調査」の個票データを用いて、海外進出企業の経常利益の伸びを非進出企業と比べてみよう。大企業・中小企業ともに、非進出企業よりも海外進出企業の方が、経常利益の伸びは大きい(第2-2-4図(2))。
●海外拠点は国内拠点よりも業況が良好
リーマンショック後において、海外進出企業は、非進出企業に比べて売上の伸びが大きく、経常利益の伸びも大きいことが分かった。これは、リーマンショック後においては、海外進出企業の海外事業が集中するアジア49で、比較的早く景気低迷から脱したため、海外進出企業がその恩恵を受けたことによると考えられる。
これを検証するため、海外進出企業の業況を国内拠点と海外拠点に分けて比較してみよう。横軸に国内拠点の業況をとり、縦軸に海外拠点の業況をとって、両者の関係を図示した。円の大きさは、該当する国内拠点の業況、海外拠点の業況の組合わせを選んだ企業の割合を示している。45度線より上側の領域には、海外拠点の業況の方が国内拠点の業況よりも良い企業が分布している。
これによれば、海外進出企業については、リーマンショック前(2004~2007年)には、国内拠点も海外拠点も業況は良かったが、リーマンショック後(2009~2012年)には、国内拠点よりも海外拠点の業況が良いことが分かる。また、この傾向は、大企業よりも中小企業でやや強く見られる。これは、中小企業は取引先の分散化が進んでいないため、国内景気悪化の影響を受け易いことによる。業況の悪化リスクは、複数の企業と取引している企業よりも一つの企業と取引している企業の方が高い(第2-2-5図)。
●元請企業からの要請がなくても海外進出した下請企業の業況は悪化度合が小さい
先に、元請企業からの要請が無くても海外進出する下請企業が多いことを見たが、こうした企業の海外拠点は、元請企業からの受注や支援が無くとも、業況が良いのだろうか。海外拠点における下請企業の業況DIを、元請企業の要請の有無別に、リーマンショック前(2004~2007年)と後(2009~2012年)で比較する。大企業・中小企業ともに、下請企業では、元請企業の要請の有無にかかわらず海外拠点における業況は悪化しているが、元請企業の要請の無かった下請企業の方が、業況の悪化度合は小さい。
このことは、元請企業から一定の受注を得られる下請企業よりも、元請企業からの受注が無く、海外で独自に取引先を開拓していかなければならない下請企業の方が、リーマンショック後の業況の悪化に上手く対応したことを示唆している。元請企業の海外進出という苦境を乗り越えていく下請企業の力強さがうかがえる(第2-2-6図)。
●現地市場獲得型の企業の業況は国内生産代替型の企業を上回る
最後に、海外進出企業の中で、海外進出の目的によって海外拠点における業況が異なるかどうかを見てみよう。海外進出企業の海外拠点におけるリーマンショック前(2004~2007年)と後(2009~2012年)の業況DIの変化を見ると、海外進出の目的や企業規模によらず、悪化している。また、中小企業においては、海外進出の目的として「生産コスト要因」を挙げる国内生産代替型の企業の業況よりも、「現地需要要因」を挙げる現地市場獲得型の企業の業況の方が悪化幅は小さい。さらに、リーマンショック後においては、国内生産代替型企業の業況は「悪い」超であるが、現地市場獲得型の企業の業況は「良い」超となっている(第2-2-7図)。
海外進出企業の海外拠点における業況が現地市場獲得型の企業において相対的に良いのは、リーマンショック後に、海外拠点の多くが立地しているアジアの景気が比較的早く低迷を脱し、海外現地での受注増加につながったためであると考えられる。他方、国内生産代替型の企業において相対的に悪いのは、海外現地での受注や第三国への輸出よりも、日本への逆輸入の部分が大きいため、日本国内の生産や内需の低迷を受けて海外拠点の生産も減少したためであると考えられる。
このように、海外進出企業は、リーマンショック後において、国内の業況が悪くても海外の業況が相対的に良かったことから、非進出企業に比べて、国内外を通じた売上の伸びが大きく、経常利益の伸びも大きかったと考えられる。
(2)海外へ進出する際の課題
ここでは、海外へ進出するか否かの判断にあたって、企業が何を課題として認識しているか、また、どのような支援を求めているかを見てみよう。
●中小企業における海外進出のための課題は人材不足、リスクは販売不振
大企業も中小企業も海外進出による売上や収益の増加を期待できることが分かったが、中小企業においては、「リスクが大きく、海外進出に踏み込めない」との指摘がある。そこで、中小企業における海外進出の課題を見てみよう。
「空洞化に関する企業の意識調査」によると、海外進出していない中小企業のうち、3割が「具体的な計画がある」、「計画はないが、興味がある」と回答しており、海外進出に関心を持っている。残りの7割の企業は「具体的な計画や興味はない」と回答しており、海外進出に関心を持っていない。
前者の海外進出に関心を持っている中小企業は、海外進出しない理由として、「海外進出後の立ち上げ時での実務人材の不足」、「海外進出後の現地での管理人材の不足」を挙げる企業が4割に上っている。中小企業には、数年間に渡り海外拠点を任せることのできる人材が不足していることが分かる50(第2-2-8図(1))。
