平成10年

年次経済報告

創造的発展への基礎固め

平成10年7月

経済企画庁


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第3章 各種構造改革下の経済政策

第2節 金融政策の有効性

現在,金利は歴史的低水準にある。低金利による企業のキャッシュフロー増加は長期債務の調整圧力を軽減し,設備投資を増加させた一面もあった。しかし,これらの流れを受け,金融機関のバランスシート調整が本格的に進展したとは言い難い。

金融緩和の効果は,金利低下を通じる直接効果とともに,地価,株価など資産価格にプラスの影響をもたらすことを通じた効果があるが,90年代にはこの波及経路の一部が妨げられていた。バブル後遺症の結果,不動産市場のみならず,株式市場も十分ワークしていない可能性がある。景気の先行き不透明感や不良債権問題等を背景に,株価の下方圧力が働き,金利低下が株価上昇につながっていない。

(低金利の効果)

名目金利は長期,短期ともに歴史的な低水準にある。一方で,物価上昇率も同様に低水準にある。その結果,企業の支出行動により影響を与える実質金利の動きをみると,短期実質金利は金融緩和が始まった91年以降緩やかに低下していたが,長期実質金利は95年初めまでは目立って低下しておらず,95年半ばからは低下した( 第3-2-1図 )。

最近では,物価が横ばいから弱含みへと変化しつつあることから,消費税率の引き上げによる物価への影響を調整した実質金利は,足元強含んでいる点は留意する必要があろう。もっとも,実質金利の計測にあたっては,期待インフレ率に関して,どの物価指標を用いるか,実際に観測できない経済主体の将来予想をどのように定式化するかが難しく,その計測結果については十分な幅を持ってみる必要がある。

一般論としては,金利低下の効果は,資金調達コストの引き下げ(価格効果)や貯蓄超過主体である家計から投資超過主体である企業への所得移転を通じて,景気刺激効果を有する。また,資産価格にプラスの影響をもたらす効果(資産効果による消費支出刺激効果,担保価格の上昇による借入余地の拡大,リスク許容度の増加等)があるはずである。しかし資産価格へのプラスの影響は今次緩和期には生じなかった。

第1章でみたように,金利低下は結果的に家計の財産所得の低下を補うだけの雇用者所得増加をもたらしており,マクロ全体でみれば家計にはプラスに働いていると考えられる( 注1 )。また企業部門にも金利低下はバランスシート調整圧力を緩和する効果を持った。企業のバランスシート調整圧力を,長期債務-キャッシュフロー比率(長期債務÷キャッシュフロー)で測ると,同比率は,94年以降低下している( 第3-2-2図 )。これを長期債務要因とキャッシュフロー要因に分解してみると,94年以降の低下のかなりの部分をキャッシュフローの改善で説明できる。さらに,キャッシュフローの改善を支払金利減少とその他(売上げ増等)に要因分解してみると,支払金利の減少によるところが大きい。このように,金利低下によりバランスシート調整圧力が緩和されていることが分かる。

また,業種別に,94年から96年にかけての長期債務-キャッシュフロー比率の変化幅と設備投資伸び率の関係をみると,同比率の減少幅が大きいほど設備投資の伸び率が高くなっている姿がみてとれる( 第3-2-3図 )。このように,金利低下は,資本コストを通じて投資を刺激するという通常の効果とともに,バランスシート調整の促進を通じた効果を持ったといえる。

金利低下は家計の所得増加や企業のバランスシート調整に寄与はしたが,過去の金融緩和期との比較では全体の成長率はそれほど高くなっていない。過去の緩和局面との比較でみると,各コンポーネントの回復テンポが遅いこともあるが,最大の違いは地価,株価の回復が全くみられていないことである( 注2 )( 第3-2-4図 )。株価の低迷は,金融機関の自己資本比率にマイナスに働き貸出余力の低下につながる面がある。また地価の下落に歯止めがかからないことは,不動産・建設業等の関連業界の業況悪化だけでなく,企業にとっての借入に際しての担保価値の下落につながり,土地を担保とした銀行からの融資を困難にする方向に働く。

(金融システム動揺以降のマネーサプライ)

97年秋に一連の金融機関破たんをきっかけに,マネー関連の指標は次のような動きをした。第一に,金融システム不安の高まりから資金の出し手がリスクに対し慎重になったことを受け流動性が低下し,コールレートが急上昇するとともに現金需要が増大した。こうした事態に対応し日本銀行が潤沢な資金供給を行なったことを背景に,ハイパワードマネーは高い伸びとなった。第二に,M2+CDでみたマネーサプライは,山一証券破たん以後の投資信託(M2+CDに含まれない)から預金等マネー対象資産へのシフトを主因に,一時伸びを高めたが,投信等を含む広義流動性の伸びに大きな変化はみられていない。第三に,金融破たんを受け11月以降預金通貨に対する現金通貨のウエイト(現金-預金比率)が上昇した。これは家計のいわゆるタンス預金の増加等を映じたものと考えられ,銀行に対する信認の低下を示していた。第四に,準備-預金比率(準備預金率)は,安定的な動きをしていたが,11,12月には日本銀行の潤沢な資金供給姿勢を背景とするなかで,金融機関の支払準備の高まりから,一時的に超過準備(法定準備額を上回る準備預金額)が生じた。こうした状況のなかで,ハイパワードマネーは伸びを高めた一方,現金-預金比率,手許現金-預金比率の高まりから,マネーサプライはハイパワードマネーほどの伸びにはなっていない( 第3-2-5図 )。

