(1)財政の現状
オーストラリアでは、80年代前半(財政赤字のピークは83年、一般政府財政赤字GDP比4.9%)、90年代前半(同92年、同5.5%)の二つの時期に財政赤字が拡大した。その後、98年に財政収支は黒字に転換し、それ以降おおむね黒字を維持している。債務残高(一般政府)については、96年をピークに、その後は徐々に低下している(63)(第2-4-38図)。
(2)財政再建の取組
●政権・時代背景
第二次世界大戦後、高関税を始めとする保護主義政策によって守られていたオーストラリア経済は、70年代の石油ショックや英国のEC加盟等の影響を受けて停滞した(64)。
83年、ホーク労働党政権の景気刺激策により、景気は回復したが、オーストラリアの産業の競争力低下は顕著になり、経常収支は悪化、対外的な不均衡への懸念が浮上した。こうした状況を背景に、対外債務負担を減らすためには公的部門の貯蓄を増やす、すなわち財政赤字削減が必要という認識が広まり、80~90年代を通じて実施された財政再建を促すこととなった。
80年代から漸進的に実施されてきた財政再建は、大きく二つの時期に分けられる。第一は、80年代前半の赤字拡大を受けて、83年に誕生したホーク及びキーティング労働党政権による改革(80年代半ばから90年代半ばまで)である。第二は、90年代前半の赤字拡大を受けて、96年に誕生したハワード自由党・国民党連立政権による改革(90年代半ばから00年代半ばまで)である(第2-4-39表)。ここでは、これら二つの時期に焦点を当て、いかなる形で財政再建が行われたのかを分析する。
●財政再建の枠組み
オーストラリアでは、80年代以降、財政再建に当たり、いくつかの重要な枠組みが創設されている。
まず、財政ルールのこう矢として打ち出されたのが、84年にホーク労働党政権によるトリロジー(3本の柱)である。これは、翌年度予算から向こう5年間は税収・政府支出・財政赤字の3つのGDP比を増加させないという財政目標であった。
その後、96年のハワード保守連立政権においては、「景気循環を通じて、平均的に、予算収支(budget balance)を均衡させる」財政ルール・目標が確立した(対象は一般政府のうち連邦政府)。また、これに付随する副目標という形で、毎年度の予算において、財政収支や債務残高の具体的な数値目標が設定されている。
ハワード政権は、続いて98年に予算公正憲章法(Charter of Budget Honesty Act)を制定する。これは、中長期的な財政戦略、予算編成の基本方針等、財政運営全般に関する基本的な枠組みを定める法律で、健全財政運営に関する原則に基づいた財政運営を行うこと、財政政策のパフォーマンスを検証することによって財政政策のアウトカムを改善することが目的とされている。前述の財政ルールは本法に規定され、法的担保を得ることとなった。また、予算公正憲章法では、政府による当初予算公表時等に、財政政策の目標、優先事項、評価基準を定めた「財政戦略報告書」を公表することや、定期的な財政報告を年に3回、経済・財政に関する見通しを総選挙前、世代間会計に関する報告(65)を5年に1回、公表する旨を定めるなど、透明性、アカウンタビリティの確保もねらっている。
中期財政フレームである「将来見積り」(FE:Forward Estimate)による支出コントロールも重要な枠組みのひとつである。これは、70年代は財務省の内部資料だったが、71年に予算プロセスに正式に取り入れられ、83年には公表、80~90年代に発展を遂げた。プログラムの優先順位とマクロ財政政策や予算方針とを調和させることが目的で、内閣主導でのコントロールにより歳出の伸び率を抑えることに重点が置かれている。次年度予算とその後3年間を対象とし、省庁別支出額等をベースラインとして固定、翌年度予算は、「将来見積り」における見積りに拘束される。厳格に複数年次にわたって歳出を拘束するものではないが、政策の変更等がなければ改定されない。各省が、予算関連新規政策や制度改正を要求する場合は、既存の「将来見積り」の範囲内でスクラップ・アンド・ビルドが求められるため、実質的にシーリングの機能を果たしているともいえる。
