平成10年

年次経済報告

創造的発展への基礎固め

平成10年7月

経済企画庁


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第3章 各種構造改革下の経済政策

第1節 裁量的財政政策の有効性

90年代に入り累次にわたってとられた裁量的財政政策や金融緩和政策は景気を下支えする効果を持ったものの,結果として経済の自律的回復は定着しなかったため,裁量政策の有効性について議論になっている。ここでは,主として裁量的財政政策の有効性について検討する。

(景気対策としての裁量的財政政策は有効だったか)

92年度から95年度にかけて,事業規模総額60兆円を超える財政面からの景気対策が取られた。こうした裁量 的財政政策は,景気を下支えする効果があったが,97年に入ってからは消費税率引上げに伴う駆け込み需要の反動減や金融システム不安などもあって,結局,自律的な景気回復は定着しなかった。

このように,裁量的財政政策がバブル崩壊後,景気を下支えしたものの,需要拡大効果が顕在化しなかった要因としては,次のような可能性が考えられる。第一の要因は,バブル期に積み上がった過剰な生産設備ストックの調整やその後の資産価格下落への対応などによって民間の自律的回復メカニズムが弱まり,財政政策が民間需要を拡大する効果が抑えられ,財政政策の波及効果が中断してしまった可能性である。第二の要因は,限界消費性向の低下や限界輸入性向の上昇によって財政乗数が低下した可能性である。第三の要因は,財政事情が悪化するにつれて,財政収支の悪化と将来の負担増への懸念が,家計の将来不安を高め,家計の行動が慎重になった可能性である。第四の要因は,裁量的財政政策に伴う各種の時間の遅れ(ラグ)の長さが長くなっている可能性である。これらの要因の妥当性について検討してみると,裁量的財政政策の需要拡大効果が顕在化しなかったのは,バブルの後遺症(第一の要因)によって民間需要が減退し,その効果が減殺されたところが大きい。また,財政事情の悪化を背景とした家計行動の慎重化(第三の要因)による可能性も否定できない。

(設備投資の落ち込み)

裁量的財政政策の民間需要刺激効果は,特に設備投資への波及効果の大きさに依存する。90年代前半に拡張的財政政策が集中的に取られた92年初~94年前半と,95年後半~96年前半の実質GDP成長率の動きをみると,92年から94年にかけては,深刻な資本ストック調整局面にあったため( 注1 ),経済対策によって公共投資が景気を下支えする一方で設備投資の低迷が続き,両者が相殺されるかたちで低成長が続いた。その後,バブル期の過剰な資本ストックの調整が一巡して資本ストック調整圧力が弱まり,設備投資が回復に転じていた95年の局面では,公共投資に加えて設備投資も成長を促進する方向に働き比較的高い成長を実現した( 第3-1-1図 )。ただし,設備投資の回復力は過去の景気回復局面に比べれば力強さに欠け,景気の自律的回復は定着しなかった。

(景気回復の好循環の弱まり)

裁量的財政政策の需要拡大効果が顕在化しなかった背景にあると考えられる,民間部門の自律的回復メカニズムの働きの弱まりについて考えてみよう。

景気回復過程では本来,在庫調整の終了→生産増→雇用増→家計所得増→消費増→生産増,あるいは生産増→企業収益増→設備投資増→生産増,という好循環が働き,経済は民間需要主導の自律的な回復軌道に乗っていくものである( 注2 )。

90年代に入ってから,景気回復の好循環メカニズムに変化があるかどうかを検証してみると,生産 →所得→消費→生産のリンクは90年代に入ってからやや弱まりがみられるものの,おおむね80年代までと同様の好循環が働いていた( 注3 )。一方,生産→企業収益→設備投資 →生産のリンクについては設備投資から生産への因果関係を除いては90年代に入って弱まっている( 注4 )。このように,90年代に入ってからは,特に,企業部門の調整圧力が強く,在庫調整が終了して生産が拡大し始めても,それが企業収益や設備投資の拡大につながらず,景気回復の好循環が生じにくい状況が生じていた( 第3-1-2図 )。

