第1章 自律的回復の芽生えがみられる日本経済

平成12年度

年次経済報告

新しい世の中が始まる

平成12年7月

経済企画庁

平成12年度年次経済報告(経済白書)の公表にあたって

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「経済は変わった。そしてますます変わりつつある」。経済企画庁として最後の「経済白書(平成12年度年次経済報告)」の序文をこのように書き出せるのは、必ずしも歴史的偶然だけではない。世の中の変化が政府行政機構の改革を求め、機構の改革が経済の変質に対応しているといえるからだ。

本報告はそんな日本の経済を、二つの部分(二章)に分けて分析している。

第一章は昨年度における景気の回復と現状分析、第二章は「新技術革命」の予熱の中で迎えた20世紀最後の年から見た将来展望、とりわけ「多様な知恵の時代」に求められる人材と組織、政府の役割などを論じている。また、日本の直面する長期的課題である財政再建に関しても、マクロ経済的視点から取り上げた。今回の年次経済報告では、理論的にも実際的にも議論の多い問題を避けることなく論じたつもりである。

99年度は、いわば「どん底」からはじまった。今年(2000年)6月におこなわれた景気動向指数研究会では、戦後12回目の景気循環の"谷#は、99年4月と判定されている。それまで鉱工業生産、設備投資は7四半期、第三次産業活動指数は5四半期にわたり減少または低下していた。正に「戦後最悪の不況」である。

98年7月末、小渕内閣が発足した頃,日本経済は「三重の不況」に見舞われていた。第一は景気変動の下り坂、97年3月頃をピークとして景気は下り坂に転じた。それに財政再建を目指した消費税率の引上げや公的需要の削減、アジア通貨危機、大手金融機関の破綻などが加わり、97年末からは急激な景気下降局面に陥っていた。

第二は、バブル景気の崩壊から生じた設備や雇用の過剰と巨額の不良債権の累積による広範な経営不振の広がりである。80年代末のバブル景気の時期に過大な成長期待と際限ない地価高騰を前提として造られた施設と、そのための投融資の多くが処理されないまま先送りされていたからだ。このため自己資本の減少した金融機関は貸し渋りに走り、資金難と需要不足に見舞われた企業は設備投資と雇用を削り、将来に不安を抱いた人々は消費を抑えて貯蓄に努めた。長く先送りしてきたバブル崩壊の傷跡が一気に口開き、血と膿を吐き出したような現状であった。

第三のより根本的な問題は、日本が100余年をかけて築き上げた規格大量生産型の工業社会が、人類文明の流れに沿わなくなったという構造的本質的な問題である。明治以来日本は、欧米先進国の近代的な技術と制度を学び、専ら規格大量生産型の工業社会を目指してきた。

特に、戦後は産業経済政策のみならず、教育や地域構造、情報文化のあり方まで、これに有利なように作り上げた。この結果80年代の日本は、人類史上でも最も完璧な規格大量生産型の工業社会といえるまでに発展していたといえる。自動車や電機製品など規格大量生産型工業の生産力と競争力の強大さはそれを示している。

しかし、その頃、世界の文明の流れは、規格化、大量化、大型化の方向から、多様化、ソフト化、情報化に向きを変えていた。特に90年代中頃からは米国をはじめこの流れが顕在化し、日本の経済体質の立遅れが目立つようになった。日本は、規格大量生産型工業社会のために作り上げた多くの制度や慣習の変更を迫られていたのである。

