平成9年
年次世界経済報告
金融制度改革が促進する世界経済の活性化
平成9年11月28日
経済企画庁
第1章 世界経済の現況
1996年には年間を通してほぼ安定していたドルは,96年10~12月期頃より増価し始め,97年に入ってからも総じて増価している。モルガン銀行発表の名目ドル実効レートでは,96年6月から97年6月の1年間で5.5%増価した。この間,96年12月~97年4月にかけては7.2%と急激に増価した。その後,急ピッチで進んだドル高に対する懸念から,軟化した局面もあったが,依然として好調なアメリカの景気に下支えされたドルに対する需要は強く,97年7~9月期では再び増価している。
為替市場における需給に影響を与える要因を特定することは困難であるが,一般に長期的なトレンドは,購買力平価からみる均衡為替レートに収斂するといわれている。95年前半以降のドルの増価は,まさにこの動きであった(第1-5-1図)。一方,短・中期的な変動要因としては,各国間の資産収益率の格差(実質金利差など),累積経常収支赤字の変動など,様々なものが考えられる。97年1~3月期の比較的短期間の急激なドル相場上昇は,国際的な投資活動が益々拡大する中で,内外金融資産に対する選好基準としての金利差の影響が大きかったとの見方がある。事実,同時期のアメリカの証券市場における海外からの対内証券投資額は拡大していた(第1-5-2図)。
ドルの対円での動きを見ると,96年6月から97年6月の1年間で4.6%増価した。特に96年12月から97年4月には,9.3%と大幅に増価し,5月初旬には1ドル=127円台となった。この間の金利差についてみると,両国間の景況感の差異を背景に,実質長期金利差は96年末以降近年にない水準まで急速に拡大し,97年4月にピークとなった(第1-5-3図)。アメリカでは,将来的なインフレリスクに対する予防的な手段としての利上げ観測がほぼ一貫して台頭してきた一方で,日本では,景気先行き懸念などから超低金利政策の持続観測が台頭していた。このため,ドル資産を保有するインセンティブが,円資産を保有する場合よりも相対的に高くなったと考えられる。
次に,ドルの対マルクでの動きをみてみると,96年6月から97年6月までの1年間では11.5%と大幅に増価している。97年に入ってからも1~3月期,4~6月期とほぼ一貫して増価し続けてきた。いくつかの物価指数から計算した購買力平価を総じて上回る増価の要因としては,後述の97年4~6月期より顕在化してきたソフト・ユーロ化観測の台頭などが挙げられる(前掲第1-5-1図)。
ヨーロッパ各国の為替相場の動向については,ドイツの金利低下や欧州通貨統合実現への期待の高まりなどから,96年初めから,対マルクで総じて上昇基調となった。96年11月にはイタリアのERM復帰(厳密には,ERM内での介入義務の再開)も実現した。
97年に入ってからの特徴的な動きは,通貨統合参加予定国の通貨の相場がほぼ横ばいとなったのに対し,ポンド,スイスフランといった非参加予定国の通貨が上昇したことである。これは,財政赤字や政府債務残高の高い国が通貨統合に参加することによって,新通貨ユーロが弱い通貨になるといったソフトユーロ観測が広がり,通貨統合参加予定国からの資金逃避が発生した結果と考えられている。また,イギリスでは景気の拡大が加速するなど,経済のファンダメンタルズも大陸諸国に比較し良好であったことなどから,ポンド相場は大幅高となった(なお,アジア通貨の動向については,第1章第4節参照)。
コラム1-6 ソフトユーロとは
欧州通貨為替相場の動向を説明する際に,「ソフトユーロ」といった言葉が広く使用されている。ここでは,97年上半期に「ソフトユーロ」が焦点となった事例を概観し,「ソフトユーロ」とは何なのかを考える。
97年4月22日,シラク大統領は下院を解散し総選挙を行うと発表した。欧州通貨統合の参加条件を満たすためには,それまで以上に国民の負担を求める必要があったが,国民に不人気な政策を取って任期満了による98年3月末の総選挙を迎えては,選挙戦に敗れる可能性が高いと当時の政権が考えたことが,解散総選挙の直接の理由と言われている。
当初は,アンケート結果をもとに連立与党が勝利するとの見方が優勢であったが,6月1日の選挙結果は予想に反して,左派(社会党・共産党他)の勝利となった。左派は選挙公約に「今まで以上の財政緊縮策はとらない」「雇用創出を最優先する」などの政策を挙げており,EMU参加には前向きであるものの,前政権の財政緊縮路線から方向転換するのではないかとの見方がなされた。
