第1章 大震災後の日本経済 第1節
第1節 震災の実体経済への影響
今回の震災前、我が国の景気は、足踏み状態から再び持ち直しに転じつつある局面にあった。景気は脆弱ながらも上向きの動きとなっていたなかで、東日本大震災という大きなショックに遭遇したことになる。本節では、我が国の景気動向を項目別に振り返りつつ、それぞれどのような状態で大震災に遭遇し、その後どのような動きとなっているかという点を中心に議論する。あわせて、中長期的な成長への影響についての考え方を整理する。
1 景気の現局面
最初に、GDP統計から景気全体を捉えた上で、東日本大震災後の経済変動について、阪神・淡路大震災やアメリカのハリケーン・カトリーナ襲来後の経済動向と比較し、今回の震災が及ぼした経済的影響の特徴を探る。
(1)景気動向の概観
まず、震災前の景気状況として、2010年秋頃から始まる景気の足踏みとその後の足踏み脱却に向けた動きを確認し、我が国経済がどのような状態で東日本大震災に直面し、震災によってどのような影響を受けているかを検討しよう。
(景気が脆弱な状態で大震災に直面)
震災前後の景気動向については、大きく三つの局面に分けて考えることができる。一つは、リーマンショック後の急速な景気悪化からの持ち直し局面であり、2009年春頃から始まる。二つ目は、足踏みの局面であり、2010年秋頃から始まる。そして、3番目が東日本大震災後の経済活動の急速な低下である。
GDP統計で確認すると、リーマンショック後の2009年1-3月期に経済成長率が大きく落ち込んだ後、主として輸出や消費支出を中心に景気は持ち直し傾向にあった(第1-1-1図)。これが第一の局面である。アジアを中心とした海外経済の堅調な成長、環境対応車の購入補助政策(エコカー補助金・減税)や家電エコポイント制度を始めとした景気刺激策を背景に、2009年春頃から我が国の景気は持ち直し傾向を続けた。いわば外生的な要因によって景気の持ち直しがけん引されていた。こうした動きが家計や企業の所得の増加、さらには国内民需の拡大につながれば、所得と支出の好循環による景気の自律的回復が実現するところであった。
しかし、2010年秋頃から、IT関連財、とりわけパソコン需要の減少を背景に、アジアを中心として生産調整が行われたことから、我が国の輸出も弱含み、さらに、エコカー補助金の終了とも重なり、景気は足踏み状態となった。GDP統計を見ると、2010年10-12月期はマイナス成長である。景気の持ち直しを支えた外需と政策効果が剥落することに伴い、景気全体が足踏み状態に陥ったのである。この第二の局面の出現は、我が国の景気がいかに自律性に乏しく脆弱なものであったかを示している。その後、アジアにおける生産調整が進展するとともに、国内においてもエコカー補助金終了に伴う生産や消費の一時的な落ち込みが緩和していくにつれて、2011年に入って景気は再び持ち直しに転じつつあった。こうした状況のなかで東日本大震災が発生した。
東日本大震災後の2011年1-3月期GDPを見ると、震災による生産活動の低下や消費者マインドの悪化等を通じ、個人消費や民間企業設備投資が減少、さらに、供給制約を反映した在庫の取り崩しによるGDPの押下げが確認された。1~2月に景気が持ち直しつつあったにもかかわらず、震災による強い下押し圧力により、1-3月期の実質GDP成長率はマイナスとなった。
GDPギャップの推移を見ても、2009年1-3月期に潜在GDP比-9%程度にまで拡大した後、景気の持ち直しとともにマイナス幅は縮小し、2010年7-9月期には-3%程度となった。しかし、景気の足踏みとともにGDPギャップの縮小も止まり、2010年10-12月期には再びGDPギャップのマイナス幅が拡大した。東日本大震災後については、資本ストックの毀損や電力供給制約、サプライチェーンの寸断等による供給制約から潜在GDPが押し下げられるとともに、消費者マインドの低下等の需要面からの下押し圧力もあり、GDPギャップは震災前と同程度のマイナスとなっている1。マクロ的には依然として需要不足が続いていると試算される。
- 東日本大震災の潜在GDP に与える影響については、本節後半で議論する。
(リーマンショックから2年半経過後もGDPはそれ以前の水準を依然下回る)
次に、各国比較を通じて我が国の景気の状況を国際的に位置づけてみよう。日本、アメリカ、フランス、ドイツの実質GDPについて、リーマンショック前の2008年7-9月期を100とした指数で比較すると、我が国は、2009年春以降の持ち直し局面においてアメリカと同程度の順調なペースで改善してきたものの、2010年秋頃の足踏み、さらに、2011年3月の震災により、2011年春の時点では、比較対象4カ国の中で最も低い水準となっている(第1-1-2図(1))。アメリカの実質GDPはすでにリーマンショック前の水準を超え、ドイツやフランスの実質GDPもリーマンショック前の水準に近づいている。それに対し、日本だけが現時点でもリーマンショック前の水準とは離れた位置にある。
リーマンショック後の我が国景気の落ち込みが大幅であった要因として、世界的な耐久財需要の減退を背景とする輸出の大幅減が挙げられる。同時に、リーマンショック後の我が国の景気持ち直しのけん引役となったのも輸出需要の回復である。そこで、比較対象4か国における輸出動向を比較すると、我が国の輸出はリーマンショック後に際立って大きく落ち込んだ後、急速に回復はしてきたものの、現時点でも依然としてリーマンショック前の水準には至っていない(第1-1-2図(2))。アメリカ、ドイツ、フランスの輸出は、おおむねリーマンショック前の水準に復していることと対照的であり、我が国の外需が他国に比べて強いということはいえない。さらに、2010年秋頃の景気足踏み、2011年3月の震災後において、我が国の輸出の改善も止まっている。2011年春の時点で見ると、輸出についても欧米諸国より回復が遅れた状態となっている。
(交易条件の悪化が貿易による所得増を減殺)
東日本大震災発生前、景気を下押しする最も大きなリスクの一つに、原油価格を始めとする資源価格の高騰、我が国にとっての輸入価格の上昇があった。資源価格の上昇は、新興国の成長に伴う需要増や中東・北アフリカ情勢の不安定化等を背景としており、震災後においてもこうした下押しリスクは継続している。むしろ、我が国経済にとっては、資源価格の高騰という景気下押しリスクに、東日本大震災という大規模な景気下押し圧力が上乗せされたことになる。
以下では、輸入価格の上昇が交易条件の悪化(輸出物価に対する輸入物価の相対的上昇)を通じ、我が国から海外への所得移転をもたらしていること、また、海外への所得移転は、我が国の貿易による所得増(純輸出の増加)を相当程度減殺していることを示す。
まず、輸入物価と交易条件の動向を並べてみると、輸入物価が上昇すると交易条件が悪化する傾向が確認できる(第1-1-3図(1))。実際、輸出物価は輸入物価に比べて変動が小さく、主として輸入物価の動向が交易条件を規定する傾向が続いている。ただし、契約通貨ベースで算出した輸入物価に比べて円ベースの輸入物価の上昇は緩やかであり、特に、2010年後半には契約通貨ベースと円ベースのかい離幅が拡大している。資源価格が急速に上昇した半面、円の増価によって円ベースでの輸入物価が抑制されることにより、交易条件の悪化が緩和されている面がある。
次に、GDP統計の中から、交易利得(損失)の動きを取り出し、海外への所得移転がどの程度生じているかを見てみよう(第1-1-3図(2))。交易利得(損失)とは、輸出入価格の変化(交易条件の変化)によって生じる実質所得の変動であり、交易条件が改善して交易利得が発生すれば、その分海外から我が国への所得移転が増加していることになる2。交易利得(損失)の動向を見ると、リーマンショックを背景に一次産品価格の下落が生じた2008年末から2009年を除き、交易損失の増加が続いており、我が国から海外への所得流出が拡大している。
また、純輸出の動向を併せてみると、2010年10-12月期及び2011年1-3月期においては、純輸出の増加を上回る交易損失の拡大が生じている。これは、純輸出の増加により稼いだ所得よりも、交易条件の悪化による海外への所得流出の方が大きいことを意味する。例えば、我が国にとっては、中国を始めとする新興国の成長が輸出数量の増加をもたらす一方、新興国需要が世界的な一次産品価格の上昇をもたらし、結果として、我が国の交易条件を悪化させ、海外への所得流出を生じさせている面がある。さらに、東日本大震災後においては、震災直後の極端な輸出の減少が緩和しても、エネルギー関連の原料輸入の増加が見込まれることから、純輸出の増加ペースが鈍化する可能性がある。交易条件の悪化と純輸出の減速が重なれば、我が国の所得にはさらなる下押し圧力が加わることになる。価格と数量の両面から貿易の動向を注視していく必要がある。
- 実質GDI=実質国内需要+(名目輸出-名目輸入)/(ニュメレール・デフレーター(P))より、
交易利得=(名目輸出-名目輸入)/P-(実質輸出-実質輸入)
=(名目輸出-名目輸入)/P-(名目輸出/輸出価格-名目輸入/輸入価格).
