第2章 金融危機と日本経済 第2節

[目次]  [戻る]  [次へ]

第2節 金融危機の国際的波及:歴史的経験とメカニズム

本節では、過去の金融危機について概観した後、危機の国際的な波及メカニズムを明らかにする。その際、金融資本市場、実体経済のそれぞれについて、各国間でどのように連動しているかを、平時も含めて整理する。

1 過去の金融危機の概観

個別の検討に入る前に、過去の金融危機がどのようなものであったかを簡単に見てみよう。具体的には、過去最大の世界的金融危機とされる「世界大恐慌」、アメリカの「S&L危機」と「北欧の銀行危機」、日本の金融危機と同時に進行した「アジア通貨危機」、「LTCM危機」を取り上げる。

(1)世界大恐慌

以下では、まず、世界大恐慌時における主要国の主な経済指標を確認する。世界大恐慌については、様々な視点からの膨大な研究の蓄積がある。それらの研究を踏まえた上で、大恐慌がどのように日本に波及したのか、また、どのように回復したのかを簡潔に整理しよう。

●世界貿易・生産が大幅に縮小し、物価が大幅に下落

アメリカにおける金融引き締め、バブル崩壊に端を発する世界大恐慌は、日本を含む世界各国の実体経済に大きな影響を及ぼした。貿易、生産、物価に関する指標でその状況を確認しよう(第2-2-1図)。
第一に、世界貿易について見ると、1929年と比較して、32年までに金額ベース(各国通貨建て)では6割前後の減少(数量ベースでは2割減)となっている。特に、アメリカの輸出の落ち込みが大きく、33年までに金額ベースで75%の減少となった。
第二に、世界の鉱工業生産(ソ連を除く)については、32年には、29年と比べて約3割の縮小となっている。各国の動向を見ると、貿易に比べかなりばらついているが、29年と比べて、アメリカ、ドイツでは4割程度の落ち込みとなった後、ようやく35年頃に29年水準を回復している。
第三に、物価は各国とも大幅に下落した。卸売物価は、29年の水準と比べ、日本では31年までに約3割、その他の国でも30年代前半にかけて2~5割下落し、厳しいデフレ状況となった。
こうした世界経済の中で各国の状況を比較すると、日本は当初、貿易の落ち込みが最も大きかったが、回復も早かったといえる。輸出金額では、日本は円ベースでは32年から回復する姿となっている。また、生産は31年までに1割弱落ち込んだが、33年には29年水準を15%程度上回り、その後も増加を続け、35年には29年水準を4割上回るなど、早期の回復を示した。

●金本位制下で各国が引き締めを余儀なくされ恐慌が伝播

それでは、このような厳しい景気後退は、どのようにアメリカから日本を含む各国に波及したのだろうか。
第一に、最も重要な要因として、金本位制下で各国の金融政策の自由度が低かったことが挙げられる。例えば、ドイツでは、金流出を防ぐため、経済の悪化にもかかわらず引締めを行っており、日本でも金本位制復帰を目指して、デフレ政策がとられていた。各国が不況に直面するなかで、十分な金融緩和ができなかったことで、世界的な流動性の過小供給状況に陥ったのである16。31年には、各国は金流出を防ぐためにさらに引締め政策をとらざるを得ない状況となり、国内の不況が厳しいものとなった。
第二に、為替レートの変動による調整が行われなかったことである。日本は30年1月に金本位制に復帰したが、これは円の実力を大幅に上回る旧平価によるものであった。このため、円高による輸出の減少が不況に追い討ちをかけたと考えられる。日本以外では、英国が25年5月に旧平価で復帰していた。この点は、大恐慌の「伝播」というより、自ら招き入れた困難だったといえよう。
第三に、事態を悪化させたのが保護主義の台頭である。保護主義とは、輸入関税の引上げや輸入数量の割当などによって、国内生産品が輸入品と競合するのを避け、自国産業を保護するとの政策的な考え方である。アメリカのスムート・ホーリー関税法17に対する各国の報復措置が保護主義を激化させたと指摘されている。各国は植民地を抱えており、関税障壁で他の地域に需要が漏れないようにブロック経済化していった。こうしたことが、世界貿易の急激な縮小、生産の急激な縮小の長期化をもたらした(第2-2-2表)。

