第3章 雇用・社会保障と家計行動 第3節

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第3節 不確実性、社会保障制度と家計行動

本節では、第1、2節で論じた労働市場の変化と格差の動向を踏まえ、雇用・所得環境の不確実性、社会保障制度が家計の消費行動にどのような影響を与えるかについて議論する。
第一に、我が国の家計が自らを取り巻く様々な不確実性について、どのように感じているかについて、様々なサーベイデータなどを参考に概観する。第二に、そうした不確実性の一要因ともされる現在の社会保障制度に対する国民意識について議論する。最後に、こうした社会保障制度への信頼感がどのように家計行動に影響するかについて検証する。

1 家計を取り巻く不確実性と貯蓄

手始めに、家計の消費者マインドや貯蓄動機といった意識面のデータを確認するとともに、実際の貯蓄率の動きとその背景を調べよう。

(1)「消費者マインド」の性質

第1章でも見たとおり、消費は、おおむね所得に連動した動きをするが、耐久消費財など特定の品目に対する消費や、金融不安など特定の局面における消費については、必ずしも当期の所得と同じ動きをするわけではない。これは、家計が今期に得られた所得のみならず、将来得られる所得についても予想し、その予想を反映させる形で消費行動を行っているためと考えられる。まず、家計がその周辺の経済環境をどのように認識しているかを示す指標の一つとして、しばしば利用される消費者マインドの性質について調べよう。

●消費者マインドは2008年以降急速に悪化

消費者マインドを示す統計は多数あるが、ここでは内閣府「消費動向調査」21における消費者態度指数及び同「景気ウォッチャー調査」における家計・雇用関連の先行き判断を取り上げよう。消費者態度指数は、今後半年間における「暮らし向き」「収入の増え方」「雇用環境」「耐久財の買い時判断」の方向感を聞いて集計したものである。一方、「景気ウォッチャー調査」の家計・雇用関連の先行き判断は、今後2~3か月後の景気状況についての方向感を聞いている22。なお、同調査では現状判断も聞いているが、先行き判断と似通った動きを示している(第3-3-1図)。
いずれの消費者マインド指標とも、2007年に入ってからは揃って低下傾向を示し、特に2008年に入ってからは急速な低下となっている。特に雇用関連の指標が悪化しており、今後半年間の雇用環境(職の安定性、みつけやすさ)を家計に直接質問した消費者態度指数の一構成要素である雇用環境の意識指標(以下雇用環境DI)については、2008年秋以降、急速な低下を示している。
ただし、2009年に入って、経済対策の効果への期待などを反映し、景況感の悪化を見込む家計が減少してきたことから、消費者マインド全体について改善が見られるようになっている。

●消費者マインドは耐久財消費や住宅投資に強い影響

さて、消費者マインドは、現実の家計行動とどう関係しているのだろうか。それを検証するために、消費者マインドを示す消費者態度指数(前年差)と家計消費及び各消費品目等の伸び率の連動性を検証してみよう(第3-3-2図)。
各グラフは、横軸に消費者マインド、縦軸に家計消費支出とその内訳、住宅投資を示しており、より太い線のほうが両者に強い相関関係があることを示している。右上がりの太い線が示されていれば、消費者マインドと各財に対する支出額につき、強い正の相関があることを示している。下図はその相関関係を表す弾性値の時系列での推移を示している。弾性値自体は上図の近似線の傾きに相当し、塗りつぶされた点が相関関係の強さを示し、近似線の太さに相当している。
第一に、家計消費の全体を示す家計消費支出については、バブル期以前は消費者マインドと比較的高い相関を示していたため、全期間を通してもある程度の相関を示すが、バブル崩壊以降はほとんど説明力を失っていた。これは、非耐久財、半耐久財やサービスといった日常的な消費を多く含むと見られる品目への消費は全期間を通し、消費者マインドと連動性を持たないことが影響していると見られる。しかし、2008年後半以降、家計消費と消費者マインドの両者が同時に急速な低下を示したため、見かけ上、再び説明力が高まる結果となっている。
第二に、耐久財消費や住宅投資といった、高額消費や投資としての性格を有する品目については、おおむね消費者マインドと高い相関を示していることが分かる。第1章でも議論したように、薄型テレビなど、一部家電消費等が所得の弱含むなかでも比較的堅調であったことなどが影響したと見られるが、耐久財については、2000年以降、急速にマインドとの連動性を失っていることには注意する必要がある。

