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第2章 財政再建と経済成長、金融システム

第1節 先進国を中心とした世界的な財政赤字拡大

2.財政再建と経済成長、金融システム

●財政の持続可能性の確保の重要性と財政再建に伴うリスク
  前述のとおり、世界経済・金融危機の結果、先進国を中心に財政赤字が大きく拡大している状況にある。民間資金需要が大きく落ち込んでいた危機の状況では、財政は民間需要の肩代わりの役割を果たしていたが、経済が回復するにつれ、拡大した財政赤字をファイナンスするための多額の国債発行は、次第に民間投資のための資金需要と競合関係となり、いずれは民間投資をクラウディング・アウトするというマイナスの効果もある。さらに、財政赤字の拡大・債務残高の累積の結果、財政の持続可能性について懸念が生じるような場合には、先行きの不確実性の高まりを通じて、家計消費や企業投資の抑制要因ともなる。
  また、こうした実体経済への影響のみならず、財政の持続可能性についての懸念が生じた場合の影響は、国債金利の上昇(国債価格の下落)という形で金融面にも及ぶ。国債金利が急上昇してデフォルト懸念を引き起こすならば、深刻な場合には、当該国債を保有している金融機関に経営上の不安が生じ資金調達が困難となるといった事態や、更に金融システムが混乱に陥るという事態に至るおそれもある。10年5月にピークに達したギリシャ財政危機は、このような形の影響を想起させるものであった。こうしたことから、財政の持続可能性を確保することは極めて重要な政策課題である。
  財政再建を進めていく際には、財政緊縮によって短期的にも経済成長に様々な影響が生じる可能性があるため、足元の景気動向も注意深く見ていく必要がある。例えば、財政再建の短期的な影響としては、先行き不確実性の低下を通じて消費・投資を喚起する可能性がある一方で、乗数効果を通じて総需要を下押しする可能性がある。
  こうした観点を踏まえ、以下では、財政再建が実体経済面に及ぼす影響についての考え方を整理し、今後、先進国を中心に財政再建を進めていく上で経済成長とどのように両立を図るべきか、その方向性について検討する。さらに、財政の持続可能性に懸念が生じた場合、金融面で想定される問題について、考え方を整理する。

(1)財政再建と経済成長の関係

●財政再建が経済成長に及ぼす影響についての考え方
  財政再建が経済成長に及ぼす影響として、短期的な視点からは、伝統的なケインズ理論に基づくマイナスの影響が指摘されてきた。政府支出の減少や増税は、乗数効果を通じて民間の消費や投資等の需要を減少させ、総需要に対して下押し要因となるというものである。
  これに対して中長期的な視点からは、家計の消費や企業の投資の意思決定は、現在の経済・財政状況だけでなく、将来にわたる状況をも考慮に入れた各経済主体の予算制約等を踏まえて行われると考えることができる。この場合、仮に国債発行により減税を行ったとしても、将来の増税によって穴埋めされると家計が認識するなら、将来にわたる家計の予算制約に変更は生じず、消費行動も変化しない可能性があるということになる(5)。また、もしも家計にとって将来にわたる期待所得が増加し、予算制約が緩和すると認識すれば、現在の消費水準は増加する可能性がある。
  財政運営との関係では、家計の将来にわたる期待所得が増加すると認識される可能性があるケースとして考えられるのは、例えば、現在の政府債務残高が極めて高水準となっており、やがて急激で大規模な増税の実施が不可避になる事態が予想される状況下で、そういった事態を回避すべく、十分な規模で継続的な財政再建に政府が着手した場合である。この場合には、家計の将来にわたる期待所得への影響を考えると、将来の急激で大規模な増税等に比べ、着実な財政再建の推進による増税等は、経済活動をゆがめる効果が小さく、経済厚生の損失も小さくて済む可能性が高いことから、増税にもかかわらず家計が消費を増加させる可能性がある(6)
  また、こうした可能性は、流動性制約の下にある家計が全家計に占める割合が低い場合に高くなる。流動性制約の下では、家計は現在の可処分所得額に基づいて消費を決定しており、増税は現在の可処分所得を減少させ、消費を減少させる要因となるので、増税の影響は、伝統的なケインズ理論と同じく需要を下押しする。流動性制約下にある家計の割合が低い場合の方が、将来にわたる予算制約への影響を通じた効果は生じやすいことになる。
  以上のような、伝統的なケインズ理論とは異なる経路で財政政策が需要に及ぼす効果は、非ケインズ効果と呼ばれる。中長期の観点から、財政再建が経済成長に及ぼす影響を考える上で、財政再建の継続性や政府の取組への信認といった要素の重要性を示すものといえよう。
  さらに、政府が財政再建に対して着実に継続的に取り組むことへの信認が高まると、将来の予期せぬ増税といった、経済・財政状況のリスクに備えて消費を抑制する予備的貯蓄動機を低下させる効果がある。
  また、財政再建を進める際に、金融緩和による内需の下支えや、輸出の増加による外需の伸びが期待できる場合には、緊縮財政による総需要への下押し効果が緩和されることになる。現在のように、欧米の主要先進国において政策金利は既に極めて低い水準となっており、先進国の景気が緩やかな回復ペースにとどまっている状況の下で、各国が同時に財政再建を進めた場合には、こうした金融面や外需による総需要下支え効果も見込めないため、財政再建が経済成長を下押しする効果が大きくなるおそれがある(7)

