アジア経済1999(要約)

<目次>

まえがき

第1章 アジアの経済と貿易・投資

  • 第1章のポイント
    1. マクロ経済の現状と見通し
    2. 貿易・投資の動向
    3. アジアを巡る地域経済協力の動き(本文参照)

第2章 通貨・金融危機後のアジア経済

  • 第2章のポイント
    1. アジア通貨・金融危機の発生の要因
    2. 通貨・金融危機後のアジア経済の現状と回復への道筋
      1. (1) 輸出入の動向と経済回復の行方
      2. (2) 資本流入の動向と日本企業の行動
      3. (3) 低下する金融仲介機能と金融システム安定化に向けた取組 
      4. (4) 経済構造改革の進捗状況と課題
      5. (5) まとめ-景気回復への道筋
    3. 東アジアの中長期的な潜在成長力

第3章 アジア・大洋州の各国・地域の経済動向(本文参照)

まえがき

 「東アジアの奇跡」と評されるような持続的な高成長を遂げてきた東アジア諸国は、97年7月のタイ・バーツ危機に端を発する通貨・金融危機により深刻な景気後退を余儀なくされました。現在でも多くの東アジア諸国の経済は総じて厳しい状況にありますが、通貨・金融市場では落ち着きがみられ、実体経済面でも一部の国で景気が底入れしたとみられるなど、明るい動きも出てきています。「アジア経済1999」では、今回の危機の要因を整理し直すとともに、東アジア経済に現在みられる明るい動きを本格的な回復に結びつけていくために必要な条件についての考察を行っています。また、より中長期的な観点から2010年までの東アジアの経済成長についても展望を行っています。

 特に、今後東アジア諸国の経済が危機を越えて発展していくためには、現在行われている金融システム改革をはじめとした経済構造改革を果断に推し進めることが重要な点を強調しています。もちろんこうした改革が、短期的には企業・産業の再編や合理化を通じて失業者を生んだり、企業の利益を圧迫するなどマイナスの影響をもたらす可能性は否めません。しかしこうした改革によってこそ、東アジア経済は潜在的な成長経路により早期に到達でき、しかもその潜在成長力自体を高め得ると考えられます。  

 調査対象国・地域としては、中国、アジアNIEs(韓国、台湾、香港、シンガポール)、ASEAN(インドネシア、タイ、マレイシア、フィリピン、ベトナム、ミャンマー)、インド、オーストラリアの13か国の経済動向を詳細に分析していることに加えて、パキスタン、ラオスなどその他のアジア諸国等についても簡単に概観しています。

 「アジア経済1999」の特徴としては、次のような点が挙げられます。

  1. (1)アジア地域のマクロ経済の動向について、現状と見通しを体系的にまとめています。
  2. (2)通貨・金融危機の要因について、特に金融システムの脆弱性との関係などから整理し直しています。
  3. (3)現在東アジア諸国で行われている経済構造改革についてまとめるとともに、今後とも改革を推し進めることの重要性を強調しています。
  4. (4)今後の中長期的な経済成長についての展望を行っています。
  5. (5)各国ごとの経済動向では、貿易、直接投資、為替レート、財政金融の最近の動向も分析しています。また、貿易、投資については、日本との関係も整理しています。
  6. (6)アジア問題や経済問題の専門家以外の一般読者にもわかりやすい内容になるよう記述しました。また、各国・地域の動向を比較しやすいよう、共通の様式でまとめています。
  7. (7)長期にわたる比較統計がとりにくいアジア各国・地域の60年代以降の主要経済指標などの参考資料を掲載しました。

 このレポートがアジア経済について理解を深めていただく上で一助となれば幸いです。

平成11年6月

経済企画庁調査局長

新保 生二

第1章のポイント

【1998年のアジア経済】

  • 1998年のアジア経済は、通貨・金融危機が当初予想された以上の深まりをみせたことから、総じて厳しい状況となり、アジア全体の成長率は2.6%と急減速した。域内のうち、中国は7.8%と比較的高い成長率を維持したが、アジアNIEsでは、韓国、香港で大幅なマイナス成長となり、98年の成長率は▲1.4%となった。ASEAN諸国では、タイで2年連続のマイナス成長となり、インドネシア、マレイシアでも大幅なマイナス成長となったことから、98年は▲6.9%と大きく落ち込んだ。物価は通貨危機に見舞われた国を中心に98年前半に上昇率が高まったが、後半には総じて鎮静化した。経常収支は、輸入の大幅な減少により多くの国で改善し、アジア全体でも黒字に転じた。(1-1-1表1-1-6図)