●消費者マインドは株価や新規求人倍率と連動

それでは、逆に、消費者マインドはどのような事象の影響を受けて形成されるのだろうか。良く知られているように、株価や雇用情勢を反映する傾向が強い。これを確認しよう(第3-3-3図)。
まず、東証株価指数(TOPIX)と消費者態度指数の動きを並べると、両者の連動性が高いことが分かる。ただし、株価が高騰したバブル期には、消費者態度指数の上昇は頭打ちになっている。この関係から、消費者マインドの性質として次のことがいえる。第一に、景気に対する先行性である。我が国の家計は株式保有比率が低いが、株価の騰落は日々報道され、消費者の景況感に影響を及ぼすことは想像に難くない。そのため、消費者マインドの景気に対する先行性は、株価の持つ同様の性質を反映している面があろう。第二に、前述のように、株価は耐久財消費や高級品・高額品の消費に影響を及ぼす。これは、第2章において検討したように、個人消費における資産効果が、株価の変動を通じて発現する可能性があることを示している。
次に、雇用関係の指標との関係はどうだろうか。これについては、消費者態度指数の構成要素の中でも、雇用環境DIに着目すると分かりやすい。実際、雇用環境DIの動きと新規求人倍率又は所定外労働時間の動きの連動性は高い。これは、消費者の多くは、職場における人手の不足・過剰のシグナルを身近に感じ取って雇用環境に関するマインドを形成するためと考えられる。

(2)家計の貯蓄動機

消費に影響を与える主観的要因として、消費者マインドの特徴について議論してきた。ここからは、消費の対概念である貯蓄に焦点を移し、家計が貯蓄を行う理由について考えてみよう。
我々が貯蓄を行う理由としては、様々なものが考えられる。例えば、高価な家電を購入するために今日の食費を抑えて貯蓄する場合もあるだろうし、さらに長期的な視点から、老後の生活費を確保する目的で貯金する場合もあるだろう。また、子孫に資産を残すことを目的とする人もいるかもしれない。

●貯蓄動機として「病気などの備え」、「老後の生活資金」が多い

実際に、日本人の貯蓄動機を体系的に質問しているアンケート調査である金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査」を見てみると、全体では、「病気や不時の災害への備え」、「老後の生活資金」、「こどもの教育や結婚資金」のために貯蓄するとの回答が例年上位を占めている(第3-3-4図)。
これを年齢ごとに見ると、20歳代や30歳代では「こどもの教育資金」、「住宅の取得または増築」、「病気や不時の災害への備え」の3つの目的が上位にある。年齢を経るにしたがい、教育資金目的が低下する一方、「病気や不時の災害への備え」が1位となり、50歳代以上では「老後の生活資金」、「特に目的はない」が続く形となっている。20歳代や30歳代では子育てや住宅取得のための貯蓄が必要となるのに対し、50歳代、60歳代以降は老後の生活資金のための貯蓄が増加しており、予想されるとおりのライフサイクルに応じた貯蓄動機の変化が見られる。なお、遺産を貯蓄の目的とする者は、年齢が経るにしたがい増加するものの極めて少ない。
続いて、10年前の貯蓄動機との変化を見てみよう。「病気や不時の災害への備え」という回答はほとんどすべての年齢層、とりわけ若年層において大きく減少する一方、「老後の生活資金」との回答は若年層では増加しており、老後の生活不安が若年層の貯蓄行動に影響を与えたことを示唆している。また、「住宅の取得または増築」と答えた者は20歳代のみで増加し、「耐久消費財の購入資金」は30歳代以外で増加した。「旅行・レジャーの資金」は20歳代で減少している。

●類似している日米の貯蓄動機

このような日本人の貯蓄動機について、同種の調査を行っているアメリカの調査と比較してみよう(第3-3-5図)。両者は別のアンケートであることもあり、若干の回答項目の違いがあるが、同様の目的と見られるものを積み上げて比較可能なように調整した。
病気などへの備えと回答(アメリカでは「流動性目的」)する者と老後の生活資金(アメリカでは「退職後の資金」)と回答する者が、順位の前後はあるものの、やはり上位を占めている。続いて「教育、家族のため」、「住宅を除く購入」、「住宅購入」といった目的が続くが、これもおおむね日本と類似した目的が高い順位を占めている。
いずれにせよ、日米ともに貯蓄の目的として病気などの不時の支出に備える(アメリカでは「流動性」目的と回答)とした貯蓄目的を挙げる者が多い。こうした貯蓄目的は、広い意味で不意の支出や収入の減少など将来の不確実性に備える貯蓄目的と考えられ、いわゆる「予備的貯蓄」を構成する貯蓄目的となると考えられる。

