第2章 世界経済が直面する主なリスク(第1節)
第1節 中国経済の減速と金融市場の変動
1.15年来の市場の変動
15年以降の世界の株式市場を振り返ると、とりわけ上海総合株価指数の変動が大きかったことがわかる(第2-1-1図)。同指数は15年初から同年6月中旬にかけて約50%上昇した後下落に転じ、16年1月下旬までに約50%下落した。日々の株価もしばしば大きく変動し、主要先進国の株価指数が影響を受ける局面も繰り返しみられた。
この間、世界の株価の時価総額は、15年5月のピーク時から16年6月までの間に12.5%縮小した(第2-1-2図)。国・地域別にみると、先進国の時価総額が10.4%縮小したのに対し、中国市場の時価総額は31.4%縮小した。
15年8月の人民元の切り下げ1直後には、上海株式市場だけでなく、先進国の主要市場も大幅な下落となった。人民元レートの基準値設定方法の唐突な変更と急激な元安を受け、中国経済に対する不透明感が一気に高まったことがその要因として指摘されている(第2-1-3図)。一方で、内外の投資家が中国市場から資金を引き上げる動きに対抗して中国人民銀行が元高誘導を行っているとの見方もあり、15年後半から16年前半にかけて中国の外貨準備高の減少ペースに市場の注目が集まった。
このような世界的な株価の変動と金融市場のストレスの高まりの関係をみるため、まず、シカゴ・オプション取引所のVIX指数2の推移をみると、15年8月には不安心理の高まりの目安となる20ポイントを大きく上回り、世界金融危機後最大の値を記録した。一方、金融市場の緊張状態をより包括的に反映するセントルイス連銀金融ストレス指数3は緩やかな上昇にとどまっていた(第2-1-4図)。中国発のショックにより投資家の不安心理は一時的に高まったものの、アメリカの金融市場全体への波及は限定的であったとみることができる。
この間の世界経済の動向を振り返ると、全体としては緩やかな回復が続いていたものの、中国経済の緩やかな減速に加え、アメリカやユーロ圏でも弱めの動きがみられるようになった。加えて、アメリカの金融政策正常化の影響、中国を始めアジア新興国等の経済の先行き、原油価格の下落等の景気下振れリスクが意識されるようになった。このような状況の下、中国を始めとする各国経済の弱さを示す景気指標の発表や、そうした動きを反映した政策対応の公表に際し、市場参加者が過度にリスク回避的な行動を取ったことで、株価の下落や、安全資産とみられている通貨の増価等が起こったと考えられる4。
以下では、まず、15年来市場が大きく変動する要因として度々指摘されてきた中国政府の発表する統計や政策に対する懸念と、過剰生産設備や過剰債務等の中国経済の抱える構造問題について検討を行う。
2.中国の統計や政策と市場の変動
(1)中国の経済統計と市場の変動
中国政府の公表する四半期別のGDP統計は、当該四半期終了後約半月後という極めて短い集計期間で公表されている。また、他の主要国では1次速報値公表の翌月、翌々月等に改定が行われることが一般的だが、中国ではそのような改定がない5。さらに、公表される成長率は多くの先進国等と比較して毎四半期の変動が小さく、かつ、政府の目標値に沿って推移する傾向がみられる。政府の公表するGDP以外の個別統計についても比較的変動の小さいものがみられる。そのため、例えば、15年8月には、国家統計局の公表する製造業PMI(製造業購買担当者指数)が安定的に推移する中、中国のメディアグループである財新と英国の金融情報・調査会社のマークイットが公表する製造業PMIが急落し、後者の方が実体経済をより正確に反映しているとの見方から上海株価が大幅に下落し、世界同時株安にまで発展する局面があった。