【深刻化する雇用情勢】

  • 通貨・金融危機の影響により景気が低迷した東アジア各国では、97年末以降雇用情勢が急速に悪化した。アジアNIEsでは、韓国で金融機関の再編などに伴い、香港では小売業の倒産増加などから失業者が増大し、失業率が急速に高まった。ASEAN諸国でも企業倒産や事業規模縮小などから失業者が増大している。中国では国有企業の改革などに伴い失業者が大幅に増加しつつある。(1-1-7図)

【アジア経済の99年見通し】

  • アジア経済は、99年に入って通貨の安定に伴う金利低下の継続、株価の上昇、生産の回復など明るい材料もみられ始めており、全体としては緩やかに回復し、99年は4.4%の成長が見込まれている。しかし、各国の景気回復の足取りには差がみられ、韓国のように景気が既に底入れし、99年にはプラス成長が見込まれる国がある一方、インドネシアのように政治的・社会的不安が解消されず経済の回復に予断を許さない国もある。経常収支は、黒字幅は縮小するものの、全体として98年に続き黒字を維持するものと見込まれている。

【貿易と投資の動向】

  • 98年のアジアの貿易(ドル建て)は、輸出入ともに減少した。輸出は97年に総じて低い伸びとなった後、98年は前年比で減少する国が多く、中国でも後半はマイナスに転じた。通貨が大幅に減価した国では、実質ベースの輸出は比較的高い伸びを示した。輸入は内需の低迷に伴い大幅に減少し、貿易収支は多くの国で高水準の黒字を記録した。99年に入って一部の国で生産の底入れ等を反映して輸入が増加に転じており、アジアの貿易動向に変化がみられる。
  • アジアへの直接投資は、通貨・金融危機の影響によりこれまでの拡大テンポにブレーキがかかった。アジア各国では、安定的でかつ経済発展に資する直接投資の重要性が再認識され、直接投資の流入確保に努めている。(1-2-1図)

【アジアを巡る地域経済協力の動き】

  • アジアの地域経済協力は、アジア諸国が互いの利益のために協力しあう目的や、アジア地域と他地域との連携を図ろうとするものなど、近年アジアの成長を背景に活発化していたが、97年のアジア通貨・金融危機の影響により多くの国が景気後退に陥る中、ひとつの転機を迎えている。危機への対応を求められるとともに、それぞれ危機への対応に追われる各国間の協調を保ちつつ、今後の安定的な発展への道が模索されている。

第2章のポイント

【アジア通貨・金融危機の発生の要因】

  • 東アジア諸国の危機前の経済状況と危機の深刻度との関係をみると、マクロ経済ファンダメンタルズと危機との因果関係はそれほど強くなく、実質的なドル・ペッグ下での突発的な資本移動のリスキーな一面が示されたといえる。しかし、今回の危機の背景には金融セクターや企業部門の脆弱性といった構造的な問題があると考えられる。

【通貨・金融危機後のアジア経済の現状と回復への道筋】

  • 東アジア経済は総じて底を打ち回復に向かいつつあるが、政府支出の下支えによる面も大きく、本格的な回復には至っていない。
  • 今後の回復を考える上で輸出の動向が一つの鍵であるが、世界貿易の伸びに目立った回復は見込まれないことなどから、輸出はある程度の伸びは示すものの大きな伸びは見込めない状況にある。
  • 今後の回復を左右する外的要因としては、輸出のほかに外国からの資本流入が挙げられる。まず、東アジアへの銀行貸出の動向をみると、危機後、アメリカ、日本などからの融資が大幅に減少している。また直接投資の動向をみると、韓国やタイなど構造改革の効果等により増加している国もある。日本企業の東アジアでの動向については、現状は総じて厳しいものの、中長期的にみた東アジアの投資先としての重要性は引き続き高く評価されており、東アジア諸国における各種経済改革が、日本の支援策とあいまって、今後ますます進展し、一層投資環境が整備されることが期待される。
  • 国内に目を転ずると、東アジア諸国では危機後に金融仲介機能の低下、信用収縮が起きており、景気回復への大きな制約となっている。金融仲介機能低下の背景には、不良債権増大と国外への資金流出があった。各国政府の金融システム安定化への取組状況をみると、そのスタンスや進展度合いに差異がみられるものの、基本的枠組みは概ね整えられてきている。今後は、こうした枠組みを形成する法律、制度等の運用が実際にどのように進んでいくのかが注目される。
  • 金融システム面以外でも、例えば競争制限的な産業政策、総花的多角化経営などの経済構造上の問題点が指摘できる。
  • 金融システム改革及び経済構造改革は、短期的には景気に対してマイナスの影響を及ぼす側面もある。しかし、こうした改革を通じて、経済の効率性を高めるとともに、外国から長期資本を呼び込むことで、東アジアの高い潜在成長力を生かしていくためには、負の側面を恐れずに改革に取り組んで行くことが必要である。

