第3章 第2節
ギリシャ問題とユーロ圏の構造強化
09年のギリシャ債務危機に端を発した欧州債務危機の背景には、ギリシャ政府自身の財政運営や統計の信頼性という根本的な問題もさることながら、単一通貨ユーロ創設以来の問題、つまり、金融政策は統一されているものの、財政政策は不統一であるという経済政策運営や経済ガバナンスの問題が指摘されてきた。また、金融システム不安に対処するための最後の貸し手機能が十分でなかったことも指摘されてきた。
ギリシャの経済規模は約2,400億ユーロ(09年)とユーロ圏のGDPの2.6%に過ぎないものの、このような理由もあって、財政持続性に対する市場の懸念の高まりを通じ、スペインやポルトガルといった国へと債務危機が伝播した。
欧州債務危機以降、EUは、欧州安定化メカニズム(ESM:European Stability Mechanism)等を創設し金融システムセーフティネットの整備、安定成長協定(SGP:Stability and Growth Pact)の改正による財政規律遵守のための予防措置や、是正措置の強化を始めとした経済ガバナンスの改革を進めてきた。
こうした取組等により危機は一旦沈静化していたものの、15年1月のギリシャにおける新政権発足後にギリシャの債務危機問題が再燃した。
本節では、今回のギリシャ債務危機への対応とユーロ圏の構造強化の現状について振り返った上で、根本的な問題への対応策について検討する。
1.ギリシャ問題の経緯
ギリシャ債務危機は、09年10月に政権が交代し、新政権が財政統計データを大幅に下方修正したことをきっかけとなって発生した。市場では、ギリシャの財政状況に対する不信感が高まり、国債利回りが大幅に上昇、国債の格付けも相次いで引き下げられ、危機的な状況に陥った。
こうした中、ギリシャの要請を受け、IMFやEU諸国等により、10年5月には「第一次金融支援」(3年間で約1,100億ユーロ)が、12年10年には「第二次金融支援」(約1,300億ユーロ)が承認され、ギリシャは支援受け入れの条件として、緊縮財政や経済改革を進めてきた。これらの措置により、ギリシャの基礎的財政収支は改善傾向にあり、危機は収束に向かっていくとみられていた。
しかし、15年1月に、5年に及ぶ緊縮政策への不満を背景に反緊縮政策を掲げる政権が誕生し、新政権は支援の条件とされていた緊縮政策の一部の撤回を表明、債権団との交渉が難航した。以下では、第三次支援合意に至る経緯及びその概要について分析する。
(1)第二次支援終了と第三次支援合意
15年1月のギリシャ議会選挙で反緊縮を掲げて第一党となった急進左派連合(SYRIZA:Synaspismos Rizospastikis Aristeras)と右派の独立ギリシャ人(ANEL:Anexartitoi Ellines)による連立政権は、当初2月末が実施期限だった第二次支援プログラムを6月末まで延長することで債権団(欧州委員会、ECB、IMF)と合意した。しかし、支援の条件となっていた経済財政改革のうち、年金や付加価値税制の改革について新政権と債権団との考えに隔たりが大きく、5月以降、ユーロ圏財務相会合(ユーログループ)での協議が難航した。
6月4日には、ギリシャは6月中に期限を迎えるIMFへの債務を月末に一括して返済する旨の通告を行ったことから、7、8月に予定されていたギリシャ国債の償還に債務不履行(デフォルト)のおそれが高まるとともに、ギリシャのユーロ圏からの離脱が懸念されるようになった。
6月にはユーログループ会合とユーロ圏首脳会合が数次にわたって開催されたが、債権団とギリシャの間で具体的な改革の内容に関する溝は埋まらず、ギリシャに対する第二次支援プログラムは6月30日に終了した。また、同日までにギリシャはIMFに対する債務を返済できず、IMFはギリシャが債務を延滞していると発表した。
7月5日には、債権団による支援案の受け入れ可否に関し、ギリシャで国民投票が実施された。結果、反対が多数を占めたが、チプラス首相は債権団が6月に提示したものとほぼ同じ内容の改革案を債権団に提出し、ギリシャはユーロ圏にとどまる意思を示した。同改革案がギリシャ議会で承認されたことを受けて、ギリシャに対する第三次金融支援は大筋で合意され、ギリシャのユーロ圏からの離脱懸念は解消された。