こうした「三重の不況」の中で発足した小渕内閣は「経済再生内閣」を標榜、三段階の再建計画を建てた。

まず、98年度後半には、デフレスパイラルの回避を緊急最大の目的とする一連の緊急政策を採った。その第一は、金融行政の転換、それまでの金融機関の保護安定を主眼とした政策から市場原理を採り入れた政策へと改めた。これに加えて、金融システムの安定化を図るため、政府は、財政と金融の行政機能を分離して金融検査・監督機能を強化し、60兆円(平成12年度予算による追加を含めて70兆円)の巨大な金融再生枠を設け破綻金融機関を処理するとともに、資本の状況に懸念のある金融機関には公的資本増強などの金融システム安定化策を行った。第二には、中小企業の倒産防止、中小企業向け借り入れ特別保障枠20兆円(99年11月の「経済新生対策」による追加を含めて30兆円)を設け、民間金融機関の貸し渋りに対応する資金繰りを授けた。

第三は、総事業費17兆円を超える緊急経済対策における公共事業等の追加と平年度総額9兆円に達する恒久的減税などによる需要の拡大である。「三重の不況」によって急激に低下しつつあった経済状況にあっては、即効性のある需要の拡大が急がれたからである。

こうした政府の大胆かつ迅速な緊急不況対策によって、98年10月以降は中小企業の倒産件数が激減するなど、景気下支えの効果を発揮、99年4月をどん底にして緩やかではあるが回復の兆しを示すようになった。

こうした景気動向に対応して、政府は99年度には、景気下支え政策を継続すると共に、経済の新生を目標とした構造改革政策にも力を注いだ。すなわち、中小企業政策を創業支持と発展育成を主眼とするきめ細かなものに改め、労働市場の強化を図るなど、全社会的な構造改革にも乗り出した。

これに民間企業の側も敏感に対応、大手金融機関の合併や統合が進み、日本産業界の特色といわれた金融系列も緩み出した。また、多くの伝統ある企業で、一層の合理化と事業再編成を目指すリストラクチャリングが進んでいる。また、情報技術を中心とする新技術も広く採り入れられ、各種産業に大きな影響を与えつつある。それはこの国の経済社会構造が重大な変化を起こしつつあることを感じさせるものでさえある。

99年度における日本経済は、政策的支援とアジア経済をはじめとする外需の回復によって、緩やかながら回復を続け、深刻な不況の最悪期を脱したといえる。生産は堅調に伸び、企業収益はかなり回復した。

この結果、在庫調整は完了、民間設備投資も下げ止まりから回復に転じた。特に情報関係の設備投資が力強く伸びているのは将来の成長期待が大きいだけに心強い。

これを反映して株価も上昇、日経平均は98年10月の最低水準より2000年4月には62%上昇した。その後この指数の銘柄入替など技術的問題やそれに対する市場の過敏な反応に対する乱調はあったものの、6月以降は戻り基調が明確になっている。

また、懸念された雇用情勢も、完全失業率が4.9%を最高としてやや低下傾向にあるほか、所定外給与の増加や求人倍率の向上など改善が顕著になっている。これからの雇用政策においては、新しい労働需要に適合した技能と心象を持つ人材の育成に努め、需給のミスマッチを解消していくことが重要である。

しかし、国内総需要の約6割を占める個人消費は依然一進一退の状況にあり、国民の間に日本経済と自己の将来の収入に対する不安が解消されていないことを示している。また、人口構造の高齢化や情報化による需要の変化に、供給側が十分に対応していない面もあるだろう。この点からも一層の規制緩和と新しい知識と意欲のある創業者への支援がますます重要になるであろう。

本報告の第二章は、こうした状況をふまえつつ、日本が行き着くべき「持続可能な発展のための課題」を、主として新技術と公的部門に関して検討している。

ここで注目すべきことは、今、世界的に拡まりつつある情報技術の発展と普及は、近代工業社会が繰り返し起こして来た技術革新―電気機械や内燃機関の発達、化学工業の普及―などとは方向と性格を異にする点であろう。

近代工業社会を生み出した産業革命は、大型機械を組織的に利用することによって、大量化、大型化、高速化をなし遂げた。この結果、生産手段は巨大化し、労働力を持つ人間(個人)の所有と操作の枠を超えてしまった。生産手段と労働力の分離が進み、それに伴う「自由なる労働者」の創出と核家族化現象などが現れた。過去200年間の近代工業社会が生み出した数々の技術開発は、産業の形態や人々の生活様式を変えることはあっても、この方向を押し進めることには変わりがなかった。