【東アジアの中長期的な潜在成長力】

  • 東アジア諸国の潜在成長力を計測すると、ほとんどの国で危機以前には実際の成長力は潜在成長力を上回っており、景気が過熱気味であったこと、また一部の国では危機以前から潜在成長率は低下していたことが指摘できる。これまでのトレンドを踏まえつつ、2010年頃までの東アジアの中長期的な経済成長率を推計すると、資本や労働投入の伸びが鈍化することにより、概ね5~7%程度とこれまでより若干低下することが分かる。しかし、現在推し進められている金融システムや企業部門をはじめとした構造改革により、危機によって明らかとなった問題点を改善し、経済効率を向上させることができれば、上記の結果よりも高い経済成長が十分に可能となるだろう。

 1997年央からのアジア通貨・金融危機はアジア経済のみならず、世界経済にとって極めて大きな歴史的出来事であった。巨額な資本の流入と流出が危機をもたらしたとの認識から、国際通貨・金融体制の在り方が根本から問い直されるに至っている。また、それと同時に、アジア経済に内在する様々な構造問題も明らかになってきた。

 第2章では、まず第1節において、アジア通貨・金融危機の要因について分析する。次に第2節では、危機後のアジア経済の現状と今後の景気回復の見通しについて検討する。最後に第3節では、当面の景気回復を越えて、より中長期的観点からアジアの成長力の展望を行う。本章全体を通じ、金融システムの安定化・強化をはじめとする構造問題への取組の重要性が強調される。

1 アジア通貨・金融危機の発生の要因

 東アジア諸国の危機前の経済状況と危機の深刻度との関係をみると、マクロ経済ファンダメンタルズと危機との因果関係はそれほど強いものではなかった。

 すなわち、財政収支は黒字であり、インフレ率も一桁台に収まっている国が多かった。また、危機前の問題点としてよく指摘される対ドル実質為替レートや経常収支と危機の度合い(分析上、対ドル為替レート増価率と外貨準備増加率の加重平均を用いている)の関係をみると、確かに危機前に対ドル実質為替レートが割高になっていた国ほど、また巨額の経常収支赤字を記録していた国ほど危機の度合いは大きかったものの、例えば経常収支赤字についても一部の国を除きこれほどの危機を引き起こすほどの水準であったか疑問がないとは言えない。また、時系列データを用いてみると、危機以前には資本が為替レートの実質上のドル・ペッグ、高金利、資本移動に関する規制緩和、高成長期待などから、マクロ経済ファンダメンタルズの動向にかかわらず流入しており、それが97年央以降急激に反転流出したことが分かる。こうしてみると、今回のアジア危機では実質的なドル・ペッグ下での資本移動の性急さ、恐ろしさの一面が明らかになったと言ってよいであろう。

 しかし、こうしたことから、東アジア諸国経済に問題はなかった、資本移動こそが危機の本質だったと結論づけるのは早計である。危機前の資本の流入、危機時の大量流出の背景に、東アジア諸国の金融セクターや企業財務がもともと持っていた脆弱性が存在していた可能性があるからである。

 例えば銀行経営の健全性を測る指標の一つである「流動性比率」が低かった国ほど、また間接金融依存が高かった国ほど深刻な危機を被った国が多い。また、製造業の財務状況を示す指標の一つ「総資本営業利益率/利払い費用対総資本比率」の値が低く、フロー面で企業の安全性の低かった国ほど、また銀行や企業の外貨建て借入額が多かった国ほど危機の度合いが大きかった(第2-1-6図)。こうしてみると、ある国の経済構造をみる場合には代表的なマクロ経済指標に注目するだけでなく、その国の金融システムや企業財務等、幅広い視点が必要であるとの教訓が得られる。

