平成8年

年次世界経済報告

構造改革がもたらす活力ある経済

平成8年12月13日

経済企画庁


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第1章 世界経済の現況

第5節 再び拡大に向かう国際金融市場

95年前半にメキシコ通貨危機などを契機として急落したドルは,95年後半に入ると上昇に転じ,96年も上昇基調で推移している。一方,主要先進国の長期金利は95年に入ると下落したが,96年になると各国でやや相違が見られる。株価は95年後半からアメリカ株式を中心に強含みで推移している。国際資金フローは95年から再び拡大に転じている。また,商品・原油市場も高水準となっている。

1 95年後半からのドル上昇

95年前半に対主要通貨で急落したドルは,年後半から96年前半にかけて回復した。アメリカの貿易ウェートで加重平均した名目ドル実効レート(モルガン銀行発表の指標)は,95年6月末から96年6月末までに9.3%増価した。主要通貨別に見ても,対マルクでは10.3%,対円では29.5%それぞれ増価した(ニューヨーク市場終値)。その後96年7月から10月時点においてもドルは安定して推移している。

(ドルは長期的なトレンドに回帰)

95年後半からのドル上昇は,購買力平価(注1-4)からみたいわゆる「均衡為替レート」への回帰であったと考えられる(第1-5-1図)。

95年のドル・マルク,ドル・円の購買力平価の推移とそれぞれの実勢相場の推移を比較すると,95年前半のドル安は,幾つかの物価指数から計算した購買力平価よりもドル安に振れており,明らかに「行き過ぎ」であったといえる。

従って95年後半からのドル高への反転は,その修正として位置づけられる。

また,95年後半からのドル回復の動きを促進させた要因として,①95年4月,G7においてドルの下落に対する「秩序ある反転(orderlyreversal)」が合意され,それに基づいた先進主要国の効果的なドル買い協調介入などから市場のドル下落予想が後退したこと,②対日を中心にアメリカの経常収支赤字の縮小が明確になり,ドル保有リスクが弱まったこと,③ドイツにおいては95年後半に急速に景気が減速したことなどから,96年半ばまで利下げ観測が続き,マルク資産保有のインセンティブが弱かったこと,④日本においても96年半ばにかけて景気回復が緩やかなものに止まっていることや住専問題をめぐり,低金利維持の観測が続き,円資産を保有するインセンティブが同様に弱かったこと,⑤96年に入ってから,アメリカの景気拡大や株価など資産価格の上昇などもドル資産の選好性を高めたこと,が考えられる。

(今後のドルの動向)

95年後半からのドル上昇により,96年半ばには購買力平価からみていわゆる「均衡為替レート」に回帰したといえる。そこで,96年半ば以降のドル相場について,まずアメリカの貿易財産業と各国の貿易財産業の生産性上昇率の格差に注目してみると,90年代に入り,アメリカ企業の生産性が上昇しているとの指摘もあるが,ドル高基調が長期的に続くかどうかは今のところ判断できない状況にある。

次に,より短期的な観点から見ると,アメリカと各国との資産収益率(ここでは実質金利差)やアメリカの累積経常収支赤字(ここではリスク・プレミアム)などが判断の材料と考えられる。資産収益率においてはアメリカと貿易相手国の景気局面の差からドル高に働くが,依然として低いアメリカの貯蓄率,アメリカの景気拡大に伴う輸入増や貿易相手国との景気拡大テンポの違いはアメリカの経常収支赤字を拡大させ,またドル資産のリスク・プレミアムを増大させる可能性から,ドル高持続を妨げるものとみられる。

また,以下に述べる2点も中長期的なドルの動向を占う上で考慮する必要があると思われる。まず,アジア通貨当局のドル需要が弱まっていく可能性である。アジア諸国などの新興市場経済の通貨当局は,これまで基本的にドル・ぺッグ的な為替政策を採用し,その制度を維持するべく,必要に応じドル買いを実施してきた。しかし,一部には,経済環境の変化に応じたより柔軟な為替政策や準備資産の多様化を指向する動きも見られ,こうした結果,ドル買い需要が相対的に弱まっていく可能性がある。次にヨーロッパにおいて,欧州通貨統合後,ヨーロッパ各国が外貨準備として貯えてきたドルを為替市場で売却する可能性である。これらの動きはドルの価値を撹乱させるおそれがある。

(欧州通貨の動向)

ヨーロッパ各国の為替相場の動向については,メキシコ通貨危機などの国際金融市場の動揺,欧州通貨統合実現に対する不安から,95年初めに対マルクで急落した欧州主要通貨は年央にかけて回復したものの,95年9月から10月にがけてドイツ蔵相の通貨統合に否定的な発言もあり,一時下落した。しかし,ドイツ景気足踏みに伴う金利低下や通貨統合実現期待の高まりから,96年初めから10月時点まで欧州主要通貨は対マルクでおおむね上昇基調となった(第1-5-2図)。

