第2章 (2)JASM(熊本県)の投資に伴う経済効果
前節では、半導体製造拠点の新たな立地によって期待される一般論としての経済効果及びその試算を整理した。ここからは、実際のデータを用いて、大型投資案件による各地域の経済への影響をみていきたい。まず、熊本県のJASMの投資による地域経済への効果を確認したい。
なお、JASMの第1工場は、前述のとおり2024年2月24日に開所式を行ったが、生産開始は2024年末となっているため、現時点(2024年9月)では、まだ第1工場の設備投資の影響しか確認できないことに留意する必要がある。
(九州地方の各種設備投資は、JASM第1工場の建設が進んだ2023年度に大きな伸び)
まず、九州地方の設備投資の状況をみると、非鉄金属では、半導体の部素材となるシリコンウェーハの工場建設計画の影響もあり、2023年度の設備投資額が全国に比して大きな伸びとなった(図表2-5(1))。また、半導体製造及び半導体製造装置を含む電気機械、精密機械については、2023年度はJASMの投資を反映して伸びたものと考えられる(図表2-5(2)(3))。
続いて、設備投資のうち都道府県別に年度値を確認できる建設投資について、製造業の施工都道府県別の工事請負をみてみたい。熊本県の請負契約額は、TSMCが工場建設の計画を発表した翌年度の2022年度から2023年度にかけて、平年を大きく上回っている。工場建設の開始は2022年4月なので、その契約の一部は前年度に出ていると考えられるが、5G法に基づく経産省の特定半導体基金の認定がなされたのが2022年6月17日であるため、建設計画の一部については2022年度に請負契約が行われ、それが2022年度の大きな伸びとして表れたとみることができる。2023年度についても、TSMCは第2工場の計画を2024年2月に発表しており、その一部が表れていると考えられる(図表2-6)。また、2023年度における北海道の請負契約額の急増については、後の節で扱うラピダスの進出に伴う影響であることが明らかである。
(2023年以降、工場近くの地価や賃料は大きく上昇)
設備投資に続き、JASMの工場の建設が進むにつれ、周辺地域の地価がどうなっているのかを確認したい。
まず、具体的な工場の立地を確認すると、JASMの立地しているセミコンテクノパーク原水工業団地は、菊陽町の北東部にあり、合志市や大津町とも隣接している。ここには、JASMだけでなく、ソニーSM、東京エレクトロン九州など、半導体関連企業が集積している(図表2-7(1))。なお、次節で影響を確認するラピダスの立地についても確認すると、千歳市の中央部に立地しており、北海道の玄関口である新千歳空港から近距離にある。地理的には、ラピダスから札幌に向かうルートに、恵庭市、北広島市があり、これらの地域が主な通勤圏と考えられる(図表2-7(2))。
地価の上昇について、2024年7月1日時点の変動率をランキングにしたものをみると、住宅地については、熊本県の菊陽町(8位、11.5%上昇)、大津町(9位、10.8%上昇)が上位に入っており、前年より10%超の伸びが続いている(図表2-8(1))。商業地については、大津町が31.5%上昇で全国1位、菊陽町が25.1%上昇で全国2位と、きわめて高い伸びを記録しており、近年の地価の上昇が全国的にも際立っていることが分かる(図表2-8(2))。さらに、工業地については、大津町(1位、33.3%上昇)、隣接はしていないものの近隣の菊池市(2位、32.3%上昇)、合志市(3位、29.5%上昇)と熊本県のJASM近隣都市がトップ3を独占しており、菊陽町も全国6位の25.0%上昇と、きわめて高い伸びを示している(図表2-8(3))。
続いて、3市町について、地価の推移を確認すると、住宅地については、TSMCの進出以降、全国や熊本市と比べてもきわめて高い伸びを示していることが分かる(図表2-9(1))。住宅は、着工から入居できるようになるまでに、少なくとも数か月はかかることから、2024年末の工場稼働開始を見据え、早い段階から土地購入等の需要が始まっていることがうかがえる。
商業地については、菊陽町では、TSMC進出発表後の2022年に大きく伸びた後、堅調に上昇を続けている。大津町においては、建設が進んだ2023年以降、伸びを加速させている。合志市は、両町ほどではないものの、2023年以降、全国平均よりも高い伸びを示している(図表2-9(2))。いずれの市町においても、第1工場の建設が進み、人手が増えて商業需要の見込める2023年以降に、土地への需要が高まっていることがうかがえる。
工業地についてみてみると、TSMC進出発表後に大きく伸びているが、特に、菊陽町では、2024年には2020年の約3倍の地価となるほどの大きな伸びを示しており、工業地の需要の高まりがうかがえる(図表2-9(3))。
