平成3年

年次世界経済白書 本編

再編進む世界経済,高まる資金需要

経済企画庁


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第2章 ソ連の再編成と東欧の経済改革

第4節 経済支援の考え方

1 ソ連・東欧に対する与信状況

ソ連・東欧諸国の対外債務残高は増加を続けている。しかし,これらの地域の政治・経済情勢が不安定化したこと,及び各国の債務状況が悪化していることなどから民間の融資は慎重になっている。民間の信用供与は90年には回収超過となっているとみられる。その結果,これら地域の対外的な資金繰りは厳しさを増している。ただ,東欧については,91年に入り国際機関を中心として与信回復の動きが出始めている。

(与信状況の推移)

第2-4-1表は,ソ連・東欧諸国の対外債務残高(ネット)の推移を示したものである。東欧(ユーゴを除く)では,いずれの国も債務残高が増加しており,90年末には総額は800億ドルに達している。またソ連では,対外債務残高は89年以降急速な増加を始めており,90年末の総額は430億ドルとなり,91年中頃にはグロスで650億ドル程度に達したとみられる。

また,債務の負担状況を経済力との対比でみると(第2-4-2表),ブルガリア,ポーランド,ハンガリーでは,デット・サービス・レシオ(債務返済額の輸出総額に対する比率)が60%を超えており,極めて危険な状態となっている。また,純債務残高の輸出額に対する比率も,これらの国は300%超となっており,債務返済がこれらの国の経済にとって重い負担となっていることが分かる。ソ連でも,デット・サービス・レシオは29%,純債務残高が輸出額の140%となっている。ソ連の場合,金・ダイアモンドの保有高に不確かな点はあるが,ソ連についても注意すべき状態となってきている。

次に,OECDの試算に基づいて,東欧(ユーゴを除く)とソ連の資金調達の構造をみてみる。経常収支赤字額と返済期限に達した債務額の合計を「支払い必要資金」とし,一方,BIS報告銀行への預金高と未使用のクレジットの合計を「支払い原資」として,前者から後者を除いた金額をみると,外部からの「新規借入必要額」が求められる。この「新規借入必要額」の推移を実際の新規借入額と対比してみると (第2-4-1図),東欧は,85年以降毎年概ね数十億ドル程度の新規借入を必要としていたが,実際の新規借入によってそのファイナンスを続けてきたことが分かる。しかし,90年には実際の新規借入がマイナス(回収超過)となっており,東欧諸国は金・外貨準備の取り崩し等によって,約100億ドルをファイナンスしたものとみられる。

一方,ソ連は89年まで新規借入を必要としない状態であったが,90年には輸出の不振を背景に経常収支が急速に悪化し,150億ドル以上の新規借入が必要となった。しかし,ソ連の経済情勢の悪化をみて,西側の民間銀行が貸出態度を慎重化させたため,ソ連の実際の新規借入額もマイナス(回収超過)となった。その結果,ソ連の資金繰りは90年には急速に悪化しており,同国は,大量の金の売却やBIS報告銀行以外で運用している外貨準備の大幅な取り崩しを余儀なくされているとみることができる。

(91年に入ってからの新たな動き)

東欧諸国のうち,89年時点でIMF,世界銀行(注5)に加盟していた国は,ポーランド,ハンガリー,ルーマニア,ユーゴスラビアの4ヵ国であったが,90年にブルガリア,チェコ・スロバキアが加盟したことで,これら国際金融機関の東欧に対する貸出は,大幅に拡大している。世界銀行(IBRD,IDA)の東欧に対する融資状況をみると(第2-4-3表),東欧向け融資は金額・件数とも大きく増加している。これは加盟国の増加によるところも大きいが,従来からの加盟国であるハンガリー,ポーランドへの融資も拡大していることから,世界銀行の東欧への融資態度はここへきて積極的になっているとみられる。IMFについても,ほぼ同様に加盟国の増加等を背景に,経済改革のための緊急支援の実施により,融資額は拡大している。

一方ソ連は,91年10月にIMFとの特別提携関係(注6)を締結した。正式加盟以前はIMFからの融資は受けられないものの,経済改革プログラムの作成等について適切な助言を得ること等が可能となった。また世界銀行は,91年11月にソ連と技術支援に関する取極を締結し,それに基づき技術支援プログラムを実施することとした。

以上の分析が示すように,ソ連・東欧の債務状況は短期的な改善が望めないほど悪化している。中長期的にみても,これら地域は西側の資本あるいは支援を必要とする可能性が高いと考えられる。

