第1章 大震災後の日本経済 第2節

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第2節 物価の動向と金融資本市場

本節では、最近の物価動向と金融資本市場の動きについて検討する。物価動向については、マクロ的な需給の動向や人々の期待物価の変化を中心に、デフレ状況の緩和に向けた動きを点検するとともに東日本大震災による影響を検討する。また、構造的かつ国際的な視点から、人口構造の変化とデフレの関係を実証的に整理する。金融資本市場については、短期的な動きとして東日本大震災後のマーケット動向、中長期的な傾向として、貸出の減少とマネーストックの伸びの鈍化について議論する。

1 物価の現状

最初に、物価動向について過去1年程度の動きを検証し、デフレ状況が改善に向かっているかを検討する。その上で、最近の物価動向を巡る議論の特徴として、我が国の人口構造の変化に着目した議論が多くなっていることを踏まえ、人口構造、特に生産年齢人口の減少とデフレの関係について考え方を整理する。

(1)物価の動向と需給ギャップ

以下では、消費者物価の最近の動向を検討し、デフレ状況に変化の兆しが見られるかどうかを調べる。また、マクロ的な需給ギャップを表す各種の指標と物価上昇率の関係を分析し、物価予測指標としてのGDPギャップの有用性について議論する。

(物価下落のテンポが緩やかに)

物価の基調的な動きを捉えるため、消費者物価の「生鮮食品、石油製品及びその他特殊要因を除く総合(コアコア)」の動きを見ると、2010年初めを底に下落幅が徐々に縮小しており、2011年には前年比-0.5%を下回るマイナス幅まで縮小している19第1-2-1図(1))。幅広い品目で価格の下落幅が縮小しており、2009年以降のデフレの特徴であった対個人サービス価格の下落についても、最近は下落テンポが緩やかになっている。特定品目の価格ではなく、全般的な物価の下落テンポが緩やかになっており、デフレ状況に変化の兆しが見え始めていた。なお、2010年10月以降、公共料金が前年比プラスとなっているが、これは、傷害保険料の引上げという制度要因が反映されている。

次に、最近の下落テンポ緩和の特徴を探るため、購入頻度別の消費者物価(帰属家賃を除く総合。ただし、高校授業料とたばこを除く)の動向を見ると、2010年における下落幅の縮小は購入頻度が比較的高い品目の価格上昇によってもたらされている(第1-2-1図(2))。特に、年間の購入頻度が9回~15回未満の品目(電気代やガソリン、食料品などが含まれる)の押上げ寄与が目立っており、原油価格上昇等の影響が表れている。また、パソコンやテレビ等の耐久財が多く含まれる購入頻度の低い品目についても、下落基調は続いているものの、下落テンポは緩やかになっている。一般物価のデフレ基調は続いているが、消費者が物価下落を実感する機会は少なくなっているといえよう。後述するが、実際、家計の期待物価についても高まりが見られている。

また、基礎的支出(支出弾力性が1未満の品目)と選択的支出(支出弾力性が1以上の品目)に分けて消費者物価の動向を見ても、2010年半ば頃から、基礎的支出の物価が前年比で上昇に転じており、食料品やエネルギーといった購入頻度の高い生活必需品の価格が上昇していることが確認できる。ここにも世界的な資源価格の上昇が反映されている。なお、選択的支出の物価についても、前年比下落を続けているものの、高校授業料による下落を除いて考えれば、マイナス幅は徐々に縮小している。デフレ基調は継続しているが、物価下落のテンポは着実に緩和しているといえる。

  1. コアコア指数は、内閣府経済財政分析担当が消費者物価の基調的な動きを捉えるために試算している指標であり、消費者物価の生鮮食品除く総合(コア)から、石油製品、電気・都市ガス代、米類、切り花、鶏卵、固定電話通信料、診療代、介護代、たばこ、公立高校・私立高校授業料を除いたもの。したがって、2010年4月の高校授業料の実質無償化や同年10月のたばこの値上げの影響は、コアコア指数に反映されない。

(物価の景気感応度は2000年代半ばに低下)

それでは、物価下落テンポの緩和は、マクロ的な需給状況の変化に沿ったスピードで進んでいるのだろうか。需給状況をGDPギャップで測れば、2009年1-3月期を底にGDPギャップのマイナス幅は縮小傾向を続けている(第1-2-2図(1))。過去の経験則によると、GDPギャップの変化は、1年程度の遅れを伴って物価上昇率の変化につながる傾向にある。今回においても、消費者物価(食料及びエネルギーを除く)では、GDPギャップの縮小開始1年後の2010年1-3月期を底に下落幅の縮小が始まっており、GDPギャップと物価上昇率の間の時間的関係は保たれている。問題は、GDPギャップの変化に対する物価上昇率の変化の度合い、いわば物価の景気感応度も過去と同程度に保たれているかである。

この点を見るため、消費者物価の前年比変動率を4四半期前のGDPギャップで説明する式を期間ごとに推計し、GDPギャップが1%ポイント変化するときの消費者物価の変化率(物価の景気感応度)が期間によってどのように変化しているかを比較してみよう(第1-2-2図(2))。結果を見ると、物価の景気感応度は90年代末から2000年初めにかけてはおおむね安定的に推移していたが、2002年頃から感応度が低下し始め、2008年から2009年においては物価の景気感応度が0.1前後にまで低下した。GDPギャップが1%ポイント改善しても、物価は前年比0.1%程度の押上げにしか寄与しないことになる。ここでの物価は食料品とエネルギー価格を除く基調的な動きを推計の対象としているが、2000年代半ば以降においては、原油価格や穀物価格の上昇など国内の景気要因とは別の要素を起点として、物価の基調的な動きが規定されることが多く見られた。このことがGDPギャップの変動に対する物価の感応度を弱めた可能性が指摘できる。