後者の海外進出に関心のない中小企業は、海外進出しない理由として、やはり人材不足をあげる企業が多いが、「海外進出にともない、事業リスクが高まるため」を要因として挙げる企業は2割強を占め、海外進出に関心のある企業に比べると多い。
そこで、海外進出に伴ってどのような事業リスクがあるのかを見るために、海外進出していたが撤退した企業にその理由を聞いたところ、「海外事業での販売不振」を挙げる企業が最も多く、現地における自社の販売不振が大きなリスクとなっていることがうかがわれる。元請企業よりも下請企業でその割合が大きいが、これは顧客との関係において、下請企業の方が元請企業よりも立場が弱いためであると考えられる。実際、下請企業では、「親会社、主要取引先の海外撤退」を撤退の理由として挙げる企業も多く、元請企業の販売不振によって下請企業が連鎖的に撤退を余儀なくされるケースも少なくないものと見られる(第2-2-8図(2))。
●海外進出にあたって中小企業が求める支援は情報提供
海外進出にあたって中小企業がこうした課題を抱える中で、どのような政策対応が求められているのだろうか。非進出企業が求める政策を聞いたところ、「現地の市場環境・税制・法制度に関する情報提供」、「債権回収・為替変動への対応などリスクマネジメント情報の提供」が全体の4割弱を占め、情報提供を求めていることが分かる。また、「現地パートナー企業や提携先の紹介・マッチング支援」を挙げる企業も多く、この面においても情報提供を始めとする支援が重要となっている(第2-2-9図)。
中小企業では人材不足が課題となっていたが、「貿易実務や諸手続きを担うための実務者育成支援」、「海外現地法人などの管理者を育成するための人材育成支援」を挙げる企業は全体の2割程度にとどまっている。他方、「海外現地法人などの立ち上げの際に必要な諸手続き費用の補助支援」を挙げる企業は多い。これは、海外での登記や許可申請の諸手続きにおける法律相談などに相応の費用がかかることによる51。
なお、海外進出の支援を積極的に進めている地方自治体からのヒアリングによれば、海外進出は一足飛びにはできないので、①海外での展示会への出展、②出展による海外企業からの受注・代理店契約、③海外企業への輸出、④海外進出、という過程を踏んで支援していくことが重要である。
(3)海外進出による雇用への影響
海外進出が進展する中で、海外進出企業の雇用にはどのような変化が生じているのだろうか。
●リーマンショック後、海外進出企業における国内雇用は縮小
海外進出企業は国内において雇用を増やしているのだろうか、それとも減らしているのだろうか。リーマンショック前後で、海外進出企業と非進出企業に分けて雇用の増減(国内雇用増減率)を見た(第2-2-10図)。
それによると、リーマンショック前(2004~2007年)には、海外進出企業は非進出企業よりも国内雇用を増加させる傾向にあった。この傾向は、本社及び営業拠点、生産拠点、研究・開発拠点のいずれにおいてもおおむね当てはまっている。
他方、リーマンショック後(2009~2012年)には、海外進出企業、非進出企業とも、本社及び営業拠点と生産拠点において国内雇用を減少させている52。特に、海外進出企業が国内の生産拠点において雇用を減らしている。もっとも、海外進出企業、非進出企業とも、国内の研究・開発拠点については雇用を維持している。これは、高付加価値分野の生産やそのための研究開発活動を国内に集中させる傾向にあるためである。また、海外において研究開発を行う場合には、技術流出の懸念が強いことも影響していると考えられる。
●リーマンショック後、国内拠点を縮小し海外拠点を拡充する企業が増加
それでは、海外進出企業が国内の生産拠点の雇用を減らす背景には、生産を国内拠点から海外拠点にシフトしていることがあるのだろうか。この点を明らかにするため、海外進出企業について、リーマンショック前(2004~2007年)と後(2009~2012年)の国内生産拠点と海外生産拠点の新設・閉鎖状況を見てみよう。横軸に国内拠点の新設・閉鎖状況をとり、縦軸に海外拠点の新設・閉鎖状況をとって、両者の関係を図示した。円の大きさは、該当する国内拠点、海外拠点それぞれの新設・閉鎖状況の組合せを選んだ企業の割合を示している。45度線より上側の領域には、国内よりも海外において拠点の新設・増設をした企業が分布している。これによれば、リーマンショック後、海外進出企業は、国内拠点を閉鎖・縮小する一方で、海外拠点の維持、新設・増設を優先してきたことが分かる53(第2-2-11図)。
このように、「空洞化に関する企業の意識調査」によれば、リーマンショック後、新興国市場の拡大や円高などを受けて、企業は海外拠点を拡充し、国内拠点を縮小している。そのため、国内の雇用を一時的に減らしてきたことがうかがわれる。
●国内雇用維持に取り組む企業は多い
「空洞化に関する企業の意識調査」からは、リーマンショック後、海外進出企業が国内生産拠点の縮小とそこでの雇用の削減を行う様子がうかがわれる。製造業で国内雇用が急激に失われる場合には、国内生産拠点で働いていた人の生活やマクロ経済に大きな影響を与える可能性がある。しかし、実際には、海外進出企業が国内において雇用維持のための取組を行っている。