●日本の回復が早かった要因は金本位制からの比較的早めの離脱など

それでは、日本は、こうした厳しい状況からどのように回復が可能となったのだろうか。鍵となった政策について三点挙げよう(第2-2-3図)。
第一は、金本位制からの離脱である。31年7月にドイツ、9月に英国、12月には日本が金本位制から離脱した。日本と英国は旧平価で金本位制に復帰していたため、離脱により為替レートが大幅に減価し、輸出の持ち直しに寄与したと考えられる。他方、ドイツ、フランス、イタリアは、33~34年に為替レートが対ドルで上昇しており、輸出の減少が続いたことから、回復が遅れたと考えられる。
第二に、金融緩和である。金本位制離脱によって金融政策の自由度が回復されるのを機に、日本、英国を中心に32年にかけて公定歩合の大幅な引下げが行われた。こうした中で、為替レートの減価による輸出の増加と、金融緩和による大恐慌下のデフレ脱却の素地がようやく整うこととなった。
第三に、財政の拡大である。貨幣供給量が増加しデフレを脱却するためには、財政政策の役割が重要であった。日本では、32年6月には追加予算とあわせ赤字国債発行のための法律を成立させ、財政拡大方針をとった。その際、長期金利が上昇しなかったことも重要である。国債の日銀引受が行われたことで市場への直接の影響は小さかった。また、日銀の引き受けた国債の多くは市場で売却されており、民間資金需要が低迷していたなかで、市場に国債の消化余力があったと考えられる18
世界大恐慌時の金融政策は、金本位制離脱をめぐって対応が分かれたが、最近の研究では、金本位制からの離脱が早かった国の方が、為替レートの減価と金融緩和により、回復が早かったとの指摘がなされている。今回の金融危機に際しては、第1節で見たように、各国中央銀行が協調して大幅な金融緩和に踏み切っており、国際協調の重要性という点において世界大恐慌の教訓が活かされているものと考えられる19

(2)海外における戦後の主要な金融危機

世界大恐慌は、当時の主要先進国に不況が伝播した点で、今回の金融危機による世界的な景気後退との類似点が多い。しかし、世界全体へ伝播しなくても、過去の金融危機は多くの教訓を残している。以下では主な原因別にいくつかの危機を取り上げよう。一つ目が、金融自由化・規制緩和の影響である。代表例として、アメリカのS&L危機と、北欧の銀行危機を見よう。もう一つは、資本の自由化による、急激な資金の流れの変化とその影響である。代表例として、アジア金融危機やその後に続くLTCMの破綻を見よう。

●アメリカのS&L危機

S&L危機では、アメリカの貯蓄貸付組合(S&L)や相互貯蓄銀行(MSB)などの貯蓄金融機関が、81~82年及び86~90年代初めにかけての2回にわたり業況の著しい悪化を見た。危機の背景としては、以下の三点が指摘されている。
第一に、金融自由化による競争の激化である。貯蓄金融機関と商業銀行の垣根の撤廃と、住宅ローン証券を扱うモーゲージ・カンパニーの参入により、住宅ローン市場での採算性が大きく低下した。
第二に、貯蓄金融機関が十分なリスク管理能力を持たないまま、高リスク・高リターンの投資の割合を増やしたことである。この背景として、手厚い預金保険制度が、経営が悪化する中でもリスクや採算を度外視した投資を行うモラルハザードの誘因となった。
第三に、S&Lの検査、監督を行う連邦住宅貸付銀行(FHLB)の独立性が不十分であった上に、検査能力自体も不十分であったことである。
S&L危機のときの経済指標はどうだったか(第2-2-4図)。GDPでは、82年、91年にマイナス成長になっており、それぞれが、第一次危機、第二次危機に対応している。景気が悪化するなかでの業績の悪化により、危機がさらに深刻化することとなった。長期金利は、80年代前半では、非常に高水準にあった。高金利下での金融自由化が、競争の激化と、高リスク・高リターンの背景となったと考えられる。また、第二次危機の前には金利は横ばいで推移しており、危機後には金利が低下している。S&L危機後の銀行の貸出と預金について見ると、銀行貸出残高の伸びが大きく低下している。