しかし、物価の景気感応度は2009年末以降に再び上昇に転じている。リーマンショック後の大幅な景気変動を背景に、物価が再び景気要因によって変動する度合いを強めていることが示唆される。

(国内需給に対する物価感応度も2000年代半ばに低下)

以上の傾向は、GDPギャップ以外の需給ギャップ指標についても当てはまるのだろうか。単に、GDPギャップの物価説明変数としての性質が弱まっているだけであれば、予測に当たって需給要因を表す他の指標を用いることも考えられる。

ここでは、GDPギャップに替わる指標として、日本銀行「全国企業短期経済観測調査」の国内需給判断DI、設備過剰感と雇用過剰感の加重平均DIを用い、物価変動をどの程度説明できているかを見てみよう。GDPギャップと比較すると、国内需給判断DIは内需に特化した需給バランスを表し、設備過剰感と雇用過剰感の加重平均DIは生産要素の需給バランスを端的に表していると捉えることができる。ただし、いずれの指標も企業の判断DIであり、「過剰」、「不足」といった選択肢に基づくため、リーマンショックのような大規模な経済変動が起きた場合には、GDPギャップのように量的な変化を表現しきれない点には留意する必要がある。

結果を見ると、国内需給判断DI、設備・雇用過剰感DIで物価変動を推計しても、GDPギャップによる推計と同様、2000年代半ばに物価の景気感応度は低下している。また、景気感応度とともに物価変動に対する説明力も低下しており、特に、国内需給判断DIにおいては、2003年から2009年までの期間、物価変動に対する説明力を失っている。デフレ基調の背景としてしばしば内需の弱さが指摘されるが、この結果を見る限り、内需だけでは近年のデフレ傾向を説明することは難しい。物価動向を予測するに当たっては、GDPギャップのようなより総合的な需給ギャップ指標を利用した方がよさそうである。また、両指標において、2010年に入り再び物価変動を説明する力が回復している点は、GDPギャップと同様である。

これらを踏まえると、GDPギャップが物価変動を説明する指標としての優位性を失っているのではなく、2000年代半ば以降の物価変動が、需給要因以外の要素により大きく影響を受けていたと考えることが適切ということになる。

コラム1-4 消費者物価の基準改定の影響見込み試算

2011年8月に消費者物価指数は2010年基準に改定される。5年前の2005年基準への改定時には、前年比で平均-0.5%ポイント程度の下方改定が行われた。デフレ状況の緩和あるいは脱却に向けた進展を見る上で、決して無視できない改定幅といえる。本報告書公表後に総務省統計局から基準改定による影響が正式に発表されるものの、現時点での限定的な情報の下で機械的な試算を行い、ある程度のイメージを予め掴んでおくことは有用であろう。

現時点で把握できる品目の入れ替えや、指数の基準時を2010年に変更することの算術的な効果(指数のリセット効果)を踏まえ、消費者物価のコアとコアコア指数を試算すると、2011年1~6月の前年同期比は平均で-0.7~-0.8%ポイント前後の押下げ効果が見込まれる(コラム1-4図)。モデル式の変更等その他の基準改定に伴う影響を捨象しているため、単純な比較はできないが、5年前の基準改定と同様に下方改定が見込まれる試算結果となった。

(2)期待物価、物価下落予想の変化

物価動向を規定する要素として、需給ギャップとともに重要な要素は人々の期待物価上昇率の変動である。将来的な期待物価上昇率が安定していれば、例えば一時的に石油価格が上昇しても他の価格には波及しにくく、物価全体としてはインフレになりにくい。逆に、人々が物価下落の長期化を予想すれば、需給状況が改善しても最終価格への価格転嫁は難しく、デフレ傾向は改善し難い。すなわち、デフレ脱却のためには人々の期待物価自体を安定的なプラスにする必要がある。以下では、期待物価の動向とデフレ状況について見ていこう。

(各種の期待物価は2010年に下落幅を縮小)

まず、各種の期待物価上昇率の変化を確認しよう。家計、企業、エコノミスト、金融市場参加者(物価連動債と名目債の利回り格差に基づくブレーク・イーブン・インフレ率)それぞれの期待物価上昇率の最近の動きをプロットすると、どの指標でも2010年は下落幅の縮小が見られる(第1-2-4図)。

なかでも、家計の期待物価上昇率は、2011年1-3月期にプラス、エコノミストについてはゼロとなっている。両指標とも調査時点を始点とした1年間の期待物価上昇率を表しており、その点でいえば、2011年中に物価下落が止まると予想していることになる。こうした人々の物価に関する期待形成が、デフレ状況の緩和に寄与することが期待される。

また、ブレーク・イーブン・インフレ率の動向を見ても、2011年1-3月期でも依然としてマイナスではあるが、下落幅は着実に縮小してきており、特に、2010年秋頃の景気の足踏みでいったん縮小テンポが鈍化したものの、直近では再び下落幅が縮小し始めている。後述するが、今後、東日本大震災の影響が期待物価上昇率にどのように織り込まれていくか注視していく必要がある。

他方、企業の期待物価上昇率については、下落幅の縮小テンポが2010年後半以降、鈍っている。企業の期待物価は算出上1年後ではなく3か月後の期待物価上昇率を捉えているため、足下の景況感をより敏感に反映している可能性がある。また、一次産品を始め輸入価格が上昇傾向にあるなかでも、企業の期待物価(販売価格の予想)は下落を続けていることから、企業は、販売価格への転嫁が難しく収益環境が圧迫されると予想していることになる。

(物価上昇を予想する家計が増加)

次に、内閣府「消費動向調査」による家計の物価見通し(「あなたの世帯が日ごろよく購入する品物の価格について、1年後どの程度になると思いますか」との質問への回答)を利用して、家計の期待物価の動きをやや仔細に検討しよう。

