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第1章 世界経済の回復とギリシャ財政危機

第1節 世界経済の現状

3.景気刺激のための財政・金融政策の転換には地域差

 世界金融危機発生後の対応として、各国では、金融緩和策や大規模な財政刺激策が実施されたが、景気が回復へと向かう中、緊急避難的に実施されたこれらの政策を解除し、平時の政策運営に戻していく「出口」に向けた具体的な動きやそのための議論がみられる。
 アジア(1)では、金融、財政政策ともに、出口に向けた政策スタンス転換の動きが開始されている。金融政策については、オーストラリア、インド、中国、マレーシア等が他に先駆けて出口に向かっている。オーストラリアでは、09年10月以降10年5月までに6回にわたり政策金利の引上げを実施しており、インドでは、10年2月(発表は1月)及び4月に預金準備率の引上げを、3月及び4月に政策金利の引上げを実施した。また、中国でも、10年1月、2月及び5月に計3回の預金準備率の引上げを実施した。財政政策についても、インドでは3月に発表した2010年度予算案において、過去2年間に拡大した財政赤字を縮小していく方針を示しており、オーストラリアでも5月に発表した2010年度予算案において、12/13年度(2012年7月〜2013年6月)までに財政黒字化を目指す方針が示された。また、韓国や台湾で、景気刺激策として実施していた自動車買換え・購入支援策を09年末に終了するなど、世界金融危機発生後に実施された財政面からの景気刺激策を縮小していく動きもみられる。
 他方、欧米では、金融政策において緩和策が維持されているが、財政政策においては、金融危機と景気後退により急速に悪化した財政状況を背景に、財政健全化に向けた議論が開始されている。
 アメリカでは、金融政策については、08年12月にフェデラル・ファンド・レート(FFレート)を0〜0.25%にまで引き下げ、その後もその異例の低水準を維持している。他方、財政政策については、2015年度基礎的財政収支均衡に向けた超党派国家委員会を設立するなど、財政再建に向けた検討が始まっている。
 ヨーロッパでは、金融政策については、ECBは09年5月に1.25%から1.0%に、BOEは09年3月に1.0%から0.5%に政策金利を引き下げた後、据え置いており、異例の低水準を維持している。これに対して、財政政策については、多くの国で安定成長協定に定める財政赤字、政府債務残高の基準を超過していることを踏まえ、09年11月、欧州委員会が各国の財政再建の目標及び時期を示し、遅くとも11年に、大多数の国では2010年から財政再建に取り組むこととしている。しかしながら、世界金融危機発生後、各国で実施された自動車買換え支援策が09年秋から終了ないし縮小した後、その反動が大きく現れるなど景気は依然厳しい状況にあることから、財政再建の取組は困難を伴うものと考えられる。