また、賃料についてみると、民間不動産サイトの掲載データによると、1人暮らし用の1R~1DKの物件の家賃は、3市町は2023年半ばより、大きく上昇している(図表2-10)。台湾からJASMへの転勤は、2023年第3四半期より始まっており、後述のように、統計からも2023年後半に台湾出身者が大きく増加していることが確認でき、これらの層による需要が高まっているものと考えられる。なお、同サイトでは、合志市、大津町では、新たに建てられた築年数の浅い物件の掲載戸数が増加しており、菊陽町では掲載されるとすぐに部屋が埋まる状況であるなど、旺盛な住宅需要がみて取れる。
(熊本県は全国から半導体関連の求職の関心先となっている)
半導体関連の雇用状況について、まず、Indeed Japan株式会社によるデータから、半導体関連産業の求職における全国的な関心の動向をみると、2023年に求人サイト利用者が「半導体」等をキーワードに勤務地を検索した先の都道府県として、熊本県が全体の23.7%で1位、北海道が7.2%で2位となっている20。
求職者の居住地と検索先との関係を示す都道府県間の検索マップでは、基本的にはマップの対角成分が濃い赤となっており、求職者は、自身が居住する都道府県を勤務先として検索することが多いことが分かる。また、横方向にみると、大都市圏の行が濃いことから、人口の多い地域で求職者が多いことも分かる。その上で、縦方向にみると、TSMCの進出した熊本県の列は赤色が濃くなっており、全国から熊本県の半導体産業に関心を寄せられていることが分かる。また、九州地域は全体としても赤色が濃くなっており、半導体産業の集積するシリコンアイランドとして、近隣の職を探す求職者が多いことも分かる(図表2-11)。
(半導体製造業は、2021年以降労働需要が増加、足下で給与、労働者数ともに増加している)
次に、熊本県内の雇用状況をより詳細に確認する。
中分類の集積回路製造業や半導体素子製造業といった、各種半導体を製造する業種は、電子部品・デバイス・電子回路製造業(以下「電子・デバイス」という。)に分類される。労働需要の旺盛さを示す新規求人数について、電子・デバイスは、2021年以降、他産業と比べて高い水準が続いている(図表2-12(1))。県内の製造業の新規求人に占める電子・デバイスの割合をみると、2021年以降の平均は、2017年から2020年の平均と比べて、6ポイントほど高くなっている。このことから、TSMCの進出等により、求人が大きく増えた可能性が示唆される(図表2-12(2))。
こうした労働需要を踏まえた給与について確認すると、県内の製造業全体の所定内給与は、2023年は全国平均を上回る伸びとなっている中、電子・デバイスについては、2022年、2023年と全国平均を上回る高い上昇率を記録している。特に、2023年には、水準としても全国平均を上回る月収33.4万円となっており、足下で賃金が大きく上昇していることが分かる(図表2-13(1))。
製造業全体の労働者数に占める電子・デバイスの割合についても、変動は大きいものの2020年以降減少していたところ、2023年には反転しており、全国平均の2倍以上となっている(図表2-14)。
(半導体製造装置製造業も、おおむね同様の傾向)
続いて、半導体製造装置製造業を含む生産用機械器具製造業について確認する。
なお、熊本県の生産用機械器具製造業に占める半導体製造装置製造業の割合は、2020年時点で63.7%、その後も更に上昇21しており、少なくとも熊本県においては、生産用機械器具製造業の変動要因の大半が半導体製造装置によるものと考えることができる。
新規求人数についてみると、電子・デバイスと比べるとやや変動が大きいものの、2021年以降、求人数が増加している(図表2-15(1))。特に、製造業の求人全体に占める割合の推移をみると、2段階でレベルシフトが生じていることが分かる(図表2-15(2))。2021年以降に一度水準が上がっている背景には、半導体製造装置企業の増産計画の影響が示唆される。その後、2023年6月にもう一段水準が上がっているが、報道によれば、JASM第1工場への設備の搬入は2023年9月より開始していることから、第1工場へ搬入する機械や関連する機械に関する動き、第2工場に向けた動きを見据えて、求人が増加した可能性が考えられる。
所定内給与についても、電子・デバイス同様の動きがみられ、2023年には月収が全国平均を超える33.2万円となっており、足下で賃金の状況が大きく上昇していることが分かる(図表2-13(2))。
(その他の雇用データも、JASMの進出等により上昇)
さらに詳しく工場周辺の影響をみるため、菊陽町、大津町、合志市を管轄するハローワーク菊池の新規求人数をみると、大分類でしか確認できないものの、2021年以降、製造業の新規求人は、産業全体を上回って推移している。ここからも、JASMを始めとする各半導体関連工場の設備投資の影響が示唆される(図表2-16)。
職業紹介所以外の民間の求人広告サイトをみると、熊本県の製造業までの分類しか確認できないが、正社員の募集賃金は2023年11月頃以降、全国平均を大きく上回って上昇している(図表2-17(1))。求人数指数についても、2024年に入り、上昇傾向にあるといえる(図表2-17(2))。
(3市町の人口は、足下、台湾出身者を中心に大きく増加)