生鮮食品を除く消費者物価総合(コアCPI)と石油製品、その他特殊要因を除く総合(コアコアCPI)の前年比の動向と、物価予想DI(消費動向調査での物価見通し「上がる」-「下がる」)、期待物価上昇率(消費動向調査の回答結果の加重平均)を並べてみると、期待物価上昇率はコアコアCPIの動向と方向性がよく似ていることが分かる(第1-2-5図(1))。家計へのアンケート調査による期待物価の計測においては、1%程度の上方バイアスがあることが知られており20、その点を考慮すれば、両者はおおむね等しい動きをしているといえる。我が国の消費者は、生鮮食品や石油製品などの一時的な変動が生じやすい価格動向よりも、物価の基調に沿った期待形成をしていると捉えることができる。

(バイアスを調整していない)期待物価上昇率は、2010年以降高まりが見られる。景気が足踏みに入った2010年秋頃にいったん横ばいになったものの、2011年に入ってからは再び上昇に転じている。特に、2月と3月は比較的大幅な上昇となった。中東・北アフリカ情勢の不安定化等による原油価格の上昇、さらに3月の東日本大震災直後のガソリン価格上昇等が背景として考えられる。実際、この期間における期待物価上昇率は、これまでの傾向と異なり、コアコアCPIよりも石油製品を含むコアCPIの動きに近い。石油製品価格の動きに一時的に反応している可能性があり、また、4月末から原油価格が下落したことや震災後のガソリン価格上昇に落ち着きが見られることも踏まえれば、こうした期待物価の上昇は一時的にとどまることも考えられる21。震災後の期待物価に基調的な変化が生じているか見極める必要がある。

家計の物価予想の分布を見ると、2010年4-6月期以降、「-2%未満」との物価下落予想の回答が減少する一方、「2%未満」の物価上昇予想が増加している(第1-2-5図(2))。デフレ予想世帯が減少するとともに、緩やかな物価上昇予想世帯が増加していることになる22。また、2011年3月においては、「0%程度」と横ばいを予想する世帯が減少し、「2%以上~5%未満」、「5%以上」の比較的高い物価上昇予想世帯が増えている。2010年春以降、人々のデフレ予想がインフレ予想に転換した可能性がある。以下では、「消費動向調査」の個票を用いて、家計がデフレ予想からインフレ予想にどのように変化したか、また、どのような経済状況に反応してデフレ予想が緩和したかを検討してみよう。

  1. 前掲第1-2-4図の家計の期待物価上昇率では、こうした上方バイアスを調整した値を算出して掲載した。詳細は「日本経済2010-2011」(内閣府政策統括官室(経済財政分析担当))第3章を参照されたい。
  2. 東日本大震災前後の石油製品価格の動向については、コラム1-5参照。
  3. デフレの定義は「持続的な物価下落」であるが、以下では、便宜的に、今後1年間の物価下落予想をデフレ予想、物価上昇予想をインフレ予想と呼ぶ。

(2009年末にインフレ予想からデフレ予想に転換した世帯が多い)

個票データを利用すると、各世帯の回答の変化を継続的に捉えることができる。ここでは、各世帯の物価見通しについて、前月に「下がる」と回答し、当月に「上がる」と回答した世帯を「インフレ予想への転換世帯」、前月に「上がる」と回答し、当月に「下がる」と回答した世帯を「デフレ予想への転換世帯」と定義し、それぞれ物価予想を転換した世帯が全体に占める割合を見ることで、物価予想の転換がどのようなタイミングで起きたかを探ってみよう(第1-2-6図)。なお、「消費動向調査」は毎月サンプル世帯の入れ替えが行われるため、同一世帯の継続調査となるよう2か月連続で物価見通しを回答した世帯数を分母にして割合を算出した。

最初に、デフレ予想への転換世帯の割合を見ると、2009年12月に大きな突起があることが分かる。前月まで物価が上がると予想していた世帯の8%程度が、2009年12月に物価が下がると予想を転換した。調査基準日は毎月15日であることから、2009年11月後半から12月前半にかけて、家計のインフレ予想をデフレ予想に転換する出来事が起こったことになる。一つ考えられるのは、同年11月下旬のいわゆるドバイショックとその後の円高・株安、金融資本市場の不安定化が家計のデフレ予想を促した可能性が指摘できる。また、消費者物価の下落が半年以上続くなかで、政府が同年11月の月例経済報告において、持続的な物価下落、「緩やかなデフレ状況」と判断したことが、足下の物価下落の継続性を家計にも広く認知させた可能性も指摘できよう。

他方、インフレ予想への転換については、2010年1月にインフレ予想への転換世帯が増加している。デフレ予想への転換が大きく生じた翌月に、インフレ予想への転換が生じていることになるが、これは金融政策が期待に影響を及ぼした結果という見方もできる。日本銀行は2009年12月1日に固定金利オペの導入(固定金利方式の共通担保資金供給オペレーション(期間3か月)の導入、10兆円規模)、同月18日に「中長期的な物価安定の理解の明確化」の公表など、緩和的な金融政策スタンスを明確に示した。こうした金融政策による金利低下を背景に、2010年1月には円高・株安に一服感が見られた。こうしたことが、インフレ予想への転換を促した可能性がある。後述するが、株価動向と物価予想の転換には統計的にも正の相関が観察されている。

(資産価格の将来予想が一般物価に関する期待形成に影響)

次に、統計的手法を用いてインフレ予想への転換とデフレ予想への転換をもたらした要因を探ってみよう。「消費動向調査」の質問事項の中に、今後半年間の「暮らし向き」や「収入の増え方」、「所有株式・土地の資産価値」といった将来予想を聞く質問項目がある。これらの回答と前述のインフレ予想への転換、デフレ予想への転換の関係を統計的に検証する。結果を見ると次のような点が指摘できる(第1-2-7図)。

