平成4年
年次世界経済報告
世界経済の新たな協調と秩序に向けて
経済企画庁
第4章 相互依存関係の広がりと深化
東アジア地域ではダイナミックな成長と,この地域の中での局地的な経済圏の広がりに関心が高まっている。これは,この地域の中ではそれだけ相互依存性が高まるとともに,経済構造の動態的な変化が起きているためとも考えられる。中国の対外開放政策や政治的緊張の緩和も手伝って,幾つかの地域で協力や経済関係が深まっている。ここではまず,NIEs,アセアン地域でこうしたダイナミックな発展が進行している背景をみるとともに,最近特に注目されている華南経済圏及びインドシナ経済圏の近年の動きをみておきたい。
まず,NIEs,アセアンの過去10年余りの経済パフォーマンスを振り返ってみたい。80年以降の動きを80年代前半(80~85年)とそれ以降91年までとに大きく分けてみると,経済成長率は,NIEsでは前半の6.8%から後半には9.0%へと高まり,アセアンでも4.5%から7.0%へと同じ程度の成長の高まりを示している。同時期の世界の経済成長率はそれぞれ2.5%及び2.6%であったことからすると,いずれの時期でもこれら地域の成長の高さとともに,特に後半のテンポの高まりが目立っており,ダイナミックな成長を遂げていることがわかる(付図4-1)。
成長の中身として投資と輸出の伸びを同じようにみると,投資増加率はNIEsで前半においては4.5%であったが86年以降には12.6%となり,アセアンでは4.4%が12.1%(86~90年)となり,それぞれ急速に伸びを高めている。輸出増加率についてもNIEsで前半に11.4%であったが後半には18.2%となり,アセアンでも3.2%が14.6%となっており,アセアンの伸びの高まりが顕著である(第4-1-1図)。
一方,インフレについては,この間の消費者物価上昇率をみると,NIEsでは前半は8.9%と高水準の上昇を示しているが,その後は4.9%とがなりの低下を示している。またアセアンの消費者物価上昇率も同様に10.4%が6.2%へと低下している。こうしたことから,これら地域では,80年代半ば以降高成長と安定した物価がほぼ両立している。
もちろん,国ごとにみた場合,タイ,マレーシアでは輸出・投資を中心とした急速な成長がみられる一方,まだ必ずしも満足できる状況にはない国もある。フィリピンでは最近まで二桁の高い物価上昇と低成長の状況にあり,インドネシアも改善はしているものの,なお経済は安定化したとは言えない。
NIEs,アセアン地域の良好な経済パフォーマンスの背景には幾つかの要因が考えられるが,概して言えば,健全なマクロ経済政策運営を通じた物価の安定を基盤として為替レートの安定や経済に対する信頼が増すなど,マクロ経済環境面での好条件が作られてきた。こうした中で対外的には徐々に自由化を推進し,輸出を中心とする成長を導くとともに域内の相互依存関係を高め,国内的にも適切な経済政策や地場の企業の旺盛な活動などと相まって,輸出・投資の好循環による経済の拡大が進んできたと考えられる。以下ではこれらの点を具体的に見るため,①健全なマクロ経済政策運営,②外向きの経済発展戦略と自由化,③貿易・直接投資等の拡大による相互依存関係の進展,そして④地場企業の旺盛な活動,という視点から考えていきたい。
79~80年の第2次オイル・ショックによりNIEs,アセアンの各国とも80年代初めはインフレが高まった。これに対し,一部の国を除いて各国ともこの時期の比較的早い段階で財政および金融の引締め政策を実施しており,インフレ抑制を重視している。
各国の財政・金融についてみると,韓国では70年代に推進された重化学工業化路線がインフレの昂進,対外借入の増大を引き起こしたため,これに対する安定化政策として80年代初めに策定された第5次5カ年計画及び同修正計画において財政支出縮小と効率化などによる財政赤字の削減策をとった。この結果財政赤字の対GDP比は81~82年の3%台から,83年以降は1%前後に低下し87年には黒字に転じた。金融面をみても,マネーサプライ(M2)は80~82年の間は20%を越える高水準の伸びであったが,それ以降はマネーサプライの抑制策がとられ安定的な伸びとなっている。台湾では80年代の財政赤字は低水準に抑えられており87年以降には黒字となっている。金融面では高い成長率を反映してマネーサプライの伸び率は高いものの,82年以降実質金利が高水準で推移.する等,引締め気味となっている。
アセアンのタイでは,82年には財政赤字の対GDP比は拡大し5%の水準に達していた。これは歳出が大幅に拡大したためであり,その後公的企業への補助金の削減などの支出抑制策,公益事業の料金引上げ,徴税の改善などの収入拡大策により歳出,歳入両面からの改善が図られ,87年には0.7%にまで縮小し,88年以降は黒字に転じている。金融面では80年に貸出金利の上限制限引上げや83年から84年にかけての商業銀行信用の伸びの抑制等,引締め気味の政策がとられた。マレーシアでも,歳出の大幅な増加のため財政赤字は81年には対GDP比で20%近くにまで達していたが,開発支出の削減や増税により赤字を削減し,82年以降改善をみせている。マネーサプライは80~82年に高水準の伸びであったが,83年からは低下している。
これに対し,安定化政策がうまく機能しなかったインドネシアでは,80年代を通じしばしば逆オイル・ショックにより大幅な歳入減に見舞われたが,歳出削減はそれほど行われなかったため財政赤字は高水準で推移している。この赤字のファイナンスは海外からの大量の資金の取り入れによって行われ,通貨供給量は20~40%の高水準の伸びとなった。フィリピンでは歳入がほぼ横ばいであったにもかかわらず,歳出が大きく拡大したため,財政赤字は86年に対GDP比で約5%に達するなど高水準で推移しており,マネーサプライも金融危機に陥った83年には50%を越えるなど高水準で推移している(第4-1-2図)(第4-1-3図)。
このようなマクロ経済政策運営の結果,全体としては前に述べたように物価の落ち着きとなって現れている。国別に消費者物価の上昇率の変化をみると,韓国,台湾では,80,81年には二桁の上昇となったが,82年以降は一桁に低下している。タイ,マレーシアでも82年以降は低下し,その後安定が続いている。一方,インドネシア及びフィリピンでの物価上昇率は80年代前半は高水準で推移し,後半になっても安定的な動きとなっていない(付図4-2)。
以上のような財政・金融政策の引き締めによってインフレが安定化するというのは,ある意味で当然の結果である。しかし,インフレ抑制に成功するかどうかは,実質為替レートの動きに対し大きな意味を持ってくる。すなわち,ドルとの結びつきが強いこれらの国は,インフレが高いと為替レートが名目で一定でも,実質レートは増価し,この結果競争力が失われやすい。85年のプラザ合意の際にドルを中心とする主要通貨の間で為替レート調整が行われたが,インフレの安定化した国ほどこうした外部環境の変化をうまく活かして,輸出や海外からの直接投資を伸ばすことができ,結果として成長の促進に役立ったといえる。韓国,台湾ではプラザ合意後の86~87年には輸出が増加し,またタイでは86年以降,マレーシアでも87年以降やはり輸出の大幅増加により高成長となっている。