それでは,なぜ90年代に入って景気回復の好循環が弱まったのであろうか。

生産→所得→消費→生産のリンクにやや弱まりがみられるのは,①バブル期に上昇した資産価格の下落による逆資産効果やバブル期に抱え込んだ過剰雇用の調整といったバブル後遺症,②家計の持つ経済の先行きに対する不透明感などによるものである。

また,生産→企業収益→設備投資→生産のリンクが弱まったのは,①資本ストック調整,資本効率の低下,企業・金融機関のバランスシート調整,資産市場の低迷などのバブル後遺症に加え,②企業の将来に対する信頼感が弱まって,期待成長率が低下していることなどからマインドが悪化して,リスクをとる投資行動に消極的になっているためである。また,厳しい競争環境や為替レートの大幅な変動を背景に生産が収益に結びつきにくくなっていることも設備投資が活発化しない原因である。

(バブルの後遺症の影響)

バブルの後遺症のうち,積み上がっていた過大な資本ストックの調整や過剰雇用の調整は一巡したと考えられるものの,①潜在生産能力の伸びの低下に合わせて企業が資本ストックの伸びを抑制する傾向がみられる。また,②企業や金融機関のバランスシート調整が続いているため,債務返済負担や不良債権償却負担が重いのに加えて,金融機関の「貸し渋り」が生じており,これらが設備投資を抑制している。さらに,③家計の資産価値の下落は個人消費を抑制している。

    ①潜在生産能力の伸びの低下による資本ストックの伸びの抑制

    資本ストックの循環図からは,資本の伸び率を潜在生産能力の伸びの低下に合わせて抑制していることがうかがわれる(前掲第1-5-3図)。これは,バブル期に行われた投資の効率が低く,その結果,資本の効率性が低下したこともあって,中長期的な潜在生産能力の伸びが低下していることなどによるものと考えられる。

    ②「貸し渋り」やバランスシート調整圧力の設備投資への影響

    90年代に入ってからの設備投資の立ち上がりの遅さや,最近の設備投資の低迷については,総需要の低迷や,収益率の低下といった実物的な要因が大きく影響しているものと考えられる。それに加えて,金融機関のバランスシ-ト調整を背景とした貸出態度の慎重化,いわゆる「貸し渋り」も,金融機関からの借入依存度が高い中小企業を中心に,その設備投資を抑制している可能性がある。実際,金融機関の貸出態度は,大企業の設備投資に影響を与えていないが,中小企業の設備投資には影響を与えており,中小企業が感じる資金繰りや金融機関の貸出態度の判断が10%ポイント「厳しい」とする企業が増すと中小企業の設備投資の増加率を3~7%ポイント引き下げるとモデル上では試算される(前掲第1-5-6表)。

    また,企業のバランスシート調整圧力が強いなかで,債務返済や不良資産償却のために収益の拡大が設備投資に結びついていない。個々の企業についてみると,設備投資の意思決定に当たって,投資水準がキャッシュフローを上回り外部資金に依存する割合が高まるようになると,外部資金のコストが内部資金に比べて高くなり金融的な側面が設備投資に影響を与える。これをマクロ的な観点から国民経済計算でみると,90年から96年の累計で,企業(非金融法人企業)の経常利益(注5)が450兆円にとどまっているのに対し,土地や株式等のキャピタルロスは335兆円にのぼっており,経常利益の74%にも達している。資産価格の下落に伴って必要となる債務返済や不良資産償却が企業収益に比べて大きな規模であり,キャッシュフローを圧迫して設備投資を抑制していることを示している。

    ③逆資産効果の消費への影響

    家計の資産の減少が逆資産効果を通じて消費を抑制した可能性がある。国民経済計算でみると,家計の保有する株式はピーク時の89年末から96年末で126兆円,土地でピーク時の90年末から96年末で398兆円,合計で523兆円も目減りしており,これによる予想生涯所得の減少が現在の消費に影響を与えると仮定したモデルを用いると(注6),96年の個人消費を90年の水準から1%程度引き下げる効果があったと試算される。

(民間部門の将来に対する信頼感の弱まり)