まず、インフレ予想への転換と有意な正の関係がある項目としては、株式・土地の「資産価値」、有意な負の関係がある項目としては、「耐久消費財の買い時」がある。逆に、デフレ予想への転換と有意な正の関係がある項目としては、「暮らし向き」と「耐久消費財の買い時」、有意な負の関係がある項目としては、「資産価値」がある。他方、「収入の増え方」と「雇用環境」については、インフレ・デフレどちらの予想への転換に対しても有意な影響は観察されない。

これらを解釈すると、暮らし向きの改善とデフレ予想の相関については、家計は、物価が下落することによって暮らし向きが良くなると考えている可能性がある。また、耐久消費財の買い時が今後良くなるとの回答とデフレ予想も共存しており、物価下落予想が耐久消費財の購入を先延ばしするインセンティブになっていることが示唆される。

他方、所有株式・土地の資産価値との関係については、資産価値が増加すると見込む世帯はインフレ予想に転換しやすく、資産価値が低下すると見込む世帯はデフレ予想に転換しやすい傾向が表れている。株価や地価といった資産価格の上昇は、インフレ期待の醸成を通じて、一般物価の下落圧力を緩和する可能性が示唆される。もっとも、資産価格は貨幣的な要因に加え実体経済の成長を先取りすることで形成される側面がある。適切な金融政策の実施とともに期待成長率を高めていくことで、結果として資産価格経由の好影響も期待することができよう。

コラム1-5 東日本大震災前後の石油製品価格の動向

東日本大震災直後、石油生産施設の被災等により、ガソリンや灯油など石油製品価格が一時的に上昇した。実際、東北地方のガソリン価格は、震災後に全国平均を超える上昇となった。こうした石油製品の動きは期待物価上昇率の高まりにも寄与していると見られる。しかし、石油製品価格は中東・北アフリカ情勢の不安定化等を背景に震災前から上昇傾向にあり、むしろ震災後2週間程度で上昇傾向は止まっている(コラム1-5図)。東北地方のガソリン価格についても、供給制約の緩和とともに全国平均とのかい離が徐々に縮小、5月末以降は全国と同水準となっている。また、国際的な原油価格は4月末から下落し、5月半ばには震災前の水準以下となっており、石油製品価格についても落ち着いた状態が続いている。

2 人口動態と物価

我が国のデフレ基調が続くなか、マクロ的な需給要因だけでなく、より構造的な要因として、人口構成の変化、特に生産年齢人口の減少に着目する議論が増えている。例えば、生産年齢人口の減少が生産年齢世代の旺盛な消費需要の減少に結び付くこと、また、成長期待の低下を通じて企業の設備投資需要が減退することから、生産年齢人口の減少によってマクロ的な需要不足が長期化し、デフレの原因になっているとの指摘がある。こうした点を踏まえ、以下では、デフレと人口構造の変化の関係について、複数の視点から検討する。

(1)物価下落と生産年齢人口減少の併存

デフレと生産年齢人口の減少を結びつける議論を解釈すれば、生産年齢人口の減少を労働投入の減少という供給サイドの抑制要因と見るだけでなく、需要面を抑制する要因と捉え、かつその影響が供給抑制以上に大きいと見ていること、すなわち生産年齢人口の減少が需要不足を拡大すると見ていることが特徴といえる。その際、短期的な需給ギャップの変動とは分けて、基調的な需要不足の要因と見ていることも特徴である。以下ではこうした特徴を踏まえ、経済データから検証する。

(生産年齢人口の減少と物価下落が併存している国は日本だけ)

議論の出発点として、そもそも生産年齢人口の変化率と物価上昇率の間に、統計的に有意な関係が認められるかどうかを確認することから始めよう。その際、我が国だけを議論の対象とするのではなく、国際的な比較を行うことでより一般的な事実を探るように努める。そうすることにより、我が国の置かれた状況もより明確になることが期待される。

最初に、できるだけ幅広い国が対象となるよう、日本を含む先進国(OECD諸国)と新興国(ブラジル、ロシア、インド、中国(BRICs)、シンガポール、香港)を対象に、生産年齢人口の変化率と物価上昇率の関係を単純にプロットしてみよう。結果を見ると次のような点が指摘できる(第1-2-8図)。

まず、90年から2010年にかけて、生産年齢人口の変化率と物価上昇率の間には明確な相関関係は確認できない。95年以降、日本のほかに、イタリアやドイツ、ハンガリー等において生産年齢人口の減少が見られたが、同時に物価下落が生じた国は日本だけである。また、2000~2005年においては、香港でも物価下落が生じているが、生産年齢人口はプラスとなっており、生産年齢人口の減少が物価下落の必要条件ということもいえない。当時の香港では、不動産バブルの崩壊が生じており、資産価格の下落とともに一般物価も下落した。生産年齢人口といった経済社会構造ではなく、経済状況そのものの変動が物価下落をもたらしたと考えられる。

次に、2005年から2010年における関係を見ると、統計的には有意ではないが、傾向線としては、緩やかな正の関係、すなわち生産年齢人口の増加率が高い国ほど物価上昇率が高い傾向が観察される。その理由として、一つは新興国の経済成長率が近年世界的に高まったことが挙げられる。また、そうした高成長の新興国は、先進国に比べて人口構成が若く、生産年齢人口の増加率は高い。このため、生産年齢人口増加率と経済成長率には若干の正の相関に近い関係が表れてくると推測できる。ただし、生産年齢人口が減少している日本、ドイツ、エストニア、ハンガリーについては、物価上昇率はまちまちであり、5%を超える物価上昇率のハンガリーから物価下落の日本まで相当の幅がある。ここでも、生産年齢人口の減少と物価下落が併存しているのは我が国だけである。

こうした単純な相関関係を見る限り、生産年齢人口が減少しているからといってデフレになるとはいえない。生産年齢人口の減少が物価下落に結びつくための仲介的な、第三の要因があって初めて、我が国のような生産年齢人口の減少と物価下落の併存が生じていると考える方がよさそうである。