以下では,戦後の西欧復興に大きな役割を果たしたマーシャル・プラン等の仕組みを検討した上で,東欧およびソ連に対する支援の考え方を述べる。

2 戦後の西欧復興における経験

ここでは,現在のソ連・東欧への支援を考える場合の手掛かりとするために,終戦直後の西ヨーロッパにおいて実施されたマーシャル・プラン及び欧州決済同盟の果たした役割を振り返ってみることとする。

40年代後半の西ヨーロッパは,戦争による破壊と疲弊によって,深刻な経済危機に直面していた。国内生産は大きく減少し,財政赤字の拡大から通貨量が膨張し,インフレが昂進しつつあった。また,生産設備と商船の多くを失ったことによって,輸出能力が減退する一方で,供給力に余裕のあったアメリカからの輸入が増加し,対米貿易収支の赤字が続いた。このため,各国のドル準備は・底を突いており,各国通貨のドルとの交換性は回復されていなかった。

このような状態にあった西欧経済は,やがて本格的に立ち直ったが,その復興に寄与した制度として,戦中の45年に発足したIMF,世界銀行(IBRD)と,48年に導入されたマーシャル・プラン,欧州決済同盟(EPU)を挙げることができる。IMF,世銀は,国際収支困難に陥った国や資金不足国に対して資金を供与することを目的としたグローバルな国際金融機関であったが,マーシャル・プランとEPUは,やや性格の違う目的を有していた。マーシャル・プランとEPUは,西欧諸国に対して単に資金を供与するだけではなく,西欧の域内貿易を促進することによって自力による経済の回復を図るという狙いを持っていた。この点で,IMF,世銀による一般的な支援を補完したものといえる。

(マーシャル・プラン)

第2次大戦後の西欧を荒廃から復興させるため,アメリカは「マーシャル・プラン」を1948年から実施した。

このプランの構想は,47年6月,マーシャル国務長官によって提起された後,プランの受け皿として西欧16ヵ国によって欧州経済協力委員会が組織された。この委員会によって,復興計画の具体化が進められ,同年9月に報告書がまとめられ,西欧参加国による調印の上,アメリカ大統領へ送られた。これを受けて,アメリカでは48年4月,同プラン実施の根拠法となる「48年対外援助法」が成立した。

マーシャル・プランでは,48年からの4年間について西欧参加国の需要と必要資源量を検討した上で,重点となる目標を設定し,参加国が協同でその目標を達成することを狙いとしていた。プランの具体的な内容は,次の4点に要約される。すなわち,①農業,燃料,運輸,設備近代化を生産面の重点分野とすること,②財政の安定化を図り,それを維持すること,③参加国間で関税を引き下げることによって,経済面での協力を推進すること,④参加各国のアメリカに対する膨大な債務と経常赤字は,対米輸出によるドル稼得によって是正すること,である。つまりこの計画は,西欧諸国のドル不足,対米債務問題を,アメリカからの資金借入によってファイナンスしようというものではなく,(1)西欧諸国が共通の計画の下で,域内必要量を自給できるだけの生産を回復する,(2)関税面等での域内協力によって域内市場を拡大するとともに,域内外への輸出によって得たドルでアメリカへの債務を返済する,(3)アメリカはそうした計画期間の初期段階で,生産復興に必要な財や貿易決済のための資金を供与し,また交通インフラ整備への援助を行う,といった性格のものであった。こうした計画が実行可能であった背景には,物的インフラや人的資産が,大戦直後の西欧にはなお残存していたため,外部からの資金投入があれば,十分な生産体制を整えることが可能だったといラ事情が指摘できよう。援助の主体となったアメリカは,既存の資源を活用しつつ,システマティックな計画によって比較的小さな資金で大きな効果を挙げることに成功した。ちなみにアメリカが供与した総額(48年4月~51年6月の期間中)は103億ドルに達しており,これはアメリカの48年~50年の3年間のGNPの1.3%(年平均GNPの3.8%)に相当する。

(欧州決済同盟)

大戦直後の西欧では,各国の通貨が交換性を失っていたために,域内貿易は,いわゆる2国間決済貿易になっていた。このため,西欧域内の貿易は決済面からも停滞を余儀なくされた。欧州決済同盟(EPU)は,貿易拡大の阻害要因となっていた2国間決済に代えて,多国間決済を可能とする目的で,1950年に結成された。EPUの運営に必要な資金は,マーシャル・プランから繰り入れられた。

