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第I部 海外経済の政策分析

第2章 産業再生−北欧・アジアの経験

第2節 北欧・アジアの産業再生

 本節では政府が産業再生に取り組んだ先例とされるスウェーデン、フィンランド、韓国、マレイシアの経験を紹介する。

1.スウェーデン
  −政府主導で実施された「良い銀行、悪い銀行」アプローチ

(1)公的資産管理会社設立に至る経緯

 スウェーデンでは、1980年代に持続的な好況が続く中で、通貨クローナの切り下げや、貸出金利規則の緩和、貸出の量的規制の撤廃などの金融自由化が行われた結果、金融機関の貸出競争を招き、不動産価格・株価が急騰した。しかし、90年代に入ると景気が減速し始め、91年をピークに不動産価格が急落して金融機関の不動産担保債権が不良債権化した。
 92年には大手銀行が危機的な状況となり、政府は預金者および債権者保護の観点から、公的資金による銀行の預金・債務の全額保護を宣言する包括的な支援策を発表し、同年12月に議会で可決された。
 政府は支援申請のあった銀行について、外国コンサルタントなどの活用により透明性を確保しながら財務状況の分析を行い、自己努力による再建が絶望的と判断されたノルド銀行とゴータ銀行を国有化した。ノルド銀行にはセキュラム、ゴータ銀行にはレトリーバと呼ばれる資産管理会社がそれぞれ設置され、問題債権の大部分を銀行本体から分離した上で、専門的に処理させた。さらに、政府の支援を受けなかった銀行においても、それぞれに資産管理会社が設置された。

(2)公的資産管理会社−セキュラムの概要

 以下では、規模の大きいセキュラムの例を取り上げて、その特徴を明らかにする。

●政府出資による不良債権買取り
 セキュラムは、ノルド銀行の「悪い銀行」の役割を担うためノルド銀行自身により、民間の株式会社として92年に設立された。セキュラムはノルド銀行からの融資270億クローナと、国からの出資240億クローナを受け、ノルド銀行の簿価670億クローナ(対GDP比4.6%)の不良資産を査定した上で500億クローナに減額して買取った。処理対象となった債権の大半が、当時はデフォルトと認識されていたため、このような減額が可能であった(金融危機が生じた1991年当時のスウェーデンの名目GDPは1兆4千億クローナ、1クローナ=22円)。査定には専門知識を有する米系の外資企業が活用された。
 セキュラムの特徴としては以下の3点があげられる。
 第一に、セキュラムはノルド銀行のために設立された資産管理会社であり、アメリカのRTCやアジア危機諸国の公的資産管理会社と異なり、セキュラムが買取った資産は全てノルド銀行一行のものであった。
 第二に、セキュラムは、資産の管理・処分を専門的に行う上で比較優位が発揮できる大型(1500万クローナ以上)の債権や、構造が複雑な債権(経営が複数の国にまたがるものなど)のみを買取りの対象とした(消費者信用などは買取られなかった)。
 第三に、セキュラムの株式は国に取得されて国有企業となったが、業務の遂行に関しては高い独立性を有していたといわれる。財界の代表者からなる監視委員会や不正防止のための委員会が設立されたほか、業務報告の公表などを通じ、透明性・説明責任の確保にも努めた。

●事業再生手法
 セキュラムの事業再生手法には、以下のような3つの特徴が指摘できる。
 第一に、スウェーデン経済の規模が小さいことから、破産処理等によって不良債権の担保不動産が大量に投げ売りされることは不動産価格のさらなる下落につながる可能性があり、避ける必要があった。このためセキュラムは取得した担保不動産の単純な売却ではなく、付加価値をつけ、資産価値を高めた上で合理的な価格で売却することを目的とした。
 第二に、事業再生を迅速に行うため、セキュラムは取得した資産の種類に応じて子会社を設立し、それぞれ専門家を迎えて事業再生を手がけさせた。
 第三に、セキュラムの業務は、デット・エクイティ・スワップなどで取得した企業の経営合理化や不要事業資産の売却、他社との合併・買収などのアレンジ等まで広く及び、また、必要に応じて資本の増強も行った。
 事業再生の手法は、個別ケースに応じて選択されたとみられるが、事業再生が行われた企業へのアンケート調査によると、回答企業27社中11社が、生産コストの引き下げ、また7社がM&A(合併・買収)、価格・品質の見直しに取り組んだとしている(27)
 セキュラムの職員には、処理対象の債権に詳しいノルド銀行の職員が多く登用された。こうした場合、利益相反も考えられるが、これもやはり対象債権の大半が既にデフォルトと認識されていたために可能であった。また多くの場合、融資を許可した者ではなく融資の管理担当者が登用されたといわれている。さらに、資産内容に応じて法律家、エコノミスト、外国コンサルタント等、個別のケース毎に各分野の専門家が柔軟に登用された。

