第3節 財政健全化に向けた取組
第1節では、我が国の財政状況は悪化しているが、高水準の国内民間貯蓄や金融規制等による制度的封じ込め等による良好な国債需給環境から、我が国の国債利回りは低位で安定していることを分析した。第2節では、財政の現状について、高齢化が進展する中で社会保障費が増加し、給付に見合う負担を確保できておらず、厳しい財政状況にあること、今後も社会保障費の増加が見込まれることを確認した。さらに、裁量的な減税政策により、税収が減少していることが財政を圧迫していることも確認した。
第1節と第2節を踏まえると、先行きについては、高齢化の進展等により、①社会保障費の増加等による財政赤字の拡大に加えて、②貯蓄率の低下等から家計の貯蓄が減少することなどにより、国内投資家による旺盛な国債需要も弱まることから、国債利回りは拡大しやすくなると考えられる。そのため、今後、「財政健全化に向けた取組をどのようにするのか」、「高齢化により増加する社会保障費をどのように抑制するのか」、「抑制しても足りない財源をどのように確保するのか」が重要になる。
政府は、1997年の「財政構造改革法」の成立や、2000年代前半の財政構造改革など、財政健全化に取り組んできたが、健全化は途半ばであり、将来世代にこれ以上の負担の先送りをしないためにも、早急な改革が必要とされる。特に、財政を圧迫している社会保障制度の改革にあたっては、財政健全化と両立する持続可能な制度の確立を目指すことが重要である。
こうした中、政府は、社会保障の機能強化を図るとともに、制度を持続可能なものとするため、2010年10月に政府・与党社会保障改革検討本部を設置し議論を進め、社会保障と税の一体改革の具体的方向について、2011年6月に「社会保障・税一体改革成案」、2012年1月に「社会保障・税一体改革素案」をまとめ、2012年2月17日に「社会保障・税一体改革大綱」を閣議決定した。2月から4月にかけては、「社会保障・税一体改革」の関連法案を国会に提出した。
第3節では、社会保障に焦点を当て、高齢化等を背景に増加する社会保障費の現状と先行きの見通しから「財政面」での社会保障制度の持続可能性を分析する。もちろん、社会保障制度は国民生活の安心を確保するために実施されているものであるから、社会保障費を削ればそれで良いというわけではない。むしろ、本来の目的をきちんと果たしているか、目的を阻害してしまうような逆機能が発生していないか、社会環境の変化に対応しているか等を丁寧に検討する必要がある。言わば、「機能面」での社会保障制度の持続可能性の検討が必要である。分析にあたっては、社会保障給付費の内訳で大きな割合を占める年金に焦点を当てながら、具体的な課題を検討する。
1 社会保障制度の「財政面」での持続可能性
第2節で見たように、財政支出に占める社会保障費は増加傾向にある。先行きについても、より一層の高齢化の進展等によって、社会保障費が累増することが見込まれる。
ここでは、社会保障給付費の増加に着目し、社会保障制度の「財政面」での持続可能性を確認する。
●高齢化の進展により社会保障給付費は増加
社会保障給付費の推移を見ると、高齢化率の上昇に伴い増加している。2000年度には対GDP比で15.5%であったが、2009年度には21.1%まで上昇している68。このうち、年金については8.2%から10.9%へ、医療は5.2%から6.5%へ、2000年度に創設された介護保険は0.6%から1.5%に上昇している(第3-3-1図)。
先行きについても、65歳以上人口は2010年には2,948万人(総人口に占める割合は23.0%)であるが、2020年には約1.2倍に増えて3,612万人(同29.1%)になると予測されており、一段と高齢化が進展する。2012年に推計された「社会保障に係る費用の将来推計」(厚生労働省)
では、社会保障給付費は年々増加し、2015年には対GDP比で23.3%、2025年には同23.7%と経
済の伸びを上回って増加する見込み69である。国の社会保障関係費は、高齢化の進展によって、現行の社会保障制度を維持するだけでも、毎年約1兆円の規模で増加すると見込まれている。