この制度では,域内各国が各国通貨による輸出金額と輸入金額を各月ごとにまとめ,BIS(国際決済銀行)に報告する。BISは,各国の貿易収支をEPUに対する債権あるいは債務として処理する。この手法によって,域内各国の決済は2国間から多国間へと切り換えられることとなった。そして,EPUに対する各国の純債権については,EPUから各国ヘドルおよび金で支払らわれ,純債務については,各国ごとに限度額の設定されたクレジットを利用して,各国がEPUに支払いを行った。このように,EPUは域内での多国間決済を目的としたものであり,各国通貨の交換性の回復を直接の目的としたものではなかった。

1958年には参加各国の通貨がドルに対する交換性を回復し,IMF8条国に移行したので,域内における多国間決済制度は不要となり,EPUは解散された。

マーシャル・プランとEPUによって,西欧域内の貿易は大きく自由化され,貿易額も拡大した。1950年当時,同地域の貿易の44%が数量規制の対象となっていたが,この比率は59年には11%に低下した。また48年~53年の間に,世界輸出は名目で43.1%増加したのに対し,西欧の域内輸出は同75.6%と大幅に拡大した。また,西欧の輸出総合もこの期間に60.2%と大きく増加している。

3 対東欧支援の考え方

東欧諸国に対する西側からの支援は,既に様々な形で開始されている。前述のように,全ての東欧諸国はIMF等の国際金融機関への加盟を完了している。

また,東欧支援を主要目的として91年に設立された欧州復興開発銀行(EBRD)も本格的な活動を開始している。

東欧諸国への支援には,対外債務に対する支援と,市場経済化に伴う構造調整への支援の,2つの側面がある。

対外債務の面では,東欧諸国は多額の累積債務を抱えており,資金調達構造も脆弱であるため,西側からの支援の必要性も高い。対外債務に関する支援の一つの例として,91年にポーランドに対して行われた公的債務の50%削減が挙げられる。ポーランドに対してこのような措置が採られた背景の1つとしては,同国の対外債務の過半が公的債務で占められていることが挙げられる。ハンガリーをはじめとする他の諸国では,公的債務の比率がポーランドに比べで低くなっており,民間銀行からの債務の比率が高くなっている。債務の大幅な免除は,その国に対する金融市場の信頼を失なわせることとなるので,その国の経済にはかえって悪影響を与える可能性がある。

ハンガリーは,ポーランドと同様大きな債務負担を抱えながら,削減を求めずに返済を続けるという行動を採っている。こうしたハンガリーの行動を支えている背景としては,国際機関の他に,西側金融機関からの借入が可能であるという事情もあるが,それとともに,西側市場への輸出が比較的順調であるという事実も無視することは出来ない。従って,ハンガリーを含む東欧諸国への支援策としては,ECを中心とした西側諸国の市場開放が有効であると考えられる。

東欧各国が取り組んでいる構造調整の面では,民営化,金融資本市場の育成,産業構造の転換等の,各分野で,既に様々な支援が始められている。

例えば,市場経済への移行に必要な技術援助(製品の高度化,金融制度の整備,第3次産業の育成等)や,鉄道・道路・水道・通信といったインフラ整備の面での支援が,世界銀行や欧州復興開発銀行を中心に行われている。また民営化の面では,国営企業の民営化に実績のあるイギリスが,各国の民営化計画にアドバイス等を行っている。悪化している公害問題に対しても,西側からの支援が行われている。

また,東欧各国に対する支援を考える上で,先に述べた大戦後の西欧復興のための支援策が参考になる。

支援の対象国となる東欧各国の経済は,効率は低いものの既に工業化されている点で,大戦後の西欧と類似している。このため同地域が必要とする支援は,工業が未発達な途上国への支援とは性格を異にしているといえよう。また,東欧域内の貿易を規定していたコメコン体制が崩壊した後は,貿易は名実ともに2国間決済となりつつある。こうした決済制度の弊害から,域内取引が潜在的な市場規模に比して小規模に止まっている点も,大戦後の西欧と類似している。

しかし一方で,東欧各国は大戦後の西欧諸国と次のような点で大きく異なっている。すなわち,自助努力による西欧の復興を可能とした物的・人的な資産のうち,人的な面については市場経済への適応能力が不足しているという問題が現在の東欧諸国には存在している。従って,東欧諸国に対しては自助努力の機会を提供するだけでなく,市場経済に必要な技術的な支援も不可欠となる。