反対に,国内経済が不安定な国では,高水準の国内インフレが実質為替レートの増価をもたらすため,85年の為替レート調整のような有利な条件を活かすことができず,輸出の不振をもたらし,投資も伸びない。フィリピンの実質実効レートが他のアセアン諸国と比べて増価傾向を示しているが,これは国内のインフレ率が高水準で推移していることを反映したものであり,輸出不振と低成長をもたらしている(第4-1-4図)。
マクロ経済の安定化,特に物価の安定は,これだけでなく経済の不確実性を少なくすることによって,資源の配分をより効率的なものにするとともに,将来の投資に対しても好影響を及ぼし,こうした経路を通じても,経済成長を高めることになる。
健全な経済運営による物価と為替レートの安定というマクロ経済面での好環境に加え,NIEs,アセアンにおける最近の貿易,金融,資本移動の自由化は,開かれた経済圏の構築を通じてこの地域の輸出主導型の発展に大きく寄与している。これらの自由化はまた,国内経済が不安定なままで早い時期に急速に進められたラテン・アメリカとは異なり,経済の安定化を図りながら比較的遅い時期にゆっくりと進められているため混乱も少なく,この地域の経済発展を増進している。
NIEs,アセアンの開発戦略はもともと輸入代替型であったものが,産業の比較優位性の活用や国内市場の狭隘さの克服などのため輸出指向型へと換ったもので,この転換はNIEsでは60年代に,アセアンでは70年代に行われた。その際,輸出促進のため一部貿易の自由化や金融環境の改善が行われ,輸出を大きく伸ばしている。しかし,その後の自由化の速度は速いものではなく,本格的な自由化に踏み込んだのは80年代に入ってからである。
NIEsのうち,もともと自由貿易立国を旨とした香港,シンガポールでは貿易・金融を中心に当初から自由化がかなり進んでいた。韓国の貿易自由化は,80年代に入って進展し輸入自由化率では,80年の68.6%から91年には97.2%に拡大し,平均関税率は同時期に24.9%から11.4%へと低下している。台湾では,近年,貿易黒字の拡大とともに自由化を推進しており,87,88年には大幅な関税率の引き下げが行われ,平均税率で85年の27.2%から91年には8.9%へと低下しており,また輸入規制の緩和も行われている。
金融・資本移動の自由化も比較的最近のことであり,為替レートの安定化を重視したプログラムで進められている。韓国では金融面で84年に金利弾力化,88年に貸出金利の原則自由化などが行われ,資本移動については81年から自由化計画を作成して推進している。台湾では金融面で86年に預金金利の簡素化,89年に預貸金利の全面自由化が行われ,資本移動については89年に外国証券資本参入の制限緩和措置がとられている(付表4-1)。
アセアンをみると,貿易自由化については,輸入規制はタイを除いて従来厳しかったが,このところ自由化品目は拡大しつつある。関税については,マレーシアを除いて高水準であったものの,徐々に引き下げられつつある。金融については,インドネシア,フィリピンでは規制が比較的緩く,前者は83年に国立商業銀行の貸出・定期預金金利が自由化され,後者は83年までにすべての預金・貸出金利が原則自由化された。タイ,マレーシアでは規制が強かったが,タイでは80年代末に金利自由化が行われ,マレーシアでは91年に商業銀行の金利が完全に自由化されるなど自由化が進んでいる。資本移動のうち為替管理については,マレーシアとインドネシアは,規制がもともと緩く,IMF8条国にはそれぞれ68年と88年に移行しており,資本取引の制限も緩い。タイとフィリピンは資本移動について規制が厳しかったが,タイはIMF8条国に90年に移行し,フィリピンは92年に為替管理が大幅に緩和された。資本取引の制限緩和もタイが91年に,フィリピンは92年に行われた(付表4-2)。
このようにNIEs,アセアンでは安定化を重視した緩やかな自由化が行われ,妥当な為替レート水準の維持と相まって,80年代央以降直接投資による資本流入が増加し,これが輸出の大幅な増加をもたらし,経済発展を促進している。
これに対し,ラテン・アメリカにおける自由化は急進的で徹底したものであった。またNIEs,アセアンと異なり比較的不安定な経済状態のもとで自由化が行われた。例えば,70年代央に行われたアルゼンチン,チリ,ウルグアイにおける自由化はほぼ4~5年で貿易,金融,資本移動に関する規制をほとんど廃止したが,高インフレのもとで行われたため,金利と為替レートの管理に困難をきたし,巨額の資本流入と輸出不振から深刻な債務問題を引き起こすことになり,これら自由化政策は概ね失敗に終わったとされている。
各国の自由化により開かれつつある経済環境の中で,これらの地域では産業の比較優位に基づいた国際分業や相互依存関係が進展してきている。プラザ合意以降の為替レート調整は,NIEs,アセアンとその貿易相手国,特に日本との間の比較優位構造の急激な変化をもたらした。更にその後のNIEsにおける為替の切上げは,NIEsとアセアンの間での比較優位構造も変化させた。この結果,全体としてこれら地域における労働集約型産業の優位性が一層高まることとなったが,NIEsではアセアンに対し競争力を弱めることになった。こうしたことは,生産のリロケーションの必要を生み,東アジアの日本やNIEsでは,今まで以上に高付加価値製品の生産に特化することが必要となった。この結果,ハイテク製品等の資本集約型および技術集約型産業での優位性を高める必要に迫られるとともに,国内で優位性を失った労働集約型産業をアセアン等に移転し,これら製品は移転先から輸入するという関係が進展した。
例えば,ここ数年の貿易の伸びはNIEs,アセアンとも著しいが,その特徴を85年と91年とのシェアの比較でみると,輸出入はNIEsでは域内間で,アセアンではNIEsとの間での拡大が著しい(第4-1-1表)。これは,NIEs域内では各国の工業レベルの高度化に伴う工業製品等における相互の水平分業の進展を示しているものと考えられる。またNIEsとアセアンの間では前者から後者への直接投資の増加に伴い,同方向に資本財の輸出が増え,逆方向に製品の輸出が増加するという分業が進んでいるものとみられる。
また,NIEs,アセアンにおける直接投資の動向についてみると,85年の為替レート調整の結果,日本を中心とする先進国の直接投資は,87年からNIEs,アセアンで増加が著しくなった。間もなくNIEsの為替レートが増価したため,先進国からNIEsへ向かっていた直接投資はアセアンにシフトするようになった。またNIEsが自国の為替増価とともにアセアンヘ直接投資を出すようになったため,アセアンの受入額は急増することになった(第4-1-2表)。直接投資の産業別内訳をアセアン各国についてみると,総じて電気・電子機械および同部品が多いが,天然資源の豊富なインドネシアやマレーシアでは化学や基礎金属製品などのウエイトがなお高い。