●国民負担率は上昇傾向にあるものの、財政赤字は継続
このような社会保障給付費の増加は、社会保障に係わる負担の増加をもたらし、国民負担を増加させる。その負担は、社会保険料などの社会保障負担、税、あるいは将来世代の負担である公債発行のいずれかの形を取る。ここでは、我が国の国民負担率を見る(第3-3-2図)。
社会保障負担率は、高齢化に加えて、1994年の年金保険料の改定や2000年の介護保険制度の創設といった制度改正もあって上昇している。他方、租税負担率は、景気低迷による税収の鈍化70や、1994年の所得税の制度減税や、累次の法人税減税の影響等により近年、低下している。そのため、国民負担率は横ばいで推移している。この結果、受益に負担が追い付かない状態となっており、国民負担に財政赤字を加えた潜在的国民負担率は、1990年の38.5%から2010年の50.4%まで上昇し、財政赤字によるファイナンスは高水準で推移している。
このように、一国の歳出規模(国民の受益)を表す潜在的国民負担率と、国民の負担を表す租税負担率と社会保障負担率のギャップは高水準にあり、社会保障制度の「財政面」での持続可能性を如何に確保するかが課題となっている71。仮に、高齢化に伴う社会保障費の増加も含め、このまま現在の社会保障の給付と負担のギャップを放置すれば、社会保障制度の持続可能性に懸念が生じ、租税・社会保険料からなる国民負担の大幅な引き上げか、大幅な給付カットを行わざるを得なくなる恐れもある。その場合、我が国経済社会の活力が阻害され、経済成長にも影響を与えることになる、との懸念がある。
こうしたことから、「財政面」の社会保障制度の持続可能性の確保を図る必要があろう。
2 社会保障制度の「機能面」での持続可能性
以上では、社会保障制度の「財政面」から、高齢化の進展により社会保障給付費は増加傾向にある中、社会保障制度の持続可能性の確保が必要であることを確認した。
ここでは、社会保障制度の機能である生活保障機能、所得再分配機能が有効に機能しているかを確認する。特に、近年、①非正規労働者の増大等の雇用基盤の変化等から、所得格差が拡大していることや、②セーフティネットから抜け落ちた生活保護世帯が増加していること、③中間層が薄くなる中で低所得者層を中心に社会的排除の問題が発生していることを踏まえて、「機能面」での持続可能性を分析する。
(1)生活保障機能
●生活保障機能の概観
社会保障制度の一つの機能である生活保障機能は、国民の生活を保障することで、国民の安心感を確保し、社会の安定を図るものである。
生活保障機能は、「貧困の予防と救済」という観点から、大きく分けて、「防貧」と「救貧」の機能を有している。「防貧」機能は、①年金保険、②医療保険、③介護保険、④雇用保険、⑤労災保険の社会保険により、高齢・失業に伴う収入減や、職場内外での傷病による医療支出等のリスクを、社会全体で分散する仕組みとして発展してきた。また、今日では、社会保険は「防貧」機能に留まらず、国民生活に不可欠のものとして組み込まれ、広く国民に健やかで安心できる生活を保障することを目的としている(第3-3-3図)。
他方、「救貧」機能は、生活保護制度により、「防貧」機能によっても貧困を免れない国民に最低限の生活保障を行っている。具体的には、社会保険によっても最低限の生活を送れない国民に対し、生活扶助・住宅扶助などの現金給付や、医療扶助などの現物給付を行っている。
また、生活保障機能を「自助」、「共助」、「公助」の観点で整理すると、自ら働き、自らの生活の安定を図ることが、「自助」である。例えば、老後や傷病等に備えた資産形成が該当する。この「自助」のみでは達成できない国民生活の安定に対して、生活保障機能として、国民が集まってリスクを分散し支え合うことが、「共助」である。例えば、政府が運営する年金・医療・介護等の社会保険制度が該当する。「共助」により生活の安定を補強し、それでも安定が図れない場合には、公的に最低限の生活を保障することが、「公助」である。例えば、政府による生活保護が該当する。また、民間が運営する生命保険等が、政府が運営する年金・医療・介護等の社会保険制度を補完する役割を果たしている。