東欧諸国は,本章3節で述べたように,域内貿易のルールを91年から「国際価格・ハードカレンシー決済・企業間取引」にする,という急激な方針の変更を行った。この改革は,歪みのあった取引価格を市場価格へと移行させ,交易を正常化させようとしたものといえる。だが,各国ともハードカレンシーの十分な準備をもたないため,結果として域内交易は大幅に縮小しており,各国はバーター等,改革の目指した方向とは逆の方向へと戻らざるを得なくなってきている。つまり,この制度変更のうち「ハードカレンシー決済化」は,現在の東欧諸国の経済的な実力を超えたという意味で大きな無理があったといえよう。

これまでの経験を踏まえて考えると,コメコン域内の貿易を再建するためには,EPUの成功例が参考になると思われる。各国の通貨が交換性を完全回復するまでの期間に限って,域内諸国に多国間決済のシステムを設置することは,検討に値すると考えられる。

東欧と西側との経済関係を深めていくことも重要である。この観点から,ECを中心とした先進諸国の市場開放が望まれる。既に西側諸国からは,東欧諸国に対し,最恵国待遇の付与や一般特恵関税の適用,通商協定の締結といった形で,西側市場へのアクセスに対する支援が行われている。しかし,ECへの準加盟については,EC域内の食糧や繊維,鉄鋼の市場への一層のアクセスを希望している東欧諸国と,自国産業を保護する立場にあるEC諸国との間で,なお交渉が続けられている。91年9月のEC外相会議では,ポーランド,ハンガリー,チェコ・スロバキアからの食肉輸入割当量を段階的に拡大することが合意された。,また翌10月には,EC・ポーランド間で92年の繊維貿易協定が仮調印され,ポーランド産繊維製品のECへの参入条件が改善された。

4 対ソ支援の考え方

(支援の意義と条件)

深刻な経済困難に直面しているソ連に対する経済支援の問題は,現在の世界が抱えている最も大きな課題の1つとなってきている。91年7月にロンドンで開催された主要国首脳会議あるいは10月にバンコクで開催された7か国蔵相・中央銀行総裁会議においても,重要なテーマとしてとりあげられた。以下では,なぜソ連に対する支援が必要とされるのか,また,どのような条件の下で,どのような支援を行うのが適切かを検討する。

まず,支援の意義については,基本的には2っの側面がある。1っは現在のソ連の経済困難を放置した場合,その影響が政治面,経済面あるいは安全保障面等の様々な分野で西側に及ぶことである。今後更に経済状態が悪化した場合,ヨーロッパには大量の経済難民が流入するのではないかと懸念する見方も一部にある。第2は,ソ連という大きな領土,人口,資源を持つ経済大国が,民主化,自由化とともに市場経済化と世界市場への統合化に成功し,新しい世界秩序の建設的な担い手となることは,ソ連自身のみならず西側諸国あるいは世界は大きな経済的利益を得るということである。また,国際協調の機運の下で軍事的な緊張の緩和が更に進めば,ソ連自身及び西側諸国の軍事費を削減する可能性が高まり,それによって「平和の配当」を得ることも可能となる。なお,食糧援助,医療援助等の人道的な理由による緊急の支援を実施していく必要が生じており,また,対外債務問題に関連してその資金繰りの悪化が懸念される。しかし,ソ連が先進国であることを考慮すると,当面必要とされるこれらの支援策は,中長期にわたる構造転換に比べれば一時的あるいは短期的なものであると言えよう。

次に,支援の前提となる条件をみると,基本的には,①ソ連の政治・経済の新しい枠組みが早急に形成されること,②ソ連自身による経済改革への明確な取組みと世界経済への統合化に向けた積極的な取組みが行われること,③軍民転換により軍事部門を縮小させること等が指摘されており,また対日関係を含めソ連の新思考外交の十分な発揮など政治動向にも留意する必要がある。特に従来の連邦の枠組みが崩れ,共和国間の新しい枠組みが欠けている現在の状態においては,支援の受け皿が明らかでなく,適切な支援の実施は困難であり,十分な効果も期待しにくいと言えよう。

(支援のあり方)