●北欧の銀行危機

北欧のノルウェー、スウェーデン、フィンランドでは、80年代後半に、銀行貸出の急増や、株式、不動産の資産価格が急騰するバブルが生じた。この背景としては、S&L危機の場合と同様に、[1]金融規制の緩和による金融機関の競争激化、[2]急激な与信拡大競争や不動産投資へ傾倒するモラルハザード、[3]不十分な監督体制、が指摘されている。また、当時の北欧3か国の通貨は、欧州為替制度メカニズム(ERM)の下で事実上、ドイツマルクにペッグしていたため、東西ドイツ統一後の大幅利上げ等により、北欧諸国も引締めを行わざるを得なかったことも、景気低迷と金融危機を深刻化させた要因となった。
北欧の銀行危機のときの経済指標を見てみよう(第2-2-5図)。GDPはノルウェーでは88年、スウェーデン、フィンランドでは91~93年にマイナスになっており、アメリカのS&L危機と比べ、結果として生じた景気の低迷が長期にわたっている。その要因の一つとして、前述のように、為替レートを維持するために、景気の悪化にもかかわらず金融引締めを余儀なくされたことが考えられる。こうしたことから、スウェーデンとフィンランドでは90年には長期金利が上昇しており、その高止まりが景気後退を長期化させたと見られる。為替レートの維持を放棄して以降は大幅に金利が低下しており、金融面から国内経済の回復が支えられる姿となっている。
アメリカと同様に、危機後には銀行貸出残高の伸びが大きく低下している。また、アメリカでは預金が貸出を上回っているのに比べ、北欧では危機時において、貸出が預金を上回っている。北欧では、資本移動の自由化などから、海外から短期資金が流入し、銀行貸出の増加、不動産バブルが形成されていた。
なお、S&L危機と北欧危機では、財政支出を伴う整理・清算が行われた。この点については、第3節で再度検討する。

●アジア通貨危機

海外からの短期資金の動きによって大きな影響を受けた例としては、アジア通貨危機が顕著な例である。短期資本取引の混乱を契機に、新興国経済を中心に影響が伝播し、こうしたなかで、投機に失敗したヘッジファンドの破綻を通じて欧米の金融機関にも影響が及んだ。
当時のアジア諸国の第一の問題点は、短期資金の流入による資本収支の黒字が、経常収支の赤字を上回って大幅なものであったことである。これが、国内においてバブルを形成したと考えられる。そのため、海外の短期資金が急速に引き揚げられた際、資金流出圧力が生じ、為替レートの大幅な下落圧力が生じるとともに、銀行が資金を調達できない事態が生じ、金融危機に陥ることになったのである。
データで確認すると、アジア通貨危機国である、タイ、インドネシア、韓国、マレーシアでは、資本収支が96年まで大幅な黒字であったのに対し、97~98年にかけて赤字に転じている(第2-2-6図)。インドネシアを除けば、対内直接投資は黒字(受入超)が続いているのに対し、その他の対内投資/対外投資の部分が大きくマイナスに寄与していることが分かる。その他投資は、主に短期の銀行貸出が含まれると考えられる。危機国のアジア諸国では、現地の銀行が、短期のドル資金を借り入れて、現地企業等に長期の貸出を行っていたのである。
第二の問題点は、世界大恐慌時の金本位制、北欧危機の際の欧州為替制度メカニズムと同様、為替レートが自由な変動を行えなかったことである。アジア各国は事実上のドルペッグ制をとっていた20。タイでは、通貨防衛のため自国通貨を買い支えようとしたところへ、ヘッジファンドに売りを浴びせられたことから、外貨準備が枯渇し、変動相場制へ移行せざるを得なくなった。アジア各国も、為替レートを維持できなくなり、大幅な減価に追い込まれた。
他方、GDPの動向を見ると、為替レートが大幅に減価したことから、輸出は早期に回復し、成長率は99年にはプラスに回復している。しかし、為替の大幅な減価は、自国通貨建ての輸入価格の大幅な上昇により輸入が大幅に減少して国内需要を縮小させるとともに、ドル建ての対外債務を自国通貨建てで大きく膨張させることとなり、その影響は長く残ることになった。
なお、この後、アジア通貨危機を経験した国では、経常黒字を計上していくこととなるが、それが、2000年代からのアメリカの経常赤字の拡大の背景の一つとなっている。この点についても、第3節で改めて見ることとする。

●LTCM危機

S&L危機や北欧危機の場合には国外への波及が限定的であったが、アジア通貨危機の場合には、世界的な混乱に発展し、LTCM21のような巨大なヘッジファンドを破綻させた。
こうした背景として挙げられるのが、国際投資家の「質への逃避」である。アジア危機で、新興市場に対する国際投資家の動揺が高まっているなかで、98年8月にロシアでも金融危機が発生した。ロシアは民間対外債務の90日間モラトリアム(支払い猶予)で、一方的に債務不履行宣言をしたことから、新興市場への信頼が大きく落ちた。そのため、国際投資家の質への逃避が世界的に始まった。こうした中で、ヘッジファンドの一つのLTCMが運用に失敗し、巨額の損失を被ったことが明らかとなった。
今回の金融危機でも、金融システム安定のため、中央銀行が異例の措置をとっているが、LTCM危機の際も異例の措置がとられている。LTCMがそのまま倒産すると国際金融資本市場への影響があまりにも大きいという、文字通りの「大きすぎて潰せない」(too big to fail)という状況が生じたことから、ニューヨーク連邦準備銀行の呼びかけで関係する金融機関が緊急支援を行い、損失によって毀損した資本を補てんした。
LTCMの事実上の破たん後、金融市場ではリスクプレミアムが高まり、流動性不足が生じた。そのため、FRBは、98年9月から11月までの間に政策金利を0.75%ポイント引き下げ、金融不安の沈静化を図った。
また、日本でも、同時期に日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の破たん22が起こるなど、金融危機に陥っている最中であった。日本銀行は、99年2月にゼロ金利政策を採用し、大幅な金融緩和措置をとった。