海外進出企業に対して、国内雇用維持のためにどのような取組をしているかを聞いたところ、「国内雇用を維持するといった視点での施策は実施していない」と答える企業は大企業よりも中小企業にやや多いが、いずれも15%前後にとどまっており、何らかの国内雇用維持のための取組を行っている企業が多い(第2-2-12図)。
具体的な取組としては、「新製品開発・高付加価値化」や「新規事業への進出、経営の多角化」を挙げる企業が多く、6割に上っている。例えば、海外に労働集約的な部門をシフトさせる一方で、①国内拠点をマザー工場と位置付け、付加価値の高い製品の研究開発とその生産に集中させる、②既存の事業を生かして新規事業に進出する54といった対応が見られる。
●国内雇用維持を促す政策
海外進出企業の国内雇用維持を促すために政府として何かできることがあるだろうか。海外進出企業に対して、国内雇用維持のために行政に求める施策を聞いた(第2-2-13図)。それによると、「新商品開発・技術開発に係る支援55」、「事業転換・多角化等を行う事業主への助成」を挙げる企業が多い。特に、前者の選択肢を挙げる企業は大企業に多い。両選択肢を併せると大企業の4割、中小企業の3割に上っている。多くの海外進出企業が国内雇用維持対策として「新製品開発・高付加価値化」や「新規事業への進出、経営の多角化」に取り組んでいることから、これらが実現しやすい環境を整備することが有効であると考えられる。
他方、大企業、中小企業を問わず3割程度の企業が「雇用を増やした事業主に対する減税などの優遇措置」を挙げている。「人材高度化のための教育訓練を行う事業主への助成」を挙げる企業も1割程度存在しており、資金面での助成や支援を求める企業が少なくない。
なお、企業の資金繰りが相対的に厳しい中小企業では「低利融資などの事業資金調達に係る支援」を求める企業も多い。
2 リーマンショック後の転職による賃金変化
製造業における海外進出企業は、リーマンショック前には、非進出企業に比べて国内雇用を拡大してきた。しかし、リーマンショック後には海外拠点を拡充し、国内の生産拠点を中心に一時的に雇用の削減を進めた。ここでは、こうした製造業の生産現場における急速な雇用調整の結果として転職を余儀なくされた者に焦点を当て、その人数、転職先の業種や職種、転職前後の勤務形態や賃金の変化などについて分析をすることで、リーマンショック後に生じた企業の海外拠点の拡充や景気の停滞などの経済環境の変化が所得環境に与えた影響を考察する56。
●製造業の生産工程従事者では非製造業への転職が増加
リーマンショック後、製造業では国内の生産拠点を中心に雇用の削減が進められたが、こうした中で、製造業における生産現場からの転職者は、どの程度増加したのだろうか。また、一般的に転職の際には同産業内に転職することが多いが、非製造業への転職が増えているのだろうか。こうした点を確認するため、ここでは厚生労働省「雇用動向調査」の個票57を用いて、製造業の生産工程・労務作業に従事する者(以下、生産工程従事者という)のうち、会社都合で離職し転職した者の動向を中心に見ていこう58。
まず、リーマンショック後の製造業における生産工程従事者の転職者数の規模を確認しよう。2009年における転職者数の総計は約380万人であり、製造業からの転職者数は70万人と全体の2割弱となっている。そのうち前職が生産工程従事者である者は46万人であり、離職理由が会社都合による者はそのうちの16万人となっている。製造業の生産工程従事者だった者と製造業のそれ以外の職種に就いていた者について、それぞれの会社都合による転職者の割合59を見ると、2008年から2009年かけて、前者が20.1%ポイント上昇しており、後者も11.5%ポイント上昇している(第2-2-14図(1))。したがって、リーマンショック後、製造業において会社都合により離職した転職者が増加する中で、特に生産工程従事者で転職を余儀なくされた者が増加したことが分かる。
次に、会社都合により離職した製造業の生産工程従事者について、転職先の業種を確認すると、リーマンショック前には技能を活かせる製造業への転職が多かったが、リーマンショック後には非製造業へ転職した人の方が多くなっている(第2-2-14図(2))。
これを転職前後の勤務形態別(一般・パート)に分けてより仔細に見ると、リーマンショックの前(2002年から2008年平均)も後(2009年)も60、製造業への転職、非製造業への転職のそれぞれにおいて、一般労働者間の転職が最も多い。しかし、リーマンショック前と後の構成比の変化61を見ると、リーマンショック後において、一般労働者間の転職の比率が、製造業への転職者では10.7%ポイント減少したのに対し、非製造業への転職者では5.2%ポイント増加している(第2-2-14図(3))。すなわち、製造業への転職における一般労働者間のシェアが大きく低下し、非製造業への転職における同シェアが増加している。
以上の分析により、製造業の生産工程従事者の転職については、リーマンショック前には製造業への一般労働者間の転職が多かったことが分かった。また、リーマンショック後には製造業において雇用環境が急速に悪化する中で、非製造業へ転職せざるを得ない人が相対的に増えたが、こうした者はおおむね一般労働者間の転職であり、勤務形態を変更していなかったことが分かる。