(マネーサプライと実体経済との関係)

マネーサプライの動きがGDPに先行する関係をみると,80年代には関係が弱まっていたが,90年代に入って,70年代にみられた安定的な関係(3四半期程度の先行関係)が取り戻されつつある( 注3 )。ただし,推計期間などによっては結果が不安定となることもあることから,短期的には,その関係の不安定性にも注意することが必要である。この背景としては,金融自由化の進展により,マネーのシフトイン,シフトアウトなどの撹乱要因が小さくなってきたことによると考えられる。また,長期的には振れを伴いながらも安定的な均衡関係(共和分関係)にある( 注4 )。

M2+CDの流通速度が下方トレンドを持つことは経験的に認められている。その分析や水準の評価には流通速度のグラフにトレンド線を当てはめトレンド線からのかい離をみる方法がある。バブル崩壊後のマネーサプライの伸び率が低迷していた頃は,「M2+CDの流通速度はトレンド線まで戻ってきたところであり,伸び率から想定されるような過小状態ではない」との見方であったが,最近ではトレンド線の上方にあり,マネーの量が過小との見方ができる( 第3-2-6図 )。ただし,この見方も流通速度が下方トレンドを持っているとした経験則から導かれており,計測期間によっても結果が異なる可能性や経済環境の変化を受け当該トレンドが屈折した可能性もあるため,結果については十分な幅を持ってみる必要がある。

(中央銀行のハイパワードマネーのコントローラビリティー)

中央銀行が各種の金融調節手段を通じハイパワードマネーを能動的に供給することにより,マネーサプライを増加させることができるのではないかとの議論がある。

日本銀行が国債の購入等により市中に資金を供給した場合,これは銀行が準備預金として保有するか,民間非金融部門が銀行券を引き出すか,のいずれかである。このうち,銀行券に対する需要は,季節的・構造的要因(取引需要や行楽需要等)に依存しており,これには日本銀行の資金供給スタンスは短期的には影響を与えない。したがって,オペレーションによって供給された資金は銀行の準備預金として積みあがることになる。しかしながら,ある月の法定準備預金は前月の銀行預金水準によって先決されており(修正後積み方式)( 注5 ),かつ準備預金保有には機会費用がかかることから,銀行には法定準備以上の準備を持つインセンティブはなく,日本銀行が法定準備を超える資金供給を行なった場合にはコールレートがゼロにまで低下してしまう,という主張もある。実際,金融機関の持つ準備預金は従来は法定準備を大きく超えない水準にとどまっていた。

一方で,ハイパワードマネーの大半を占める現金需要に対しては日本銀行の資金供給スタンスが短期的には影響を与えない。しかし,日本銀行が積極的なオペレーションを行なうことにより直接にハイパワードマネーをコントロールすることが出来るという見方があり,銀行が超過準備を有するのが常態であるような場合は,そうでない場合に比べ,中央銀行が準備需要を通じハイパワードマネーの量をコントロールしやすくなるという議論もある( 注6 )。もっとも,昨年末には一連の金融機関破綻により,市場参加者が信用リスクに対する認識を強めた結果,法定準備を超える準備需要が生じ超過準備を有した( 第3-2-7図 )。しかし,その後金融システムが落ち着きを取り戻すなかで,こうした超過準備は再び見られなくなっており,これをもって超過準備が今後定着するかどうかは一概には言えない。

(更なる金融政策の余地)

金融政策の効果が表面上小さいことに関連して,「流動性のわなに陥っているのではないか」との議論がある。「流動性のわな」とは,マネーサプライを増加させても金利が低下しない状態を指すが,昨年末から3月末にかけて日本銀行が大量の資金供給を行なった際にコールレートが低下していることにみられるように,基本的には「流動性のわな」の状態にあるとは言えないものと思われる。ハイパワードマネーやマネーサプライといった量的金融指標は金利と離れて決まるものではなく,両者は連関していると考えられるが,こうしたなかで日本銀行はマネーサプライなどの量的金融指標を直接的に増加させることではなく,金利を低位に安定させることを当面の金融政策の運営方針としている。

「流動性のわな」が問題になるのは,マネーサプライを増加させたにも拘わらず金利が低下せず,その面から投資に影響を与えることができない時である。しかし,先に述べたように,足元の日本経済の状況について言えば,少なくとも理論的には金利にはなお低下の余地があると考えられる。

また,1章5節でみたように設備投資に影響を与えるのは実質金利であることに鑑みれば,たとえ「流動性のわな」に陥っていたとしても,例えばマネーサプライの増加率が高まり,期待物価上昇率が高まるような場合には,実質金利が低下して,設備投資の押し上げに寄与する可能性もあると考えられる。無論,マネーサプライの過大な増加はインフレを招く懸念もあるので,その動向に注意することは言うまでもない。金融政策運営の独立性を十分確保するとともに,透明性を高めることによって市場の信認を得るとの趣旨で改正された新日銀法の下で,今後とも日本銀行が適切な金融政策を行なっていくことが必要である( 注7 )。