ギリシャはこの合意に基づき第三次金融支援の条件として求められていた付加価値税(VAT)改革や年金制度改革の法制化、民事訴訟手続きの簡素化及びEUの銀行破綻処理指令の導入を7月中に議会で承認した。ユーログループは改革案の法制化を確認した後、ギリシャに対する第三次支援の交渉開始を決定し、8月14日のユーログループ会合で第三次支援プログラムが正式決定された4。
同プログラムには支援の条件として包括的な経済財政改革が含まれており、税収の確保と歳出削減による財政改善を目指すものとなっている(第3-2-1表)。また、ギリシャがこれまでの支援プログラムの合意事項を完全には履行してこなかったことを踏まえて、ギリシャ議会が可決すべき数多くの「事前の行動(Prior Actions)」が列挙されている5。債権団は四半期ごとにギリシャにおける改革の進捗状況をモニターし、プログラムを更新していくこととされている。
(備考内の注釈:6)
7月にギリシャに対する第三次支援が大筋合意された後、ギリシャの資金繰りを救済するために欧州金融安定化メカニズム(EFSM)がつなぎ融資(71.6億ユーロ)を実行した。更に8月20日には欧州安定化メカニズム(ESM)が初回融資を実施(130億ユーロ)した。これを利用してギリシャはEU保有分のギリシャ国債の償還、及び7月に実施されたEFSMによるつなぎ融資の返済等を行った。この後は16年7月の国債償還まで大型の債務返済はなく、当面デフォルトの危機は遠のいている(第3-2-2表)。
(2)二度目の議会選挙
チプラス首相は、選挙公約である反緊縮政策を実現することができなかったため有権者の判断を仰ぐ責任があるとして、8月20日に辞任を表明し、議会解散を経て9月20日に総選挙が行われた。結果、SYRIZAが第1党の座を維持したが過半数には達せず、ANELとの連立を継続することとなり、23日に新内閣が発足した。議会における議席配分や内閣の主要閣僚は選挙前とほぼ変わらないことから、第三次支援の条件である財政改革路線は継続される見込みとなった。
(3)資本移動規制の実施
第二次チプラス政権では第三次支援の条件である各種改革の推進のみならず、経済の建て直しも課題となる。経済状況を確認すると、ギリシャの14年のGDPは債務危機が発生する前の09年に比べて約2割縮小し、失業率も09年末の10.7%から、直近の15年8月には24.6%に上昇した(第3-2-3図、第3-2-4図)。他方、10年からEU等による経済支援を受けて緊縮政策を採る中、11年以降の経済成長率のマイナス幅は縮小し、14年には前年比0.7%のプラス成長となった(第3-2-3図)。財政収支赤字も11年以降縮小傾向にあり、11年のGDP比▲10.2%から、14年には同▲3.5%に改善した(第3-2-5図)。
しかし、SYRIZAが政権についた15年1月以降銀行からの預金流出が急増し、債権団との交渉の難航が明確になった6月までの半年間で約470億ユーロが国内銀行から流出した(第3-2-6図)。特に債権団との交渉が暗礁に乗り上げた6月には、1か月間で約100億ユーロが引き出されており、国内の資金流動性は著しく低下した。このため6月29日から銀行休業と資本移動規制が実施された7。
資本移動規制により現金の引き出しは1日当たり60ユーロに制限され、海外送金も禁止された。銀行休業はEFSMがギリシャに対するつなぎ融資を実施した7月20日には解除されたが、資本移動規制はその後も継続されたことから、企業活動に大きな支障となり、海外に拠点を移す企業もあった。8月のユーログループによる第三次支援プログラムの正式決定後、資本移動規制は徐々に緩和されているが、資本規制は企業活動に大きな打撃となったことから第3四半期以降の景気悪化が懸念されている。
(4)第三次支援プログラムの進捗状況と今後の課題
第二次チプラス政権の発足により、財政改革路線は継続される見込みとなったものの、年金や税等の財政改革が着実に実行されるかが懸念されていた。