「防貧」、「救貧」との関係では、おおむね、「共助」が「防貧」機能を、「公助」が「救貧」機能を担っているといえる。
このように社会保障制度は、生活保障機能を備えており、失業等による所得の減少や事故等による障害の発生などから、守られる仕組みになっている。仮に、あらゆるものを活用してもなお、生活に困窮した場合には、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障した生活保護制度がある。
●世代内格差は拡大
こうした生活保障制度により国民の生活は保障されているが、我が国の制度は分厚い中間層が存在することを前提とした制度であった。近年、世代内格差が拡大しており、「防貧」機能や「救貧」機能で救済されるべき人の数が増加傾向にあることが指摘されている。仮に、救済されるべき人の数が大きく増加することなどにより、社会保険制度や国・地方の財政状況が悪化した場合には、必要な給付の確保が困難になるなど、社会保障制度の「機能面」での持続可能性が保たれない可能性がある。
世帯所得分布を見ると、下方にシフトしており、年間の所得が500万円よりも少ない世帯の割合は上昇しており、100万円から300万円といった低所得の世帯が増加していることが分かる(第3-3-4図(1))。
ジニ係数を用いて格差の度合を見ると、高齢世代のジニ係数は高水準にあり、高齢世代内での所得格差は、他の年齢層と比べて著しく大きいことが特徴である。この背景には、①年金制度によって支給額に差があることや、②年齢が高いほど所得格差が大きい傾向が強い72中で、現役で働き続ける人と、引退し年金生活に入る人で格差があることなどが挙げられる73(第3-3-4図(2))。
現役世代については、ジニ係数の水準は低いものの、40代を中心に上昇している74。これは、①成果主義的な賃金制度の導入や、②正規・非正規労働者の所得分布に格差がある上、非正規労働者から正規労働者への転職が難しい中で、非正規労働者数が増加していること、などによるものと考えられる75。その結果、賃金の差の固定化が生じやすくなっている。
●生活保護世帯が増加
このように世代内格差が拡大する中にあって、「防貧」機能によっても貧困を免れない生活保護世帯が、近年、増加傾向にある。その背景には、①非正規労働者数が増加する等、雇用形態が変化する中での、リーマンショック後の景気悪化による失業者の増加、②高齢化の進展に伴う、就労による自立が容易でない高齢者の増加などがある。
生活保護受給世帯数の世帯類型別の推移をみると、高齢者世帯76数は、高齢化等により、2000年の34万世帯から2010年には60万世帯に増加している。また、その他の世帯数(勤労者世帯を含む)は、2000年の5.5万世帯から2010年には23万世帯と、4倍以上に増加している。後者については、2008年のリーマンショック以降、景気低迷を受けた失業・収入減などにより、生活に困窮した世帯が増加したものと考えられる。実際、生活保護開始世帯に占める理由別内訳を見ると、2009年、2010年と、収入・貯蓄の減少等による開始世帯の割合が増加しており、経済的に困難な状況に陥ったことなど77から、生活保護へ移行する世帯が増えていることが分かる(第3-3-5図)。
このように生活保護世帯が増加していく場合には、例えば、ケースワーカー1人当たりのケース数が増加(2000年78世帯→2009年96世帯)し、生活保護制度の重要な機能の一つである自立支援の取組みが必ずしも十分にできないという懸念が生じるため、自立支援の取組みを強化する必要がある。
(2)社会的排除
以下では、「中間層が薄くなる中で低所得者層を中心に社会的排除が顕在化している」との指摘を踏まえて、社会的排除の実体を分析する。
●社会的排除とは