2 金融資本市場の国際的連動性と危機の波及

以上、過去の金融危機のいくつかについて、その背景や経過を概観した。以下では、他の国も含んだ全体的な波及のメカニズムや今回との対比を意識しながら、日本への影響をやや詳しく論じていく。最初に、金融面を通じた波及を見よう。

(1)為替レートへの影響

金融危機が国際的に波及するメカニズムの一つとして、為替レートの変動が挙げられる。そこで、危機発生国における為替レートの変動と、その関係国への波及を調べてみよう。その上で、我が国への影響について、実質実効為替レートの動きを中心に考察する。

●危機発生国における為替レートの減価と関係の深い通貨への波及

危機発生国では、それまで過大に評価されていた為替レートの下落圧力がかかる。国内の好景気や資産価格の上昇等で、為替レートが増価していたものが、バブルの崩壊によって下落する。これまでに見た、世界大恐慌、北欧危機、アジア通貨危機の際は、いずれも為替レートの変動が制限されていたことから、その調整には時間を要したが、最終的には減価している。為替レートの減価は、国内的には厳しい調整を迫られるが、他方、輸出を増加させ、景気回復につながっていくことになる。
また、危機発生国で通貨が減価した場合には、関係の深い国の通貨も影響を受ける。どのような関係によって影響を受けるかといえば、第一に、地域的な近さである。北欧危機では、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドがほぼ同時期に危機に陥って為替レートが減価しており、アジア通貨危機でもタイ・バーツの大幅下落に端を発し、韓国、インドネシア、マレーシアを始めとする東アジア諸国に波及した。第二に、発展段階が似通った国に影響が及ぶ可能性が高い。例えば、アジア通貨危機では、新興市場に対する国際投資家の信認が動揺するなかで、ロシアの金融危機が発生し、さらには、ブラジルにも通貨危機として飛び火していった(第2-2-7図)。

●日本円への影響は今回が最大

さて、為替レートは通貨の相対価格であるから、危機発生国等の通貨の減価は、その他の国の通貨の増価を意味する。したがって、日本もこのルートから何らかの影響を受ける可能性がある。これまでに取り上げた戦後の金融危機のうち、このような影響が見られたケースとして、アジア通貨危機、LTCM危機を取り上げ、円レートの動きを振り返ってみよう(第2-2-8図)。
アジア通貨危機においては、日本の輸出に占めるシェアが当時すでに4割程度に達していたアジア諸国の通貨の下落は、円の実質実効為替レートを増価させる方向に働いた。当時、我が国自身も金融危機に見舞われており、円は対ドルでは減価基調にあった。しかし、アジア通貨安のため、実質実効レートで逆にやや高めに推移することになった。
LTCM危機の後には、一時、急激な円高ドル安が生じている。実質実効為替レートも大きく増価した。それまで、低金利通貨である円を調達して高金利の新興国通貨に投資するという形の円キャリートレードが行われていたが、危機を受けてその巻き戻しが進んだことも寄与した。
今回の円高はこれらの危機のときと比べてどう評価できるだろうか。2007年半ばにサブプライム住宅ローン問題が顕在化した後の動きは、LTCM危機の後と同様に、危機国の通貨の下落とともに円キャリートレードの巻き戻しによる円の増価があった。対ドルレート、実質実効為替レートともに増価が見られるが、それほど急テンポでもない。しかし、2008年のリーマンショック後は、対ドルでは緩やかな動きだが、実質実効レートでは急激な円高が生じた。これは、アメリカに加え、欧州、資源国の通貨などが一斉に減価したためである。

(2)国内金融資本市場への影響

日本の金融資本市場は海外の市場とどのように連動し、今回の危機でどのような影響が及んでいるのだろうか。過去と比べ、金融資本市場の連動性が高まっているとすると、海外の影響が、国内へ波及してくる度合いが高い可能性がある。海外での金融危機の影響が国内の金融資本市場に及ぶ主要なルートとしては、為替レートの変動のほか、株価の変動と、長期金利の変動が考えられる。まずは、海外の株価の変動が、国内の株価とどのように連動しているのか見てみよう。