●若年世代を中心に非製造業における販売などの職種への転職が増加
前職が製造業の生産工程従事者であり、会社都合により離職した転職者においては、リーマンショック後、製造業ではなく非製造業へと転職した者が相対的に増加したが、その多くは一般労働者間の転職であったことを見た。ここでは、相対的に転職者数が多い点や雇用形態の変化に伴う賃金などの変化を除いた分析を行う趣旨62から、リーマンショック後、一般労働者で非製造業へと転職した者の属性について、年齢、転職前後の企業規模、転職先の職種の順により仔細にその特徴を見ていこう。
第一に、年齢別に見ると、20歳台から30歳台にかけての転職者が多い。また、構成比を見ると、20歳台が11.0%ポイント、30歳台が11.3%ポイント上昇しており、他の年齢層に比べて増加率が高いことが分かる(第2-2-15図(1))。こうした年代は契約社員も多く、急激な景気後退による雇止めにより、転職を余儀なくされたものと推察される。
第二に、転職前後の企業規模を見ると、2009年には前職の規模が1000人以上では、それよりも規模の小さい企業へ、前職の規模が30~999人以下では同規模か、又はそれよりも規模の小さい企業へ、前職の規模が29人以下では同規模、又はやや規模が大きい企業へと転職する者が多い。
一方、構成比の変化によりリーマンショック後の特徴を捉えると、前職の規模が1000人以上では、規模が30~999人以下への転職のシェアが8.6%ポイント高まり、同規模への転職のシェアも3.0%ポイント高まっている。前職の規模が30~999人以下では、同規模への転職のシェアが8.5%ポイント高まる一方、規模が1000人以上への転職のシェアは1.3%ポイント低下している。前職の規模が29人以下では、全般的に転職者数のシェアが低下している(第2-2-15図(2))。リーマンショック後、製造業では、大企業(企業規模1000人以上)を中心に離職者が増加し、前職が大企業である転職者の割合が相対的に高まったが、そうした人は中堅企業(企業規模30~999人)への転職が最も多く、その増加も最も顕著であった。加えて、大企業ではリーマンショック後、同規模への転職者の増加率が相対的に高まった63。
第三に、職種別に見ると、2009年には非製造業への転職でも、同職種である生産工程従事者への転職が最も多くなっている。こうした者は、前職で培った能力を活かせる職種へと転職したものと推察される。一方、構成比の変化によりリーマンショック後の特徴を捉えると、専門・技術、事務、販売、サービスのシェアが高まっており、こうした産業へと転職した者の増加率が高まったことが分かる(第2-2-15図(3))。前職が製造業の生産工程従事者は、転職先が非製造業でも職種が生産工程・労務作業であれば、前職で培った能力を活かすことができることから、こうした職種への転職を希望する者が多いと考えられる。しかし、生産工程・労務作業は、非製造業内の他の職種と比較して、リーマンショック後の製造業における雇用情勢の悪化による影響を受けやすいと考えられることから、雇用の受け皿としての機能が高まったとは考えにくい。このため、リーマンショック後の景気拡大局面において、比較的に求人が旺盛であった専門・技術や販売といった職種など64が、増加した転職者の雇用の受け皿となったものと推察される。
以上のことから、リーマンショック後には、若年世代、前職が大企業である者を中心に製造業から非製造業へと転職を余儀なくされ、専門・技術、事務、販売、サービス等の職種が、増加した転職者の雇用の受け皿となったことが分かる。
●若年層、大企業間、同職種間での転職は賃金の低下が限定的
上記で考察したリーマンショック後における転職者の特徴を踏まえつつ、ここでは会社都合で非製造業へと転職した製造業の生産工程従事者(一般)の転職後の賃金変化を中心に考察する。
第一に、年齢別に見ると、リーマンショック前に比べてリーマンショック後(ここでは2009年と2010年の平均65)の方が、転職後の賃金の悪化度合いが大きい(第2-2-16図(1))。さらに、リーマンショック後の単年の動向に着目すると、2009年から2010年にかけて、40歳台以上では賃金下落率の拡大が続いている(付図2-1(1))。一方、景気拡大局面である2010年において、20歳台ではリーマンショック前と同様、会社都合による転職であっても賃金は上昇している。この背景を探るために、2010年の入職者の離職期間の動向を見ると、2009年と比較して、長期離職者66の割合が20歳台では13.6%ポイント上昇したのに対し、40歳台以上では33.2%ポイントと大幅に上昇している。したがって、リーマンショック後、若年層は短期間で転職することができたのに対して、40歳台以上はリーマンショック後の景気拡大局面でもなかなか転職できず、転職できたとしても賃金の下落率が大きかったものと考えられる。
なお、同様の属性で製造業への転職者について見ると、非製造業への転職者と同様にリーマンショック前後で賃金下落率がおおむね拡大する傾向にあるが、2010年における20歳台を見ると、非製造業への転職者と異なり、賃金の下落率は拡大を続けている。20歳台であってもなかなか製造業へは転職できず、転職できたとしても賃金の下落率が大きかったものと考えられる(付図2-1(2))。