経済社会の構造変化の中で、失業や雇用の不安定化に伴って、失業保険や医療保険等の社会保障制度から漏れ落ちる等、様々な不利な条件が重なって、生活の基礎的なニーズを満たすことができず、社会的な参加や繋がりも絶たれるというリスクが拡大しているとみられる。このように、問題が複合的に重なり合い、社会の諸活動への参加が阻まれ、社会の周縁部へ押しやられる状態は、「社会的排除(Social Exclusion)」と呼ばれている。ここでは、我が国において、どのような層が、社会的排除の状況に陥りやすいか、主に家計支出入から概観する。
我が国における社会的排除に関する調査として、国立社会保障・人口問題研究所「社会生活に関する実体調査(2006)」が挙げられる。同調査は、東京近郊のある地区から無作為抽出された成人584人を対象とし、社会的排除の実体を検討するために、所得ベースの相対的貧困等の経済的な項目とともに、社会関係の欠如や制度からの排除等の社会的な項目を網羅的に調査している。
同調査の分析では、社会的排除に影響する要因として、単身者(特に男性)、就労形態、解雇経験、15歳時の生活苦、学歴等が挙げられている78。また、相対的貧困(所得貧困)に陥っている者の多くが、高齢で本人が非就労のケースであること、母子世帯について、同調査ではサンプル数が少数という限界はあるものの、その一部が極度の排除(電気・ガス等のライフラインの停止など)に直面しているという指摘もなされている。
●「家計調査」から見る社会的排除の諸側面
そこで、ここでは、総務省「家計調査」の個票データを用いて、社会的排除に陥るリスクが高いと考えられる世帯の生活状況を見る。具体的には、2008年から2010年までの3年間のデータを用い、二人以上世帯のうち、低所得者世帯として収入階級1分位79、母子世帯、65歳以上無職世帯(高齢者無職世帯)を選び、収入、消費の状況を見てみる。また、母子世帯については、世帯主が20~29歳の若い年齢階級(若年母子世帯)、高齢者無職世帯については、収入階級が1分位でかつ持ち家なし世帯(低所得高齢者無職世帯)についても示した80。
第3-3-6図は、それぞれ、収入額81、消費支出額(食料支出、保健医療支出、旅行・宿泊支出82)を世帯の種類別に示したものである。以下、世帯属性ごとに特徴を見る。
収入階級1分位世帯は、収入額は、二人以上世帯平均(以下「世帯平均」という。)の半分程度にとどまる。支出額は世帯平均と比べて各項目とも少ないが、この差は、「レジャーと社会参加の欠如」をうかがわせる旅行・宿泊支出額において顕著である。
高齢者無職世帯について見ると、収入額は収入階級1分位世帯の収入額よりは多い。支出は、いずれの支出項目においても世帯平均を上回っている。
次に、高齢者無職世帯のうち低所得者世帯(収入階級1分位<低所得・高齢者無職世帯>)に限って見ると、その収入は収入階級1分位世帯とほぼ同水準にある。支出について見ると、食費の水準は収入階級1分位世帯とほぼ同水準、旅行・宿泊費は収入階級1分位世帯を下回っている。一方、高齢者は疾病リスクが高いことを反映し、保健医療支出額は世帯平均並みである。
母子世帯について見ると、収入は収入階級1分位世帯より多い。一方、支出額はいずれの支出項目においても収入階級1分位世帯の支出額よりも少なかった83。
最後に、母子世帯のうち若年母子世帯に限って見ると、収入は収入階級1分位世帯並みであるが、支出については、食費支出額は世帯平均の半額、収入階級1分位世帯の3分の2程度にとどまっており、旅行・宿泊にはほとんど支出していない。
●社会的に排除されやすい状況にある若年母子世帯と所得水準の低い高齢者世帯
以上の結果をまとめると、第一に、若年母子世帯は、食料支出額が世帯平均の半分程度、収入階級1分位世帯の3分の2程度にとどまっており、人間の「基本ニーズ」の欠如の可能性もある。また、旅行・宿泊にはほとんど支出していない。第二に、高齢者無職世帯は、年金に依存しているため収入額は世帯平均より少ないが、消費支出額は世帯平均と比較して多い。一方、低所得・高齢者無職世帯についてみると、収入は収入階級1分位と同程度の水準にあり、消費額も食料支出額、旅行・宿泊支出額とも低い水準にある。このように、若年母子世帯と低所得・高齢者無職世帯は「基本ニーズ」、「レジャーと社会参加」の欠如の可能性があり、社会的に排除されやすい状況にあると考えられる。