また,家計や企業は,将来に対する信頼感が弱まるとともに,期待成長率が低下しているため,消費や設備投資に消極的になっていると考えられる。

    ①家計部門の将来への不安と消費の消極化

    家計の将来所得に対する不確実性が高まると,自らの将来所得をより割り引いて少な目に見積もって考えるようになり,その分だけ現在の消費を抑制する可能性がある。例えば,97年10~12月期に近い状況を想定した試算では,将来所得に対するリスクプレミアムの0.1%の高まりは,他の条件が一定であるとの仮定の下では,消費を5%程度抑制するという結果になっている(前掲 第1-2-7図)。

    ②企業のマインドの低下

    上記のような消費マインドの弱まりに端を発した総需要の停滞は,企業の抱く将来の予想成長率の低下(前掲第2-3-1図)とあいまって,企業のマインドを低下させている。そのため,企業はリスクをとるような投資活動に慎重になっており,景気の上昇テンポは鈍っている。

(財政政策の乗数効果が変化している可能性)

政府支出拡大や減税の乗数効果が低下して民間主導の景気回復へのバトンタッチがなされにくくなっている可能性について考えてみよう。

財政政策によって増加した所得が,①消費に回る割合(限界消費性向)が低いほど,②租税や社会保障負担にもれる割合(限界国民負担率)が高いほど,③輸入にもれる割合(限界輸入性向)が高いほど,財政政策の乗数効果は低下する。実際に検証してみると,財政政策の乗数効果を規定する要因のうち,限界消費性向と限界輸入性向については,これらの動きだけから直ちに乗数が低下しているとはいえないものの,93年以降においては,いわゆるバブル期を含むそれ以前の10年間(83年~92年)に比べ,総じてみれば財政政策の乗数効果を低下させる方向に変化している可能性があることは否定できない。

また,理論的には,財政赤字が拡大すると実質長期金利が上昇し,設備投資や住宅投資が減少する(クラウディング・アウト効果)。また,実質長期金利が上昇すると国内への資本流入圧力が生じて自国通貨が増価し,輸出が減少して輸入が増加するためGDPが減少する(マンデル=フレミング効果)。これらの効果を検証してみると,政府支出の拡大が金利や為替レートに与える影響はむしろ弱まっており,裁量的な財政政策の民間需要刺激効果がこれらの効果の強まりによって低下したというわけではではない。

(その1―家計や企業の行動の変化)

まず,93年以降の景気回復局面において,それ以前の10年間と比べ,家計や企業の行動を通じた乗数低下要因が働いているかどうかみてみよう。

第一に,限界消費性向は,91年から93年にかけて大幅に低下した後,94年から97年にかけて持ち直したものの,いわゆるバブル期を含む85年半ば以降92年までの期間に比べれば,総じて低水準にとどまっている。すなわち,景気局面ごとに83年から92年までの限界消費性向の動きをみると,94年から97年までの期間に比べ,83年から85年及び91年から92年の約4年間は低い水準にあったが,それ以外の約6年間は高かったことから,93年以降の景気回復局面において,限界消費性向は,少なくとも80年代後半から90年代初頭にかけての期間に比べれば低下しているとみられる( 注7 )。ただし,これらの期間の大部分は,いわゆるバブル期であり,行き過ぎた消費活動が行われた時期であったことに留意する必要がある。また,97年に入ってからも,97年秋口から98年初にかけて,平均消費性向は消費者マインドの悪化を背景に著しく低下した。98年度に入って,やや持ち直す動きがみられるものの,当面はその動きに注意が必要である。

第二に,93年以降の限界輸入性向は,それ以前の10年間に比べて高まっている可能性が高い。すなわち,輸入関数を推計して得られる輸入の所得弾性値( 注8 )と現実の平均輸入性向の積として求められる限界輸入性向をみると,長期的に上昇傾向にあるなかで,90年代は高水準で横ばいとなっている。ただし,限界輸入性向の変化は限界消費性向の変化に比べれば相対的には小さなものにとどまっている。

