平成5年
年次世界経済報告
構造変革に挑戦する世界経済
平成5年12月10日
経済企画庁
第2章 持続的成長及び市場経済化の条件
93年1月1日,ECの単一市場が完成した。これは,ローマ条約に基づき欧州経済共同体(EEC)が発足して以来ECが目指してきた主要目標の一つであり,また,2度の石油危機により長期的な景気停滞に陥ったEC経済の活性化に向けての挑戦でもあった。市場統合により,3億4千5百万人の市民を抱えるこの巨大市場内を人,物,資本,サービスがほぱ自由に移動できる態勢が整った。単一市場完成の経済効果を計るのにはしばらく時間を要するが,本節では,80年代央より加速した市場統合へ向けた動きの中で,EC経済の活性化のねらいは達成されたのか,また,残された問題は何かについて検討することとする。
70年代初まで高成長を続けたEC経済は,2度の石油危機によって大きな打撃を被ることとなった。石油価格の高騰といったコスト面のショックに加え,マイクロエレクトロニクス(ME)を中心とした新たな産業技術の進展により,それまでの重厚長大型産業のみではECは成長を維持出来なくなった。すなわち,ME技術,省エネルギー型産業,資本集約的産業への転換が必要となった。これらの技術開発の先行国であったアメリカはもとより,エネルギー依存の高い日本ではこれら産業への転換が急激に進められた一方で,EC各国では転換がはかばかしく進展しなかった。
この背景としては,第1に,従来から産業への国家介入の度合いの強かったヨーロッパ各国では,国営化による産業の保護や補助金の増加等により,旧来の産業構造の維持が優先されたことが挙げられる。競争力の弱い産業を保護することによって雇用を維持することはもとより,60年代におけるアメリカからの対内直接投資の急増に対抗して,多くの国でナショナル・チャンピオン政策(主要産業を少数の大企業に集約して競争力強化を図ろうとする政策)が採られたが,それが足かせとなったわけである。
第2に,各国とも独自に非関税障壁を設定して自国産業の保護を図ったことが挙げられる。68年には域内の関税が廃止されたものの,域内市場の共通化への取組みが実施されるまでは,景気停滞の影響もあり,各国独自の非関税障壁等の措置が増大した。これらの状況のもと,景気の回復が早かったアメリカ,日本の企業による欧州市場への参入及びその他のアジア諸国の追い上げが強まり,欧州経済の先行きに対する悲観論(ユーロペシミズム)が台頭することとなった。
このような危機的状態に対処すべく,EClよ85年に「域内市場白書」を発表した。これは,ローマ条約の目標とする域内市場の完成(欧州を分割する諸々の障壁を,共同行動によって取り払うことによって,これら諸国の経済的,社会的進歩を保障すること)を実行に移すことの重要性とその具体案を示したものである。取り除かれるべき障壁としては,①物理的障壁(域内国境措置),②技術的障壁(基準・規則の統一),③財政的障壁(税制の調和)を挙げており,最終的には282項目の法令の採択が必要とされた。87年には「単一欧州議定書」が発効し,85年白書が取り上げた法令の採択手続きが加速された。また,翌年に発表されたチェッキーニ・レポートでは,市場統合の効果を2,000億ECUと推定し,これはECの実質GDPを93年以降6年間で約4%押し上げ,180万人の新規雇用を生み出すとの報告(最大で同7.5%,同600万人)がなされた。こうした中,EC域内はもとより域外企業の投資活動が活発化し,折からの景気回復を後押しすることにより,80\代後半にはユーロオプティミズムが力を得ることとなった。
80年代後半の景気拡大の産業別の内訳をみると,付加価値ベースでは,欧州主要国では金融・保険,輸送・流通,社会サービスなどの第3次産業を中心とした成長であった(第2-2-1図)。その一方で,製造業は全体の成長に比べ低い伸びとなった。次に産業別の雇用者の動向をみると,全体の伸びは先にみた付加価値の伸びの半分以下にとどまっているがこれを支えたのはやはり金融,公的サービスを中心とした第3次産業であった(第2-2-2図)。他方,製造業においては,フランス,イギリスで減少しており,ドイツでも低い伸びにとどまった。このように80年代後半に欧州主要国では「脱工業化」が急速に進展した。
93年1月1日,3億4千5百万人の人口を有するECの単一市場が誕生した。
1 域内市場白書に示す非関税障壁等の撤廃についてのEC閣僚理事会採択状況