 1997年央からのアジア通貨・金融危機はアジア経済のみならず、世界経済にとって極めて大きな歴史的出来事であった。巨額な資本の流入と流出が危機をもたらしたとの認識から、国際通貨・金融体制の在り方が根本から問い直されるに至っている。また、それと同時に、アジア経済に内在する様々な構造問題も明らかになってきた。

 第2章では、まず第1節において、アジア通貨・金融危機の要因について分析する。次に第2節では、危機後のアジア経済の現状と今後の景気回復の見通しについて検討する。最後に第3節では、当面の景気回復を越えて、より中長期的観点からアジアの成長力の展望を行う。本章全体を通じ、金融システムの安定化・強化をはじめとする構造問題への取組の重要性が強調される。

2 通貨・金融危機後のアジア経済の現状と回復への道筋

(1)輸出入の動向と経済回復の行方

 通貨が大幅に減価した東アジア諸国では、輸出主導型の経済回復が期待されたが、ドル建て輸出価格の下落、危機の地域内への広がりなどにより名目ドル建ての輸出は目立った伸びがみられず、98年にはむしろ減少した国が多い。一方、ドル建ての輸入は内需の減退などから大幅に減少し、貿易収支は大幅な黒字を記録している。

輸出物価の変動を除去した実質輸出の動向をみると、通貨危機に見舞われた韓国、タイ、インドネシアなどでは、実質実効為替レートの減価を反映して、実質輸出が比較的高い伸びを示している。しかし、こうした実質輸出の伸びも、94年末に発生したメキシコ通貨危機の場合と比較してみると、かなり低いものとなっている(第2-2-6図)

 東アジア諸国の今後の輸出については、貿易金融面でのボトルネックの解消や半導体等の輸出価格の上昇が見込まれるなどプラス面もあるが、世界的に需要の伸びが鈍いことや、実質実効為替レートの上昇など懸念材料もある。輸出は回復に向かうものの大きな伸びは見込めず、景気回復の牽引役として輸出に大きな期待をかけることは難しい状況にある。

(2)資本流入の動向と日本企業の行動

 アジア経済の今後を左右する外的要因としては、輸出の動向のほかに、直接投資及び間接投資の動向が挙げられる。東アジア5か国への民間資本流出入の状況をみると、全体としては96年の1,023億ドルの純流入から98年には276億ドルの純流出と、危機を境にして大きく変化していることが分かる(第2-2-12表)。次にその内訳として、まずアジアへの銀行貸出しの動向をみてみると、危機後、アジア全域で資金の引揚げが起こっており、なかでも1年以内の短期資金の減少が目立った。これは基本的には短期資金の逃げ足の速さを反映したものと考えられるが、韓国等では1年超の融資が伸びており、この背景には、韓国等における財務構造改善の動きがあると考えられる。また国別のアジアへの銀行貸出しを見ると、アメリカ、日本からの融資が大幅に減少していることが分かる。また、直接投資の動向をみると、韓国やタイなど外資規制緩和や構造改革の効果等により増加している国もある一方で、フィリピン、マレイシア、インドネシアでは減少しており、国によって明暗が分かれる結果となっている。次に、日本企業の動向については、現状は総じて厳しいものの、中長期的にみたアジアの投資先としての重要性は引き続き高く評価しており、アジア諸国における金融システム改革や各種経済構造改革が、日本の支援策とあいまって、今後ますます進展し、一層投資環境が整備されることが期待される。