このように,財政乗数を規定する要因のうちの限界消費性向と限界輸入性向については,これらの動きだけから直ちに乗数が低下しているとはいえないものの,93年以降において,それ以前の10年間に比べ,財政乗数を低下させる方向に変化している可能性は否定できない( 注9 )。ただし,80年代後半がバブル期に相当すること,これら二つの要因が乗数効果に与える影響の大きさについては,留意する必要がある。

(その2―金利や為替レートの反応の変化)

政府支出の増大による財政赤字の拡大が金利や為替レートを通じて経済にどのような影響を与えるかを考えてみよう。我が国においては,現状では,名目長期金利は歴史的低水準にあり,日米金利差も日本の金利が大幅に低く,円安も進行している。貯蓄率も高いため財政赤字拡大によるクラウディング・アウト効果も生じにくいようにみえる。こうしたなかで,日本においても,実質長期金利が上昇すると設備投資や住宅投資にマイナスの影響を持つことは第1章でみた通りである( 注10 )。

そこで,第一に,財政赤字のGDP比が拡大したときに実質長期金利がどういう影響を受けるかを実質長期金利関数を用いて計測すると,財政赤字によって生じる資金需要増は,財政赤字が拡大しない場合に比べて実質長期金利を押し上げる効果が存在するが,その強さは80年代から90年代にかけて低下してきている( 第3-1-3表の「需給要因」 )( 注11 )。

第二に,実質長期金利が上昇したときの円レートへの影響を実質為替レート関数でみると,日本の実質長期金利が上昇すると,円の対ドル実質レートを上昇させる効果が有意にみられるが( 第3-1-4図 ),その効果は構造的に低下している可能性がある( 注12 )。また,為替レートが増価すると,純輸出が減少する( 注13 )。

現状(98年夏)では,実質長期金利が歴史的低水準にあり,円も対ドルで減価しているため,クラウディング・アウト効果,マンデル=フレミング効果によるマイナス面をあまり重視する必要はない。しかし,今後民間需要中心の景気回復過程への移行が進むに連れて,民間資金需要が強まったり,金融政策スタンスが引き締められれば,長期金利は上昇に転じ,為替レートにも増価圧力が働くと考えられる。その場合には,クラウディング・アウト効果やマンデル=フレミング効果により,財政赤字の拡大が長期金利と円レートを上昇させ,投資や純輸出を低めて成長率を低下させる,というマイナス面の効果が出るか否かを考慮に入れる必要があろう。

(金利や為替レートの反応の変化:VARモデルによる検証)

以上述べたように,90年代に入ってからの民間需要の落ち込みやバブル後遺症の影響によって,公共投資のマクロ経済効果が相殺された面がある。また,財政政策の乗数効果を規定する要因のうち,限界消費性向と限界輸入性向については,これらの動きだけから直ちに乗数が低下しているとはいえないものの,93年以降においては,いわゆるバブル期を含むそれ以前の10年間(83年~92年)に比べ,総じてみれば財政政策の乗数効果を低下させる方向に変化している可能性があることは否定できない。他方,クラウディング・アウト効果やマンデル=フレミング効果は存在するものの,80年代よりは弱まっており,むしろ財政政策の副作用が弱まる方向に変化しているとみられる。

これら全体として,公共投資の民間需要刺激効果が近年弱まったかどうかを現実のデータから定量的に確認した。VARモデルにより,公共投資が1%拡大したときに民間需要が何%拡大するかをみると,公共投資が短期的に民間需要を刺激する効果は,80年代までは大きくかつ速やかに現れていたのに対し,民間部門の自律的回復メカニズムが弱まった90年代には,その効果は減殺され小さくかつ緩やかにしか現れていない( 注14 )。ただし,公共投資の民間需要刺激効果をより長いスパンからみると,このモデルでは,80年代には3四半期後にピークを迎えたあと,急速に民間需要へのマイナスの影響が現れてきているのに対して,90年代には民間需要へのマイナスの影響は徐々にしか現れていない。90年代に入って,クラウディング・アウト効果やマンデル=フレミング効果による長期的な景気へのマイナス効果は,むしろ小さくなっているとみられる( 第3-1-5図 )。