全282項目のうち18項目が未採択(うちEC商標,欧州会社制度等の13項目が重要項目とされ,理事会の早期採択を推進するとしている。)
2 各国の国内法制化率
平均で85となっているが,デンマーク,英国,イタリアが90を超える一方,ギリシャ,ドイツは70台の水準にとどまっている。(93年6月15日現在)
3 4つの移動の自由について状況
(1) 人の移動の自由
人の移動の自由が目指すものは,住居及び就労の自由によって得られる労働市場の効率化等を通して,人々の生活の向上及び域内経済の活性化を実現することである。
これについては,①税関検査の廃止,②警察による国境検査の廃止,③居住,就労・事業設立の権利確保の3つが柱とされているが,①,③については,ほぽ法令の整備等が行われており,また,国境での税関検査等が廃止され,弁護士,会計士等の資格に関する相互開放も進むなど着実に効果をあげている。しかし,②に関して,デンマーク,英国,アイルランドにおいては,テロ等に対する懸念より批准が行われていない状況となっており早急に取り組むべき課題となっている。
(2) 物の移動の自由
物の移動の自由が目指すものは,域内の人々が自由に他国のものを購入できることにより,購入にあたっての比較の対象が広がり,市場の効率化を推進し,競争的な市場を通じ価格を低下させること等を実現することである。
これは,①物理的障壁の除去,②税障壁の除去,③技術的障壁の除去の3つが柱とされている。医薬品の流通の自由化及び付加価値税の調整が暫定的なものであること等を除いてほぱ順調に進展しており,これによって,トラック等の国境通過手続が大幅に緩和され,.物流コストが低下する等の効果が表れている。
(3) 資本の移動の自由
資本の移動の自由が目指すものは,これを進めることによって消費者のニーズ本及び金融市場の効率化を実現しようとするものである。また,これは,経済・通貨同盟(EMU)に向けての準備の必要条件でもある。この資本の移動の自由化は既に90年7月から一部の国を除いて実現していた。95年までの自由化猶予が認められているギリシャ,ポルトガルを除いて,93年1月1日には大半の国で資本移動の自由化が達成されることとなった。
(4) サービスの移動の自由
サービスの移動の自由が目指すものは,これを進めることによって消費者の二ーズにあった様々なサービスの選択が可能となり,同時にサービス産業の活性化,効率化を図っていくことである。
この分野においては,金融,通信,情報,放送及び運輸などの分野で自由化が推進されており,金融における単一免許制度の導入,国際輸送の自由化等が実現している。
一方,この時期の特徴としては,欧州市場の魅力の高まりに伴い,EC域内への投資が急増したことが挙げられる(第2-2-3図)。すなわち,域内企業はEC市場のスケールメリットを追求するとともに,予想される競争の増大に対処するために,行動範囲を国内規模から欧州全域へ拡大した。また,域外企業もECの保護主義的措置を警戒しつつ大規模化するEC市場への足場を確保しようとしたことも影響した。
まず,域内間の直接投資(フローベース,以下同じ)をみると,85年の60億ECUから89年には332億ECUへと約5.5倍に増加している。また,域外諸国がらの直接投資も85年の57億ECUから89年には276億ECUと約5倍に増加しており,アメリカ,日本とも対外直接投資に占めるEC向けの割合を高めた。EC向け直接投資の業種別の内訳をみると,84年がら88年にがけては,金融・保険,不動産等のサービス部門での投資が活発なほか,第2次産業でも電気機器をはじめ活発な投資が行われている。
また,欧州規模での企業活動の再構築と再編成を短期間で行う必要がら,こ時期にはM&Aも活発化した。買収の対象となった企業件数でみると,90年の段階では,1,424件のM&Aが行われ,全世界のM&A件数の実に52.3%を占めるに至った。なお,M&Aの形態を業種別にみると(89年),自動車,食品,金融が中心となっている。域外企業によるEC向け投資及びEC域内での域内直接投資は,EC経済に大きな影響を及ぱしている。各国国内製造業における外国企業の雇用及び売上に占めるシェアをみると,欧州各国ではいずれも20%前後と高く,80年代末にがけて増加している(第2-2-4図)。生産のシェアを業種別にみると,欧州主要由では各国とも先端技術産業であるコンピュータ産業,エレクトロニクス産業で外国企業のシェアが圧倒的に高く,生産の半分以上は他国の企業によって行われている(第2-2-5表)。しがし同時に,個別企業レベルでみると,EC企業も活躍しており,世界の大規模企業上位200社に占めるEC企業の数は,86年から90年にかけて増加している(第2-2-6表)。