(物価下落の主要因はマクロ的な需要不足)

次に、生産年齢人口の変化率と物価変動率の関係について、やや分析的に調べてみよう。ここでは、データの制約から対象国をOECD諸国に限定したうえで、90年から2009年における全ての観察データを活用し、パネル分析を試みる。また、物価変動率を説明する変数として、生産年齢人口の変化率だけでなく、GDPギャップと1年前の消費者物価上昇率(物価上昇率の慣性や期待物価上昇率の代理変数とみなせる)を加え、物価変動に対する生産年齢人口の相対的重要性も確認する(第1-2-9図(1))。

推計した関係式に実績値を代入して寄与度分解すると、我が国の場合、GDPギャップのマイナスが物価上昇率の低さに最も寄与していることが分かる。生産年齢人口の寄与度については、生産年齢人口が増加している国が多いことから、ほとんどの国で物価に対してプラスに寄与しているものの、我が国やドイツ、ハンガリーにおいて、物価を押し下げる方向に寄与している。特に、我が国においては、生産年齢人口の減少幅が他国に比較して大きくなっていることが特徴である。しかしながら、それでもGDPギャップに比べると物価下落に対する寄与度は相対的に小さく、生産年齢人口の減少が物価下落を主導している要因とはいえない。この分析からは、生産年齢人口の減少は物価の基調を押し下げている可能性は指摘できるが、それだけで我が国がデフレになったわけではないということになる。

なお、生産年齢人口の変化率と消費者物価の変化率について、全ての対象国及び対象期間の値をプロットすると、右上がりの関係が観察できる(第1-2-9図(2))。ただし、生産年齢人口の増加率がゼロあるいは減少している国だけに限定すると、生産年齢人口と物価上昇率の相関は統計的に有意でなくなる。この単純な相関関係から見ても、生産年齢人口の減少が物価下落の主要因と捉えることには無理がありそうである。

こうした事実観察を踏まえ、次項では、生産年齢人口の減少と物価下落が同時に起こるメカニズムをより詳細に分析しよう。

(2)人口動態が物価に影響する経路

生産年齢人口の減少と物価下落に単純な相関関係は見当たらなかった。むしろ、生産年齢人口の減少と物価下落が同時に生じている日本が例外的な存在であった。以下では、生産年齢人口の減少が、実体経済の需要面と供給面のどちらにより大きく働きかけて、物価下落につながる可能性があるかという点について検証しよう。

(生産年齢人口比率と需給ギャップに相関は見られず)

最初に、OECD諸国を対象に、実体経済の需要面を表す指標としてGDPギャップ(現実のGDPと潜在GDPの差を潜在GDPで除した指標)、供給面を表す指標として潜在成長率を用いて、生産年齢人口と実体経済の需給両面の関係を確認する。ただし、GDPギャップは需給水準を表す指標であるため、これを生産年齢人口比率と比較することとし、他方、潜在成長率は変化率であるため、生産年齢人口の変化率と比較することとする。

結果を見ると、生産年齢人口比率とGDPギャップの間に統計的な関係性は見られない(第1-2-10図(1))。生産年齢人口を現役世代とみなせば、現役世代比率が低いからといって、経済が需要不足の傾向になるというわけではない。

他方、生産年齢人口の変化率と潜在成長率の間には正の相関が確認される(第1-2-10図(2))。潜在成長率は、経済の供給サイド、すなわち資本や労働の投入と技術進歩など全要素生産性によって規定される経済成長率である。そのため、生産年齢人口が変動すれば、労働投入量の変化を通じて直接的に潜在成長率が変動することになる。生産関数の想定にも依存するが、生産要素のインプット量の増減がアウトプットの増減に比例的につながる傾向が確認できる。

我が国に即して考えれば、生産年齢人口の減少は潜在成長率の引下げを通じて、中長期的な経済の供給能力を押し下げるが、それが必ずしも需要不足につながるとは限らないことになる。それでは、生産年齢人口の減少が需要不足につながるメカニズムとして、どのようなことが考えられるだろうか。

(生産年齢人口の将来予想が期待を通じて物価上昇率に影響する可能性)

ここでは、生産年齢人口の減少が、人々の期待形成を通じて需要の弱さにつながる経路を考えてみよう。例えば、企業は、将来の需要動向、すなわち成長予想に沿って設備投資計画を練ること、価格設定においては、将来の需要動向とともに人々の物価予想にも配慮しつつ、価格設定を行うことなどを想定する。将来的に生産年齢人口が減少する見込みであれば、こうした経路を通じて現実の物価上昇率も低いものになる可能性がある。

ここでは、将来的な生産年齢人口の見込みとして、国連による先行き5年間の生産年齢人口変化率の予想値を使い、期待成長率と期待物価上昇率にはOECDによる先行き2年間の実質GDP成長率予測と物価上昇率予測を用いる。これらの相関関係を確認すると、生産年齢人口が将来的に増加傾向にあると考えられる国では、期待成長率と期待物価上昇率はともに高まる傾向が認められる(第1-2-11図(1)(2))。

生産年齢人口の増加予想と期待成長率の高まりに相関があるのであれば、期待形成を仲介にして、生産年齢人口の増加が物価上昇圧力に結びついている可能性が指摘できる。すなわち、生産年齢人口の増加予想が期待成長率を高め、それを受けて企業が設備投資需要を拡大する。家計も将来の所得増加を予想することにより、消費や住宅需要が拡大する。こうした結果として、現実の需給ギャップがプラス方向に変化し、物価上昇圧力につながるという経路である。