●株価の連動性の変化

今回の金融危機では、日本の金融機関の関連金融商品等からの損失が限定的であったため、日本国内への影響で最も注目されたのは、株価への影響だった。特に、東京市場は、アメリカのニューヨーク市場の影響を大きく受けて変動した23
ただし、アメリカの株価との連動性は、各国の株式市場にも当てはまることであり、日本に特有のことではない。2000年以降について見ると、世界的に景気が回復してきた中でほぼ同時に景気後退に突入したという景気循環の同時性があることから、各国の株価が同じような動きをしている。ただし、そうしたトレンドを除去した上で、各国の株価の変化について見ても、強い連動性が観察される(第2-2-9図)。特に、2003年頃からの欧州諸国とアメリカの株価の連動性は極めて高い。むしろ、日本とアメリカの株価の関係が高まっているのは、最近のことである。
こうした最近の連動性の高まりのなかで、危機の影響が小さいはずの日本の株価がなぜ一番下落するのか、といった疑問の声も強かった。以下ではその点について見よう。

●株価の連動では、日本発の影響は比較的小さい

連動性が高まった背景には、資金の流れが、投資先を探してグローバルな動きとなっていることが挙げられる。すなわち、資金力の大きい欧米の投資ファンド等が、各国株式に分散投資することにより、各国株価に対する影響力が大きくなっているのである。また、投資ファンドの行動として、各地域の投資割合を一定範囲内に収めようとして、ポートフォリオの調整が行われていることが指摘されている。日本の株式市場でも、外国人投資家の売買比率が約6割(2008年実績)と高いことから、海外の株価の動向との連動性が高い。
日本の株式市場は、海外からの影響を受けるのは事実だが、もちろん、国内の景気動向を受けて独自の要因でも変動する。それでは、日本の株式市場の変動は、海外にどの程度影響を及ぼしているのだろうか。そこで、各国株価の変動の連動性について、各市場の株価が1%変動したときに、他の市場に累積で何%の影響を与えるのかといった簡単な試算を行った(第2-2-10図)。この結果によれば、アメリカや欧州諸国の株価の変動を日本は大きく受けるが、日本の株価の変動は、アメリカや欧州諸国の株価に与える影響は比較的小さい。地理的に近い香港については、香港から日本への影響と、日本から香港への影響が同程度となっている。

●名目長期金利の連動性

長期金利は、理論的には、期待実質成長率、期待インフレ率に、リスクプレミアムが上乗せされて決まるとされる。また、金融危機が生じた場合、世界的には「質への逃避」「流動性への逃避」により国債が買われ、長期金利が低下することが考えられる。一方、危機の当事国では財政の悪化などに伴ってリスクプレミアムが上昇する可能性もあろう。
ここでも、株価で行ったのと同様に、トレンド部分を取り除いた上で、各国の長期金利とアメリカの長期金利との連動性を調べてみよう(第2-2-11図)。それによれば、以下のような観察が可能である。
第一に、株価と比べ、総じて見ると相関係数が高めで、アメリカの長期金利との連動性が高いことが分かる。これは、国債は国際的に広く取引され、裁定が働きやすいことを反映していると考えられる。
第二に、日本については、90年代後半から2000年代前半にかけて、連動性が弱まった時期が長い。これは、日本自身が金融危機の当事国であり、また、デフレ的な状況であったことを反映していると見られる。もっとも、欧州諸国も連動性が一時的に大きく低下する場面があった。例えば、92~93年には一斉に連動性を失ったが、これはポンド危機など一連のERMにおける混乱が生じた時期に当たる。また、97、98年の低下については、アジア通貨危機からLTCM危機等の世界的な金融混乱の時期に当たる。
第三に、今回の危機では、多くの国で連動性が高まる傾向にある。これまでのインフレ懸念が、リーマンショックを経てデフレ懸念に代わり、各国で期待成長率の低下が同時に生じたためと考えられる。

●実質長期金利の連動性

それでは、名目長期金利から期待インフレ率を引いて得られる実質長期金利の連動性はどうだろうか。理論的には、期待インフレ率を引くことで各国による金融政策の違いの影響が弱まるため、実質長期金利は一層連動性が高いと考えられる。そこで、最近の主要国における実質長期金利(期待インフレ率は現実のインフレ率を代用)の動きを直接比較すると、以下のような特徴が分かる(第2-2-12図)。
第一に、各国の間でおおむね連動していることが分かる。特に、日米の名目金利の連動性が弱まっていた2000年代前半でも、動きは比較的似通っている。実質ベースでの連動性の高さが示唆される。
第二に、2007年半ばのサブプライム住宅ローン問題の顕在化以降、実質長期金利は低下を続け、2008年後半になって反転している。もっともこの反転は、期待インフレ率として現実のインフレ率(前年比)を用いたため、過大に推計されている可能性がある。
このように、アメリカの長期金利との連動性が高まっているなかで、今後、アメリカの金利上昇が日本に波及して実力以上に国内金利が上昇する場合、景気回復に悪影響を及ぼす可能性があることに注意が必要である。