こうしたこともあって,市場では欧州通貨統合参加の収斂条件については柔軟な解釈がされる,つまり参加基準が緩くなり,財政赤字・政府債務残高の多い国の通貨統合参加が可能となると考えられた。新通貨ユーロの価値は,厳格な通貨統合参加基準を満たす国のみでスタートする場合に比べて低いものとなると予想され,これを表現して「ソフトユーロ」という言葉が使われた。
97年5月15日,ドイツの97年税収が当初見通しを大きく下回ると発表され,同時にドイツ連銀の保有する金・外貨準備再評価による財政補填についての議論が生じた。当時,ドイツの97年財政赤字のGDP比は3.0%を上回るとの予測がOECDや民間経済研究所などから発表され,政府は通貨統合参加基準を達成するために,何らかの方策を示す必要に迫られていた。
しかし,金・外貨準備の評価替は単なる会計操作であり,それまで厳格な収斂基準を主張していたドイツが会計操作を行うとなると,その他の通貨統合参加見込国でも会計操作が横行するとの見方が広がった。
実際は参加基準を満たしていない国でも,会計操作によって通貨統合に参加できるとなれば,参加国全体の経済レベルも低いものとなり,新通貨ユーロは「ンフトユーロ」となるであろうといわれた。
なお,その後6月半ばには,前述のドイツ連銀保有の金・外貨準備再評価益は97年中には国庫に繰入れられないこととなり,通貨統合の参加基準には直接影響を及ぼさないこととなった。
以上の2件をみると,「ソフトユーロ」とは通貨統合の参加基準が緩くなる,もしくは会計操作で,本来参加できないような国が通貨統合に参加することで,厳格な参加基準を満たす国のみで通貨統合がスタートする場合に比べて,新通貨ユーロの価値が低いものとなる状態を指していると考えられる。
97年上半期は「ソフトユーロ」観測が強くなると,通貨統合参加予定国の通貨の価値が,その他の国(アメリカ・イギリスなど)の通貨に対し,減価するといった現象がみられた。今後も,通貨統合参加国が正式に決定されるまでは,欧州為替相場の動向が注目される。
(上昇ピッチ速まったアメリカ・欧州株価)
欧米の主要株価指数は,96年後半より総じて上昇速度を速めており,97年に入ってからは更に加速した。96年9月から97年9月までの1年間の株価指数の動きをみると,アメリカが35.6%,ドイツは55.6%,イギリスは27.6%それぞれ上昇した,(第1-5-5図)。しかし,10月下旬には香港の大幅下落に伴ない,不安定な動きとなっている。
これまでの株価上昇の要因としては,アメリカ・ドイツ・イギリス各国とも,①企業業績が改善していること,②物価が安定していることなどが挙げられる。特にドイツの急速な上昇は,マルク減価が進んだことが要因と考えられる。
この様な急激な上昇の中で,PER(Price Earnings Ratio,株価収益率:株価が1株当たり利益の何倍まで買われているかを示す)は,87年10月のブラックマンデー直前の水準と比較すると総じて高水準にあり,割高感が増していると懸念されている。しかし,一方で,長期債利回りと株式益回り(PERの逆数)を比較したイールド・スプレッド(長期債利回り-1/PER)を見ると,-逆に総じて低水準にあり,ブラックマンデ一直前の水準と比べるとそれほど割高感はないと見ることもできる。
アジアの株式市場は,総して下落している。特にASEAN諸国株価の下落は顕著であり,96年12月から97年9月までの動きをみると,タイが37.8%,マレーシアが32.9%,フィリピンが33.6%それぞれ低下した(第1-5-6図)。
これらの要因としては,①タイを中心に依然として低調な輸出,②各国とも上昇している金利,③不良債権問題などの金融システム不安,などがあげられる。
93年以降上昇に転じ,上昇基調で推移してきた国際商品価格は,95年後半から96年前半にかけて穀物価格や石油価格の上昇などにより更に上昇基調を強めて椎移した。その後,国際商品価格は調整局面を迎え97年初頭まで低下基調で推移した後,半ばにかけて反発するが同年7月には穀物価格や金の下落などを背景に急落した。8月以降は再度反発するが依然調整を続けている。