生産年齢人口の将来予測と期待物価上昇率にも正の相関が認められる。期待物価上昇率の高まりは、それ自体が現実の物価上昇圧力につながりやすい。将来の物価予想と現実の物価上昇率は、特に基調的な動きに関して、密接に連動する傾向がある。また、ここでの相関関係を見ると、生産年齢人口の増加が見込まれる国では、将来の成長期待が高まるとともに、期待物価上昇率も高めになる傾向にある。こうしたことから、成長期待を通じた需要拡大と期待物価の両面から、現実の物価上昇圧力がもたらされている可能性が指摘できる。

生産年齢人口の減少は、期待形成を通じて、我が国の基調的な経済成長率や物価上昇率に影響を及ぼしている可能性がある。将来の生産年齢人口の減少は、経済的な予測を立てる場合に前提として受入れやすく、かつ、論理としても分かりやすい。しかし、人口は基調的な経済成長率に寄与する一要因にすぎない。人口以外の要因は、まさに「一人当たりの生産性」に集約される。この部分の持続的な上昇が展望できるような環境整備こそが、経済政策に期待される基本的な役割である。

3 金融資本市場と資金需要

以下では、最近の金融資本市場の動向について振り返る。視点は二つあり、一つは、短期的な動きとして、東日本大震災前後の株式、為替、債券市場の動向について、内外の大規模災害時の動向と比較する。二つ目は、中長期的な課題として、デフレ脱却に向けて重要となる金融機関の貸出動向について、資金需要と資金供給の両面から議論する。

(1)震災前後の金融資本市場の動き

東日本大震災発生後、株式市場や為替市場は短期的に大きな変動を経験した。ここでは、金融資本市場が大規模災害という外生ショックをどのように消化したかという視点から、今回の震災後の市場動向について、95年1月の阪神・淡路大震災前後、アメリカにおける2005年8月末のハリケーン・カトリーナ上陸前後と比較し、その特徴を議論する。

(短期的な株価変動は阪神・淡路大震災後を大きく上回る)

東日本大震災発生後、日経平均株価は大きく下落した。地震が3月11日(金)の市場取引終了直前(午後2時46分頃)に発生したことから、マーケットは週明けに、週末に明らかになった甚大な被害状況等の情報も含め、震災の影響を消化することになった。週明け月曜日(14日)の日経平均株価(終値)は震災前の10日に比べて8%の下落、火曜日(15日)には震災前比18%の大幅な下落となった。

こうした短期間での急落は、阪神・淡路大震災時と比べても大幅であった(第1-2-12図(1))。東日本大震災の被害規模や範囲の広さに加え、原子力発電所における事故といった今回の震災に特有の不確実要因が、株式市場の下押し圧力になったと見られる。なお、アメリカの株価動向(ダウ工業平均)を見ると、ハリケーン・カトリーナの上陸に対して大きな反応はしていない。当時のアメリカは順調な景気拡大が続いていたことに加え、被災したメキシコ湾岸が石油施設の集積地ではあったものの、その経済的な影響は限定的なものにとどまると見られていたことが示唆される。例えば、2001年9月のニューヨークとワシントンDCにおける同時多発テロの直後では、ダウ工業平均株価は1週間で10%を超える下落を示した。大規模災害後のマーケットにおいては、その規模とともに地理的な影響の広がりを内外の市場参加者がどう予想するかといった点が重要となろう。

次に、同様の比較を月単位で見ると、今回の株価下落は比較的短期間で収まったことが分かる(第1-2-12図(2))。阪神・淡路大震災後は、急激な円高(ドル安)もあり、株価は震災後6か月程度の間、下落基調を続けた。それに対し、東日本大震災後の株価は震災直後の1か月程度は下落したものの、その後はおおむね横ばい傾向で推移している。

また、株価変動の大きさをヒストリカル・ボラティリティで測ると、今回の震災後の変動は、阪神・淡路大震災やハリケーン・カトリーナ後の変動に比べて際立って大きな変動となっている23第1-2-12図(3))。株価の振幅がマーケットにおける不確実性の高まりを表現していると考えれば、今回の震災の特徴として、サプライチェーン寸断の影響、原子力発電所の事故に伴う電力供給制約の問題や放射能被害、さらに風評被害などに起因する震災後の経済的な不確実性の高まりを挙げることができる。

  1. ヒストリカル・ボラティリティは過去の一定期間の価格変動を表す指標。ここでは、過去20日間(1か月相当)の日経平均株価の日次変化率の標準偏差を年率換算した値を使用。

(為替レートは一時的に円高に振れた後、安定化)

次に、為替レートの動向について見てみよう(第1-2-13図)。東日本大震災後、円ドルレートは円高方向に推移し、3月17日早朝には海外市場で一時76円25銭の史上最高値を更新した。その後、為替市場への欧米諸国との協調介入もあって円高傾向は反転し、震災前の水準に戻ったものの、円市場は震災後1週間程度不安定な動きを続けた。急激な円高の背景としては、保険会社を始めとする日本企業が震災後の保険金支払い等のために外貨建て資産を売却し、円建て資金を確保するとの思惑、さらに、95年の阪神・淡路大震災後に円高が進んだことから今回も円高になるとの思惑等から、海外投資家を中心に円が買われたことなどが指摘される。しかし実際には、巨大災害に備えた準備金の存在や再保険の制度があることなどから、外貨建て資産を売却しなくても、本邦保険会社は十分な支払い余力を有しており、実際に外貨建て資産を売却しているとの事実もなかった24。投資家の思惑によって為替市場に過度の変動がもたらされた例といえる。

これを月単位で見ると、東日本大震災後の円ドルレートはおおむね安定して推移しており、むしろ、阪神・淡路大震災後の方が急激な変動を示している。震災後3か月程度経過した後一時80円を超える円高(4月19日に一時79円75銭)となり、その後半年程度かけて震災前の水準に戻している。こうした阪神・淡路大震災後の円高傾向が想起され、今回も円買いに向かった海外投資家がいたと指摘される。しかし、当時は94年12月からのメキシコ通貨危機によるドル資産からの資本逃避、アメリカ財政赤字の拡大懸念といったドル安要因が、円高ドル安の背景にあった。一部の市場参加者は阪神・淡路大震災と円高を単純に結びつけた行動を今回の震災後に取った可能性がある。