(3)家計貯蓄率の動向

ここから、将来の所得や支出の不確実性に直面した際の家計の消費・貯蓄行動について議論するが、最初にその代表的なマクロ指標である、最近の家計貯蓄率の動向について検討しておこう。

●SNAベースの家計貯蓄率はすう勢的に低下傾向

従来、我が国の家計貯蓄率は諸外国に比べ著しく高いとされており、我が国の投資超過や経常収支黒字との関係が議論されてきた。ただ、近年では、日本の貯蓄率は低下傾向が続き、国際的にも低水準となっていると考えられている。
貯蓄率はフローの貯蓄を可処分所得で除したものとして定義されるが、そうして計算した貯蓄率の推移について、「国民経済計算」(SNA)、「家計調査」や「全国消費実態調査」を用いて比べてみよう(第3-3-6図)。SNAベースの貯蓄率が90年代以降、一貫して低下しているのに対し、「家計調査」や「全国消費実態調査」から作成された貯蓄率は高いままで推移し、むしろ90年代以降漸増傾向を示していることが分かる。「家計調査」と「全国消費実態調査」はおおむね同様の動きを示しているが、SNAと「家計調査」の水準と挙動の差についてはどのように考えれば良いのだろうか。
先行研究23によれば、第一に、「家計調査」の貯蓄率は二人以上の勤労者世帯について集計されているのに対しSNAは全ての家計が対象のためサンプルのカバレッジが異なること、第二に、帰属家賃の取扱いなど両者の貯蓄の概念が異なること、第三に、「家計調査」では耐久財消費などが十分捕捉し切れていない可能性があることがそうしたギャップの原因となっているとされる。
ここから、マクロの貯蓄率として考える場合、特に国際比較などを行う場合には、SNAによる貯蓄率を利用することが適切であろうが、実際に所得を得ている世帯の貯蓄率を用いたい場合など、目的によっては「家計調査」の貯蓄率を利用することが適当な場合もあるものと考えられる。また、上記の要因を適切に調整すれば、両者の貯蓄率は似た傾向を示すはずであろう。

●高齢化要因を調整したSNAベース貯蓄率は2000年以降緩やかな上昇傾向

我が国のSNAベースの貯蓄率低下の理由として、しばしば高齢化が主因とされる。上記第一の要因に即すれば、「家計調査」(勤労者世帯)には無職世帯が含まれておらず、仕事を引退したため所得はないが資産を取り崩して生活をする高齢者世帯が多く脱落している。したがって、こうした貯蓄取り崩しの動きが上記「家計調査」ベースの貯蓄率には反映されていないと考えられる。
実際に、SNAベースの貯蓄率について、高齢化要因を除去するように調整してみよう(第3-3-7図)。具体的には、老齢人口比率を含むいくつかの基本的な要因で貯蓄率を説明した上で、老齢人口比率を一定と仮定した場合に貯蓄率がどうなっていたかを推計するのである。その結果を見ると、高齢化要因を調整した貯蓄率は、数年から10年単位では大きく変動するが、すう勢的な低下傾向は見られない。また、最近の動きに着目すると、2000年以降は緩やかながら上昇傾向が観察される。全体として、「家計調査」における勤労者世帯の貯蓄率と似た動きになっているといえよう。

●30歳代、40歳代の世帯で貯蓄率が上昇傾向

このようにマクロの貯蓄率が高齢化のためにすう勢的な低下を示しているとすれば、貯蓄率を年齢別に見ることでそのメカニズムが明らかになるはずである。そこで、再び「家計調査」を用いてこの点を調べてみよう。
「家計調査」では、一般に注目される勤労者世帯のほか、無職世帯の家計についても貯蓄率を調査している。無職世帯は、その多くの部分が年金などを主たる収入とする高齢者世帯から構成されていると考えられる。勤労者世帯を世帯主年齢により区分し、無職世帯とともにその貯蓄率の動きを追うと、次のようなことが分かる(第3-3-8図)。
第一に、予想されるように、貯蓄率の水準は30歳代、40歳代で高く、60歳以上、無職世帯で低い。特に、無職世帯は貯蓄率がマイナスになっている。これは、資産を取り崩して生活していることを示す。このような状況を踏まえると、高齢化によってマクロの貯蓄率が低下するのは当然であろう。
第二に、無職世帯と60歳以上の勤労者世帯の貯蓄率は、高齢者の中でも平均年齢が上昇していることなどを背景として、2000年の前後から急速に低下している。こうした動きによっても、SNAベースの貯蓄率が90年代後半や2000年初めに大きく低下していることがある程度説明できると考えられる。
第三に、現役世代では、特に30歳代や40歳代を中心に、80年代後半や90年代を通じて貯蓄率が上昇傾向で推移している。また、短いスパンに注目すると、2006年頃から再び上昇傾向に転じている。これは、「家計調査」ベースや高齢化要因を調整したSNAベースの貯蓄率の最近の動きと一致している。