以上のように,企業レベルでは本場統合による規模の経済を生かした企業が現れてきている。また,域外からの活発な直接投資は,大きな市場での競争を通じた経済の活性化を期待させるものである。しがし,単一市場の完成した本年のECの経済情勢は戦後最悪とも言われる景気後退を迎えようとしている。
加えて欧州通貨危機の発生による経済・通貨統合の先行き不透明感がら,再びユーロペシミズムがささやかれている。とりわけ失業の増大にみられる雇用情勢の悪化は深刻となっている。
そこで以下では,80年代後半にみられた投資ブームが,経済の活性化にっながるものであったかを検証するとともに,経済の活性化にあたって障害となっている構造的問題点とその影響について検討することとする。
80年代後半にはEC市場統合の機運の高まりがら設備投資ブームが生じた。
果たしてこのブームは,EC統合の目的でもあるEC産業の活性化に寄与したのであろうか。
各国の粗固定資本形成の伸びをGDP成長率と比較してみると,74年の第1次石油危機の発生時までは粗固定資本形成はGDP成長率を上回る高い伸びを示し,経済成長を引張った。その後80年代前半まで粗固定資本形成の伸びは鈍化し,特にドイツ,フランスでは大きく落ち込んだ。しかし,80年代後半には再び粗固定資本形成の伸びは増加に転じ,GDP成長率を上向る成長を遂げた(第2-2-7図)。
また,イギリス,ドイツ,フランス各国における粗固定資本形成の産業別構成比をみる(第2-2-8表)と,各国とも金融を中心としたサービス業への投資のシェアが上昇傾向にあり,80年代は各国とも60%以上を占めている。その一方で,鉱業,製造業の投資シェアは低下傾向にあり,80年代は20%前後しか占めなくなっているが,80年代後半の投資ブームの中で,ドイツ,フランスではやや持ち直しがみられた。
80年代後半の設備投資の盛り上がりの背景として,企業を取り巻く投資環境にどのような変化があったであろうか。
まず,企業収益の動向をみると,ドイツ,フランス,イギリスとも80年代後半に収益率が向上している(第2-2-9図)。しかし,営業利益率の向上はそれほどでもないことから,金利負担等の営業外費用の低下が企業収益の改善に大きく寄与した点が特徴的であるといえる。
この結果,資本分配率は,各国とも60年代以降の長期低下傾向から80年代前半以降は上昇に転じている。これは80年代後半の設備投資回復と時期をほぼ同じくしている(第2-2-10図)。
次に,資本コストについてみると,各国とも投資財の相対価格が長期低下傾向にある(第2-2-11図)。また,資本と労働という2つの生産要素の相対価格の推移を,同じく設備投資デフレータの対単位労働コスト比率でみても,各国とも80年代以降低下している。
以上のように,80年代後半の企業の収益率の改善及び投資財,の相対価格の低下は,企業の設備投資を増加させる要因として働いている。ところで,80年代後半の投資の回復期に企業はどのように資金を調達していたのであろうか。この時期,各国企業とも,金融の自由化及び株式市場の活性化等を背景に,外部からの資金調達が行い易い金融環境となっていたといえる。
すなわち企業部門の資金調達状況をみると(第2-2-12図),急速に銀行借入及び株式発行といった形の調達比率が上昇したことがわかる。特にイギリスでは,86年10月にビッグ・バン(一連の株式市場改革)が実施されたことも影響している。
このように80年代後半の欧州各国では,有利な環境にも支えられて企業の設備投資の盛り上がりがみられ,製造業分野でも設備投資の緩やかな増加がみられた。設備投資は一般に新技術の導入を伴って生産性の向上をもたらし,とりわけ製造業分野では,国際的な競争力の向上につながるものである。そこで,以下では欧州各国の製造業の設備投資について,日米と比較することによりどのような特徴があったかをみることとする。
製造業における労働と資本の代替及び技術進歩がどのように進展してきたかを,雇用係数(1単位生産するのに必要な労働投入量)と資本係数(1単位生産するのに必要な資本の量)の関係の変化でみることとする(第2-2-13図)。この図では,資本装備率(労働投入量1単位当たりの資本の量)は原点からの傾きで表され,また,労働と資本の代替は左上がりの関係で,技術進歩に伴う生産性の向上は垂直・水平方向もしくは原点方向への移動で示されることになる。
