第1章 民間債務からみた世界経済のリスクの点検(第1節)
第1節 民間債務問題の背景
世界経済が緩やかに回復する中で、特に2018年に入り、民間債務の増加が注目される背景と、なぜ過剰な民間債務が経済にとって問題となるのかをみていく。
(世界的な金融緩和と金融政策の正常化)
民間債務が増加してきた背景には、世界的な金融緩和により市場に資金が大量に供給され、長期にわたり低金利の状況が続いてきたことがある。08年9月のリーマン・ショックに端を発する世界金融危機の発生後、主要中央銀行は政策金利の引下げを行うとともに、量的緩和やマイナス金利等の非伝統的とされる金融政策も講じてきた。こうした政策により市場に大量の資金が供給され、景気の持ち直しに寄与したものとみられるが、その後も主要先進国では物価が伸び悩み、一時はデフレへの懸念もみられた。このため、中央銀行は長期にわたり金融緩和を継続し、結果として主要先進国の中央銀行のバランスシートは、危機前と比較して大きく拡大した(第1-1-1図)。しかし、近年、景気の回復や将来の物価上昇の見通しを踏まえ、アメリカやユーロ圏では金融政策の正常化に向けた取組が行われている。アメリカでは、15年12月以降、政策金利の誘導目標水準が引き上げられ、17年10月からはFRS(連邦準備制度)のバランスシートの縮小も進められている。ユーロ圏においても、ECB(欧州中央銀行)は量的緩和策について、17年12月まで月額600億ユーロとしていた資産購入額を18年1月からは月額300億ユーロへ減額している1。
金融政策の正常化が進む中で、米独の長期金利(10年物国債金利)は、17年後半以降上昇傾向を示しており、正常化が今後も進展すれば、この傾向も継続すると考えられる(第1-1-2図)。仮に急激に金利が上昇した場合、家計・企業双方にとって、既存の債務負担や新たな資金調達コストが上昇し、経済成長や金融安定性に悪影響を及ぼす可能性がある。
(18年入り後の金融資本市場の変動)
世界経済の緩やかな回復や緩和的な金融政策の継続等を背景に、欧米を中心とした主要国の株価は、特に16年後半以降上昇傾向が鮮明となり、18年1月まではアメリカ、英国、ドイツで史上最高値を更新する状況が続いていた(第1-1-3図)。
18年に入り、アメリカ市場では、堅調な経済情勢に加え、18年1月から実施された税制改革等の拡張的な財政スタンス等が意識され、インフレ期待の高まりから、長期金利が上昇傾向となっていた(前掲第1-1-2図)。そうした中で、18年2月にアメリカの雇用統計における賃金の伸びが市場予想を上回ったことを契機に、アメリカ長期金利が更に上昇したため、アメリカ市場で株価が急落し、これが他の主要国の株式市場へも波及した2。その後、アメリカ連邦政府予算の歳出上限の引上げ3に関し与野党指導部が合意したとの報道を受け、財政赤字拡大への懸念から長期金利が上昇し、株価は再び大きく下落した。また、3月以降は、アメリカ通商拡大法第232条に基づく鉄鋼及びアルミニウムの輸入に対する追加関税措置の決定や、アメリカ通商法第301条に基づく中国への貿易制裁措置の発動方針の表明等米中貿易摩擦4への懸念も株価を大きく下落させた。
アメリカの株価は落ち着きを取り戻してきているが、市場の不安心理を示すVIX指数5をみると、18年2月上旬の20を大きく上回る水準からは低下したものの、1月までと比べ高い水準にある(第1-1-4図)。アメリカ経済のファンダメンタルズは依然良好であり、景気は着実な回復を続けているが6、金融政策の正常化に向けたプロセスが進められる中で、金融資本市場では利上げのスピードや通商政策の動向等のリスクがより強く意識される状況となっている。
(過剰民間債務のマクロ経済への影響)
長期にわたる金融緩和が行われる中で、この後詳しくみるように、民間債務は歴史的な高水準に達している。また、金融緩和は住宅価格等の資産価格を上昇させ、一部ではバブル化の懸念も指摘されている。金融政策の正常化に向けたプロセスが進み、世界経済のリスクがより強く意識される中で、積み上がった民間債務は世界経済にどのような影響を与えるのか。ここでは、金融緩和が債務の増加と資産価格の上昇をもたらすメカニズムとその経済への影響を簡単に述べる。
金融の緩和、債務の増加及び資産価格の上昇には、それぞれ密接な関係がある7。金融の緩和による金利の低下は、家計や企業が保有する不動産等の資産価格を上昇させ、家計や企業の借入能力を高める。銀行が借り手に対し保有資産を担保として求める場合には8、保有資産の価格上昇により担保価値が高まることになる。同時に、資産価格の上昇は銀行のバランスシートも改善させ、銀行の貸出能力も高める。こうした環境下で銀行が貸出を実行し、これを元に家計や企業が資産購入を行えば、資産価格は更に上昇し、家計や企業はより一層借入が容易となる。このスパイラルが過熱した場合、債務が借入者の将来の返済能力を超える状態である「過剰債務」となり9、借り入れた資金による資産購入が続くことで、資産価格は利益や生産性の上昇等のファンダメンタルズからかい離した「バブル」となりうる。一方、金融引締めが行われた場合には、信用の収縮と資産価格の下落という逆のスパイラルが生じうる(第1-1-5図)。
通常、債務負担が可能であることは、異時点間の資源配分を効率化させ、経済成長を促進させると考えられる。しかし、債務の積上がりが進むにつれ、経済に次のような悪影響をもたらす可能性がある。
