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第2章 財政再建と経済成長、金融システム

第3節 財政再建の成功事例

1.実体経済の動向と財政政策運営との関係

  財政再建は、中長期的には、財政赤字あるいは債務残高の縮小を通じて実質金利の低下をもたらし、消費や投資の拡大を通じて経済活動にプラスの効果をもたらすと考えられる。一方、短期的には、財政の持続可能性に関する先行きの不確実性を低下させ、需要を喚起させる場合もあるものの、国内需要の減退やそれを通じて雇用の悪化を招き、景気の下押し圧力となる可能性がある(1)。このため、財政再建の実施に当たっては、景気動向に配慮し、景気の変動リスクを十分に踏まえた財政再建策の実施が不可欠である。以下では、「財政再建開始のタイミング」、「財政再建の速度」、「景気変動リスクへの対応」の3点に着目し、各国の事例を分析する。

(1)景気循環と財政再建開始のタイミング

  先進各国では、80年代後半から90年代にかけて財政再建の動きが加速した。マクロ経済的な背景をみると、70年代のオイルショックを経て低成長期に移行するに伴って、財政赤字が拡大する国が増加し、一部の国では経常赤字や為替減価、実質金利の高止まり等に直面した。さらに、90年代初めの世界的な景気後退の中で、92~93年の欧州通貨危機(2)や94年のメキシコ危機等が発生し、経済的な危機に直面した国では、マクロ面におけるファンダメンタルズを改善するため、財政赤字の削減に取り組む必要性が高まった。また、政治的にも、小さな政府を志向する新自由主義的な潮流の下、行政改革や規制緩和の動きが広がったことに加え、99年の欧州通貨統合を控えて厳しい財政規律が求められていたことも、各国の財政再建を後押しした。
  こうした経済環境の中、各国の経験を振り返ると、財政再建開始のタイミングについては、景気回復期に財政再建を開始したケースと、景気後退期に開始したケースに分類される。財政再建は景気に対してマイナス効果が働く可能性が高いため、前者のタイミングで実施することが望ましいが、経済的な危機に直面した場合や政治的な要因から後者のタイミングで実施するケースもみられる。

●景気回復期に財政再建を開始したケース
  財政再建の成功例とされる取組においては、景気の底打ち後に財政赤字削減が急速に進められたケースが観察される。例えば、カナダでは、92年に一般政府財政赤字がGDP比9%に達するなど厳しい財政状況にあったが、同年4月の景気後退終了後、93年10月の政権交代を機に歳出削減を中心とする抜本的改革を推進した。この結果、目標を上回る速度で財政赤字の削減に成功し、97年には財政黒字を達成した。また、スウェーデンでは、90年代初期の危機的な経済・金融状況(3)の中、93年には一般政府財政赤字はGDP比11%に達したが、通貨危機に伴う為替の減価により輸出主導の回復が可能となり、景気回復の中で急速に財政再建を進めた結果、98年には財政黒字に転換した。一方、オーストラリアでは、80年代前半と90年代前半の景気後退期に財政赤字の急速な拡大を経験したが、ヨーロッパ等でみられたような差し迫った状況には追い込まれなかったことから漸進的な改革が進められ、景気回復に合わせて顕著な財政収支の改善に成功した。
  上記のケースについて、経済全体の潜在的供給力と現実の需要のかい離を示すGDPギャップと財政赤字の関係をみると、財政赤字はGDPギャップのマイナス幅が縮小に転じた後にいずれもピークアウトし、その後の財政再建が軌道に乗ったことが事後的に確認できる(第2-3-1図)。財政再建を達成するための基本的な要件として、財政再建に伴う景気の下押しリスクを抑制することが重要であり、経済が回復軌道に乗るタイミングを見極めて改革に着手することが求められる。

