第1節 グローバル化と財政リスク
リーマンショック以降、世界的に、景気低迷による財政出動や金融機関への公的資金注入等から財政収支が悪化する国が増加した。ヨーロッパでは、2010年4月以降、GIIPS諸国(ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペイン)を中心に財政リスクが強く懸念され、こうした国々の国債利回りは大きく上昇した。この間、我が国については、財政状況の悪化などを背景として、格付会社3社による格下げ1を受ける中にあっても、国債利回りの上昇はみられなかった。また、堅調なファンダメンタルズを有し、流動性が高いこと等を背景として安全資産とみなされているアメリカやドイツの国債は、資金の逃避先となったことから、国債利回りが低下した2。
こうした状況を踏まえて、第1節では、この間の先進国の国債利回りと財政リスクプレミアムの一つの指標であるソブリンCDSスプレッドの動向を見る。次に、①外国資本流入の急激な停止・流出(sudden stop)が実体経済や財政に及ぼす影響が大きかったことや、②資金の逃避先となった国では外国からの資金流入により国債利回りが低下したことを踏まえて、国際資金移動に焦点を当てて分析する。加えて、リーマンショック以降、先進国では、金融規制の変更等から金融機関等による国債保有が増加するなど、国債に対する強い需要から、実質金利が低下していると指摘されている。実質金利がマイナスの場合には実質的な政府債務残高の削減が可能であることを踏まえて、金融機関行動の背景を分析する。
1 国債利回りと財政リスクプレミアムの動向
欧州政府債務危機を背景として、2010年4月以降、GIIPS諸国を中心に国債利回りが大きく上昇(債券価格は下落)した。こうした背景には、GIIPS諸国で、リーマンショック後に財政状況が悪化する中、外国資本流入の急激な停止・流出による影響もあって実体経済が一段と悪化し、財政破綻懸念が高まったことがある。他方、アメリカやドイツの国債は、安全資産とみなされ、資金の逃避先として買われ、利回りは低下(債券価格は上昇)した。我が国の国債利回りは低位で安定して推移した。
以下では、こうした違いに着目し、この間の先進国の国債利回りと財政リスクプレミアムの推移を確認する。
●GIIPS諸国の国債利回りは上昇した一方、米独等の国債利回りは低下
2010年4月以降、ギリシャの財政破綻懸念などを発端として、GIIPS諸国の国債利回りは大きく上昇した。こうした背景には、リーマンショック後の景気低迷を受けた財政出動や金融機関への公的資金注入等によるGIIPS諸国の財政状況の悪化に加え、信用収縮(デレバレッジ)による外国資本流入の急激な停止・流出等が実体経済の悪化を助長したことがある。外国銀行によるGIIPS諸国向け与信は、ギリシャとアイルランドを中心に、リーマンショック後に急激に減少した。加えて、これら諸国の国債の外国投資家保有比率も低下し、国債利回り上昇の要因になったと見られる3(第3-1-1図(1)(2))。
2012年入り後には、①ギリシャ国債の債務削減が秩序だって実施されたことや、②ECBによるLTRO(Long-term refinancing operations<3年物無制限資金供給オペレーション>) の実施等により、懸念されていた大規模な金融機関の破綻は回避されたことなどから、GIIPS諸国の国債利回り上昇に一定の歯止めがかかった。しかしながら、5月のギリシャの総選挙の後、政権が発足できず再選挙となるなど、ギリシャの財政健全化への姿勢に懸念が生じたことから、ギリシャを含む南欧諸国の国債利回りが上昇した。先行きについても、ギリシャにおいて政府が欧州委員会、ECB、IMFに対して約束した財政再建策を予定通り実施できない可能性や、スペインにおける銀行部門の不良債権問題の救済から財政状況が悪化する可能性などの潜在的懸念が指摘されている。
この間、堅調なファンダメンタルズと高い流動性を有するアメリカ、ドイツ等の国債は、資金の逃避先として需要され、利回りは低下した。特に、ドイツの国債利回りは、短期債を中心に、短期金利の将来予測であるOISレートを下回って推移し、投資家のリスク回避姿勢が強まる中で短期金利の将来予測値を下回った水準でも需要されたことがうかがわれる(第3-1-1図(3))。
我が国の国債は、2011年中に相次いで格下げを受けたが、そうした中でも、利回りは低水準で安定して推移している。
●ソブリンCDSスプレッドは拡大
金融市場で評価される財政リスクプレミアムを見る指標として、ソブリンCDSスプレッドが代表的なものであるが、その他に、ドイツ国債利回りをリスクフリーレートとしてユーロ圏の各国国債を比較した対独国債スプレッド等がある。ただし、各国比較をする場合には、通貨毎にインフレ率、経済成長率等の実体経済の違いから政策金利の見通しが異なり、イールドカーブの水準、形状が異なるため、「同一通貨建て」のソブリンCDSスプレッドや、「同一通貨建て」の金利体系に変換した国債利回りを見る必要がある4。