第二に、企業規模別に見ると、リーマンショック後に相対的に増加した前職の企業規模が1,000人以上からの転職者では、同規模又は規模が30~999人以下への転職の場合、賃金の低下幅はリーマンショック前と比較すると縮小している。同様にリーマンショック後に増加した30~999人以下の企業間の転職者では、賃金の下落率は拡大している(第2-2-16図(2))。リーマンショックのような大きな経済ショックが生じた際、平常ではあまり見られない前職が大企業である転職者のシェアが高まったが、こうした者には相対的に能力が高い者が多く含まれると考えられ、結びついた雇用においても賃金の低下は限定的であった可能性が示唆される。なお、こうした特徴は、前職の企業規模が1,000人以上で製造業へ転職する場合にも、転職先が同規模又は規模が30~999人以下への転職で見られる(付図2-2)。一方、前職の企業規模が30~999人以下の企業の転職者では、リーマンショック前と同様に同規模間の転職者が相対的に増加しているため、リーマンショック後の景気回復局面でも求人数の増加が限定的である中で、求職者数が増加したことから、雇用に結びついたとしても賃金の下落が大きかったものと推察される。
第三に、職種別に見ると、前職種と同様の生産工程従事者に転職した場合、賃金の低下率は5%程度と小幅であり、リーマンショック前後で変わっていないことから、急激な景気後退局面においても賃金への影響は限定的であったと考えられる。なお、同様に製造業へ転職した者についても、同職種である生産工程従事者へと転職できた者の賃金下落率はリーマンショック前後で差異は見られない67。リーマンショック後に相対的に増加した事務、販売、サービスといった職種への転職者の賃金下落率を見ると、生産工程従事者への転職と比較し、下落幅が大きく拡大している(第2-2-16図(3))。こうした前産業及び前職とは異なる職種で結びついた雇用においては、これまでの技能を活かすことが難しいことから、賃金の大幅な低下を受け入れざるを得ないものと考えられる。
以上の分析から、会社都合で製造業から非製造業へ転職した生産工程従事者(一般)の転職後の賃金は、20歳台、大企業間、同職種間での転職の場合、低下するものの、相対的に影響は大きくなかった。他方、40歳台以上、中堅企業間、事務、販売、サービスへの転職の場合、相対的に賃金の低下は大きいことが分かった。リーマンショック後、国内で生産拠点の雇用を削減したのは相対的に大企業が多かった68ことから、雇用の削減が大幅だった割には、海外進出による所得環境への影響は限定的だった可能性も示唆される。
3 海外進出にどう対応するか
前項までは、個別企業や個人に着目して、製造業の海外進出に伴う個別企業の業況や雇用への影響、転職した場合の個人の賃金への影響を見た。それでは、製造業の海外進出は我が国の産業や雇用の構造にどのような影響を及ぼしているのだろうか。また、多くの先進国は、我が国に先んじて海外進出を進めてきたと考えられるが、産業政策、雇用政策面でどのように対処してきたのであろうか。
(1)製造業の海外進出の進展度合
ここでは、海外生産比率、海外従業員比率、産業構造、雇用構造などを国際比較することにより、我が国製造業における海外進出の進展度合を評価する。
●アメリカ、ドイツでは我が国よりも製造業の海外進出が進展
我が国製造業では海外進出が進展しているが、その進展度合はアメリカやドイツと比較してどうであろうか。製造業の海外生産比率69を見てみよう(第2-2-17図(1))。
我が国の海外生産比率は、1990年以降上昇しているものの、その水準はアメリカやドイツほど高くはない。アメリカでは、1970年代以降のドル高傾向の中で、メキシコやアジアからの輸入が増加したことから、企業の海外進出が早い段階から進み、日本やドイツよりも早い時期から海外生産比率が高い水準にある。ドイツは、2004年の東欧諸国のEU加盟などを背景に、労働コストの低い東欧諸国への海外進出を進めたことなどから、海外進出がアメリカほどは進んでいないものの日本よりは進んでいる。ただし、2000年代半ば以降、通貨統合によるユーロ圏向け輸出の好調を受けて国内生産が増加したことから、海外生産比率は横ばいで推移している。アメリカとドイツは、我が国よりも海外進出が進んでいるといえよう。
また、国内外の従業員数に占める海外従業員数の割合を示す海外従業員比率70は、海外生産比率と同様、長期的には上昇傾向にあるが、2005年以降、我が国とアメリカでは上昇する一方、ドイツでは横ばいで推移している(第2-2-17図(2))。
●産業構造の変化
先進国では、製造業企業の海外進出が進展していることを見たが、産業構造から見て製造業の占める位置や業種構成に変化は見られるであろうか。
名目付加価値生産(名目GDP)に占める製造業のシェアを日本、アメリカ、ドイツで比較すると、3か国ともに低下しており、製造業の海外進出などを背景として、経済のサービス化が進展している71。特に、アメリカについては、製造業の海外進出の動きが日本やドイツよりも早い時期から始まっており、1970年以降、付加価値生産に占める製造業のシェアは3か国の中で最も低い。他方、ドイツについては、2000年代後半にユーロ圏向けの輸出が増加したことから、製造業のシェアの低下ペースはやや鈍化している72(第2-2-18図)。もっとも、3か国ともに、製造業のシェアは低下しているが、生産額(製造業の実質GDP)は増加しており、製造業が全体として衰退しているわけではない。