このように,公共投資の拡大は民間需要への波及効果を持つが,VARモデルが民間企業の設備投資行動なども内生化したモデルであること,為替レートや金利の反応を通じた乗数の引下げ効果が低下していると考えられることを踏まえれば( 注15 ),90年代に入ってから公共投資の民間需要への波及効果が減殺されたのは,民間部門の自律的回復メカニズムが弱まったためであると考えられる。

(財政赤字に対する認識の高まり)

バブル崩壊後の景気後退期に,財政赤字と政府債務残高が無視し得ない大きさとなった。こうしたなかで,国の財政に対する国民の意識を「社会意識に関する世論調査」でみると,90年代に入って,財政が悪い方向に向かっていると考える人が急増する一方,財政が良い方向に向かっていると考える人が減少しており,財政赤字についての認識が深まって,その拡大に対して人々が敏感になっていることが分かる( 第3-1-6図 )。こうした状況では,財政赤字の拡大は,財政収支の悪化と将来の負担増への懸念から,家計の将来不安を高めることになり,家計が支出増に慎重になる可能性は否定できない( 注16 )。

現下の経済状況に対応するため,財政措置を含む経済政策が必要とされたが,財政構造改革法に従って財政赤字を着実に削減していくことにより,国民の将来の負担増への懸念や不確実性を軽減することが必要である。

(裁量的財政政策のラグ)

景気浮揚策や景気過熱安定化策としての裁量的財政政策は,景気の変調を認識し,それに対する政策を立案・決定して実施し,それが実際に効果を表わすまで,ある程度の時間(ラグ)がかかる。これが長いほど,裁量的財政政策の有効性は弱められることになる。

景気が悪化してから裁量的財政政策が実施されるまでにかかる時間は内部ラグ(Inside Lag)と呼ばれており,①経済情勢の悪化を認識するまでにかかる時間(認知ラグ:Recognition Lag),②経済対策の実施を決定するまでにかかる時間(決定ラグ:Decision Lag),③政策を具体化し実施に移すまでにかかる時間(実行ラグ:Action Lag)に分けられる。さらに,政策を実施してからマクロ的な政策効果が発現するまでにも時間がかかる(外部ラグ:Outside Lag)。このように裁量的財政政策にはさまざまな時間の遅れ(ラグ)が存在する。ここでは,最近の経済対策に即して,財政政策の有効性を左右するこれらのラグの長さがどのくらいあり,またその長さが変化しているのかどうかを見る。

(認知ラグと決定ラグ)

第一の遅れは認知ラグと決定ラグである。事後的にみた景気局面と経済対策決定のタイミングの関係を見ると,経済対策は景気の山を過ぎた直後に発動されることは少なく,景気の谷に近づいた時点か谷をやや過ぎた時点に発動されている。したがって,裁量的財政政策は,景気後退が続いて経済情勢が厳しくなったときにとられて,景気後退から脱出するための手段として中心的な役割を果たしてきた場合が多いが,80年代などには,景気回復のスピードを増すかたちで機能してきた場合もある( 注17 )。

景気変動による税収や雇用保険支出の増減の財政収支に与える影響を取り除くため,財政収支を裁量政策による部分(構造的収支)と景気変動による部分(循環的収支)に分けてみると,裁量的財政政策の尺度である構造的財政収支の景気後退期(景気の山から谷まで)の変化幅は常にマイナスになっているわけではなく,80年代には必ずしも裁量的財政政策が景気刺激的に働いてきたわけではないが,90年代前半の景気後退期には刺激効果を示している。逆に,構造的財政収支の景気拡張期(景気の谷から山まで)の変化幅も常にプラスになっているわけではなく,必ずしも裁量的財政政策が景気変動を安定化させ,構造的財政赤字を縮小させる方向に働いてきたわけではない。また,93年末からの景気回復は極めて緩慢で,足踏み状態になることもあって,96年度までをみると財政は景気刺激的に運用されたことが分かる( 第3-1-7表 )。

このように,実際の政策運営は様々な経済事情を勘案して行われるので,事後的に見た景気局面とは必ずしも対応しないのは当然であるが,裁量的財政政策をとる限り,景気動向や政策の必要性を的確・迅速に判断することが必要であることは言うまでもない。