(3)所得再分配機能
●所得再分配機能の現状
近年では、厳しい雇用環境等から、中間層から低所得層への転落も見られる上、防貧機能から抜け落ち、生活保護を受給する世帯が増加している。この点で、社会保障制度の所得再分配機能が重要度を増している。所得再分配機能は、高所得者から低所得者への所得移転を通じ、社会全体の貧富の差を縮小させることで、社会全体の厚生の向上を狙うものである。
まず、厚生労働省「所得再分配調査」により、我が国における所得再分配前後のジニ係数の動向を見ると、高齢化等を背景に、再分配前の所得の不平等度は年々拡大傾向にある。しかし、この不平等度は租税・社会保障による所得再分配により改善しており、その改善度も年々拡大する傾向にある。さらに、所得の不平等度の改善度を、社会保障を通じた改善度と租税負担を通じた改善度に分けて見る(第3-3-7図)。
社会保障による改善度は、前述のように高齢化にともない社会保障の比重が上昇している状況に対応して、拡大している。
他方、租税負担による改善度は横ばいで推移している。特に、我が国の所得税については、中堅所得者層の負担累増感を解消する等の観点から、1980年代後半以降、税率構造の大幅な累進緩和を実施してきた。他方で、近年の給与所得者の所得構造の実態を見ると、1997年以降、構造変化が認められる。すなわち、前述のとおり、平均的な所得水準が下落するとともに、その分布についても全体として下方へシフトしている上、格差が拡大する傾向が見られる。このように所得構造が変化する一方で、税率構造の累進性が低下したままであることにより、所得税による所得再分配機能は、近年、低下している。
このように社会保障制度の所得再分配機能は、ジニ係数という切り口で見れば、年々効果を高めてきている。また、年齢階級別のジニ係数を所得再分配前後(2008年)で見ても、高齢世代を中心に社会保障(医療、介護、保育の現物給付を除く)による再分配効果が高いことが確認できる(第3-3-7図(2))。
●現役世代と高齢世代の受益と負担の格差は大きい
次に、2009年の年齢階級ごとに一人当たりの受益と負担の関係を見る(第3-3-8図)。
受益については、警察・消防や公衆衛生などの公共サービスや、道路サービス等の社会資本の提供するサービスは、生涯を通じて受益が及ぶものと捉えられる。また、公的年金の給付は、主として高齢者が受け、医療は年齢ごとの受診度合に応じて受益しているものと考えられる。
負担については、税は社会共通の費用を賄うためのものであり、社会保険料は医療保険などの社会保障という特定給付を受けるために行う負担である。年金保険料は、保険料負担時点では給付を受けていなくても、老後の年金給付を前提に行う負担である。
このため、現在の社会保障制度は、負担は現役世代中心、受益は高齢世代中心という構造となっている。
こうした現役世代と高齢世代の受益と負担の格差は、高齢になるほど、所得稼得能力が低下する一方で、疾病・要介護状態等に陥るリスクが高まることから、公的部門を通じた受益と負担の関係が高齢世代において受益超となることは当然である84。
しかしながら、人口構成の変化が一層進んでいく社会(ピラミッド型の人口構成が崩れる社会)にあっては、社会保障給付費が増加する一方、税負担や社会保険料負担が減少することから、その給付超過分は現役世代と将来世代の負担となる。実際、高齢世代(65歳以上)1人当たりの現役世代(20~64歳)の支え手は、①出生率は2005年の1.26で底を打ったものの、2010年は1.39と低水準で推移している上、②平均寿命は1990年の78.84歳から2010年の80.10歳まで上昇傾向にあることから、1965年に9.1人であったが、2012年には2.4人に、2050年には1.2人で支えることになることが予測されている。
そのため、給付は高齢世代中心、負担は現役世代中心という現在の社会保障制度を見直していく必要がある。
●生涯を通じた受益と負担<生涯純負担額>は、現役・将来世代に不利
