(1)財政の現状
カナダは90年代に実施された一連の財政再建策の成功により、97年度(12)以降世界金融危機発生までほぼ毎年財政黒字を達成し、現在もG7の中で最も良好な財政状態を維持している。連邦政府の財政収支をみると、08年度は景気後退と減税により法人税収や商品・サービス税収を中心に歳入が減少したことに加え、雇用保険給付を始めとする個人や州・地方政府への財政移転、直接支出等の政策支出増によって歳出が増加したことから、12年ぶりに財政赤字を記録した(第2-4-11図)。09年度も更なる歳入減と米自動車会社(GM、クライスラー)支援を含む景気刺激策等の歳出増により、財政赤字はGDP比3.6%まで拡大したものの、政府見通しによると10年度は同2.8%に低下し、15年度には同0.1%の黒字に転換すると見込まれている。また、債務残高については11年度に同35.3%でピークとなり、15年度には同30.8%まで低下するとされている(第2-4-12図)。
(2)財政再建の取組
●財政再建取組の背景
カナダでは、70年代の石油ショックにより経済成長が鈍化し、景気後退や法人税率引下げ等の税制改正により歳入が減少する一方で、歳出が増加したことから、慢性的な財政赤字状態となっていた。さらに、70年代後半以降は、インフレ抑制のための高金利政策(13)によって利払い費が膨張し、借入れへの依存をさらに高める悪循環に陥った。一般政府財政赤字をみると、85年度にGDP比8.6%と1つのピークを迎えたが、80年代末には景気回復等もあり、一時的に改善がみられた。しかしながら、90年代に入ると景気悪化から財政収支も再び悪化し、一般政府債務残高がGDP比90%を超える水準まで上昇するなど、G7ではイタリアに次いで悪い状況にあった。
以下では、80~90年代にかけて実施された財政再建への取組とその時代背景を、政権別に整理する。
●マルルーニ政権(保守党)期(84~93年)
現在の良好な財政状態は90年代にクレティエン政権が実施した財政再建の成功によるところが大きいとされるが、これを検証するに当たっては、成功の素地を作ったとされるマルルーニ政権による改革も併せて考える必要がある。マルルーニ政権は、税制改革等に取り組む一方で、同時期に英米で進められていた新自由主義的な行政改革を強く意識した歳出削減を試みた。
(i)財政再建策
まず、連邦政府の政策コスト見直しによる歳出削減を図るため、84年に副首相のニールセンをトップとするニールセン委員会を設置した。委員会に置かれた作業部会には民間人も多数登用され、86年には不要プログラムを廃止し、有用プログラムに予算を回すための、膨大な検討結果をまとめた報告書が下院に提出されたが、議会では十分な検討は行われず、成果は限定的なものとなった。
また、マルルーニ政権は、歳出削減を含む抜本的な行政改革を図るものとして、各省庁に柔軟な支出管理権限を認める「大臣の権限及び説明責任拡大イニシアティブ(IMAA:Increased Ministerial Authority and Accountability Initiative)構想」や連邦政府から地方への権限委譲等を盛り込んだ「公共サービス2000(14)」を発表したが、政治的意志や実践手段等の欠如により実効性を上げることはできなかった。
他方、税制改革としては、85年以降法人税及び所得税の改革(15)、90年には連邦税として付加価値税の導入を実施した。これらは、中長期的には政府の歳入増に寄与したが、短期的には国民負担を目に見える形で増大させることになった。
(ii)マルルーニ政権による財政再建の評価
マルルーニ政権は様々な分野にわたる財政再建を試みたが、総じて成果をあげることはできなかった。改革が失敗した要因としては、政権全体としては憲法改正と米加自由貿易協定の締結等に注力し、行財政改革に対する関心が希薄であったため、歳出コントロールに失敗したことに加え、歳出削減による公共サービス低下を懸念した国民の支持が消極的なものに止まったことなど、政府・国民双方に財政赤字への認識の甘さと現状変革に対する躊躇があったことが指摘されている。