96年に入って欧州通貨統合の実現期待が高まった背景には,ヨーロッパ各国の財政支出削減に加えて,①ドイツ連銀高官や政府高官の通貨統合に肯定的な発言,②フランスなど通貨統合参加国が通貨統合収斂基準の財政赤字削減に依然として積極的な態度を示していること,③96年4月のイタリアの総選挙で,財政赤字削減などを実行しうる通貨統合推進派が勝利し,96年中のイタリアのERM(注1-5)再参加が予想されること,などがあげられる。

2 好調なアメリカ株価と国際資金フローの拡大

(96年から動きにやや乘離の見られる先進国金利)

95年の間,インフレ懸念の後退,景気減速と金融緩和実施などに伴い,アメリカ,ヨーロッパ各国の長期金利は低下基調で推移した。94年末からアメリカ(30年物国債)では2%弱分,ドイツでは(8-15年物国債)では1.5%弱分,イギリス(20年物国債)では同1%強分,程度下落した。日本では,95年前半は長期金利(10年物国債)は低下基調で推移したが,後半は2.5%から3%台初めの中での動きとなった。

96年に入ると,アメリカでは政府機関の閉鎖や豪雪の影響が薄れ,景気拡大が強まったことなどから利下げ観測が後退して長期金利は上昇したが,年央から10月時点まで6%後半から7%台初めで推移した。日本では,年央まで景気回復期待に伴う金利先高感から長期金利は3%台前半で推移したが,年央から10月にかけて低金利持続期待などから2%台後半まで低下した。一方,ヨーロッパ各国の長期金利は96年当初において,アメリカ金利との連動や財政赤字削減に対する見通し不透明惑などからやや上昇した。その後,ヨーロッパ各国の,①財政支出削減に対する態度の強さ,②インフレ期待の後退,そして③足踏みを続ける景気や金融緩和の実施を受けて,ヨーロッパ各国の長期金利は10月時点までほぼ横ばい,若しくは低下して推移した (第1-5-3図)。

(95年後半からおおむね好調な先進国株価)

95年後半から96年にかけての先進各国の株価動向の特徴として,企業収益の改善,低水準の長期金利を背景に上昇基調で推移していたことがあげられる(第1-5-4図,またアメリカの株価の動向については第1章第2節参照)。

95年に入ってからのヨーロッパ各国の株価動向を見ると,ドイツでは,95年初からのマルク高を受けての企業収益悪化懸念から,95年前半まで株価は低迷していたが,マルク高が落ち着いた5月以降,9月まで上昇に向かった。その後若干弱含みに推移したが,96年に入ると再び上昇基調となり,9月に最高値を付けた。イギリスでも,95年3月に入って欧州通貨情勢の安定などから株価は上昇に転じた後は,上昇基調で推移し,96年10月には最高値を更新した。

日本においては,95年に入ると,円高に伴う企業収益の悪化懸念などを受けて急落し,95年7月には92年の最安値に迫った。しかし,年後半からの円高修正や金利低下を受けて株価も上昇に転じ,96年に入っても上昇基調は継続した。6月には94年6月以来の高値を更新した。その後,10月時点までやや低下して推移している。

(90年代に入り,証券投資を中心とする国際資金フローが拡大)

90年代に入ると,先進国間,先進国から途上国への国際資金フローは大幅に拡大した。90年代の国際資金フローの特徴として,①資金フローの年毎の変動が激しい,②アメリカ,ドイツはともに資産,負債を拡大させており,その中心は証券投資が主である,③一方,日本が株価,地価の下落や銀行の貸出の圧縮を受けて資産,負債ともにおおむね縮小させてきている。しかし,近年,ユーロ円債購入を目的とした対外証券投資を拡大させている,④先進国間だけでなく,アジア,中南米,そして中・東ヨーロッパ諸国へ,直接投資・証券投資による資金フローが拡大している,などが挙げられる。

このように90年代に先進国間・先進国から途上国への資金フローが拡大した背景には,①各国の金融市場・制度の自由化,②金融テクノロジーの発達による証券化の進展,デリバティブズのような新金融商品の開発,③保険会社や年金基金のような機関投資家の成長,が挙げられる。

94年にアメリカの金利上昇を契機として,国際資金フローは一時縮小に向かった。なかでも先進国(とりわけアメリカ)からの資金流出が減少すると同時に資金の還流が見られ,この結果,先進国から中南米,中・東ヨーロッパ諸国への資金流出も減少した。また,94年年末から95年初めにかけて,メキシコ通貨危機が発生し,一時的ではあるが途上国への国際資金フローに影響した。しかし,95年から96年前半にかけて,再び先進国間,先進国から途上国への資金フローは拡大している。(注1-6)

