平成5年
年次世界経済報告
構造変革に挑戦する世界経済
平成5年12月10日
経済企画庁
第1章 世界経済の現況とその特徴
80年代後半から91年にかけて,各国の経常収支不均衡は縮小傾向を続けていたが,92年に入ってからはアメリカの経常収支赤字が再び拡大,日本の経常収支黒字の拡大が目立った。
アメリカでは,87年から縮小し続けた赤字幅が92年には反転,拡大の方向に向かった。91年は湾岸危機に際し多国籍軍支援金受入れ(424億ドル)もあり37億ドルの赤字まで縮小したが,92年には624億ドルの赤字に拡大した。赤字拡大要因の大部分は貿易収支の悪化によってもたらされており,貿易収支だけをみると91年の734億ドルの赤字から92年は963億ドルの赤字へと拡大している(第1-5-1表)。これは他の主要国景気が低迷する中,アメリカ景気が先んじて回復したことによるものであり,輸出の伸びがほぼ前年度並となったのに比べ,輸入は堅調な設備投資を反映して資本財の輸入が増加し11%の伸びとなった。なかでもコンピューター及びその関連機材の輸入が急増したことが目立った。93年に入っても経常・貿易収支ともに赤字幅拡大が続いており上半期では経常収支が年率984億ドル,貿易収支が同1,273億ドルの赤字となっている。
日本では,経常収支黒字は91年の729億ドルから1,176億ドルへと拡大した。
主な要因は貿易収支黒字の増加であり,輸出が数量ベースではほぼ横ばい推移となったものの円高に伴うドル建て輸出価格の上昇等から金額ベースでは前年度比7.9%の増加となったのに対し,輸入は国内需要の低迷から製品等の輸入が減少し全体では2.5%減少,その結果貿易収支は1,323億ドルの黒字と過去最高を記録した。また,93年上半期においても年換算で経常収支が1,346億ドル,貿易収支が1,368億ドルの黒字と依然として高水準である。
EC諸国においては経常収支赤字幅が92年には前年比82億ドル増加して674億ドルとなった。内訳をみると景気が総じて低迷する中で貿易収支赤字幅は167億ドル縮小し189億ドルとなった。主要国についてみると,ドイツでは貿易収支の黒字幅はやや拡大したものの,投資収益収支の黒字幅縮小とマルク高による旅行収支の悪化から貿易外収支赤字が拡大し,経常収支としては260億ドルの赤字となった。フランスでは貿易収支の大幅な改善により経常収支が黒字に転換した。また,イギリスでは92年も貿易収支赤字が拡大したが,92年秋のポンド下落により輸出が増加し,93年に入り赤字が縮小している。
その他の国々においては,NIEsをはじめとするアジア諸国では国内需要の好調から輸入が増加しており,経常収支赤字が拡大している。また,中南米諸国でも輸入の増加から貿易収支がマイナスに転じ,経常収支の赤字幅が拡大した。
まず直接投資の動向をみると,先進国を中心に92年は91年に引き続き減少した(第1-5-2表)。流出面をみると,日本が135億ドルの滅少となったほか,EC諸国からの流出も84億ドル滅少した。一方,アメリカは中南米向け投資が大きく増加したことから総額でも82億ドル増え,投資国1位の座を回復した。流入面をみると先進国ではアメリカ向けカ弓1き続き減少し92年は実質マイナスとなった。EC向けは92年は若干回復したものの,90年の水準を下回っている。他方,途上国においては引き続きアジア諸国が投資資金の大きな受皿となっている。アジア諸国間の投資も増えており,NIEs諸国から中国への投資が活発化している。また,中南米諸国への投資も堅調に推移し,この地域への信頼が回復しつつある。
世界の資金フロー(直接投資を含む)を91年と92年で比較してみると,先進国間においては91年にはアメリカが日本やEC諸国への債券投資や直接投資を活発に行ったことから資金の主な供給国となっていたが,92年にはアメリカの金利低下をうけてアメリカへの債券投資流入が増加し,また,EC内の資金がERMの混乱を避けてアメリカヘ流れるという動きもあったとみられ,大幅な資金流入超となるなど資金循環のパターンに変化がみられた(第1-5-3図)。ERM混乱の影響はドイツの資本収支にも現れている。ドイツの資本収支黒字幅は91年の180億マルクから,92年には1,068億マルクへと急増したが,その要因としては,①ドイツの金利低下期待とマルクがERM内での避難通貨となったことから債券投資流入が大きく増えたこと,及び②ドイツ連銀が各国中央銀行にマルク売り介入資金として融資した資金が,短期資本としてドイツ国内に還流したことなどが考えられる。また,日本は91,92永と金融勘定を通じて短期の資金を流出させており,80年代後半の長期資金の流出を短期資金取入れで賄うという行動から変化している。先進国がら途上国へは国際銀行市場経由を含め,91年と92年にそれぞれ1,000億ドル超の資金が還流しており,その額に大きな変化はみられない。
国際銀行市場における銀行の動向を国籍別にみると,対外および外貨建て対内資産・負債は日本と北欧の銀行において大きく縮小しており,資産圧縮の動きが続けられている。一方,フランスとドイツを中心とした欧州の銀行は積極的に取引を拡大した。途上国向けの融資は91年の77億ドルから92年は563億ドルと大幅に増加しており,なかでもアジア向けは堅調に伸びている。またOPEC諸国が3年ぶり中南米諸国が6年ぶりに資金借入国に転じている。アジア経済の堅調さと,中南米経済への信頼の回復がこの背景にあるものと思われる。