●景気低迷期に財政再建を開始したケース
  景気が減速又は悪化する中での財政再建については、経済・金融が危機的状況に直面したケースや、マーストリヒト条約における収れん基準(4)の達成等、政治的な要請を満たすために着手せざるを得なかったケースが観察される。
  前者に該当するニュージーランドは、70年代以降徐々に顕在化した失業やインフレ等の諸問題を、賃金や物価の凍結等、強力な政府介入によって抑え込んでいたが、84年の総選挙を巡る政治的混乱が為替の急激な減価を引き起こし、経済的な危機に陥った。総選挙で誕生したロンギ政権は、政府統制を廃止し、大規模な自由化を始めとする経済改革、行財政改革に着手したが、景気後退期における構造調整が景気を更に下押ししたことから、経済低迷は90年代初めまで続き、財政赤字も80年代後半から90年にかけてGDP比4~5%台と高止まりした。その後、90年の政権交代で誕生したボルジャー政権下では、財政責任法の制定を始め、将来にわたる財政の信頼性と透明性を確保するシステムが構築され、90年代半ば以降の高成長の中で財政黒字を達成、08年までほぼ毎年維持してきた。また、アイルランドでも、80年代半ばまでスタグフレーションにより経済が著しく低迷し、財政赤字が拡大したが、景気回復が遅れる中で増税や歳出削減による財政再建が進められた。
  他方、後者には、マーストリヒト条約における収れん基準の達成という条件を課せられたヨーロッパ諸国が該当する。99年の通貨統合(欧州経済通貨同盟)への参加を希望する国は、参加条件として、97年までに財政赤字をGDP比3%以内及び債務残高を同60%以内に抑制することなど、財政やインフレ等に関する基準を達成することが求められた。世界的に景気が後退する中で、ヨーロッパ各国のGDPギャップはマイナス幅が拡大する局面にあったが、こうした基準達成のため、厳しい経済状況にもかかわらず、各国では臨時措置を含む大規模な財政再建が断行された。スペインでは、93年の財政赤字がGDP比7.5%まで拡大したが、歳出削減を中心とする財政再建に取り組むとともに、インフレの抑制や規制緩和及び労働市場改革を推進して潜在成長率の向上を図り、基準を達成した。また、イタリアでは、93年の財政赤字が同10.1%、債務残高が同116%に上り、収れん基準の達成が特に疑問視されたが、通貨統合への参加が経済発展に不可欠との認識から、GDP比約1%に及ぶ一時的増税を始めとして、増税及び歳出削減、構造改革に取り組み、財政赤字削減を進めた。

(2)財政再建のペース

  財政再建に当たっては、急激な再建策の実施が景気の下押し圧力となり、税収の低下等を通じて財政収支を悪化させる可能性もある。ここでは、1980~90年代を中心に財政再建を達成した成功事例を取り上げ、そのペースをみることとする(第2-3-2表)。
  なお、以下では、各国で特に財政再建に注力したとされる政権をベースに、再建策の開始と終了のタイミング(あるいは政権の任期)を特定して財政再建期間としている。また、財政再建のペースについては、財政収支と、その要因である構造的収支、循環的収支の3点から分析している。なお、構造的収支については、財政再建策の成果を把握するため、利払い費を除いた構造的プライマリー収支をみることとする。

●財政収支の改善ペース
  財政収支の改善ペースをみると、年平均2%台から1%未満まで状況は様々である。改善ペースが速い事例としては、カナダのクレティエン政権、スウェーデンのカールソン政権、英国のメージャー政権等が挙げられる。こうした事例の内訳をみると、構造的プライマリー収支の改善ペースも速い。同収支は財政再建策の成果を反映するものであり、各国における積極的な再建策の推進が寄与したものと考えられる。
  一方、緩やかなペースで構造的プライマリー収支が改善し、財政再建を達成した事例もある。オーストラリアでは、ホーク、キーティング、ハワードの3政権の下で継続的に財政再建が進められ、構造的プライマリー収支の改善ペースは1年当たり平均0.4%(潜在GDP比)と比較的緩やかであるものの、財政収支の黒字転換を達成している。なお、循環的収支については、ホーク政権では91年の景気後退を反映し若干のマイナスとなったが、他の2政権ではプラスを維持している。