これをみると,各国とも資本装備率の上昇がみられるが,国により雇用係数と資本係数の動きには相違がある。ドイツ,フランスでは,70年代は水平方向に移動しており,技術進歩を伴った資本形成が行われたといえる。しかし,80年代に入ってからは左上がり傾向にあり,労働から資本への代替といった要素が強く,技術進歩の程度は小さかったとみられる。他方,イギリスについてみると,80年代初めまでは急廠な左上がり傾向を示しており,労働から資本への代替が急速に図られたとみられる。78年から81年にかけては資本生産性が低下する一方で労働生産性の上昇もみられず,生産の非効率化が発生した。しかし,82年以降は水平方向,85年からは左下方向に移動しており,技術進歩を伴った資本形成が行われたといえる。アメりカでもイギリスと同じような傾向を示しており,70年代は労働から資本への代替の程度が強く,80年代に入ってがらは技術進歩を伴った資本形成がたわれた。また,日本については,趨勢的に水平方向に移動しており,技術進歩を伴った資本形成が継続的に行われたことがわかる。第1次石油危機後及び86年の急激な円高時に一時的に上方に移動しているが,その後は急速に左下方に移動しており,一時的に生産効率の低下が生じた後,急速に技術進歩を伴う資本形成を行い生産効率の向上を図っているといえる。
以上のように,欧州諸国の80年代後半の設備投資は,イギリスを除いて労働から資本への代替の度合いが強いものであったといえる。なお,イギリスにおいては,相対的に技術進歩を伴った資本形成が行われているが,これは欧州諸国の中でイギリスが外国企業の直接投資を最も積極的に受け入れていることも影響しているのではないかと考えられる。
また,各国の設備投資の目的別内訳をみると,労働から資本への代替の動きを反映して,ドイツ,フランス,イギリスでは合理化投資の割合が高く,更新投資も含めた割合でみると能力増強投資の割合を上回っている。なお,日本では能力増強投資(高度製品化投資も含む)の割合の方が総じて高い傾向を示している(第2-2-14図)。
このように,欧州各国では80年代後半に設備投資が活発に行われたものの,総じて合理化投資や更新投資の割合が高く,必ずしも製造業の競争力の強化につながらなかった可能性が高い。この結果,製造業の生産の伸びは80年代後半にそれほど高まっておらず,雇用者数は増加していない。また,労働生産性上昇率もむしろ鈍化している(第2-2-15図)。
80年代に入ってからも,日本,アメリカか新技術を導入する等,積極的に構造転換に取り組む中で,欧州諸国は総じてこうした動きに立ち遅れている傾向がある。80年代以降の技術革新は,ME技術やロボット化等の資本集約的な技,術が中心であり,初期投資には莫大なコストがかかるものの,長期的には生産性の大幅な上昇をもたらすものである。日本,アメリカが前向きな設備投資を行ったのに対し,欧州諸国は人員削減等短期的で後向きの構造調整を優先させてきたといえる。このような調整は,産業競争力の相対的な低下を招き,また,雇用創出の効果も小さくしたといえよう。
以上みてきたように,欧州諸国の投資は労働から資本への代替を中心としており,生産能力の増強や技術革新の度合いは小さかったといえる。このように経済の活性化が進まなかった背景としては,研究開発への対応の遅れ,非効率な補助金や国有企業の存在,域外に対する保護主義的な対応があったと考えられる。以下では,これちの背景について順次みていくこととする。
技術革新は産業の構造調整を進行させ成長をもたらす。そのため技術への積極的な投資は一国の成長を左右する重要なファクターである。
第2-2-16図は,主要国の研究開発支出の対GDP比を,政府部門と民間部門のそれぞれについてみたものである。これによると,フランス,アメリカで政府支出が大きい一方で,日本,ドイツ,イギリスでは民間部門の支出が中心になっている。両者を合わせた比率では,日本,ドイツ,アメリカの順の大きさとなっており,ドイツを除いた欧州各国では総じて研究開発支出が小さく,特に民間部門におげる支出が小さくなっている。
また,研究開発を担う人材についてみると,労働者1,000人あたりの大学卒業等の研究開発部門スタッフ数は,日米を大きく下回っている(第2-2-17表)。