将来の支援の効果的なあり方の検討においては,戦後のマーシャル・プランあるいは欧州決済同盟(EPU)が果たした役割が1つの教訓となり得る。すなわち,支援の基本的な目的は,単なる金融面における支援をするのではなく,自助努力を効果的に引き出すことによって国内の生産回復と,西側との貿易拡大や直接投資の受入れを図ることである。また,かつてのマーシャル・プランは西ヨーロッパという通貨が多様な多くの独立国を支援の対象としていたが,現在のソ連においても各共和国の独立性が強まる中で独自通貨が発行される場合が生じてくれば,こうしたマーシャル・プランの例やEPUの多国間決済システムが参考になりうる。更に,マーシャル・プランの受け皿となった欧州経済協力委員会が後にOECD(経済協力開発機構)へと発展していったように,支援のための統一的な受け皿作りをソ連に促すことによって,共和国間の関係が対立状態から新たな協力体制へと転換することができれば,自助努力を引き出す上でも有効となろう。

しかし,対ソ支援については,戦後の西ヨーロッパの復興に対する支援とは異なる点もある。第1は,ソ連が70年以上にもわたって社会主義経済であったことである。この事実は,ソ連が市場経済への移行と世界市場への統合化を推進するにあたり,西側の知的支援・技術支援が重要であることを意味している。

第2は,支援を行う側が,マーシャル・プラン時にはアメリカだけであったが,現在の対ソ支援の検討には西側先進国全てが大なり小なり係わっていることであり,更に,関係する国際機関もIMF,世界銀行,OECD,EBRD(欧州復興開発銀行)等多数に上っていることである。この事実は,対ソ支援を効率的に行うためには,西側先進国及び関係国際機関との間で密接な協力が必要なことを示している。第3は,現在のソ連周辺をみると,ヨーロッパにはECという強力な経済共同体が存在し,西太平洋地域には自然発生的な局地経済圏が形成されていることである(第4章第1節参照)。このような経済圏はソ連と地理的に隣接しているだけでなく,経済的にも結びつきやすい条件を備えていると考えられる。

以上のような観点から,支援の具体的方法を考えるに当たっては,次の3つの分野における協力が考えられる。

第1は,ソ連をIMF,世界銀行,GATT等グローバルな世界経済システムに迎え入れることである。IMFとの特別提携関係は,91年10月に締結された。

この特別提携関係によって,ソ連はIMFから,融資は受けられないものの,マクロ経済の運営や経済改革のプログラムの作成等について適切な助言を受けることが可能となった。

第2は,西側との貿易や西側からの直接投資を円滑化することによって,国内経済の活性化に役立てることである。このような政策を成功させるためには,中国における「経済特区」のような環境整備を,ソ連側がまず実施する必要があると考えられる。その上で西側としても,こうした環境整備への様々な協力や,貿易・投資保険の適切な適用等を通じて,貿易・投資活動が円滑化するような支援を行うことが適切であろう。

第3は,ソ連が旧システム時代から抱えている設備老朽化問題等についての改革を行う場合,これを積極的に支援することである。特に,人的・技術的な面での貢献の意義は大きいと考えられる。本章第1節でもみた通り,エネルギー,流通部門の設備の老朽化が深刻となっており,エネルギーは西側にとっても重要な分野である。

91年7月のロンドンにおける主要国首脳会議終了直後に行われた主要国首脳とゴルバチョフ大統領との会議(G7+1)においても,以下のような「6項目の合意」が行われた。すなわち,①ソ連のIMF・世界銀行との特別提携関係を支持する,②OECD,EBRD等を含めた各国際機関に,対ソ支援での緊密な協力を要請する,③エネルギー,軍事産業の民需転換,食料供給,原子力の安全,輸送の分野での技術的支援を強化する,④ソ連の産品及びサービスに関する貿易を拡大する,⑤支援・協力関係の継続的フォローアップのため,主要国首脳会議議長国がソ連と緊密に協議する,⑥主要国首脳会議参加国の蔵相,中小企業担当相をソ連に派遣する,等となっている。この6項目の合意事項は,既に段階的に実施され,具体的な支援策も固まりつつある。加えて,91年10月13日に発表されたソ連に関する7か国蔵相・中央銀行総裁会議の声明でも,ソ連の連邦及び共和国が,国際的な信用維持と新規信用確保のための条件として,①包括的な経済プログラムの導入,②対外債務の期限通りの返済についての確約,③既往及び将来の対外債務を返済するための責任ある実務機関の確立,④ソ連の経済・金融データの完全な開示,に努力することへの支持が改めて表明されている。

現在最も大切なことは,ソ連自身が新しい政治・経済体制の形成を早急に行うことである。そしてそれを踏まえて,西側先進諸国や国際機関は,相互の役割の調整を行いながら,今後新しく形成される経済同盟及び共和国と密接な意思疎通を図り,中長期的な視点に立った協力を行っていく必要があろう。