NIEsでは経済発展に伴い,これまでの低賃金に依存した労働集約型の軽工業製品の輸出から,資本・技術集約型の重工業製品及びハイテク製品の輸出へと変化させている。そして,従来の軽工業製品の生産はアセアンヘ直接投資の形での移転,これら地域への資本財の供給と同地域からの製品の輸入という形での相互依存関係が進んでいる。このような要素価格の変化に対する経済の適応力の高さが,この地域のダイナミックな経済発展を生みだしているといえよう。また,アセアンの側においても,労働集約的な産業の優位性を活かすとともに,海外からの直接投資を積極的に受け入れつつ,生産や輸出構造を柔軟に変化させてきている。
さらに最近の相互依存関係の高まりを示す例として,組立て産業等で域内での部品の供給態勢の整備があげられる。これは,例えば日本からの直接投資によって設立されたアセアンの各国現地企業の間で国ごとの工業化レベルの違いに応じた部品生産の専門特化を行い,その相互供給による生産で規模の経済の実現と分業体制の推進を図ろうとするものである。これは比較的部品の多いカラーテレビやVTR等で試みられており,各国間における技術移転の役割も果たしている。
アセアン各国は,関税の引き下げによる域内貿易の促進のために,92年1月にアセアン自由貿易圏(AFTA)の創設を決めた。これは,今後5~8年で域内の関税を20%に下げ,15年でO~5%にまで下げようというもので,NIEs域内やアセアンとNIEsとの間と比べ遅れている域内の相互依存関係を高め,これを通じた各国の経済発展の促進をめざすものである。
こうした適応力の高い経済を支える要因として,国内企業の姿をみると,その旺盛な活動とこれら企業の技術吸収力の高さがあげられる。韓国では輸出主導の高度成長を支えた地場の企業集団としての財閥の役割は大きい。70年代において政府による産業の重化学工業化方針を担うことができたのは,ある程度の資本規模を有しており,またトップの判断で果敢に新分野への展開が可能であった財閥企業であったといわれる。韓国では直接投資による外資系企業の受入れが抑制的であったにもかかわらず,財閥企業による積極的な技術の取り入れ・応用によって技術水準のキャッチアップが進められてきた。
台湾では基幹産業は大企業である国営企業が中心となっているが,その周辺産業は中小企業である民間企業が担ってきた。70年代からとみに中小企業の活動が活発となり,輸出に占める割合も拡大している。76年と86年における従業員数や生産額のシェアの比較でみると,大企業で減少し,中小企業で増加している(第4-1-5図)。台湾の中小企業についても,その隆盛の背景として輸出指向的であること及び市場競争に対する積極的姿勢が指摘できる。
アセアンの例としてタイをみると,近年主に食品缶詰,履物,家具,プラスチック,造花などの分野で中小企業の生産・輸出が大きく伸びてきている。しかし,より付加価値の高い電気,化学などの分野におけるいわゆるサポーティング・インダストリーの育成はこれからの課題である。
台湾あるいはタイにおけるこれらの中小地場企業は,韓国における財閥系企業と異なり,政府の産業保護・育成の恩典を受けているわけでもなく,金融機関からの資金調達の面でも恵まれていないが,経済の構造変化への柔軟な対応力と厳しい競争・淘汰に打ち勝ってきた強じんさにより,最も競争の激しい輸出市場で著しい成長をとげ,これら地域のダイナミックな発展を担っている。
東南アジアでは,華僑系の現地企業家による活動も,この地域の発展にとって大きな原動力となっている。韓国を別にすればほとんどの国で華僑系の企業家による企業グループが形成されるようになり,金融やサービス部門を始めとして現地の有力企業のうち華僑系でないものはほとんどないといわれる。
NIEs,アセアンはこれまで好調な経済発展をとげてきた。今後についても多くの予測等では比較的高い成長が続くものと見込まれている。しかし,昨今の国際経済環境の変化は激しく,先進国における保護主義的な動き等これらの地域にとっても楽観視できない情勢があるとともに,秩序だった経済の自由化も今後は更に必要であろう。そこで今後ともこれまでのような高水準の安定した成長を維持していくための課題は何かを検討しておきたい。
NIEsでは80年代後半の経済の急拡大により,経済レベルは最近急速に先進国水準に近づいてきた。その反面さまざまな問題点も現れてきており,特にコスト面や技術開発力の点での競争力の維持・向上の問題が指摘されよう。韓国では86年から87年にかけての三低(低金利,低石油価格,低為替レート)といわれた好条件のもとで急速に輸出と投資を拡大したが,その後政治の民主化による労働運動の高揚から賃金の大幅上昇が起きた。労働力も,第一次産業から第二次産業への移動の減少と高学歴化に伴う労働需給のミスマッチ等から不足が生じてきている。資本の面でも,設備投資額は増加はしているものの,資本生産性でみると近年低下傾向がみられ,効率的な設備投資が伸び悩んでいるものとみられる(第4-1-6図①)。
台湾でも同様な問題が生ずるとともに,更に大幅な貯蓄超過のもとで,貯蓄が国内投資よりも国外投資へ向かう傾向が強くなっている。韓国と異なり,これまで中小のハイテク産業への投資が多く,賃金や為替レートなどの条件で不利化すると直ちに国外への投資に回ってしまうのである(第4-1-6図②)。
また,これらの国では欧米先進国との間で通商摩擦を生じ,自国通貨切上げという為替レートの調整を余儀なくされている。さらに資本・技術集約製品については先進国との間で技術上の観点から競争力に問題があり,労働集約的製品についてはアセアン諸国との間でコスト面での競争力に課題を抱えている。
このため,このところ内需の拡大により成長の道を模索しているところであるが,従来の高成長を内需だけで達成しようとすると,どうしても国内市場が過熱してしまいがちであり,また規模の経済を達成するためには国内市場だけでは依然狭隘である。また国内市場だけでの競争ではますます国際市場での競争力が失われてしまう恐れもあろう。
このため,NIEsにおいても当面輸出拡大努力の必要性が減じることはないとみられる。このためより一層の競争力の確保を図るため,技術力の向上を追求する必要があると思われる。韓国では,従来外国資本による国内経済の支配を恐れ,あまり積極的でなかったといわれる直接投資について,最近,規制緩和措置をとることとし,この拡大を通した技術移転の道を探っているところである。また研究開発投資の拡大にも力を入れ始めているが,一般的に言って技術が高度化するにつれ研究開発には多額のコストがかかるとともに,コストに見合った成果を得るのに困難が増す傾向があるので,こうした面にも留意しながらより効率的な技術開発を推進する必要があろう。台湾では輸出依存度が低下しつつある中で,依然として大幅な貿易黒字を抱えてはいるが,今後において問題がないわけではない。例えば輸出産業の多くがハイテク産業にみられるように国外からの進出企業によるものも多く,独自の技術開発によるものが依然少ないこと,またそのハイテク産業の競争力にしても技術上の比較優位というよりは,労働コストの面での比較優位によったものであることなどがあげられる。こうした情況をふまえ,さらに国際競争力を維持・向上するためには中小企業においても独自の技術開発による産業高度化を図るとともに,人件費の上昇によるコスト高は国内投資の拡充等による一層の合理化努力で克服すべきであろう(第4-1-7図)(第4-1-8図)。
