昭和48年

年次経済報告

インフレなき福祉をめざして

昭和48年8月10日

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

第4章 福祉充実と資源配分

3. 社会保険の前進と方向

(1) 社会保険の役割

わが国の社会保険制度は,戦後急速に発展し,福祉政策の重要な柱として国民生活の安定・向上に多面的な役割を果たしている。

第1に医療保険については,36年からはすべての国民が医療保険制度の適用を受けるようになり,その給付内容も次第に改善されてきた。さらに,第71回国会において,健康保険における家族給付率の引上げや高額療養費の支給等,医療保険全体について給付の改善措置をめざす法律案が提出されている。

第2に年金については,同じく36年に国民皆年金制度が実現され,その給付水準も逐年改善されてきた。たとえば拠出制の老令年金を受ける場合の標準的な年金額(月額)は40年度に1万円,44年度に2万円と引上げられ,また,老令福祉年金(月額)についても,46年度に2,300円,47年度には3,300円へと引上げられてきた。さらに第71回国会において,拠出制老令年金の標準的な年金金額を5万円に,老令福祉年金を5,000円に引上げるなど大幅な給付改善をめざす改正案が出されている。

第3に,失業保険や労災保険等その他の社会保険についても制度の改善策が講じられてきた。

これらの社会保険は各々固有の理念に基づいており,また,その設立の社会的背景,歴史的過程も異なつている。ここでは,わが国の社会保険の特徴を把握し,給付内容のいつそうの改善を進めてゆくにあたつて考慮されなければならない問題点を経済的側面に限つて考えてみたい。

各分野における現在の社会保険は多くの機能を有しているが,経済学的視点に立つてみた場合には,危険負担機能と所得再分配機能が注目される。

第1の機能は,日常生活上の危険から生じる経済的な負担を,将来危険に直面する可能性のある人々の間で分担することである。この機能をリスクの保険化とよぶことができるであろう。

社会保険の第2の機能は所得再分配を促進することである。すなわち,病気や失業,あるいは老令化は所得の低下に結びつくが,社会保険は給付によつてこれを補うことができるばかりでなく,その負担についてみると所得に比例するものが多く,負担面からも再分配の機能を果たしている。

なお,医療保険のように十分な医療サービスの提供という資源配分機能と結びついているものもあるが,この点については次節でふれるので,以下では上記2つの機能の観点から,社会保険制度の現状をみてみよう。

(2) 社会保険の危険負担機能

まず,危険負担機能の観点から医療保険,年金保険,失業保険についてみてみよう。

(医療保険の危険負担機能)

まず,健康保険についてみると受診に要した費用に対する健康保険の給付率は本人(被保険者)の場合は10割で家族(被扶養者)の場合は5割(組合管掌健康保険では付加給付を含めると平均7.2割)である。また,国民健康保険では7割給付となつている。このため高額の疾病にかかつた時には,世帯の経済的負担は急増することとなり,危険負担機能は必ずしも十分とはいえない。第71回国会に提出された法律案では高額療養費の支給等が規定されているが,これは危険負担機能という観点からみて大きな改善といえる。

(年金保険の危険負担機能)

疾病,失業あるいは被災と違つて,老令化はすべての人間が経験せざるをえない現象であるため,年金保険には危険に伴う経済的負担を分担するという性格はあまりみられない。もつとし同じく老令化するといつても,余命年数は個人間で確率的にばらついており,人によつては稼得能力の低い老人生活を長く続けねばならない危険性があるが,老令年金は死亡するまで給付されるのでその危険は回避されているといえよう。

第4-14表 失業保険の男子受給者等の地域分配(45年度)

危険負担機能の観点で年金について問題となるのは物価上昇により年金額の実質価値が低下することである。これについては,現在提案されている物価スライド制が実現されるならば解決をみることとなる。

第4-15図 失業保険の給付日数別受給者の推移(初回受給者)

(失業保険の危険負担機能)