第一に、景気変動を増幅させることである。上で述べたメカニズムは景気に対し正循環的(Procyclical)であり、景気変動の振幅を拡大させる側面を持つ。経済が過剰債務問題を抱えた場合には、景気変動がより一層増幅されることになる。
第二に、債務が過剰になるにつれ、低生産性分野へ資源配分が行われることになり、その結果、経済成長が阻害されることである10。
第三に、消費や投資を減少させ、低成長をもたらすことである。過剰債務を抱える家計や企業は、いずれ債務返済に行き詰まり、新たな借入も不可能となるため消費や投資を減少させることになる11。
それでは、民間債務縮小や資産価格下落に関連する景気後退と、これらに関連しない景気後退で、実際にどれくらい景気の落ち込みに違いがあるかをみてみよう。ここでは、OECD加盟20か国の70年以降のデータを用いてこれを検証する。また、2000年代前半のアメリカやスペインの例にみられたように、深刻な景気後退前には住宅価格が高騰していることから、資産価格としては住宅価格を取り上げる。
手法12としては、まず、実質GDPを用いて各国の景気の山谷を設定するとともに、民間債務残高13(民間非金融部門向け信用残高)と住宅価格14についても、それぞれ国別に山・谷を設定する15。次に、民間債務残高の縮小局面(山から谷)で景気も後退局面入りするケースを「民間債務縮小に関連する景気後退」、同様に住宅価格の下落局面(山から谷)で景気も後退局面入りするケースを「住宅価格下落に関連する景気後退」と定義し16、設定した山・谷を用いて該当する景気後退を抽出する。最後に、抽出したそれぞれのケースの景気後退について、山から谷にかけての実質GDPの減少率を計算し、各ケースの減少率の中央値同士を比較する。
以上の結果、景気後退は全体で124あり、「民間債務縮小に関連する景気後退」が34、「住宅価格下落に関連する景気後退」が87あった(第1-1-6図(1))。これらには重複するものもあることから、それを整理すると「民間債務縮小及び住宅価格下落に関連する景気後退」が31、「民間債務縮小のみに関連する景気後退」が3、「住宅価格下落のみに関連する景気後退」が56、「その他の景気後退」が34あった。「民間債務縮小に関連する景気後退」34のうち「民間債務縮小及び住宅価格下落に関連する景気後退」が31あることから、民間債務縮小に関連する景気後退は、ほぼ住宅価格の下落にも関連するとの結果となった。
サンプル・サイズが3と少ない「民間債務縮小のみに関連する景気後退」を除いて、それぞれのケースにおける実質GDPの減少率の中央値を比較すると、「民間債務縮小及び住宅価格下落に関連する景気後退」が-2.06%、「住宅価格下落のみに関連する景気後退」が-2.28%と実質GDPが大きく減少したのに対し、「その他の景気後退」は-0.85%と半分以下の落ち込みにとどまった(第1-1-6図(2))。
また、具体例として、民間債務縮小や住宅価格下落に関連する景気後退のうち、金融危機を招いた深刻なケースを挙げると、まず日本では、プラザ合意後の金融緩和の下で、80年代後半に民間債務の顕著な増加と不動産等の資産価格の急激な上昇がみられた(第1-1-7図)。その後バブルが崩壊し、住宅価格は91年4~6月期から下落基調に入り、民間債務も97年1~3月期より縮小傾向となり、97年4~6月期(景気の山)から99年1~3月期(景気の谷)にかけての景気後退局面では、山から谷までの実質GDPは1.6%減少し、金融危機が生じている。
スウェーデンにおいても、80年代後半に民間債務が急激に増加するとともに、不動産等の資産価格が急騰するバブルが生じた。しかし、住宅価格は90年4~6月期から下落基調となり、民間債務も91年1~3月期から縮小基調に転じ、90年10~12月期(景気の山)から93年1~3月期(景気の谷)にかけての景気後退局面で金融危機が生じ、この間の実質GDPの減少率は-5.7%に達している。
また、2000年代のアメリカでは、ITバブル崩壊後の金融緩和や世帯数の増加等を背景に住宅ブームが起こり、住宅価格が急騰するとともに、民間債務も拡大し、信用力の比較的低いサブプライム層への貸出も活発化した。その後、07年1~3月期には住宅価格が下落基調に転じ、サブプライム層向け住宅ローンの不良債権化や関連する証券化商品を通じて金融市場が混乱し、これを端緒に08年に大手金融機関が破綻するなどアメリカ国内のみならず世界的な金融危機へと発展した。こうした中で、民間債務も09年1~3月期以降、縮小基調に転じている。07年10~12月期(景気の山)から09年4~6月期(景気の谷)にかけての景気後退局面において、実質GDPの減少率は-4.3%に及んでいる。
スペインでも2000年代に、ユーロ導入に伴いECBによる単一金融政策の下で長期金利が大幅に低下したことや、移民の流入により人口が増加したことなどを背景に住宅需要が拡大する中で、住宅バブルが生じた。しかし、07年10~12月期より住宅価格が下落基調となり、09年4~6月期には民間債務も縮小基調となった。10年7~9月期(景気の山)から13年7~9月期(景気の谷)にかけての景気後退局面では金融危機が生じ、その間の実質GDPの減少率は-5.9%に達している。
このように、民間債務縮小に関連する景気後退や、これと密接な関係を持つ住宅価格下落に関連する景気後退がもたらす経済的コストは、大きいと考えられる17。