上述のような投資および研究開発の推進のほか,さらにこれら諸国の今後の持続的な成長のためには,国内での幅広いサポーティング・インダストリーの育成による資本財,中間財の国内調達力を高めるなどの努力が求められるとともに最近結びつきが強まっている東南アジアのみならず,中国,ロシア,中・東欧等の輸出市場の拡大を図る必要があろう。
アセアンでは,今後も国際競争力の強化と産業の高度化を推進するため,産業基盤の整備や資本と労働の質の向上をいかに図るかがあげられる。まず,民間投資が急速に拡大した結果,国によっては,電力不足や流通・運搬手段の不足が深刻化しているところも多い。産業基盤の整備にはその国のおかれている情況による優先順位の問題もあろうが,先進国からの協力を有効に活用しつつ積極的な推進が望まれる。その他,所得分配や地域開発における地域や階層の間の甚だしい格差の是正による社会の安定性と効率性の追求も経済開発の基盤整備という点で優先されるべき課題であろう。
また,一部の国で賃金の上昇がやや高まっているが,労働集約型産業における比較優位はまだ大きい。それでも,長期的には高度の生産設備の構築に備えた資本の蓄積とそれを運営しうる質の高い労働力の確保が重要な課題となる。
労働力は豊富ではあるが,技術の吸収・開発に必要な熟練・専門技術者の不足が生じている。これは近年の直接投資の急拡大のためもあろうが,人材の不足は産業の高度化にとって致命的であり,早急な改善が望まれる。
マクロ経済運営の面では,いままでの発展の条件でもあった,インフレの安定を今後もいかに維持していくかがあげられよう。インフレの安定は単に外国からの直接投資を呼び込んだり,実質為替の安定を通じた輸出の拡大のために重要であるだけでなく,国内的にも金融の深化及びこれによる投資の拡大のためにも必要である。しかし,これらの国の投資環境が良いことや近年の国際資本移動の活発化もあって,これら地域へも多額の資本流入が生じ,このため国内のマネーサプライが増加するという問題がある。ところが,この地域では比較的金融市場の整備が遅れているため,金融のコントロールのための手段が乏しい。例えばインドネシアでは,財政の不足資金は全て海外からの調達によって賄われており,政府による国債の発行がなく,従って国内に本格的な債券市場をもたない。そこでこれらの国で大規模な民間資本の流入が生じると,国内でのマネーサプライのコントロール手段の欠如からインフレの抑制に困難をきたすことになる。これに対しマネーサプライのコントロールのための金利引上げによるインフレ抑制策は,自由な為替管理のもとでますます巨額の資本流入が起こりやすいというジレンマがある。こうした課題に対応するためには,今後国内の債券市場等の短期金融市場の育成を図っていく必要があろう(第4-1-9図)。さらにこれらの国では為替自由化に比べ遅れている貿易自由化を優先的に進め,高関税による高価格品目の価格引下げを図る等,国内価格体系の歪みを是正していく必要があろう。
NIEs,アセアンでは以上のように,地域あるいは国ごとにさまざまな課題も出てきてはいるが,域内外の相互依存関係は今後ますます進展するものとみられる。特に,発展段階においてはなお違いがみられるものの,政治情勢の変化が進む中で競争力の強化とマーケットの拡大をめざして,より狭い地域レベルにおいても活発な協力関係が生まれてきている。次項ではこうした例とじていわゆる華南経済圏およびインドシナ経済圏の実情をみていくこととする。
前節で述べたように,東アジア地域では相互依存を深め,ダイナミックな成長を遂げているが,そのアジアの中でも特に成長の著しい地域として最近注目を集めているのは,中国の広東省等の沿海部である。中国では,79年より経済改革に着手しており(中国の経済改革の状況については第3章第3節参照),対外面でも,積極的に外資を導入するとともに,対外諸国・地域との貿易を拡大させつつある。このような動きの中,特に,隣接する香港,台湾とは投資・貿易等の結びつきや分業関係が深まっており,また同時に相互に活発な経済拡大を続けている。この3国・地域を含む東アジアの沿海南部は,広く「華南経済圏」と称されている。しかし,この「華南経済圏」は,各国・地域間の公的な枠組みに基づいて作られているわけではなく,貿易・投資等の経済交流の実体がまず先行してきた。そして経済交流が急速に発展するにつれ,経済圏を構成する中国,台湾,香港でも次第に「華南経済圏」に対する認識を強めつつある。
「華南」とは元来中国の南東部(広東,福建,海南省,広西自治区の辺り)を示す概念であるが,「華南経済圏」と称される場合は,大体において経済特区を有する中国の広東省,福建省と香港,台湾を包括する地域を指すことが多い
「華南経済圏」の地域の人口は1億人を超え,そのGNP総額は2,715億ドル,輸出総額は1,878億ドルとなり,韓国や,ASEAN地域に匹敵する一大経済圏となっている(付表4-3)。アジア地域では,,インドシナ経済圏,環日本海経済圏,黄海経済圏等,様々な地域経済圏の構想が唱えられている。しかし,構想段階から脱し,既に域内の相互依存関係を深めている点で,「華南経済圏」はこれらの中でも一歩先んじた位置にあるといえるだろう。
この地域では,従来,政治的な問題が障害となり,域内の交流も限られていた。しかし,78年以降の中国の政策路線の変更(経済改革,対外開放の実施)はこの地域の緊張緩和を促した。80年代を通して,活発に行われた域内の,経済交流は,結果としてこの地域の経済成長を促し,特に,中国南部の「珠江デルタ」(広東省の沿海部,深しん・珠海等の経済特区を含む珠江流域)では,年平均15%程度の高い成長率が続いている。
中国は,対外開放政策を採って以来,外国企業からの直接投資を積極的に導入しているが,中でも,香港,台湾からの直接投資は活発である。これらの投資は,経済特区を抱える中国沿海南部の広東,福建省に集中している。香港資本の5割は広東向けであり,台湾資本の約4分の3は広東,福建省向けとなっている。
まず,台湾の中国向けの直接投資をみてみよう。投資は80年代初め頃より次第に進んできたが,その増加が顕著となったのは台湾側が親族訪問のための中国渡航を認可した87年以降である。現在,台湾当局は中国との直接的な交流活動を禁止している。しかし,中国向けの直接投資については,第3国・地域を経由した上での間接的な投資であれば,当局の公布する許可品目リスト(リストは,92年7月に品目数を増やし,3,764品目となった)内に限り認められている。ただし,100万ドル以下の場合は6か月以内の事後申告でよいが,100万ドルを超える場合は投資審議委員会への事前申請と認可取得が必要となる。
このため,台湾企業は,まず香港などに企業を設置し(香港を経由するケースが多い),そこを拠点として間接的に中国へ投資を行わざるをえない。投資の規模については,中国への投資行為が黙認されていた時期は不明確であったが,投資に許可制を導入した後の91年半ばからは,中国への投資額も公表され始めている。これによれば,91年年間の中国向け直接投資(承認ベース)は237件,金額で1.7億ドルとなり,台湾の対外直接投資総額の約10%を占めている(この中には許可制の導入に伴い,事後申請を行った91年以前の投資も含められている点に留意が必要)。92年に入っても,1~7月で132件の投資が認可されており,投資は引き続き拡大している。ただし,中国側の発表をみると,台湾の投資額は91年間で13.9憶ドル(1,735件)となっており,実際の台湾からの投資規模はさらに大きいとみられる。
