平成元年
年次世界経済報告 各国編
経済企画庁
I 1988~89年の主要国経済
第9章 中南米
ブラジル経済は,87年後半から景気後退と高インフレの同時進行というスタグフレーションの状態に陥っている。
88年の実質GDPは,前年比0.3%減と5年ぶりのマイナス成長となり,89年も上半期の成長がわずか0.7%にとどまるなど低迷を続けており,消費者物価上昇率も,88年は前年比581.9%の記録的な上昇となり,89年もインフレ抑制と財政赤字削減のために導入した「サマー・プラン」が失敗に終わったことから,前年比1,324.7%に達するなどインフレは一層激しさを増している。
また,高インフレの根本原因である財政赤字についても,政府の削減努力にもかかわらず全く改善がみられない。
累積債務問題については,88年には,民間銀行債務と公的債務について,それぞれ返済繰り延べや新規融資等で基本合意が成立,大きな進展をみた。しかし89年に入ると,融資条件であるインフレ収束や財政赤字の削減等経済構造調整に全く改善がみられなかったことから,IMFとの交渉がまとまらず,そのため外国からの新規融資がストップし,資金不足となった政府は対外債務の元利返済を停止,再びモラトリアム状況に戻ってしまった。
こうして経済が混迷を深める中,唯一明るい材料は,大幅な黒字が続く貿易収支で,為替政策(通貨の切り下げ)や一次産品価格の堅調等による輸出の好調と輸入抑制政策の効果もあって,88年は191億ドルと史上最高の黒字を記録し,89年も引き続き大幅な黒字を維持している。
88年の実質GDPは,前年比0.3%減と83年以来5年ぶりのマイナス成長となった(87年同3,6%増)。これを業種別にみると,製造業(前年比2.9%減),商業(同2.8%減)など主要業種での落ち込みが目立つほか,鉱業(同3.4%減),建設業(同2.8%減)等もマイナス成長となるなど,どの業種も総じて低い成長にとどまっており,わずかに電力業(同6,3%増),運輸・通信業(同4.0%増)で比較的高い成長がみられた。また需要項目別にみると,内需面では,実質賃金の減少による購買力低下から国内消費が前年比2.5%の減少,設備投資意欲の乏しさから国内投資も同0.5%の増加にとどまるなど,消費・投資ともに振るわなかった。一方,外需面では,輸出等は通貨の切り下げや一次産品価格の堅調から前年比8.2%の増加となったが,輸入等は内需の落ち込み,政府の輸入抑制政策の効果から同8.2%減と2年連続減少した。また一人当たり実質GDP(88年価格)も,2,449ドル(前年比2.3%減)と5年ぶりに減少した(第9-6表)。
一方,88年の鉱工業生産は前年比3.2%減となったが(87年同0.9%増),その財別の動きをみると,消費の不振を反映して非耐久消費財(前年比4.5%減)が大きく落ち込んだほか,資本財(同2.1%減),中間財(同2.1%減),耐久消費財(同0.7%増)も不振であった。また,製造業稼働率は88年平均79.5(87年同80.8)と低下し,小売販売量も88年前年比16.2%減と大きく減少した。89年に入ると,物価高騰による買いだめ需要,戻し税実施の影響等により4~6月期の小売販売量は前年同期比12.5%増と一時的に増加したものの,7~9月期は同14.1%減と再び減少に転ずるなど消費の基調は弱く,鉱工業生産は依然不振を続けている。89年上半期の実質GDPは前年同期比0.7%増とわずかな増加にとどまっており,ブラジルの景気は当面,低迷状況が続くものとみられる(第9-7表)。
88年の国際収支動向(ドル建て)をみると,貿易外収支が国際金利水準の上昇による対外債務の利払いの増大等から143.7億ドルの赤字(87年120.1億ドルの赤字)となったものの,貿易収支が輸出の絶好調から190.9億ドルもの黒字(同111.5億ドルの黒字)を計上したため,経常収支は49.0億ドルの大幅な黒字(同8.1億ドルの赤字)となった。また,資本収支も,民間銀行団からの新規融資40億ドルの流入等により28.9億ドルの黒字(同17.1億ドルの赤字)となった。そのため,総合収支は69.8億ドルの大幅黒字(同29,9億ドルの赤字)となり,外貨準備高(キャッシュ・ベース)も88年末53.6億ドル(87年末44.3億ドル)に増加するなど,大きく好転した。