92~93年の外国為替市場では,EMS(European Monetary System:欧州通貨制度)内で混乱が生じ,それをきっかけとして各国通貨が大きく変動することとなった。ここでは,この大幅な為替相場変動の引金となったEMS内の動きをみながら,日本円の動きを追ってみたい。
ECでは域内通貨の安定と通貨統合を目的として1979年にEMSを発足させたが,この制度の中核をなしているものがERM(Exchange Rate Mechanism:為替相場メカニズム)と呼ばれる義務的介入システムである。このシステムの下では,各国は2国間の為替レートをあらかじめ決められた中心レートから上下変動が許容された範囲内に収める義務などがあり,加盟国の中央銀行はその国の為替レートが変動幅を越えようとするときは市場介入を行い変動幅内に抑える義務をおっている。92年9月に始まった欧州通貨危機においては,この実質的な域内通貨固定相場制度ともいえるERMの実効性が試されることとなった。
ここで欧州通貨危機以前の為替相場の動きを振り返ってみると,92年春まではドルが独歩高の動きをみせたものの,景気回復の弱さと,ドイツの高金利政策の持続によるアメリカとの金利差の拡大を背景に秋口にかけてドルが売り込まれ,欧州通貨危機直前にはマルクが対ドルで戦後最高値をつけるまで買い進まれた(第1-5-4図)。また,その他の欧州通貨もマルク高につられて上昇することとなった。更に,92年6月にデンマークの国民投票でマーストリヒト条約が否決されたことは,為替市場参加者へEC統合の将来に疑問を持たせ,マルク高を加速させた。
しかし,ポンド・リラとマルクの間にファンダメンタルズの格差があったことが92年9月の欧州通貨危機の背景にあったと考えられ,9月中にポンドは対マルクで11%強,リラは13%強それぞれ下落した。
93年7月に再び危機が訪れた。フランスの新政権は景気回復を図るため4月以降市場介入金利を9回引き下げ,その水準はドイツを一時下回った。更に,フランス経済が予想以上に悪化していると報じられると,フランス・フランとデンマーク・クローネに対マルクで強力な売り圧力がかかった(第1-5-5図)。各国は大規模な協調介入で相場の下落を防ごうとしたが,7月30日ドイツ連銀の公定歩合据え置き発表をきっかけに再び相場が下落,8月2日にはERM変動幅を従来の中心レートから上下各2.25%(一部の国は各6%)を各15%(ドイツ・マルクーオランダ・ギルダー間は各2.25%を維持)に拡大した。
昨年9月の通貨危機の背景には前述のように各国のファンダメンタルズ格差があったといえるが,93年7月から8月初にかけての混乱は短期的な要因が大きかったとみられる。フランスでは92年に入り経常収支が黒字化,インフレ率も2%台と極めて安定しており,ファンダメンタルズはむしろドイツより良好といえる。しかし,一時的な金利差の逆転といーた短期的な要因や,フランスの景気後退が予想以上に深刻であることへの懸念等から,フラン安が進行した。
為替市場の規模が拡大している現在,各国中央銀行の大規模な介入にもその効果には限界がある。また,景気後退と高失業が続く中での金利の引上げは,市場においてその持続性に疑問を与え,有効な効果をもたらさなかった。経済・通貨統合(EMU)第3段階への移行条件の達成状況をみると,全般的な景気の停滞を受けて,総じて悪化傾向にあることがわかる(第1-5-6表)。特に,財政赤字(フロー)については,最も景気停滞の影響を受けている部門であり,フランス,オランダ,イギリスでは,92年に入り移行条件から外れることとなった。EC委員会(本年6月)によれば,93年には総じて各国の財政赤字は拡大する見通しであり,デンマーク,ドイツ,アイルランドでも条件を満たさなくなる可能性があり,この部門で条件を満たすのはルクセンブルク1国のみとなる見通しである。そのルクセンブルクもインフレ率の条件を満たさなくなり,達成条件すべてを満たす国が93年には一国もなくなることが予想されている。このように景気停滞のなかで収れん状況が悪化している状況を鑑みれば,本年8月のERM許容変動幅の拡大は妥当であったと言えよう。以上のことからECの経済・通貨統合への道のりを再び軌道に戻すためには,まずERM変動幅拡大に伴って増大した金融政策の自由度を最大限活用し,景気回復を実現させ,その上で経済パフォーマンスの格差を是正し,欧州通貨制度に対する市場の信頼を取り戻すことが必要であろう。
欧州通貨が激しく揺れ動く一方で,最近の為替市場のもう一つの特徴として93年に入ってからの急激な円高の進行が挙げられる。円高の背景にはアメリカの長期金利の低下に伴う日米金利差の縮小や日本の総合収支の黒字基調化があると考えられる。日本の総合収支をみると1980年代には経常収支の黒字分を日本の機関投資家による活発な海外債券投資等による資本収支の赤字が打ち消す方向に働き,総合収支自体は赤字であった。しかし90年代に入ると日本から海外への投資が鈍化するのに対し,相対的な日本株の割安感や日本の金利低下の期待などから海外資本の株式市場や債券市場への流入が91年には大幅に増加するなど資本収支の赤字幅が縮小(91年には黒字化)しており,総合収支黒字の大きな要因となっている。しかしながら,本年2月以降円高・ドル安に振れてきた円・ドル相場は,7月下旬以降欧州通貨の混乱などを背景に,更に思惑的に円が買われたことから急速に円高が進み,8月17日の東京市場では一時100円40銭の戦後最高値を記録した。為替相場はファンダメンタルズを反映して安定的に推移することが望ましく,このような急激な変動は望ましくない。この観点からも,欧州通貨市場の安定が望まれるところである。