社会保障制度の見直しに当たっては、その過程において、世代間公平に適切な配慮が払われるようにするために、政府は国民に対して、世代間の受益と負担の関係についての正確でわかりやすい情報を伝えることが求められる。その方法として、現行制度を前提とした場合の各世代の生涯純負担額85(政府を通じた個人の生涯にわたる受益と負担を一時金換算し、<負担-受益>でみたもの)を可視化することが重要である。さらに、政策変更が世代間の生涯純負担額に及ぼす影響の把握も有用であろう。
そのための一つの手段として、「世代会計」が考えられる。世代会計は、高齢世代、現役世代、将来世代が、社会保障、その他の行政サービスを通じて政府からどれだけ受益し、どれだけ負担することになるかを示すとともに、政策変更が各世代の生涯純負担額に及ぼす影響を分析する手法である。
世代会計の手法を用いた、現行の社会保障制度について、世代毎に過去から将来にかけての生涯を通じた受益と負担の関係(生涯純負担額)についての分析によれば、一般的に、世代間で格差が生じているとされている。さらに、高齢世代では受益超である一方、現役世代と将来世代は負担超となる、との結論が多い。
このように高齢世代に対して現役世代・将来世代が不利となることについては、社会保障制度をそれまで私的に行われてきた親孝行(老親の扶養)を「社会化する仕組み」であるとの見方や、現役世代は、これまで残された資本ストックその他のおかげで、同時期の引退世代よりも高い実質賃金を得るという形で受益しているなどの視点86からは、一定程度正当化されよう。また、年金について言うと、生活水準が持続的に上昇する経済においては、現役時代に拠出した分だけしか高齢者になってから受益できないとすると、その時点での現役世代との格差が大きくなってしまうことから、世代間の所得移転は一定程度正当化されよう。
しかし、高齢化がより一層進み、経済が低調に推移する中で、年金制度などの社会保障制度の持続可能性に関心が高まってきた。例えば、従前の年金制度の下では、現役世代の平均的な収入に対する標準的な年金額比率である(受給者一人当たりの受給額を各年の平均賃金で割った)所得代替率が高水準で推移することとなり、予定以上に高い保険料が必要になったり、将来、大幅な年金給付額の減額が必要となり、結果として、世代間の格差が過大になる可能性が生じることになる(第3-3-9図)。
このため、2004年の年金制度改革時に、保険料率の上限を定めるなど年金財政における収入を固定した上で、その範囲内で給付の伸びを抑えるという新しい財政のフレームをつくり、その枠組みを5年ごとにチェックしていく仕組み(「財政検証」)が導入された。具体的には、①保険料率を段階的に引き上げていく一方、保険料の上限を、2017年度以降、国民年金1万6,900円(2004年度価格)、厚生年金保険料率18.3%で固定、②積立金の活用(おおむね100 年で財政均衡を図る方式87)、③基礎年金の国庫負担割合を2分の1に引き上げると定めた上で、④財政の均衡が図れるよう給付の伸びを抑える仕組み(「マクロ経済スライド88」)を導入した。また、給付水準については、所得代替率を少なくとも50%を維持できるようにすることとした。
もっとも、高齢世代の所得代替率は、現役世代や将来世代と比べて高くなっている。加えて、戦後の社会保障制度の変遷をみると、1970年以降、老人医療費の自己負担無料化、公的年金における給付水準の大幅な引き上げや標準報酬の再評価(賃金スライドの導入)、給付額に対する物価スライドの導入によってインフレ下での公的年金給付の目減りを防いできたことなど、高齢世代に配慮した政策が推進されてきた。さらに、物価スライドはデフレ下で機械的に給付水準が引き下げられるべきところ、1999~2001年の物価下落時には据え置かれた(「物価スライドの特例措置」)。こうしたことから、年金を受給する65歳以上の高齢者世帯の平均所得は375万円で、一人当りでは243万円と一般世帯の197万円を上回っている(「所得再分配調査」2008年)。