●家計は不確実性への備えとして貯蓄を行う面も

以上で、マクロの貯蓄率のすう勢的な動きは高齢化によって説明できるが、その部分を除くと、現役世代における最近の貯蓄率上昇など、様々な動きが浮かび上がる。では、こうした動きはどのような要因で説明されるのだろうか。ここでは、本章第1節でも取り上げた、家計が将来不安を感じた際に所得や支出の変動に備える貯蓄である「予備的貯蓄」に着目してみよう。
家計が近い将来の所得について不安を覚えるのは、主に雇用環境が悪化するような場合である。そこでまず、雇用環境を巡るリスクを所得変動リスクと捉え、その数値的な計測を試みる(第3-3-9図)。家計の雇用環境に関するマインドは、先に見た、消費者態度指数のうちの雇用環境DIで把握できる。さらに、雇用環境(ここでは有効求人倍率の逆数で「雇用環境」を捉えることとする)の先行きに関するリスク(予測値のばらつき)を計測する。その結果を見ると、バブル期や2000年前後の時期に雇用リスクが著しく高まっている。また、2008年末以降、リスクが急速に高まっていることが分かる。
このように推計された雇用リスクに関する指標を、我が国の家計貯蓄率の時系列的な動きと関係付けてみよう。それによれば、必ずしも強い説明力があるわけではないが、雇用リスクが高まると、他の条件を一定とした場合、貯蓄率が上昇する傾向が検出された。すなわち、雇用環境の先行きが不透明な状況になると、将来の所得変動が懸念され、家計は貯蓄を増加させる傾向があるということを示しており、これはいわゆる「予備的貯蓄」の考え方が示す方向と一致している。

2 社会保障制度の現状と国民の意識

以上ではやや短期的な所得変動リスクを捉えたが、次に、より長期的なリスク、すなわち公的年金制度や医療制度を巡るリスクと家計行動との関係を考えたい。その準備として、社会保障制度の現状、改革の動きを整理した上で、国民の制度に対する意識を見よう。

(1)我が国の社会保障制度の現状

内外において、高齢化に伴い社会保障の役割は増大している。我が国の社会保障給付費の推移と主要先進国の中での我が国の位置づけを概観する。

●国民経済に占める社会保障給付の割合は高齢化等のため一貫して増大

日本経済における社会保障の重要性については、その給付費のGDP比を見れば概括的に把握できる(第3-3-10図)。要点を述べよう。
第一に、社会保障給付費のGDP比は上昇基調にあり、国民経済に占めるウエイトが増している。これには、主要な内訳である年金、医療、福祉その他(介護が含まれる)のいずれもが寄与している。
第二に、最近の構成比を見ると、社会保障給付費の約半分は年金が占めている。次いで医療が約3割、残りが福祉その他となっている。
第三に、構成比の変化に着目すると、年金は過去においては年々シェアを高めてきたが、最近は頭打ちとなっている。また、医療はややシェアが低下している。これに対し、福祉その他のシェアが高まっているが、これは急速な高齢化を受け介護保険導入などの制度整備が行われたこともあり、介護などの給付が急テンポで増加したことを反映していると考えられる。

●急速な高齢化による社会保障負担増は先進国共通の課題

次に社会保障費の規模を主要先進諸国間で比べてみよう。まず高齢化と社会保障費のGDP比の推移を見る(第3-3-11図)。
第一に、我が国だけでなく、アメリカを除く主要先進国では老齢人口比率が上昇している。それに対応する形で、社会保障費の対GDP比も上昇傾向を示している。
第二に、我が国の老齢人口比率の上昇は著しく、特に2007年の水準で見ると、主要先進国の中でも最も高齢化が進んでいるといえよう。その一方で、社会保障費の名目GDP比は上昇傾向にはあるが、アメリカ、カナダと同程度であり、相対的には低いグループに入る。
では、我が国の社会保障費の内容にはどのような特徴があるだろうか。年金、医療といった内訳を最近時点で比べてみよう(第3-3-12図)。
第一に、年金のGDP比では、我が国はドイツ、フランスなどより低く、アメリカ、英国より高い。ただし、社会保障費全体に示す年金のシェアでは、むしろドイツなどに近い。
第二に、医療のGDP比は、どの国でも6%~8%弱という狭い範囲に入っている。その中で、我が国は相対的に低い位置にある。
第三に、我が国ではアメリカと並んで福祉その他のGDP比が低い。これは、英国では公的住宅、ドイツやフランスでは雇用対策等への支出が多いことを反映していると見られる。
このように、我が国は急速な高齢化によって社会保障費の規模を増大させたが、年金、医療、その他福祉のいずれも主要先進国の中では必ずしも高水準にあるとはいえないことが分かる。ただ、各国の医療サービスの内容に違いがあるなど、国際比較した結果を解釈する場合、考慮すべき要素が他にもあることには注意が必要であろう。