失業保険は,個々の労働者にとつて,いかんともしがたい景気変動に伴う雇用機会喪失に対処し,その生活の安定を図ることを主たる役割として,その機能を果たしてきたが,今日においては,日本経済がほぼ完全雇用の状態を達成し,他方,産業構造,就業構造の変化,技術革新の進展により,労働力の流動化が活発化していることに伴い,摩擦的失業者に対する生活保障的な役割をも果たしてきている。

最近における失業保険金受給者の動向をみると,男子の受給者の都道府県別分布状況は,出稼ぎ労働者の分布状況と類似しており( 第4-14表 ),また産業別分布状況をみると,建設業の受給者比率が著しく高い。また,女子の受給者については,雇用期間1~5年の者が半数近くを占めている( 第4-15図 )等,受給者階層に偏りがみられる。これら受給者構造の偏りは,その雇用就業の態様と関連があるものと思われる。

第4-16図 年令階層別,所得階層別にみた健康保険の再分配効果(昭和46年政府管掌保険加入の男子被保険者)

失業保険が摩擦的失業に対する危険負担機能を維持しながら,雇用情勢,雇用構造の基本的変化に対処していかなる役割を果たしていくべきかが今後の課題といえよう。

(3) 社会保険の再分配効果

社会保険に期待されるもう1つの機能は所得の再分配機能である。

第4-17図 所得階層別にみた1人当たり受診率

(医療保険の再分配機能)

医療保険は,所得再分配を直接の目的とするものではないが,制度上の仕組みと疾病の分布によつて結果的には以下にみるような再分配機能を有している。

まず,医療保険の再分配機能を政府管掌健康保険についてみると次のような事実が指摘できる。まず世代間では,負担している保険料に比べて疾病にかかる割合に大きな差があるため若年層では負担が多くなり,高齢層ほど給付が多くなるという型の,かなり大きな再分配効果が生じている( 第4-16図 )。次に,所得階層間では,所得分布を平等化する方向に再分配が行なわれていることがわかる。これは,給付面についてに 第4-17図 にみるように貧困層を除けば所得と疾病との関係はみられないのに対し,保険料は所得に比例して徴収されているためである。もつとも保険料には上限が設けられているので,再分配効果には限界がある。

年金保険の再分配機能については,後でみることにする。

(4) 今後の方向

社会保険における上記2つの機能に配慮しながら制度の充実を図つていく場合,各制度における財政基盤を無視することはできない。以下でその状況をみてよう。

医療保険は,地域保険としての国民健康保険と被用者を対象とした健康保険をはじめとする被用者保険に大別され,被用者保険はさらに政府管掌健康保険と組合管掌健康保険あるいは共済組合等に分かれている。各制度ごとの財政基盤を比較する必要があるが,これらすべてについて詳細に検討することは資料等の制約があり困難であるため,ここではとりあえず政府管掌健康保険と組合管掌健康保険をとりあげてこの問題を考えてみよう。

第4-18図 健康保険加入者の所得分布(46年10月,男子)

年令構成についてみると,組合管掌健康保険には相対的に若年層が多いのに対し,政府管掌健康保険では相対的に高令者が多い。このことは,高令者ほど受診率が高いことを考えたとき,政府管掌健康保険の方がより大きな支出要因をかかえていることを示している。他面, 第4-18図 にみるように,平均所得は,組合管掌健康保険に比べて,政府管掌健康保険の方が相当低いことがわかる。このような年令構成と平均所得水準の差が,両制度の財政基盤の相違をもたらしている。

他の医療保険制度においても,所得分布,年令構成の点で相違がみられる。これによつて財政基盤に差異が生じている。第71回国会に,政府管掌健康保険に対して定率の国庫補助を行なうことが提案されているが,これは弱体である同保険の財政基盤を強化するための措置である。