(3)低下する金融仲介機能と金融システム安定化に向けた取組

1)各国商業銀行のバランスシートからみた貸出態度の変化と間接金融への依存度

 各国の商業銀行のバランスシートから貸出及び政府債権の総資産に占める割合をみると、貸出の総資産に占める割合は、タイ、韓国、インドネシアで大幅に減少している。また、政府債券の総資産に対する割合はタイ、韓国等で通貨・金融危機後に大幅に上昇している。以上のことから、これら諸国では、商業銀行は概ね、総資産における貸出割合を低くし政府債券の割合を高めるなど、資産内容をリスク回避型にしており、貸出態度が消極的になってきているといえる。ただしマレイシアでは政府の貸出目標などの指導の影響もあり、このところ総資産に対する貸出割合が上昇するなどの現象もみられる。次に、各国金融機関の負債の過半を占める預金の伸び率と、資産の過半を占める民間向貸出の伸び率との関係をみると、98年に入り、各国とも程度の差はあるが傾向線からの乖離が大きくなっており、預金の伸びに対して貸出の伸びが低くなってきている(第2-2-26図)。とりわけ98年後半にこの傾向が強くなっている。これらから判断すると、預金は増加しているにもかかわらず、増加に応じた貸出に回さず他の資産(政府債券など)で運用する状態となっており、貸し渋りになっていると考えられる。一般的に間接金融(銀行)依存度が高いと言われるアジア諸国において貸し渋りが起きていることから、実体経済は重大な影響を受けていると考えられる。

2)不良債権の増大と国外からの資金流入の急減

 アジア諸国の銀行において貸出態度が消極的になっている大きな原因の一つには不良債権問題がある。各国の銀行部門の不良債権比率は、総じて97年6月末から98年12月末にかけて上昇している(第2-2-30表)。IMF等の指導により、各国では銀行の自己資本規制を強化する方向にあるが、各国の銀行が自己資本比率を満たそうとすると、総資産に占めるリスクアセット(貸出金等)を圧縮せざるを得ない。いずれの国においても不良債権比率が上昇していることから、今後十分な資本増強が行われない限り貸出の回収は進み、また不良債権の増加は、金融機関のマインドを消極的にさせるため、その意味からも貸出金の減少は進むと考えられる。それに加え、通貨・金融危機後、商業銀行から国外への資金流出が生じ、その後も資金流入が細っていることも消極的な貸出の一因となっていると考えられる。総資産比では対外債務は大きな割合ではないが、海外からの資金調達が難しくなると、銀行は資金繰りに慎重になり、結果的に貸出に資金が回らなくなるといった影響があると考えられる。

3)金融システムの安定化及び強化に向けた取組

 アジア諸国では危機後の混乱はほぼ収束したといえるが、金融混乱収束後の経済を回復させるためには、まず金融システムの安定化への取組、特に銀行部門の持つ不良債権を処理することが重要となる。不良債権を処理するための政策として、各国では、公的資本注入などによる増資、不良債権処理のための機関の設立、貸し渋り対策などがとられている。さらに、各国政府主導による金融機関の整理・統合を進めるとともに、民間での債務交渉などによる不良債権処理の過程において極めて重要である会社更生法や破産法などの整備が進められており、今後の不良債権処理の促進に寄与するものと考えられる(第2-2-33表)。このように、各国ごとにその進展度合いに差異がみられるものの、金融システム安定化のための基本的枠組みは概ね整えられてきている。今後は、こうした枠組みを形成する法律、制度等の運用が実際にどのように進んでいくのかが注目される。

 また、アジア諸国が、当面の景気回復のみならず中長期にわたり持続的成長を実現するためには、不良債権処理等の金融システム安定化に向けた取組と並んで、金融システムの強化に向けた取組も重要であり、そのための取組も既に始まっている。例えば韓国やタイにおいては、金融機関の経営の透明性・健全性を高めるディスクロージャーに関する規定や自己資本規制について、先進国並みの水準を達成することを新たに義務付けている。また、外国資本の導入規制の緩和については、韓国及びタイでは相当進展しており、韓国では97年から数度にわたり緩和してきているが、大手都市銀行を政府主導でリストラした上で外資に売却することで合意するなど、外銀の経営手法の導入や国外資本の取り込みを図っている。ただし、マレイシアのように外国資本の株式保有比率の緩和などを行ってはいるものの、基本的には金融再生の過程で外国資本に銀行所有を認めない国もあるなど、国により不良債権処理や金融再生の過程における外国資本に対するスタンスに違いがみられる。

