むすび

本報告では、「短期」「中期」「長期」の3つの視点から日本経済を取り巻く「リスク」を捉え、分析を行った。ここでは、以上の分析から示唆されるメッセージをまとめてみよう。

「短期」のリスク:アメリカ経済や原油価格等の動向

「短期」のリスクとは、景気の先行きに影響を及ぼしうる諸要因を指す。その主なものを挙げると、[1]アメリカ経済の減速、[2]原油・原材料価格の高騰、[3]為替レートを含む金融資本市場の変動、である。これらはまた、2007年半ば以降の我が国の景気に大きく影響を及ぼし、2008年に入って景気回復が「足踏み状態」となった要因でもある。これらの要因に共通する背景が、アメリカのサブプライム住宅ローン問題である。原油・原材料の高騰も、サブプライム住宅ローン問題に端を発した金融資本市場の混乱を受けた資金の流入による面が少なくない。日本経済はまさに「サブプライム住宅ローン・ショック」の影響を受けたということができる。

景気回復が「足踏み」に至ったルートを振り返ると、原油・原材料価格の高騰などが交易条件の悪化を通じて、企業収益の圧迫、ボーナスの減少、物価の上昇をもたらし、設備投資や個人消費の伸びを抑えた。また株価の下落などはマインド面を通じて影響を及ぼした。アメリカの実体経済の減速は、アジア向けを含め、日本からの輸出にマイナスに働いた。なお、これに、国内要因として、2007年半ばからの改正建築基準法の影響が加わった。

景気の短期的な見通しについては、改正建築基準法の影響は収束に向かっているので、サブプライム住宅ローン問題とアメリカ経済の今後の行方、原油・原材料価格の動向に左右されるところが大きい。だが「アメリカ経済や原油価格等の動向を注視する」というだけでは対応は不十分である。

「中期」のリスク:日本経済の脆弱性、リスクテイク能力の低さ

では何が必要か。それは、「中期」のリスクである日本経済の体質的な問題を認識することである。今回の景気回復局面では、日本経済はバブルの後遺症から脱し、世界経済の拡大に支えられて輸出企業を中心に収益力は高まった。だが、ひとたび世界経済の変動が生ずると、日本経済の脆弱性が明らかとなった。この脆弱性に関しては、次の三点が指摘できる。

第一に、サブプライム住宅ローン問題、原油・原材料価格の高騰は、世界経済の構造変化を背景として生じた。したがって、日本経済の脆弱性の所在についても、世界経済のダイナミックな構造変化との対比で理解する必要がある。

第二に、そうした理解の下で、脆弱性を克服するためには、グローバル化のメリットを活かすことが鍵となる。日本経済は、世界経済の構造変化を横目にみながら、バブルの後遺症への対応に追われ前向きな改革が遅れた面がある。これからは、逆に世界経済の活力を取り込むことで成長力を強化し、脆弱性を克服していかなければならない。

第三に、その際、日本の企業や家計が積極的にリスクを取っていく姿勢が必要である。リスクを取らなければ成長力は高まらず、結果としてショックに対して脆弱なままである。適切なリスクマネジメントを行った上で、あえてリスクテイクをすることが、世界経済の活力を取り込みつつ成長するための条件になる。

以下、こうした「中期」の論点についてポイントを説明しよう。

世界経済の構造変化と日本経済の脆弱性

まず、サブプライム住宅ローン問題、原油・原材料価格の高騰が、なぜ世界経済全体の構造変化を背景とする問題なのか。それは、中国など新興国の台頭を出発点とする。新興国の膨大な労働力が世界市場に参入し、貿易の拡大をもたらす一方、これらの国々は需要を急速に拡大させた。これが、技術革新とあいまって先進国の労働分配率の押下げに働くとともに、資源価格の上昇をもたらした。他方、新興国が稼いだ貿易黒字は、世界的な低金利の下で、アメリカに流入し、住宅、証券化商品の市場拡大を支えた。これらの市場が混乱すると、資金は原油その他の資源へと向かった。

こうした中で、日本は経常収支黒字を背景とした資金の出し手としての役割を一部担っていた。しかし、サブプライム住宅ローン問題の直接的な影響、という点では他の先進国と比べて必ずしも大きかったとはいえない。金融機関が保有する証券化商品などが相対的に少なかったからである。これまでに主要行で合計1兆円程度の損失が計上されたが、これは金融システムの安定性を揺るがすものではなかった。このように直接的な影響が限定的だったにもかかわらず、日本の株価の下落幅は、震源地のニューヨーク市場を含め、先進国の中で特に大きかった。

また、日本はかつての石油危機の後、エネルギー原単位を低下させてきたといわれる。しかし、円高に伴う円建輸出価格の低下とあいまって交易条件が大きく悪化した。この点は、交易条件があまり変化していないアメリカやEUと異なっている。その背景として、欧州企業は自国通貨高を現地通貨建輸出価格に転嫁できたが日本企業はできなかったこと、日本は欧米と比べて輸入に占める原油・原材料の割合が依然高いことなどが指摘できる。