なお,景気動向の認知ラグには,利用できる経済統計の発表の遅れによる部分もあることに留意が必要である( 注18 )。

(ビルト・イン・スタビライザー機能)

裁量的財政政策は,景気情勢の変化に応じて財政支出を増減したり増減税を行ったりすることによって,景気を調整し経済を安定化している。これに対して,財政の自動安定化機能(ビルト・イン・スタビライザー)は,財政制度の中にあらかじめ組み込まれていて,税収や政府支出を通じて景気の拡大や後退にあわせて自動的に働く。

景気変動による財政収支の変動部分(循環的財政収支)をみると,景気後退期(景気の山から谷まで)の変化幅は常にマイナスになっており,また景気回復期(景気の谷から山)の変化幅は常にプラスになっていることから,ビルト・イン・スタビライザー機能は,内部ラグの問題を回避できているものと考えられる。また,循環的財政赤字の拡大幅も景気変動を安定化するのに十分大きな規模である。例えば大規模な経済対策がとられた90年から93年にかけての後退局面において,構造的財政赤字は3.3%拡大したが,循環的財政赤字の拡大幅も1.7%とかなりの規模となっている(前掲 第3-1-7表 )。

(実行ラグと外部ラグ)

第二の遅れは実行ラグである。経済対策を決定してから実際に実施されるまでには,①経済対策を個々の政策として具体化する,②具体的施策を立法化し予算措置を講ずる,③法律や予算を実施に移す,それぞれのプロセスに時間がかかる。

例えば,経済対策決定から補正予算成立までの日数をみると,平均約65日かかっている( 注19 )。また,経済対策に計上される公共事業のうち相当の部分は,地方公共団体が実施主体となっており,地方議会の審議も経なければならないことから,それらも勘案すれば,経済対策の策定から,それに係る予算の執行が可能になるまで,相当の時間を要するといえよう。

ただし,90年代にとられた6回の経済対策のうち,92年8月と93年9月の対策を除けば,対策決定から補正予算成立までの日数は平均を下回っており,90年代に入ってから行動ラグはむしろ短くなっている。

第三の遅れは外部ラグである。公共投資の拡大が民間需要を刺激する効果は,80年代までは大きくかつ速やかに現れていたのに対し,90年代に入ってからは小さくかつ緩やかにしか現れていないものの(前掲 第3-1-5図 ),財政政策を実施してからマクロ的な政策効果が発現するまでの外部ラグは必ずしも長くなっているとはいえない。

以上のように,認知ラグ,決定ラグ,実行ラグ,外部ラグがそれぞれ存在するため,裁量的財政政策を行う際には,これらのラグに留意する必要があるが,こうしたラグが90年代に入ってからの財政政策の効果を弱めているとはいえない。

(OECD諸国の財政緊縮の経験)

現下の経済状況に対応するため財政措置を含む経済対策が必要とされたが,我が国の財政バランスが悪化し,また,国民の財政悪化に対する懸念も強まっているなかで,基本的には,財政構造改革法に従って財政赤字を着実に削減していくことが重要である。

日本では,90年代に入って裁量的財政政策によって生じる財政赤字(構造的財政赤字)( 注20 )が拡大する傾向にあり,94年に比べ96年にはGDP比で1.9%ポイント拡大した。しかし,他のOECD諸国は,おしなべて財政赤字削減の方向に向かっており,同期間に16か国が構造的財政赤字の対GDP比を縮小し,そのうち9か国は累計で2%ポイント以上改善している。もちろん,各国ごと,ケースごとに成長率や金利などの経済事情は必ずしも同じではないが,財政赤字削減の経済への影響について,財政緊縮を過去に行ったOECD諸国の経験から学ぶことは有意義であろう。