ここでは、ソブリンCDSスプレッドは、リーマンショック以降、流動性の問題や投資家の偏り5等から、ファンダメンタルズから乖離した価格決定がなされているとの指摘はあるものの、各国通貨を「同一通貨建て」で見た財政リスクプレミアムの指標が限定的であることから、その動向を見る6。
ソブリンCDSスプレッドの動向の全体的な特徴として、以下の点が指摘できる(第3-1-2図)。
第一に、ソブリンCDSスプレッドは平穏な時期と急激に変化する時期がある。例えば、2000年代前半にはどの国のソブリンCDSスプレッドも極めて低い水準で推移している。こうした財政リスクプレミアムの低下には、世界的な景気拡大や安定的な国際金融市場という背景もあったが、各国の財政リスクが十分に意識されていなかった可能性もある。
第二に、リーマンショック時には、実体経済及び国際金融市場の大きな変動を受けてソブリンCDSスプレッドは急激に拡大した。さらに、2011年夏から秋にかけての欧州政府債務危機時には、GIIPS諸国のソブリンCDSスプレッドは大きく拡大している上、財政状況が相対的に良いオーストラリアやドイツ等のソブリンCDSスプレッドも大きく拡大した。後者のオーストラリアやドイツ等については、金融市場における各国の財政リスクプレミアムに対する見方が不安定化する中で、ソブリンCDSスプレッドがファンダメンタルズを大きく上回った面があると考えられる。
第三に、我が国のソブリンCDSスプレッドは、リーマンショック以降、我が国の財政状況の悪さが意識されたために、拡大したと考えられる。2011年末では、先進国の中では、GIIPS諸国とフランスに次ぐ水準となっている。
このように、我が国は、財政リスクが意識されるが、国債利回りは低位で安定している。以下では、その背景を国際資金移動や金融規制等の観点から分析する。
コラム3-1 国債利回りとリスクプレミアム
国債利回りは、①短期金利の将来予測部分と②リスクプレミアム部分から構成される。前者において、政策金利を短期金利とすると、将来の政策金利の期待値は、先行きの経済環境(将来のインフレ率や需給ギャップ等)についての期待により決定される。他方、後者のリスクプレミアムは、デフォルトリスクを映じた財政リスク(信用リスク)プレミアムや、取引を行いたいタイミングで実際に執行することが可能かなどの流動性リスクプレミアム等により構成される。
将来の政策金利の期待値を示す金融市場の取引レートとしては、OIS(Overnight Index Swap)レートが挙げられる。OISレートは、将来の金利(O/Nレート)の期間平均値であることから、財政リスクは含まれていない。もっとも、①中長期ゾーンのスポットレート(国債利回り等)と直接比較することができない点や、②中長期ゾーンの流動性が低い点、③中長期ゾーンでは、取引相手がデフォルトした場合に損害が発生するリスクであるカウンターパーティリスクが大きくなる点などに留意する必要がある。
我が国とアメリカ、フランスの国債利回りとOISレートを見ると、金利体系の違いを考慮する必要があるが、アメリカは国債利回りとOISレートの差が最も小さく、相対的にリスクプレミアムが最も低いことがうかがわれる(コラム3-1図)。
2 国際資金移動と財政リスク
次に、近年の国際資金移動の動きを整理し、我が国の国際資金移動と財政リスクの関係を分析する。その際には、アメリカやドイツの国債は、リーマンショックや欧州政府債務危機時に、「安全資産」とみなされ資金の逃避先となっていることを踏まえて分析する。こうした動きの背景には、中期的に見ると、アジア通貨危機以降、新興国の外貨準備等の安全資産に対する需要が大きく高まり、それに対する安全資産の供給として、アメリカ国債や、場合によっては、高格付を取得した証券化商品などが提供されてきたという流れがある。
(1)国際資金移動の増加と信用拡大
●フローとストックで見た国際資金移動
まず、資本流入、資本流出をフローで見た経常収支(国際収支統計)の動きを見ると、2000年代前半から、リーマンショック前にかけて、経常収支不均衡の額は大きく拡大した。その後、リーマンショックを経て、財・サービスの取引量が減少したことや、世界的な信用収縮(グローバルリスクリダクション)による国際資金移動の減少等から、経常収支不均衡の額は縮小している(第3-1-3図(1))。
地域別に見ると、リーマンショック以前には、アジア諸国(除く日本)や産油国の経常収支黒字が拡大する一方、最大の経常収支赤字国であるアメリカだけでなく、英国、ユーロ圏の経常収支赤字が拡大した。中国等のアジア新興国では経常収支黒字が拡大する一方で、外貨準備資産を大幅に積み上げてきた。これは、アジア通貨危機の経験を踏まえて、資本流入の急激な停止・流出(sudden stop)に対処するための行動であり、こうした外貨準備資産はアメリカ国債を中心とする「安全資産」への投資に振り向けられてきた(後述)。このような新興国によるアメリカや英国、ヨーロッパへの投資は、BIS統計に基づくと、ヨーロッパの銀行を介したものと考えられる7。