高齢化が進む中にあっては、将来世代への過度の負担の先送りは危険であり、社会保障制度の持続可能性に問題を生じさせる。例えば、高齢者の医療費は、後期高齢者医療制度における後期高齢者支援金の仕組みにより、その多くが医療保険者からの拠出金で賄われているほか、公費でも負担しており、現役世代と将来世代の負担が一部充当されている。したがって、今後も高齢化が進展していく中で、現在の給付水準を維持するとすれば、高齢世代だけでなく、現役世代と将来世代の負担も重くせざるを得ない。また、年金についても、近年、賃金や物価が下落傾向であることから、2004年の年金制度改革時に導入したマクロ経済スライドが発動しておらず、世代間格差の是正を図るため、「物価スライド特例分の解消」や「デフレ下でのマクロ経済スライド」が議論されている(後述)。
これまでにも、高齢化を視野に入れて、世代間の負担の格差の拡大を調整する方策が様々に採られてきた。しかし、「負担の先送り」が十分是正されたとは言えない。こうした状況を放置しておくことは、格差の調整がより若い世代、将来の世代の負担の増加によって賄われ、選挙権のない未成年者や将来世代が大きな負担を負うことを意味する。
●世代間の格差等を踏まえた給付削減措置
我が国の公的年金制度においては、世代間の公平を図るための措置が導入されている。例えば、2004年の年金制度改正で導入したマクロ経済スライドは、年金制度の給付と負担の均衡を図るために、物価、賃金が上昇している際に、年金額の上昇幅を抑制する仕組みである。
しかし、近年、物価や賃金が低下傾向であることや、過去に、物価下落時に特例的に据え置いた年金額の特例水準を解消していない89ことから、現在、マクロ経済スライドは発動されていない。この状況が続くと、中長期的な年金財政に影響が生じかねないことや、将来世代の給付水準が低下することになることから、世代間の公平性を図るため、「年金額の特例水準の解消」や「デフレ経済下のマクロ経済スライドの発動」が議論されている。
なお、マクロ経済スライドは、労働力の人口の減少及び平均余命の伸びに応じた率(平均で毎年約0.9%(2004年当時の見込み))を、毎年の年金額のスライド率(賃金水準や物価水準により決定)から控除する「スライド調整」で、年金の給付水準を抑えようとする仕組みである。もっとも、現行制度では、①スライド率が小さい場合には、スライド率をマイナスとならないようにスライド調整すること、②スライド率がマイナスの場合には、スライド調整しないこととなっている90。そのため、デフレ経済下においては、マクロ経済スライドの機能が発揮できていない。
公的年金制度は老齢による稼得能力の低下リスク、及び、長生きにより貯金が底をつくリスク(以下、「長寿に伴うリスク」という)によって国民生活の安定が損なわれることがないよう、国民が共同連帯によって行う保険制度である91。個人の自助努力や家族の私的扶養により、長寿に伴うリスクに対応しようとしても、老齢により稼得能力も低下しており、個人の寿命についても予測は難しく、また、物価上昇による貯蓄の実質価値の減少等の老後に生じた経済変動に対応することは難しいことから、そうした対応は困難である。このため、老後生活の安定を図るために公的年金制度が果たしている役割は極めて大きい。
我が国の公的年金制度は、現役世代の納める保険料によって高齢者の年金給付を賄うという賦課方式を基本として運営されている。このような制度では、少子高齢化が進み、現役世代が減少していく中では、年金の負担と給付の関係について、世代間で、ある程度の受益と負担に差が生じることは避けられない。
しかし、世代間の格差が大きいことや、高齢化により年金受給者一人当たりを支える現役世代の人数は減少していることを踏まえ、「物価スライドの特例水準の解消」や「デフレ下でのマクロ経済スライド」を通じて世代間の公平性をさらに図る必要がある。
コラム3-4 レセプト電子化の現状とナショナルデータベース
医療においても、「機能面」の持続可能性については、医療の質の向上と効率性の両立などの課題があるが、ここでは、効率性の向上を企図したレセプトの電子化の現状と、電子化されたレセプト(以下「電子レセプト」という。)を活用したナショナルデータベース構築の取組みを紹介する。