(95年後半,アメリカからの対外株式投資が拡大)

95年から96年前半にかけての国際資金フローの特徴として,第一に,アメリ力などの機関投資家が日本などの低金利国から資金を調達して,アメリカの債券などへの証券投資を活発化させていたことがあげられる。

アメリカへの対内債券投資の地域別推移を見ると(第1-5-5図),ヨーロッパ,中南米,そしてアジアからの債券購入の増加傾向が顕著である。ヨーロッパからのアメリカ債券投資拡大の背景には,景気弱含みのヨーロッパとアメリカとの間に十分な金利差が存在していたことがあげられる。実際,ドイツ側から見たドイツのアメリカへの証券投資は低水準ながら拡大している。

中南米諸国のアメリカ債券購入について,95年10~12月期に中南米からの債券購入が目立って増加している。これは中南米諸国よりも,むしろカリブ海に所在するアメリカなどの金融機関・債券投資信託の支店・現地法人が,日米の金利差に着目し,低利の円資金で資金調達してアメリカ債券を購入したためとみられる。加えて,日本の金融機関がジャパン・プレミアムでドル資金借入れが難しくなったために,必要なドル資金を外国為替市場で調達するべく,円資産を売却していたことも上のような円資金調達・アメリカ債券購入を促進させたと考えられる。

またアジアからのアメリカ債券投資は,民間だけでなく,公的機関による債券の購入も多額になると見られる。これは自国の為替相場を安定させるために外国為替市場で介入して得られた外貨資金をアメリカ国債購入に充てて運用していたためと思われる。

次にアメリカの対外証券投資(先進国や新興経済地域の株式購入)を見ると (第1-5-6図),ヨーロッパや日本,アジアの株式購入の拡大が見られる。この背景として,①アメリカから対ヨーロッパ,アジアなどで直接投資が増加していたこと,②先進国,特に日本については,96年以降の景気回復,企業収益改善期待,アジアについては,おおむね良好なファンダメンタルズを維持していたこと,などからアメリカの機関投資家などが上記国の株式投資を積極的に行っていたこと,が挙げられる。

(機関投資家の保有資産の価格水準と利回りが投資行動を決定)

保険会社や投資信託のような機関投資家の成長は証券投資を中心とする国際資金フローの動向に大きな影響を与えている。機関投資家は投資方針に従って,高いリターン(期待収益率)をもたらし,かつリスク(収益率の分散)が最小となるポートフォリオ(金融資産の構成)を設定し,そのポートフォリオを構築するべく,さまざまな種類の証券やデリバティブズを駆使した金融商品を購入する。その際,リスクを許容する水準の決定はその機関投資家の保有資産の収益率に大きく影響を受ける。従って機関投資家が保有する資産価格の水準や利回りは機関投資家の投資行動の決定に影響を与えるものと考えられる。

実際,87年のブラック・マンデ一後のユーロ債・外債市場において,証券の購入者がいなくなるとの思惑などから起債額が減少し,アメリカを中心に国際資金フローが縮小した。90年代初頭の日本の株価・地価の下落の際も,含み益が減少した日本の金融機関はクロスポーダー取引を縮小せざるを得なくなり,日本をめぐる国際資金フローが減少した。最近では,94年のヨーロッパ各国の債券価格下落時に,大きく損失を被ったヨーロッパ各国の機関投資家は,外国証券購入のリスクを許容できなくなり,94年においてヨーロッパからの対外証券投資が減少した。

また,80年代以降,アメリカ,イギリスの機関投資家の,資産残高が増大することによって収益が確保され,リスクの許容水準が高まると,それに連動して対外証券投資が拡大している (第1-5-7図)。

(国際資金フローの鍵を握るアメリカの機関投資家)

90年代のアメリカを中心とする国際資金フロー拡大の背景として,アメリカ機関投資家の国内の低金利や株高に基づく国際分散投資があげられる。高水準の株価はアメリカの機関投資家の収益を確保し,さらに外国証券購入のリスク許容力を高め,先進国,新興経済地域への証券投資を活発化させてきた。

今後もアメリカの機関投資家の国際分散投資が続き,国際資金フローが拡大していくかどうかについては,アメリカ内外の金利差の変化だけでなく,アメリカの株価の動向が注目される。アメリカの株価は90年代に入って,趨勢的に上昇を続けてきてむり,96年には金利上昇にもかかわらず,株価上昇の勢いは強く最高値を更新している。しかしPER(株価収益率)は,96年10月で20.07とブラックマンデ一直前の87年9月の22.10には達しておらず,割高とはなっていない。株価が高水準を持続すれば,アメリカ機関投資家の国際分散投資は進んでいくと考えられる。

