平成2年

年次世界経済報告 本編

拡がる市場経済,深まる相互依存

平成2年11月27日

経済企画庁


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第2章 ドイツ統一とヨーロッパ統合の進展

第3節 東西ヨーロッパの発展の条件

ソ連・東欧諸国は,80年代半ば以降のソ連のペレストロイカ政策及びぞれに刺激された東欧の89年秋以降の政治改革,民主化,経済改革の動ぎにより,西側諸国への急速な接近を図っている。一方,西欧諸国はECを中心として,経済的一体化への動きを加速させている。今後,ヨーロッパ全体の経済的発展のためには,ソ連・東欧諸国と西欧諸国が漸次,結び付き,を強めていくことがますます重要となると考えられる。本節では,東西欧州の関係強化が欧州発展への条件であるとの認識の下,貿易,金融,人的交流の現状と今後の問題点及び欧州の政治・経済的枠組みの将来像とそれに向けた問題点について論じる。

1. 東西ヨーロッパ間の貿易の進展と問題点

(1)東西ヨーロッパ間の貿易の進展

(東西貿易の現状)

東西ヨーロッパの貿易面の状況を見ると,EC,EFTAとソ連・東欧諸国間の貿易については,ココム規制もあり,双方とも,それぞれ・の占める比率は低いが,ソ連・東欧諸国側における比率は,対EFTAでは横ばいとなっているものの,対ECでは80年代前半の落ち込みから,その後は徐々に回復する傾向にある。しかし,EC,EFTA側でのソ連・東欧諸国との貿易比率は,もともと低い上に近年,さらに減少傾向にある。EC貿易に占める割合は,83年輸出3.1%,輸入4.2%から89年(1~9月)輸出2.4%,輸入2.7%へと低下している(第2-3-1図)。EFTA貿易に占める割合も83年輸出6.9%,輸入8.3%がら89年輸出4.5%,輸入5.3%となっている,(第2-3-2図)。

EC,EFTAの対ソ連,東欧貿易が低下した原因としては,①ECは市場統合を目指して域内貿易比率を高め,EFTAは対EC貿易比率を高めたこと。②原油及び一次産品価格の低下,③ソ連,東欧諸国の経済成長の停滞及び外貨事情の悪化等があげられる。しかし,89年は88年よりも僅がながら,EC(7)対ソ連・東欧貿易比率は高まった。88年のEC,コメコン共同宣言( )以来ECとソ連・東欧の関係強化が図られてきたが,ようやくその効果が貿易面にも表れ始めたと言える。

(東西貿易の業種別構造)

ECとソ連・東欧諸国間貿易の業種別構造(第2-3-3図)を見てみると,ソ連・東欧諸国からECへの鉱物性燃料,粗原料,基礎工業品,軽工業品の輸出,ECから東欧諸国への機械・輸送機器,基礎工業品(主として鉄鋼),化学品,食品の輸出を基本的特徴としている。すなわち,東西貿易は,総じて西側が先進工業国的な,東側が発展途上国的な特徴を持つ垂直貿易が成り,立っている。

このような貿易形態が形成される背景として,ごれまでソ連・東欧各国がその経済計画に沿った経済成長を実現していく上で,西側からの先端的機械・設備,プラント,技術,ノウハウ導入を不可欠と考え外ことがあり,食品輸入の増大は近年における農業不振と国民の生活向上への意欲の高まりを反映したものと考えられる。

一方,東側から西側への輸出構造は東側の工業完成品が西側市場で強い市場競争力をもたない事情から,ソ連の場合はエネルギー資源や非鉄金属,木材,東欧諸国の場合は鉱物性燃料,軽工業品と農畜産品の輸出がパターンーとなっている。

(東西貿易の地域別構造)