コラム1-1 裁量的財政政策の役割再考

 今回の世界金融・経済危機については、2008年9月のリーマン・ショック直後には「100年に1度」と言われるほど、危機の大きさやその影響を懸念する声が高まった。1929年からの世界大恐慌と今回の危機における経済指標を比較すると、世界大恐慌では、アメリカのGDPは実質で3割弱縮小し、失業率が25%にまで上昇するなど、大きな落ち込みをみせた。これに対し、今回の危機においては、09年全体では多くの国でマイナス成長となったが、09年末には持ち直している。こうした実体経済への影響の差異については、今後、更なる研究が必要であるが、政策対応の違いが重要な説明要因の一つと考えられる。特に、裁量的財政政策が実体経済の下支えに果たした役割は大きい。この点には、世界大恐慌や90年代の北欧や日本の経験などから導かれる過去の教訓も踏まえた、G20をはじめとする国際協調も貢献している。他方、今回の経験は、財政政策のあり方について、この20〜30年間、半ば常識となっていた考え方に再考を迫る面がある。
 少なくともこの20年間、ヨーロッパをはじめ多くの国々の政策担当者の間では、景気後退については金融政策で対応し、財政は自動安定化機能を活用し、裁量的財政政策の使用は極力回避すべきという考え方が共有されていた。しかしながら、今回の危機の対応においては、各国政府ともGDP比2%程度あるいはそれ以上の規模の裁量的財政政策を打ち出し、これらの政策は結果としては景気の下支え、持ち直しに寄与した。以下では、こうした政策がなぜ効果をもたらしたのかについて整理してみる。
 第一に、今回の危機対応において裁量的財政政策が有用だった背景を検討する。まず、(i)危機後の実体経済の落ち込みが非常に大きく、金融政策だけでは対応が十分ではなかったことがあげられる。金融政策は、史上最低水準まで金利を引き下げ、また、いわゆる非伝統的政策手段も用いており、更なる金融緩和の余地が小さくなっていた。また、(ii)裁量的財政政策は立案から効果の発現までタイム・ラグが長い点が欠陥であるが、今回の景気後退は長期化することが見込まれていたことも挙げられる(注1)。さらに、(iii)金融機関のバランスシートが傷んでおり、信用収縮の中で金融政策のトランスミッション・メカニズムが効率的に効かないこと、また、(iv)実体経済の悪化を放置すると不良債権増加を通じて更なる信用収縮を招き、それがまた実体経済の悪化につながるという悪循環に陥る可能性があることもあったと考える。特に、この(iii)、(iv)の点は、まさに金融危機特有の事象である。
 第二に、裁量的財政政策を発動するタイミングが比較的早く、「フォワード・ルッキングな財政政策運営」となっていたことも功を奏した要因と考えられる。2008年9月のリーマン・ショックを契機とする世界金融危機発生後の財政刺激策として、最も早かったのは、日本や中国等アジア諸国で、08年10月あるいは11月の時点で財政刺激策を打ち出していた(注2)。これらの国々では、金融システムへの影響が限定的だったこともあり、いち早く景気が持ち直した。他方、アメリカは、オバマ政権発足直後の09年2月に7,872億ドルの財政刺激策を立案、EUも08年12月に合意し、それから実行に移している。
 08年10月あるいは11月の段階では、9月半ばに起きた世界金融危機の実体経済への影響は、経済指標では確認できなかったはずである。経済指標の集計、公表には、通常1、2か月かかるからである。しかし、日本や中国は、足元の経済指標ではなく、先々の経済見通しに基づく政策運営、すなわちフォワード・ルッキングな財政政策運営を行ったものと評価できる。金融政策については、実施から効果の発現にタイム・ラグがあるため、通常、各国中央銀行とも先行きの経済見通しに基づいてフォワード・ルッキングな政策運営を行っている。財政政策も、議会の審議を経るなどの手続きもあり、一定のタイム・ラグがある。裁量的財政政策を効果的に用いるためには、フォワード・ルッキングな政策運営が重要であると考えられる。
 第三に、裁量的財政政策の内容にさまざまなイノベーションがみられたことも、今回の財政刺激策の特徴である。各国とも、単純な減税や公共投資の増加にとどまらず、自動車の環境対応推進や省エネ家電の普及促進、スマート・グリッドの推進、R&D予算の増額等、将来の経済成長の芽となるような政策を財政刺激策の中に盛り込んでいる()。その点で、財政刺激策の立案は各国政府の知恵の競争でもあったといえる。特に、自動車販売促進策は、これまでにない「非伝統的な財政刺激策」として、今回の危機対応では多くの国々が採用するところとなった。政策により、全世界で少なくとも合計1,000万台以上の需要が創出されたり、前倒しされ、欧米諸国やアジアの景気を下支えした(注3)。自動車産業は裾野が広く、波及効果が大きい上、高い環境基準を満たす自動車への買換え支援は環境政策として国民の理解が得られやすかったという事情も、世界的な展開を支えた要因である。もっとも、自動車販売促進策を既に終了した国においては反動減が広がっており、景気刺激策としての有用性については更なる検証が必要であろう。
 以上のような要因から、今回の金融危機後の局面においては、裁量的財政政策は一定の有用性を発揮した。ただし、最終的な評価を下すのは時期尚早である。金融システム安定化策では出口戦略が実行されつつある中で、裁量的財政政策の出口戦略の実行はまだこれからの国も多い。現在、多くの国々が財政赤字の拡大とソブリン・リスクの高まりに直面しており、出口を安全に出るまでは、裁量的財政政策の最終的な評価は難しい。更なる時間の推移と検証が必要である。


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