こうした国際資金移動をグロスで見るため、対外資産と対外負債(国際収支統計)を見ると、世界全体の対外資産(対外負債)の総額は、2000年代前半から大きく増加しており、2007年の対外資産(対外負債)の額は2000年の3.5倍まで拡大している(第3-1-3図(2))。
対外負債を地域別に見ると、経常収支の状況とほぼ同様にアメリカ、英国、ユーロ圏の対外負債は大きい。他方、対外資産を地域別に見ると、アジア諸国と産油国の対外資産は大きく、さらに、新興国からの資金の受け手であるアメリカ、英国、ユーロ圏の対外資産も相応に大きいことが分かる。
前述のとおり、新興国からの資金は、主に外貨準備資産の運用を目的として安全資産へ向かい8、アメリカをはじめとする先進国の国債利回りを低下させる一因となった。他方、ヨーロッパの金融機関は、資金調達(負債)を拡大し、AAA格の証券化商品(クレジット商品)に資金を振り向けたことから、証券化商品の原資産である先進国の不動産や各種債権に資金が流入し、資産価格バブルの温床となったことが指摘されている。このように先進国内の金融商品の収益率が低下する中で、金融市場で「Search for yield(利回りの追及)」と言われる動きが生じ、GIIPS諸国等の比較的投資妙味のある国に資金が流入したほか、成長著しいアジア新興国にも資金が還流した9(第3-1-4図)。
以上を整理すると、新興国や産油国が経常収支黒字を背景とした国内の過剰貯蓄をアメリカ国債等への投資に向かわせたという「ネットの資本フロー」と、ヨーロッパの金融機関が資金調達(負債)を拡大させることにより生じた「グロスの資本フロー」が存在し、両者がアメリカを中心とした先進国の長期金利低下に結び付いたことがうかがわれる10。
●アジア通貨危機を経験した国々による外貨準備資産の積上がりと安全資産への投資
こうした新興国から先進国への資本流入の背景となった外貨準備資産の動きを見る(第3-1-5図)。
1997年のアジア通貨危機を契機に、アジア諸国では、外国からの資本流入、特に短期対外債務による資本流入に対して、IMF等の国際金融機関の指導もあり、経常収支が黒字の状況にあっても外貨準備資産の積上げ11や、外国資本の流入規制などの対応をとってきた。これは、アジア通貨危機の際に、証券等に投資されていた足の速い資金が急速に引き上げられ、自国通貨が減価した経験による。さらに、外貨準備資産の運用においても、危機時に備えて、流動性が高く、安全資産であるアメリカ国債やAAA債を中心に投資していた(自国内では、金融市場が未発達であることなどから、安全資産が不足している)。
リーマンショック後に、GIIPS諸国同様にアジア新興国を巡る外国資本流入は一時的に不安定化したものの、こうしたsudden stopへの耐性を高める取り組みにより、実体経済への影響は限定的だったと考えられている。そのため、リーマンショック後も、アジア新興国経済は堅調に推移し、外貨準備資産は増加、外貨準備資産によるアメリカ国債等の安全資産への投資は継続している。
なお、こうした安全資産を巡る国際資本移動を資産変換機能という観点から見ると、アメリカは、自国の短期の安全資産を負債として提供する一方、世界の中長期の危険資産を保有するという「世界の銀行」的な役割を果たしていると見ることができる12。
●証券化商品により国際資金移動が増加した可能性
グロスの資本移動の増加(対外資産と対外負債の増加)を説明するものとして、新興国による「安全資産」への投資の増加以外では、リーマンショック以前には、ABCP(資産担保コマーシャルペーパー)やABS(資産担保証券)等の証券化商品の台頭による金融市場の発展が挙げられる。
これは、アメリカやヨーロッパの銀行が、ABCPやABS等の証券化商品を組成してアメリカで積極的に資金調達し、AAAの証券化商品や住宅ローン等に投資し、信用拡大を助長していたというものである。例えば、ドイツのザクセン州立銀行がスポンサーとなって、アイルランドに設置したコンデュイット(銀行の関連簿外組織、SPV<Special Purpose Vehicle, 特別目的会社>の一種)のオーモンドキイ(Ormond Quay)は、アメリカでABCPを発行し、MMF13(Money Market Fund)等から資金調達し、アメリカの住宅ローンや商業不動産ローン等に投資していた14。こうした取引が、ヨーロッパとアメリカの対外負債と対外資産を両建てで増加させる等、国際資金移動を増加させた可能性がある。なお、SPVの所在地としては、アイルランドのダブリン、オランダのアムステルダム等のヨーロッパの税制と金融規制の緩い地域の他、ケイマン諸島、英国領マン島等の租税回避地が挙げられる(第3-1-6図)。