ECのソ連・東欧諸国に対する国別貿易シェア(第2-3-4図)をみると,EC12か国中,ソ連・東欧諸国と最も結びつきが強いのが,西ドイツである。東独を除くソ連,東欧5か国には,EC輸出の5割以上(89年50.8%,輸出額:月平均1.4億ドル)を西ドイツが占めている。その後は,イタリア,フラ.ンス,イギリスと続く。しかし,EC輸入面では,西ドイツの比率は,37.1%(89年輸入額:引平均0.8億ドル)にとどまり,イタリア,フランス,イギリスのシェアが高まる。この結果,EC1-2か国中,ソ連・東欧諸国に対して,収支が黒字となっているのは西ドイツだけであり,他のEC諸国はすべて赤字となっている。また,このような地域別構造を84年時点と比較してみると,イタリア,フランス,イギリスは,総じてシェアを低下させているのに対し,西ドイツは輸出,輸入ともシェアを高めている。ECの中では,相対的に五て,西ドイツが対ソ連・東欧貿易を積極的に進めているのがわかる。

一方,EFTAのソ連・東欧諸国に対する国別貿易シェア(第2-3-5図)は,ソ連と友好協力相互援助条約を結び,ソ連・東欧諸国と結び付きの強いフィンランドが輸出(89年月平均0.3億ドル),輸入(89年月平均0.3億ドル)とも大きいシェアを持つものの,オーストリア,スウェーデンも中立国という政治的要因を背景にシェアが高い。84年との比較では,スイス,ノルウェーがシェアを高めた反面,フィンランド,オーストリアはむしろシェアを低下させている。EFTAの対ソ連・東欧貿易は,ECと異なり,分散化の傾向が出ている。

ヨーロッパでは,EC域内貿易においても,EFTA諸国との貿易においても,西ドイツが軸となっており,しかも両地域に対して多額の黒字を生み出し,貿易不均衡が生じている。このような事情は,西欧の対ソ連・東欧貿易においても同様である。東西貿易関係の進展は,西,ドイツを中心に進められており,政府レベルでの資金支援の強化を背景に今後もこのような傾向に拍車がかかる可能性が高いと思われる。

(2)東西ヨーロッパ間の貿易の今後の発展のために

東西貿易の今後の一層の発展を考えた場合,西側の問題としてはEC共通政策が挙げられる。

(EC共通政策)

1968年以降,EC諸国が貿易面の共通政策をとるようになった,ことは,それまで東西欧州が2国間ベースで行っていた貿易の進展を阻害し,とりわけ東欧諸国にとっては打撃となった。それまで東欧諸国にとって重要な輸出市場であったEC市場から東欧諸国は撤退を余儀なくされる結果となったからである。

以下,共通政策の中でも代表的な共通農業政策について述べる。

EC共通農業政策は,1968年に実施された。EC共通農業政策の目的は,EC加盟国ごとに異なる農業政策を調整し,共通市場を創設することにより,農業の生産性向上,農業従事者の所得増加,市場の安定,供給の安定確保等を図ることである。EC共通農業政策の主要な柱は市場政策であり,それは域内価格支持,第3国に対する共通政策(国境保護措置),及び生産調整から成る。これらの内,東西貿易を考えた時に特に問題となるのは,第3国に対する共通政策である。すなわち,域外の第3国からの農産物の輸入には,課徴金が課される。ECの農産物価格は,域内の農業保護のため,一般的には国際価格より高い水準に設定されている。この水準を保つために境界価格()と輸入農産物価格との差額が課徴金として徴収される。さらにEC産農産物を域外に輸出する際,国際価格と域内価格との差額を輸出補助金として交付している。

東欧諸国の主要農産品は,穀類,じゃがいも,食肉,ミルク,卵等となっており,ECの共通農業政策対象品目に合致する。すなわち,共通農業政策による輸入課徴金の徴収等により,東欧諸国め農産物はEC市場で競争力が弱められている。EC共通農業政策の一層の改革が要請される。