(2)社会保障制度改革に向けた我が国の取組み

このような状況の中で、我が国においても、各分野で様々な社会保障制度改革への取組みがなされている。

●給付と負担のバランスの確保を進めてきた年金改革

これまでも見てきたとおり、高齢化の進展によって給付費が最も著しい伸びを示したのは公的年金制度であった。94年、2000年の年金制度改革においては、65歳現役社会を見据えて厚生年金の支給開始年齢を60歳から65歳に引き上げたほか、給付水準の適正化など、少子高齢化に対応する形で給付と負担のバランスを確保するための取組を行ってきた。こうした改革は、5年ごとに年金財政の将来見通しを検証する「財政再計算」にあわせて実施された。しかし、このような頻繁な給付や保険料の見直しが、若い世代の公的年金制度への不安につながっているとの指摘もなされていた24
そうした指摘も受けて、2004年の年金改革では、保険料の上昇を抑え、将来の保険料負担の上限を固定するとともに、保険料収入の範囲内で給付水準を調整するため、被保険者の減少や平均寿命の伸びを考慮して給付水準を調整する「マクロ経済スライド」制度の導入、基礎年金の国庫負担割合の引き上げといった改革が行われている。

●所得代替率は先進各国で軒並み低下

日本だけでなく、多くの国も公的年金改革に取り組んでいる。特に、支給開始年齢の引き上げや最低拠出期間の延長といった給付費を抑制する改革は困難を伴うが、90年以降、各国で進展が見られている。
実際に、こうした動きがどの程度進んでいるかを調べるため、年金給付額の退職前所得に対する比率である所得代替率の変化を見てみよう。ここでは、データが入手可能なOECD諸国について、強制加入年金に係る総所得代替率を年金改革前後で比べよう(第3-3-13図)。
予想されたように、英国やハンガリーといった一部の国を除けば、各国とも、年金改革25後に所得代替率が低下している。これは特に先進諸国において高齢化が進んでいるなかで制度を持続可能なものとするため、現役世代の負担が過重なものとならないようある程度給付を制限する形での年金改革を行わざるを得なかったことを示している。なお、ここで用いられているOECDのデータは国際比較のため、「20歳で就労を開始し、年金支給開始年齢まで就労する男性単身者」をモデルとした数値(日本:34.4%)になっている。我々が普段目にする厚生労働省「国民年金及び厚生年金に係る財政の現況及び見通し-平成21年財政検証結果-」において示されている所得代替率(50.1%)は、夫婦世帯をモデルにしており、モデル世帯の構成や比較する所得等の前提26が異なることがその差の原因となっている。

●医療、介護分野での改革も進展

我が国の社会保障制度全般を見ても、年金以外の分野でも次々と制度改革が行われている。例えば、医療分野については、2000年には、入院医療提供の体制整備を目的とした病床区分の区分数増加、医療機関の広告規制緩和、医師等の臨床研修の必修化などが行われている。さらに、2002年には、保険料率の引き上げをできる限り抑制し、各制度・世代を通じた給付と負担のあり方を見直す観点から、医療保険制度間の給付率の統一(原則3割)などが行われ、2006年には、生活習慣病対策や長期入院の是正といった計画的な医療費適正化の取組や、保険給付の内容・範囲の見直し、新たな高齢者医療制度の創設、保険者の再編・統合を進めるため、健康保険法等の一部改正がなされた。また、医師等確保対策、医療情報提供対策の充実、新しい医療計画制度の推進などの取組も行われている。
介護分野を見ても、89年の「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(ゴールドプラン)や94年の「新・高齢者保健福祉推進10か年計画」(新ゴールドプラン)に基づき、急速な高齢化に対応した高齢者の保健福祉分野のサービス基盤の充実が図られてきた。97年の介護保険法の制定を受けて実施されている介護保険制度は介護分野に社会保険の仕組みを導入する形で2000年から施行されており、社会保障制度におけるその存在感を急速に高めている。こうした状況を受け、2005年の介護保険法等の改正では、予防重視型システムへの転換、地域密着型サービスの創設といった制度見直しが実施されている。
また、こうした分野以外にも、少子化対策、次世代育成支援や雇用・労働対策など、社会保障制度を構成する諸分野において、累次の制度改正が実施されている。