ABCP、ABS等の証券化商品を各国別発行額で見ると、2007年には、アメリカでの発行額はヨーロッパでの発行額に対して圧倒的に大きい一方、銀行国別の発行額を見ると、ヨーロッパの銀行の発行額がアメリカの銀行の発行額を上回っている。すなわち、ヨーロッパの銀行がアメリカで証券化商品を大規模に発行していたことが推察される15。なお、残高で見ても、アメリカで発行される証券化商品が大きい(第3-1-7図)。
このように経常収支の赤字・黒字を問わず、ヨーロッパの金融機関等が証券化商品を使って、外国から資金調達し、外国に投資することによって生じた信用拡大の影響は、一定程度あった可能性がある。こうしたアジア新興国、ヨーロッパの銀行等からの資本流入を受けて、アメリカの長期金利低下と住宅・商業不動産投資の活発化が助長されたと考えられる16。なお、我が国における証券化商品の発行額は小さく、残高も小さい。そのため、信用拡大への寄与は限定的であったと考えられる。こうした背景には、我が国では、不動産等の資産市場の低迷により、裏付資産から生じる収益が低く、アメリカ、ヨーロッパで組成されるような利回りの大きな商品が組成されにくいことがある、と指摘されている。
(2)我が国における国際資金移動と財政リスク
●我が国の国際資金移動と国際金融ネットワーク
我が国では、経常収支黒字が継続し、外国への資本流出超の状態にある。また、対外資産、対外負債でみても、ヨーロッパのような対外資産と対外負債の積上がりは生じていない。そのため、リーマンショック後に、GIIPS諸国のような外国資本の流出は生じていないなど、国際資金移動による影響は限定的であったと考えられる。ここでは、銀行の対外与信(外国向け与信)を集計したBIS統計を基に、国際金融ネットワークの視点で我が国の国際資金移動を見る。
我が国と国際金融ネットワークの関係は、BIS統計を使った分析では各国とリンクが構築されている上、①国際金融ネットワーク上の国と平均的にいくつの取引相手国を介して繋がっているかを示す近接中心性や、②国際金融ネットワーク上の各国間の取引が自国を介してどの程度取引されているかを示す媒介中心性も高く、世界で生じたショックについてはすぐに伝播する構造(1ステップから2ステップで伝播)になっている17。
しかし、その影響度合は取引量を見なければならない。2012年3月にギリシャがデフォルトした際には、世界のギリシャ向け与信が少額であったことから、国際金融ネットワーク上の影響は限定的であった。取引量を考慮して我が国の国際金融ネットワーク上の位置付けを見るため、国際金融ネットワーク上で1,000億ドル以上の資金取引のみを図示すると、アメリカ向け与信が圧倒的に大きく、その他の地域との関係は限定的である(英国、オーストラリア、スペイン、フランス、ドイツのみ)。仮にGIIPS諸国の国債のデフォルトが発生した場合、ギリシャ、ポルトガルからの伝播は生じず、イタリア、アイルランドがデフォルトした場合に、ドイツ、フランス、英国を介して伝播する(第3-1-8図(1))。
次に、ネットワーク分析を使って、GIIPS諸国が破綻し、ユーロ圏銀行が10%の対外与信引揚げを行った場合、国際金融ネットワーク上でどの程度の信用収縮が生じるかを試算する18。シミュレーションの結果からは、世界でおおむねリーマンショックと同程度の信用収縮が生じることが確認されたが、我が国については、リーマンショック同様に国際金融ネットワークからの影響は限定的であると考えられる(第3-1-8図(2))。
このように、我が国は、銀行による対外与信も、外国銀行による我が国向けの与信も、相対的に大きくないこともあって、GIIPS諸国を震源とする国際金融市場の混乱から相対的に影響を受けにくい構造となっていることが分かる。
●国際資金移動からみた我が国の国債ファイナンス構造
既に見たように、アメリカ国債は、安全資産への需要が世界的に高まる中、外国投資家によってかなりの部分が保有されている。それでは、我が国の場合はどうであろうか。
(第3-1-9図)は外国投資家が我が国国債のうちどのくらいの割合を保有しているか(外国保有比率)を示したものである。1990年代末から2000年代初にかけて低下した後、リーマンショック直後を除いて、直近まで上昇してきている。特に、最近では、我が国国債は、欧州政府債務危機時の一時的な逃避資産等として需要されており、保有割合が高まっている19。しかし、外国投資家の保有割合は、アメリカ等と比較するとかなり低い水準となっている。
国際資金移動の観点からみれば、我が国国債利回りが低位で安定的に推移している背景には、①国内民間貯蓄の資金余剰が、金融機関を通じて国債に流入していること(後述)、②我が国国債の外国保有比率が低いこと20、がある。
これらの点で、GIIPS諸国とは異なる。
3 国内資金需給と制度的封じ込め