4)対外債務の構造と景気回復

 今回の通貨・金融危機が発生する以前の90年代のアジア諸国では民間の経済主体が中心になって対外債務を積み上げてきたのに対し、ペソ危機が発生する以前の80年代末から90年代初めにかけてのメキシコの場合には政府が対外債務を大きく積み上げてきた。公的対外債務と民間対外債務の違いとしてまず考えられるのは、対外債務問題の解決の困難さであり、債務主体の数も一般的に多数に上り、権利義務関係も錯綜しがちな民間対外債務の方が、債務主体の数も限られ、また政府の裁量の余地が大きい公的対外債務に比べて解決が困難であると考えられる。公的対外債務と民間対外債務の相対的な大きさをみると、メキシコに比べて、アジア諸国では民間債務の比率が高く、したがってそれだけ債務問題の解決に時間がかかっているものと推測される(第2-2-36表)

 また、民間対外債務の内訳を考えると、一般的に数の限られる銀行中心の対外債務よりも極めて多数に上る企業中心の対外債務の方がより問題の解決が困難であると考えられる。民間対外債務を銀行対外債務と企業対外債務に分けてみると、インドネシアでは、企業対外債務の比率が他の国々に比べて高いことがわかる(第2-2-37表)

 民間対外債務の比率がメキシコに比べ高いアジア諸国では、その解決の困難さが、景気回復の遅れの一因になっていると推測される。また、民間対外債務でも、銀行の対外債務が相対的に多い韓国やタイに比べ、企業の対外債務が相対的に多いインドネシアは、極めて多数の企業対外債務問題の解決を図らなければならず、それだけ対外債務問題の解決に時間がかかっているものと推測される。

(4)経済構造改革の進捗状況と課題

 アジア諸国の抱えていた構造問題は金融システムの問題にとどまらない。インドネシアの「同族主義」に典型的にみられるような競争制限的な産業政策も大きな構造問題であった。競争制限的な産業政策は、経済が未発達な段階においては、短期的には社会全体にも大きな利益をもたらすかもしれない。しかし長期的には、産業は競争の欠如によって効率化に対する努力インセンティブがそがれ、また産業が成熟した後においても政策自体の撤廃ができなければ、単なる産業保護政策になってしまい、結果として経済全体で資源配分が歪んでしまうおそれがある。したがって、競争制限的な政策を見直していくとともに、これまでの政策によって経済システムが(弊害として)内在した非効率性を解消し、経済全体が利払い以上の収益をあげることができる体質を作ることが重要である。

(民営化の推進)

 アジア諸国が97~98年に通貨・金融・経済危機を経験したことに伴い、各国において産業の国営企業による運営等の競争制限的な政策の見直しが進められている。特に、いずれの国においても、国営企業の民営化による経済効率の向上への取組がなされている(第2-2-38表)。ただし、各国が民営化に乗り出したとはいっても、必ずしも順調に進んでいるわけではない。これには、すべての国に共通する問題と、各国特有の問題がその要因として存在する。

 共通する問題としては、民営化の多くは政府保有の株式売却によって行われることから、民営化の推進を図るのに十分な厚みとプレーヤーが存在し、取引が効率的に行われる市場を整備しなければならないという問題、株価を好転させるだけの景気の回復がみられなかったためにその買い手(特に外国資本)がなかなか見つからないという問題があった。しかし、各国が相次いで外資流入規制を徐々に緩和し、外国資本による民営化対象企業株式の買収を行いやすくしていることや、99年に入り一部の国では株価にも上昇の兆しがみられていることなどもあり、これらの問題は徐々に解消されていくと考えられる。

 一方、各国特有の問題としては、韓国及びインドネシアでは、民営化の枠組みが決定した後にも、それが進展しておらず、半ば構造的な問題でつまずいていることが挙げられる。インドネシアでは、政府による民営化の真の目的が政府の歳入確保にあるのかもしれず、必ずしも効率化の回復を目指すものではないことが、民営化の進展をもたつかせているのかもしれない。また、韓国では、政府は国営企業の民営化を経済効率性の回復の一環として位置付けているが、国全体の景気低迷に加え、労働市場が極めて硬直的であり、民営化推進に際しての大きな制約要因となっている。

(経済システムに内在した非効率性と構造改革)

 上記の競争制限的な産業政策のみならず、補助金、税制面及び金融面での優遇、信用割当等の政府からの補助が継続的に行われることにより、アジア諸国では経済システムに様々な非効率性が内在してしまっている。ここではそうした問題が特に大きかった韓国についてみてみる。

 韓国では財閥が、政府の政策に対応して、総花的な多角化経営を行い、その結果として経済システム全体として過剰投資、過剰債務といった非効率性を内在してしまった。実際に、韓国では96年になって製造業部門の資本効率が急激に悪化し、97年以降、財閥の倒産が相次いでいる(第2-2-39図)