●財政再建の内容・手法
(i)歳出削減
前述のトリロジーが打ち出された84年には、財政再建策として、社会保障給付の削減、公務員数の削減、州政府等に対する補助金の削減等が実施されている。また、ハワード政権も、前政権から引き継がれた形で財政再建を加速させた。着任後に判明した80億ドルの歳入欠陥処理として、まず96年度から、大学、国営放送の補助金削減を始めとした歳出削減措置を実施している。そして、98年には一般政府レベルで財政収支の黒字化に成功している。
(ii)増税
増税を含む税制改革は、ホーク、キーティング、ハワードいずれの政権においても実施されている。ホーク政権においては、85年度から課税ベースを広げる税制改革が実施された。具体的には所得税の課税最低限の引上げ、税率構造の簡素化、租税特別措置の見直し、キャピタルゲイン課税、フリンジ・ベネフィット税の導入等である。キーティング政権においては、94年度に卸売税、たばこ税、石油税の段階的増税、95年度にはフリンジ・ベネフィット税の増税が実施された。
一連の税制改革で最も重要な項目のひとつが、2000年度にハワード政権によって実施された付加価値税(66)の導入である。付加価値税の導入は、労働党政権下で何度も計画されては見送られてきた。93年の総選挙で、自由・国民党連合は、付加価値税導入を公約に掲げて敗北したが、98年末の総選挙では再び公約として掲げて勝利し、ハワード政権が誕生し、導入が実現した。同時に、付加価値税導入による租税負担上昇の抑制と、直間比率の見直しを目的として、所得税減税が実施された(67)。
(iii)予算編成プロセスの改革
次に、予算の決定プロセスについてみてみたい。
ホーク労働党政権は、84年に財務管理改善プログラム(FMIP:Financial Management Improvement Programme)を導入した。これは、過度に中央集権化された硬直的な管理システムを改め、各省庁に人事や財務の資源活用における裁量権を与えるとともに、結果に対する説明責任を求めるシステムへの転換を図るものである。
同じく84年に導入された歳出検討委員会(ERC:Expenditure Review Committee)も、現在でもオーストラリアの予算編成プロセスの大きな柱となっている。これは、首相、財務大臣(Treasurer)、財政・行政管理大臣(Minister for Finance and Administration)(68)等の有力閣僚5名程度(69)から構成される閣内委員会で、各省から提案された新規施策(支出増加・削減)を検討・決定する機能を持つ。
具体的には、予算編成時に、財政・行政管理省から提出された各省の要求書を整理したもの(70)及び全省庁の新規政策と政府の財政状況の要約書を基に、削減総額案を決定し、各省庁へ振り分ける。各省庁はそれを踏まえて再見直し案を作成して委員会に提出、委員会はそれを基に内閣としての最終的削減案を策定する。
88年には、ポートフォリオ予算(PB:Portfolio Budgeting)が導入された。ポートフォリオとは大臣が所管する政策分野のことで、各大臣は、一定のシーリングの下、ポートフォリオ内での資源再配分を行う。具体的にどう配分するかについては、各大臣に大きな裁量が与えられるが、所管する政策のアウトカムの達成、効率的な予算の使用等についての説明責任が課される。各大臣ごとにポートフォリオを設定していることにより、意思決定及び責任体制が一元化されているといえる。
ポートフォリオ予算は経常的経費と政策的経費に区別されるが、前者については、87年に経常的経費一括配賦システム(Running Cost System)が導入された。従来予算上別項目に分かれて割り当てられていた公務員給与、旅費等の経常的経費を省ごとに一括配賦する仕組みで、用途については各省の裁量が与えられている。10%の範囲内で余った予算を翌年度へ繰り越したり前借りすることも可能である。後者の政策的経費については、ポートフォリオ内での配分には各省大臣に大きな裁量が与えられている。