(3)不動産市場への影響

今回の金融危機の波及において、従来と異なる要素の一つは、REITを通じた不動産市場への影響である。これについて調べてみよう。

●REIT市場を通じた不動産市場の連動性

本来、不動産は主として国内の需給により価格が決まる傾向が強い。しかし、最近では、REIT市場が発達し、そこへ海外の資金が流入することで国際的な金融資本市場の情勢が国内の不動産価格にも大きな影響を及ぼすようになっている24。こうした状況が生じた背景としては、第一に、REIT市場では、投資口の時価(株式会社の株価に相当)等が公表されていることや、不動産が生み出すキャッシュフローやそこから不動産価格を求める収益還元価格に着目して投資が行われる傾向があるため、国際的な収益の比較が容易で裁定が働きやすいこと、第二に、世界的な低金利を背景に商品としての人気が高まりリスクマネーの受け皿となったこと、が挙げられる。その結果、世界のREIT市場、さらには不動産市場の連動性が高まってきたと考えられる。
世界のREIT市場では、アメリカ、オーストラリアの歴史が古く、2007年夏時点では規模もそれぞれ1位、2位であった25。そこで、比較の対象としてこの2市場を選ぼう(第2-2-13図)。今回のサブプライム住宅ローン問題の顕在化に先立ち、アメリカのREIT市場は2007年3月ころから、日本では5月ころから下落を始めており、オーストラリアでも2007年12月には下落に転じている。その後、リーマンショック後は3市場とも急激に下落している。一般に、REITの株価は変動(ボラティリティ)が小さく安定性が高いといわれていたが、金融危機後は変動幅が大きくなっており、特に金融危機の震源地であるアメリカにおいてその傾向が著しい。

●REIT市場と株式市場の連動性

REIT市場は、国内の他の金融資本市場との代替関係も高まっており、それらの市場からの影響も大きく受けている。各国のREIT市場と株式市場での株価の関係を見ると、日本ではREITが下落を始めた2007年5月以降、連動性が極めて高くなっている(第2-2-14図)。一方、アメリカ、オーストラリアでは、2007年以降株価に先んじてREIT市場が下落基調に入ったことから、連動性が見られなくなっていたが、2008年以降は株価の下落とともにREIT価格も一層の下落局面に入っており、両者の関係が強まっている。また、日本のREITとアメリカ、オーストラリアとの連動性は高く、リーマンショック後には、その連動性はさらに高まっている。
なお、他の金融資本市場との連動のほか、REIT市場の固有の問題としては、REITの混乱と不動産市況の悪化が悪循環に陥っている面がある。これまでREITによる物件の取得が不動産市況を活性化してきたが、内外で損失を被った投資ファンドや金融機関が損失のカバーや流動性の確保のために資金をREIT市場から引き揚げる一方、国内金融機関も景気の悪化等から不動産向け融資に対して慎重になっている。また、こうした資金の流出が、不動産市況の悪化の要因となり、さらにREIT市場の低迷につながったと指摘されている。こうしたことから、REITによる不動産取得の低迷を通じ、国内の建物投資に対する下押し圧力が続く可能性がある。

3 実体経済の国際的連動性と危機の波及

これまで、金融危機の金融資本市場に与える影響について調べてきた。今回の金融危機においては、少なくとも戦後の主要な危機のときと比べて、為替レートへの影響は大きく、株価、長期金利の連動性は高まっている。またREITを通じた不動産市場への影響も無視しえないことが分かった。次に、海外で発生した金融危機が日本を含むその他の国の実体面にどう波及するかを見よう。

(1)世界景気の連動性と国際貿易

世界経済のグローバル化が進むなかで、海外経済と国内経済の連動性は高まっている。こうした連動性の高さが、今回の金融危機の影響について、我が国の実体経済への波及を大きくしている可能性がある。