進出した企業を業種別にみると,服飾品,製靴,紡績,食料,ゴム・プラスティック製品等の労働集約型産業や,電子・電機等が多い。特に,製靴業は,その約8割が中国・広東省に工場を設置している。投資方式は,中国企業との合弁に混じって,100%外資企業も数多い。台湾当局の委託アンケート調査によれば,全体の56.5%が100%外資である(付表4-4)。経営形式は,原料・資材を台湾から持込み,現地で加工した製品を他国へ輸出する輸出指向型を採るケースが多く,前述のアンケート調査の結果からもその様子がみてとれる。
急増を遂げた中国向け投資ではあるが,先行きはどうであろうか。台湾の中国向け投資の担い手は多くが労働集約型の中小企業であり,大企業の中国進出は足踏み状態にあった。台湾プラスティックの総額70億ドルの厦門・海滄地区向けの大型投資計画(石油化学プラント建設)も,当局の規制で棚上げとなっている。しかし,91年末には,タイヤ・チューブ等の大手メーカーが福建省の杏林台湾投資区へ進出,操業を開始した。同社の投資総額は約2,000万ドルで,輸出用のタイヤ,チューブの生産基地の設置を進めている。また,台湾プラスティックも,92年に入り,他の台湾企業と共同で中国に輸出加工区を設立するとの計画を示している。このような大企業の進出の動きがさらに進めば,台湾の対中投資もさらに拡大すると見込まれている。また,他方で,中国資本企業の台湾向け投資の動きもみられる。
次に香港から中国への投資の推移をみてみよう。香港は中国にとって最大の資本の出し手である。中国への投資国・地域の中で,香港は,80年代初よりトップの地位を保っている。香港から中国への直接投資は,香港返還について中国と英国との合意が打ち出された84年以降顕著に拡大してきた。その金額は91年年間では72.2億ドルとなっており,中国の投資受け入れ額全体の60%にまで達している。
拡大する香港資本の50%以上は広東省へ流れており,その殆どは委託加工生産を行う工場設置に関わる投資である。現在広東省にある香港資本の委託加工工場は1万8千社余,従業員総数は139万人にもなる。これに1万社を超える,委託加工工場以外の香港系外資企業の従業員を加えると200万人に達し,香港の製造業の従業員数(80万人)を軽く上回っており,香港と広東省との経済の一体化の進展がうかがわれる。
これら香港,台湾からの直接投資は,沿海部,特に経済特区を有する広東,福建省に集中している。90年に広東省が承認した直接投資総額のうち,78.4%は香港資本によるものである。台湾の投資も,広東,福建の沿海2省に全体の61.5%が集中している。福建省向けの進出企業は940社に及び,同省の直接投資受け入れ額の大半を占めている。台湾資本の福建省への流入が増大している背景には,89年に台湾企業向けの優遇地区を厦門特区の海滄,杏林に設置する等,福建省では台湾企業に対して優遇度が高い点が挙げられる。
一方で,中国の香港向けの直接投資も,中国のグループ企業を中心に84年の中英合意以降活発化している。90年までの累積投資総額(製造業向け)は約340億香港ドルに達し,米国,日本に次ぐ資金供給源となっている。香港に事務所を持つ中国系企業は3,000社ともいわれているが,投資総額の65%は中国銀行,招商局(交通部系),華潤公司(対外経済貿易部系),中国旅行社,中国国際投資信託公司(国務院直属,CITIC)等の国営企業グループに集中している。これら中国企業の投資先は,製造業の他,金融,不動産,ホテル,建設業等と幅広い。また,80年からは中国各地の省,市が地方単位で独自に出先機関を香港に設置するケースが増えている。中でも,広東省の粤海企業公司,福建省の華門企業公司は関連会社を急速に増やし,中央政府系の企業グループに匹敵する規模に拡大している。
中国,台湾,香港の各々2地域間の貿易動向を示したのが,第4-1-10図である。これをみると,中国と香港では84年,中国と台湾では85年頃より,貿易総額が急速に増加している。香港,台湾の中国に対する輸出依存度(台湾は対GNP比,香港は対GDP比)も高まる傾向にあり,91年では香港が27%,台湾は6%となっている(第4-1-11図)。
まず,中国と香港との貿易関係をみてみよう。元来,香港は中国と他国との貿易中継点として発達してきた。80年代に入っても,香港は,中国と他国・地域を結ぶ貿易中継地としての機能をさらに強めており,再輸出を中心に活発な貿易を行っている。
香港全体の輸出をみると,80年代前半は「再輸出」(第三国・地域の商品の中継輸出)よりも,「地場輸出」(香港の地場産業の商品の輸出)の方の規模が大きかった。しかし,80年代半ばから「再輸出」のシェアが次第に高まり始め,88年以後は「地場輸出」のシェアを上回っている。輸出総額に占めるシェアを81年と91年で比較すると,「地場輸出」が65.8%から30.2%へ低下する一方で,「再輸出」は34.2%から69.8%へと上昇し,シェアが逆転している。この急増した「再輸出」の大半は中国を原産地とした商品が占めている。
中国にとっては,香港は最大の貿易相手である。中国の主要な輸入相手国は,80年代当初は日本,米国であったが,米国は83年よりシェアが10%台に低下し,日本も86年よりシェアを次第に低下させ,代わって香港が88年より最大のシェアを占めている。また,輸出相手としては,80年代当初から一貫して香港が最大のシェアを占め続けている。しかも,輸出入ともにそのシェアは年々拡大し,91年には輸出額,輸入額のそれぞれ44.7%,27.4%が対香港貿易で占められている(第4-1-12図)。また一方で,香港のシェアが拡大すると同時に,香港を経由して米国や日本等他国への再輸出も急速に増えていることも,第4-1-12図からみてとることができる。
中国と香港との貿易拡大を支えているのが,委託加工貿易(Overward ProcessingTrade)の発達である。香港の製造業は,元来原料・部品を輸入し,それらを加工,組立した後,輸出する形態を特徴としていた。しかし,賃金・地価の急増がコストの上昇を引起したため,80年半ばより香港企業は中国への工場設置を進めている。進出した工場では「委託加工」方式(原料・部品は香港から持込み,出来上がった製品は全て香港へ輸出し,工場には加工賃が支払われる)が採り入れられ,これにより,中国・香港間の貿易,特に「再輸出」の規模が拡大しているのである。
香港政庁は最近になり委託加工貿易の数字を発表している(第4-1-3表)。これによれば,中国からの輸入の62%,中国への地場輸出の79%,再輸出の50%は,委託加工貿易に関連している(90年)。また,89年と比較してもこれらのシェアは拡大しており,香港の対外貿易は中国向けの委託加工関連貿易を中心に拡大しているといえる。また,製品別でみると,時計や玩具,スポーツ用品,衣料等,従来香港の地場産業が得意としていた労働集約型の軽工業部門で活発に行われている。