さらに、予算編成システムの根本的欠陥により、常に歳出増加圧力が存在していたとの指摘もある。80~94年まで採用された政策歳出管理システム(Policy and Expenditure Management System)は、予算の分野別支出限度額を設定し、複数省庁関連する分野については関係閣僚委員会で再配分する仕組みであったが、財政責任を負うインセンティブが働かず、各大臣は歳出削減ではなく、新政策に充てられる予備費(Policy Reserve)の獲得に尽力したことから、結果的に大幅な支出増につながったとされる(16)。
こうした中、インフレに伴う金融引締めで利払い費が増大したことに加え、景気後退に伴う歳入伸び悩みや失業給付の増大等によって財政状況は再度悪化に転じた。国民の間では財政再建の要請が高まり、93年の総選挙において保守党は大敗し、9年ぶりに自由党政権が誕生することとなった。
●クレティエン政権(自由党)期(93~03年)
財政改革を最優先課題とするクレティエン政権は、92年度にGDP比5.6%に達した連邦財政赤字を96年度までに3%以下まで削減することを選挙公約として掲げており、これを達成するために各年度の赤字削減目標値を設定し、以下にみるとおり歳出削減を主とした急速な財政再建に取り組んだ。
(i)プログラム・レビューの導入(94年)
歳出削減の中心となったプログラム・レビューは、一律的な予算削減ではなく、政府の役割を根本的に再定義し、行政の質を変えることを目的として、6つの基準に基づいて既存政策の徹底的な見直しを行うものであった(第2-4-13表)。各省庁には閣議で承認された支出削減目標が与えられ、具体的な政策見直し作業が各省庁自身によって実施された。見直しの対象となったのは連邦政府の直轄政策支出であり、具体的な削減方法は、連邦公務員の削減(32万人(94年)→26.5万人(98年))や政府系企業の民営化、政府サービスのエージェンシー化(17)、企業向け補助金の削減等であった。こうした結果、連邦政策分野においては、94~98年度にかけて総額111億カナダドル(21.5%減)の削減計画が予算案に盛り込まれた。
プログラム・レビューによる歳出削減が成功した理由としては、財政危機の認識が当時一般的に広がっていたこと、財務大臣が削減について首相から強力な支持を受けていたこと、新政権であったため、閣僚がまだ自らの所管分野に固執するようになっていなかったことなどが指摘されている(18)。また、マルルーニ政権期のニールセン委員会の経験を踏まえ、閣僚からの指示の下で各省庁自らに見直しを実行させたことが、実効性の確保につながったとされる。
95年には、時限措置であったプログラム・レビューを恒久化し、予算及び歳出を包括的に管理する仕組みとして、歳出管理システムが導入された。これにより、新規プログラムは予備費を使用せずに通常の予算編成の中で賄い、全ての新規プログラムと既存プログラムの予算増額は優先度の低い既存プログラム資金の再配分により対応することとなった。このため、各省庁には既存プログラムを見直すためのビジネスプラン(中期的業務計画)の作成が義務付けられるとともに、96年からは説明責任の向上を目的として、議会に提出する報告書の改善も実施された。
(ii)中期財政フレームの導入
財政赤字の解消を主目的とする予算編成を行うため、95年度予算編成からは、5年先までの経済見通しを踏まえて2年分の財政計画が作成されることとなった。この見通しには、旧予算編成制度における政府見通しが楽観的過ぎたとの反省から、民間による見通しを「慎重要因」を考慮して更に下方へ調整したものが用いられる。また、財政計画には不測の事態に備えて予備費(Contingency Reserve)が導入され、不使用の場合は債務削減に充当される。こうした慎重な(prudent)見通しに基づく比較的短期の中期財政フレームには、政府の財政政策に対する信頼を回復させるとともに、財政赤字削減の目標達成を確実にするねらいがあった。
(iii)その他の改革
予算編成プロセスの透明化を図り、広く国民に予算への提案機会を提供するものとして、事前予算相談プロセスが94年より導入された。これは下院の財政担当常任委員会が全国各地でフォーラムを開催するもので、利害関係者・機関の他、一般の国民も意見を述べることが可能である。収集された意見は報告書として議会に提出されることとなっている。