我が国の国債利回りが低位で安定している重要な要因として、国内民間貯蓄が大幅な貯蓄超過であることは間違いない。しかし、国内民間貯蓄超過以外にも国債利回りを低下させる要因が存在する可能性がある。
リーマンショック以降、G20等の国際的な場で、金融機関の健全性向上が議論され、各国政府は、銀行に対する自己資本比率規制や流動性規制の強化等、プルーデンス規制の強化を図っている。こうした金融規制が、金融機関による国債保有のインセンティブを高めているとの見方もある。加えて、金融システムの安定や景気回復の下支えを目的にした金融緩和政策から、各国中央銀行が国債保有を増加させている。
こうした制度や金融政策を通じた金融機関による国債保有の増加は、国内民間貯蓄を国債に向かわせることにより、結果として、国債利回りを抑制している。この効果は、我が国にだけ特有のものではないが、我が国の国債利回りを低位に安定させる効果を持っている。
以下では、まず国債利回りの低位安定の重要な要因である国内民間貯蓄の貯蓄超過の動向を概観し、次に、金融規制や金融政策等が国債保有を高めるインセンティブ構造を持っていることを確認する。
●国内民間部門は大幅な貯蓄超過
我が国の貯蓄投資バランスについては、①高齢化による貯蓄率の低下に伴い、家計部門の資金余剰は緩やかな縮小傾向にある、②1990年代前半を境にそれまで資金不足セクターであった企業部門が、資金余剰セクターに転じた、といった特徴が挙げられる(第3-1-10図)。
後者の企業部門の資金余剰の背景には、営業余剰に変化がない中で、趨勢的な金利の低下を受けた資金調達コストの低下(利払費の減少)や、期待成長率の低下に伴う国内設備投資の減少等があると考えられる21。
このように、国内民間貯蓄の資金余剰は、金融機関の国債保有を介して政府の資金不足を埋める構造になっている。
●リーマンショック後に金融機関と中央銀行による国債保有が増加
まず、近年の国債保有構造の変化を確認する。
我が国では、国債残高が増加する中で、銀行等(都市銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合等)と生命保険会社の保有が増加傾向にある(銀行等と生命保険会社を合わせた保有割合は2006年の50.8%から2011年の54.1%まで上昇)。これは、①資金需要の減少による預貸ギャップの拡大や②信用リスク回避による貸出やクレジット商品からのシフト等によるものとみられる(後述)。他方、中央銀行による国債保有は、2000年代前半の量的緩和局面で増加したが、利上げ局面で減少した。リーマンショック後には、景気後退を受けた金融緩和、資産買入等基金の設立等により再び増加している(後述)(第3-1-11図(1))。
こうした傾向は、アメリカやヨーロッパでも同様に生じている。リーマンショック後に、銀行による国債保有が増加し、中央銀行の国債保有も増加している。やや仔細にみれば、アメリカでは、銀行等(銀行、貯蓄金庫、信用組合等)と生命保険会社、中央銀行の国債保有が増加している22。加えて、前述したように安全資産に対する需要が増加する中で新興国を中心とした外国投資家の保有も増加している。ヨーロッパでは、通貨統合後、①為替リスクがなくなったことや、②ユーロ圏内の他国国債がECBオペの適格担保対象資産となったこと等から、ユーロ圏の銀行等(銀行、貯蓄銀行、信用組合等)を中心に外国投資家(ユーロ圏内外の投資家)による保有が増加した。もっとも、リーマンショック後には、前述したようにGIIPS諸国では、デフォルト懸念から外国投資家の保有が減少している一方、ドイツ国債は、アメリカ国債と同様に安全資産とみなされており、外国投資家による保有が増加している23(第3-1-11図(2)(3))。
このように、我が国のみならず、世界的に見ても、銀行等の金融機関と中央銀行による国債保有が増加している。以下では、銀行から順に仔細に見る。
(1)銀行等
●預貸比率の低下等により、銀行による国債保有は増加
我が国銀行のバランスシートを確認すると、2000年代以降、国債保有残高は増加傾向にある。また、銀行等の総資産に占める国債保有残高の割合も上昇している。こうした背景には、緩和的な金融政策やリーマンショック後の株式市場の低迷を受けた株式と投信からのシフト等もあって預金が増加傾向にある一方、バブル崩壊後の不良債権処理や、長引く景気低迷を映じた企業による設備投資の減少と預貸相殺による借入コストの圧縮などから、貸出が減少していることなどがある(第3-1-12図(1))。
アメリカとヨーロッパの銀行等では、リーマンショック後に、預貸率の低下と国債保有の増加が生じている。この背景として、緩和的な金融政策等によりマネーストックが増加し、預金が増加した一方、銀行は不良債権比率の上昇から、信用リスク回避を目的に貸出を抑制していること、さらに、余剰資金を安全資産である国債にシフトしていることなどがある(第3-1-12図(2)(3))。