内閣府「国民経済計算」では、ニュメレール・デフレーターとして、輸出入価格の加重平均((名目輸出+名目輸入)/(実質輸出+実質輸入))を用いており、輸出価格が輸入価格を上回れば(下回れば)交易利得はプラス(マイナス)となる。
(2)東日本大震災の経済的影響の特徴
東日本大震災は、過去の大規模災害と比較しても、被害の範囲や規模が大きく、さらに電力供給の制約を始めとする二次的な影響などもあり、我が国経済に対して多大な影響を与えている。以下では震災後3か月程度の本報告書作成時点において把握可能な情報を用い、今回の震災の経済的影響の特徴について検討する。
(被害が大規模であるだけでなく、様々な経路を通じて被災地以外にも影響)
まず、近年の内外の大規模災害と比較しつつ、東日本大震災の特徴を経済的視点から捉える。ここでは、我が国の経済発展段階を念頭に置き、比較対象として、1995年1月の阪神・淡路大震災と2005年のアメリカにおけるハリケーン・カトリーナ上陸による災害を例にとり、東日本大震災の特徴を概観する(第1-1-4表)3。
第一の特徴は、被災地域の広さと被害の大きさである。今回の震災では、マグニチュード9.0という巨大な地震による被害に加え、それによって引き起こされた大規模な津波により、被害が甚大かつ広範囲なものとなった。世界の災害情報をデータベース化した「ルーバン・カトリック大学疫学研究所(CRED)自然災害データベース」で見ても、近年の先進国では類例のない被害規模となっている。
もう一つの特徴は、震災による経済的影響が、電力供給の制約やサプライチェーンの寸断によって、被災地域以外にも広く及んでいることである。津波により原子力発電所等が被害を受けたことにより、被災地のみならず東日本の広範囲にわたり、電力供給能力が大きく低下した。こうした電力供給制約によって、従来のような家計や企業の電力需要を賄えない状態が続いており、当然、経済活動の低下をもたらす要因となっている。また、近年における企業の立地や在庫管理の最適化等を背景に、部品供給が細分化して相互依存を高めたことから、被災地域に立地する工場が停止して特定の部品の供給が滞ることにより、日本全国あるいは一部海外の工場が操業停止に追い込まれる現象が起きた。こうしたサプライチェーンの寸断に伴う全国的な生産活動の低下が生じたことも、今回の震災による経済的影響の特徴といえる。
いうまでもなく、それぞれの災害には固有の重要な特徴がある。例えば、阪神・淡路大震災では、都市における大規模商業施設や産業集積地の被災、神戸港という我が国中枢の国際港湾施設の被災といった特徴があった。また、アメリカのハリケーン・カトリーナの災害では、メキシコ湾岸という石油・天然ガス施設の集積地が被災したことにより、全米的にエネルギー価格の上昇がもたらされたという特徴があった。しかし、今回の東日本大震災においては、被害規模の大きさとともに、その経済的影響が様々な経路を通じて被災地以外の広範囲に及んでいることが重要な特徴ということができよう。
- 先進国以外を含めれば、2010年1月のハイチ地震(死者22万2千人)などの大規模災害もあるが、ここでは東日本大震災後の我が国の経済変動と比較するため、先進国におけるこれら2つの災害を取り上げた。
(東日本大震災後は近年の大規模災害に比べて大きな経済変動に)
具体的な経済指標を比較しつつ、今回の震災の経済的影響の大きさを見てみよう。ただし、現時点では、東日本大震災後2か月程度の4~5月までの統計指標しか入手できず、かつ、被災地域における統計表の回収が困難なケースが多いことから、それらの解釈は現時点での暫定的なものとして捉える必要がある4。
鉱工業生産を比較すると、東日本大震災発生後の落ち込みが圧倒的に大きい(第1-1-5図(1))。どの災害時であっても、災害による生産基盤の毀損や被災地における工場の操業停止等により、生産活動は一時的に低下する。しかし、東日本大震災の場合、部品供給の停滞等サプライチェーンの寸断や電力供給能力の低下に伴う計画停電(輪番停電)などの影響があり、全国的に生産活動が大きく低下した。被災地以外の生産活動の落ち込みの大きさが、東日本大震災の経済的影響の特徴を表している。さらに、電力供給制約の緩和やサプライチェーンの立て直しに時間を要することもあり、今回の生産の低下は、阪神・淡路大震災やハリケーン・カトリーナ後の生産の回復に比べて長引く可能性が高い。なお、東日本大震災の5か月前に生産活動が大きく低下しているが、これはエコカー補助金の終了による自動車生産の減少等の影響であり、ようやくエコカー補助金終了以前の生産水準に戻ったところで、震災というさらに大きな下押し圧力を受けることになったことを表している。
個人消費についても、今回の震災後は減少となった(第1-1-5図(2))。阪神・淡路大震災時の消費はおおむね横ばいであり、ハリケーン・カトリーナの時のアメリカの消費はほとんど影響なく増加していた。過去の経験では、被災地における消費は幾分減少するものの、一国経済で見れば消費は大きな影響を受けないことが多かった。しかし、東日本大震災においては、生産に比べれば減少は緩やかであるものの、個人の消費活動も低下することとなった。後述するが、レジャー支出など必需性の低い消費を抑制することに加え、計画停電による小売店や飲食店の営業時間短縮の影響が被災地以外にも広く見られたことが今回の特徴である。
さらに、GDPの動きを比較しても、東日本大震災の経済的影響の大きさが目立つ(第1-1-5図(3))。供給制約による生産活動の急激な落ち込みや、消費者マインドの萎縮に伴う消費活動の停滞が反映されている。東日本大震災が、被災地のみならず一国全体の経済活動を押し下げるほどの広範囲な影響をもたらしたことを端的に示すものといえよう。
なお、消費者物価については、東日本大震災後も落ち着いた動きを示しており、この点は阪神・淡路大震災後の動向と同様である(第1-1-5図(4))。工場の操業停止や物流の停滞等から一時的に供給不足が生じていたが、徐々に供給不足が緩和してきたこと、そもそも需要自体も減少したことから、消費者物価の上昇にはつながらなかった。他方、ハリケーン・カトリーナ上陸後のアメリカでは消費者物価が上昇しているが、これは被災した地域が原油・天然ガス生産の集積地であったことから、全米的なエネルギー価格の上昇が生じたためである。
- 主な経済統計における東日本大震災の影響への対応については、コラム1-1参照。
(今回の震災はマインド面にも大きな影響)
大規模な災害は人々の意識へも影響を及ぼし得る。それが一時的なものにとどまらない場合、実体経済への波及、さらなるマインドへの影響という事態も考えられる。ここでは、消費者マインドと消費者の期待物価上昇率について、阪神・淡路大震災、カトリーナ襲来後の状況と今回を対比してみよう。
消費者マインドについては、いずれのケースでも、大規模災害後に低下している(第1-1-6図(1))。しかし、低下幅は東日本大震災後が最も大きく、今回の震災が消費者に与えた影響の大きさがうかがえる。消費者マインドは、その時々における景気や雇用の先行きについての見方を表すため、消費者は、今回の震災の影響が長引くと認識している可能性がある。地震後の津波被害に加え、原子力発電所の事故に伴う対応の長期化、放射能被害や内外の風評被害といった原子力災害に伴う不確実性もあることから、これまでの災害以上に、消費者が将来に対する見方を悲観化させている可能性は否めない。こうした消費者マインドの悪化は、いわゆる「自粛ムード」と相俟って、消費活動の抑制につながり得る。後述するが、今回の震災後、外食や旅行等のレジャー支出、高級品の買い控えが実際に見られた。供給制約に加え、マインドの悪化という需要面においても震災の影響が顕在化したと考えられる。
消費者の期待物価については、今回の震災後に上昇率が大幅に高まっている(第1-1-6図(2))。現実の消費者物価(総合)及び被災地域の消費者物価がおおむね横ばいとなっているにもかかわらず(第1-1-6図(3))、家計の物価上昇率予想は高まった。しかし、期待物価上昇率については、いずれの震災の場合も直前との対比では上昇が観察される。災害発生直後は物流網の混乱や供給不足の懸念等から、消費者としては将来の物価上昇をまず連想するものと考えられる。経済政策上の関心は、その後の動きである。高めの期待物価上昇率が定着した場合、供給不足が一段落したとしても、実際の物価へのフィードバックが視野に入る。しかし、阪神・淡路大震災発生の1四半期後には期待物価上昇率は下落しており、一時的な期待物価の上昇にとどまった。マクロ的に見た生産の回復など、被災地以外の経済活動が落ち着きを取り戻すなか、消費者の物価予想についても震災直後の上昇は収まっていった。カトリーナの場合も、被災を契機にエネルギー価格が上昇したにもかかわらず、その後の動きは落ち着いている。こうした前例からは今回も期待物価の上昇が一時的にとどまる可能性があるが、一方で、供給制約がある程度続くと見込まれることもあり、注視が必要である。