一部の専門家の間では、中国経済の実態をより正確に把握するためには電力消費量、鉄道輸送量、中長期貸出残高の3指標から構成される、いわゆる「李克強指数」に着目すべきとの指摘が行われてきた。この指数によれば、中国経済は14年から15年にかけて急減速しており、中国経済はゼロ成長に陥っているといった主張の根拠にもされてきた。しかしながら、これらの3指標のうち、鉄道輸送量の貨物輸送量全体に占めるシェアは低下傾向にあり、14年にはトラック(76.0%)、船(13.6%)を大きく下回る8.7%にまで低下している。また、鉄道輸送量の7割以上が石炭、金属鉱石、鋼鉄及び非鉄金属で占められており、これらの品目の輸送量は近年大幅に減少しているという構造的な問題がある。
そこで、李克強指数の構成要素の1つを鉄道輸送量から貨物輸送量全体に置き換えた試算値を作成すると、鉄道輸送量を使用した指数と比較して落ち込みは緩やかなものとなる(第2-1-5図)。このことは、中国経済の実態をより正確に把握するためには、産業構造の変化を踏まえた多角的な分析を行うことが重要であることを示すものである。また、中国政府においては、同国の経済統計に対する見方がしばしば世界の金融資本市場の変動要因になっていることを踏まえ、経済実態のより正確な把握と各種統計の改善に向けた取組を進めることが期待される。
(2)中国の政策運営とコミュニケーション
中国の金融関連の政策変更に関する市場とのコミュニケーションが十分でないことが市場の変動要因になっているとの指摘もある。
前述の15年8月の人民元レートの基準値設定方法の変更以外にも、例えば、15年6月の上海株価指数の急落を受け、政府は上場企業の大株主に対して株式売却を半年間禁止するとの措置を同年7月8日に導入した。同措置が16年1月8日に解除日を迎えるに際し、大量の株が売りに出されるとの不安が高まり、16年初の1月4日の上海総合は大幅な下落で始まった。加えて、15年12月に導入が決定されたサーキットブレーカー(値幅制限)制度6がこの日から実施されており、対象指数7の下落率が値幅制限の7%を超えた時点で、株式・先物等すべての取引が終日停止された。同7日にも同様の措置が発動され、結局同8日には同措置自体が運用停止となり、中国証券監督管理委員会(証監会)は、「サーキットブレーカー制度のマイナス面の影響がプラス面を上回っている」とコメントした。
中国経済に対する懸念に起因する市場の変動を抑制するためには、上記のような問題に関する政策の改善やコミュニケーションの一層の強化を図ることが重要である。
3.中国経済の構造調整と先行きに対する懸念
(1)過剰設備・過剰生産問題
第1章で述べたとおり、中国では4兆元の景気対策により、GDPに占める投資の比率が大幅に上昇し、11年のピーク時には47.3%に達した。その後わずかに低下したものの、依然として高い水準にある(第2-1-6図)。中国経済の安定的な成長の実現のためには、投資から消費、製造業からサービス業への移行を円滑に進めていくことが重要である。
特に鉄鋼と石炭については深刻な過剰生産能力を抱えていると言われている。このうち鉄鋼は、15年の生産能力が12億トンであるのに対し、生産は8億トンに止まった。中国政府は今後5年間で1~1.5億トンの生産能力の削減を進めるとしているが、足元では粗鋼生産及び輸出は前年比プラス(いずれも数量ベース)、輸出単価はマイナスで推移している(第2-1-7図)。こうした中、アメリカ商務省は16年5月、中国から輸入される耐食平鋼に210%のアンチダンピング課税を決定した。EUは15年8月より、中国製の冷延ステンレス鋼鈑・鋼帯に最大25.3%のアンチダンピング課税を行っている8。
2000年前後に国営企業改革が断行された際には、製造業における国有企業の雇用者数が97年の1,997万人から02年の979万人へと半減した。余剰人員は「一時帰休」という形を取り、企業内に設けられた再就職センターで最長3年にわたって生活費手当を受給しながら職業訓練を受けて再就職した。