ちなみに、各国の不良債権比率を見ると、リーマンショック後、アメリカでは高い水準が続いており、フランスなどユーロ圏や英国では上昇している。我が国については、銀行における不良債権処理の加速や信用リスク管理の強化が進んだことで、2002年以降、不良債権比率は低下傾向にあった。また、2009年12月に導入された「中小企業金融円滑化法」の効果等で倒産件数が抑えられていることもあり24、近年も低水準で推移している(第3-1-13図)。
●我が国ではリスク量調整後の収益率の高さから国債が選好
我が国で有価証券の中で国債が選好される背景については、2000年の時価会計導入によりリスク管理が強化される中で、株式、為替については、国債と比べて①ボラティリティ対比の収益率(修正シャープレシオ)が低いこと、②VaR(Value at Risk)によるリスク計測25が浸透する中で、保有額1単位当たりのリスク量が大きいことも一因である。なお、外国証券については、為替リスクが大きいことに加えて、①現地の投資家と比べて言語の問題等から情報入手能力が劣ること、②税制や決済システム等の制度慣行が異なることなどもあって、実務的に投資し難いことから、相対的に選好されてない26(第3-1-14図)。
こうした点は各国でも同様に意識されているが、株式については、バブル崩壊以降、我が国の株価は長く低迷した一方、アメリカやヨーロッパの株価は上昇したこと27から、ボラティリティ対比の収益率(修正シャープレシオ)が高く、アメリカやヨーロッパでは株式が選好され易い環境にある。
さらに、リーマンショック以降、我が国の景気が低迷する中で、金融政策における時間軸効果から国債価格が大きく下落しないことを見越して、積極的に長期国債に投資できる環境にあることも、我が国で国債が選好される理由である。OISレート(2年先スタート1か月間)からみた我が国の政策金利は、リーマンショック以降、「少なくとも2年間は引き上げられない」との見方が続いている。他方、アメリカとヨーロッパは、2010年後半にやや利上げ期待が高まった(第3-1-15図)。
こうしたことから、我が国の銀行は相対的に早い時期から国債を選好してきたと考えられる。
●バーゼルIII導入の影響
各国の銀行で国債保有が増加している背景には、こうした預貸比率の低下等に加えて、リーマンショック後、新たな自己資本比率規制(いわゆる「バーゼルIII」)等の金融規制が段階的に導入されることも国債へのシフトを促している。
現行の自己資本比率規制(いわゆる「バーゼルII」)においても、標準的手法採用行では、自国国債等を安全資産(リスクフリー)とみなし、リスクアセットの算出においてリスクウエイトを0%に設定している(アメリカやヨーロッパの銀行では、実効上先進国国債のリスクウェイトが0%と設定されている28。我が国では、自国以外の国債は格付による)。そのため、自己資本比率向上を図る銀行にとっては、リスクアセットの圧縮のために自国国債等への投資を相対的に増加させるインセンティブがある。
リーマンショック時の金融市場の混乱の中で、欧米の金融機関が大きな損失を被り、資金繰り難に陥ったこと等が実体経済に影響したことを踏まえ、国際的に活動する銀行(いわゆる「国際統一基準行」)については、①金融機関の健全な運営を促す自己資本比率規制の強化、②過度なリスクテイクを抑制するレバレッジ比率規制の導入、③流動性リスク管理の強化(換金可能な資産<適格流動性資産>を一定程度保有することを義務付ける流動性カバレッジ比率等)を内容とする「バーゼルIII」が2013年1月1日から順次導入される29(第3-1-16表)。
レバレッジ比率規制の導入により、資本増強または総資産を圧縮させるインセンティブがある一方、自己資本比率規制において、国債はリスクウエイトが低く設定され、また、流動性規制において適格流動性資産とされることから、銀行の国債保有のインセンティブが高まるものと考えられる。
(2)生命保険会社、中央銀行
●ソルベンシー規制見直しの影響
生命保険会社においても、銀行と同様に、金融規制によって国債保有のインセンティブが高まる可能性がある。
我が国の生命保険会社は、①企業の資金需要の低下と、生命保険会社による信用リスク管理の強化等から、貸出が減少している上、②バブル崩壊後の株式等での損失と、2000年の時価会計導入による価格変動リスクを考慮した運用見直しから、既に株式保有が減少傾向にある。こうした状況下、国債保有が増加傾向にある(第3-1-17図)。
こうした中、我が国では、2012年3月期決算より、ソルベンシー規制が一部改正され、国内株式のリスク係数が、10%から20%に引き上げられたこともあって30、近年、一段と株式保有が減少している。
また、我が国では、経済価値ベース(資産・負債の一体的な時価評価)のソルベンシー規制の導入を検討している。