コラム1-1 主な経済統計における東日本大震災の影響への対応
東日本大震災は経済統計の作成に対しても大きな影響を与えている。特に、震災直後の3~4月分の統計については、被災地における調査票の回収が困難になるなど、調査の実施において様々な支障が生じた。このため、統計作成部局においては、ヒアリング調査による補完や近隣地域の調査結果による代替等を行い、震災による統計上の歪みをできるだけ小さくする努力が行われている。また、調査結果の公表においては、具体的な対応内容についての情報提供を行っているところである(コラム1-1表)。
今回の震災の経済的な影響は、過去の大規模災害と比べても大きく、種々の経済統計が提供する情報はこれまで以上に重要となっている。統計作成者のみならず、官民の統計活用者においても、各統計における具体的な対応について十分な注意を払いつつ、震災の経済への影響を判断することが求められる。
2 企業部門の動向
景気の基調と密接に関係する企業の生産活動を中心に、景気の足踏みから大震災前後の生産活動、さらに、今回の震災後の特徴である電力供給の制約とサプライチェーンの寸断、生産活動の低下に伴う輸出の減少について振り返る。また、設備投資の展望や震災による潜在GDP、中長期的な成長力への影響についても議論する。
(1)生産活動の低下と輸出の減少
企業の生産活動は、景気の足踏みの後、2010年末頃から再び持ち直しに転じつつあり、震災直前にはリーマンショック以前に近い水準まで回復していた。こうした上向きの勢いがあったにもかかわらず、震災発生後生産活動は大きく低下した。以下ではその背景について見ていこう。
(自動車関連財と電子部品・デバイス生産の変動が最近の生産変動を規定)
最初に、震災前後の生産活動の特徴を探るため、2000年代における過去2回の景気の足踏み局面と最近の生産動向を比較する。
鉱工業生産全体の動きを見ると、過去の足踏み局面と比べ、今回の生産の動きは減少とその後の持ち直しともに変化が大幅なものとなっている(第1-1-7図(1))。まず、2010年10月頃(6か月目頃)を境にそれまでの減少傾向が反転して急速な持ち直しを示している。この動きを規定しているのが、自動車及び同部品の生産が主体の輸送機械工業と、半導体や液晶パネルなどを含む電子部品・デバイス工業の生産動向である(第1-1-7図(2)、(3))。輸送機械工業と電子部品・デバイス工業の鉱工業生産全体に占めるシェアは、それぞれ17%程度、8%程度であり、合わせて全体の4分の1に上る(2005年基準付加価値ベース)。2010年9月半ばに終了したエコカー補助金やアジアにおけるIT関連財の生産調整の影響がそれぞれの産業の生産に表れており、こうした動きが我が国の生産動向全体の動きを規定した。
電子部品・デバイス工業については、2004年後半の足踏み局面でも、大きく生産が減少している。当時もIT関連財の世界的な在庫調整局面となっており、外需を起点とした生産調整が我が国の電子部品・デバイス工業において生じたことが背景となっている。実は、2011年春以降、世界景気の回復テンポが緩やかになるなかで、再びIT関連財の需給が軟化しており、仮に震災の影響による供給制約が解消したとしても、この面からの生産下押しリスクが存在していることに注意が必要である。
一方、今回は、一般機械工業の生産動向の堅調さも特徴である(第1-1-7図(4))。過去2回の足踏み局面に比べて増加ペースが速く、また、10か月程度はペースが緩むこともなかった。内容を見ると、輸出向けの出荷が期間を通して堅調であり、国内向け出荷が弱含む時期があっても、一般機械全体の増加をけん引した。新興国向けの建設機械需要の拡大など世界経済の構造変化に伴い、我が国の一般機械工業の生産が堅調な動きとなっていたことも震災前の生産活動の特徴である。
こうしたなか、2011年3月の東日本大震災後、鉱工業生産は大きく低下した。業種別に見ると、輸送機械工業の低下寄与が最も大きく、鉱工業生産全体の減少幅(前月比-15.5%)のうち半分以上の寄与(-7.9%ポイント)となっている。この他には、半導体製造装置、集積回路や半導体部品といった品目が大幅減となった。これら業種の大幅な生産減少は、今回の震災による経済的影響の特徴を端的に示している。すなわち、被災地からの部品供給の滞りに端を発するサプライチェーンの寸断が全国的な生産活動の低下につながったこと、さらに、電力供給の制約により、継続的な通電が必要な半導体製造等の生産が落ち込んだことなどである。以下、サプライチェーンの寸断と電力供給制約について、生産活動との関係を中心に整理する。
(飲食料品、電子電気機器の供給を東北に依存、地域では関東地方の東北依存度が高い)
自動車1台を生産するためには2~3万点の部品が必要とされる。部品の供給者(サプライヤー)についても、一次、二次あるいはそれ以上の多段階になっており、サプライチェーンは複雑化している。こうしたなか、今回の震災では、どの部品供給に問題があるかを把握するまでに時間がかかり、さらに、部品の中でも他の代替が効かない重要部品、例えば、用途ごとのカスタム生産が多いマイコン(半導体)工場が被災したことなどから、完成品の生産を1か月程度停止せざるを得ない例もあった5。
こうしたサプライチェーンの寸断について、以下では、地域間の産業連関表を使い、産業あるいは地域ごとの「東北地方への依存度」を明示し、その上で、今回の鉱工業生産の大幅減を主導した自動車産業の東北依存度を検討する。
まず、製造業の生産活動において、部品等の中間投入をどの程度東北地方に依存しているか見てみよう(第1-1-8図(1))。東北地方への依存度が最も高い産業は飲食料品工業であり、電子電気機器関連や印刷、紙パルプ、木製品、輸送機械といった産業がこれに続く。実際、震災発生直後、首都圏のスーパー等における乳製品等の食料品供給不足、全国的な半導体等の部品供給の遅滞や紙供給の不足、建設資材としての合板の不足等が問題となった6。全業種を平均すると、中間投入に占める東北地方の比率は2%程度と必ずしも高くないが、上記のような産業を起点としてサプライチェーンの寸断が起こったため、幅広い業種において生産活動が低下した。
地域別の依存度を見ると、地理的な近さもあり、関東地方と北海道が高い(第1-1-8図(2))。特に、関東地方については、域内総生産が全国の4割を占める大規模生産地域であり、関東地方への部品供給の滞りが我が国全体の生産動向に大きな影響を与える結果となった。また、今回の震災では、茨城県や千葉県の太平洋岸など関東地方においても、多くの製造拠点が被災しており、東北地方からの中間投入の滞りと合わせ、関東地方内や他地域への部品供給などが影響を受けた点が特徴である。
次に、震災後の生産減を主導した自動車関連産業について、東北地方のどのような産業から、部品供給を始めとした中間投入が行われているかを見てみよう。ここでは「乗用車」と「自動車部品」をその代表例として取り上げる(第1-1-8図(3))。乗用車の生産においては、「タイヤ・ゴム製品等」、半導体等の「電子部品」や「通信機械・同関連機器」の東北地方への依存度が高い。半導体工場は大きくマイコンとメモリ生産工場に分けることができるが、自動車生産に必須かつ代替困難なカスタム品の多いマイコン工場は、その多くが東北地方や北関東地方の東日本に立地している。このため、今回の震災被害により、自動車生産の多くが一時的に全面停止することとなった。また、自動車部品の生産についても同様に、電気機械や通信機器、電子部品といった業種からの中間投入が多い。部品も含めた自動車産業全体として、鍵となる重要製品において東北地方への依存度が高いものがあったといえる。さらに、東北地方からの部品供給は、海外の日系及び現地メーカーにも及んでおり、今回のサプライチェーンの寸断によって、アメリカを始め海外の自動車生産にも影響が見られた。これも今回の震災の特徴の一つといえよう。