(3) 評価

●産業再生後の経済
 スウェーデン経済は、実質GDP成長率が91年からマイナス成長が続いた後、93年以降回復期に入り、94年にはプラスに転じ急速に回復した。
 また、92年以降の低金利の下で不動産価格も上昇に転じ、資産管理会社の不良債権処理が順調に進んだ大きな要因となった。
 大手銀行は95年までに黒字の当期純益を計上し、政府は95年11月に支援措置の廃止を表明して事実上の金融危機終了宣言を行い、翌年7月には予定通り支援措置が廃止された。

●処理金額と財政コスト
 セキュラムには公的資金によって240億クローナが出資されたが、97年に解散されるまでの5年間で不良債権処理をほぼ終了して140億クローナを国に返済した。また、ノルド銀行に残された優良債権の売却益等を合わせると、政府は支出した支援額(635億クローナ、対GDP比4.4%)を上回る670億クローナを回収することができたといわれている。
 このように、セキュラムは不良債権の処理を短期間に高い回収率で終えたことから、「良い銀行、悪い銀行」アプローチの成功例として知られている。これには、買取り対象の債権を大型で少数のものに限ったこと、また不良債権の多くが、工場労働者の解雇などを必要としない商業不動産関連融資であったことなどが、有利に働いたとされている。


2.フィンランド−数次の公的資金注入で「悪い銀行」グループを形成

(1)公的資産管理会社設立に至る経緯

 フィンランドにおいても、スウェーデン同様、80年代に金融自由化を進めた結果、銀行貸出が著しく拡大し、80年代後半に株式・不動産バブルの発生を招いた。とりわけ、金融の自由化で資金調達手段が多様化した貯蓄銀行は、不動産関連企業向けを中心に急激に貸出を拡大させていた。こうした中、88年後半から89年初めにかけての大幅な金融引締めをきっかけにバブルが崩壊し、さらにソヴィエト連邦の崩壊など90年代初頭の東ヨーロッパの激変により旧ソ連を含む東欧向け輸出が大打撃を受けたことから、フィンランドは深刻な景気後退に陥った。
 高金利と資産価格の下落により、91年9月には貯蓄銀行の中央銀行としての役割を担っていたスコップ銀行が破綻の危機に瀕し、金融システムに動揺が生じたことから、政府は同行をフィンランド中央銀行の管理下に置くとともに、92年には全ての銀行に対する予防的な公的資金(総額80億マルカ)(対GDP比1.6%)の注入を決定した。さらに、金融危機に対処するための特別機関として政府保証基金(GGF(28))が設立された。
 政府保証基金は、不動産関連融資や株式投資を大規模に行っていた41の貯蓄銀行の救済にあたり、これを合併させることとし、92年6月にフィンランド貯蓄銀行(SBF(29))を設立した。基金は、フィンランド貯蓄銀行に対して公的資金の注入、債務保証などの支援を行ったが、公的支援を受けながら同行が経営を続けるのは不公正であるとの批判を受けたことなどから、政府は93年10月、同行の資産のうち健全な部分を分割して4大銀行に売却し、不良債権については新たにアーセナルと呼ばれる資産管理会社を設立してこれに移管することを決定した。
 政府保証基金はまた、92年9月に破綻の危機に瀕したSTS銀行について、93年にKOP銀行に株式を取得させて健全資産を移管するとともに、STS銀行に30億マルカの資金を注入し、実質的に「悪い銀行」とした。