88年の貿易動向をみると(ドル建て)をみると,輸出(FOB)は,為替政策(通貨の切り下げ)や内需の落ち込みの振り替え,一次産品価格の堅調等により,337.8億ドル(前年比28.8%増)と記録的な好調ぶりを示した。内訳をみると,工業製品が,鉄鋼製品,化学製品等の高い伸びにより211.8億ドル(前年比36.5%増)と急増し,一次産品も,大豆・同製品,鉄鉱石等の好調から94.0億ドル(同17.1%増)となるなど,総じてどの品目も好調であった。一方,輸入(FOB)は,政府の輸入抑制政策の効果や原油輸入価格の下落もあって146.9億ドル(同2.4%減)と3年ぶりに減少した。特に,原油輸入が輸入価格の下落(1バーレル当たり,87年平均16.9ドル→88年同13.8ドル)により,35.5億ドル(前年比14.0%減)と大幅減となった。この結果,貿易収支は190.9億ドルの黒字(同111.5億ドル)と史上最高の黒字幅を記録した。
89年に入ると,インフレ・ヘッジを目的とした企業の在庫積み増しや個人の買いだめ需要,輸入関税率の引下げ等により,輸入は急速に増加しており,89年累計で182.9億ドル(前年比24.3%増)となった。一方,輸出は通貨の切り下げが引き続き行われていることもあって,高水準を維持しており,同344.2億ドル(同1.9%増)となった。この結果,89年の貿易収支は,161.3億ドルの黒字と前年(190.8億ドルの黒字)よりはやや黒字幅を縮小させたものの,引き続き好調を維持している。
なお,89年の外貨準備高(キャッシュ・ベース)をみると,2月末の63億ドルから,6月末には55.5億ドルへと,政府が危機ラインとした60億ドルを割り込んだ。政府は7月,これに対処するための緊急措置として外資系企業の利益,配当および資本等の対外送金を中央銀行の集中管理に置き,外貨の流出に歯止めをかけた。さらに,6月から始まったIMFとのスタントバイ・クレジット(信用供与枠の設定)交渉が合意できず,予定されていた42.3億ドルもの新規融資がストップしたため,政府は外貨準備高の不足を理由に,7月以降の対外債務の元利払いを停止し,事実上のモラトリアムに入った((5)累積債務問題を参照)。このため,7月末の外貨準備高(キャッシュ・ベース)は65.2億ドルへとやや増加した(第9-8表,第9-9表)。
消費者物価上昇率は,87年前年比213.3ときわめて高い上昇となった。88年1月に就任したノブレガ蔵相はインフレ対策として,物価凍結といったショック療法ではなく,インフレの根本原因である財政赤字の削減を進めるというオーソドックスな手法で臨んできた。しかし,財政赤字削減は遅々として進まず,インフレはむしろ騰勢を強めていった。政府は,11月に産業界,労働界の代表者との間で,物価・賃金の上昇を一定の枠内に収めるよう自主的に制限する「社会協定」を締結したが,拘束力のない紳士協定だったため,全く効果を挙げることなく失敗に終わり,88年の消費者物価上昇率は前年比581.9に達した。