次に,特許申請件数でみると,マイクロエレクトロニクス応用分野では,比較的競争力のあるといわれている情報通信機器でややその差を縮めている他は,半導体,オフィス機器,データ処理機器で日米に大きく水を開けられている(第2-2-18図)。
このため,現在の欧州のエレクトロニクス産業の全世界に占めるシェアも,各分野で日米に大きく水を開けられ,イギリスでは80年代にその生産や生産性が大きく伸びた分野においては,外国企業による役割が大きなものとなっている(第2-2-19表)。
また,技術がますます高度化するに従い,生産現場で実際にこれらの機械設備を操作・修理等する労働者には,高度な知識と技能が要求される。大学(学部)の卒業者の割合をみると,欧州各国は日米に比べ相対的に低くなっている(第2-2-20表)。学位取得者の状況をみても,科学関係の学位取得者の25~34歳人口に対する割合は低く,なかなか生産性の向上につながらない背景の一つといえる。
欧州がエレクトロニクス産業において日米に大きく水を開けられることになった要因としては,①新技術あ導入の遅れ,②生産工程の革新,量産化の遅れが挙げられる。①の例としてけ,VTR,NC工作機械,ファクシミリなどがある。また,②の例としては,CDプレーヤーが挙げられるが,これは開発がほぼ日本の企業と同時に終了しながら量産化に手間取ったためである。
この一つの要因としては,EC各国では従来から各国が個別に国内産業の保護やナショナル・チャンピオンの育成に走る傾向があり,政府の介入する度合いが大きかったためである。70年代におけるフランスでの国営企業の独自のコンピュータ開発の失敗はその一つの例である。また,80年代央以降採られた先端産業育成におけるECの政策にも,同様の問題点がみられた。
84年にはEC委員会によって「エスプリ(ESPRIT:欧州技術研究開発戦略計画)」が実施された。これはマイクロエレクトロニクス,デ一夕通信,コンピュータ,オフィスオートメーション,ソフトウェアの5つの情報技術分野において10年計画で共同開発を行うとの計画であり,全投資額はECと参加企業が折半で資金負担をするものであった。しかし,その1か月後にドイツ政府は,先端通信技術分野における独自の振興政策(5か年計画)を決定した。
その後85年には,フランスが「ユーレカ(EUREKA:欧州先端技術共同研究計画)」を発表した。「エスプリ」計画が情報通信分野に限定されていたのに対し,同計画は先端技術のすべてを網羅する総合戦略であるだけでなく,ECの枠を超えた全欧州を包含する構想であった。「エスプリ」とは違い,「ユーレカ」は国家が直接参加し,要する資金も国家が負担するものであった。
しかし,このようなECレベル等での開発計画は,共同開発と1国の利益との調整ふ難しいことや政府の失敗のため,現在までのところ特に成功をおさめているとは言いがたい。「ユーレカ」も,これまでのところ高品位TVなどの僅かな事例を除き成果はあがっていない。むしろ,欧州各企業は独自に日米企業との資本提携等を通じた協力体制を進行させるに至っている。
EC各国政府の産業政策をみろと,比較優位を失いつつある産業を国有企業として保有し続けるか又は補助金を支給することにより保護する姿勢を保持した点が共通している。このような政策は,短期的なもので生産性向上又は構造調整に資するものであればある程度正当化される面もあるが,これが長期化すれば,財政支出の硬直化を招くだけでなく,産業全体の効率化を損ねることになる。各国ともこの点を鑑み,民営化の推進,補助金の削滅に取り組んでいるが,思うように進んでいないのが現状である。
第2-2-21表は,各産業における公企業のウェイトをみたものであるが,鉄鋼,造船といった構造不況産業やエネルギー産業における公企業のウェイトは依然大きい。欧州各国で比較的競争力が強いといわれている電気通信産業もドイツ,フランス,イタリアでは100%国営企業であり,政府調達の優遇による保護等を通じてその優位性を保っている可能性がある。
このような公企業の存在による非効率の例としては,石炭産業がある。第2-2-22表をみると,石炭産業に対する補助金は増加している。また,これらの国で産出される石炭のトン当たりの補助金と輸入炭の価格を比較すると,いくつかの国では輸入価格よりも高額の補助金が交付されている。1トン当たりの補助金が他国に比べ低額であるイギリスでも,政府が輸入炭より価格が高くかつ品質の低い国内炭を電力公社に火力発電用として購入させるなど非効率化を生じる要因となっている。