(2)公的資産管理会社−アーセナルの概要

 ここでは、いくつかの資産管理会社を吸収して「悪い銀行」グループを形成したアーセナルについて、その特徴を明らかにする。

●政府出資による不良債権買取り
 アーセナルは政府および政府保証基金が100%出資する株式会社として93年11月に設立された。94年末までに、政府はアーセナルに対して政府保証基金と併せて110億マルカ(対GDP比2.1%)の出資を行うとともに、資金調達に対する280億マルカ(同5.7%)の保証を与えた。これにより、アーセナルはフィンランド貯蓄銀行(SBF)の不良債権390億マルカを簿価で買取った。さらに、95年には80億マルカの追加出資(30)を得ている。
 アーセナルの不良債権買取りの特徴としては、数次にわたって得た公的資金注入を背景に、銀行ごとに設立された資産管理会社(「悪い銀行」)の買取りを進め、「悪い銀行」グループを形成していったことがある。95年にフィンランド貯蓄銀行の残余資産を買取るとともに、これをアーセナル−SBFと改称して資産管理子会社としたのをはじめ、「悪い銀行」となったSTS銀行を買取り、これも資産管理子会社とした。この過程で、不良債権は種類や規模にかかわらず、全てが買取られた。
 業務遂行上の独立性に関しては、民間人2人、フィンランド財務省や産業省などから指名された4人の計6人で構成された理事会が設置され、CEOには民間人が起用された。業務は政府保証基金や会計検査院、議会が任命した監査役が監督した。

●事業再生手法
 買取った不良債権の債務者企業は、外部のコンサルタント会社によって査定され、アーセナルによる一時的な支援で事業再生可能か否かが判断された。再生可能と判断された企業は、多くの場合デット・エクイティ・スワップによって取得され、収益を高めるための事業再生が開始される。その際のアーセナルの役割は、再生期間中の企業への新たな資金の貸出、債務の保証、手形の買受、ポートフォリオ管理などの金融業務から、合併や事業再生の支援などコンサルティング業務まで広く及んだ。なお、取得不動産については管理、リース等を行い、建設計画には携わらなかったが、建設途中で資産価値を高めると判断されたものについては計画を完成させたという。

(3)評価

●産業再生後の経済
 フィンランド経済は91〜93年まで実質GDP成長率がマイナスであったが、徐々に回復の兆しが見え、94年から景気が急速に回復した。このことが、むしろアーセナルの資産管理・処分に有利に働いたとの見方もある。また、アーセナルに移管された不良債権は、全金融機関資産の5.2%と比較的小さく、そのうちの多くが不動産関連融資だったことや、潤沢な公的資金注入を受け、また人材に恵まれていたことなどが、有利に働いたともいわれている。逆に、不利に働いた点としては、種類や規模に関係なく不良債権を買取ったため、効率的な処理が困難となったことが指摘されている。

●処理金額と財政コスト
 アーセナルは政府および政府保証基金から228億マルカの公的資金を受け入れ、資金調達に対する280億マルカの保証を得た。潤沢に得た公的資金を背景に、簿価で移された不良債権の大幅な評価切り下げなどを行い、97年末までに180億マルカの損失を出したとされている。97年末までに買取った不良債権430億マルカの半分以上(53.5%)が処理されており、業務は概ね順調であったとみられるが、企業再生においてどこまで重要な役割を果たしたかについては、その評価は難しいとされる(31)。 
 フィンランドでは金融危機に際し、金融機関およびアーセナル等の資産管理会社に数次にわたって公的資金が注入された結果、その総額は対GDP比で11%にのぼった。これは、金融危機の長さがほぼ同じ(約4年)であったスウェーデン(同4%)を大幅に上回るものであった。
 


3.韓国−金融機関主導でワークアウトを推進

(1)公的資産管理会社設立に至る経緯

 韓国では1997年の通貨・金融危機の発生に伴い、金融機関に大量の不良債権が発生した。これに対し1997年11月、韓国政府は韓国開発銀行(KDB、日本の政策投資銀行に相当)の不良債権処理のため1962年に設立された成業公社をアメリカのRTCにならって改組し、不良債権の処理を推進した(成業公社は後に韓国資産管理公社(KAMCO(32))へ改称された)。

