第1章 アメリカの教訓 −IT活用による労働生産性の加速 |
本節では90年代後半以降アメリカの労働生産性上昇率が加速するなかで日欧の労働生産性上昇率を逆転するに至った推移を概観する。労働生産性上昇の要因としてIT投資の果たした役割を検証するととともに競争的な市場環境、労働市場の柔軟性などの構造的な環境整備の果たす役割について検討する。さらに経済全体の労働生産性の上昇のためには直接IT関連製品・サービスを作り出す産業だけでなくIT技術を活用した産業の労働生産性の上昇が重要であることを示す。
●90年代後半以降において労働生産性上昇率が加速したアメリカ
まず、アメリカ、欧州(EU加盟15か国平均)、日本の民間部門の労働生産性上昇率(単位労働時間当たり)の推移を振り返ってみよう(第1-1-1図)。
80年代から90年代前半にかけて、日本、欧州の労働生産性上昇率はアメリカを上回って推移していた。80〜94年の平均労働生産性上昇率は、日本が3.0%、欧州は2.5%となっており、一方でアメリカは1.3%であった。ところが、90年代半ばから、日本、欧州の労働生産性は伸びが鈍化した一方、アメリカの労働生産性は高まり続け、90年代後半には、日本、欧州を追い抜いた。2001年にITバブルが崩壊した後も、アメリカの労働生産性は高い伸びを続けている。一方、日本、欧州では、アメリカに比して低い伸びにとどまっている。
●北欧等でも90年代後半以降に労働生産性上昇率が加速
次に、主要国におけるGDPベースでの労働生産性(単位労働時間当たり)の動きを概観することにする(1)。ここでは、80年代(80〜90年)、90年代前半(90〜95年)、90年代後半以降(95〜2002年)に分けて、各期間の間で平均労働生産性上昇率がどのように変化したかという動きを把握することとする(第1-1-2図)。
まず、80年代と比較して90年代前半にかけて労働生産性上昇率が高まっている国は、ドイツ、イギリス、スウェーデン、オーストラリア等である。逆に日本、フランス、アメリカ、フィンランドでは、労働生産性上昇率は低下している。
次に90年代を前半と後半以降に分けてみると、90年代後半以降において労働生産性上昇率が高まっている国は、アイルランド、アメリカ、オーストラリア、カナダ、スウェーデン、フィンランドであり、90年代後半以降においてアメリカの労働生産性上昇率が加速していることはGDPベースでみても確認できる。なお、アイルランドは80年代と90年代前半では平均労働生産性上昇率に変化がみられないが、労働生産性上昇率自体の水準は他国と比較して一番高いものとなっている。他方、日本や欧州主要国(イギリス、ドイツ、イタリア)では、90年代前半と比較して、90年代後半以降では労働生産性上昇率は低下している。
●労働生産性上昇率とITとの関係
一般に、労働生産性上昇率は資本装備率(労働投入1単位当たりの資本ストック)の上昇率と全要素生産性(TFP)の上昇率の合計と考えられる(2)。機械化の進展により資本装備率が高まれば労働生産性も高まると考えられる。また、全要素生産性上昇率は、経済成長にとって最も基本的な生産要素である労働力と資本の双方以外の要素によってもたらされる生産性の上昇の寄与分である。全要素生産性の上昇は技術進歩の進展や規制改革等による経済全体の効率化等によって実現されると考えられる。
アメリカなどにおいて、90年代後半に労働生産性上昇率が加速した背景として、ITの役割は大きい(3)。
企業がIT投資を積極的に行い、IT資本ストックが蓄積すると資本装備率は高まり、労働生産性は上昇する。また、コンピュータや半導体などのIT財は価格低下が著しいため、単純労働を代替し、資本装備率の上昇につながる。さらにIT財は90年代以降、技術革新によって高付加価値化が進んでいる。企業は生産工程にIT設備を導入することによって生産性を高めることができる。特にインターネット技術の普及を背景としてネットワークを活用した最新のコンピュータや通信機器等のIT投資を拡大することで、生産性の向上スピードは加速すると期待される。