我が国の生命保険会社の負債は、終身保険などの保障性商品が主力であることから、デュレーションが長い。他方、運用資産については、負債と比較してデュレーションが短い中長期債等となっている。現行規制では、資産・負債の一体的な時価評価が求められていないため、こうしたデュレーションミスマッチについては顕在化していない。仮に経済価値ベースのソルベンシー規制が導入された場合、こうした資産・負債のデュレーションミスマッチが顕在化することになる。こうしたことから、我が国の生命保険会社は、資産サイドのデュレーションの長期化等を企図して、長期・超長期の我が国国債への投資を増加してきた31。大手生命保険会社の2012年度の運用計画によれば、約3兆円の国債積増しが計画されている(2011年度実績は、約6兆円の純増)。
ヨーロッパの生命保険会社については、BISグローバル金融システム委員会報告書(2011年7月)「保険会社および年金基金の債券投資戦略」は、ソルベンシーII導入の影響について、ヨーロッパ各国の生命保険会社は、資産・負債のデュレーションミスマッチの解消に向けた長期国債の保有を増加させることなどが想定される、と指摘している32(第3-1-18表)。
●各国中央銀行は国債保有を増加
各国中央銀行は、金融システム不安や景気回復の下支えを目的とした金融緩和政策を導入し、国債保有(買入等)を増加させている(第3-1-19図)。
我が国では、2010年10月以降、「資産買入等の基金」を創設し、長めの市場金利及びリスクプレミアムの低下を促すため、国債買入れを行っている33。アメリカでは、民間クレジット市場の改善等を目的に、2009年以降、FRBによる国債(財務省証券)買入が実施された(財務省証券購入)。ヨーロッパでは、証券市場の機能不全に対処することなどを目的に、ECBによる証券市場プログラムにより、国債買入れが実施されている。英国では、マネーストックの増大を目的に、BOEは資産購入ファシリティによる国債買い入れを実施している(第3-1-20表)。
コラム3-2 公的年金基金の活用による国債消化<Captive market>
リーマンショック後に財政状況が悪化する中で、各国では、政府債務削減や公的資金注入の原資として、公的年金基金の資金を活用する事例がみられる。これにより、財政支出の原資は国債発行ではなく資産の取り崩しによって捻出されることとなり、見かけ上、財政状況の悪化を緩やかにし、また、国債需給の緩和や国債利回りの抑制を図ることができる(コラム3-2表)。
Reinhart, Kirkegaard and Sbrancia(2011)は、このような公的年金基金等を政府債務削減に充当させている事例が、複数あることを指摘しており、「Captive market(囚われの投資家)」と称している。
(3)実質金利のマイナス化
●米英独仏では短期国債の実質金利はマイナス化
以上のように、リーマンショック後に財政状況が悪化する中で、金融規制の変更や金融政策などにより、結果として、投資家が国債を保有するインセンティブを高め、国債を安定的に消化する仕組みが構築されてきた、との見方もできる。こうしたこともあり、財政状況の悪化にも関わらず、我が国等の国債利回りはファンダメンタルズよりも低く抑えられている、という見方もできる。
各国中央銀行の金融緩和政策が継続されていることが主因(アメリカやドイツでは外国投資家による「安全資産」への投資も要因)ではあるが、アメリカ、ドイツ、フランス、英国ともに実質金利(各国FBレートをCPIにより実質化)はマイナスになっている。実質金利がマイナス化している国では、実質的な政府債務残高の削減が可能である(第3-1-21図)。
なお、我が国においては、1990年代半ば以降、デフレ状況にあるが、名目金利にはゼロという下限があるために、実質金利は基本的にプラスになっている。デフレは実質的な政府債務残高にはマイナスの影響を持っていると言えよう。ただし、名目金利が低いこと自体は、利払費の低下を通じて政府債務残高を抑制している。
このように、国内資金の「制度的な封じ込め」が生じていると考えられる。Reinhart, Kirkegaard and Sbrancia(2011)では、こうした実質金利の抑制あるいはマイナス化を促す政策は、ブレトンウッズ体制下でみられた「金融抑圧(financial repression)」に似ていると指摘している34,35。
コラム3-3 我が国のブレトンウッズ体制前後の実質金利の変化
ここでは、ブレトンウッズ体制下でみられた「金融抑圧(financial repression)」を、我が国の例で確認する。我が国の実質金利は、ブレトンウッズ体制下の1960~70年代を中心に、0%付近で推移し、一時的にマイナス金利になっていた(コラム3-3図)。