  1. 例えば、社団法人日本損害保険協会会長ステートメント(2011年3月17日)。

(一段の金融緩和により、短期金利はさらに低下、長期金利は安定して推移)

東日本大震災後、日本銀行は、被災地への現金供給など金融・決済機能の維持に向けた取組に加え、金融市場の安定確保のための大量の資金供給オペレーション、さらに景気下振れリスクへの対応として、コマーシャルペーパー(CP)や社債等のリスク性資産を中心とした資産購入等基金の増額による一段の金融緩和を行った。

こうした動きを受け、市場の短期金利は低下した。無担保コールレート(オーバーナイト物)は東日本大震災直後から0.1%を下回る水準に低下している(第1-2-14図(1))。同レートの誘導目標は、震災前から0~0.1%程度と変更はないものの、上記のような金融緩和の一段の強化を受け、市場レートがさらに低下したことになる。他方、阪神・淡路大震災後においては、短期金利はほとんど変動していない。短期金利の動向から推察すれば、阪神・淡路大震災は被災地に対して甚大な被害を与えたものの、被災地以外を含めたマクロ経済に与える影響は限定的であると理解されていた可能性が指摘できる。実際、政策金利(公定歩合)が変更されたのは、震災発生から3か月程度後であり、その目的も、震災対応というよりも、急激な円高の進行に伴う景気悪化懸念への対応という側面が強かった。

東日本大震災による経済的影響は、各種供給制約を通じて被災地のみならず広く全国に及ぶ影響を与えている。こうしたマクロ的な景気の下押し圧力を震災直後に判断し、一段の金融緩和を行ったことは適切な対応であったと考えられる。さらに、震災後3か月程度が経過し、東日本大震災の影響により、実際に景気は弱い動きとなっていること、先行きについても、サプライチェーンなど各種供給制約の改善の遅れによる景気の下振れリスクが存在していることを踏まえれば、金融政策による経済の下支えは引き続き必要である。今後とも、政府・日本銀行は緊密な連携を保っていく必要がある。

長期金利の動向を見ると、東日本大震災後の金利動向は比較的安定して推移した(第1-2-14図(3))。阪神・淡路大震災後は、震災後数か月して長期金利が低下傾向を示しているが、これには95年4月の政府の「緊急円高・経済対策」と同日に決定された公定歩合の引下げ(0.75ポイント引下げて1.0%に)、同年7月のオーバーナイト・コールレート誘導目標の引下げ(0.75%)といった金融緩和政策が寄与している(第1-2-14図(2))。今回は、震災後に潤沢な資金供給オペレーションを行ってはいるものの、すでに実質的なゼロ金利政策下にあることから、長期金利の低下余地は相対的に少ない。逆にいえば、震災後の復旧・復興のための資金需要が予想されるなかでも、長期金利は抑制されて推移しているともいえる。なお、アメリカにおいてハリケーン・カトリーナ上陸後に長期金利は上昇傾向を示している。当時、アメリカの連邦準備制度理事会(FOMC)は2004年夏から段階的に政策金利(FFレート)を引き上げている途中にあり、カトリーナ災害が起きても、従前の引上げペースを維持し、2006年央まで金利引上げを行った。カトリーナ被害は、エネルギー価格上昇とも相まって、一時的な景気下押し要因と捉えられたものの、金融政策の変更をもたらすような持続的な下押し圧力にはならないと認識されたことがこの背景にある。

最後に、マーケットの期待物価上昇率を示すブレーク・イーブン・インフレ率を確認すると、東日本大震災直後に一時的にマイナス幅が縮小したものの、震災後3か月程度は-0.3%前後で安定的に推移している(第1-2-14図(4))。ブレーク・イーブン・インフレ率は、震災前の景気の持ち直しとともにマイナス幅が縮小傾向にあったが、景気の足踏みとともにいったんマイナス幅が拡大していた。その後、東日本大震災後にやや期待物価に上昇圧力がかかったが、ならして見れば、比較的安定した動きとなっている。

(中央銀行による潤沢な資金供給が金融部門の外に波及せず)

中央銀行による潤沢な資金供給は金融市場の安定に寄与している。その一方で、デフレとの関係を考える場合、中央銀行による資金供給が金融部門の外にも行き渡り、経済全体の資金循環が活発化することが重要である。こうした視点から、中央銀行による資金供給量を示すマネタリーベース、金融部門から経済全体に供給されている通貨総量を示すマネーストック(M2)の動き、そして経済取引量を表す名目GDPの動向について、日米を比較しつつ見てみよう(第1-2-15図)。

通常時であれば、これら3つの経済指標動向に大きな違いはなく、おおむね似通った動きを示す。すなわち、貨幣乗数(マネタリーベース1単位当たりのマネーストック量)や貨幣の流通速度(マネーストック1単位当たりの名目GDP)は安定的に推移することが多い。しかし、リーマンショック後の大幅な金融緩和や我が国における2000年代前半の量的緩和政策時においては、中央銀行によるマネタリーベースの増加が金融部門から先につながらず、貨幣乗数は低下している。特に、リーマンショック後のアメリカにおけるマネタリーベースの拡大は大規模であり、マネーストックの増加率を大きく上回っている(貨幣乗数は大きく低下)。

我が国においても、2001年の量的緩和導入時以降にマネタリーベースが大きく拡大しているが、リーマンショック後のアメリカの拡大ペースに比べると緩やかな伸びにとどまっている。また、マネーストックも、我が国では相対的に緩やかな伸びとなっており、マネタリーベースの拡大に対してほとんど反応していない。名目GDPにおいては、2000年代半ばの一時期を除いて下落傾向が続いている。日本銀行が潤沢な資金供給を行っても、それが金融部門の外に出ていかず、経済全体の通貨総量はそれほど拡大せず、また、名目GDPも成長していない。日銀の資金供給が経済全体に行き渡るようになることが、デフレ状況の緩和のためにも重要である。次項では、この点について検討していこう。