東欧諸国が,外貨を稼ぐためには,当面,農産物(第2-3-6図),繊維等の軽工業品,鉄鋼等の輸出に力を入れる必要がある。しかし,ECには,共通農業政策の他,ECではもはや斜陽産業となった繊維,鉄鋼分野で産業保護を目的として,輸入規制措置を実施している。以上のように,ECの貿易政策は東欧諸国のEC市場への輸出を厳しい状況に追い込んでいると言えよう。

ECが斜陽産業に対して,このような保護政策を行っていることは,EC内での産業リストラクチャリング上の問題ともなろう。ECが抜本的な改革により貿易規制等を見直すとともに,産業リストラクチャリングを進め,東西欧州全休での分業体制の再構築を図ることは,今後の東西欧州経済の発展にとって,重要な意味をもつこととなろう。

なお,東西関係が大きく変化する中で,ココム規制についても,現在真に戦略性の高い物資,技術に規制を絞ってゆこうという見直しの方向に向かいつつある。ココム(対共産圏輸出統制委員会)は,ソ連をはにめどする共産圏諸国の軍事能力の強化につながる戦略物資や高度技術の流出を規制することを目的として,1949年゛に敗立され,翌50年から機能を開始したが,最近の東西関係の変化を受けて,90年6月,30品目の輸出規制の削減を決定し,工作機械,コンピューター,通信分野でも規制の見直しをおこなった。このようなココム規制の見直しの結果により,今後西側企業の東欧進出が加速されるとともに東西貿易が一層拡大するとの見方もある。

2. 東西ヨーロッパ間の資本と人の移動の活発化と問題点

(1)東西金融関係の進展

東西ヨーロッパ間貿易の進展により,東西間取引は活発化しつつあるが,東西貿易の一層の進展を妨げている要因の一つが,東側諸国における西側との決済通貨の恒常6勺な不足である。かつで西欧諸国は東西貿易の発展に伴い,ソ連・東欧諸国の貿易決済通貨の恒常的不足に対処するべく,信用供与競争を激化させた。すなわち,従来からの西欧から東欧へのプラント輸出に伴うサプライヤーズクレジット(政府保証延べ払い信用)に加え,ソ連・東欧諸国の開発プロジェクトへの融資やバンクローン供与等もみられるようになった。

しかし,70年代以降,西側金融機関による貸付攻勢が東側諸国の借入を容易にしたことから,東側諸国の累積債務は増大し,返済上の懸念が高まった。さらに東西緊張の高まりにより資本移動は停滞し,東欧諸国の経済状態は急速に悪化した。第2-3-1表はソ連・東欧諸国の流動性リスク状況を表しているが,84年から89年に改善が見られたのは,極端な輸入引き締め政策を強行したルーマニアのみである。ルーマニアは89年には対外純債務を解消した。しかし,他のソ連・東欧5か国は84年時点に経常収支黒字だった殆どの国が89年には赤字に転落している。このような状況下,ソ連,東欧諸国に対して西側諸国の支援の必要性が増大した。

西側はこのような要請に対し,89年7月のアルシュ・サミットにおいて,民主主義と市場経済への方向の確立を条件に経済的支援を行うこととし,当時民へ主化で進展のあったポーランド,ハンガリーに対する支援を決定した。これを受けて,G24(東欧支援24か国会議)という西側協調支援の枠組みが作られ,その枠組みの中で資金協力も実施されている。また,東欧諸国への資金援助の強化を目的として,「欧州復興開発銀行」が資本金100億ECUとして90年5月に設立が決定された。その後,東欧諸国全体で民主化が進展した結果,G24は,90年7月に東独,チェコ,ブルガリア,ユーゴスラビアへの支援拡大を決定し,IMF,BIS,世銀等の国際機関も融資を検討しつつあり,いくつかの国で進展が見られた。また,各国ベースでも西ドイツを中心に政府レベルでの支援強化が図られている。