前項で確認したように、熊本県の雇用状況は、マクロでみるとやや影響がみえづらい面はあるものの、電子・デバイス、生産用機械器具製造業については、給与・労働者数ともに伸びている。このように県内の雇用状況が推移する中で、工場周辺の人口についても確認したい。
工場周辺の3市町及び熊本市の人口推移をみると、熊本県全体で人口が減少し、熊本市においても緩やかに減少してきている一方、3市町の人口は伸び続けている(図表2-18(1))。特に菊陽町では、大規模な住宅開発により、1970年代より持続的に人口が増加し続けており、自然増かつ社会増22となっている。大津町、合志市においても似たような状況である。ただし、これらの状況はJASM立地の前後で大きな変化がなく、立地の影響を人口全体の推移だけで測るのは難しい。
一方、3市町の外国人人口をみると、2023年、2024年と大きく伸びており、菊陽町に隣接する熊本市においても、30~40代の外国人人口が伸びている(図表2-18(2)~(4))。在留外国人統計で出身国・地域を細かくみてみると、台湾出身者が2023年12月期に大きく増加していることが分かる。特に、菊陽町と合志市においては、それまで在留外国人の割合として上位にいた、中国、ベトナム出身の人口を大きく超え、首位となっている(図表2-19)。これらはJASM関連で入国してきた層と考えられ、在留外国人の増加による社会増がもたらされていることが分かる。
(消費関連指標は、2023年以降に伸び、その他の指標についても、今後の伸びが期待される)
さらに、これらの人口増加の波及効果についても確認したい。
前節でも述べたように、人口が増加することにより様々な需要が活性化し、各種企業の進出が積極化する要因になると考えられる。実際に2023年2月以降、工場周辺のコンビニや飲食店、ホテルが非常に混雑しているとの報道が複数みられる。
県単位のものしかないが、各種統計からこれらの報道について実際の状況を確認する。商業動態統計では、百貨店・スーパーの販売額は、以前は全国平均を下回る伸びであったが、2023年は全国平均を上回る伸びとなっている。コンビニについても、2023年に全国平均をやや上回る伸びとなっており、工場進出の影響が表れている可能性がある(図表2-20(1)(2))。
飲食店支出については、特に2023年以降、全国平均を上回って伸びており、ここにも工場立地の影響が表れていることがうかがえる(図表2-21)。なお、ビジネスホテルの宿泊者数については、2023年は前年比32.7%増の428万人と大きく伸び、コロナ前の最高値であった2018年の宿泊者数を上回った。コロナ禍明けの全国的な動きと類似しているため、評価が難しい面もあるものの、工場立地の影響も含まれると考えられる。
また、工場周辺で新規開業が相次いでいるとの報道もあるが、熊本県は元々開業率が比較的高いこともあり、JASM進出による開業率の効果は明確とはいえない。2024年3月31日時点でみても、事業所数は前年比で+0.89%と、全国10位の増加率である。報道では、2024年4月以降も工場周辺に商業施設が複数出店している模様で、こうした動きが今後の統計データにも反映されていくことが期待される。
コラム1:JASM第1工場周辺の道路状況について
工場立地に伴い周辺の交通量が増え、渋滞が問題になっているとの報道もみられるところ、交通量の推移についても確認したい。公益財団法人日本道路交通情報センター(以下「JARTIC」という。)が毎月公表している各地の道路の断面交通量23を、公益財団法人日本交通管理技術協会(以下「JTMTA」という。)が提供している位置情報と組み合わせることで、工場周辺の車の交通量をみることができる。
JASMの工場建設により、工場前の県道大津植木線及び空港方面につながる国道325号線が混んでいるという報道があることから、まず、片側2車線の国道325号線(A地点)の断面交通量をみてみる。工場建設の始まった2022年4月以降、交通量は増えており、特に建設がピークに達する2022年終盤以降は、交通量もピークになっている(コラム1図表1、2(1))。なお、工場の目の前の道路である片側1車線の県道大津植木線(B地点、C地点)については、断面交通量が2021年4月からのデータしかないため、2021年度比でみると、こちらも工場の建設が始まって以降、大きく交通量が増え、進行方向によってやや差があるものの、特に2022年の終わり頃から増加している。2023年は2021年度比で1.2倍にも達する月があり、国道以上に混雑度合いが増している様子がみて取れる(コラム1図表1、2(2)(3))。
工場周辺地区では、TSMC進出が決定する前より、渋滞対策として、道路整備を複数計画していたが、TSMC進出に伴い、これらの動きが加速した。また、工場の目の前である県道大津植木線の多車線化など、TSMC進出後に決定した整備計画もある。工事が完了している足下では、工場建設に伴う交通量の増加が収まり、やや落ち着きをみせているものの、今後、工場が稼働し生産が進むとともに、第2工場の建設が本格化していくに従い、再び交通量が増えることも予想されるところ、熊本県、菊陽町としても、交通インフラの整備に努めている。