●世界的な財政再建への取組のためのG20合意
  ギリシャ財政危機を背景として、先進国の財政持続可能性についてのリスクが市場で意識される中、10年6月に「G20トロント・サミット」が開催された。同サミットでは、財政再建につき、その重要性を強調しつつ、経済成長と両立させることが必要との認識が多くの首脳により共有されるとともに、先進国において既存の財政刺激策を遂行し、「成長にやさしい」(growth-friendly)財政再建計画を実施していくことが合意された。
  同合意では、健全な財政は、回復を維持し、新しいショックに対応する柔軟性を提供し、人口の高齢化という課題に対応する能力を確保するとともに、将来世代に財政赤字・債務を残すことを回避するために必要不可欠とされた。また、調整の経路は、民間需要の回復を持続させるため、注意深く調整されなければならないとされた。主要国が同時に財政調整を行うことによる世界経済への下押しリスクと、必要な国が財政再建を行わずに信認を損うリスクのバランスを考慮することが必要だとの認識の下、各国の状況に即して差別化するとの基本を踏まえつつも、先進国は、13年までに少なくとも赤字を半減させ、16年までに政府債務のGDP比を安定化または低下させる財政計画にコミットした。
  この合意により、先進国における財政再建への取組の前進が確認された。今後、同合意に基づき先進国が同時に財政再建を実施した場合、各国の財政再建による景気への下押し効果が、世界経済の緩やかな回復の持続性を損なうことがないよう、注視していく必要がある。なお、10年11月の「G20ソウル・サミット」においては、トロント・サミットで約束したように財政再建計画を策定・実行することを改めて確認するとともに、同時に調整がなされることによる世界経済の回復へのリスクや、即時に必要とされる財政再建を実施できないことが、信認や成長を低下させるリスクに留意することとされた。

●「成長にやさしい」財政再建とは
  財政再建と経済成長の関係をみると、既に述べたように、短期的な視点からすれば、財政再建は経済成長に対して下押し効果がある。そこで、財政再建と経済成長を両立するためには、財政政策以外の政策も含めて、どのような経済財政政策運営をすれば良いのかという観点が求められる。
  まず、財政再建のタイミングやペースに配慮することが必要である。景気回復局面では、税収の自然増などによる歳入増や、ビルトインスタビライザー(景気の自動安定化装置)による財政支出の減少等による歳出減が見込まれ、財政再建への追い風となる。また、経済成長率など経済状況を考慮しつつ、財政再建のペースを調節することで経済への負荷を軽くすることができれば、財政再建の取組を進めやすくなる。
  また、金融政策等の他の経済政策を組み合わせることにより、財政再建による経済下押し効果を緩和することが考えられる。
  まず、金融政策について、金融引締めに慎重なスタンスをとることにより、財政緊縮が景気の腰折れといった事態を招かないためのマクロ経済環境を維持する効果が期待できる。さらに、構造改革を推進し、潜在成長率を高めることにより、財政再建を進めやすくする効果がある。
  加えて、財政運営に対する中長期的視点からみれば、財政再建が着実で継続的に行われることに対する信認を得られるかどうかも重要である。信認を得た状況では、緊縮財政が民需を増加させる非ケインズ効果が働く可能性もある。このため、中長期的な財政再建計画の策定や、財政再建の取組を法的拘束力のあるものにするといった財政制度上の工夫も有効である。

(2)財政と金融システム

  10年5月にピークに達したギリシャ財政危機は、財政と金融システムが密接な関係を有することを世界の人々に改めて認識させた。ドイツやフランス等の金融機関は、ギリシャを始めとする、財政の持続可能性への懸念が高まった一部のヨーロッパの国々の国債を保有していたことから、財政の悪化がヨーロッパ全体の金融システムの安定性への懸念に拡大した。
  日本においても、金融機関の資産のうち20%弱を日本国債が占めていることから、金融システムの安定性を確保するためにも、財政の持続可能性の確保は重要な課題である。