(2)東西金融関係の問題点

東欧諸国は,コメコン域内,特にソ連との貿易に関して,90年3月ハンガリー,4月チェコ・スロバキアが,従来の振替ルーブル決済からハードカレンシー決済に移行し,ソ連も6月コメコン諸国との貿易を国際価格を用いたハードカレンシー決済に移行すること(91年1月から実施)を正式に決定した。これ・によって,ソ連・東欧諸国での貿易形態は,西側,と近い形となり,表面上は東西貿易進展の障害がまた一つ取り除かれたことになるが,問題は,東欧各国で国内経済改革を背景に,資金需要が強まることが予想されるなか,このようなハードカレンシーを如何に調達するかである。

西側金融機関及び投資家は東欧に対する信頼感の喪失から,ソ連,東欧への投資に慎重になると見られ,今後,順調に東西金融関係が構築できるかについては楽観できない。BIS四半期報告によれば,ソ連・東欧諸国の西側銀行からの借入れの残高(第2-3-2表)は,89年7~12月には前期比19億ドル増加したものの,90年1~3月期には,同1億ドル減少し,東欧諸国の資金調達の困難さを浮き彫りにしている。

東欧の改革は,短期間に成果を期待することは困難であるが,市場志向の経済改革が成功すれば,高い経済成長が期待できるとともに,相対的に安価で豊富な労働力を利用した生産拠点としての役割も果たしていけるものと考えられる。さらに人口1.2億人の東欧と人口2.9億人のソ連という巨大マーケットであることから,西欧を中心とした西側諸国に一層の輸出機会を与えるものと思われる。西側諸国もソ連・東欧市場の今後の発展の可能性に注目し,将来の東西欧州経済発展のための痛みを分かちあう必要があろう。

今後の西側からの支援として,以下の諸点がポイントと考えられる。

    ①当面は,西側からの資金供給は,政府やEC,IMF,世銀等の国際機関を通じての支援強化が中心となるが,民間資金を呼び込むために,東欧諸国においても金融市場,資本市場の整備,金融機関の活動に関する法制度等環境づくりを行う必要がある。また,投資協定締結による民間投章促進に向けた努力も重要である。さらに東欧諸国の西側民間資金の取り込みの推進には,西側政府による投資保証も有効となると考えられる。

    ②また,東欧各国の個々の経済状況を勘案することも重要である。

(3)東西ヨーロッパ間の人の移動の活発化

東西ヨーロッパ間の関係緊密化及び東欧での政治・経済改革は,ある意味においては,東西ヨーロッパ間の人の移動が原動力となった。89年6月にハンガリーがオーストリアとの国境を開放したことが,きっかけとなって多くの東欧諸国の人々が自由を求めて西側に脱出した。その後,東欧各国で自由な移動に対する国民からの要求が高まり,東欧諸国政府もこれを押しとどめることができなくなった結果,東から西への人の移動は加速した。ECの統計によると,EC12か国の人口は,89年には東欧からの移民の流入によって,176万人増加した。そのうちの100万人は東ドイツから西ドイツへの移民の流入(但し,東ドイツ経由の移民も含む)となっている。

今後のヨーロッパ全体の経済発展のために,人の移動の活発化はプラスの効果が期待される。それは将来的には,西ヨーロッパにおける人的資源配置の効率的調整及び東西ヨーロッパ間の人的交流はよる東欧諸国の経済成長への寄与が考えられるからである。

人的交流については,ECによりTEMPUS(全欧州大学教育交流計画)が提案されている。TEMPUSは,中欧,東欧諸国における高等教育と職業訓練制度の中期的発展に寄与することが活動の重要な目標となっており,教師,学生,行政官の交流プログラム等も提案されている。このような計画が順調に進み,東西間の交流が発展すれば,それは東欧諸国経済改革の進展とし西関係の一層の緊密化に貢献すると思われる。

