第1章 第5節
国際金融市場等への影響
原油価格の下落は国際金融市場にも影響を与えている。以下では、原油価格の下落が資源国の通貨の下落をもたらしていることを概観した上で、多くの国の金融政策が緩和的なスタンスを取っていることを確認する。また、世界的な金融緩和の下でこれまで原油関連産業への資金流入が進んできたことから、原油価格下落に伴う懸念材料としての原油関連産業の負債を分析する。
1.原油価格と資源国の通貨
原油価格の下落は、とりわけ資源国の通貨の下落という形で国際金融市場の変動をもたらした。資源国のうち、先進国で代表的なカナダとノルウェー、新興国で代表的なロシアとインドネシアについてその通貨動向をみると、特にロシアルーブルはOPECが減産を見送った2014年11月27日からドルに対して最大30%下落した1(第1-5-1図)。
原油価格とロシアルーブルの相関係数を取ると、過去の2回の原油価格下落局面よりも今回の下落局面の方が相関係数は高くなっている(第1-5-2表)。これは、ロシアの原油依存度が上昇傾向にあるため、原油価格の変動に通貨が反応しやすくなっていることを反映していると考えられる(本章第4節参照)。
2.過去のロシア通貨・金融危機との比較
14年末のロシアルーブルの大幅な減価は、ロシアの98年通貨・金融危機を想起させるとの指摘もなされた。98年の危機の際には、アメリカの大手ヘッジファンドが事実上の経営破たんに陥り、金融システム不安が懸念された。これに対し、ニューヨーク連銀は民間の投資銀行や商業銀行に救済を呼びかける措置を採り、金融市場のシステミック・リスクを防いだ2。
98年の危機の要因としては、97年に大量にロシアに流入していた短期資本が、巨額の財政赤字や政治の混乱、原油価格の下落等を背景に国外に流出したことが挙げられる。98年8月には、短期国債償還のための財源不足の懸念等から国債利回りが急騰するとともに、株価や通貨が急落した。ロシア政府は、これを受けて通貨ルーブルの事実上の切り下げ3や政府が保有する対外債務支払いの一部を90日間停止する(事実上のデフォルト)等の措置を採った。
98年の危機時と比較すると、今回は、(1)対外債務は民間債務中心であること、(2)外貨準備が潤沢であること、の二点が異なっている(第1-5-3図)。
3.ロシアとベネズエラの対外債務
前節でみたとおり、ロシアやベネズエラでは原油価格下落の影響を受けて実体経済が顕著に悪化しており、これらの国々の問題が国際金融市場に変動を与えるリスクが懸念される。
ロシアの対外債務の償還スケジュールをみると、返済のピークは15年後半からとなっている(第1-5-4図)。対外債務のほとんど(約9割)は民間債務であり、公的債務の割合は低い。外貨準備は取り崩しが続いているが、輸入月数比、短期対外債務残高比でみると余力がある状況である。このため、98年のような公的債務のデフォルトが発生するリスクは低いとされている(前掲第1-4-12表)。
民間債務は石油企業が多くを占めているとみられるが、ロシアの石油企業の生産コストはサウジアラビア並みに低く、原油価格下落には耐性がある4。従って、ただちに資金繰りに窮するような問題にならないと指摘されているものの、原油価格の下落が長期間にわたって続く場合には注意が必要である。
ベネズエラの対外債務(国債)の償還は、直近では16年2月がピークとなっている(第1-5-5図)。マドゥロ大統領は資金繰りに奔走しており、報道によれば、中国から累積50億ドルの支援を受け、15年3月には更に10億ドルの支援が決定したとされている。原油に依存した経済でありながら、原油の価格競争力は低いという構造問題を抱える中、今後の政府の経済運営が注目されている。
また、ロシアやベネズエラ向けの与信が各国の海外向け与信全体に占めるウェイトは大きくないため(第1-5-6表)、仮にロシアやベネズエラが債務不履行となっても、国際金融市場の混乱は限定的と考えられる。
4.原油価格のボラティリティ
原油価格のボラティリティ指数5をみると、14年8月頃から上昇し始め15年1月には世界金融機後のピークの11年8月6を超えた。世界金融危機の頃(08年後半から09年初め)ほどではないものの、原油価格はここ数年で最も値動きが激しい状況になっている。(第1-5-7図(1))。
一方、今回の原油価格下落局面において、投資家のリスク回避度を表すVIX指数は14年10月15日に14年の最高値である26.25を記録し、12月16日にも23.57まで上昇したものの7、15年5月現在落ち着いた動きとなっている。また、過去の原油下落局面(2000年11月~02年1月、08年7月~09年2月)と比較すると、VIX指数の水準は低い(第1-5-7図(1)、(2))。原油価格の値動きは激しいものの、金融市場全体でみれば投資家の不安が高まっている訳ではない。
5.資源価格への影響
原油以外のエネルギー関連の資源価格をみると、原油価格の下落に加えて、世界経済の回復が緩やかなものにとどまっていることもあって下落している。特に天然ガスは原油価格と連動して低下している。