一方,製造業に対する国家補助金は,80年代を通して滅少傾向にあるが,EC全体では付加価値の約4%と依然大きな割合を占めている。その内容をみると,技術革新,中小企業支援等の積極的な内容のものが全体の30~40%を占めているものの,フランス,イギリスでは,鉄鋼,造船などの構造不況業種への支給割合が高く,ドイツ,イタリアでは特定地域への支給が中心である。
本年1月にEC単一市場が誕生し,域内の非関税障壁の撤廃がほぼ完了しつつあるものの,対域外諸国では諸々の障壁が存在している。その一つの例が,日本車輸入のモニタリング措置である。欧州自動車産業の競争力改善のための猶予として,当該措置は99年末までとされているが,まさにこれは域内産業を保護するためのものと言える。その他,アンチダンピング課税措置や対日差別数量制限(現在5か国による49品目が残存している)など,域内産業保護の観点からの内向きとも言える措置が存在している。技術革新の目まぐるしい今日,より開かれた市場での競争を通じた産業の強化と技術の導入が不可欠であり,これらの措置は長期的には域内産業にとってマイナスの要素になるものと考えられる。
欧州各国では総じて合理化を目的とした投資や人員削滅による労働生産性の向上がみられたが,その一方で失業の高まりが深刻な問題となっている。第2-2-23表をみると,欧州各国の失業率は,第1次石油危機以降80年代前半にかけて急激に上昇した後,好景気を迎えた80年代後半においても高止まりしている。92年以降,景気が停滞色を一層濃くし,失業率は,ドイツで8%台,その他の国では10%を超える高い水準となっている。
このような失業率の高まりの中で,若年者の失業と長期失業者の増加が目立っており,循環的要因だけでは説明できない構造的失業の存在がうががえる。
若年者(15~24歳)の失業についてみると(第2-2-24図),イタリア,フランス,ドイツでは,第1次石油危機後,一段階高い水準に上昇した後横ばいで推移し,その後第2次石油危機後,再度急上昇した。80年代後半の好景気時においても80年代当初の水準に戻っていない。イギリスでは,80年代後半に低下を続け,80年代当初の水準にまで戻ったものの,90年代に入り再び急激に上昇している二若年者の失業率は全体の失業率と比べても非常に高い水準にある。
また,全失業者に占める長期失業者(1年以上失業の状態にある者)の割合(長期失業比率)は,全体の失業率の高まりとともに上昇したが,その後失業率が低下してもなかなか低下しない状況にある(第2-2-25図)。
欧州各国では賃金上昇率は80年代に入り各国とも低下傾向にあり,雇用水準も減少傾向をたどっているにもかかわらず,労働コスト面での圧力は依然高い。これは賃金以外でのコストが高いためである。
第2-2-26図は,欧米各国の製造業の時間当たり労働コストを比較したものであるが,欧州各国の非賃金コストはイギリスを除き全労働コストの30~50%と,日米の20%台に比べ著しく高いことがわかる。第2-2-27表①からみると,雇用主が被雇用者1人当たりに支払う労働コストのなかで賃金(直接給付)に次いで大きなウェイトを占めているのは年金にががる支出であり,特にドイツ,フランス,イタリアでそのウェイトが大きい。
これは,欧州各国では早くから社会福祉制度の整備が進み福祉の充実(第2-2-28図)が図られたためである。欧州各国とも高齢化のサイクルが早めに訪れたことも労働者の年金掛金負担の増加圧力となった一因である。労働者にかかるコストの硬直化は,企業の新規投資や新規雇用に対する態度を消極化させる要因となっている。なお,被雇用者の所得における各種負担の状況についてみると,所得税と社会保障掛金の二つをあわせた負担率は,欧州各国で賃金の約20~30%に達しており,手取賃金が圧縮されるなど,被雇用者の負担も大きい(第2-2-27表②)。しかし,これらの国では競争力強化の観点から労働コストの圧縮を図ろうとすると,福祉制度の改革に触れざるを得なくなる。これはEC各国の今後の政策方針にもからむ非常に困難な問題である。
福祉国家としての側面は,賃金面にも表れている。その代表的なものがフランスの法定最低賃金制度であるSMIC(スライド制最低賃金)である。SMICの目的は,低賃金労働者の生計の維持と,経済成長の成果の配分とされており,国内の18歳以上の労働者に一律に適用される(注)。最低賃金額の平均賃金に対する比率をアメリカと比較すると,アメリカでは,60年代後半に55%にまで上昇した後,低下傾向を続け現在では35%前後の水準となっているが,フランスでは,60年代後半に平均賃金の40%程度であったものが,その後上昇傾回を続け,80年代央以降は50%前後の水準で推移している。このため,賃金額が最低賃金に該当する労働者の割合はフランスでは全労働者の10%台とアメリ力の約2倍に達している。