しかし、ギリシャは10月から11月にかけて、第三次支援プログラムで合意された金融支援の条件(前掲第3-2-1表)である年金・税等の財政改革法案(退職年齢の引上げ、脱税の罰則強化、不動産賃貸収入への増税、年金改革、港湾売却等)を法制化した8。この結果、ESMが20億ユーロの融資を実施することが承認された。今後、ギリシャが残る改革事項(農業従事者の所得税率引上げ等)を12月半ばまでに法制化すれば更に10億ユーロが融資される。また、ギリシャの主要4銀行に対する資本増強向け融資についても、銀行の資本増強に関する法案が成立したことを受け、ESMからギリシャ金融安定基金(HFSF:Hellenic Financial Stability Fund)への100億ユーロの払い込みが実施されている。銀行への資本増強を通じ、金融仲介機能の回復が進むことが期待される9。
なお、これに先立ちECBはギリシャ主要4行の資産査定評価(AQR)及びストレステスト10を実施し、4行合計で144億ユーロの資本不足と認定した。これは第三次支援プログラムで予定された銀行の資本増強向け支援総額の250億ユーロを下回っており、ギリシャ支援の総額は当初計画よりも少なくなる可能性がある。
ギリシャでは、財政再建が経済にマイナスの影響を及ぼすことにより税収が落ち込み、結果的に財政再建が進まないという「負のスパイラル」が生じてしまっているとの指摘もある11。財政再建と経済成長の両立を可能とする支援と改革の実施が求められる。
(5)ギリシャ問題の南欧諸国への影響
14年末以降、ギリシャ内政が不安定化し、SYRIZAが政権についたことにより第二次支援プログラムの継続性が危ぶまれるようになるとギリシャの国債利回りが上昇を始め、債権団との協議が行き詰まった6月には利回りが急上昇した。しかし、10年の欧州債務危機以降、ESM等により、(1)一国の財政・金融危機がユーロ圏全体に波及することを回避する仕組みが作られたこと、(2)ECBによる国債買い入れプログラム(OMT:Outright Monetary Transactions)が整備されたこと、また、(3)15年3月からECBの量的緩和による国債購入策が導入されたこともなどもあり、ポルトガル、スペイン等のその他の南欧諸国への影響はみられていない(第3-2-7図)。
2.ユーロ圏の構造強化
EU・ユーロ圏の各国は、ギリシャ債務危機以降、これに対応すべく、金融セーフティーネットの整備、経済ガバナンスの改革を進めてきた。また、その一方で、EU・ユーロの強化・拡大という面での取組も行ってきた。
欧州債務危機が収束していない中、EU全体としての金融監督の強化や預金保証制度の導入を始めとする「銀行同盟」や財政を含む経済統合を進める「財政同盟」を求める声が高まり、12年6月のEU首脳会議において「真の経済通貨同盟に向けて」12という報告書がファン=ロンパイ欧州理事会議長から提出された。これは、今後10年間で向かうべき経済通貨同盟(EMU:Economic and Monetary Union)の将来展望と、EMUが成長・雇用・安定に最も寄与するための基本方針を示すものであった。
EMUは、域内単一市場を補完する経済・通貨問題に関するEU内での協力をつかさどる経済通貨統合プロセスであるが、ここで示された方向性は、前述のとおり、ユーロ圏が求められている構造改革そのものである。以下に、今後の更なる深化と統合に向けた動きが進んでいるEMUの現状について概観する。
(1)真の経済通貨同盟に向けて
12年6月の「真の経済通貨同盟に向けて」という報告書では、EMUの課題を挙げるとともに、EMUの構造を強固で安定的なものにする上で、金融、予算・財政、経済、政治の4つの領域について提言されている。例えば、予算・財政面では、加盟国の持続的でない財政政策を予防・是正する効果的なメカニズムの必要性が欠かせないとの認識から、各国の年間予算収支や政府債務の水準に上限を設け、当該水準を超える国債の発行には事前承認を求める等が提言された。その後、12月には最終報告書13が取りまとめられた。
また、14年10月のユーロ圏首脳会議では、「EMUの円滑な機能を確かにするためには、経済政策のより緊密な連携が必要不可欠である」という結論に基づき、欧州理事会は、同年12月に、欧州委員会、欧州理事会、ユーログループ(欧州財務相会合)、ECBの各機関トップに対し、EMUの次なるステップを準備するよう求めた。
(2)経済通貨同盟の完成に向けた動き
その後、15年6月には、ユンカー欧州委員会委員長、トゥスク欧州理事会議長、ユーログループのダイセルブルーム議長、ドラギECB総裁及びシュルツ欧州議会議長が、EMUを深化させ、遅くとも2025年までに完成させることを内容とする報告書「欧州経済通貨同盟の完成」14を発表した。同報告書は、短期的には既存の政策手段の運用強化、中期的には法令や体制整備により、EMUの強化を提案している(第3-2-8表)。