中国と台湾との貿易は,投資と同様で,各企業は香港等の第3地域を経由して貿易業務を行っている。このため,ここでは香港政庁の統計に,より,中台貿易の状況をみることとする。中国と台湾相互の貿易は,85年より顕著に増加している。台湾から進出した企業へ資材,原料等を調達するため中国向けの輸出の伸びが特に著しく,台湾側の大幅な出超傾向をとりつつ,貿易規模を拡大させている。この結果,91年には中国は台湾にとって4番目の輸出相手国となり,輸出総額に占めるシェアも81年の1.7%から,91年には6.1%へ上昇した。
中国からの間接輸入は従来は農工原料にのみ限定されていた。だが,半製品の輸入が拡大する実情を反映し,91年末からは次第に半製品(履物の部品,貴石など)に対する輸入認可も進められている。これに従い,台湾の地場産業の中国からの半製品輸入に対する依存度も上昇しつつあり,繊維製品の中には,中国からの輸入品に85%依存する例もみられる。中・台間の貿易を製品別でみると,台湾からは,化学繊維・布・化学品や機械等が多く輸出されている。また,中国からは,原料等の一次産品(同一民族であることから,漢方薬,食料品も多い)に加え,玩具,化学繊維,衣料等も急増している。
投資,貿易面での関係強化にともない,域内の資金の動きも活発化している。東京,シンガポールと並び,アジアの重要な金融センターの一つである,香港の金融市場は,華南経済圏内の経済関係が強まるにつれ,華南経済圏の金融センターとしての機能が強まりつつある。
香港金融機関の取引先としては,アジア地域が大半を占めているが,中でも中国との資金取引は近年増勢を強めている。例えば,香港金融機関の海外向けの債権残高(非金融機関,91年末)をみると,中国向けは57.2億ドルと,日本に次ぐシェアに達している。香港には,中国の専門銀行である中国銀行(外国為替業務を扱う)とその系列下の諸銀行,計12の中国系銀行が存在し,中国系企業への資金供給源として重要な役目を果たしている。また,台湾も91年に商業銀行が香港に駐在員事務所を開設したのに続き,92年には初めて香港への支店設立を認可し,金融取引の基盤作りを進めている。
香港系企業の進出増加から,香港経済との結びつきの強い広東省では,省内での香港ドルの流通が拡がっている。特に香港に接する経済特区・深州でその傾向は顕著で,香港ドルの全発行量の約20%が広東省で流通しているとする試算も出されている。
また,中国では,91年より,上海,深しんの証券取引所で外国投資家向けに株式の発行を開始している。「B株」(国内向け発行の株をA株と称するのに対して)と呼ばれるこの証券は,まだ発行量が少なく,また,中国国内の証券取引機関を介さねばならない等の不便さはあるが,今後は証券取引による資金の動きも増大していくものとみられる。
香港,台湾と中国大陸の経済交流が活発化した要因としては,以下に述べるように幾つかの点が挙げられる。
まず,元々,中国と香港,台湾とは地縁・血縁的な結びつきの強い存在であるという点が挙げられる。7香港では広東省出身,台湾では福建省出身が多く,地域内の血縁関係も強い。広大な中国では方言が多く,普通語(北京語)の通用しにくい地域もある。このため,普通語と異なる現地の言葉を使えるという点も香港,台湾人にとって,ビジネスを進める上での大きな利点となっている。
海外で生活する中国系人を広く「華僑」と称しているが,これら華僑系の企業グループの資本も,香港市場等を経由して中国へと流れている。「華僑」は,東南アジアを中心に世界各地に広く分布しており,全世界の「華僑」総数は5,500万人ともいわれているが,そのほとんどは広東,福建省の出身である。
彼ら「華僑」は,血縁,地縁のつながりが強く,香港,シンガポール等の経営に対する規制の少ない地域に現地法人を設立し,その現法を拠点として同郷(広東,福建等)や,それ以外の中国各地へ投資を行っている。多国籍・大型企業グループも多く,与える経済的な影響力は大きい。中国,香港,台湾への投資を望む日本等の他国企業では,よりビジネスを潤滑に進めるため,橋渡し役として華僑グループをパートナーに選ぶケースも多い。これら「華僑」の存在も「華南経済圏」の発展に有利に機能しているといえよう。
このような結びつきを背景に,80年代以降,地域内の経済関係は急速に強まったが,この近年の関係強化には以下の3つの要因が挙げられるであろう。
まず第1に,沿海南部を中心に進めた中国の対外開放政策の効果が挙げられる。広東,福建省などの沿海南部は,計画経済体制の管理下にありつつも,開放以前より政府の統制が相対的に緩い地域であった。国営部門の規模も比較的小さく,国営企業の工業生産額に対するシェアをみても,81年当時で,広東が67.9%,福建が76.3%と全国平均の78.3%を下回っていた。
中国政府は,対外開放政策を導入する際に,足掛かりとして,この沿海南部に着手した。まず,80年には広東省の深しん,珠海,汕頭,福建省の厦門の4地区に経済特区が設置された。これら特区では,外資の積極的な導入が奨励され,外資企業にたいする法人所得税,関税,土地使用等の点で優遇策が採られている。また,地方政府に対しても,中央政府の管理を緩め,地方の権限を強化した。例えば,外資を利用する際の各地方政府の認可限度額をみると,80年には,北京,天津等が300万ドルまでと限定されていたのに対し,広東・福建省では500万ドルと高く設定され(87年には各省,市ともに限度額も統一),沿海南部はより優遇されていた(付表4-6)。
また,財政面でも,広東・福建省に対して当初は優遇的な制度が採られた。
中国政府は,80年より地方政府に財政請負制を導入し,それまでの中央政府の統一的な財政管理から,中央と地方との財政管理の分担へと移行しつつある。
80年の財政改革では,広東,福建省は「定額請負制」を導入している。この制度は,省内にある中央政府の直営企業・事業に関する収入,支出は中央財政の管理下へ,それ以外のあらゆる収入及び支出は地方財政へと,財政の管轄範囲を明確に分け,地方財政収支のうち一定額を中央へ上納することを義務づけた。他の地方政府では,地方財政の管轄範囲が狭く,中央への上納金も毎年一定比率で増加する方式であり,両省は比較的財政資金に対する自主裁量権が大きかったとみられる。
広東,福建は改革・開放のモデル・ケースとされていたため,改革の進展速度も速く,市場経済化がより進んでいる。価格の自由化についても,広東省ではより柔軟に価格体系の見直しがなされ,市場価格のシェアも全国平均より高くなっている(第4-1-13図)。
このように,地方政府の自主的な行政管理を促すと同時に外資に対してより開放的な政策を採ったことが,結果として沿海南部と香港,台湾との交流の活性化に寄与したといえる。
第2には,香港,台湾の国内投資環境の相対的な悪化が挙げられる。80年代前半,この地域は輸出主導で経済発展を遂げてきたが,労働力不足に伴い賃金が上昇した結果,輸出の主力であった労働集約型産業も次第に国際競争力を失いつつある。台湾の場合は,80年代後半からの為替レート(対ドル・レート)の上昇も競争力を弱める要因となった。また,85年と91年の失業率を比較してみても,台湾は2.9%から1.5%へ,香港も3.2%から1.8%へと低下している。一方,賃金上昇率(名目)をみると,台湾では80年代後半より2,ケタ台の高い伸びが続いており,香港では87年頃より上昇率が高まっている(第4-1-14図)。香港の場合は,高い賃金上昇が,10%を超える高いインフレ率の一要因ともなっており,早急な問題解決が必要となっている。