また、燃料系の資源はドル建てで取引されているものも多く、ドル高になると他通貨建では相対的に割高になるため、需要の低下により価格を調整する圧力が生じていることも価格下落要因の一つと考えられる(第1-5-8図)。
6.金融政策や金利への影響
エネルギー関連の資源価格の下落は、カナダやオーストラリア、インドネシアといった資源国の実体経済にマイナスの影響を与えている。例えば、IMFによるカナダの15年の経済成長率見通しは、14年10月時点の2.4%から15月4月時点では2.2%に下方修正された。
一方、原油価格の下落は、本章第2節でみたとおり(前掲第1-2-4図)、消費者物価上昇率の低下につながっている。
こうした中、15年に入って政策金利の引下げを行う国が増えている(第1-5-9表、前掲第1-3-9図)。資源国のカナダやオーストラリアでは、資源価格の下落が経済に悪影響を与えるため、景気下支えを意図しているとしている。非資源国については、(1)インドでは、原油安がインフレ率の低下につながっているため、利下げにより成長加速を追求できる環境にあるとしているが、(2)トルコやタイではデフレリスクへの対処を意図しており、その政策目標に違いがみられる。
また、最近では、世界的に金利は低下傾向で推移している。金融政策正常化の方向に舵を切ったアメリカを除いて、日本やヨーロッパを始めとして世界的には緩和的な金融政策が続いている。15年3月9日には欧州中央銀行が量的緩和を開始した。このような状況の下で、政策金利を引き下げた国の国債利回りは緩やかに低下している(第1-5-10図)。
原油価格が低水準で推移すると、インフレ圧力が低下することから、一般的には緩和的な金融政策が維持される余地が大きくなると考えられる。こうした場合には、債券市場からの投資収益が期待できないため、株式市場やハイ・イールド債等のリスクの高い資産へ資金が流入し、これらのリスク資産が割高となる可能性がある。逆に、原油価格が反発するような地合いになると、資金が流入していた市場から資金の流出が生じる可能性もあることから、このような動きには注意が必要である。
7.エネルギー関連企業の負債
国際決済銀行(BIS)によると、原油や天然ガスのエネルギー関連企業の債務は06年の約1兆ドルから14年には約2.5兆ドルに増加した8。世界の債務総額は約199兆ドルという試算9もあり、一セクターの債務としては極めて大きいといえる。
エネルギー関連企業の債務が拡大した背景には、世界的な低金利を反映した資金調達環境の改善や、投資家の高利回りの債券への需要の高まり等がある。また、原油価格が上昇していたため、エネルギー関連企業の財務体質が改善したことも挙げられる8。
エネルギー関連企業の資金調達ではハイ・イールド債の発行が目立っている。14年時点でエネルギー関連企業の債券発行残高は1.6兆ドル、そのうちハイ・イールド債発行残高はおよそ2,000億ドルとも言われている10。アメリカでは、シェール事業の拡大に伴い、ハイ・イールド債指数に占めるエネルギー部門の割合が上昇している(09年末7.9% → 14年12月15日13.1%)10。
14年後半からの原油価格の下落後も、ハイ・イールド債は前年を上回るペースで発行されている(第1-5-11図)。
ハイ・イールド債の利回りは、原油価格が急速に下落していた14年12月に急上昇した。15年1月にはテキサス州においてシェール・オイルの開発を行う企業が破たんしたことを契機として、シェール関連企業の業績不安等からハイ・イールド債が売られる局面がみられ、金融市場への波及が懸念された。しかし、その後、利回りは再び低下に向かっており、投資家のおう盛な債券への需要を反映した形となっている(第1-5-12図)。なお、アメリカで14年に発行された債券に占めるハイ・イールド債の割合は5%程度11であり、原油価格下落がアメリカ債券市場に与える影響は限定的であるとの見方もある。
債務を増やしてきたエネルギー関連企業としては、アメリカのシェール関連企業のほかに中国のペトロチャイナやシノペック、ロシアのガスプロム、ルクオイル、ロスネフチなどの新興国企業が挙げられる。これらの企業では、原油安の影響で企業収益が落ち込み始めている。特に、ロシアでは14年後半以降のルーブル安によりエネルギー関連企業のドル建の債務負担が増加している。また、ムーディーズは15年2月にブラジルの国営石油会社ペトロブラス(同社の負債総額は14年12月末時点で1,321億ドル、GDP比約5.6%)の格付けを引き下げ、投資不適格(Ba2)とした12。
ハイ・イールド債の償還は石油・天然ガス関連企業では19年に、シェール関連企業では22年にピークを迎えると指摘されている13。原油価格は20年にかけて緩やかに上昇するとみられ(前掲第1-1-7図)、ハイ・イールド債の利回りも低下が続くなど、金融市場は落ち着きを取り戻しつつある。ただし、市場の予想に反して原油価格の低迷が長引いた場合には、エネルギー関連企業が資金繰りに窮し、債務返済能力に疑念が生じる可能性があるとの指摘もある。