過剰生産業種とされる石炭、鉄金属、非鉄金属、鉄道・船舶・航空その他運輸設備の雇用者数は15年時点で約1,260万人となっている(第2-1-8図)。中国人力資源及び社会保障部部長(閣僚)は、16年2月29日、過剰能力の削減に伴い、鉄鋼で50万人、石炭で130万人の失業者が出ると述べた。前述の国営企業改革時における人員整理と比べれば規模は小さいが、当時と比較すると経済成長率が低下していることに加え、産業構造転換の進展に伴いスキルのミスマッチが拡大し、雇用調整はむしろ困難さを増している可能性がある。政府は16年予算に雇用調整のための予算を計上しているものの、具体的な施策については明らかになっていない。雇用調整の進捗が過剰設備・過剰生産問題の解消の鍵を握っていると考えられることから、今後の雇用調整の道筋を早期に明らかにすることが市場の先行き懸念の払拭にもつながると考えられる。加えて、国有企業改革に当たっては、寡占・独占の強化を避け、開放的かつ競争促進的な市場環境を整備することが、価格の低下やサービスの向上を通じて、消費主導経済への移行にも資するものと考えられる。
(2)過剰債務問題
4兆元の景気対策はいわゆる過剰債務問題を引き起こしたが9、その後も民間部門の債務や銀行の不良債権が増加を続けるなど、金融面でのリスクはむしろ拡大している。
民間部門の債務残高のGDP比をみると、15年10~12月期時点で210.4%となっており、日本のバブル後のピーク(95年、221.0%)に近い水準となっている(第2-1-9図)。
これと呼応するように、いわゆる理財商品10の残高が14年から15年にかけて急増している(第2-1-10図)。15年10月以前には銀行預金金利に上限規制があったため、銀行預金よりも利回りの高い理財商品に資金が流れる傾向にあった。15年10月の預金規制の撤廃以降、銀行は経営状態に応じて預金金利を設定することが可能となったため、消費者は高い利回りを求めて理財商品を購入するインセンティブは小さくなると考えられていた。しかし、14年11月以降の一連の金融緩和により預金金利が低下し、利子収入が減少する中、新たな投資先を求め高利回りの理財商品を購入する誘因がむしろ拡大したとみられる(第2-1-11図)。
理財商品は、大半が販売元の銀行でオフバランス扱いとなっており、集められた資金の多くは不動産開発やインフラ開発等の高リスクの投資に回っているとみられるものの、実態は不透明である11。
一方、中国の企業が発行する社債利回りを格付別にみると、一般に信用力が高いとされるAA格以上では14年以降利回りが低下傾向にあるものの、中堅企業以下とみられるA格以下では利回りが横ばいとなっており、足元ではやや上昇している(第2-1-12図)。信用力の低下に伴い銀行からの借り入れが難しくなった企業が理財商品等のシャドーバンキングを通じた資金調達を拡大している可能性がある。このような資金の一部は既に不良債権化している可能性があるものの、資産劣化の程度は不透明である。
中国の商業銀行のオンバランスの不良債権残高は1.4兆元、全貸出に対する不良債権比率は1.7%に止まっているが(16年3月現在)、11年9月を底にいずれも上昇傾向にある。また、5つの債権区分のうち、下位3分類の不良債権に計上される一つ前の段階の要注意債権(「関注」債権)が急増している。不良債権と要注意債権の合計は、16年3月現在で4.6兆元、全貸出に対する比率は5.8%程度に上っている(第2-1-13図)。
金融システムの安定性の観点からは、金融機関が不良債権に対してどれほどのバッファーを積んでいるかも重要である。中国の銀行は16年3月時点で2.4兆元の貸倒準備金を計上しており、不良債権に対する比率は175%に上るが、不良債権に要注意債権を加えると同比率は53%に低下する。景気が減速する中、要注意債権の不良債権化に注意が必要である(第2-1-14図)。
15年来、政府は不動産市場の活性化策を導入していることに加え12、16年初からは、政府主導のインフラ投資が再び活発化しているとみられる(第2-1-15図、第2-1-16図)。インフラ関連需要の拡大と並行して、鉄金属加工等の構造不況業種の生産、収益、生産者価格に下げ止まりないし持ち直しの兆しもみられる。しかしながら、政府主導の需要創出には、過剰設備や過剰生産問題の調整を遅らせるとともに、不良債権を一層拡大させるリスクがある。過剰設備や過剰債務問題の動向には引き続き注意が必要である。