一方,中国での賃金水準は香港,台湾を遥かに下回る。経済特区でこそ,このところの経済成長に伴い上昇しているものの,香港の20%の水準に過ぎない。特区外では,大体香港の10%程度と,ASEAN諸国程度,ないしはそれ以下の低い水準にある。工場用地の使用料についても,上昇しつつあるはいえ,香港の水準よりはまだ格段低い。このような中国の安価かつ豊富な労働力,土地は香港・台湾両地域にとっては魅力であり,この結果,中国大陸への企業進出が急増することとなった。
そして第3に,中国,台湾,香港間の経済交流の妨げとなっていた政治的な対立の緩和が挙げられる。80年代に入ってからの中国と台湾の対立緩和は,両地域のみならず華南経済圏全体の発展を促している。まず,79年,中国が台湾に対して「台湾同胞に告ぐる書」を公表し,台湾との平和的な統一を求める姿勢を示した。これに対し,当初は対中姿勢を崩さなかった台湾も,85年には,中国との間接的な貿易に干渉しないとの姿勢を公式に示し,対中貿易の活路を開いた。88年には中国が「台湾の投資を奨励する国務院規定」を示し,・台湾企業に対して他国よりも優遇的な措置を設けることを決定し,台湾資本の進出を促した。台湾も,87年に戒厳令を解除し,中国への親族訪問を解禁,91年には,李総統が,中国共産党との「内戦」状態を終結させるとの宣言を正式に表明した。このような政治的な対立の緩和は,従来の地域の経済交流の制約を解消しておリ,企業活動がよりスムーズに行える環境を作り出している。
「華南経済圏」での経済関係の活性化は,中国沿海南部の経済の急速な発展に寄与している。華南の一端を担う広東,福建省と他の省との経済を比較したのが,第4-1-4表である。外資の受け入れ,輸出総額ともにこの2省で中国全土の大半を占めている。また,外資企業や,郷鎮企業の発展も顕著で,工業生産額に占める国営企業のシェアは広東で40.2%,福建で45.2%と,全国平均の54.6%を下回っている(1990年)。旺盛な輸出と,非国営企業の発達に支えられ,投資,生産も全国平均を上回る高い伸びとなっている。86~90年の5年間の成長率を比較しても,全国平均8.0%に対して,広東は16.7%,福建は15.3%と急速に成長している。一人当たりのGNPをみると,広東,福建ともに省全体では水準がまだ低いが,経済特区の周辺はASEAN諸国に匹敵する高い水準にある(第4-1-15図)。広東,福建省への外資の集中度を,各省ごとの直接投資受け入れ額の対固定資産投資総額からみると,中国全体の7.1%に対して,広東省では31.6%,福建省では51.2%と高い(90年)。これに対し,北京,上海市などの中国の中心都市部では,生産や投資の伸びも低く,急速な成長を遂げる沿海南部に追い上げられつつある。内陸部では,さらに成長の度合いは緩やかで,沿海部とその他の地域との経済格差も生じつつある。
中国政府は,改革,開放政策を採用した78年以来,経済発展の中心を沿海地域に置いてきた。従って,現在の沿海地域の発展と内陸部の遅れは当然の結果であるが,今後は沿海部と内陸部との経済のインバランスも改善が必要となろう。中国政府も「華南」での一応の成功に対し,対外開放を更に沿海北部,内陸部へも拡げ,全方向的な外資との関係強化を進めようとしている。91年10月には,内陸部を中心に27都市に対して,ハイテク産業開発区の設置を認可し,外資・技術導入促進のため,優遇措置を設けることが可能となった。また,90年から着工している上海の浦東開発(黄浦江の周辺,350m2)も,伸び悩む上海の活性化を促し,中国の貿易・金融センターを作る措置として政府が重要視している計画である。政府は,さらに上海・浦東地区を拠点とし,長江の沿岸都市(江蘇,洒江,安徽,江西,湖南,湖北,四川)へと開放政策を押し進めるとしている。92年8月には,重慶,武漢等の長江沿岸の5都市や,ハルビン,長春等の国境の都市,長沙,成都等の内陸部の都市を対外開放した。これらの地域では,従来の開放地区と同様,外資の受け入れ奨励,外資系企業への優遇措置の実施,経済技術開発区の開設認可が行われることとなる。長江流域を中心とした華中地域の対外開放の成否は,中国の全面的な成長促進策としての役目が期待されている。
カンボジア情勢が変化するとともに,インドシナにおいても政治的な緊張はここ数年緩和してきた。ベトナム,ラオスでは第3章第4節でみたように,経済改革を積極的に進めており,近隣のASEAN,NIEs諸国との関係改善を図る動きがみられる。こうした中で1988年8月にタイに周辺諸国との善隣外交を唱えるチャチャイ政権が誕生した。新政権は,「インドシナを戦場から市場へ」のスローガンを掲げ,ベトナムがカンボジアから撤退したこともあって,急速にタイとベトナム,ラオス,カンボジアのインドシナ諸国との接近が進み,経済協力関係が進展している。まだ,経済圏と呼べるほどの規模ではないが,「バーツ経済圏」とも称されるなど,アジアの新たな地域経済圏の1つとして注目を集めるようになった。
近年,タイは,輸出や投資が順調に拡大して経済は高成長を続けている。こうした経済の規模が拡大するにつれ,地理的に近接し,共有するものが多いインドシナ地域との関係強化を図ろうとする動きが生まれた。経済的側面からみると,同地域は,タイの経済成長にとって欠かせない石油,石炭の他多数の未開発で豊富な資源を有している。また,将来,タイ製品(特に消費財)の輸出市場として成長する可能性があり,タイの経済発展にとって重要な地域となることを期待している。また,政治的にも,ベトナム,ラオスは社会主義体制を堅持し,カンボジアは長い間の内戦状態から,今まさに平和への歩みが緒についたばかりであるが,経済的な結びつきを強化することによって,地域の安定を図ることがタイにとっても望ましい選択であった。
一方,ベトナム,ラオスは,86年以降,それまでの社会主義的計画経済から市場経済システムの導入といった自由・開放経済への移行を進めていた。また,これまで政治的,経済的に最も関係の深かった旧ソ連の崩壊により,これに代わる新たな協力関係を求めて西側諸国,とりわけ経済成長の著しい近接のアジア諸国への接近を図ろうとしていた。こうした中で,近年,経済発展の著しいタイと経済的な結びつきを強化することを期待した。特に,インドシナ各国の現状からすると,タイの中程度の技術レベルが導入するのには適当でもあった。
もともと,民間レベルではタイとベトナム,ラオスとの間で,公式な経済関係が結ばれる以前にも国境貿易が存在していた。また,57年にはメコン川流域の水資源開発を目的に,タイ,ラオス,カンボジア,南ベトナムから成るメコン委員会が発足し,75年にインドシナ情勢の急変に伴って一旦中断していたが,78年にタイ,ベトナム,ラオスの3が国で暫定的に再開され,91年のカンボジア最高国家評議会(SNC)成立後は,カンボジアのメンバー復帰を含めた同委員会の本格的活動のための協議が関係国間で継続中である。