脆弱性の克服にはグローバル化への積極的取組が必要

このように脆弱性が現れた背景には、日本経済の体質、成長力の弱さがある。主な弱さの源泉と対応の方向性を示そう。

第一に、自国及び海外の資産の活用力が弱いことである。その結果、日本の金融資本市場は不安定となりやすく、日本の家計は膨大な金融資産を持ちながら収益率は低い。こうした状況への対応としては、[1]金融資本市場の競争力を強化し、日本市場の「厚み」を増すこと、[2]対内直接投資を受け入れること、[3]対外直接投資の推進を含め、海外での資産運用の効率性を高めること、などが考えられる。こうした取組は、結果として、円の国際的地位の向上にもつながるであろう。

第二に、原油・原材料価格の高騰に対して意外に弱いことである。確かに、日本経済はかつての石油危機の直後には、エネルギー原単位の大幅な改善を進めた。しかし、近年はあまり原単位が低下していない。改善の手を休めてしまったのである。現在の原油等の価格は、投機的な資金の流入という面があるが、新興国等の需要拡大という構造的な要因もある。すなわち、価格シグナルを無視するのでなく、こうしたトレンドを見極め、更なる省資源型経済への移行を急ぐ必要がある。また原油その他の資源の戦略的な開発、食料供給力の向上なども課題と考えられる。

第三に、内需、特に個人消費が弱いことである。その背景には賃金の伸び悩みがあるが、これは技術革新のほか、中国等の安価な労働力の増加の影響を受けたためとみられる。こうした状況に対しては、世界的な比較優位構造の変化を見極め、中国等の新興国と競合しないタイプの人的資源の蓄積を進めること、すなわち「高度人材」を育てていくことが重要である。

適切なリスクマネジメントの下での積極的なリスクテイクが必要

上記と重なりあう論点が、「リスクテイク」である。確かに、「サブプライム住宅ローン・ショック」は、金融商品に関するリスクマネジメントの重要性を示した。金融商品の格付けのあり方の見直しなど、課題が残された。また、前述のように、企業がグローバル化に積極的に取り組む一環として、為替リスクや交易条件の悪化に備える、という形でのリスクヘッジをしていくことは重要である。

その上で、企業、家計は積極的なリスクテイクをしていくことが必要である。日本の成長力の弱さ、日本企業の低い収益性の背景には、様々な形のリスクテイクの不足がある。かつてと比べ、日本経済のマクロ的な成長機会は限られている。企業にとっては、その限られた機会から、成長への扉を探し出し、そこを突破していかなければならない。そのためには、家計からリスクマネーが供給されるとともに、リスクマネーが収益を生みやすいように、企業を規律付ける「ガバナンス」の存在が不可欠である。

「ガバナンス」の担い手としては、市場を通じた年金、信託等の機関投資家の役割の増大が期待される。またベンチャーを含む中小企業を直接、間接に支援する銀行等の役割も引き続き重要であり、リスクテイク能力の維持、向上が求められる。いずれにおいても「ガバナンス」が適切に機能する鍵は成長機会を見出す「目利き」能力であり、日本全体として「目利き」人材の育成が急務である。なお家計においても、「金融リテラシー」という意味での「目利き」能力が求められる。

「長期」のリスク:高齢化・人口減少が進む中での財政構造の成長力への影響

最後に、日本経済が直面する「長期」のリスクとして、高齢化・人口減少が進む中で、財政構造が経済成長に及ぼす影響が挙げられる。高齢化・人口減少はそれ自体リスクと考えられがちであるが、その方向とスピードはある程度予測が可能である。成長を続けるためには生産性を高めていかなければならないが、その手段は成長力強化へ向けた上記の処方箋と軌を一にする。こうした取組を前提として、高齢化・人口減少がなおリスクを伴うとすれば、既に膨大な債務を抱える財政との関係である。

財政によるリスクの顕在化を防ぐには、今のうちに次のような視点で取組を進める必要がある。第一に、社会保障給付費の増大が避けられない以上、負担の増大は避けられない。その際、グローバル化の一層の進展も踏まえ、労働や資本の供給を阻害しない負担の形態を選択していくことが重要である。第二に、日本の高齢化の速さは世界有数であるが、債務残高の累増に示されるように財政面の対応は逆に遅れている。諸外国の社会保障制度や税制の改革から、ベストプラクティスを学ぶ余地は大いにある。第三に、高齢化・人口減少の影響は地方経済において顕著に現れる。人口の集積、都市・行政機能の集約を通じ、財政運営の効率化を図ることが、日本全体としてリスクを克服する鍵となると考えられる。