ITが経済全体の労働生産性を高めることについては、IT投資の効果のほかに、技術革新の著しいIT産業自体の生産性上昇が高いことも指摘されている。これらを踏まえ、以下では、IT産業の各国比較を行い、次にIT投資の動向を分析したい。
●IT産業の比重の大きいアイルランド、フィンランド
IT産業はIT製造業とITサービス業に分類される(4)(第1-1-3表)。
IT産業は90年代を通じて世界的に急成長を遂げたところであるが、IT産業自体の生産性上昇が著しいことから、IT産業の規模が大きい国では経済全体の労働生産性が押し上げられることになる。
IT産業の規模についてみると(第1-1-4図)、フィンランドやアイルランドでは国内経済に占めるIT製造業の規模が大きい。フィンランドでは、携帯電話部門で最大手のノキアを中心に、世界的な携帯電話市場の拡大のなかで、通信機器の生産が拡大している。こうした背景から、90年代後半以降、労働生産性上昇率が高まっていると推察される。また、アイルランドでは、世界有数のIT企業の誘致成功によってIT機器の製造ウェイトが高まっている。アイルランドは、80年代以降一貫して高い労働生産性上昇率を達成しているが、90年代後半にかけて労働生産性上昇率が加速した背景には、このようなIT機器の製造ウェイトの高まりが影響していると思われる(アイルランドについては、コラム参照)。
アメリカ、イギリス、スウェーデンでは、通信業やコンピュータ及び関連産業等のサービス業の比重が大きい。
コラム:二分化したアイルランド経済(高生産性部門と低生産性部門) アイルランドは人口400万人(東京都の約3分の1)の小国ですが、94〜2000年に実質GDP成長率9%(年率)の目覚しい経済発展を遂げ、「ケルトの虎」(Celtic Tiger)と称されました。今やEUで最も成長率の高い国の一つであり、国民1人当たりのGDPはEU第3位の高所得国となっています。また、80年代以降一貫して高い労働生産性上昇率を達成し、95〜02年の平均労働生産性上昇率は5.4%となっています。
参考文献
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●IT投資が積極的に行われたアメリカ、フィンランド、オーストラリア、カナダ
主要国におけるIT投資の動向(民間設備投資に占める割合)をみると、各国ともに80年代以降、IT投資は増加している(第1-1-5図)。なかでもIT投資が大きく伸びている国は、フィンランド、オーストラリア、アメリカ、カナダである。IT投資の割合が高い国は、アメリカ、フィンランドであり、民間設備投資の25%を超えている。またカナダ、オーストラリアでも20%を超えている。
IT投資のうち、通信設備やIT機器はどの国でもおおむねシェアが伸びているのに対し、IT投資の割合が高い4か国(アメリカ、フィンランド、オーストラリア、カナダ)はソフトウェア投資の伸びが高いことが特徴となっている。なお、これらの4か国は、前述の90年代後半以降に労働生産性上昇率が加速している国と一致している。
一方、日本や欧州主要国(ドイツ、イタリア、イギリス)では、IT投資の伸びは低調となっている。ただし、日本のソフトウェア投資の範囲は、受注コンピュータ・ソフトウェアのみであり、自社開発ソフトウェアやパッケージソフトが含まれていないため、日本のIT投資は実態より過小評価されている点に注意する必要がある。
●市場が競争的である国で積極的に行われたIT投資
前述のように、労働生産性上昇率が加速した背景には、IT投資が積極的に行われたことが挙げられる。このような国においては、市場での競争を阻害する障壁が少ないことや労働市場がより柔軟であるとの指摘がある(5)。
市場における規制とIT投資の関係についてみると、規制が緩やかな国でIT投資が積極的に行われたことがわかる(第1-1-6図)(6)。ここでは市場における規制として、参入障壁や市場への行政の関与の強さなどに基づいて規制の強さを数値化したものを利用する(7)。IT投資の動向を表すものとして、90年から2001年のIT投資の民間設備投資に占める割合の変化をとると、市場における規制が強いとされるドイツ、フランス、イタリアではIT投資の伸びが低い。一方で、カナダ、オーストラリア等規制がより緩やかな国において、IT投資の伸び幅が総じて大きい。市場における規制が緩やかである国では、競争的な環境のなかで勝ち残るために企業が積極的にIT投資を行い、生産性を高めていったのではないかと推察される。