同地域の将来性に着目してみると,経済規模は,タイの910億ドル(91年,GDP)に比べ,インドシナ3国は,ベトナムが136億ドル(90年,GNP,以下同じ),ラオスが7.4億ドル,カンボジアが20億ドルと小さく,4が国あわせた経済規模は,約1,070億ドルで,NIEsのうち香港とシンガポールをあわせた額にほぼ等しい。1人当たりの国民所得はタイが1,600ドル(91年)に対し,ベトナムが200ドル(90年,以下同じ),ラオスが184ドル,カンボジアが292ドルで最貧国のレベルにある。しかしながら,タイを含めた面積は125万km2(日本の3倍以上),人口は1億3千万を超える大きな市場が誕生することとなる。また,ベトナムの識字率は90%を超えているといわれるように,豊富で良質な人的資源を有している。さらに,現在,開発途上もしくは未開発の豊富な天然・鉱物資源,例えば,ベトナムの石油,石炭,鉄鉱石,すず等,ラオスの森林資源,石こう等,カンボジアのボーキサイト,宝石等を有している(付表4-7)。
地域経済圏として注目されるようになって日は浅いが,,最近の貿易動向,直接投資の進展状況をみると,地域の経済的相互依存関係は急速に深まっている。
タイとインドシナ各国との貿易額の推移をタイ側からみると,85年の22百万ドルから90年には235百万ドルへと約10倍に拡大した。この間のタイの総貿易額が164億ドルから561億ドルへの3.4倍の伸びであったことと比べると,同地域との貿易が規模は小さいものの,近年急速に増加したことが分がる。これを国別にみてみると,いずれの国とも順調に拡大しているが,90年には対ラオスとの貿易額が110億ドル,対ベトナム貿易額が112憶ドル,対カンボジア貿易額が12億ドルとそれまでのラオスに替わりベトナムとの貿易額が最も大きくなった(第4-1-16図)。更に,90年について国別の輸出入状況をみると,対ベトナムでは輸出が18.2百万ドルに対し輸入が93.8百万ドルで75.6百万ドルの赤字となっている。商品別では,タイ側から主に砂糖,プラスチック製品,化学製品等を輸出し,木材,鉄鋼石,原皮等を輸入している。対ラオスでは,輸出が65.8百万ドルに対し輸入が44.3百万ドルで21.5百万ドルの黒字となっている。商品別では金属製品,自動車,衣料品,電気製品等を輸出し,木材製品,電力,鉄鋼等を輸入している。対カンボジアでは,輸出が0.9百万ドル,輸入が11.6百万ドルで,10.8百万ドルの赤字になっている。商品別には,医薬品や米等を輸出し,鉄鋼,木材製品等を輸入している。以上のように,タイとインドシナ諸国との貿易は,対ベトナムを中心にタイ側の赤字となっている。貿易構造としては,タイは原材料を輸入し,加工製品を輸出するという構造になっている。
こうした急速な貿易の拡大を可能にした制度的要因として,まず89年にタイとラオスが貿易に関する覚書に調印し,短期的な決済通貨としてバーツを使用することとなった。その後,87年の国境紛争後に採られたタイのラオスへの戦略物資の禁輸措置が解除されるとともに,ラオスのタイへの木材輸出が再開された。またタイとラオス,カンボジア,ベトナム各国との間で合弁銀行の設立が合意され,各国の首都にはタイとの合弁銀行が開設された。91年6月にはタイ・ラオス新貿易協定が調印されラオスの農産物の関税が引き下げられた。91年10月にはタイ・ベトナム間では,投資促進・保護協定及び天然ガス開発協力協定に調印した。このように短期間のうちに経済協力関係を発展させるための枠組みが構築されつつある。
次にタイからベトナム,ラオスへの直接投資の状況をみると,まず,ベトナムの直接投資の受入状況は,88年の外国投資法の制定以降,海外からの置接投資は順調に拡大している。88年から92年1月までの累計(認可ベース,外国側法定資本ベース)で,プロジェクトの件数は387件,金額1,238百万ドルに達している。これを国別にみると,タイは件数が22件で第6位,金額は15百万ドルで12位となっている。金額はやや少ないものの,プロジェクト数では上位にあることや近年その増加が著しいことから,今後ベトナムへの直接投資は増加していくと予想される。タイの主な投資分野としては,缶詰,化学調味料生産等の食品加工や,観光等への投資が進んでいる。ラオスの直接投資の受入状況をみると,やはり外国投資法を整備した88年から92年第1・四半期までの累計(認可ベース,全投資額ベース)で,プロジェクト件数で215件,金額で約299百万ドルとなっている。これを国別にみると,国境を接し従来から関係の深いタイが圧倒的な地位を占め,件数が80件,金額は1.3億ドルで全体の43%を占めている(第4-1-17図)。また,開発援助の一環として,94年の完成を目指してタイ,ラオスにオーストラリアの協力も得て,メコン川架橋計画が進められている。
また,タイは91年度予算に初めて,インドシナ地域を念頭においた経済協力予算を計上した(対ラオス2,400万バーツ)。更に92年度予算において,ラオス向けに4,300万バーツ,ベトナム,カンボジア及びミャンマー向けに各々2,100万バーツを計上した。
インドシナ地域経済圏は,現在のところ順調に発展しているかにみえるが,今後,克服しなければならない課題も少なくない。同地域圏が抱える問題点を整理するとともに,将来の方向について検討してみたい。
第1に,タイとインドシナ各国では地域圏に求める利害が必ずしも一致していない。タイは各国が有する豊富な資源に注目しているが,インドシナ各国は経済発展のための貴重な財産である資源の急速な開発には慎重になっている。
ラオスでは木材は主要な輸出品であるが,資源保護のため輸出を92年4月に禁止した。各国とも技術移転を伴わない天然資源の開発には慎重である。第2に,同経済圏がタイとインドシナ各国との間の2国間の協力関係にとどまっていることである。同地域を包括的に組織化するような機構,機関は存在しない。直接投資を含め地域の経済関係が強化されるにつれ様々な障害が発生することが予想される。そのような場合,各国が一同に集まり調整,調停する場が必要となるであろう。現在のところ,タイ側の一方的なイニシアティブの下に同地域の経済圏構想が進んでいる段階といえる。第3に,タイがインドシナ地域を経済の後背地と考えるように,他のASEAN諸国やNIEs諸国も同地域の将来性に注目している。すでにインドシナへの進出競争は始まっている。他方インドシナ各国ともASEANへの加盟を希望しており,92年7月にはベトナム,ラオスが外相会議へのオブザーバとしての参加を認められた。
また,ベトナムと国境を接して前述の成長著しい華南経済圏が存在する。インドシナ諸国の中でも経済的規模も大きく積極的に西側諸国との経済関係を強化しつつあるベトナムは特定の経済圏にとどまらずアジア全体を視野に置いた選択をする可能性がある。
世界の成長センターといわれるアジアにおいては,NIEs,ASEANを始め,華南経済圏,インドシナ経済圏等いくつかの錯綜する経済圏が存在する。今後,躍動するアジアの中でインドシナ経済圏がひとつの経済圏として存続するか,アジアの大きなうねりの中で発展的に解消していくかは,同地域圏がより互恵的な経済協力関係を構築し,地域経済圏としてのアイデンティティを確立できるかにかかっていると思われる。