- 現在は、自動車メーカー各社は、すべての工場で生産を再開しており、当初の予測を超えたスピードで復旧が進んでいる。今後も、復旧・代替生産の進捗に伴い、正常化時期が早まる可能性がある。
- 被害が甚大であった岩手、宮城、福島県の工業製品出荷の内訳を見ると、出荷額の多い順に、食料品、電子部品・デバイス・電子回路、情報通信機械器具、輸送用機械器具となり、おおむね他地域の東北依存度と同様の傾向になる(経済産業省「平成21年工業統計表」)。
(電力供給制約は生産活動を大きく低下)
今回の震災では、サプライチェーンの寸断と並び、電力供給の制約が重要な供給制約となった。例えば、福島第一原子力発電所の被災等により、東京電力の供給力は震災前の5,200万kW程度から、震災直後は3,100万kW程度まで約4割低下した7。結果として、東京電力管内のこの時期のピーク時の想定需要量約4,100万kWに対し、約1,000万kWの大幅な供給力不足となり、これに対応するため、3月14日から、東京電力による「計画停電」(系統の変電所に則した需要のかたまりごとに順次停電させること)が行われた8。
こうした電力供給の制約は、家計や企業の経済活動に大きな影響を与えた。飲食店や小売店舗における営業時間短縮、鉄道の運休や運行本数の削減といった日常生活への影響に加え、産業、特に、半導体・電子部品、化学、非鉄金属、素形材等の産業の多くは、24時間操業等の特徴があるため、たとえ短時間の停電であっても設備を稼働させることができず、生産継続に支障が発生した。2011年3月における生産活動や消費活動の大幅な低下には、サプライチェーンの寸断とともに、計画停電による営業時間短縮や操業停止の影響が反映されていると見られる。
実際、電力需要量と鉱工業生産指数の動きを重ねると、両指標は似通った動きを示しており、相関係数も0.9程度と密接な関係となっている(第1-1-9図)。3月の東京電力の供給力は、月末には3,600万kWまで回復したものの、それでも震災前と比較すると7割程度にとどまった。電力供給の制約が3月の鉱工業生産指数の大幅減少に寄与したと考えるべきだろう。
また、需要項目別に電力需要量との相関係数をとると、設備投資との相関が比較的高く、個人消費がそれに続く(第1-1-9図(2))。これらは過去のデータを基にした相関係数であるため、基本的には、設備投資や個人消費の動向が電力需要を規定していたと考えられるが、裏を返せば、投資や消費は電力供給が期待できなければ、それぞれの活動を抑制する可能性があるということである。設備投資については、投資支出の裏には投資財の生産が必要であることから、電力制約による生産減が投資の抑制につながることは理解しやすい。個人消費については、百貨店の営業時間が節電のために短縮されれば、供給制約によって消費機会は減少する。また、旅行や外食といったサービス消費には、生産と需要の同時性があり、サービス生産に制約があれば消費をすることはできない。電力供給の制約は、主として生産の抑制を通じて、設備投資や個人消費の下押し圧力になったと考えられる。
- 低下の内訳は、福島第一、第二原子力発電所で合計約900万kW、被災した火力で合計約1,200万kW。また、供給力の値は揚水(通常200万kW 程度)を除いた数値(経済産業省「東京電力管内の今後の電力需給見通しと対応について」(平成23年3月25日))。
- 電力の需給バランスが改善したことから、東京電力は2011年4月8日より計画停電を原則として実施しないこととした。
(生産活動の低下に伴い輸出も大幅に減少)
震災後の生産活動の低下を受け、我が国の輸出も大きく減少した。今回は、主として供給制約を起点としているため、我が国の生産構造に連動する形で、生産減少と輸出減少がほぼ1対1の関係で生じることとなった(第1-1-10図(1))。ここでは、少し長い目で見て、生産と輸出が連動する度合いが近年高まっていること、その背景に輸出構造の変化が関係している可能性があることを指摘する。
まず、鉱工業生産指数と輸出数量指数の相関を見ると、両指数に強い正の相関があることが確認できる(第1-1-10図(2))。両指数ともに対数をとっているため、傾向線の傾きは生産が1%増加したときの輸出の増加率(弾性値)を示しているが、これを見ると、最近時点において弾性値が高まっていることが分かる。リーマンショック後の強い連動を除くため、2007年以前の10年間を対象に前半(98年~2002年)と後半(2003年~2007年)に分けて比べると、2003年~2007年においては、生産が1%増加すると輸出数量は0.55%程度増加する関係が観察されるのに対し、98年~2002年の弾性値は0.4%程度であり、連動性は高まっている。
連動性の高まりを別の視点から捉えると、近年において輸出構造が生産構造により近くなってきたことが指摘できる。過去20年程度、我が国の生産構造にそれほど大きな変化はなく、主として産業向けの生産・資本財が6~7割程度、耐久消費財が1割強となっている(第1-1-10図(3))。他方、輸出構造については、耐久消費財の割合が25%から15%程度に下がる一方、生産・資本財の割合が7割程度から8割近くまで上昇しており、消費財から生産・資本財に重心が移りつつある(第1-1-10図(4))。これは、欧米向けを中心とした消費財輸出から、アジア新興国向けの産業関連財の輸出に貿易構造がシフトしつつあることを反映していると考えられる。このため、例えば景気が足踏み状態にあった2010年半ばのように、アジアにおける生産の減速を起点として、我が国の輸出や生産が連動して減少することも多くなっている。また、東日本大震災後においては、日本からの部品供給の滞りにより、海外における日系企業や現地企業の生産活動が低下した例もある。サプライチェーンの寸断による影響が国際的に広がったことも、我が国の輸出構造の変化と密接に関連しているといえよう。
(2)設備投資と成長力
次に、震災の設備投資への影響を考える。民間企業の資本ストックが毀損したため、中期的にはストック再建のための設備投資需要の顕在化が期待されるが、一方で企業収益の減少や期待成長率の低下が生じた場合の影響も懸念される。また、震災による資本ストックの毀損が、潜在GDPや中長期的な成長力に及ぼす影響についても併せて考察する。
(設備投資はキャッシュフローや設備稼働率の高まりに比べて低い伸び)
最初に、震災前の状況を振り返っておきたい。震災前の設備投資は、持ち直し基調にあったものの、その足取りは緩やかであった。その背景について、設備投資に影響を及ぼす潜在的な要因として、企業の収益動向(キャッシュフロー)、製造業の設備稼働率、企業の期待成長率の3つを取り上げて確認しよう。
キャッシュフローと設備投資の増加率の関係については、キャッシュフローが増加すると半年程度のラグを伴って設備投資が増加する関係が認められる(第1-1-11図(1))。ただし、2010年7-9月期や10-12月期においては、過去の傾向線よりも下方に位置しており、キャッシュフローの増加ペースに比べると設備投資の伸びが鈍い。また、2011年1-3月期については、震災後の供給制約の影響も含むが、設備投資の増加率は緩やかである9。企業は、収益の改善ほどには設備投資に積極的ではないことになり、他の抑制要因を探る必要があることが示唆される。
次に、設備稼働率と設備投資の関係をプロットすると、キャッシュフローの動向と同様、設備稼働率が高まると半年程度して設備投資も増加する傾向が見られる(第1-1-11図(2))。ただし、この場合についても、2010年7-9月期及び10-12月期において、過去の傾向線よりも下方に位置しており、設備稼働率の高まりほどには設備投資が伸びない状態が続いていた10。生産の増加等によって既存設備の稼働率が上昇しても、新規の設備投資には踏み込まず、企業は、過去の平均的な傾向よりも、設備投資について消極的になっていたことがうかがわれる。