(2)公的資産管理会社―韓国資産管理公社(KAMCO)の概要

●政府出資による不良債権買取り
 KAMCOの資本構成は、1400億ウォンのうち韓国政府が42.9%、KDBが28.6%、金融機関による出資が28.6%(2001年末)となっている。不良債権の買取り原資として97年に設立され、KAMCOが管理する不良資産管理基金(NPAファンド(33))は、2001年末で総額21.6兆ウォンとなっており、うち20.5兆ウォンはKAMCO債の発行(34)、1.1兆ウォンは金融機関からの借入で調達されている。
 KAMCOの不良債権買取りの特徴としては以下の三点があげられる。
 第一は、買取りが多額であった点である。買取り業務を終えた2002年11月までにKAMCOが買い取った不良債権は額面で110.0兆ウォンに達し、これはGDP(2002年)の18.4%に相当する。
 第二は、全ての金融機関から買取りを行った点である。銀行再編の過程では、KAMCOは自己資本比率が8%未満で整理対象もしくは条件付存続とされた銀行について不良債権を全額買取った。また、健全な銀行からも必要に応じて買取りが行われ、さらに投資信託会社をはじめとするノンバンクからも買取りを行った。
 第三は、買取りは簿価を大幅に割り引いて行われた点である。当初の買い取り価格はやや高め(35)であったが、98年9月以降、担保付き債権は担保価額の45%で、また無担保債権については元本の3%との単一価格基準を設定し、市場価格に近い価格での買取りが行われるようになっている。

●事業再生手法
 KAMCOは買取った不良債権については競売や直接回収のほか、国際入札や資産担保証券(ABS(36))の発行によって処分している。特にABSについては1999年にKAMCOが国内で初めて発行して以来、一般金融機関による発行も増加しており、不良債権処理の進展に寄与した。
 1997年の改組当初はアメリカのRTCをモデルとして、買取った不良債権の早期売却を進めていたが、99年以降は企業再生による回収価額の最大化に重点が置かれるようになり、企業再生のための短期資金融資やデット・エクイティ・スワップ等の機能が付加されている。企業再生は、KAMCO自身によるもののほか、外資系投資銀行と合弁で設立した企業構造調整専門会社(CRC(37))や企業構造調整投資会社(CRV(38))への不良債権の売却を通しても行われている。
 CRCは、再生対象企業(小規模の企業が中心)の経営権を取得し、再生後に企業の売却を行う。KAMCOによる合弁設立のほか、民間出資によるものも多く、2001年末時点で95社が設立されている。CRVはCRC同様企業再生を担うが、自身はペーパー・カンパニーであり再生業務は他の資産管理会社に委託する。国内外の投資家から多額の資金調達が可能なため、大企業の買取りに適している。KAMCOは2001年に国内第一号のCRVを合弁で設立している。

(3)韓国におけるロンドン・アプローチ−金融機関主導のワークアウト

 韓国の産業再生の特徴の一つとして、金融機関主導によるワークアウトが行われた点があげられる。
 これは、不渡り・法定管理(日本の会社更生法に相当)に進む以前に、債権金融機関が企業と協力して財務再建計画(系列企業整理、資産売却、減資、経営陣縮小)を立案し実行する金融機関主導の法廷外再建の枠組である。法律的な根拠のある制度ではなく、企業再建合意(CRA)という金融機関210社の間で結ばれた紳士協定に基づいている。政府は企業再建調整委員会(CRCC)を設立し、ワークアウトのガイドラインを提供するとともに、債権者間、債務者間の利害調整や調停を行った。
 ワークアウトにおいては、企業は金融機関から新規支援を受けながら営業を継続できる。一方、金融機関の側にも多くの優遇措置がとられ、対象貸出金について引当基準の緩和等が認められた。
  しかしながら、ワークアウトは金融機関の合意に拘束力が乏しかったことに加え、99年以降の景気回復等によって金融機関が企業再生を推進する誘因に欠けていたことから、所期の成果は上がらなかった。そこで韓国政府は企業整理を加速するため、2000年11月に債権銀行団に整理対象企業を選定させ、再生不能企業52社を公表した。また、2001年9月には5年間の時限立法として企業構造調整促進法が施行された。これにより金融機関は定期的な企業モニタリングを行い、貸出企業に破綻の兆候が発生した場合は企業再生を行う法的義務が課されるとともに、債権者金融機関の決議には法的拘束力が与えられ、金融機関主導による企業再生の促進が図られている(39)