●財政赤字の拡大に伴う影響
  一般に、財政赤字の拡大は、政府部門がより多くの資金を市場から調達するため資金不足傾向となることから金利が上昇し、それにより民間投資を減少(クラウディング・アウト)させるという効果がある(8)。このため、資本蓄積が低下することにより、長期的な潜在成長率が低下する可能性がある。また、政府の利払い費用負担が増加することで、更なる財政悪化や、財政の硬直化を招くおそれがある。さらに、財政赤字の拡大に伴う財政の持続可能性への懸念は、金融システムの急速な不安定化につながるおそれがある。

●金融システムへの波及経路
  ある国の財政赤字が拡大し金利が上昇傾向を強めると、利払い負担増等により当該国の財政の持続可能性に対する懸念につながる。この懸念が引き金となり、各国の財政状況への注目が集まった場合には、同様に財政赤字が拡大している国の国債金利が上昇する可能性が高まり、このような国の財政の持続可能性への懸念に伝染(コンテイジョン)する。他方、金融機関は自国国債を中心に国債を保有していることが多いが、財政状況が悪化している国の国債金利が上昇(国債価格の下落)し、デフォルトへの懸念が強まる場合には、保有している国債から損失が発生する懸念につながる。この動きが金融機関の経営に深刻な影響を及ぼす規模に発展すると懸念された場合には、08年秋に発生した世界金融危機と同様に、カウンター・パーティ・リスクが意識され、金融機関は銀行間市場やCP等の短期資本市場での資金調達が困難になるため、金融システムが混乱に陥る可能性がある。
  10年5月にピークに達したギリシャ財政危機を例にみると、ギリシャと同様に財政状況が悪化していたポルトガル、アイルランド、イタリア、スペインへの懸念が強まった結果、当該各国国債のドイツ国債に対する利回りのスプレッドは急拡大した(第2-1-8図)。他方、フランスやドイツ等を含むヨーロッパの金融機関は、これらの国債を多く保有していたことから、利回りの急上昇(国債価格の下落)による損失発生が市場で懸念されるようになった。このため、ヨーロッパの金融機関のCDSが急上昇したり、株価も大きく下落した(第2-1-9図)。さらに、銀行間でも、カウンター・パーティ・リスクが高まり、ロンドン銀行間翌日物金利(LIBOR)におけるドル調達金利が若干上昇するなどの現象がみられた(9)

●財政危機として市場が認識するタイミング
  財政状態の悪化を財政危機と市場が認識するタイミングは必ずしも早くない。市場が財政危機と認識するタイミングとして、何らかのショックを契機とする場合が挙げられる。財政状態の悪化の背景として、構造改革の遅れや経済の脆弱性が存在していたとしても、この動きは緩やかであることもあり、平時においては市場で危機と認識されない場合もある。しかし、何らかのショックが発生し景気が急速に悪化すると、構造改革の遅れや経済の脆弱性が表面化する可能性があり、この状況になって初めて市場が財政危機としてとらえることになる。
  また、格付け機関による格付けが良好な場合には、財政状態に対する市場の注目が低くなり、結果として市場の財政状態の悪化に関する認識を遅らせる可能性がある。さらに、格下げが一度発生した場合には、金利が上昇することで更に財政状態の悪化懸念が強まり、更なる格下げにつながる増幅的な効果を持つ可能性もある。この点についてIMFでは、1975年以降債務不履行に陥った国は、債務不履行の1年前には投資適格未満の水準に格付けされていた点を指摘するとともに、格付け機関は継続的に格付け方法の調整を行っており、国債の格付けに関しても正確性は向上してきているとし、格付け機関による格付けはおおむねうまく機能してきたとしている(10)。しかし、90年代の新興国の財政危機の際は、格付け機関は、格付け変更があまりにも遅すぎたこともあり、増幅的であったことが非難されていた(11)。10年5月にピークに達したギリシャ財政危機においても、09年10月の政権交代と、新政権による財政統計データの大幅下方修正により、徐々にソブリンCDSは上昇した。しかし、急激な上昇は、格付け機関が格下げを相次いで行った09年12月以降に発生していることから、格付け機関による格下げが、市場の認識を遅らせるとともに、格下げが更なる格下げを呼んだ可能性がある(第2-1-10図)。

●財政危機を認識後の市場の調整速度
  財政状態の悪化を財政危機と市場が認識した場合、株価の急落等金融市場の調整は急速に行われることがある。市場の価格変動の大きさを表す恐怖指数をみると、98年8月に発生したロシア財政危機や10年5月にピークに達したギリシャ財政危機では、危機の認識後に恐怖指数は急上昇していることから、市場の価格変動が大きくなっていることがうかがえる(第2-1-11図)。このことから、財政危機が市場に認識された場合には、金融市場の調整が急速に進行するため、金融システムも急速に悪化する可能性がある。


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