こうした消極的な姿勢の背景の一つに、我が国経済の期待成長率の低下が考えられる。企業は、将来の需要見通しを踏まえて設備投資計画を策定する。このため、本章第2節でも議論するが、成長期待が低くなると現在の需要も抑制される傾向がある。実際、内閣府「企業行動に関するアンケート調査」から、先行き1年間、3年間、5年間の期待成長率の動きと設備投資の増加率の関係を見ると、93年度や99年度を除き、おおむね期待成長率が高まる年には設備投資も増加する傾向が認められる(第1-1-11図(3))。特に、今後1年間の期待成長率と近い動きをする傾向があり、企業は比較的近い将来の成長期待を参考に設備投資計画を策定していることが示唆される。
今回の震災の影響を考える場合も、まずは上記の各要因について注意を払う必要がある。震災前の時点で設備投資と収益や稼働率の連動性が弱かったとしても、生産の低下に伴う収益や稼働率の低下が大きければ、投資が抑制される可能性は十分考えられる。特に、電力供給やサプライチェーンの回復が進むにつれ、在庫積み増しの必要から稼働率の持ち直しは想定されるものの、キャッシュフローについては、生産の回復が売上げや収益の回復につながるまでの間、鈍い動きとなることが懸念される。また、震災後の中長期的な成長期待については不確実性が高いが、今後の官民の対応にかかっているともいえる。このほか、震災後に新たに生じた懸念として、設備投資の海外シフトの加速がある。以下、これらの論点について検討する。
- 2011年1-3月期の財務省「法人企業統計調査」(速報値)は岩手県、宮城県、福島県などの一部の調査対象法人の調査を延期しているため、主として被災地以外の企業動向を表している点に留意する必要がある。
- ただし2011年1-3月期については、少なくとも震災前までは、製造業の設備投資は比較的高い伸びとなっていた。
(震災後の企業収益の停滞が設備投資を下押しするリスクに注意)
東日本大震災後の企業収益(経常利益)と設備投資の動きを見ると、現時点での直近値である2011年1-3月期(速報値)において、主として被災地以外の企業が中心ではあるが、企業収益と設備投資ともに大幅な減少とはなっていない(第1-1-12図(1)、(2))。企業収益については、2011年1-3月期にそれまでの改善傾向が若干鈍化するにとどまっており、設備投資についても、震災直後の供給制約によって投資財の出荷が滞ったにもかかわらず、1-3月期で見ればおおむね横ばい圏内の動きにとどまっている。こうした動きは、阪神・淡路大震災後も同様に見られており、震災後に企業収益の改善が一時的に鈍化しても、その影響は設備投資の動向にまでは波及しなかった。ただし、今回の震災については、震災発生後の生産活動の低下が供給制約等によって数か月間は続くと見られることから、企業収益に与える影響も、阪神・淡路大震災後のように一時的にとどまらない可能性が高い。問題は、企業収益への影響がどの程度続くかであり、その期間によっては、企業は設備投資計画を見直さざるを得なくなるだろう。阪神・淡路大震災後は、企業収益の停滞は2四半期程度で収まった。今回も2011年夏頃までに企業収益が再び改善に向かっていれば、設備投資の抑制につながらないことも考えられる。今後の生産活動の回復ペースとその収益への影響を注視する必要がある。
また、大震災の発生を契機として、企業はリスク回避の視点から、設備投資の重心を国内投資から海外投資にシフトさせるのではないかという指摘がある。しかし、海外投資比率については、グローバル化の流れのなかで、すう勢的に上昇してきている。こうした傾向が震災リスクの顕在化によって加速するかどうかがポイントであり、この点についても、阪神・淡路大震災後の動きが参考になる。日本政策投資銀行「全国設備投資計画調査」から、製造業の海外投資比率(対国内投資比)の推移をプロットすると、過去20年程度にわたり明確な上昇傾向が観察される11(第1-1-12図(3))。その中で、阪神・淡路大震災後の96年度には、海外投資比率が傾向線を相当程度上回る形となっている。95年においては一時的に1ドル=80円を超える急速な円高が生じており、震災よりも円高が海外投資を促進した可能性があるが、重要なことは、それでも数年後にはこうした動きが一段落し、長期的なトレンドに復していたということである。
ただし、今回の震災については、原発・電力供給問題を巡る不確実性が高いなかで、企業の長期的な投資戦略にまで影響を与える可能性がある。すでに競争力を失いつつある生産拠点であれば、海外シフトは時間の問題ともいえる。しかし、比較優位の観点からは国内に残るべき事業所が、今回の震災を受けて海外へ移転することは資源配分上も問題がある。先端的な研究開発拠点がその典型的な例であり、こうした施設の海外シフトが一時的にせよ生じる場合、研究成果の国内産業間移転など技術面でのスピルオーバー効果を失い、中長期的な生産性への悪影響も考えられる。
- 資本金10億円以上。
(震災により潜在GDPの水準が下方シフト)
次に、将来的な成長期待と関連する潜在GDPの動向について、震災前後の変化の可能性について検討しよう。ここでは、潜在GDPを経済の過去のトレンドから見て平均的な水準で生産要素を投入した時に実現可能なGDPと定義する。これは、いわゆる平均概念の潜在GDPであり、内閣府のみならず各国中央銀行や経済開発協力機構(OECD)等の国際機関でも用いられている定義と同じである。
潜在GDPを規定する要素としては、大別して、資本ストックに稼働率を乗じた資本投入量、就業者数に労働時間を乗じた労働投入量、さらに、全要素生産性(TFP)の3つの基本的要素を考える12。なお、TFPの上昇には、技術革新のみならず仕事のやり方等を含む広い意味でのイノベーションが含まれると考える。
これら3つの基本的要素に対し、東日本大震災はどのような影響を与えたと考えるべきだろうか。また、そうした影響は、潜在GDPの水準を一時的に引き下げる「水準調整(レベルシフト)」をもたらすのか、それとも潜在成長率を変化させるような永続的な影響を持ち得るのか、という重要な論点もある。震災による経済的被害の詳細が明らかになっていない時点ではあるが、暫定的な考え方を整理しておきたい。
まず、潜在GDPの一時的な水準調整をもたらす要因として、<1>経済資本に対する直接的被害、<2>電力供給の制約、<3>サプライチェーンの寸断による供給制約が考えられる。これらの要素を踏まえて試算すると、東日本大震災後、我が国の潜在GDPは1%程度(実質年率換算6兆円程度)の下方への水準シフトがあったと見られる(第1-1-13図)。その内訳は、大部分が<2>と<3>の供給制約による下方シフトである。資本ストックの物理的な滅失よりも、既存資本ストックが供給制約によって稼働できない、すなわち潜在的な稼働率の一時的な低下による要因が大きい。資本ストックの毀損は基本的に被災地における生産資源の消失・減少であるのに対し、供給制約は全国的な生産能力の抑制を意味する。このため、我が国全体の潜在GDPを押し下げる効果は、供給制約による稼働率の低下の方が大きくなると考えられる。
- 潜在GDP の具体的な推計方法については、付注1-1を参照。
(震災後の中長期的な成長のためには「無形資産」投資が重要)
しかし、こうした潜在GDPの下方シフトが中長期的な潜在成長経路に影響を与えるかどうかは必ずしも明確ではなく、むしろ今後の対応にかかっていると考えるべきである。例えば、直接的被害による生産資源の毀損については、その分生産水準を低下させることは明らかであるが、低下した生産水準を出発点とした成長の傾きについては、官民合わせた毀損ストックの再建速度に依存する。さらに、ストック再建も早晩ピークを迎えるが、復興に向けた取組の真価が問われるのは、その後も高めの成長が持続するかどうかである。この点に関して、自然災害が生産性に及ぼす影響に関する先行研究を参照することで考えてみよう(第1-1-14表)。
自然災害が中長期的な生産性の上昇、ひいては経済成長にプラスに働くか、マイナスに働くかについては、先行研究の結果はまちまちである。しかし、ここでの問題意識からは、生産性の上昇にプラスの面があるとすれば、そのメカニズムが何かを知ることが重要である。仮に過去の災害が全体として成長にマイナスに働いたとしても、プラスのメカニズムに注目して、その力を増幅するような環境整備に努めることができるからである。先行研究からは、そのようなメカニズムの一つとして、資本ストック再建の際の新技術の採用が浮かび上がる。例えば、最新式設備の導入とそれにあわせた操業方法の改善、あるいは新技術を伴う起業の増加などがその主な形態である。公共インフラでも、民間参入や規制見直しとの組合せを含め、同様のメカニズムを想定することが可能である。今回の復興においても、ストック再建に伴って新技術を効果的に活かしていくことは当然であろう。