まず,財政緊縮期間の前後で成長率がどのように変化したかをみよう( 注21 )。

政府債務残高の対潜在GDP比が3%以上低下した場合を債務削減の成功と定義すると,債務削減に成功した場合には,財政緊縮を始める前に比べて財政緊縮期間中及びその後の成長率が高まっている。特に,政府債務残高の対潜在GDP比が60%を超えるほど政府債務が大きい場合には,財政緊縮以前の期間の成長率が相対的に低いのに対して,債務削減の成功によって成長がより顕著に加速している。逆に,債務削減に失敗した場合には,財政緊縮期間中に成長が減速した後,財政緊縮後も成長率は財政緊縮期以前の水準に戻っていない( 第3-1-8表 )。このように,OECD諸国の経験では,成長率が高い国ほど税収増等を通じて財政赤字削減に成功しやすい面があるとはいえ,財政緊縮は必ずしも景気後退をもたらすとはいえず,むしろ債務削減に成功すれば,成長率を高める効果も働く可能性があると考えられる。これは,財政赤字の削減が,長期金利の低下を促し,設備投資などの内需を刺激するとともに,為替レートを減価させて外需を拡大させる効果があった可能性がある( 注22 )。

我が国経済の現状を考えてみると,景気が停滞していることから資金需要は弱く,名目長期金利は低下しているが,物価動向を反映して,97年末以降,卸売物価でみた実質長期金利は上昇している。こうした状況のもとで財政赤字を削減すれば,長期金利を低下させる力が働くと考えられるものの,金利が低下しても,バブルの後遺症から,地価,株価などの資産価格のルートを通じた低金利の波及効果が十分に働いていない状況にある。したがって,OECD諸国の例にみられるように,財政赤字削減による金利低下圧力が成長率押上げに寄与するためにも,債務債権関係の処理や土地の有効利用などにより,不良債権問題を一刻も早く解消する必要がある。

(債務削減に成功した国の共通点と日本への含意)

同じくOECD諸国で債務削減に成功した場合と失敗した場合に分けて,政府支出と歳入の内訳の変化を調べてみると,債務削減に成功した場合には,政府消費支出,補助金,経常移転支出等の非投資支出の削減に成功しているのに対し,債務削減に失敗した場合には,政府消費支出や補助金の削減幅が小さく,移転支出は逆に増加している。また,歳入に関しては,債務削減に失敗した場合の方が収入の伸びは大きいにもかかわらず,結果としては債務削減に失敗している( 第3-1-9表 )。これらのことから,OECD諸国の経験では,政府消費支出や経常移転支出等の非投資支出を中心に財政支出を削減することが,増税に比べ,債務削減の成功にとってより有効であったと考えられる。

さらに,プロビットモデル( 注23 )を使って,債務削減の成功にとってどのような要因が重要であるかを検定した( 第3-1-10表 )。これによれば,構造的財政収支の改善幅が大きければ大きいほど,債務削減に成功する可能性は高い。このことは,政府が強い決意の下に,強力に財政緊縮を進めれば,家計や企業は財政再建に向けての政府の姿勢への信頼感を高め,その結果,リスクプレミアムが低下して金利が低下することにより,財政緊縮に伴う成長の減速を相殺して債務削減の成功に寄与する可能性を示していると考えられる。また,自国の成長率が世界の成長率に比べて相対的に高ければ高いほど,世界の成長率自体が高ければ高いほど,債務削減が成功する可能性は高い。このことは,自国の好景気や世界経済の好調が,財政支出の削減や歳入の増加にとって望ましく,債務削減の成功に寄与することを示している。さらに,長期金利の低下幅が大きければ大きいほど,自国の景気を刺激し,債務削減に成功する確率が高い。

この点からみて,我が国景気が停滞し,近隣アジア諸国の多くも経済混乱が続き,また我が国の長期金利が著しい低水準にある現状では,こうした経済状況に対応するため,財政措置を含む経済政策が必要とされたが,我が国においても,債務削減が経済成長に資するであろうことは,諸外国の経験から類推できるといえよう。


(レーガノミクスと日本経済)

レーガン政権以前のアメリカ経済は,低貯蓄と低投資,その結果としての低生産性上昇と低成長,インフレといった問題点を抱えていた。レーガノミクスは政府の役割をコンパクトにし,サプライサイド(供給面)の政策によって民間活力を引き出すことをその理念としており,①減税と歳出削減によって貯蓄を増強し投資を促進する,②安定的な金融政策によってインフレを抑える,③規制緩和によって事業機会を拡大する,といった施策を実施に移すことによって経済を活性化しようとした。

