平成2年

年次世界経済報告 各国編

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

I 1989~90年の主要国経済

第7章 東ヨーロッパ:90年下半期以降緊縮政策を緩和

2. チェコ・スロバキア:市場志向型経済改革に着手

(1)概  観

チェコ・スロバキアの政治変革は,89年11月に行われたデモの圧力によるヤケシュ等全政治局員の辞任以降,急速に進展した。同27山こは共産党の指導的役割を規定した憲法条項が破棄され,12月10F3lこはチャルファを首相とする共産党少数の連立内閣が発足するとともに,フサーク大統領が辞任し,同29日には連邦議会において「市民フォーラム」指導者のハベルが大統領に選出された。90年6月には1946年以来初の自由選挙が行われ,共産党が善戦したものの,「市民フォーラム」等が人民議会,民族議会両院の過半数を占め,第2次チャルファ内閣が組織された。

国民生活に対する政治面での締めつけが厳しかったのに対し,経済面は政策上重視されてきたれと等から比較的豊かであったため,90年前半までは政治面の改革が先行し経済改革の面では目立った成果が見られなかった。また第1次チャルファ内閣では,コマレク第一副首相(漸進的改革派)とクラウス蔵相(急進的改革派)との間に意見の対立があったことも,経済改革の進展を遅らせた。

90年のチェコ・スロバキア経済は,生産国民所得が第2次大戦後3度目のマイナス成長を記録することが確実とみられているものの,他の東欧諸国に比べてマイナス幅は小さい。しかし,中東危機の影響や価格自由化によって,消費者物価上昇率が第3四半期に前年比10%を超える一方で,緊縮政策の一端として導入された賃金抑制により,実質賃金は顕著に低下した。失業者数も9月末で4.4万人に達する等,東欧諸国の中では比較的安定的に推移してきたこの国の経済にも翳りが現れてきている。

90年秋にクラウス蔵相は急進的経済改革計画(「経済改革のシナリオ」)を発表した。その第1段階(緊縮的財政金融政策の実施,通貨交換性の回復,官僚支配の除去)は終了しつつあるが,コマレク元第一副首相等の抵抗や国民の不満の高まりから,91年1月からの第2,3段階(第2―価格,貿易,個人企業活動の自由化,国有部門の独占解体,第3―国営企業の民営化)への移行は困難な様相を呈してきている。

(2)国民所得

実質生産国民所得は,89年1.7%増となった後,1~3月期には工業生産の減少にもかかわらず前年同期比6.2%増とかなりの高成長を遂げた。しかし,1~6月期にはソ連・東欧諸国への輸出減少(特に旧東独の契約キャンセルによる旧東独向け輸出の減少)から同1.0%減と落ち込んだ。7月からのソ連石油供給削減はチェコ経済にも大きく影響し,1~9月期は同2.0%減とかなりの落ち込みとなった。

(3)生産・雇用

工業生産は,エネルギー多消費産業の生産落ち込みや,軍事産業の民需転換の遅れ,主要輸出先であるソ連経済の悪化等から,1~3月期前年同期比3.6%減,1~6月期同2.0%減どなったが,下半期に入り7月からのソ連石油供給削減や中東危機の影響が加わったため,1~9月期は同3.7%減と減少幅が拡大した。

また,農業生産は89年前年比1.1%増となったが,90年に入ると1~6月期同0.1%減と横這いとなり,90年全体では前年比0.8%の減少が見込まれている。

89年までは雇用に関する決定は行政権限に属しており,企業は採用・レイオフを自主的に行うことはできなかったが,90年1月の政令によって,生産構造調整に必要なレイオフについては企業の自主的な決定が認められるよラになった。このため,90年に入り生産が減少し始めると,失業者も急増し始め,失業者数は連邦全体で9月末現在4.4万人に上り,経済改革が本格化する来年中には40~50万人に達すると予測されている。

(4)物価・賃金

小売物価指数は,89年には前年比1.4%増にとどまっていたが,90年1~3月期には前年同期比3.4%上昇した。1~6月期は同3.3%の上昇にとどまったが,7月以降,価格自由化の一端として,食料品,ガソリン,交通機関運賃等が大幅に値上げされたため,7~9月期は前年同期比14.1%と大幅に上昇した。

このため,90年の実質賃金は前年比3.7%減少すると予測されている。

賃金決定は,87年の改革により企業ごとの自主管理組合と雇用者の交渉に任されてきたが,90年に入り緊縮政策の一端として賃金上昇に上限が設けられ,違反企業に対してはペナルティーが課せられることとなった。

(5)対外貿易

対外貿易の89年の実績は,輸出入総額2.1%増,うち社会主義圏2.2%減(シェア.61.6%),非社会主義圏9.8%増(シェア38.4%)となり,非社会主義圏への増加が社会主義圏への減少をカバーする形となっていた。また,輸出入に占めるコメコン比率は,輸出が54%,輸入が56%であった。