製造業の内訳を見ると、日本とドイツでは、輸送機械のシェアが高まっている。海外販売台数の増加などから国内生産が増加したことが背景にある。他方、アメリカでは、化学、石油・石炭製品や一般・精密機械のシェアが伸びている(付図2-3)。
●雇用は高生産性部門へシフト
それでは、雇用構造から見て製造業の占める位置や業種構成に変化は見られるであろうか。
日本、アメリカ、ドイツについて、就業者全体に占める製造業の就業者の割合を見ると、付加価値生産に占める製造業のシェアと同様、長期的に低下している(第2-2-19図(1))。
業種別に1990年代前半の労働生産性の水準とその後の国内就業者数の変化との関係を見ると、各国とも全体として製造業の就業者数が減少する中で、労働生産性がもともと高い輸送機械や一般機械の就業者数は減少が抑制されている一方、労働生産性がもともと低い繊維や電気機械などの就業者数が大きく減少している。このことは労働生産性の低い産業から高い産業へと雇用がシフトしていることを示している(第2-2-19図(2))。
また、日本やアメリカについて、業種別に国内就業者数と海外生産比率の関係を見ると、我が国とアメリカでは、多くの業種において海外生産比率の高まりとともに国内就業者数が減少している。特に、労働集約的な繊維では、そうした傾向が顕著である(付図2-4)。
(2)グローバル化時代における製造業を巡る政策対応
日本、アメリカ、ドイツのいずれの国においても、製造業では海外進出が進展している。
企業の海外進出を経済全体の成長につなげていくためには、海外進出した企業が生産性を高めるとともに、生産性の高い企業が育ち、雇用を生み出していく必要がある。そのため、国内での企業活動を促すように、①イノベーションが起こりやすい環境を整え、②製造コストを引き下げ、③規制緩和などにより国内の潜在的なニーズを掘り起こすことが重要である。また、そうした分野に円滑に労働が移動するようにしていくことも重要である。
我が国に先んじて製造業の海外進出が進展してきたアメリカやドイツは、製造業を巡ってどのような政策対応を採ってきたのだろうか。
●アメリカにおける政策対応
アメリカでは、①イノベーションが起こりやすい環境を整えるための仕組みづくりや、②円滑な労働移動を促すような政策が進められてきた。
まず、前者については、2004年のイノベート・アメリカ(パルミサーノ・レポート)において、「アメリカの競争優位はイノベーション以外にはない」との姿勢を打ち出し、イノベーションの促進と産業の競争力強化を重要な政策課題として取り組んでいる73,74。その中では、基礎研究とその実用化が重視されている。また、単なる基礎研究ではなく、巨額の資金を必要とし実用化につながらない可能性もあるが、既存の知識・概念を覆すようなハイリスク・ハイリターンな研究が重視されている75。
例えば、アメリカにおける革新的な研究分野で成果を上げている研究機関としてNIH(国立衛生研究所)が注目されている76。NIHは、実用化までに20~30年の期間が必要な基礎研究テーマに多額の予算を投じており、将来の成長産業を担う技術開発につながっている。これまでに、癌やエイズ、ゲノム、アルツハイマーなどの時流に合った基礎研究テーマを選んで研究を実施している上、臨床研究・治験を通じて、医薬品・医療機器などの実用化に努めている(コラム2-2)。
その結果、医薬品については、アメリカで開発された新薬が世界売上高上位100品目の新薬のうち全体の4割から5割を占めている(2005年から2008年)77。このように、アメリカの医薬品市場では、基礎研究から実用化に結び付くプロセスが上手く機能している。
次に、円滑な労働移動を促すような政策としては、「貿易調整支援(Trade Adjustment Assistance、以下TAA)」が挙げられる。TAAは、外国からの輸入増加や製造現場の海外進出により影響を受けた労働者や企業に対する支援を行い、産業構造転換を促進させることを目的とした制度である。具体的には、支援対象に認定された労働者には、州政府から求職、転居、職業訓練のための手当などが支給される78。
しかし、TAAの政策効果については、TAAのような対象を特定した貿易関連失業者向け対策は、貿易関連失業者とそれ以外の一般失業者との判別が難しく、貿易関連失業者措置を特別に設けるよりも、一般的対策を活用する方が効率的であるとの批判がある79。
●アメリカにおけるリショアリングの動き
近年では、海外進出した企業を国内に戻す「リショアリング」と呼ばれる動きも見られる。
製造業の国内における立地を促し、国内生産を増やすため、2004年の「米雇用創出法」では、製造業に限定した所得控除や国内設備投資の増加を企図した海外子会社からの配当に係る所得控除などが実施された。また、2010年の「2010年減税・失業保険特例延長・雇用創出法」では、アメリカ国内での生産による雇用安定と製造業の競争力向上を目指して、アメリカ国内で省エネルギー性能の高い電化製品を製造する企業向けの税額控除などが実施されている80。