次に,年金保険についてみてみよう。わが国の年金保険制度は,大別すると厚生年金保険,国民年金,船員保険および5つの共済組合で構成されているが,これら各年金制度のうち大宗をなす厚生年金,国民年金をみるとその将来における被保険者1人当たりの老令年金受給者数は 第4-19表 のように推移するものと予想される。

現行の方式では年金給付に必要な保険料の1部は後代におくることとされているので,今後における給付水準の引上げに伴い後代におくる度合を高めていくかどうかが問題とされよう。この場合,年令構成の老令化の程度や平均所得水準の程度等の状況により,財政基盤に対する影響に違いが生じることとなろう。

以上のように,社会保険のもつ諸機能を経済的側面に限つてみてきたが,こうした分析から,給付内容の改善をいつそう進めてゆくにあたつては次のことに留意しなければならないことが指摘される。

(負担の増加)

税及び社会保険負担の国民所得に対する比率(1970年)をみると,わが国は24.8%となつており,イギリスの48.6%,フランス46.9%,西ドイツ45.9%などに比べて低いが,これは社会保険負担が低いことも影響している。

しかしながら給付水準の改善は一方において負担の増加をともなう。もちろん保険料の増額のみではなく,一般会計からの繰入れも考えられるが,それは税負担の増大につながつている。

社会保険については,給付水準が引上げられるにつれて負担率は次第に高まつてくると予想される。わが国の人口構成をみると,今後急激に老令化が進み西欧諸国なみの老令化状況に達するものと見込まれている。これにともない保険料負担も増大し,将来においては租税負担を合わせると,今日の西欧なみの負担水準になるものと予想される。

このように負担の増加が必要なことは明らかであるが,問題は誰が,どのような形で負担するかでちる。

すでにみたように,社会保険の給付水準を今後いつそう改善していくにあたつては,年令構成や平均所得水準の相違からくる財政基盤の強弱を無視することはできない。

社会保険は,先にもみたように所得階層間,年令階層間で所得再分配効果をもつており,今後の問題としてはこの機能を高めることも一つの方向として考えられよう。そのためには,所得分布,年令構成等の面での相違から生じる問題を解決しなければならないが,保険機構内部で解決をはかるのか,租税を含む再分配政策のなかで解決するのかなど,その具体的方法を選択するにあたつては,社会保険,租税など各種の再分配政策の位置づけについて検討することが必要となろう。

(5) 社会保険と所得分布

以上みてきた社会保険制度は租税制度とあいまつて全体としてみると,現実の所得分布をどのように変えているであろうか。ここでは,給与所得者について原所得,給与所得にかかる個人税と社会保険の負担および再分配後所得を年令別,所得階層別に検討してみよう。

まず,原所得の分布を年令階層別にみるし若年層では若年労働力の不足を反映して不平等度はかなり小さいが,高年令層ほど中途採用者の賃金格差等のため,その不平等度は大きくなつている( 第4-20図 , 第4-21図 )。また,企業規模別に所得水準を比較すると,どの年令層においても大企業の雇用者の方が高いが,その格差は若年層で小さく,中年層でもつとも大きいことがわかる。

次に,個人税と社会保険の負担状況をみると,月給(ボーナスを除く)が10万円以下の所得層では個人税と社会保険料はほぼ同じような大きさになつていることがわかる。また,個人税については,所得控除があるために,月給10万円以下の所得層では平均税率が低い結果,所得再分配効果はあまり強く作用しておらず,それが強くなるのは,より高い所得層であることがわかる。これに対し,社会保険料は,所得比例となつているものの,その多くは,上限が設けられているので,月給10万円以下の所得層については,所得分布の型をかえないが,それ以上の所得層については逆進的になることがわかる。

ここで,個人税と社会保険料を合わせた負担額と,健康保険の給付額とを比較してみると,若年層ではどの所得階層も負担の方が多くなつているが,高令層になるはど給付の方が多くなる所得層の割合が高くなつている( 第4-22図 , 第4-23図 )。これは健康保険が年令階層間,所得階層間で大きな再分配効果を発揮していることによるものである。