99年には、「発生主義に基づくアウトカム・アウトプット・フレームワーク(Accrual-based Outcome and Output Framework)」が導入された。ここでは、発生主義会計が採用されるとともに、(1)達成すべきアウトカム、(2)アウトカム達成状況評価のための業績目標、(3)アウトカム達成のために必要なアウトプット、(4)アウトプット達成状況を評価するために必要な業績目標をそれぞれ設定することが求められる。
各省庁は、裁量権を持つとともに説明責任を負っている経常的経費を柔軟に活用し、効率的にアウトプットを提供するとともに、政策的経費を着実に執行してアウトカムの達成を目指すことになっている。
●経済成長との関係
財政再建を開始するタイミングとの関係についてみると、まずホーク政権は、83年の政権発足時の景気後退の影響を緩和するために当初は拡張的な財政政策を実施したが、80年代半ばからは緊縮的な方向へ転換している(第2-4-40図、第2-4-41図)。キーティング政権も、91年の政権発足時の景気後退の影響を緩和するために当初は拡張的な財政政策を実施したが、93年の総選挙を経て発足した第二次キーティング政権は、財政再建を開始し、財政緊縮策を採った。
ホーク政権とキーティング政権に共通するのは、景気後退を契機に政権交代し、当初は拡張的財政政策を採って、その後財政再建を開始している点である。また、どちらも景気が底を打ってから回復局面で財政再建を開始している。
第二次キーティング政権による財政再建の取組により、財政赤字は徐々に減少したが、財政収支の黒字化はキーティング政権の次のハワード政権誕生二年後の98年になってからである。
●構造改革
オーストラリアでは、上記のような直接的に財政再建に資する政策以外にも、経済成長促進により財政収支GDP比改善のための分母対策の手段として、公的部門の民営化・民間開放を主とした構造改革・規制緩和を実施している。
具体的には、国有企業の民営化、国家競争政策(National Competition Policy)、関税率引下げ、労働市場の規制緩和等である。国有企業の民営化は、航空会社、鉄道、銀行等の分野で、ホーク政権、キーティング政権、ハワード政権いずれの政権においても段階的に進められた。
また、国有企業や中央官庁に競争原理を導入する国家競争政策が、94年から実施された。ここでは、いわゆる官民競争入札(市場化テスト)を導入し、経済活動における競争制限的行為の禁止範囲を拡大し、規制緩和を徹底した。
これらの政策は、従来行政が担っていた分野を効率化または民間開放したと同時に公務員数及び歳出削減の効果をもたらした。
(3)財政再建の評価
オーストラリアの財政再建をめぐる取組について特記すべきは、とりわけ健全な財政を担保する制度の構築であり、それは以下の点から評価される。
第一に、80年代から長い時間をかけて漸次制度を構築してきた点である。結果的にではあるが、オーストラリアの財政再建は80年代から10年以上かけて断続的に行われ、その結果、実効性を伴う予算編成制度が構築されてきた。運用上多少の変化を伴いつつも、このほとんどが政権交代があっても引き継がれ、成熟したシステムとして確立している。
第二に、制度の中身である。とりわけ、法的に担保された財政ルールである「予算公正憲章法」、実質的に多年度にわたる予算見積りとシーリングの役割を果たす「将来見積り」、内閣主導の予算編成を担保する「歳出検討委員会」を始めとした優れた枠組みが有効に機能しており、それによって、二度の財政再建の成功及びその後の恒常的な健全な財政状態の維持がなされている。
第三に、こうした制度を効果的に機能させるトップダウンとボトムアップのバランスである。予算の骨格や戦略的な資源配分については、閣内委員会に権限を集中化させてトップダウンで意志決定を行う一方、各プログラムへの予算配分や運営費の配分については、各省に裁量を与えてボトムアップで対応させている。それぞれ役割分担が明確に規定されており、このバランスが予算配分と支出の効率化をもたらしているといえる。