もっとも,これまでにみられた東西聞の人の移動は,経済レベルの大きな格差や人権抑圧からの逃避といった動機に基づいており,そこには,経済発展にとって,逆にマイナスとなる要素も含まれる。すなわち,東欧諸国から人的資源が激減し経済改革にも支障をきたす恐れがあり,また,失業問題から立ち直りを図りつつある西欧諸国に移民が大量に流れ込むことは,西欧諸国の経済パフォーマンスを悪化させる可能性もある。このように,東から西への一方的な人の移動は,東西両側の経済発展にとって悪影響を及ぼす可能性がある。

したがって,ソ連・東欧諸国における経済改革を成功させ,長らく停滞した経済成長を回復し,国民生活の水準を引上げ,将来への希望を抱けるような状況を作り出すことが,経済動機に基づく人口移動を減らし,東西欧州双方にとって,長期的な利益となると考えられる。このためにも,西側諸国のソ連・東欧諸国に対する貿易,資金,投資,技術面での協力が大きな重要性を有している。

3. 東西協調の枠組み

89年秋以降の東欧諸国での非共産政権の成立,ドイツ統一への動き等東欧の政治経済改革の急進展は,欧州のそれまでの体制の再構築を迫るものとなった。欧州では,かつての「東西冷戦下の安定」から,東西協調の流れの中での新たな「安定」を求めで,欧州再構築を模索する状況となっている。現在,欧州の平和,安定,発展のため,また各国の利害を背景とした主導権の確保の目的から,様々な構想が出現している。

(1)EC主導の構想

ECは,自ら統合を推進しつつも,ソ連・東欧諸国との経済協力の西側の窓口として,東欧支援24が国会議の開催や欧州復興開発銀行の設立等においても,積極的な役割を果たしている。また,ECは賀易,金融面等でソ連・東欧諸国との結び付きを強めつつある。このように経済面では,東西欧州の関係強化はECを軸として動き始めており,これを背景にECを中核とした欧州再構築構想が生まれている。

(欧州3同心円構想くドロールEC委員長)

90年1月17日の欧州議会でドロール委員長は,EC内が緊密に結合すると同時に,欧州再構築のシナリオとして,欧州3同心円構想を表明した。これは,統合したECを中心円に,EF〒Aが第2の円を構成し,さらにその外側にゆるやかな結合で東欧諸国が取り巻くという構想である。あくまで,欧州の再構築はECを軸として進めるという意志の表れでもある。

すでに,三の3地域は緊密化を図りつつある(第2-3-3表)。ECはEFTA諸国とは,EEA(欧州経済領域)の設立に関して88年以来非公式の交渉を行っているが,90年4月EFTA側もECとの公式協議に入る方針を決め,年内にも93年1月1日のEEAの成立につき合意する見通しである。EEAめ成立により,EC,EFTA間は,人,物,金,サービスの自由移動が可能な経済圏が形成される。

一方,ECは,東欧諸国とは88年9月ハンガリーと貿易・経済協力協定を締結したのを皮切りに,現在までにソ連,東欧7か国と協定を締結している。さらに,ECは4月の臨時欧州理事会において,東欧諸国との一層の関係強化を目指して,これらの地域で民主主義と市場経済への方向が確立され次第,貿易協定を格上げし連合協定(準加盟協定)を締結する方針を固めていたが,これに基づき,6月にはこれを「欧州協定」と名付けて,同協定の締結交渉を91年から開始する方針を決めた。「欧州協定」は,ECと東欧諸国の間で人,物の自由移動を可能にする自由貿易地域の創設が中核となっている他,産業,金融等での協力を盛り込んでいる。

これらの現在進めている交渉が協定締結に結実した時には,EC,EFTA,東欧諸国は一大経済圏を形成することとなる。ドロール委員長の欧州3同心円構想,すなわちECを核とした拡大経済圏構想が欧州の経済面での新秩序の柱になる方向性が固まってきたと言える。しかし,ドロール構想はドイツ統一とも絡んで,EC統合による政治的結束の強化を優先したいドロール委員長が,ECに対するこれ以上の加盟国の増加を食い止める目的を反映させたものとの見方もある。