また,労働者の採用及び雇用に関する規制及び慣行が強いことが指摘できる。解雇に関する規制をみると,欧州においては解雇手当,告知期間の規制が総じて厳しい傾向がある(第2-2-29表)。このため,フランスや規制が特に厳しい南欧諸国では,一時雇用(雇用期間があらかじめ短期間と契約される雇用形態等)による採用(フランスではパートタイマーに占める一時雇用)がウェイトを高めるに至っている。
EC市場統合の機運の高まりとともに,ECの社会的側面で共通政策が注目される。88年6月のEC閣僚理事会(於ハノーバー)以降,89年12月の「EC市民の基本的社会権に関する憲章」の承認(於ストラスブール)を経て,91年12月に「EC社会労働憲章」が合意される(於マーストリヒト)に至っている。ローマ条約によれば,ECの社会保障政策は,異なる加盟各国の社会保障制度の適用の調和を図る「調和政策」と,加盟各国民の生活条件を引き上げて同一の水準にするための各国制度の「接近化政策」の二つの柱からなっている。社会労働憲章は,「接近化政策」の重要な一つであり,経済・産業面での競争力の強化がソーシャル・ダンピングの形で進むことの防止と,人の移動の自由化が進むことを受けて積極的に欧州全域の労働者の権利を保障しようとするものである。
しかし,このようなECの動きは全加盟国の同意を伴ったものではなかった。特に,イギリスは当初からこれに反対しており,結局ECの社会労働憲章には参加しなかった。大陸欧州諸国並の社会・労働保障基準が適用されると,産業の競争力が著しく損なわれることを恐れたためであり,80年代を通して実現した賃金抑制と労働組合の圧力の後退がその背景にあった(製造業で見るかぎりEC主要国の中でもイギリスでは総じて労働コストは低く抑えられ,労働時間は長い(第2-2-30図))。一方,デンマーク等からは,EC統合の進展に伴い,国民の不安を助長するような社会政策の切り捨てはできないとの主張も出ており,競争力の強化が一層重要視される現在,従来からの高福祉政策との調和が大きな争点の一つとなっている。
構造的失業の高まりの供給側の背景としては,次の2点が考えられる。
第1に,労働者の労働に対するインセンティブが低下することから生じる自発的失業の存在がある。これは失業給付などの社会保障制度の拡充が失業者の求職活動を長期化させたためであると考えられる。
第2-2-29表②は,各国の失業保険制度を長期失業比率と比較したものであるが,これをみると,欧州各国の失業保険制度は受給期間,補充率ともに長期失業比率の高い欧州で非常に手厚いものとなっている。受給期間について言えば,失業手当支給終了後のドイツの失業扶助(期間無制限),フランスの終了手当(失業手当との通算で5年間)などの存在も指摘できる。失業保険制度は,失業期間中の失業者の生活を保護するといった社会的側面での重要性はあるものの,それが非常に手厚いものになると失業者の職探しのインセンティブを大きく損ねることになる。
第2に,労働力の需給ミスマッチの問題がある。求められる労働力(未充足求人)と実現されなかった労働供給量(失業)との関係を示したベバリッジ曲線を,イギリスについてみてみると(第2-2-31図),年を追うごとに曲線が右上方ヘシフトしており,求められる労働力が供給される労働力によってより実現されにくくなっていることがわかる。
教育水準と失業率及び企業での在職期間の関係については,デ一夕の制約上広く各国の状況をみることはできないが,いずれにおいても学歴水準の低い者ほど不利な立場に置かれている(第2-2-32表)。失業者との関係でみる限り,80年代を通してその度合いが強くなってきている点は注目される。