第二次世界大戦後の復興過程では、資本・為替規制、金利規制、業務規制等、あらゆる面で金融規制が課されていた。金利規制については、「臨時金利調整法」(1949年)に基づく大蔵省告示などにより、預金金利・貸出金利の最高限度が定められていた36。さらに、資本・為替規制では、「外国為替及び外国貿易管理法」(1949年)、「外資に関する法律」(1950年)及び関連政省令等により、①輸入は政府による承認制(輸入に係る外国為替予算制度<輸入金額・品目を規制>)②外国為替・資本取引の原則禁止・例外自由37、③外貨集中制38、④為替管理機構としての外為銀行(東京銀行)の活用など、民間資金が国内で循環する仕組みが確立された。こうした規制により、1960年代の高度成長期も実質金利は低水準で推移してきたとみられている。
その後、1971年のニクソンショックを機にブレトンウッズ体制が崩壊し、徐々に変動相場制に移行する国が増えていくと、経済活動のグローバル化が進展していったこともあり、資本移動のさらなる自由化等、金融自由化(金利自由化など)の流れが世界各国で進展した。
我が国においても、金利規制については、1979年の譲渡性預金の販売開始以降、国債の流通市場が形成される(後述)ことなどを通じて、段階的に緩和されていった。特に、1985年の日米円・ドル委員会において「定期預金金利の撤廃」が議論され、「市場アクセス改善のためのアクション・プログラムの骨格」(1985年)にて、1987年までには大口預金金利の緩和及び撤廃を実現する方針が策定された。それ以降、MMC(最低預入金額5,000万円以上)の導入(1985年)、小口MMC(スーパーMMC:最低預入金額300万円)の導入(1989年)、貯蓄預金の導入(1992年)と順次規制は解除され、最終的には、1994年の流動性金利(当座預金以外)の完全自由化をもって、預金金利の自由化は完了した。
資本・為替規制については、1960年の「貿易為替自由化計画大綱」にて為替の経常取引の2年以内の原則自由化が掲げられたことをきっかけに、順次規制緩和がなされていった。1964年のIMF8条国移行のタイミングで、外貨予算が廃止され、原則として経常取引に関する為替取引は自由化された。1972年には、外貨集中制度が廃止され、居住者の外貨保有が自由化された。1979年の外為法の全面改正により、対外・対内証券投資などを事前届出制とするなど、資本取引について、原則禁止から原則自由の体系に大きく変更されることとなった。最終的には、1997年の外為法の改正により、資本取引についての許可・事前届出制を原則廃止し、事後報告制に変更することや外為業務の自由化などが盛り込まれ、資本・為替規制についての自由化が達成された。
こうした規制の解除は実質金利の上昇に影響を与えたと考えられるが、加えて、オイルショックを経て安定成長期に移る中で、1975年以降の国債大量発行をきっかけに国債流通市場が形成されることにより、国債が市場で取引されるようになったことが、我が国の実質金利の上昇に大きく寄与した。
この前後の動きを見ると、1970年代前半以前には、国内で発行された国債は、銀行を中心としたシンジケート団によって引き受けられ、銀行等が保有することで消化されていた(シ団引受)。この時期には、実質金利は0%付近で推移しており、新発債の発行利回りは、低位抑制されていた。銀行等が引受けた国債は、日本銀行が実施する「国債買いオペ」に引受後1年程度で入れることができたこと39から、国債流通市場がなくとも、国債を引き受けるリスクは小さく、保有期間1~2年程度で年7%程度の利回りを確保できた。そのため、銀行等の引受インセンティブは高かったと考えられる。
しかし、1975年以降の国債大量発行が始まると、日本銀行の「国債買いオペ」が吸収する量を上回るペースで国債が新規発行されたことから、引き受けた国債は必ずしも日本銀行に買い取られることがなくなり、銀行等の保有国債残高は急増することとなった。このように、国債引受にリスクが伴うようになり、銀行等の引受インセンティブは低下した。そのため、国債の円滑な消化が課題となった。こうしたことから、国債の円滑な消化と国債の流動化(他の金融機関や機関投資家への売却)を企図して、1977年4月以降、銀行等保有国債の売却制限が徐々に緩和された。こうして、国債大量発行を背景に国債の流通市場が形成された結果、国債の価格及び金利は市場取引の中で決定されることとなった。
国債流通市場が形成されていくと、前述した金融規制(金利規制等)の影響や財政負担の軽減を企図して低位抑制されていた新発債の発行金利は、流通利回りに即して弾力的に変更されるようになった。加えて、1978年6月の3年債の公募入札開始以降、短中期債を中心に他の年限についても国債の公募入札が実施された。
こうしたことから、経済状況が大きく変化し実質金利が上昇する中、国債は市場実勢価格で取引されるようになっていった。
このように、ブレトンウッズ体制下では、直接的な金融規制により実質金利を抑え込んでいた点で「金融抑圧」と言われているが、現在では、リスク管理の強化や金融システムの安定等を目的とした金融規制が、副次的に国内資金を「封じ込め」ている点で異なる。