同報告書では、25年までに、「市民に安定と繁栄をもたらす深化した真のEMU」を実現するため、2段階の取組を各分野(経済同盟、金融同盟、財政同盟、民主的な説明責任等)において提案している(第3-2-9表)。また、第1段階から第2段階への移行にあたって、17年春に欧州委員会が第1段階の進捗を評価し、EMUの完成に必要な法律・経済・政治的な前提条件について検討し、必要な施策を示した白書を公表するとしている。
さらに、15年10月、欧州委員会は同報告書を踏まえ、ユーロ圏の更なる深化と統合に向けた第1段階(15年7月~17年6月)の具体的提案を公表した。具体的には、(1)ユーロ圏の国際的発言力の強化、(2)銀行同盟の前進、(3)欧州セメスター制度の改善、(4)経済ガバナンス手段の改善、などが含まれており、報告書の内容を踏襲したものとなっている。
(i)ユーロ圏の国際的発言力の強化
国際社会、特にIMFでのユーロ圏の発言力を高めるため、ユーロ圏の統一した対外的代表を送れるよう制度改正を目指すことが提案されている。
現行制度では、ユーロ圏19か国は6つに区分(単独扱いのドイツ、フランスを除く)されており、それぞれの区分ごとに統一した意見を述べなければならず、ユーロ圏全体で統一した意見にまとまることが難しい15。このため、現在のユーロ圏19か国のIMFの出資割当額合計は、アメリカのそれを上回っている一方で、IMFにおけるユーロ圏全体としての発言力がアメリカより弱いという状況になっている16。
(ii)銀行同盟の前進
銀行同盟の完成に向けて、ユーロ圏内の銀行監督や破たん処理のための制度は既に一元化されている17。今回の提案では、各国の預金保護制度18に対する再保険制度の確立が提案された。
15年11月には欧州委員会が当該預金保険制度の具体案としてユーロ圏各国の預金保険制度を一元化する欧州預金保険スキーム(EDIS:European Deposit Insurance Scheme)を新たに提案した19。本提案は、24年を一元化の目標として掲げ、三段階で手続きを進めるとしている。第一段階として、17年に欧州預金保険基金(EDIF、European Deposit Insurance Fund)を創設し、ユーロ圏の銀行はこの基金に各行のリスクに応じた保険料を払い込むが(各国毎の預金保険制度とは別枠)、17年から20年の間は、EDISが支援を行うのは各国の預金保険制度の資金が底を付いた場合のみに限られる。第二段階として、20年にはEDISは預金保護に必要な金額の20%を支援上限として、以降毎年20%ずつ上限が引き上げられ、各国の預金保険制度と平行して預金の保護を支援することになる。第三段階として、24年以降は、EDISに預金保険制度が一元化され、各国の預金保険制度は預金者への支払管理等を行う。
(iii)欧州セメスター制度の改善
「欧州セメスター」制度は、EU加盟国の経済政策及び予算に対する事前評価制度であり、毎年上半期の6か月に事前に合意された目的に合致しているかどうかを審査し、修正する制度となっている。これを、ユーロ圏全体に関して協議をする第一段階、各ユーロ導入国に特有の問題を協議する第二段階に再編すること、欧州セメスターを簡素化し、議論の対象を雇用と社会的成果により絞ること、また、各加盟国に対する国別勧告と各国予算について、欧州委員会と加盟国議会の体系的な対話を強化すること等が提案されている。
(iv)経済ガバナンス手段の改善
ユーロ導入国の財政監視メカニズムを強化する「シックス・パック」、「ツー・パック」の施行状況をレビューし、必要な措置を検討することが提案されている。また、欧州財務理事会(Advisory European Fiscal Board)の設置に合わせて、各国の競争力を監視する機関(National Competitiveness Boards)の設置が提案されている。近年、ユーロ導入国の経済格差が広がっており、これの是正を目指す上で、競争力を監視する機関が必要と述べられている。当該機関は、各国の競争力の強化について、コスト面に加え、生産性、能力、ビジネス環境の魅力度、そしてイノベーションについて考慮し、各国の政策を評価することとなっている。