(2)資金供給と貸出

以下では、中央銀行の潤沢な資金供給にもかかわらず、金融機関による貸出が増加しない背景を探る。特に、金融機関の側から見て、貸出よりも国債を始めとする債券購入を増加させる要因について検討する。

(マネーストックの伸び悩みは貸出の弱さが主因)

最初に、経済全体への通貨供給量が伸び悩んでいる原因を探るため、マネーストックの増加率を要因分解してみよう。マネーストックが通貨保有主体(家計、企業、政府)の金融資産であることに着目し、その変動要因を、<1>金融機関から家計や企業に対する貸出の増減(貸出要因)、<2>通貨保有者のマネーストックから他の金融資産(国債や株式等)へのシフト(通貨保有主体内の資金シフト要因)、<3>政府の資金過不足(財政収支要因)、<4>海外部門の資金過不足(経常収支要因)、<5>金融部門の資金過不足、に分けて分析する(第1-2-16図)。

過去10年程度の動向を見ると、2008年を例外として、貸出要因は恒常的にマネーストックの伸びを抑制する要因となっている。2008年はリーマンショックによる金融市場の混乱から、企業の銀行借り入れが一時的に大きく増加した年であり、基調としては、貸出要因は常に経済全体の通貨供給量を減少させる方向に寄与してきたといえる。金融機関が貸出に慎重であっただけでなく、家計や企業が借入金の返済を進めた結果でもあった。2006年、2007年とデフレからの脱却が近づいていた頃には、貸出要因のマイナス圧力は小幅になっていたが、再びデフレ状況となった2009年にはマイナス幅が拡大し、2010年も2009年と同程度のマイナス寄与となっている。

他方、マネーストックの増加要因となっているのが、政府の財政赤字拡大と経常収支黒字の増加である。ただし、寄与度で見ると、圧倒的に財政赤字の拡大による資金需要増が大きい。財政赤字が拡大することによって、辛うじて経済全体の通貨供給量が増加していることになる。経済の面でも財政の面からも決して望ましい姿とはいえない。

(近年では利鞘と銀行貸出に相関が見られない)

次に、貸出が伸びない要因を探るため、銀行の預金量と貸出金の動向や貸出利鞘の動きを見てみよう。過去5年程度の銀行預金と貸出金の推移及びその差(預貸ギャップ)を見ると、預金はコンスタントに増加する一方、貸出金の方が、リーマンショック直後を除き、おおむね横ばい、もしくは低下しており、特に、2009年以降は低下傾向が定着している(第1-2-17図(1)、(2))。結果として、預貸ギャップは2009年以降拡大傾向にある。預金増加により、銀行の資金調達は容易である一方、それに見合った貸出先が探し出せていない。銀行に資金は集まるものの、銀行から外の経済主体に資金が出て行かず、マネーストックの伸びにはつながっていない。

こうした資金調達と貸出の動向を利回りの面から見ると、2006年から2009年にかけて、調達利率、貸出利率ともに大きく低下しているが、貸出利率の低下幅の方が相対的に低いため、貸出利鞘は若干の改善傾向にあった(第1-2-17図(3)、図中の45度線を上回る領域では、貸出利率の伸びが資金調達利率の伸びを上回るため、利鞘は改善する)。利回りの点からいえば、貸出の伸び悩みの要因とはいえない。

実際、貸出利鞘の変化と貸出金の増減を散布図にしても、両指標の間に明確な相関は見られない(第1-2-17図(4))。貸出金が増加した年だけに限っても、利鞘動向はむしろ悪化していたケースが見られる。貸出利率と調達利率の比較考量によって、銀行が貸出態度を決めているとは、少なくともこの結果からはいえない。銀行が、潤沢な預金量にもかかわらず、貸出を増加するインセンティブが弱い理由を別に求める必要がある。

(銀行の貸出減少と国債保有拡大の背景には企業の手元資金の厚さ)

銀行の保有資産に占める貸出のシェアは、2008年後半以降、低下傾向にある(第1-2-18図(1))。その間、株式や社債の保有シェアに大きな変化がない一方、国債・国庫短期証券のシェアは拡大しており、保有資産の内容が貸出から国債等にシフトしている姿となっている。結果として、銀行部門が国債増発の受け皿となっているといえる。しかし、銀行の収益構造を見ると、必ずしも国債保有の収益性が貸出に比べて高まっているという姿はうかがえない。例えば、個別銀行ごとの財務諸表を総合すると、貸出金利息による収益は経常収益の5割以上を占めており、最大の収益源であることに変わりはない(第1-2-18図(2))。2008年から2009年にかけて貸出量は減少しているが、同時期の貸出金利息の経常収益に占めるシェアは下がっておらず、むしろ若干上昇している。収益構造を考えれば、銀行にとっては貸出増の方が国債保有よりも望ましいとも考えられる。

他方、資金需要は依然として弱い。2010年半ば以降、設備投資は持ち直してきたにもかかわらず、企業の設備投資用の資金需要は依然として前年比マイナスを続けている(第1-2-18図(3))。デフレ状況が続くなか企業の期待成長率は低下しており、設備投資の持ち直しのペースは鈍い。その一方で企業収益は改善傾向にあることから、企業は設備投資の増加を手元資金で賄える状態にある。実際、企業の現預金残高は2009年以降高い伸びを示している(第1-2-18図(4))。企業の潤沢な手元資金とそれに比べて弱い設備投資需要、さらに、財政赤字拡大による国債発行の増加といった要素が組み合わさることによって、銀行保有資産の貸出から国債等保有へのシフトが生じていると考えられる。

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