90,年に入ると,1~3月期は西側先進国・途上国との貿易額が,原材料,半加工品を主体とするアメリカ,オランダ,西独,イタリア向け輸出の好調を反映して前年同期比24.1%増加したものの,主力である対コメコン貿易額が大きく落ち込み,全体の貿易額は同4.1%減少した。1~16月期もこの傾向が続き,対社会主義国では,ソ連の石油供給削減や東独の契約キャンセルによる影響等から前年同期比15.3%減となった。これに対し,対西側では同6.1%増となり,特に輸出は同14.4%増となった。

この結果,1~6月累積の経常収支はルーブル建てが49億コルナ,交換可能通貨建てが28億コルナの大幅な赤字となった。90年全体では,貿易収支がルーブル建てが9.3億ルーブル,交換可能通貨建てが4.5億

の赤字と予測されている。

(6)経済政策

財政面では,54億コルナ(または生産国民所得の1%)の黒字を見込んだ緊縮型の予算が90年3月に議会で可決された。歳入(3785億コルナ)の伸びが前年比4.5%と極めて高く設定されているのに対し,歳出(3731億コルナ)は,政府消費の凍結や,企業への補助金・投資補助の大幅削減,国防・国内治安支出の削減等により,0.75%の伸びに抑えられている。こうした流れの中で,7月9日には270億コルナ相当の食料品に対する補助金が全廃され,9月1日には年間46億コルナに上っていた鉄道・交通への補助金もカットされた。また歳入面では,8月2日,付加価値税,所得税消費税,法人税等を柱とする税制改革構想が明らかにされ,92年1月1日からの実施を計画している。

金融面では,90年1月1日から,国立銀行からの商業銀行機能の分離,全銀行の自律的営業の認容等,銀行の商業性・競争性を高める改革を定めた89年銀行法が発効した。2月8日からは,戦後初めて企業・銀行・貯蓄機関による債券の発行・取引が認められるようになった。既に40数種類が発行されているが,取引は当分の間企業や銀行間のみに限られる見込みである。

また,金融政策手段は,これまで銀行に対する直接指導に限られていたが,銀行制度の改革に伴い銀行数の増加が予想されるため,本年から自己資本比率,貸出・預金比率等のガイドラインと,5%の預金準備率の導入が決定された。

金利についても,89年までは,貸出先によって1.02%(住宅協同組合への投融資)から6.37%(企業への投融資)までの固定金利が採用され,貸出期間による調節と1年ごとの利率の見直しが行われていたが,90年1月1日から,国立銀行の一般銀行に対する割引率(公定歩合,4%)が導入され,諸金利はこの利率に連動するようになった(一般:公定歩合+2%,例外:公定歩合+8%)。公定歩合は4月には5%に引き上げられたが,インフレの進行をにらんで国立銀行はさらなる引き上げを企図している。また,預金金利の最低水準も引き上げられ,6ケ月~1年については0.5~1%,4年超は5%となった。

経済改革では幾つかの進展が見られた。90年6月の選挙の後,第2次チャルファ内閣が成立,経済関係省庁を経済省に統合して改革推進派のドゥロウヒーを大臣とし,同じく改革推進派のクラウスが蔵相に再任される等,急進的改革志向の内閣となった。9月に発表された「経済改革のシナリオ」の第1段階として,まず,通貨コルナの対西側通貨商業レートが,10月15日から3分の1以上切り下げられ,対ドルレートは,現行の1=15.53コルナから,1=24コルナとなり,12月28日にはさらに切り下げられ,1=28コルナとなった。また,財政黒字の対生産国民所得比率1~1.5%,通貨供給量の伸び率0%という緊縮政策目標については,歳出抑制が着実に進んでいることから前者は達成の可能性が高い。

民営化では,シナリオの中で提案されていた「小民営化法案」は10月25日に連邦議会で可決されたが,改革の核心となる大企業の民営化を定めた「大民営化法」案は,11月1日に閣議で承認され連邦議会へ送付されたがまだ成立しておらず,91年1月からの第2段階のスタートは困難となってきている。

11月15日には,チェコ,スロバキア両共和国政府とチェコ,スロバキア連邦政府との権限分担を規定する法案が連邦政府によって承認された。主な内容は以下の通りである。①連邦政府は売上税と輸入税への権限を保持し,他の税についても基本的な税率を定める。②発券銀行は1つとするが,本店は両共和国に置く。③対外経済関係については,連邦政府は基本的な法令,政策,許認可事項のみを管轄し,他は共和国政府に任せる。④賃金規則の一部と社会保障,労使関係は連邦政府関係機関の所管とする。全体として,基本的な経済政策の策定は従来通り連邦政府の所管となっているが,自立志向を強めるスロバキア共和国の意向にもある程度沿った形となっている。


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]