もう一つのメカニズムは、人的資本を含む「無形資産」への投資拡大である。災害による物的ストックへの損害との対比では、人的資本(労働者のスキル)やその他の無形資産(ノウハウ、特許、ソフトウェア、商標権等)は相対的に毀損しにくい。それゆえ、災害によるリスクを考慮するほど、無形資産への投資が有形資産より有利になるという見方である。先行研究では開発途上国を中心としたデータで教育投資の意義を説くものが目立つが、先進国において無形資産を多く持つ企業の災害からの復元力の強さを示唆するものもある。そもそも無形資産への投資は、震災の有無にかかわらず、グローバルな知識経済化の流れのなかで先進国の成長の鍵を握るものとして重要性が高まっている(第2章で詳述)。したがって、震災からの復興でも注目すべきテーマであると考えられる。
以上のような一般的な論点に加え、今回の震災に特有の問題として、原子力の扱いを含めた電力供給体制の在り方がある。原発事故により低下した電力供給能力を回復するだけでなく、中長期的には、エネルギー供給を巨大リスクにも耐え得る安全かつ安定したものとすると同時に、効率が高く環境にも配慮した構造とすることが求められる。これらは持続可能な経済成長の前提になるとともに、こうしたエネルギー・環境構造の実現に向けた取組がイノベーションを通じ、経済成長を促進する面も期待される。震災からの復旧・復興においても、我が国経済の中長期的な成長力の促進という観点が重要である。
3 家計部門の動向
企業活動だけでなく、家計の経済活動も震災の影響を大きく受けた。以下では、震災前後の個人消費や住宅投資の動向、雇用情勢について振り返る。
(1)個人消費と住宅投資の動向
個人消費は、2009年春以降の景気持ち直し局面において、エコカー補助金・減税や家電エコポイント等の景気刺激策により、耐久消費財への需要が消費全体をけん引する形となった。住宅投資については、景気の持ち直しに遅れながらも緩やかに上向いてきていた。しかし、東日本大震災の発生後、個人消費は大きく落ち込み、住宅投資も弱い動きとなった。
(震災前の消費支出は政策による耐久財消費の回復に依存)
個人消費支出は、雇用者所得が緩やかな増加に転じた2010年以降、全体として持ち直し傾向にあった。しかし、個人消費の内訳を耐久財(自動車やテレビ、パソコン等)、半耐久財(被服・履物等)、非耐久財(食料品等)、サービスに分けて動きを見ると、近年、耐久財の変動が大きく、それが消費支出の変化の方向を規定する傾向にあることが分かる(第1-1-15図(1))。特に、リーマンショックによる落ち込みとその後の急回復が目立っており、エコカー補助金・減税や家電エコポイント等の購入支援策によって個人消費が持ち上げられていたことが明瞭である。他方、耐久財以外の財やサービス支出は、おおむね横ばい圏内かやや弱い動きを続けており、消費の持ち直しに広がりが見られず、自律性に乏しいものであったといえる。
こうしたなか、東日本大震災が発生し、個人消費も大きく落ち込むこととなった。震災後の消費動向については、次項でその特徴を詳しく議論するが、一時的な要因によって落ち込んだ面が大きい。電力供給制約などの不確実性はあるものの、時間が経つにつれ、ある程度持ち直していくと見られる。今後の消費動向においては、雇用・所得環境や価格動向といった消費を規定する基本的な経済要素が重要になってくる。こうしたことを踏まえ、以下では、消費支出の価格弾力性、所得弾力性について、簡単な確認を行ってみたい(第1-1-15図(2))。
消費の形態別に価格弾性値、所得弾性値を計算すると、両弾性値ともに耐久財が高くなっている。耐久財については、可処分所得が1%増加すれば実質消費支出が1.7%程度増加し、価格が1%下落すれば実質消費支出が1.5%程度増加する関係にある。エコカー補助金・減税や家電エコポイント制度は耐久財の実質的な価格下落をもたらすため、価格効果を通じて耐久財消費を押上げたと理解できる。他方、耐久財以外で価格弾性値が有意に推計される消費形態は見当たらない。価格低下を通じた消費刺激策を企図する場合、耐久財を政策ターゲットにすることが効果的であるといえよう。
他方、所得弾性値については、非耐久財やサービス消費においても有意に推計されており、消費全体としても、可処分所得が1%増加すれば、0.6%程度支出が増加する関係となっている。持続可能な消費増加を実現するためには、可処分所得を持続的に増加させることが重要といえる。
(消費マインドの委縮に供給制約が重なり、震災直後の消費は大きな落ち込み)
次に、震災直後の個人消費の動向について、阪神・淡路大震災後の動きと比較しつつ、今回の震災の特徴を見ていこう。
震災後は消費者マインドが委縮して必需的でない財・サービスの購入を控えるといわれる。この点を確認するため、高級品の取扱いが多い百貨店と日用品が多いスーパーの売上高動向を比較するとともに、さらに被災地以外の地域の消費にどのような変化が表れたかを検討することで、いわゆる自粛ムードを含めた消費者マインドの委縮の影響を見てみよう(第1-1-16図)。
百貨店の売上高は、東北地区のみならず東京地区及び全国ベースで見ても、2011年3月に大きく落ち込んだ。阪神・淡路大震災直後の95年1月においても、神戸地区のみならず全国ベースでも百貨店売上高は一時的に大きく減少しており、この点は共通している。しかし、減少幅については、今回の震災後の方が大きく、特に、東京地区における減少幅の大きさが際立っている。震災による消費者マインドの委縮だけでなく、今回の震災の特徴である電力供給制約、すなわち東京地区における計画停電等による営業時間の短縮が消費動向を抑制したと見られる。例えば、首都圏の多くの百貨店は、計画停電の期間中、通常夜9時前後までの営業時間を夕方6時前後まで短縮しており、平日の会社帰りの買い物需要に対応できない場合が多く見られた。ただし、こうした供給制約を通じた消費抑制効果は徐々に緩和し、計画停電が行われなかった4月には、百貨店の売上高はおおむね前年並みの水準に戻している。
対照的に、日用品の扱いが多いスーパーの売上高は、震災後でも比較的小幅な減少にとどまった。衣料品等の売上げは減少したものの、乾電池や保存食等の需要増など震災後特有の動きもあり、百貨店に比べると大きな落ち込みにならなかった。しかし、阪神・淡路大震災後のスーパーの売上動向と比べると、被災地域を含む東北地方の売上減少が大きく、全国的に見ても被災月の売上高は前月に比べて減少した。この点においても、今回の震災は過去に比べて影響が全国的に及んだことが分かる。
また、サプライチェーンの寸断も、消費支出の抑制要因となった。その端的な例が自動車販売の減少である。阪神・淡路大震災発生後の自動車販売(新車登録台数)を見ると、震災前月からわずかにマイナスとなった程度であり、むしろ翌月には自動車販売台数は増加した(第1-1-17図)。他方、東日本大震災後は、震災直後の3月に前月比25%の大幅な減少、さらに4月も前月比17%の減少となった。震災後1か月程度は自動車生産が全国的にほぼ停止したため、在庫が底をついた3月後半から4月にかけて、供給制約の結果として自動車販売が大きく落ち込んだことになる。供給制約による消費抑制の端的な例といえよう。
(原子力災害の影響は旅行・レジャー関連を中心に顕在化)
今回の震災の大きな特徴は原子力災害を伴っていることであり、前述したように、これがマインド悪化の背景の一つとなっている可能性がある。さらに、原子力災害がマインドの悪化や風評被害等を通じて実際の個人消費等に影響を及ぼしていると考えられ、これらの点について実態を把握しておく必要がある。内閣府「景気ウォッチャー調査」のデータを基に調べてみよう(第1-1-18図)。同調査では、景気に関する各種の判断に加え、自由記入方式のコメントを入手しているが、原発関連のコメントをした回答者が全体(コメントをした回答者のみ)に占める割合に着目することで、事業者が感ずる原子力災害の影響を推察することができる。原発関連のコメントをした回答者が必ずしもそれが原因で景気が悪化した(する)と判断しているとは限らないが、原発関連のコメントをしなかった回答者と比べると、現状、先行きともに厳しく判断しているケースが多い13。したがって、原発関連のコメントの多寡は、原子力災害の影響により景況感が悪化している度合いを示していると考えられる。