●速いペースの財政再建がもたらすリスク
  一般的に、財政再建が急速なペースで実施される場合、政府支出及び公共投資の減少や増税による国民の可処分所得の減少等を通じて、短期的には経済に与えるマイナスの影響が大きくなる。構造的プライマリー収支が急速に改善する一方、循環的収支がマイナスとなった例としては、ニュージーランドのロンギ政権、フランスのジュぺ内閣等が挙げられる。
  ニュージーランドのロンギ政権期では、84年に通貨危機が発生したことから、その打開策として緊急に構造改革、財政再建を進めなければならない状況に陥った。経済成長は鈍化傾向にあったものの景気を考慮する余裕はなく、改革が推し進められた結果、構造的収支については一定の改善がみられた半面、循環的収支の赤字は大きく拡大し、財政収支の改善幅を押し下げることとなった。フランスのジュペ内閣下では、ユーロ加盟の条件となるマーストヒリト条約の収れん基準を満たすために、短期間で財政再建が進められた。循環的収支はマイナスで推移し、急速な財政再建策の実施も影響したものと考えられる。
  一方、スウェーデンのカールソン政権やカナダのクレティエン政権のように、速いペースで構造的プライマリー収支が改善し、かつ循環的収支がプラスとなった例もある。循環的収支がプラスになった要因として、スウェーデンのカールソン政権では、通貨クローナの3割を超える大幅な減価による輸出拡大が景気回復を下支えしたこと、カナダのクレティエン政権では、財政再建開始後にアメリカの景気後退が終了し、経済環境が好転するなど、いずれも外部環境の変化がプラスに作用したことなどが背景にある。

●望ましい財政再建ペース
  以上を整理すると、外部環境の改善や為替レートの大幅な減価による輸出拡大等により、財政再建が経済に与える負の影響が相殺されたため、経済成長を維持しながら速いペースで財政再建を達成した例もある。一方、緩やかなペースで継続的に財政再建に取り組み、安定的な経済成長と両立した例もある。財政再建のペースについては、経済危機等の特別な事情がない限り、複合的な要素を勘案して経済に及ぼす影響を抑制しながら調節されることが望ましい。

(3)景気の変動リスクへの対応

●景気循環への配慮を規定したルールの設定
  財政再建に当たっては、厳しい財政規律を維持しながらも、景気の変動リスクに対する柔軟性を確保するための例外的な状況に対処するための規定(いわゆるエスケープ・クローズ)を設けることも重要となる。例えば、景気後退時あるいは通常の景気循環を超える重大な経済危機等が生じた場合に、財政の再建目標やその達成時期の変更等、適切な措置を講じられるような仕組みを設けておくことで、マクロ経済の安定化とともに、財政再建の継続性を確保することが可能となる。
  エスケープ・クローズの重要性を示唆する例として、90年代後半の日本の経験が挙げられる。日本では、93年10月から97年にかけて景気が拡大したことを背景に財政構造改革に向けた検討が開始され、「03年度までのできるだけ早期に、国及び地方の財政赤字GDP比を3%以下とする」ことを目標とした財政構造改革法が97年11月に成立した。しかしながら、97年4月の消費税率引上げ(3%から5%)に伴う駆込み需要の反動や同年夏に発生したアジア通貨危機の影響、金融機関破たんによる金融システム不安等が重なったこともあり、景気後退が深刻化した。こうした状況の中、エスケープ・クローズがなかったため、同法に沿って98年度予算は緊縮的な財政政策スタンスがとられた結果、景気の落込みは更に深刻なものとなった。財政再建のタイミングの問題とともに、景気変動によるリスクを考慮した柔軟な仕組みが欠如していたと考えられる。

●各国の状況
  各国の状況をみると、アメリカ、英国、ユーロ圏諸国、スウェーデン等では景気変動リスクに対応する制度的仕組みが設けられている(第2-3-3表)。なお、英国では、今般の世界的な経済・金融危機を受けて、現在、財政規律(ゴールデン・ルール、サスティナビリティ・ルール)の適用を一時的に止める措置を採っているほか、EUにおいても現在の厳しい経済情勢は「例外的な状況(exceptional circumstance)」とされ、安定成長協定が定めるGDP比を超える財政赤字が許容されている。

●景気変動リスクに対する対応の評価
  景気後退局面における財政再建は、「景気循環増幅的」(pro-cyclical)な効果をもたらす可能性が高く、マクロ経済の安定並びに財政再建の持続性の観点からエスケープ・クローズのような弾力条項を設けることは必要であると考えられる。ただし、規定の設計が十分でない場合、あるいは運用が恣意的に行われる場合には、財政再建に対するクレディビリティを失い実現性も低下するといった弊害をもたらすことに留意が必要である。
  例えば、英国においては、98年に制定したゴールデン・ルールやサスティナビリティ・ルールによって景気変動の影響を踏まえた柔軟な予算編成が可能となった一方、財政規律を遵守しているかどうかの評価に重大な影響を与える景気循環の開始時期の認定において、事後的に変更(99年から97年前半に変更)が行われた(05年7月)。こうしたことから、ルールを遵守しているかどうかの評価基準があいまいではないかという指摘がなされた。


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