(国際資金フロー活発化のメリット・デメリット)

90年代における証券投資を中心とする国際的な資金フロー活発化のメリットとして,まず,国内だけでなく,国際的にも金融機関や機関投資家の間で競争が起こり,金融サービスの効率化が図られたことがあげられる。例えば,アメリカ,イギリスなどの商業銀行の非金利収入が80年代から増加しているが,このことは金融機関などの国内・国際的な競争の結果,金融機関などがデリバティブズ取引など新たな金融サービスを開発,拡大させたためとみられる。次に,投資家は投資対象の増加によって投資収益を拡大させることができ,また資金需要者は外国からの資金を利用することによって資金調達コストを削減できるために,資源の適正な配分が実現できることが指摘されている。

一方,そのデメリットとして,証券投資中心の資金フローのため,①資金が短期的に動きやすいために,市場の思惑の変化によって資金の大幅流入が起きたり,または資金の逆流が発生したりして資金流入国のファンダメンタルズヘ何らかの悪影響を与える可能性がある,②投機資金の移動が外国為替,債券,株式の資産価格の変動を激しくしている,との指摘がある。しかし,②については,資産価格は90年代に入り,変動が高まっている訳ではなく (付表第1-5-1),先進各国の為替相場の変動が貿易量や投資に悪影響をほとんど及ぼしていない。金融資産の価格変動が実体経済に及ぼす影響は小さいといえる。もっとも,財政赤字の拡大,高インフレを許容するような経済運営,金融部門の構造的歪み,金融システムにおける不安定化に,金融市場が反応することは否定できない。

今後,国際資金フロー拡大のメリットを享受し,デメリットを低下させるには,①資金の出し手の先進国としては,金融機関,機関投資家が国際的な金融仲介機能を果たしていけるように金融市場・制度の自由化を進めていくとともに,適切な経済運営の実施により,資産価格が乱高下しないような経済環境の実現に努めること,②投資対象となる先進国,途上国としては,対内直接投資・対内証券投資を受け入れる制度作りをさらに進め,また自国の魅力を高めるように貯蓄率の上昇などファンダメンタルズを改善していくこと,が必要である。

3 高水準を続ける国際商品価格

(国際商品価格:96年年央に弱含むも依然高水準)

国際商品価格は,95年前半にはおおむね横ばいで推移したあと,95年後半から96年前半にかけて上昇基調を強めた。その後,国際商品価格は調整局面を迎えているが,依然高水準で推移している。

17品目の主要な国際商品先物価格から算出されるCRB商品先物指数(1967年価格-100)をみると,月平均で95年に入り7月までおおむね230台前半で推移していたが,8月に上昇基調を強めると9月には240台に達し,96年4~5月では250台後半まで上昇した。その後,CRB指数は低下に転じたが,10月まで240台と依然高水準で推移している (第1-5-8図)。

商品別では,96年に入り穀物価格や原油価格などが上昇する一方で,95年まで上昇していた銅価格は大きく低下している。穀物価格は,中国を中心としたアジアでの需要増加や産地での悪天候による供給懸念から,95年から96年前半にかけて高騰し,その後は収穫増加見通しなどから弱含みとなった。

(原油価格:96年に寒波と中東情勢の緊張で上昇)

湾岸戦争以降低下基調で推移していた原油価格は,94年以降は世界需要の堅調な伸びなどを背景に緩やかな上昇基調に転じた。95年の原油価格(1バレル当たりの北海ブレント・スポット価格)の推移をみると,月平均で16~18ドル台と前年の13~17ドル台からやや上昇しているものの,総じて落ち着いた動きとなった。その後,96年に入ってから原油価格は,同17~24ドル台と上昇基調を強めて推移している。原油価格上昇の背景には,欧米での厳冬による需要増加や中東情勢の緊張による供給懸念などが挙げられるが,上昇幅を高めている要因には,米国の石油製品・原油在庫の水準が95年後半以降一段と低下して推移していることも大きな要因となっている。中東情勢緊張の背景には,6月末のサウジアラビアの米軍施設へのテロや,7月の米国航空機墜落のテロの可能性などに加え,8月末のイラク軍のクルド人居住区への進攻に伴い,9月には米国がイラク空爆を実施したとなどが挙げられ,原油価格は一時23ドル台後半と91年1月の湾岸戦争終了以来の高値まで上昇した。その後10月には,欧米での石油製品・原油の低水準の在庫や,イラクでクルド人の内紛が再燃したことなどを背景に一時25ドル台に上昇した。イラクについては,96年2~5月に国連とイラクの間で,国連決議に基づくイラクの限定的石油輸出協議が実施され,5月には合意がみられた。しかし,8月末のイラク軍進攻に伴い,限定的石油輸出は延期されることとなった。