 このため新政権は、財閥の事業を絞り込み、財務体質を強化することを目的とした“Big Deal”政策を掲げるとともに、中小財閥の整理を行うこととした。また労働市場を柔軟にすることが財閥をはじめとする企業におけるリストラにとって不可欠となったため、「整理解雇制」によって、レイオフや賃金の柔軟な調整が制度的には可能になった。

 しかし、過剰資本の削減については、各財閥とも各部門の経営権の放棄には消極的であり、多角化経営の放棄という目的は達成されていない。また、負債比率についても、数字の上では確かに200%という目標に向かって低下しているが、これは政府の意図した過剰生産設備の縮小ではなく、もっぱら増資によってなされている。これまで、韓国製造業においては、総花的な多角化経営と過剰設備・生産が問題視されてきたことを考えれば、生産能力は増強ではなく縮小されるべきであり、こうした点から考えると、韓国の財閥が現在のような取組を続ける限り、産業の効率化は進まず、それだけ本格的な経済の回復が遅れてしまう恐れがある。一方、労働市場改革についてみると、レイオフを容易にする「整理解雇制」は導入されたものの、現実には、これまでの事例を見ても、企業側は当初のリストラ計画から大幅な妥協を迫られている。

(構造改革のもたらす短期的な痛みと中長期的持続的成長)

 アジア各国の最近の景気動向をみると、韓国では既に底入れし、タイ等では底入れの兆しがみられるが、これは外需や政府支出の下支えによる面が大きい。民間需要は、賃金の下落、失業者の増大、設備の過剰などから、盛り上がらない状況である。もちろん、改革への取組もその一因となっている側面もあるが、経済構造改革が景気にもたらすマイナスの影響は短期的であって、この痛みをあえて甘受することで、中長期的にはアジア諸国が再び持続的成長径路に戻るということ、それしか回復の道がないことを自覚し、各経済主体間の協調のもと、迅速で大胆なリストラを進めていくことが必要である。

 こうしたリストラがどのようなテンポで行われていくかは、各国の経済システムのみならず、政治等を含めた一国全体のシステムの在り方に依存するであろう。なぜならば、アジア危機は単なる需要面からの外的ショックではなく、より根本的な制度的ショック(systemic shock)であり、これを乗り越えるためには多くの重要な制度的変更を必要とするからである。

(5)まとめ-景気回復への道筋

 東アジア経済は総じて底を打ち回復に向かいつつあるが、その本格的回復のためには、国内民間需要の回復が必要である。そして、そのためには金融システム改革、民営化、企業セクター改革、労働市場改革等の構造改革が重要である。そして、本格的回復への過程で先進国を中心とする国際社会は三つのことを要請される。第一は、輸入の拡大である。第二は、東アジアへの資金援助である。第三は、国際通貨・金融システムの安定化である。

3 東アジアの中長期的な潜在成長力

 第3節ではより中長期的な観点から東アジアの成長力の展望を行った。東アジアにおいては、現在進められている金融システム改革を始めとした各種の経済構造改革等を断行しない限り、潜在成長力の相当程度の低下は避けられないものと考えられる。また、このような諸改革を早急に進めることは、危機によって停滞している東アジア経済を、より早く潜在成長経路に戻すためにも必要不可欠である。

 まず、東アジア諸国のこれまでの潜在成長力(資本と労働について、投入可能な最大量が投入された場合に実現し得るGDP)を計測すると、韓国を除くほとんどの国では、90年初頭から危機直前にかけて、実際のGDPが潜在成長力を上回っており、景気が過熱気味であったと考えられる(第2-3-3図)。このため、アジア危機がなかったとしても、いずれ景気減速を余儀なくされた可能性が高い。さらに、タイや韓国、フィリピン、シンガポールにおいては、労働投入量の伸びの鈍化等により、危機以前から潜在成長力の伸びが低下していた。したがって、危機がなかったとしても、中長期的には経済成長率が鈍化していた可能性が高いと考えられる。