●経済成長率の国際的連動性とその変化

まず、先進国間での実質GDP成長率の連動性について見よう(第2-2-15図)。これは、94~2000年、2000~2009年の2つの期間に分けて各国の成長率の相関を求め、それを単純に平均したものである。それによれば、2000年以降は、それ以前と比べて連動性が大きく高まっていることが分かる。この背景としては、以下のメカニズムが考えられる。
第一に、各国の成長に影響を及ぼしたショックの違いである。2000年以前は、日本やアジアの金融危機、ロシア危機やLTCM危機など地域的なショックがしばしば発生した。一方、2000年以降は、ITバブル崩壊、今回の金融危機といったように、世界経済への影響の大きいアメリカでショックが発生した。
第二に、これまで見てきたような、金融資本市場における連動性の高まりである。グローバルな投資家の活動が、各国の株式市場や不動産市場などに影響を及ぼし、これが実体経済を同じ方向に動かした面があったと考えられる。
第三に、貿易関係の強まりを通じた連動性の高まりである。新興国も含めた財・サービスの取引のネットワークが拡大し、取引額も増加することで、外需の動きが各国の実体経済を同じ方向に動かした面もあったと考えられる。以下では、この貿易を通じた連動性の高まりについて、やや詳しく論じてみよう。

●貿易の拡大が経済成長率を同期化

貿易関係が強まったことによってGDP成長率の連動性が高まったかどうかは、内需成長率の連動性と比べることで明らかとなる。上記と同じ方法で、主要先進国の内需成長率の平均的な相関係数を求めてみよう(第2-2-15図(2))。
その結果、第一に、予想されたとおり、内需の相関はGDPの相関より総じて低い。すなわち、外需の存在によって、GDP成長率の連動性は内需より高くなっている26。第二に、2000年の前後で比べると、GDPの相関と内需の相関は高まっているが、GDPの方の高まりが大きい。これはこの間の貿易の拡大を反映していると考えられる。第三に、日本とドイツの内需成長率の各国との相関は低いが、GDPの相関は他国の場合と同じ程度である。これは、日本、ドイツの成長率に対する輸出の寄与が大きいことを反映していると考えられる。
なお、先進各国だけでなく、世界経済との連動性という観点でみれば、貿易の拡大が各国の成長率の連動性を高める効果は、輸出と輸入ではメカニズムが違う。輸出の寄与は、新興国も含めた世界経済の成長という同じ原因から生じている。したがって、輸出の寄与が大きい国のGDPほど、他国のGDPと連動しやすい。一方、輸入の寄与は内需が強いほど大きくなる。内需は他国との相関が弱く、独自の動きをしやすい。しかし、内需の強い国は輸入の分だけ、GDPの変動はその独自性が弱まることになる。
近年における貿易関係の強まりは、アジアの新興国が牽引している。これを確認するため、各国の貿易総額(輸出+輸入)の推移に着目しよう(第2-2-16図)。それによれば、アメリカ、EU、日本の貿易総額は、対アジア貿易の急速な増加に引っ張られる形で、伸びが高まってきたことが分かる。特に、地理的に近い日本では、貿易総額の伸びに対するアジアの寄与度が極めて高くなっている。

●これまでの金融危機の貿易への影響

それでは、次に、過去の金融危機が世界貿易の縮小をもたらした様子を確認しよう。このような例としては、世界大恐慌やアジア通貨危機が挙げられる。また、金融危機というわけではないが、2001年頃のアメリカのITバブル崩壊も、貿易の縮小をもたらした点で記憶に新しいため、あわせて検討してみよう。
世界大恐慌の際の貿易の縮小については、すでに第2-2-1図で各国通貨ベースの動きを示したが、ここでは改めてドルベースで見よう(第2-2-17図)。29年を100とする指数では、震源地のアメリカの落ち込みが大きいが、各国とも29年の水準の4割程度まで輸出総額が縮小し、それが長期化している。一方、アジア通貨危機の際には、アジア、日本で輸出が落ち込んでいるが、アメリカ、EUでは増加基調が続いており、世界全体でもわずかな減少にとどまっている。また、図では示していないが、ITバブル崩壊後には震源地のアメリカで2001~2002年に輸出の減少が見られたほか、アジア、日本でもその影響を受けている。
日本の貿易(輸出+輸入)の減少に対する寄与度を見ると(前掲第2-2-16図)、アジア通貨危機時はアジアとの関係でのマイナスの寄与度がほとんどであるが、ITバブル崩壊時は、震源地のアメリカとの関係だけでなく、アジアでもマイナスが大きい。
輸出入別(数量ベース)では、アジア通貨危機後には、アジア通貨の大幅な減価により、アジア諸国の輸入が大幅に減少したことから、日本のアジア向けの輸出は大きく落ち込んだが、アジアからの輸入の落ち込みは小さかった。他方、ITバブル崩壊後は、アメリカの景気後退により、アメリカ向け輸出が急速に減少したほか、アジア向けの輸出も同様に減少している。
今回は、世界大恐慌時には及ばないが、第1章で見たように主要国の輸出が大幅な減少となり、世界全体でも2008年10-12月期にはドルベースで前年比5%程度縮小している(前掲第1-1-2図)。これは、震源地のアメリカや、金融危機が拡大した欧州で大幅に内需が縮小したことによる。日本への影響については、第1章で分析したように、バブル的な消費の消滅や消費者ローンの縮小により、日本からの米欧向けの輸出が減少しただけでなく、米欧への輸出を拡大してきたアジア諸国に向けた日本からの輸出の減少として現れている。そのほか、新興国、途上国向けの輸出では、貿易金融などの信用収縮の影響などが加わった27。こうして、世界的に貿易取引の縮小が生じたのである。