(4) 評価

●産業再生後の経済
 通貨・金融危機直後の1998年には▲6.7%まで落ち込んでいた実質GDP成長率は、ウォン安やITブームによる輸出の急増に支えられ99年に10.9%、2000年は9.3%と急回復を遂げた。2001年はITブームの終焉により景気は減速したが、2002年は民間消費が好調だったことから6.3%の高成長となった。
 この間、KAMCOによる不良債権の買取りによって、金融機関の健全性は大きく改善した。ピーク時の1999年末に13.6%だった商業銀行の不良債権比率は、2002年末には2.4%まで低下した。
 これに対し、再生の対象となった企業部門については、通貨・金融危機前に比べ改善したとはいえ、財務体質・収益力の点ではまだ改善の余地は残されている。大企業や輸出企業、IT関連企業を中心に高収益企業が増加している一方、依然として多くの企業が過剰負債・低収益体質のまま残在している。製造業では営業利益で利払いを賄えない企業の数が依然として全体の34%(2002年1〜9月)にも上っており、企業業績の二極化が進行している。

●処理金額と財政コスト
 KAMCOは2002年11月末までに、額面110.0兆ウォンの不良債権を39.8兆ウォン(額面の36.2%)で買取り、このうち額面62.9兆ウォン(同57.2%)の処分を終えている。処分した分の売却価格は29.3兆ウォンで買取り価格の25.8兆ウォンを上回っており、二次損失は発生していない。
 金融部門に投入された公的資金(大部分は政府保証債)の総額は159兆ウォン(2002年末)に上り、GDPの約3割に相当する。回収不能分は最終的に国民負担となるが、公的資金の回収率は33.8%にとどまる。これに対し、KAMCOに投入された公的資金38.7兆ウォン(2002年3月末現在、回収分の再投資も含む)については、最終的に9割を超える回収が見込まれている。
 なお、政府推計によると公的資金全体の最終的な損失は総額87兆ウォン(GDP比約15%)となる見通しである。このうち政府が既に負担した18兆ウォン(政府保証債の利払い)を除く69兆ウォンについては、政府が49兆ウォン、金融機関が20兆ウォン(預金保険料率の引上げ)分担し、25年間にわたって負担する方針とされている。


4.マレイシア−集権的資産管理会社に強力な法的権限を付与

(1)公的資産管理会社設立に至る経緯

 97年のアジア通貨危機によって、マレイシアの不良債権比率は97年末の4.1%が98年末には13.6%に増加した。経営が悪化した金融機関に対し、政府は98年6月にスウェーデン、米国、メキシコの事例を研究して資産管理会社(ダナハルタ)を設立し、不良債権の買い取りを行った。さらに7月には企業債務再編委員会(CDRC)を設立し、私的整理の仲介を行わせた。

(2)公的資産管理会社―ダナハルタの概要

●政府出資による不良債権買取り
 ダナハルタによる買取りの対価としては、主としてダナハルタ債(政府保証付(リスク・ウェイトはゼロ)のゼロ・クーポン債、転売可能)が用いられる(40)。ダナハルタの発足にあたり、政府は15億リンギを出資し、買取りが必要とされた不良債権150億リンギ(=約40億ドル)分のダナハルタ債発行枠を与えた。2002年末までに111億ドル分のダナハルタ債が発行されている。
 ダナハルタの買取りの特徴としては、厳格な資産査定のもとで、評価額500万リンギ以上の大口債権のみを対象としたことや、買取り価格を、担保付き債権は担保価額、無担保の場合は元本の10%として市場価格に近い価格としたことがあげられる。資産の査定は、専門家により個別にディスカウント・キャッシュ・フロー法などを用いて厳格に行われている。
 ダナハルタの不良債権買取りは、金融危機を回避するための予防的措置と位置づけられ、存続する金融機関から任意で行われるとされている。売却価格が買取り価格を上回って利益が出た場合には80%を金融機関に返却する一方、損失についてはダナハルタが負担するなど、金融機関に売却誘因を与えた。
 ただし、実際の買取りは、不良債権比率の高い金融機関や、製造業・建設業などへの融資を行っていた金融機関から優先して行われ、特に、不良債権比率が10%を越える金融機関については、ワークアウトもしくはダナハルタへの売却によって同比率を引き下げることを義務づけた。また、ダナハルタの買取りに同意しない金融機関には不良債権評価額をダナハルタが提示した買取り価格の80%まで償却させるなど、強力に買取りを推進した。
 また、ダナハルタは、債権の買取りに際して、債務者の許可を得ることなく旧債権に付随する権利を全て承継することができるほか、特別管財人を任命することができる(後述)など、強力な法的権限が与えられている。