レセプトとは、診療報酬明細書(又は調剤報酬明細書)のことであり、保険医療機関は個々に診療行為や診療点数等を記載して保険者に診療報酬を請求する。実務的には、多数の医療機関と多数の保険者が個別に請求のやり取りを行うと煩雑になることから、両者の間に審査支払機関(社会保険診療報酬支払基金及び国民健康保険団体連合会)が入り、請求レセプトの審査や料金のやり取りの中継等の業務を担っている。
このレセプト請求の電子化・オンライン化、つまり、保険医療機関から審査支払機関に請求を行う際、①電子レセプトを用いたり、②そのやり取りをオンライン上で行ったりすることは、医療事務の効率化を可能にしている。
実際に、レセプトの電子化を積極的に進めてきた医療機関・調剤薬局からは、レセプト請求のための残業時間が減少したとの指摘が多い。紙レセプトでの事務処理に伴う残業を減らすことで、診療の待ち時間短縮などの医療サービスの質を高めることに集中できるといった指摘もある92。
レセプトの電子化・オンライン化については、国もそのメリットを認識し、着実に推進してきた。レセプトの原則電子化は、2008年4月に400床以上の病院を対象に実施して以降、診療機関の規模等に応じて段階的に実施されてきており、2011年4月には、歯科も対象とされたことで、医科・歯科・調剤の全ての機関において、原則電子化が適用された93。
こうした取組みもあり、レセプトの電子化・オンライン化は進み、2012年3月時点で、電子化率は9割、オンライン化率は6割となっている94。普及状況を診療種類別にみると、医科病院と調剤では、電子化、オンライン化ともにほぼ100%の水準に達している一方、歯科では電子化割合が50%に満たず、オンライン化も1割程度と低い水準となっている。医科診療所は、全体の平均と同程度の普及率となっている(コラム3-4図(1))。
医科診療所や歯科の電子化・オンライン化の普及率が、医科病院や調剤と比較して低くなっている背景としては、①原則電子化の適用期日が相対的に遅かったことに加えて、②基本的に、小規模な診療所や歯科では、電子化に必要なレセプトコンピュータの導入費用に見合う効率化の効果が見込まれないこと、があると考えられる。
しかし、レセプトデータには請求情報をはじめとする医療情報が含まれており、電子化・オンライン化の普及が進むことで、これらの情報を医療の研究・分析に活躍できることが期待される。
国は、国内で請求された全電子レセプトを2009年4月から収集し、ナショナルデータベースとして構築した。さらに、2011年からはデータ提供も開始している95。
ナショナルデータベースから提供されたデータを用いた研究・分析は、今のところ限定的であるため96、ここでは、レセプトデータから得た情報を用いた分析の一例として、医療給付実態調査のデータを用いた分析により、どのような分析が可能になるか、を紹介する97。
例えば、都道府県間の医療費格差について、疾病分類別の寄与度を把握することが可能98となっており、地域毎での適正な受診の指導や保健事業(特定の予防運動等)への活用ができる。具体的に、医療費水準の高さが1、2位である高知県と福岡県を比較すると、福岡県は、相対的に、新生物99の寄与が大きく、神経系の寄与が小さいという違いがある100。福岡県においては、これを踏まえて、栄養食事指導や禁煙指導を強化するなどの対策を行うことが効果的であると考えられる101。
このようなレセプトデータを使った分析は、効果的な医療政策に資する102。さらに、ナショナルデータベースを使うと、公費負担医療等も含めたより詳細なデータを基に、クロスセクション・時系列データ、パネルデータによる分析等を実施することができる。こうしたことから、レセプト電子化率の向上により、国レベルでのレセプトデータベースが一段と充実されることが期待される。
なお、より詳細な患者属性や転帰などの情報が記載される電子カルテの標準化と普及が望まれるが、電子カルテは、電子レセプト以上に導入費用がかかる等、普及のための課題が多く、十分な普及の水準に達していない(コラム3-4図(2))。