主要な国際商品先物価格から算出されるCRB(Commodity ResearchBureau)商品先物指数(1967年価格=100)の動きをみると,96年に入り月平均240台前半で始まったが,95年8月からの上昇基調の強まりを引き継ぎ96年4~5月では250台後半まで上昇した。97年2月には230台後半まで低下した後2~6月にかけ250台前半まで反発するが,7月には230台半ばと2年振りの低水準となる。その後上昇し9月では240台前半での推移となっている(第1-5-7図)。
商品別では,96年後半より非鉄金属の銅,亜鉛など,97年に入リコーヒー,ココア,砂糖などが上昇する一方で,96年半ばまで上昇していた穀物価格は急落し,その後も大豆を除き弱含みで推移している。貴金属では金,銀共に弱含みで推移し,金価格については各国中央銀行の売却などを背景に97年央に12年ぶりの安値となった。
90年に湾岸戦争を背景として一時月平均35ドル以上に急騰した原油価格(北海ブレント・スポット価格)は,それ以降低下基調で推移し93年末には先進国の石油需要の伸びの鈍化などにより13ドル台まで低下した。その後,94年以降に世界需要の伸びなどを背景に上昇基調に転じた。96年に入り原油価格は月平均17~24ドル台と上昇基調を強め,後半には湾岸戦争以来の高値を付けた。
97年に入ってからの原油価格の動きを見ると,96年後半に24ドル台となった後低下基調に転じ,同年半ばには17ドル台まで急落した。その後OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries)会議での生産割り当て遵守決議などで19ドル台まで上昇するが,9月現在では18ドル台と弱含んでいる。
97年に入って低下基調を強めたのは,主に米国の暖冬,その後の欧州,米国での温暖な気候により需要が減少したこと,また需要を大幅に上回る供給増加により供給過剰となっていることなどが挙げられる。
供給増加の主な要因としては,①96年5月に合意されながら延期となっていた国連決議に基づくイラクの限定的石油輸出が12月に再開されたこと(半年で20億ドル相当分,1億2,000万バーレル),②その後97年6月には同イラクの限定的石油輸出の延長が承認されたこと(半年で20億ドル相当),③ベネズエラ,ナイジェリアなど一部のOPEC加盟国の生産枠上限を超えた生産(1日あたり160万バレル,MEES(Middle East Economic Survey)調査),などが挙げられる。また6月にウィーンで行われたOPEC総会では,97年下半期の生産上限を据え置き,超過生産各国は生産枠を守ることで合意した。
コラム1-7 低迷する金価格
80年に1トロイオンス当たり700ドルにまで迫った金価格は,その後長期にわたり低迷している。昨年はベルギー,オランダの中銀が金を売却したが,97年7月初旬にオーストラリア連邦準備銀行が保有金の売却を表明したのを機に,投機的要素も加わり金価格は急落し,85年以来12年振りの安値となった。コステロ豪蔵相は,「国際金融システムの中で金は重要な役割を果たさなくなった」と語っている。
近年の金価格低下の背景を考えてみると,①世界的インフレの沈静,②資本移動のグローバル化,③相次ぐ中銀の金売却,④政治・経済リスクの後退,⑤新産金国の低コストの金生産,などが挙げられるだろう。また7月の金価格の急落も,これらの要因が絡み必然的に生じたとも考えられる。
金は世界で共通の価値が認められ,究極の資産という伝統的考えのもと常に投資対象,資産のインフレリスクヘッジに使われてきた。しかし冷戦崩壊後,政治・経済リスクが後退し,近年の世界的な低インフレの下で金に対する価値観が変わってきている。またグローバル化が進展する中で,投資対象市場,投資対象商品が飛躍的に増加しており,ディリバティブなどのリスクヘッジ手段も一般化してきたことにより金も数ある投資の商品の一つに過ぎなくなってきている。さらに一部中銀による金売却や保有率を引き下げる動きもみられる。生産面においても南米などの新産金国は,南ア,オーストラリアなどの1トロイオンス340~350ドルの生産コストに比べ300ドル以下とされている。
このような状況の中で保有する金を効率よく運用したり,利用したりする国も出てきている。効率運用の観点に立てばリターンの低い資産を減らす動きは出てくるだろう。金の保有には様々な目的があるが,国によってはより高いリターンを求めて移動したり,有効に活用することも考えられているようだ。また近年,先進国のインフレ率は低位安定状態にある。国家が国家資産の保険である金の伝統的な役割を見直し始めている可能性があるのではないか。