●事業再生手法の特徴
 ダナハルタは、債務超過企業について清算よりも事業再生が有利と判断した場合に特別管財人(41)を任命し、再建計画を策定させる。管財人が再建計画を策定する間(12か月)、全ての債権回収行為や担保権の実行は停止され、ダナハルタが承認した再建計画には全ての債権者が拘束される。
 ダナハルタには、外部からの積極的な助言を受け入れるため、外資系企業の人材が約2割在籍しており、さらに米系の外資投資銀行や監査法人がアドバイザーとして任命されている。管財人は外資系金融機関や監査法人などから派遣され、対象となった企業グループは2003年2月末で71グループある。個別の企業毎にみると41社の事業再生がおおむね終了している。
 事業再生にあたっては、担保となっている不動産や株式を、ホテル観光業、一般事業といった産業別のダナハルタ子会社に移すなどの手法がとられている。

(3)マレイシアにおけるロンドン・アプローチ
   −調停を強力に進めた企業負債再編委員会(CDRC)

 ダナハルタによる政府主導の不良債権処理を補完して、民間主導の不良債権処理が企業負債再編委員会(CDRC)によって進められた。
 マレイシアでは従来、会社法による企業再生の手法があったが、この法律を適用すると、債権者金融機関は再建計画が確定するまで(通常6か月間)債権回収を行うことができなくなり、債務者側に有利な法律であると言われていた。このため、98年11月に会社法の申請を制限すると同時に、中央銀行は法廷外での企業再生を支援するCDRCを設立した。
 私的整理では、債権者や株主など利害関係者の損失を最小限にとどめ、存続可能な事業を守り、債務処理の包括的なフレームワークを適用することができる。CDRCには米系外資監査法人をアドバイザーに迎え、専門家が私的整理を仲介したことから、存続可能な企業が清算されたり、財産管理下に入ることを回避し、雇用や生産設備を維持することができたといわれている。
 CDRCの調停には中央銀行も積極的に関与し、調停に非協力的な債権者の債権はダナハルタの買取り対象とされるなど、調停は半ば強制的に進められた。CDRCが取り扱う案件は、存続可能な企業が複数の金融機関から5000万リンギ以上の借り入れを行っている場合に限定され、債務再編には社債への転換が多く行われた。CDRCは2002年7月に解散したが、CDRCが再生事例を提供し、債務処理のノウハウを蓄積したことが役立ち、債権者、債務者間での私的整理が進むようになったといわれる。

(4)評価

●産業再生後の経済
 マレイシアは97年7月に通貨危機に見舞われてから、1年の間にダナハルタ、CDRCを設立しており、比較的早い段階で不良債権問題を解決するためのフレームワークを構築した。価値がより劣化する前に、処理が行われたことで産業再生へと繋がったと考えられる。
 しかし、不良債権比率は2000年12月には9.7%まで下がったものの、景気の悪化に伴い2001年9月には再び11.7%に上昇し、以降10〜11%台が続いている。製造業部門での不良債権増加に加え、建設や住宅・不動産向け融資が不良債権化している。この要因としては、通貨危機後の景気刺激策として、建設投資や住宅・不動産投資が行われたものの、供給に見合う需要がないために現在では不良債権化したものと考えられる。

●処理金額と財政コスト
 ダナハルタは2002年末現在で約200億リンギの不良債権を簿価の45.6%(約90億リンギ)で買取ったほか、国有銀行化された2つの銀行が保有する約280億リンギの不良債権の処理を政府から委託されており、計約478億リンギ(GDP比13%)の不良債権を管理している。また、CDRCは、解散までに458億リンギ(同13%)の債務交渉を行った。
 なお、ダナハルタでは、買取った不良債権の回収率を50%(42)と見込んでいる。買取り価格が簿価の45.6%であることに加え、不良債権保有のコストがかかっていることや、売却収益の80%を金融機関に分配することにかんがみると、2005年の解散時には少額の損失を出す見込みであるという。


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