また、連邦政府による政府間移転の歳出削減として、州政府に対する交付金及び権限関係の見直しが図られた。これは、従来の定着プログラム財政保障(医療、保健、高等教育助成 EPF:Established Programs Financing)及びカナダ社会扶助制度(社会扶助、福祉プログラム CAP:Canada Assistance Plan)を統合してカナダ保健・社会移転(CHST:Canada Health and Social Transfer)(19)に一本化して簡素化を図り、州の裁量範囲を拡大する一方で、従来CAPに導入されていた半額補助を廃止し、一定額補助への切替えを実施することなどによって、移転総額を減額するものであった(96年度導入)。なお、州レベルにおいても、連邦政府からの財政移転減少に加え、90年代初めの景気後退によって財政が急速に悪化したため、均衡財政を始めとする財政ルールの策定が進められ、歳出削減と増税による財政再建が図られた。
連邦政府ではその他、失業保険給付の引下げや公的年金制度改革といった社会保障制度改革、たばこ税率の引上げ等、広範囲にわたる改革が実施された。
(iv)財政改革の結果
こうした一連の改革の結果、連邦政府の財政赤字は目標を上回る速度で減少し、96年度にはGDP比1%まで低下、97年度には単年度ベースで財政黒字を達成した。93~98年度にかけての財政収支改善幅はGDP比5.8%となり、うち歳入増による改善が同1.6%、政策支出の削減による改善が同3.9%と、と、歳出削減中心の財政再建となった(20)。カナダの構造的プライマリー収支(一般政府ベース)をみると、95年にプラスに転じた後、2000年頃にかけて大幅なプラスを記録しており、財政構造改革が進展したことを示唆している(前掲第2-3-1図)。
(v)実体経済及び金融政策との関係
カナダ経済は地理的な特性もあってアメリカ経済との結びつきが強く、アメリカの景気変動の影響を受けやすい(21)(第2-4-14図)。クレティエン政権が誕生し、財政再建を開始したタイミングをみると、アメリカに次いでカナダでも92年に景気後退が終了し、既に景気回復期に入っており(22)、アメリカ経済の回復が輸出増をもたらし、カナダ経済の改善に寄与したことが考えられる。また、GDPギャップが92年を底にマイナス幅が縮小に転じたのとほぼ同時に循環的赤字も縮小に向かい、また、構造的赤字も縮小に向かったことから、経済回復が財政再建のスピードを押し上げたことが示唆される。他方で、公務員数や公共投資の削減といった歳出削減策は、失業率の高止まりを招くなど、経済回復への下押し圧力をもたらすこととなった(第2-4-15図)。さらに、金融との関係をみると、この間の緩和的な金融政策と実質短期金利の低下及びカナダドルの減価(23)が、経済活動を下支えしたことが指摘されている(24)。
(vi)クレティエン政権による財政再建の評価
クレティエン政権による急速な財政再建の成功要因としては、まず、財政赤字に対する国民の強い危機感を背景として誕生した安定的な長期政権が、強いリーダーシップを発揮して改革を推進したことが挙げられる。具体的には、予算編成プロセスの大幅改革やプログラム・レビューの実施にみられるように改革の実効性を確保するとともに、事前予算相談プロセスやその他の広報活動を通して国民の理解を得る努力が結実したと考えられる。
また、財政再建の大半を、増税ではなく歳出削減という手段により実施したが、背景にはマルルーニ政権期に実施された税制改正や構造改革の効果が、クレティエン政権期になって本格的に効果を発揮したことも挙げられる。例えば、米加自由貿易協定による貿易自由化とそれに伴う規制緩和は、一時的にカナダ経済に打撃を与えたが、長期的には国際競争力強化と経済活性化に寄与することとなった。こうした経済・税制面での改革の先行が、クレティエン政権期における成功の素地を形成したとも言える。さらに、経済が回復へ向かうタイミングで財政再建に取り組むことで、税収増加に追い風を受けるとともに、歳出削減による経済への下押し圧力を相殺することができたことも大きな成功要因であろう。
こうした政治的・経済的条件とタイミングの一致が、クレティエン政権による急速な財政再建の成功に寄与したと考えられる。