(2)金融資本市場の連動性を通じた実体経済への波及

金融危機によって当事国以外の実体経済が一斉に悪化する可能性として、金融資本市場への影響を介して各国の国内で実体経済を悪化させるというルートがある。為替レートの実体経済への影響は貿易の縮小という文脈ですでに述べたので、ここでは、国内金融資本市場を通じたメカニズムを考察した上で、実際にそれが生じうるのかについて過去のデータから検証しよう。

●直接金融経由、金融機関の自己資本経由、不良資産経由が主要なルート

金融危機が他国の国内金融資本市場に波及する仕組みについて、今回の危機の我が国への波及状況に触れつつ改めて整理すると、以下の三つのルートになろう。
第一は、金融機関が危機当事国に対する債権を保有し、それが不良債権化したために、貸出態度が慎重化するルートである。今回、我が国の金融機関はサブプライム住宅ローン関連28やリーマン・ブラザーズ向けの債権の保有は少なかったため、このルートによる影響は相対的に軽微であった。
第二は、株価の下落等により、国内における企業の資本調達が困難になることである。今回のように、株価の下落等を背景に投資家のリスク回避姿勢が高まり、社債・CP市場での資金調達が困難になる、というケースも広い意味ではこれに当たる。こうしたルートは、国内の金融システムが直接金融を中心とする場合に特に深刻な影響をもたらす。
第三は、同じく株価の下落等が、国内金融機関の自己資本を毀損し、結果として貸出態度が慎重化するルートである。今回、このルートによる影響が懸念されたが、これまでのところ、深刻な状況には至っていない。

●金融機関経由の影響については過去の危機では識別できず

こうした金融危機の波及のうち、特に金融機関経由分について、アジア通貨危機やLTCM危機などの際の各国への影響を調べてみよう。ただし、データの制約から、各国の金融機関の純利益を中心に着目する。株価下落や不良債権の影響は、結局は純利益に反映されるからである。結果は以下のとおりである(第2-2-18図)。
第一に、危機当事国では金融機関の純利益の減少が明確に現れている。S&L危機時のアメリカ(86年~90年代初め)、金融危機後の日本(98年)、アジア通貨危機時の韓国(97~98年)、銀行危機時の北欧(90年代初め)、いずれにおいてもそうした状況が見て取れる。また、金融機関の経営状況についてのマーケットの評価が現われていると考えられる、金融機関の株価を見ても、データが確認できた日本、韓国において、大幅に下落している。
第二に、しかしながら、当事国以外では危機の波及による金融機関の純利益の大きな落ち込みは確認できない。これには、日本の金融危機時のように、自らの危機で大きく減益となったため、他国の危機の波及が識別できない場合もある。しかし、例えば地理的にロシアに近い北欧でもLTCM危機の際に純利益の顕著な減少は見られない。
こうしたことから、金融機関経由の実体経済への影響は、過去は基本的に当事国内が中心であったと考えられる。その意味で、今回の金融危機は、欧州の金融機関でサブプライム住宅ローン関連の損失が膨大なものとなるなど、これまでにない国際的な広がりをもたらしたといえよう29

2-4 家計の景気判断等の根拠

今回の世界的な金融危機は、ニュースを通じても家計のマインドを冷え込ませ、消費行動に影響を及ぼしている可能性がある。日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」では、家計の景気判断とともに、判断の根拠を尋ねている。それによれば、これまで「自分や家族の収入の状況から」が判断根拠の第1位を占めていたが、サブプライム住宅ローン問題に伴う金融不安の発生後に、判断の根拠として「マスコミ報道を通じて」との回答の割合が高まり、2008年12月調査から第1位となった(コラム2-4図)。
これは、海外発の金融危機について、自分や家族が実感しているわけではないが、マスコミの報道を通じて、先行きの影響を懸念していることを意味する。こうしたルートによる家計への影響が個人消費などの支出をどの程度冷え込ませたかは明らかではない。しかし、景気の悪化がさらなる悪化を呼ぶ、という累積的メカニズムの一端を担っている可能性は否定できない。

[目次]  [戻る]  [次へ]