ところが、80年代にはじまった小型分散型コンピューターの普及と発達は生産流通の制御を容易にし、多様化、ソフト化、省資源化を促すことになった。人類文明の流れの方向が変わりはじめたのである。

90年代に入って、米国などで急速に進んだ情報化、とりわけインターネットの普及は、さらにそれを質的に変化させつつある。情報技術はコンピューターを利用している点では制御技術と共通しているが、その最大の貢献は、社会における人と人との出会いを促進することになる。

ここでいう「出会い」とは、時には商品や金融の需給であり、時には技術と知識の採集であり、また時には共通の趣味や関心事についての個人的な組織的対話であろう。だが、その基本が物財そのもの(ハードウェア)でも、物財の使い方(ソフトウェア)でもなく、人と人との間に立つ技術、いわゆるヒューマンウェアである。

規格大量生産型の工業社会、つまりハードウェア型の発展において世界をリードした日本は、制御技術の段階までは世界の先端を進むことができたのだが、情報化の過程では立ち遅れた。規格大量生産型に作り上げられた制度と慣行と社会的心象が転換し切れなかったからである。

しかし、日本には長い伝統につちかわれた人間文化と高度な物作りの技術や組織がある。それはこの国特有の情報技術を生み出しつつある。アニメーションやゲームソフトに見られる精緻な独創性と美意識、モバイル型情報端末の利用に見られる情報短縮技法移転などである。それを大きく発展させるならば、欧米とは異なる情報時代の新社会、いわば「日本型知価社会」を形成することも可能だろう。そしてそれは日本のみならず世界の人々にも受け入れられる新しい世界文化の一端となる可能性も持っているのではないだろうか。

日本経済が持続的な発展軌道に乗るためには、そうした新しい歴史的発展段階への方向をしっかりと基礎づけることが大切である。それは決して遠い将来のことではない。今、2000年から既に始まろうとしていることである。

要するに、過去二年間の大規模な不況対策は、バブル崩壊と規格大量生産型工業社会の負の遺産の清算ともいえなくはない。100年余にわたる日本の規格大量生産型の工業化は巨大な生産力と、高度の生活文化水準と、完成した組織や制度を築き上げはしたものの、それからの脱却にもまた、多額の費用と痛みを伴う転換が必要である。日本経済はまだ、このすべてを完了したわけではないし、完了の過程ができあがったわけではない。今はまだ、その道半ばだが、これまでにも進捗が見られた部分もある。

なお、日本の諸制度や企業経営は、物価の上昇と人口・需要の増加を前提として企画・実行されて来た。それ故、物価が安定し、むしろ下落する中で、どれだけ速やかに着地点を見出すことができるか否かは重大な問題であろう。特に一部の産業の生産性が著しく向上した結果、平均物価が下落する場合の評価は分かれるところだろうが、これまでの前提とは異なることは確かである。

本報告は、最後に日本の財政の現状とその影響について述べている。日本の財政が抜本的な改善を要することは論を待たない。しかし、今の病み上がりともいうべき経済情勢を前提に部分的な問題を論じるのは危険である。本報告では、景気の自律的回復がはっきりとした段階で、将来に対する不安を払拭すべく、政府部門の効率化を進めつつ、民間部門の潜在的な需要を発現させる諸政策を完遂することで、マクロバランスを保ちつつ、財政再建について広範な議論が必要としている。

世界が、そして日本の経済社会が歴史的な発展段階の飛躍をなし遂げようとしている今は、まずは健全な経済、未来志向型の社会を築くことが重要である。来年1月に発足する政府行政機構の新体制は、そんな時代にふさわしいものにしなければならない。

平成12年7月14日

堺屋太一

経済企画庁長官

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