3月~6月の原発関連コメントの割合に関して特徴的な点は、まず、現状判断(全国)では5%未満であるのに対し、先行き判断ではその2~3倍に達しており、先行き不透明感の原因という色彩が強いことである。ただし、現状、先行きとも3月から6月にかけ割合が低下しており、景況感への影響は幾分緩和が見られる。地域別には、関東や北海道が多く、東北を別にすれば、福島第一原発から遠い地域では原発関連コメントが少ない傾向にある。東北で少ないのは、震災の直接の影響にコメントが集中したためと考えられる。
それでは、現状判断への原発関連コメントは、どの分野で多いのだろうか。回答者の業種別内訳からは、予想されたように、家計関連が圧倒的に多い。「景気ウォッチャー調査」では家計関連がサンプルの2/3を占めることを勘案しても、原発関連の影響は家計関連を中心に生じているといえよう。また、家計関連の中では、小売関連、旅行・レジャー関連が多いが、小売関連はサンプル数が多いため、実態としては旅行・レジャー関連での影響がより深刻であると考えられる。旅行・レジャー関連では、小売関連と比べてコメント数の減少テンポも緩慢である14。
旅行・レジャー関連を中心に5~6月の時点でもなお原子力災害の影響が相当程度意識されていることが分かったが、その具体的な原因は何だろうか。コメントの内容を仔細に調べると、外国人観光客の減少を挙げる者が目立つ。実際、海外における我が国への渡航への注意喚起等を受け、外国人の入国者数は、3月は前年比5割減、4月6割減、5月5割減となっており、こうした現実の動きが旅行・レジャー関連などで景況感を下押ししていることが分かる。なお、外国人観光客の消費は「国民経済計算」では輸出に計上されるが、2010年で1兆円以上の規模15があり、それが半減すれば年率換算でGDP比0.1%程度の需要押下げ効果が生じ得る。
- 3月~6月調査において、原発関連のコメントをした回答者の現状・先行き判断DIとそうでない回答者のDI を算出したところ、いずれもDIの水準は前者が後者を下回った。6月調査では、現状判断DIについては、前者が32.4に対し後者が52.3、先行き判断DIは前者が42.9に対し後者が51.6であった。
- 飲食関連については、原発関連コメントの割合が6月に上昇しているが、小売や旅行・レジャー関連と比べサンプル数が少なく振れが大きいため、数値については幅を持って見る必要がある。
- 観光庁「訪日外国人の旅行消費推計額」によれば、2010年で1兆1490億円。「国民経済計算」では、非居住者家計の国内での直接購入(2010年で1兆円)に含まれる。
(持ち直してきた住宅投資も震災後は弱い動きに)
住宅投資は景気の持ち直しにやや遅れて上向いてきていた。政策効果による下支えは続いているが、最近では、東日本大震災の影響もあって、弱い動きが見られるようになっている。
新設住宅着工戸数の動きを利用関係別に寄与度分解すると、最近の持ち直し局面では、分譲と持家が主導してきた(第1-1-19図(1))。持家は2009年10-12月期から、分譲は2010年4-6月期から前年比でプラスとなり、住宅投資全体をけん引している。他方、貸家については、2010年7-9月期を除いて前年比マイナスが続いており、分譲・持家と貸家の間で明確な違いが見られている。
背景の一つとして、住宅取得については、2009年以降新たに、住宅ローン減税や金利優遇措置、贈与税の非課税枠がそれぞれ拡大されるなど、貸家に比べ充実した支援策が行われてきたことが指摘できる。もう一つは、政策とも密接に関連するが、リーマンショック以降の低金利政策の継続である。長期固定金利、変動金利ともに2009年から2010年にかけて低下を続け、特にフラット35を始めとする住宅取得専用の長期固定金利は、2000年代半ばの低水準まで低下した(第1-1-19図(2))。さらに、2010年2月から、フラット35S(優良住宅取得支援制度)については、借入金利を当初10年間年率1.0%引き下げる支援策も導入している(2011年12月末終了予定)。金利低下は住宅需要を賃貸から取得にシフトするインセンティブになったと見られる。ただし、2010年後半以降、世界的な景気の持ち直し傾向を背景に金利に底打ち感が見られ、金利が上昇傾向に転じている点には注意が必要である。
なお、各種の住宅価格の動向を見ると、月々の振れはあるものの、マンション分譲価格はおおむね横ばい圏内にあるのに対し、戸建て住宅価格は2007年をピークに緩やかな下落傾向が続いている(第1-1-19図(3))。2010年に入り、持家住宅建設が持ち直すとともに、戸建て住宅価格にも安定化の兆しが見られたが、直近の底値である2005年よりも依然として低い水準にある。また、住宅サービスの価格の一つである賃貸マンション家賃においては、2010年後半にいったん持ち直したものの、2011年には再び下落傾向となっている。持ち直してきた分譲住宅(マンション)需要と弱い賃貸需要が価格面にも表れているといえる。
震災後の住宅建設の動向について、阪神・淡路大震災後の動きを確認すると、震災直後に住宅着工が大きく低下した様子は見られない(第1-1-19図(4))。それに対し、東日本大震災後については、それまでは持ち直し傾向であったが、震災直後にいったん大きく低下した。背景としては、東北地方の資材の生産工場が被災するなど住宅資材の供給が滞ったこと、被災地を中心に震災直後に着工が見合わせられたことなどがある。価格についても、合板やH形鋼などの建設資材が震災後にやや上昇した16。現時点では、代替生産も進み、供給制約は緩和しているが、建設資材の価格動向も含め、今回の震災が住宅建設に与える影響を注視していく必要がある。
- 国土交通省「主要建設資材需給・価格動向調査結果」によれば、4月調査(4月1~5日)において、調査対象7資材13品目中、アスファルト合材、異形棒鋼、H形鋼、木材(型枠用合板)及び石油価格が「やや上昇」、5月調査(5月1~5日)においては、アスファルト合材、木材(型枠用合板)及び石油が「やや上昇」となった。
コラム1-2 食品関連の消費動向と原子力災害の影響
総務省「家計調査」のデータを用いて、個別品目の動きから原子力災害の影響を推察することができないだろうか。まず、原発事故を受けて3月21日に出荷制限が指示された「ほうれんそう」の消費額を日次データで追うと、北関東では大幅な減少が生じている(コラム1-2図(1))。全国ではほとんど影響が見られず、東京でも影響は1週間程度にとどまったのとは対照的である。しかし、同様の分析を他の生鮮食品で行ったところ、こうした動きは検出されず、原子力災害に伴う消費抑制は確認できなかった。
一方、外食について土日・休日の支出を調べると、北関東での3月の落ち込みが他地域、特に同じく電力供給が制限されていた東京よりも大きい(コラム1-2図(2))。また、福島から離れた地域ほど支出の落ち込みが小さい。外食では「自粛」の影響があり、それも被災地に近いほど大きくなっていた可能性があるが、同時に、原発等に関連したマインドの悪化も影響していたことが考えられる。
(2)雇用情勢と所得環境
個人消費の先行きを展望する上で鍵となるのが、雇用情勢や所得環境をどう見るかである。以下では、雇用情勢について、東日本大震災前までの雇用状況の改善を前回の足踏み局面と比較して特徴を掴んだ上で、震災後の動向を検討するために、阪神・淡路大震災後の雇用情勢と比較する。また、家計支出の源泉となる雇用者報酬の動向についても検討する。
(雇用情勢は厳しいながらも改善傾向)
最初に、雇用情勢について、現在の景気局面の動きを前回の景気拡張局面(2002年1月~2007年10月)、特に足踏み局面と比較しつつ、その特徴を議論する。
失業率と有効求人倍率の動きについて、景気の谷を基準として、前回の景気拡張局面と今回の局面で比較すると、失業率、有効求人倍率ともに、今回の変動が大きいことが目立つ(第1-1-20図)。失業率については、リーマンショック後の深い景気後退が終了し、景気が2009年3月に谷を付けた後も、半年程度は上昇を続けた。変化幅も大きく、景気拡張局面に入っても失業率は1%ポイント近く上昇を続けた。前回の拡張局面初期においては、失業率はほぼ横ばいであったことに比べると、失業率の変動の大きさは今回の景気局面の特徴の一つである。その後、失業率は順調に改善を続けてきたが、2010年秋頃に始まる景気の足踏み局面において、いったん改善ペースが鈍化した。ただし、月々の振れはあるものの、ならしてみれば、景気の足踏み局面における失業率はおおむね横ばいで推移した。そして、東日本大震災が発生する直前までは、景気が再び持ち直しに転じていくとともに、失業率も順調に低下傾向を示していた。