しかし、アメリカにおける近年の製造業の国内回帰は、こうした直接的な政策の影響もあると考えられるが、主に、①シェール革命によってエネルギーやエチレンなどの原料の価格が下がり、アメリカ国内での製造コストが低下したこと、②原油価格の上昇による輸送コストの増加や中国等新興国における人件費の高騰により、海外での製造コストが上昇したこと、③製品サイクルの短期化を受けた少品種大量生産から多品種少量生産へのシフトによって、微細なニーズに即座に対応できる国内生産の重要性が高まってきていることなどによるとの指摘がある81,82。
なお、エネルギーコストを低下させるために、アメリカでは原油の代替エネルギーとしてバイオエタノールの活用を政策的に推進してきた83。しかし、原材料であるとうもろこしの価格上昇があったことなどから、エネルギーコストの低下にはっきりとした効果が見られていない。他方、政策支援のほとんどなかったシェールガスの供給拡大はエネルギーコストの低下に寄与している。
●ドイツにおける政策対応
ドイツでは、①製造コストを低下させる政策や、②規制緩和により国内需要を掘り起こす政策が採られてきた。
まず、前者については、2000年代のEU拡大に伴って中東欧諸国への企業の流出懸念が高まったことなどから、労働コストの低減を企図した労働市場の規制緩和などが実施されている。
規制緩和が実施される以前のドイツの労働市場制度は、雇用を守ることに重点が置かれており、厳しい解雇規制や有期雇用契約の制限などが特徴となっていた。そのため、労働コストが高まり、企業の雇用意欲が損なわれていた。
2002年に制定されたハルツ法では、事業主の雇用意欲減退や競争力低下を招くような高賃金、高社会保障負担、厳しい解雇規制等の硬直的な労働市場制度の規制緩和が実施された84。具体的には、失業者に新たな雇用機会を与えるため、有期雇用契約の制限規定緩和や、解雇保護法の適用緩和(新規採用に対して解雇保護法の適用が除外される小規模企業の規模を、従業員5名以下から同10人以下へ拡大)などが実施された。また、失業者の就業意欲を高めるために、長期失業者に対する失業給付金の削減や、失業手当の給付期間短縮(従来の最長32か月から、55歳未満で最長12か月に短縮)、紹介された仕事への就職を拒否した場合の給付3割削減などが実施された。
こうした労働市場の規制緩和によって、ドイツでは1993年から2004年の間に製造業の単位労働費用が低下したと指摘されている85。
次に、国内需要を掘り起こすための規制緩和については、バイオ産業における規制緩和が挙げられる。1990年代のドイツでは、バイオテクノロジーに対する抵抗感が強く、遺伝子工学が法律によって厳しく規制されていたことから、ドイツの医薬品工場や研究開発拠点は規制の緩いアメリカや英国に流出していた。そのため、1993年に「遺伝子工学に関する法律」で規制緩和が実施された。
この規制緩和と政府がバイオ産業のクラスター戦略を進めた86こととあいまって、1996年から2002年の間に1万人超の雇用創出がなされたとの指摘がある87。
●ドイツにおける高度人材の活用によるイノベーション創出
また、ドイツでは、イノベーションが起こりやすい環境を整えるために、高度人材の育成や確保を目指す政策が採られている88。特に、高度ICT人材の不足が課題になっており89、高度ICT人材の育成と外国人ICT技術者の受入れを目指している。
例えば、高度ICT人材の育成については、職業訓練や若手高度ICT人材が育つような環境整備に取り組んでいる90,91。また、専門性の高い分野における外国人高度技能労働者の積極的な受け入れを目的に、2000年8月にICT技術者を主な対象とする「グリーンカード」のシステムが導入された92。加えて、EU域外国からの高度技能外国人受入要件を緩和する目的で、2012年8月に「EUブルーカード」が導入されている93。
こうした取組により、ICT分野の雇用においては、ハードウェア、ソフトウェア市場合わせて、2010年に約60万人の雇用創出が図られている。これは、2007年の雇用創出数を5万人以上上回っている94。また、就労許可を得た外国人ICT技術者数は、「グリーンカード」の導入によって、施行1年後の2001年7月時点で8,500人、施行3年後の2003年1月末時点で1万3,600人となっている95。
●我が国への含意
アメリカとドイツの経験からは、我が国における製造業への政策対応として、以下のような取組が考えられる。
第一に、イノベーションを促すようなビジネス環境を創出することである。例えば、アメリカのNIHのように、産学官が連携してハイリスク・ハイリターンな基礎研究に取り組み、その実用化を支援していくことが重要である。
また、高度ICT人材のようなイノベーションの担い手となる人材を適材適所に配置していくことも重要である。そのためには、ドイツのように海外の高度人材を積極的に受け入れることも考えられる。加えて、国内の高度人材の流動性を高め、有効活用するため、例えば、スキルの高度化が図れるように職務を限定した専門性の高い働き方などを促進していくことも考えられる96。
