平成3年

年次世界経済報告 資料編

経済企画庁


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II 1990~91年の主要国の政策動向

第13章 オーストラリア

3. 政治面での動き

ホーク首相とキーティング蔵相・兼副首相(当時)との間で「90年3月の総選挙後に政権を譲る」との密約が交わされていたことが,91年5月30日,明らかになり,キーティング蔵相・兼副首相はホーク首相に対して退陣を迫った。

政権の座をめぐる2人の争いは,6月3日の労働党両院議員総会の議員投票に持ち込まれ,投票の結果,ホーク首相が66対44で勝った。同日,キーティング蔵相・兼副首相は議会にはとどまったものの,蔵相及び副首相を辞任した。

6月4日,ホーク首相は辞任したキーティング蔵相・兼副首相の後任に,ケリン第一次産業・エネルギー相を,副首相にはハウ地域サービス・保健相を任命した。ケリン新蔵相は,就任後,インフレの抑制を第一の目標とした,キーティング前蔵相の政策を引き継ぐことを表明した。

12月6日,ホーク首相はケリン蔵相を更迭,運輸・通信相に任命し,後任の蔵相にはウィリス財政相を指名した。ケリン蔵相の更迭の理由は明らかではないが,ホーク首相は以前から閣僚の人事異動を考えていたと説明し,ケリン蔵相の政策決定や仕事に関して問題はなかったと述べた。しがし,景気後退がら抜け出せない中で,現政権の経済運営に対する不信感の高まり等がらホーク政権の人気は低下していた。これに加えて12月5日こ発表された91年第3四半期の実質GDPが,大方の予想に反してマイナス成長となり,5四半期連続のマイナス成長になったことから,ケリン蔵相の更迭を含めた内閣改造のうわさが流れていた。

83年3月以来政権を維持してきたホーク首相は,景気後退から抜け出せない中で労働党内部での支持を失い,12月11日こは主要閣僚は同首相の辞任を求めることで合意した。これに対して,ホーク首相は辞任の意志はないと述べていたが,19日こはいったん首相を辞任し,労働党議員総会で党首指名選挙に再び立候補すると述べた。党首指名選挙には,ホーク首相と6月に蔵相を辞任したキーティング氏が立候補し,56対51でキーティング氏が勝った。12月20日にキーティング氏は首相に正式に就任した。任期は1993年3月予定の総選挙までである。

12月27日,キーティング首相は内閣改造を実施し,蔵相にドーキンズ雇用・教育・訓練相を任命した。


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