第1節 震災の発生
1.震災を巡る動き
(東日本大震災の発生)
3月11日14時46分、三陸沖を震源とする観測史上最大規模のM9.0の地震が発生した。宮城県北部で震度7、宮城県南部・中部、福島県中通り・浜通り、茨城県北部・南部、栃木県北部・南部で震度6強を記録する大規模な地震であった。しかし、災害はそれに止まらなかった。15時18分に岩手県大船渡市に最大波8.0m以上の津波が襲ったのを始め、太平洋沿岸を中心とする広範な地域で高い津波が観測された。最大潮位高は福島県相馬市で9.3m以上を記録し、遡上高では最大40mを超えていたとの報告もされた22。この結果、津波による浸水被害地域は青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉6県で561km2に及んだ23。余震も断続的に発生し、4月7日深夜には宮城県沖におけるM7.1(暫定値)の余震により宮城県北部・中部で震度6強を記録したのを始めとして、これまでに最大震度6強が2回、6弱が2回など規模の大きな余震が多数起きている24,25(第2-1-1表)。
- 上記一覧表は東日本大震災復興本部・各府省公表資料、新聞情報等により作成。
- 詳細な経緯については、付表2-1を参照。
- 上記に記載している人物の役職等については当時のものによる。
(稀に見る人的被害規模)
今回の震災は、被害の規模や広域性等からみて、10万人余りの犠牲者を出した関東大震災以来の自然災害となった。震災による人的被害は、10月24日現在で死者15,828名、行方不明者3,754名、負傷者5,942名に及んだ26(第2-1-2表)。戦後の自然災害の被害状況を第2-1-3表でみても、今回の震災の被害が我が国の経験上、稀に見る規模であったことがうかがわれる。
- 警察庁10月24日公表資料による。
- 東北地域の地域区分はA。
- 内閣府「防災白書」(2010年)より作成。
- チリ地震津波を除き、死者・行方不明者数が1,000人を超えたものについて掲載。
- 関東大震災(M7.9:大正12年9月1日)の死者・行方不明者数は約105,000人。
(市民生活や経済活動の混乱)
被災地では津波被害が甚大かつ広範に及んだため、建物被害が被災3県だけでも65.1万戸に上るなどその影響は大きく、市民生活も経済活動も長期間混乱を来した27。ライフラインも寸断され、被災3県では震災当日に停電が約258万戸、都市ガスの供給停止が約42万戸に上り、水道は震災直後に断水した戸数が全国で約180万戸に上った。また、道路や鉄道等の運輸手段も途絶し、生活物資の輸送にも事欠く状況となった。住居を失ったり避難を余儀なくされるなど生活基盤を喪失した者も多く、避難所や旅館・ホテル、親族・知人宅等に居る避難者は、震災直後には40万人を大きく超える規模に達し、10月6日現在でも約2.2万人となっている28。
地震・津波被害により生活基盤が失われたことや原子力発電所事故の影響によって、一時的に避難するのみならず住居を移転して住民票を移す者も少なくなく、被災地域の人口の減少につながっている29。第2-1-4図は、震災後の被災3県の転出入数を総務省「住民基本台帳人口移動報告」でみたものだが、震災直後の3月には1.2万人、4月には1.4万人転出が転入を超過し、8月までに累計で3.8万人の転出超となった。特に福島県では8月までの転出超過数が2010年10月時点の県人口の1.2%に相当する2.5万人となった。
- 総務省「住民基本台帳人口移動報告」より作成。
- 県内人口については、総務省「平成22年国勢調査人口等基本集計」より作成(2010年10月1日の数値)。
- 転入者数は、転入する市町村の長に対し、住民票移動の届出をした者を集計している。
- 棒グラフ(左軸)は転入超過数、折れ線グラフ(右軸)は転出超過率(対県内人口比率)。
経済活動に対しても震災は大きな損害を生じさせた。企業の従業員への人的被害や事務所・生産施設・設備の損壊等の物的被害といった直接被害に止まらず、取引先の被災による取引の停滞、流通網の寸断、原材料・資機材の価格高騰や調達困難化、消費需要の急落等多面にわたる事業環境の急速な悪化に直面し、経済活動が一時麻痺する事態となった。