現在までの方向性から判断して,今後の欧州経済は,この欧州3同心円構想によって発展していく可能性が高いと考えられる。しかし,EFTA諸国からは,EEAルールの審議,決定のためのECとの共通意志決定権限がEFTA側にないことへの不満や東欧諸国からは,東独のEC編入に対しての不満が噴出する可能性もある。欧州3同心円構想が今後の欧州経済関係として定着していくかどうかは難題も多く,今後の動向が注目される。

(「欧州連邦」〈ミッテラン大統領〉)

フランスのミッテラン大統領は,90年年頭の演説の中で,ソ連・東欧諸国を含む国家連合構想を「欧州連邦」として打ち出した。演説の中で,同大統領は,東はの民主化の進捗に伴い,西欧と東欧とが一つの連合を形成することが可能だとし,その第一段階としてEC統合の推進を挙げた。

しかし,この考え方゜の背後には,統一ドイツの誕生がある。フランスは,連邦的に統合されたECを実現し,その中でリーダーシップを握ることを考えており,統一したドイツが経済的にはもちろん政治的にも強大化する恐れがあることから,ドイツをEC内にしっかりと結びつけ,しかも政治統合の推進によってドイツの影響力に一定の枠を,はめる必要があると考えているとの見方もある。

4月,ミッテラン大統領及びコール首相により,ECの政治統合の必要性を強調した共同宣言が発表され,これを受けて,4月下旬のkC臨時首脳会議では,「EC政治統合」の実現目標を92年末とすることとなった。こうして,ミッテラン大統領の「欧州連邦」の第一段階は,事実上,「EC政治統合」の推進という形で動きだした。

政治統合のための政府間会議の開催が決定したものの,その内容については,各国の意見の相違もあり,具体的な進展はみられなかった。90年12月の政府間会議の動向が注目される。

(2)アメリカ側の考え方

アメリカは,以下に見るように,アメリカーEC間の関係の緊密化,NAT0の政治機構化による役割の拡大という二つの柱でアメリカの欧州に対する影響力を保持しようとしている。

(「新大西洋主義』<ペーカー長官>)

アメリカのベーカー長官は,89年12月「新欧州と新大西洋主義」という新提案を打ち出し,緊密に結ばれたECとアメリガの存在こそが,北大西洋地域にとって欠くことのできな1本柱であるとして・EC統合の一層の進展を促した。

アメリカは,EC統合に対しては,過去必ずしも肯定的な態度をとってきたわけではない。それは,経済的にECが成長し,アメリカを脅かす存在となることをアメリカが懸念してきたからであり,そのため,貿易面等において,利害衝突も数多く見られた。

しかし,ソ連・東欧の変革に直面して,アメリカはECの成功そのものが,ソ連のペレストロイカ政策,東欧の民主化要求を加速する一つの要因となったことを認めた。すなわち,EC統合の進展がソ連・東欧諸国を西側に誘因する役割を果たしたという考え方であり,そのため,ECがこの役割を担い続けるためには,経済的側面において統合プロセスをさらに促進する必要があるというのが,アメリカ側め結論と考えられる。このため,アメリカは今後ECが欧州の政治的;経済的な核としての役割を果たすことを期待し,ECとの間で協力関係を強化することが重要と考えている。

(「NATO政治機構化構想」<ブッシュ大統領・ベーカー長官玲>)

89年12月の米ソ首脳会談で,ゴルバチョフ書記長は,NATO,WTOを政治軍事同盟から,純然たる政治同盟に転換させることを主張したのを受けて,ブッシュ大統領及びベーカー国務長官もNATOを政治的役割を重視する機構に転換させることを主張した。

このようにアメリカは,今後の欧州の新秩序において,欧州安全保障に対するNATOの役割を,従来の軍事的領域における関与を維持しつつ,政治的領域における関与を強化することで,今後ともその影響力を確保していこうとしている。

