2.産業立地と地域経済
(工業立地論に基づく産業展開)
ここまで地域の産業構造及び就業構造の変化について、地域の成長あるいは雇用の確保という視点から分析した。こうした産業構造の変遷には、どのような要因が影響しているのだろうか。その際に、人口の変化はどのように関係したのだろうか。この点について、産業立地論の観点から、すなわち企業側の視点でみた生産拠点の立地選択という観点から、理論的に検証してみよう。
立地論における古典的業績であるウェーバーの工業立地論は、工業製品の生産から販売までの主要な生産費用を分析し、工業を特定の地点に立地指向させる因子を論じた。その中で、輸送費と労働費の因子が重視され、さらに集積のメリット・デメリットの因子を加えて、合わせて3つの因子で立地が決定されるとしている75。すなわち、まず輸送費指向の工業立地とは、輸送される原材料や製品の重量と距離が輸送費を決定するとした上で、輸送費を最小にするためには、①どの場所ででも入手しやすい原材料(例:水)を使用する場合(例:ビール生産)には、その製品の需要先が多い消費地立地に、②生産過程において原材料の重量が製品の中に残る割合が少ない(重量減損が大きい)場合(例:鉄鋼生産)には、原料の輸送コストを節約すべく、原料供給地立地になりやすいとしている。
この輸送費指向論を原則に、さらに労働費指向論からの工業立地論として、ある一定量の低廉な労働力を生産のために確保する必要性が大きい場合、輸送費を最小にする地点から離れ、労働力を求めて立地点が偏倚するとしている。例えば、機械産業は、上述の輸送費指向論が示唆する原材料供給地立地ではなく、低廉で質の良い労働力の確保のために、むしろ労働力供給地である地方部を指向することになるとしている76。
(戦後の工業立地と人口移動)
この工業立地論からすると、我が国の工業立地は、どのように説明できるのか。
我が国では戦後、政策的に重化学工業化が推進され、太平洋沿岸地域に形成された臨海工業地帯において、鉄鋼、石油化学等素材産業の生産拠点が配置された。これは、こうした産業では、原材料を海外、特に太平洋沿岸諸国からの輸入に依存したことや、その製品の需要先が太平洋沿岸地域に多かったため、輸送費指向から太平洋沿岸の地理的優位性が高かったことによる消費地立地となっている77。
こうした太平洋沿岸への工業の集中を支えたのが、地方から太平洋沿岸の都市部への人口の移動による労働力供給であった。戦後の地方から都市への若年人口の移動については、本レポートの補論1に譲るが、成長産業での高い賃金水準が誘因になったことに加え、戦後の高い出生率を背景に地方部で「潜在的他出者」78が増加したことが指摘される。
また、機械産業は、原料の重量減損が少なく消費地立地となりやすいが、加えて、①労働集約的で、地方から移動してきた豊富な労働力を都市部で利用できること、②関連部門や下請企業等裾野が広く集積の利益が大きいため、既存の集積地域に立地する方が有利であることから、都市部への集積が進んだと考えられる。
しかし、70年代に入って高度成長が終わり、出生率も低下して地方からの人口流入圧力が減退すると、労働力が以前のように都市部に集まらなくなり、臨海立地する必要性がない機械工業(特に組立型工業)は、低廉かつ豊富な労働力を求めて地方部に立地するようになった。九州、北関東、東北地域の自動車産業、九州地域の電子部品機械産業等が好例として挙げられる。
本論で検討対象とした北陸及び四国地域は、こうした戦後の経緯から考えてみると、好対照を成している。四国地域では、従来からの繊維産業等に加え、太平洋ベルト地帯に位置したことから石油化学産業等の素材型産業が立地してきたが、これに対して北陸地域では、そうした工業立地上の優位性を持たなかったために、独自に繊維産業や機械産業を育むとともに、豊かな電力供給を背景としたアルミニウム等非鉄金属や化学肥料等の化学工業が発展することになった。