●社会保障国民会議及び「中期プログラム」における議論

こうした諸分野での改革による取組みなども受け、2008年には内閣総理大臣の下に設置された社会保障国民会議において、社会保障のあるべき姿と財源問題を含む今後の改革のあるべき姿について議論がなされ、2008年11月に最終報告書が公表された。
そこでは、今日の社会保障制度が、「高齢化の一層の進行、医療・介護サービス提供体制の劣化、セーフティネット機能の低下」といった課題に直面しているという認識が示された。その上で、今後、必要なサービスを保証する「社会保障の機能強化」を進めていくことが必要であるとされた。具体的には、年金や高齢者の所得保障、少子化・次世代育成支援といった各分野に関する改革の方向性のみならず、「年齢にかかわらず能力に応じた応分の負担に応じなければならない」といった負担に関する見解も示されている。
さらに、2008年末に策定され2009年6月に改正された「中期プログラム」においては、急速に進む少子・高齢化の下で国民の安心を確かなものとするため、我が国の社会保障制度が直面する諸課題に同時に取り組み、堅固で持続可能な「中福祉・中負担」の社会保障制度を構築することがうたわれた。今後、社会保障の機能強化及び安定財源の確保を着実に具体化していくこととされている。

(3)社会保障制度に対する国民の意識

このように先進各国において国民経済に占める社会保障のウエイトが増大する一方で、様々な制度改革が進んでいるが、こうしたなかで国民の社会保障制度に対する意識はどうなっているのだろうか。

●ドイツ、フランスなどでも年金への不信感は高い

まず、我が国の状況を見よう。2008年の「社会保障制度に関する特別世論調査」によれば、現在の社会保障制度について、「満足している」又は「まあ満足している」と答えた者は全体の2割となっている。一方、「やや不満だ」又は「不満だ」と答えた者の割合は全体の4分の3に達しており、社会保障制度に対する国民の満足感が低いことを示している(第3-3-14図)。
では、同様に改革の進む諸外国ではどうだろうか。欧州委員会が実施したアンケート調査(2006年)の結果を見よう。これは、年金制度に対する信頼度を聞いたもので、社会保障制度全般に関する我が国の上記調査と同じではないが、社会保障の中で年金のウエイトが最も高いことを踏まえると、類似の調査と考えることができよう。その結果は、北欧諸国においては年金制度への信頼感は高く、フィンランドなどでは、年金制度に対して「大いに信頼している」、または「どちらかといえば信頼している」と回答した者が7割を超え、「どちらかといえば信頼していない」または「全く信頼していない」との回答が2割程度となっている。一方、フランスやドイツでは諸国では信頼感は低く、例えば、ドイツでは、「信頼している」と答えた者は全体の4分の1にすぎず、「信頼していない」と答えた者は全体の7割を超えている。
したがって、欧州諸国の中でも年金に対する国民の信頼感は大きく異なること、社会保障制度に対する不満が多いのは我が国だけの特徴ではないことが分かる。

●年金に注目が集まりがちだが、医療や介護制度に関する関心も高い

さて、一般の社会保障制度に対する代表的関心事として、年金に着目して議論されることが多い。ただし、必ずしも年金のみに対する関心が高いわけではない。先ほどの特別世論調査の結果を詳しく見ると、次のようなことが分かる(第3-3-15図)。
第一に、確かに、社会保障制度の中で満足していない分野として、年金制度を挙げる回答が最多で、7割近くがそう答えている。しかし、続いて半数程度の者が、医療制度や介護制度について「満足していない」と回答している。
第二に、緊急に改革に取り組むべき分野でも6割強の者が年金制度を挙げているが、医療制度、介護制度についてもそれぞれ5割前後の者が選んでおり、改革の必要性の認識においてこれら3分野の間で大きな差はない。
ただし、図では示していないが、満足している分野としては医療制度が2割弱で最も多い。年金がこれに次ぐが1割に満たず医療との差が大きいことにも注意が必要である。