しかし,実際には,所得税の最高税率を3年間で20%ポイント引き下げるなど高所得者層に厚い所得減税を実施して貯蓄増加を狙ったが,大幅な所得減税は主に消費に回って貯蓄や投資の拡大には期待ほど結びつかず,投資促進減税の効果も限定的であった。減税実施時には,減税により経済が成長し,その結果,税収が増加すると考えられていたが,結局見込み通りの税収は得られず,また,歳出削減が不十分だったため,財政赤字が大幅に拡大して経常収支赤字の増加につながり,「双子の赤字」を生んだ。さらに,マネーサプライの抑制によってインフレの沈静化には成功したものの,財政赤字の拡大とあいまって金利が上昇してドル高となり,経常収支赤字の拡大を助長した。

このように,レーガノミクスを基本とするアメリカの現実の政策はマクロ経済面では期待された成果をもたらさなかったが,レーガン政権が引き継いだ規制緩和などによるサプライサイドの強化が,92年以降のアメリカ経済の持続的成長に寄与している面は評価すべきであろう。規制緩和自体はフォード・カーター両政権時代から推進されていたが,レーガノミクスはそれを政策原理にまで高めたといえる。その後,80年代末から冷戦が終結に向かうに伴い国防費が削減され,また,90年以降ブッシュ,クリントン政権において歳出削減や増税等の取り組みが行われたことにより財政赤字は縮小し,金利が低下して成長が促進されており,歳出削減による財政赤字削減と経済成長とが好循環を生じている。

現在の日本は,貯蓄率は高くインフレ率が低いという点で,当時のアメリカ経済とは異なっているが,投資が低く成長率が低迷しているという状況は類似している。このような状況の中で,レーガノミクスに見られるように政府の役割をコンパクトにしサプライサイドの政策によって民間活力を引き出すとの理念については,日本においても学ぶべき点もあろう。

日本の現状に則した形でサプライサイド重視という観点を生かしていくとすれば,財政構造改革を通じて小さく効率的な政府を実現していく,規制緩和の一層の推進やベンチャービジネスの支援によって貯蓄が投資に有効に活用されるようにする,といった施策の重要性は明らかである。また,税制については法人課税を国際的な水準並みにし,個人所得課税を公正・透明で国民の意欲が引き出せるようにするという方向での改革が進められていくこととされているが,これもサプライサイド重視という観点で評価することもできるであろう。


(構造改革下の財政政策の有効性)

景気が著しい停滞に陥り,下方スパイラル的に落ち込んでいく危険性があるときには,緊急避難的な措置として裁量的財政政策の発動を検討することが必要になる。ただし,バブルの後遺症の影響や将来に対する信頼感の弱まりのため,公的需要の増加が民間投資の減退などに相殺されてしまう可能性もある。したがって,需要面を刺激する政策が,民間需要中心の持続的な回復につながるには,需要刺激策だけでなく,バランスシート改善を促進してバブルの後遺症を克服するとともに,民間部門のコンフィデンスを回復し,また供給面から経済体質を強化する必要があり,こうした効果を持つ政策が同時にとられることによって政策効果は持続性を持つと考えられる。97年11月の「21世紀を切り開く緊急経済対策」に始まる一連の施策と,98年4月の「総合経済対策」はまさにそうした考え方に基づいた対策である。

また,人々の財政赤字に対する認識が深まりつつあり,財政収支の悪化と将来の負担増への懸念が存在する現状では,政府支出の拡大や減税が財政赤字につながれば,家計が支出増に慎重になる可能性は否定できない。したがって,家計や企業のコンフィデンスを高めるためにも,財政構造改革法に従って,財政赤字を着実に削減していく必要がある。

なお,伝統的に裁量政策の手段としても考えられてきた公共投資については,より中長期的な観点から,公共投資の費用と便益が見合っているかどうかを評価しつつ,公共投資本来の目的である生産力効果や生活環境改善効果等を重視しつつ,計画的に着実に実施していくことが必要である。