 次に、資本・労働投入、全要素生産性について想定をおいた上で、2010年までの東アジアの潜在成長力について試算を行った。資本ストックの伸びを決定する投資額は、国内貯蓄率に大きく左右される。今後の東アジアにおける貯蓄率の推移についてみると、韓国、シンガポールといったアジアNIEsにおいては、高齢化の進展に伴い、わずかではあるが貯蓄率が低下する可能性が高く、投資の伸びは鈍化すると考えられる。ASEAN4か国においては、若年従属年齢人口比率が低下することから、引き続き上昇が見込まれるが、貯蓄率の上昇幅がこれまでの貯蓄率の高まりに比べると小さいため、投資の伸びはこれまでと比べ鈍化すると考えられる。

 労働投入の伸びについては、基本的に労働人口の伸びに大きく左右される。その労働人口については、主に生産年齢人口(15~64歳人口)と労働力率(15~64歳労働人口/生産年齢人口)の動向に規定される。今後の推移についてみると、出生率の低下によって人口増加率は鈍化し、フィリピンとマレイシアを除けば、若年人口の伸びの鈍化を通じて2010年までの生産年齢人口の伸び率は、これまでに比べ半減すると見込まれている。

 他方、労働力率については、各国とも女性の労働力率を中心に上昇しているが、男女の労働力率格差は大きく、この女性の労働力率が高まる余地は相当程度あると考えられる。また、高齢者の労働力率が低い国も多く、ここにおいても労働力率の向上余地があるだろう。したがって、女性や高齢者の労働参加が進むことで労働参加率(労働人口/総人口)は、上昇テンポが緩やかになっていくとしても、今後とも高まっていくものと考えられる。この結果、労働人口は、これまでに比べれば伸びが鈍化するものの、引き続き増加していくと考えられる。

 全要素生産性について考えると、技術力の向上については、長期的にはキャッチアップによる伸びは鈍化していくものの、直接投資や輸入資本財の蓄積による技術移転、独自の技術開発、人的資本の充実、先進諸国の研究開発成果からのスピルオーバー効果等によって、引き続き生産フロンティアの拡大が見込まれよう。また、東アジアは、過去、他の発展途上国と比べて効率的な資源配分を実現してきているが、これは、市場の開放や規制改革等を通じてもたらされてきたものであり、今後もこれまで同様、経済効率の向上による効率的な資源配分が可能であると考えられる。さらに、東アジアにおいては、農村に大量の余剰労働力が存在していることが指摘されている。学校教育や職業訓練の充実による人的資本の蓄積を通じ、これまでどおり、これらの余剰労働力をニーズに見合った形で(技術者や管理者等として)供給していくことで、労働需給のミスマッチが減少し、効率的な労働資源の配分を行っていくことが可能となる。これらは、結果的に全要素生産性の向上に貢献する。こうしたことから、各国とも今後の全要素生産性の伸びは70年代からの平均と等しいと想定した(ただし、フィリピンについては、これまでの平均がマイナスであったことから、今後については低いケースでゼロ、高いケースで他の5か国の平均と想定した)。

 以上の前提条件に基づき、潜在成長力を試算した結果、おおむね年率5~7%程度と、主に労働人口の増加率が低下することや投資の伸びが鈍化すること等により、これまでの経済成長率に比べればやや鈍化することが分かった(第2-3-9表)

 しかしながら、危機によって明らかとなった非効率な金融システムや産業構造といった問題点を、現在推し進められている諸改革の断行によって克服すれば、全要素生産性がこれまでのトレンドを上回って上昇し、上に掲げた将来成長率よりも高い成長率を実現することが十分に可能であると考えられる。東アジアの金融システムの非効率な構造は、非効率な資源配分をもたらすため、経済全体の効率性を低下させる、すなわち、全要素生産性の伸びを抑制する方向に働いていたと考えられる(第2-3-11図)。現在進められている外資規制の緩和による競争力の向上や健全性規制、直接金融市場の整備といった金融システム改革により、市場メカニズムを通じた金融部門の効率性の向上が実現すれば、より効率的な資源配分がもたらされ、この結果、これまでのトレンドを上回る全要素生産性の上昇によってより高い成長が可能となる。さらに、金融システム以外の経済システムに関しても、諸々の改革を押し進めれば、経済効率の向上等を通じ、これまでのトレンド以上に全要素生産性が高まっていくと考えられる。全要素生産性の向上は、具体的には、産業構造改革や労働市場の柔軟化による質の高い人的資本の効率的な活用等による資源配分の効率性に資する改革によってもたらされる。