第2章 (2)地方への賃上げの波及に向けた課題整理
(中小企業は価格転嫁の難しさを理由に賃上げを躊躇する傾向)
前節でみたとおり、群馬県や広島県など大手製造業が多く立地する地域では春闘の妥結結果が高く、平均賃金の上昇が見込まれ、地域経済にも徐々に好影響が現れてくることが期待される。一方で、栃木県におけるヒアリングでも聞かれたように、賃上げは大企業と中堅企業が中心で、産業の裾野まで波及していないという課題も存在していると考えられる。
ここでは、東京商工リサーチが実施した2024年度の賃上げに関するアンケート調査結果(調査期間:2024年2月1~8日、有効回答数:4,257社)から中小企業の賃上げ実施率を確認するとともに、中小企業が賃上げに踏み切れない要因について把握してきたい11。
まず、2024年度に賃上げを実施するかという質問項目に対する全国計の回答結果をみると、大企業は「実施する」という回答が93.1%(341社/366社)と9割を超えたのに対し、中小企業は84.9%(3,290社/3,873社)と8.2%ポイントの差がついた。都道府県別にみると、中小企業の回答結果が80%を下回る県は3県のみ12と、地域に関わらず中小企業でも賃上げが一定程度進んでいることが確認できる(図表2-5(1))。
中小企業の賃上げ実施率を産業別にみると、製造業が88.3%と最も高く、賃上げをけん引する産業となっている(図表2-5(2))。
次に、賃上げを実施しない理由に関する質問項目に対する回答結果について、都道府県別にはサンプル数も限られるため、産業別にみていくと、全産業で共通して、「原材料価格・電気代・燃料費などが高騰しているため」「コスト増加分を十分に価格転嫁できていないため」というコスト上昇や価格転嫁に関する回答割合が高く、次いで「受注の先行きに不安があるため」という回答割合が高かった(図表2-6)。こうしたアンケート結果からも、中小企業が賃上げを行えるかどうかには、価格転嫁が大きな課題となっていることが分かる。
(価格転嫁しやすい土壌の形成と中小企業の意識改革・価格競争力向上が課題)
上述のとおり、中小企業が賃上げに踏み切れない要因として、適切な価格転嫁(特に労務費の転嫁)を行うことができず、賃上げの原資を確保できないことが大きなボトルネックとなっている。
そこで、原材料価格等の産出価格に対する転嫁のマクロ的な状況について、日銀短観の「販売価格判断DI(販売価格が3か月前と比べて上昇したと答えた企業の割合と下落したと答えた企業の割合の差)」から「仕入価格判断DI(仕入価格が3か月前と比べて上昇したと答えた企業の割合と下落したと答えた企業の割合の差)」を差し引いた値の推移を地域別にみていきたい13。2022 年3月以降、多くの地域においてマイナス幅が縮小する動きとなっているが、その程度には地域差がある(図表2-7)。こうした地域差は、賃上げの原資となる利幅の差にもつながるため、引き続き動向を注視していく必要がある。
地方の中小企業が、労務費などの適切な価格転嫁を進めるためには、輸出製造業や最終消費者に近いサプライチェーンの川下に位置する企業が、円安やインバウンドで稼いだ利益を適切にサプライチェーン全体に分配していくことが重要であり、価格交渉が行いやすい土壌の形成が必要となる。中小企業庁が実施している「価格交渉促進月間フォローアップ調査」をみると、2023年3月調査から2024年3月調査にかけて、
- 「①:発注側企業から交渉の申し入れがあり、価格交渉が行われた」割合は、10%ポイント程度増加(2023年3月調査:7.7%→2024年3月調査:18.4%)する一方、
- 「⑦+⑧+⑨:価格交渉を希望したが交渉が行われなかった」割合は7%ポイント程度低下(2023年3月調査:17.1%→2024年3月調査:10.3%)しており、
価格交渉しやすい土壌が形成されつつあることが分かる(図表2-8)。こうした前向きな動きが生じつつあるものの、「⑥:コストが上昇したが、下請の方から『価格交渉は不要』と判断し、交渉しなかった」割合が16.2%存在、この中には「交渉資料を準備できない」等の理由で価格交渉ができていない企業も存在していると考えられ、中小企業の価格交渉への意識を高めていくことやノウハウ習得を進めることも重要な課題となる。
(公的分野への就業比率が高い地域では、春闘による賃上げの波及は限定的)
ここまで、製造業を中心とした民間産業の賃上げについて各種データを確認して議論を進めてきたが、本章の最後に、春闘による賃上げの波及に関して、地方の産業・就業構造による影響を整理したい。
春闘における賃金交渉は、民間企業の労働組合と経営陣の間で行われる労使交渉であるため、組合加入率の高い大企業の立地が限られ、公的分野や農林水産業などの就業者の比率が高い地域では、平均賃金上昇率への影響は限定的となる。具体的に、地域の就業構造という観点からみると、①国家公務員の人事院勧告に準拠して給与水準が調整される地方の公務・教育分野、②診療報酬改定と介護報酬改定によって価格改定が行われる医療・福祉分野(ただし、令和6年度政府予算では医療・介護従事者の処遇改善措置も行われている)、③個人事業主比率が高い農林水産業、の就業比率が高い地域ほど、春闘による賃上げの影響は小さくなる可能性がある。
都道府県別に、これらの産業に従事する就業者比率をみると、地方圏(特に北海道・東北・中国・四国・九州・沖縄)で公務、医療・福祉、教育・学習支援、農林水産業への就業比率が相対的に高くなっている(図表2-9)。
本年の春闘は高い賃上げ率が見込まれ、景況感や実体経済に好影響を与えることが期待されるものの、上記のように労働組合加入率や産業別にみた就業割合の地域差という構造的な要因もあり、平均賃金上昇率には地域間でバラつきも生じるため、引き続き注視していく必要がある。