他方、前回の景気拡張局面初期における足踏み局面においては、失業率はやや上昇し、足踏みが終了しても以前の水準以下には失業率が低下しなかった。輸出の弱さは共通であるが、今回の足踏み局面では、エコカー補助金の終了といった事前に予期された一時的な要因があったため、企業は足踏み状態においても雇用調整までは行わなかったと考えられる。実際、有効求人倍率の動向を見ても、今回は景気足踏みの影響がほとんど現れず、震災直前までの求人の改善テンポは順調であった。
このように、東日本大震災直前までの雇用情勢は、厳しいながらも改善傾向を続けていた。しかし、震災発生により、人的・物的被害が甚大な被災地はもとより、サプライチェーンの寸断等の影響を通じて全国的な雇用情勢が悪化する懸念もある。以下では、阪神・淡路大震災後の雇用指標の動向を参考に、東日本大震災後の雇用情勢について展望を試みる。
(震災後の雇用情勢が全国的に悪化しないか注視が必要)
東日本大震災の特徴の一つは、電力供給制約やサプライチェーンの寸断等の影響により、経済的な影響が被災地以外にも広く及び、全国的な景気動向に影響を与えていることである。こうしたことから、改善傾向にあった雇用情勢についても、今後、震災の経済的な影響が波及することが懸念される。大規模災害後の雇用動向の例として、阪神・淡路大震災後の全国ベースの雇用指標を参考にしつつ、今後の雇用情勢を展望するための論点を整理しよう17。
まず、失業率と有効求人倍率の動向を確認すると、阪神・淡路大震災発生によって全国的な雇用情勢が悪化した様子は見られない(第1-1-21図(1)、(2))。失業率は3%程度と横ばい圏内で推移し、有効求人倍率においては阪神・淡路大震災後にむしろ改善している。実際、被災地を含む近畿圏の失業率は94年10-12月期の3.4%から95年1-3月期に3.9%に上昇したものの、全国的な雇用環境の悪化にはつながっていない18。有効求人倍率については、兵庫県においても改善を続けていた(94年10-12月期:0.46倍、95年1-3月期:0.48倍)。
他方、東日本大震災後については、震災発生直後の2011年3月及び4月において、所定外労働時間と雇用者数が減少した(第1-1-21図(3)、(4))。電力供給制約やサプライチェーンの寸断といった各種供給制約により、被災地以外の経済活動が低下したことが全国ベースの減少をもたらしたと見られる。特に、雇用者数については、岩手県、宮城県及び福島県を除く系列であることから、3月以降の減少のほとんどが被災地以外の動きを示している。企業は、製造業を中心に、残業時間の削減によって震災直後の経済活動の低下に対応し、飲食や宿泊といったサービス業を中心に雇用調整を行った。今後はサプライチェーンの回復など供給制約が緩和していくにつれて、所定外労働時間や雇用者数の減少にも歯止めがかかり、雇用環境が徐々に持ち直していくことが期待される。
その一方で、供給制約の緩和に時間を要し、企業として労働時間の調整だけでは生産活動の低下に対応できなくなる場合、失業率や有効求人倍率の悪化につながる懸念がある。阪神・淡路大震災後の所定外労働時間の動きを見ると、震災後3か月程度でいったん震災前の水準に戻しているが、今回は、震災発生から3か月程度の本報告書作成時点において、生産活動は徐々に回復はしているものの、稼働率は震災前の水準よりも依然として低い状態が続いている。阪神・淡路大震災後とは異なり、今回の震災は全国的な雇用情勢にも影響を与える懸念があり、さらに、原子力災害の影響等により、消費者マインドの悪化や外国人観光客の訪日旅行の減少などが長期化すれば、サービス業を中心に雇用者数がさらに減少する可能性があることにも注意が必要である。
- なお、総務省「労働力調査」においては、東日本大震災の影響により、調査の実施が困難な岩手県、宮城県及び福島県を除いた系列が公表されている。したがって、以下の分析では、東日本大震災前後の失業率及び雇用者数について、上記3県を除いた系列を全国系列とみなしている点に留意する必要がある(コラム1-1参照)。
- 近畿圏には、兵庫県のほか、滋賀県、京都府、大阪府、奈良県、和歌山県を含む。
(雇用者所得の増加ペースが鈍化)
最後に、雇用者報酬と個人消費の関係を確認し、消費の持続的な拡大に向けた課題を検討しよう。実質消費支出と実質雇用者報酬の動きを重ねてみると、時期によってばらつきはあるものの、両指標はおおむね連動する傾向にある(第1-1-22図(1))。特に、直近3年程度においては、実質消費支出と実質雇用者報酬は同程度の伸びとなっており、さらに、消費の動きが雇用者報酬の動きにやや先行しているように見える。両指標の時差相関係数を算出すると、当期の消費と1四半期後の雇用者報酬の伸び率の相関が最も高く、消費者は所得が実際に増加(減少)する前に消費を増加(減少)させる傾向がある。雇用者所得は、例えば残業代やボーナスの支給など景気にやや遅れて変動する要素がある。消費者はそれらをある程度予期しつつ実際の消費行動を行っている可能性が指摘できよう。それでは、所得の展望は明るいのだろうか。
実質雇用者所得の動きを雇用者数と給与(所定内、所定外、特別給与)、物価上昇率それぞれの寄与度に分解すると、物価下落による実質所得の押上げが大きく寄与する一方、雇用者数や給与の増加による寄与は相対的に小さい(第1-1-22図(2))。2010年に入り、残業時間の増加に伴う所定外給与の増加や企業収益の増加を背景とした特別給与の増加が見られたが、所定内給与は前年比ベースで下落を続けている。雇用者数については、2010年後半になってようやく前年比で増加に転じ、わずかながら雇用者所得の増加に寄与している。こうしたことを踏まえると、東日本大震災後の生産活動の低下に伴い、当面は所定外給与や特別給与の伸び悩み、さらに雇用拡大ペースの鈍化が予想されることから、雇用者所得の増加ペースは鈍化する可能性が高く、実際、震災直後の実質雇用者所得は伸び率が低下した。サプライチェーンの立て直しや再構築、電力供給制約の緩和など、生産活動の早期回復を促す環境整備が、消費の持ち直しにとっても重要ということになる。
なお、阪神・淡路大震災後の雇用者所得の動きを見ると、震災後の95年4-6月期において、特別給与の減少から実質雇用者所得の増加ペースが鈍化したものの、その期以外では前年比で2%を超える順調な増加を続けており、震災による永続的な所得減少は見られなかった。特に、雇用者数の安定的な増加が継続していたことは、今回と異なる重要な点である。
コラム1-3 GDP成長率と失業率の変化
近年の失業率の変動の大きさを踏まえ、過去と近年の失業率の変化と実質GDP成長率の関係(いわゆるオークンの法則)を見てみよう。過去30年間について、景気循環も考慮しつつ、81年~96年までと97年以降の2期間に分けて推計すると、近年の方が、実質GDP成長率に対する失業率の変化幅が大きくなっていることが分かる(コラム1-3図)。90年代半ばまでは、実質GDP成長率が1%高まると失業率が0.07%ポイント低下する関係にあったのに対し、97年以降では、失業率は0.12%ポイント低下する関係となっている。景気変動に対して、失業率がより敏感に反応する傾向が観察される。さらに、リーマンショック後の2009年以降の関係を見ると(図中のひし形)、GDP成長率の大幅な変動とともに、失業率も過去に比べて大きく変動していることが確認できる。
また、オークンの法則から、失業率を変化させない実質GDP成長率を求めることもできる。これは、労働市場の循環的な需給バランスを一定に保つ成長率であり、潜在成長率に近い概念の成長率と解釈される。この成長率を96年以前と97年以降で比較すると、それぞれ4.8%と1.7%となり、失業率不変のGDP成長率が大きく低下していることが分かる。労働市場の需給状況だけから算出した単純な潜在成長率で見ても、前述の生産関数アプローチによる潜在成長率と同様、我が国の中期的な成長能力が低下していることが示唆される。