●「高額療養費制度」をよく知っている者は約3割

予備的動機による貯蓄を考えたとき、病気による多額の出費というリスクにどう対処するかは重要である。仮に自助努力でこうした出費に備えるとすれば、多額の貯蓄が必要となるからである。しかし、我が国の社会保障制度は様々なリスクを想定して、セーフティネットを用意しているのも事実である。例えば、重い病気などにより医療費の自己負担分が一定を超えた場合、家計負担を軽減するため、その上限を超えた部分の払い戻しを受けることができる「高額療養費制度」がある。実際、健康保険組合等や医療機関において周知が行われており、この制度の適用を受けている被保険者も少なくないが、周囲に利用している人がおらず、また、本人も大きな病気にかかった経験がない場合など、この制度に対する認知度はそれほど高くないと予想される。
そこで、「家計の生活と行動に関する調査」(2009年)27を用いて、高額療養費制度がどの程度認知されているかを見よう。この調査では、高額療養費制度について「よく知っている」、「聞いたことがある」、「聞いたことがない」の3択で質問している。それによれば、以下のような状況が分かる(第3-3-16図)。
第一に、制度について「聞いたことがある」と答えた者は、平均すると全体の6割弱であるが、制度を「よく知っている」と答えた者は、全体の3割程度である。この制度で高額な医療費が補填されることを知らない場合、本来必要とされる以上に貯蓄を行っている可能性がある。
第二に、年齢が高いほど、この制度を「よく知っている」割合が多い。高齢者は特に医療に対する関心が高いと考えられることから、こうした結果は当然であろう。ただし、60歳代でも4割程度しか「よく知っている」と答えていない点にも注意が必要である。
第三に、年間収入による認知度の違いはほとんどない。一般に、低所得であるほど予期せざる出費に対して脆弱なため、それに備えて社会保障制度の内容を把握している必要性が高いはずである。しかし、実際にはそうなっていないことが分かった。

3 社会保障制度と家計貯蓄

ここまで見てきたような社会保障制度の現状や累次の制度改革はどのように家計行動に波及しているのであろうか。ここでは、諸外国のデータも参考にしながら、各種の社会保障制度が家計消費や貯蓄行動にどのような影響を与えうるのか、又は実際に与えているのかという点について、データの制約が著しい分野ではあるが、可能な限り検討を加えたい。

(1)社会保障制度と家計貯蓄:国際比較

●年金に対する信頼感が高い国ほど高齢化要因を調整した貯蓄率は低い

本来、貯蓄率は経済成長率、物価、人口構成(高齢化)、時間選好度、消費者信用市場の発達度合いなど様々な要因で複合的に決定されると考えられる。しかし、ここでは本節前半の検討を踏まえ、先進各国の貯蓄率のすう勢的な部分は高齢化要因で説明されると考え、残りの部分について社会保障制度に対する信頼感との関係を調べてみよう。
具体的には、まず、最近時点での各国の貯蓄率(家計の純貯蓄率)を、老齢人口比率(ここでは65歳以上人口を15歳から64歳の人口で除したものを使用)によって調整する。国によって高齢化要因の影響が異なる可能性はあるが、簡単のために家計貯蓄率に80年を基準とした老齢人口比率を乗じることで「高齢化要因調整後の貯蓄率」を推計する。その上で、前述の欧州委員会のアンケート調査の結果から、年金の将来に対して「信頼している」と答えた者の割合との関係をプロットする(第3-3-17図)。
その結果を見ると、年金に対する信頼感が高い国ほど高齢化要因調整後の貯蓄率が低いという関係がある。なお、日本については全く同じアンケート結果はないが、前述の内閣府「社会保障制度に関する特別世論調査」で社会保障制度に「満足している」「まあ満足している」と答えた者の割合を用いると、図の左上に位置することが分かる。
こうした結果は、単に一時点の相関を示しただけであり、明確な因果関係を意味するものではないが、今後の詳細な検討に先立って一つの仮説を与えるものである。例えばドイツでは、「ドイツの社会保障は手厚いが、なぜ貯蓄率が比較的高いのか」ということが、専門家の間で解明すべき謎(“German Savings Puzzle”)とされるが、ここで示した関係はその回答の候補になると考えられる28