(3)ソ連側の考え方

ソ連は,欧州3経済圏委員会のようにアメリカを除く枠組みの提案も行っているが,基本的には,ゴルバチョフ大統領の「欧州共通の家」構想の下,CSCEを活用して,全欧州的な枠組みを形成することを考えている。

(シュワルナゼ演説)

欧州の経済面の再構築についてのソ連の考え方は,89年12月のEC-ソ連経済協力協定調印式におけるシュワルナゼ外相演説の中に端的に示される。それによれば,まずEC-ソ連間の協定は,「欧州共通の家」構想()の実現をさらに一段階押し進めたとして評価し,さらにEC-ソ連間の協定は,欧州の将来的な青写真であるとし,ECとソ連が相互依存関係を強め,融合していくことが必要であるとしている。また,コメコン諸国がEC統合のプロセスに参加していることは,歓迎すべきこととしている。既にこの協定調印を前に,ソ連は,EC,EFTA,コメコンによる「欧州3経済圏委員釜」構想を提案している。ソ連は,欧州経済協力の面でリーダーシップを発揮すべき主体として,ソ連を中心としたコメコンとECを考えていると解釈できるが,ソ連・東欧諸国が市場経済体制に移行していくなかで,旧来のコメコンの役割は縮小していくとみられるため,同構想の実現性は薄いのではないかとみられる。

(CSCEく全欧安保協力会議〉主導の構想)

CSCE重視の発想は,ゴルバチョフの「欧州共通の家」の構想の中から生まれた。ゴルバチョフはこれまで「欧州共通の家」という表現を用いて,東西ヨーロッパの分断を解梢し,ソ連を含めた「大西洋からウラルまで」の大欧州連合の構築を繰り返し主張している。この「欧州共通の家」構想は,EC統合へ向けての動きに大きく刺激されている。EC統合により,西欧との間に経済,貿易上の障壁が築かれると,経済改革の推進が急務となっているソ連にとっては,大きな打撃となるからである。

CSCE(全欧安保協力会議)は,欧州における緊張緩和を図ることを目的として,1975年7月にヘルシンキで東西欧州諸国(アルバニアを除く),アメリカ,カナダの計35か国首脳が参加して開催され,その後も数年間隔で全休会議が開催されている。CSCEは東西欧州が一同に会し,全欧州的問題の解決に向けて,議論を行う場として最近注目されるようになっている。75年7月のヘルシンキ会議では,最終合意文書として,各国主権の尊重,経済,科学諸分野での協力,東西間の情報流通の自由,人的交流の促進等をうたった文書が採択された。

89年12月の米ソ首脳会議でゴルバチョフが,CSCEの活発化を提案した。90年4月には,CSCE経済協力会議が開催され,自由競争による市場経済,需給関係に基づく価格決定等が欧州経済,社会の発展の必要条件とする「ボン経済宣言」が採択された。それをうけて,ブッシュ大統領も新欧州を築く上でCSCEの役割は増大すると指摘し,東欧支援のためCSCEの経済分野の活発化を求めた。その後,6月の米ソ首脳会議,NATO外相会議でもCSCEの機能強化が謳われ,CSCEの活用は東西間の共通認識となった。90年6月のEC首脳会議では,ECもCSCEの活用に積極的な姿勢をみせた。このように今後の欧州再構築は,このCSCEを通じて行われることが期待されている。

(4)欧州再構築の展望

欧州では,イデオロギー対立の時代は終わりを迎えつつあり,東欧の急激な政治経済改革,及び統一ドイツの誕生により,欧州の平和,安定,発展に向け,新たな枠組みの構築が急務となっている。EC,アメリカ,ソ連等から様々なアイデアが出されているが,経済面では,ECが中心的な役割を担う方向性が固まりつつあり,東西間の橋渡しとして,CSCEの機能強化を図る点でも大方の合意は得られつつある。今後,各国がそれぞれの利害を越えて,経済・政治的な相互依存,相互信頼関係の構築を一層推進することが,欧州安定のための枠組みづくりを加速する鍵となるであろう。