●労働市場が柔軟な国で高まった労働生産性上昇率
労働生産性上昇率と労働市場の柔軟性の関係をみると、90年代以降については、労働市場が柔軟な国で労働生産性上昇率が高まる傾向が認められる(第1-1-7図)。労働市場の柔軟性を表す指標として、雇用・解雇に関する慣行等に基づいて数値化したものを用いる(8)と、労働市場が柔軟であるとされるアメリカ、カナダ、オーストラリアでは労働生産性上昇率が95年以降加速している。
他方、労働市場が硬直的であるとみられるドイツ、イタリアでは、労働生産性上昇率が90年代前半と比べて95年以降では低くなっている。労働市場が硬直的な国では、生産性が低い部門から生産性が高い部門への労働移動が円滑に行われないことや、ITに習熟した技術者の採用が低調なため企業の新技術導入へのインセンティブが湧き上がりにくいために、生産性が上昇しにくいことが示唆される。
既にみたように、アメリカでは90年代後半に生産性上昇率が高まったが、EUでは労働生産性上昇率はむしろ低下傾向を示している。このような両者の違いはIT利用産業がどれだけ有効にITを活用しているかということに依存していることが示される。
●IT利用産業における労働生産性上昇が著しかったアメリカ
各産業をIT資本の利用度という観点から分類する(9)。IT製品を生産している産業をIT生産業とし、それ以外の産業については、IT資本ストックの資本ストック全体に占める割合をもとに上位5割をIT利用産業、下位5割を非IT産業に分類する。このように分類された各産業について、さらに製造業とサービス業に分類する。例えば、IT生産産業のうち製造業とはオフィス機器製造業、通信機器製造業、半導体産業等であり、サービス業とは通信、コンピュータ関連業である。IT利用産業のうち製造業は、機械設備、精密光学機器等であり、サービス業は卸・小売業、金融・保険業等である(10)。
この分類によると、アメリカでは、90年代後半以降、IT生産製造産業とIT利用サービス産業において労働生産性上昇率が高まったことが分かる(第1-1-8図)。特に、IT利用サービス産業での労働生産性上昇率の高まりが顕著であり、90年代前半の年率1.6%から90年代後半には年率5.3%となっている。EUにおいても90年代後半にIT生産製造業で労働生産性が上昇しているが、その他のほとんどの産業では労働生産性の大幅な上昇はみられず、アメリカで労働生産性の上昇が顕著であったIT利用サービス産業においても労働生産性の大幅な上昇はみられない(前掲第1-1-8図)。
●アメリカの労働生産性を押し上げたIT利用サービス業
各産業における労働生産性の変化が経済全体の労働生産性にどのような影響を与えたかをみるために、産業別の寄与度をみることにする。アメリカの労働生産性が高い上昇率を示した90年代後半には、IT利用サービス産業の寄与度は1.3%であり、経済全体の労働生産性上昇率の半分以上を占めている(第1-1-9表)。特に、IT利用サービス産業の90年代前半の寄与度が0.3%程度であったことと比較するとIT利用サービス業の寄与が90年代後半に顕著に高まったことが分かる。IT生産産業のうち製造業の伸びは非常に高いものの、経済全体に占めるIT生産製造業のシェアがそれほど大きくないことから、経済全体の労働生産性の伸び2.3%に対する寄与度は0.7%にとどまっている。また、他の産業の寄与度は90年代前半と比較して小さくなっているか、ほぼ同程度となっている。
EUについては、IT生産製造業・サービス業の寄与度が90年代後半に高まっているが、他の産業の寄与度は横ばい、あるいは低下しており、経済全体の労働生産性上昇率は低下した。
このように、90年代後半に、アメリカ、EUともにIT生産産業で労働生産性上昇率が高まったが、アメリカでは、さらに、卸売業、小売業や金融業などで労働生産性が著しく上昇したために、経済全体としても労働生産性上昇率が高まったことが分かる。