(2)社会保障制度と家計貯蓄:我が国についての分析

ここでは、我が国の家計に関する個票を用い、社会保障制度への信頼感等が家計の貯蓄行動に及ぼす影響を調べよう。

●老後の生活不安や年金に対する不安が必要貯蓄額を引き上げ

まず、金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査」の個票を用い、老後の生活不安、特に年金に対する不安が老後の必要貯蓄額に及ぼす影響を見よう。
同調査では、「老後の生活資金として、主に年金を支えている方の年金支給時に準備しておけばよい貯蓄残高は、最低どれくらいだとお考えですか」という問いを設けている。この問いに対する回答額を老後の「必要貯蓄額」(ここでいう「貯蓄」はストック概念、すなわち資産の意味であることに注意)と呼ぼう。必要貯蓄額は、各世帯の世帯主の年齢や所得、現在保有する資産額、あるいは老後の毎月の生活費にどのくらい必要と考えているかなど、様々な要因により決まると考えられる。ここでは、そうした要因のほかに、老後の暮らしの心配など、回答者の意識が必要貯蓄額に対してどの程度影響するかを調べた。なお、ここで分析の対象とした60歳未満の回答者の必要貯蓄額は、平均2033万円であった(1億円超の回答はサンプルから除外)。結果は以下のとおりである(第3-3-18図)。
第一に、「老後の暮らしについて、経済面でどのようになるとお考えですか」という問いに対し「非常に心配である」と答えた者は、そうでない者と比べて必要貯蓄額が約200万円多くなる傾向がある。
第二に、その理由として「年金や保険が十分でないから」を選んだ者は、そうでない者と比べて必要貯蓄額がさらに290万円程度多くなる傾向がある。
第三に、「年金で老後の必要資金をまかなえると思いますか」との問いに「ゆとりはないが、日常生活費程度はまかなえる」又は「日常生活費程度もまかなうのが難しい」と答えた者のうち、その理由として「年金が支給される金額が切り下げられるとみているから」を選んだ者は、そうでない者に比べて必要貯蓄額が180万円程度多くなる傾向がある。
このように、老後の不安や年金に対する不安を持つ者は、他の条件が同じだがそうした不安のない者と比べて必要貯蓄額が多く、そのためのフローの貯蓄も多くなる可能性が示唆される。

●医療制度への不安が消費に負の影響

次に、家計経済研究所「消費生活に関するパネル調査」を用い、家計ごとのリスクの捉え方が家計消費に及ぼす影響について検証しよう。本パネル調査では20歳代から40歳代の未婚、既婚の女性を調査対象とし、女性が属する世帯の消費行動等を質問している。特に2002年度の調査(2003年公表)では、それぞれ「年金制度が変わり、老後生活に不安を感じる」「国民健康保険の自己負担増加により、生活に不安を感じる」「金融不安・金融機関破綻報道を聞いて、自分(家族)の貯蓄に不安を感じる」といった、公的制度に関連した自分の不安感に関する回答を得ている。ここでは、この不安の感じ方を世帯ごとのリスク要因として、当期の消費に対して与える影響を分析した(第3-3-19図付表3-7)。
その結果、年金制度や金融不安に関する不安感については消費に対する影響を確認することができなかったが、「国民健康保険の負担増」による生活不安については、消費に対してマイナスの影響を持つことが分かった。これは、医療保険への信頼感が、家計消費、ひいては貯蓄に影響を及ぼすことを示している。

3-3 流動性制約に直面する家計

流動性制約とは、手元流動性が十分なく借入れもできないため、生涯所得に見合った消費水準より少ない消費しかできないような状況を指す。自由な借入れができれば、消費者は選好に応じた異時点間の消費パターンを実現できるはずだが、実際には借入制約があり、流動性制約が問題となる場合がある。流動性制約下の家計は、手元資金を十分に調達できない分、現在の消費を抑制することになり、結果として貯蓄率が高くなると予想される。実際に流動性制約に直面している家計の割合はどの程度なのだろうか。一つの方法として、アンケート調査の結果から間接的に推測することが考えられる。まず、金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査」(2008年)で貯蓄を保有していない世帯を、流動性制約に直面する家計と捉えれば、その割合は22.1%に達する。一方、家計経済研究所「消費生活に関するパネル調査」では、過去1年のうちに借入を拒絶されたり断念したことがある家計を調べており、これを流動性制約家計とすると、その割合は2007年度調査で3.4%であった。さらに、同じく家計経済研究所「世帯内分配と世代間移転に関する研究」で同様の定義(ただし過去3年間の借入れ拒絶経験を質問している)で見ると、9.4%の世帯となった。ところが、ほぼ同様の質問を行っている内閣府「家計の生活と行動に関する調査」(2009年)によれば、22.0%の家計が流動性制約に直面していることになる。このように調査によって様々な結果が得られるが、これはサンプルや質問方法の違いによるものと考えられる29コラム3-3表)。
なお、Brady(2005)は同様の方法でアメリカの流動性制約家計の割合を試算している。FRBが行っている“Survey of Consumer Finances”の調査結果から、「過去5年間で借入れを断られたか、減額されたことがありますか」という質問に対して「はい」と答えた割合を合計しており、その割合は2001年調査で18%であった。

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