第1章 第2節 <コラム1-1>イタリアの産業集積:中小企業の活力源

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<コラム1-1>イタリアの産業集積:中小企業の活力源

海外の先進事例として、中小企業により形成され、活力を維持しているイタリアの中小企業集積を取り上げる。

第二次世界大戦後のイタリア経済は、重厚長大型産業を中心とする大企業や、伝統的な産業基盤のある地域を軸に60年代後半まで「奇跡」といわれる高成長を続けた。

70年代には、石油ショック後の世界不況において、従来の産業地域とは異なる、ボローニャ、フィレンツェ、ベネツィアという北中部に中小企業、零細企業から成る新しい産業地域が生まれた。これが「第三のイタリア」と呼ばれ、イタリア型の産業集積として認知されている。

これらの産業集積をみると、歴史の古いものもあるが、戦後に形成されたものも少なくない。また、多様な業種の産業集積がみられるという特徴を持っている。

90年代には、東欧、北アフリカ諸国の工業化が進み、国内産業の競争力の低下が問題となったが、産業集積のある地域の方がマイナスの影響は小さかったというデータがある(第1-1-6表)。また、大企業の競争力の低下が目立つのに対し、産業集積内の中小企業、特に零細企業の収益率は高く、活力が維持されている。

このようにイタリアでは、産業集積が中小企業及び地域経済に重要な役割を果たしているが、このことはイタリア特有の産業・社会構造に関係していると言われている。例えば、ボローニャの自動機械(梱包)産業には、プロジェッティスタと呼ばれるタイプの企業がある。このプロジェッティスタは、企画・設計を行って、集積内企業に部品を発注し、それらの部品の組み立てに特化することによって、企業規模をあえて小さくしている。イタリアでは、経済変動の影響を受けることが多く、企業規模を大きくしないことが生き残るための一つの方策となっている。また、プロジェッティスタ間の競争は活発だが、価格競争よりも製品差別化競争が中心になっている。そのため、これらの零細企業は、必要に応じ同業種で集まり、工業連盟や商工会議所を設立することによって大企業から自立することができる(24)。ボローニャでは、元来は18世紀まではシルクの産地であったが、リヨンとの競争に敗れる。そこでボローニャの企業家は大学と協力して、イギリスから技術を導入し、職人を育成する高等専門学校を19世紀に設立し、これを契機に機械産業が発生する。

このように、地域コミュニティの信頼を基盤とし、コミュニティの方向性についてコンセンサスを作りながら形成されてきたのがイタリア型の産業集積(インダストリアル・ディストリクト)と言われている。

また、イタリアの産業集積では、市場環境に柔軟に対応するという特徴を持つ。例えば、プラートは、ルネサンス期以前から多くの職人が毛織物を生産していた地域で、60年代に成長した集積であるが、90年代後半より企業数が減り始めた。差別化された高級品、流行に合わせたデザイナーブランドの服地を作るために、企業間合併、持ち株会社制、企業グループ化などにより、企業規模の拡大を図ったためである。

最近では、イノベーション、新技術の開発、市場からのアクセス改善のためにはある程度の資本力が必要なため、外国資本による買収・合併によって国際競争力を維持する動きもみられる。そして、イタリアにおいても大学や研究機関との連携が活発化している。この点において先進的なボローニャでは、EU の資金を活用して、大学が技術を移転した場合に、集積支援機関が大学に研究資金を供給する仕組みに転換しつつある。地域集積の支援活動は、地方自治体、経営者団体、商工会議所、労働組合などでも行われているが、イタリアにおいては共同組合のネットワークでも、起業支援、人材育成を行っている。さらに、比較的大規模な産業集積では、大学や研究機関を誘致して、新時代に適用する動きが80年代後半から目立ってきている。

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