このような供給面での問題を解決するためにも,失業者に対する技能訓練,職業訓練が重要である。イギリスの再出発計画(Restart)や,雇用計画(Employment Action)は,長期失業者に対する職業紹介の徹底と,雇用・訓練計画への参加促進を目的とし,6か月以上の失業手当受給者に対しては,求職活動をしている間地域就労事業に従事させるものであるが,これは一部の長期失業者の再就職にとって効果があったとのOECDの報告がある。これに対して,ドイツの職業訓練及び再訓練プログラム(further training and retraining)などのように,失業者全体を広く対象とした雇用対策はむしろ効果があがらなかったとの報告(同上)もある。以上から,特に失業者に対してはカウンセリング等を通じて常時雇用機会との接触を取りつつ,失業者の技能に適合する職業との接点を探り,それに応じた重点的な技能訓練の機会が提供されることが効果的である。また,これは財政面でのコスト軽減にも資するものと考えられる。
以上から,第1に,社会政策の一環としての福祉は,それが非常に手厚いものとなると,構造的な失業を高める一因となることが指摘できる。70年代以降,若年者雇用促進の観点から推進された早期退職制度がかえって若年者及び高齢者の失業増を招く結果となったことなどは,短期的な福祉の観点からの施策は効果的でないことを示している。
第2には,近年ますます加速する技術進歩の高まりは,一層高度な技能を労働者に要求してきているという点が重要である。
これらの観点からも,労働政策を実施するにあたっては,所得保障的なものから,職業訓練,失業者への職業斡旋等への行動ブログラムへの移行が重要である。各国の対応をみると,近年行動プログラムへの支出のウェイトが高まる傾向が見られるが,労働政策に関する支出の大半は所得保障的支出となっている(第2-2-33表)。労働政策を検討するにあたっては,労働者への長期的観点に立った投資が必要である。提供された職業と職業を求める者の適合を効率的に進め,目的に合った労働者の技能を高める努力が積極的に促進されることが重要である。
高い技能を持つ労働者は,産業の構造調整において柔軟な対応が可能となり,極めて有利である。企業内訓練において,若年者が早い段階で高度の職業訓練を受けている企業では,一般的に労働者の在職期間が長いことが報告(同上)されている。企業内で訓練を施すことは,それだけ企業と労働者の関係を長期的かつ強固なものとし,杢業の長期戦略も立てやすくなる点において極めて有益である。
以上のようなEC経済の問題を象徴するものとしてユーロ・スクレイシス(経済の動脈硬化)という言葉がよく使われている。これに対して,EC諸国はどのように取り組もうとしているのであろうか。
本年6月の欧州首脳会議(コペンハーゲン)では,ドロールEC委員長は経済再生へ向けた対策案を発表した。ねらいは競争力の回復と雇用創出である。
これは①経済・通貨統合の着実な推進,②世界の中で信頼される開かれたEC,③研究開発分野での協調強化,④通信・運輸の基盤整備強化,⑤共通の情報領域の創設と新技術革新,⑥教育制度改革,⑦環境政策推進等による新たな開発モデル,⑧労働市場への積極策の8項目からなっている。この具体案の取りまとめは本年12月の欧州理事会までに行われる予定である。
このような中期的課題は概ね正しい。各種の硬直性を是正し,技術開発力,人的資本を強化し,産業の転換能力を高めてサプライサイドを強化することがEC経済にとって重要課題である。しかし,次のような点に注意する必要がある。
(1) 設備投資が鍵を握るが,80年代後半のような人減らしねらいの合理化投資や更新投資では競争力回復に不十分である。技術進歩を伴う投資が必要である。そのためには,研究開発の強化,人材育成の充実が不可欠である。ただし,ECの先端技術産業育成策がほとんど成功していないこと,外国企業の受入れに積極的であったイギリスで生産性を向上させた経緯からみて,①技術開発については商業的な分野は民間に任せ,政府は基礎的分野に重点を置くこと,②世界に開かれたアプローチをとることに留意すべきである。また,構造不況業種や国営企業への支援はできるだけ削減していくことが必要である。
(2) 構造的失業問題を解決するため,労働市場の弾力化や手厚すぎる社会保障制度の見直しが必要である。しかし,それらの改革をこれまでの福祉国家的政策方針とどう調和させるか,あるいは,ECの共通労働政策,共通社会政策とどう調整するかは極めて困難な問題である。福祉社会は,西欧の最も重要な理念の一つであった。各国の意見対立の原因ともなるであろう。EC諸国は一つの岐路に立たされているといえよう。
(3) 中・東欧,ロシア等旧共産圏はなお市場経済移行に苦しんでいるが,中期的にはニユーフロンティアであり,その発展がEC再活性化の鍵を握っている可能性が大きい。EC話国は当該諸国への直接投資を含む支援を積極的に行い,また輸出を受入れその復興に貢献することが重要である。