第二に、製造業の活動にとって足かせになっている高コスト構造を是正することである。特に、我が国の場合、ビジネスコストの面で大きな課題となっているのがエネルギー価格である。前述のとおり、アメリカはシェール革命によるエネルギーコストの低下を享受しているが、我が国もそのメリットを取り込んでいく必要がある97。
第三に、国内市場を拡大してくことである。国内需要という点では、我が国は人口減少というハンディを負っているが、規制緩和などを通じて、潜在的な需要を喚起していく余地は十分にある。その際、近年、議論されている規制緩和の影響を直接受けるのは主に非製造業であるが、そうした非製造業の活性化が製造業にとっての国内需要拡大の鍵となる。医療・介護の分野を例にとれば、高齢化に伴い様々な潜在ニーズが存在していると見られるが、適切な規制制度改革により医療等のサービスの可能性が拡大すれば、医薬品や医療・介護用具などの製造業にとっても新たな市場が広がっていくであろう98。
このように製造業に関する政策対応としては、非製造業も含め、我が国が内外の企業に選ばれるためのビジネス環境の整備が基本となる。
2-1 北欧・スイスにおける企業の海外進出
スウェーデン、フィンランドなどの北欧諸国は、人口が少なく、市場規模の小さい「小国」であることなどから、現地市場獲得を目的とした海外進出が多く、海外生産比率もヨーロッパ各国と比較しても高い水準にある(コラム2-1図)。特に近年では、労働コストの低い東欧への海外進出が増加している。こうして、世界有数の携帯電話会社であるノキアや家具メーカーであるIKEAなどのグローバル企業が成長している。
北欧諸国の産業政策の特徴として、国益の源泉となる「知識の拡充」や「技術革新」を企図して、研究開発などを積極的に支援していることが挙げられる。その結果、国内経済に占める研究開発費のシェアが高く、特許出願件数も多い99。
また、スイスにおいても、海外進出が進んでいる100。他の先進国と異なる点は、競争力の高い産業101が多いため、2000年代以前には海外進出が少なく、製造業の国内就業者数も減少していない点である。この背景には、バイオテクノロジーやナノテクノロジーなどのハイテク部門の研究開発投資が活発であることや、中小企業の労働生産性が高いことなどが指摘されている102。
スイス政府の海外進出に対する対策として特徴的なものは、ブランド戦略の一環として、原産国表示に関するスイスネス法(Swissness Bill)策定に向けた動きが見られることである103。同法は、一定割合のスイス製部品を使用した製品のみに「スイスメイド」を表示することを許可している。これによって、スイス製品の「安全」、「高品質」というブランドイメージが守られ、スイス製品に対する需要が高まることから、海外進出への対策としての効果も期待される104。
2-2 アメリカのNIHの特徴
基礎研究の分野では、アメリカにおける革新的な研究分野で成果を上げている研究機関としてNIH(国立衛生研究所)が注目されており、我が国においても「日本版NIH」の創設が議論されている。ここでは、NIHの特徴を紹介する。
NIHは、世界最大の生物学研究機関であり、研究開発予算は米国防総省に次ぐ305億ドルの規模を誇る。癌やエイズ、ゲノム、アルツハイマーなどの時流に合った基礎研究テーマを選んで研究を実施しており、これまでNIHの研究助成対象者が受賞したノーベル賞の数は83に及ぶ。
NIHの研究機関としての強みは、第一に、生物医学分野全般に対する組織横断的な研究体制である。NIHは21の研究所と6つのセンターから構成されており、単独の研究所では成果が上げづらい研究領域において、NIH全体として組織横断的な研究を進めている。また、産官学による基礎研究を実用化させるプロセスが構築されている。
第二に、基礎研究に主眼を置き、その予算規模が大きい点である。実用化までに20~30年の期間が必要な基礎研究テーマに多額の予算を投じているため、実用化されれば将来の成長産業を担う技術開発につながる可能性も高い。
第三に、科学的な臨床研究・治験である。NIHは、新薬開発のための治験に限らず、治療法の意義を科学的に検討する臨床研究も重視している。また、臨床研究・治験に関する情報公開や情報公開のためのガイドラインも作成されている。このように科学的な臨床研究・治験の結果などの情報共有が、イノベーションを促進しているものと考えられる。
加えて、こうした特徴を最大限生かしているのは、高い専門性とマネジメント能力を有するプログラムオフィサーと呼ばれるNIHスタッフである。予算の8割を占める大学や病院などの外部機関への研究助成プログラム(NIHグラント)について、計画から最後の評価の段階まで一貫してマネジメントしている。また、研究テーマの選定に際しては、研究助成プログラムにおけるプログラムオフィサーと研究テーマを選定する評価者とは異なっており、厳密な審査体制を取っている。
我が国においても、社会的影響力が大きいが不確実性の高いハイリスク・ハイリターンな研究は、将来の成長産業育成につながる可能性があることから、国が積極的に支援すべき対象であると言えよう。特に、基礎研究については、実用化に向けて、省庁横断的な一貫した研究開発支援が必要であろう105。