こうした事態に対処するため,89年1月政府は,86年の「クルザード計画」,87年の「新クルザード計画」に続く3度目のショック療法というべき「サマー・プラン」を発表,実施した。同プランの主な内容は,(1)すべての物価を凍結する,(2)賃金,年金を原則として凍結する,(3)通貨クルザードについて,①対ドル為替レートを16.4切り下げた後,固定化する,②千分の1のデノミを実施,新貨幣単位を「新クルザード」とする(この結果,1ドル=1新クルザードとなる),(4)財政赤字削減のため,①国営企業の民営化の推進,②省庁の統廃合,③公務員の大量解雇,等となっており,過去2回の計画にはなかった財政赤字削減の具体策を盛り込んだ点が特徴となっている。これにより,消費者物価上昇率は,89年1月前月比70.3%から,同プラン実施直後の2月には同3.6%へと大幅な鈍化を示した。しかし,財政赤字削減のための諸政策が議会において否決されるなど,財政赤字削減が全く進まなかったことや,品不足,売り惜しみなど価格凍結による歪みが生じたことから,過去2回の計画と同様に,同プランも6月には失敗に終わり,同プランによって行われた物価・賃金の凍結,為替の固定化等の措置は解除された。そして,その後の消費者物価上昇率は6月前月比24.6%,7月同28.8%,8月同29.3%,9月同36.0%,10月同37.6%,11月同41.4%,12月同53.6%と同プラン実施前よりも一層激しく高騰しており,89年12月の前年同月比上昇率は1,764.8%,89年の年平均上昇率も1,324.7%とそれぞれ過去最高を記録している。
一方,88年の名目平均賃金は,前年比542.7%の増加となったものの消費者物価上昇率(同581.9%)を下回り,実質では同5.7%の減少となった。なお,最低賃金は前年比671.4%の増加であった。
また,ブラジル地理統計院の発表した「88年家計調査報告」によると,政府が定める最低賃金(89年11月現在,月額557新クルザード=約70米ドル)以下の所得者は全体の29.1%を占め,前年(25.7%)より増加,一方で最低賃金の20倍以上の高額所得者も全体の2.2%と前年(1.9%)より増加するなど,貧富の差がますます開くとともに,いわゆる中流階級の極端に少ない社会構造の特質が顕著になっている。また,全所得者の88年の平均所得は,月額286ドル(前年比2.2%減)と減少しており,同報告では「88年のブラジル国民は,より貧乏になった」と結んでいる。
また89年に入って,高インフレから最低賃金が再三引き上げられているものの,依然賃金上昇は物価上昇を下回っているとみられる(第9-10表)。
ブラジルは,世界一の重債務国(債務残高88年末1,201億ドル)として,毎年のように債務交渉に追われているが,89年も厳しい状況となっている。
累積債務問題については,88年には大きな進展をみせた。政府のIMFとの協調を始めとする柔軟路線への転換や,国内政策の緊縮路線への変更が好感されたこともあり,民間銀行債務については,88年2月には民間銀行団からの新規融資(52億ドル)と既存債務の金利の引き下げ,3月には87~93年が返済期限となっている中長期債務の元本約620億ドルの95年までの返済繰り延べ等で基本合意をみた。また,公的債務についても,88年7月にパリ・クラブ(債権国14か国で構成)との間で,87年1月~90年3月が返済期限となっている49.9億ドルについて返済繰り延べ等の合意が成立するなど,債務問題は大きな進展をみせた。
しかし,89年6月に始まったIMFとのスタンドバイ・クレジット(信用供与枠の設定)交渉が,IMFから「プラジル政府は,インフレ収束や財政赤字の削減など,融資の前提である経済構造調整を全く行っていない。」という指摘を受け中断し,合意することができなかったため,政府が予定していたIMFからの10億ドル,民間銀行団からの6億ドル,世界銀行からの11.3億ドル,日本政府からの14.3億ドルなど総額42.3億ドルもの新規融資がストップした。そのため,この融資で充てるはずだった既存債務の元利払い費が不足したが,政府は,外貨準備を取り崩すことは危機ラインとする60億ドルを割り込むとして拒否するとともに,7月以降の対外債務の元利払いを停止,政府による宣言はないものの事実上のモラトリアムに入った。
中断したIMFとの交渉は,決着までにはまだ長時間を有し,新政権の誕生する90年3月までかかるとみる見方が多い。また,こうした状況下のためブラジル政府の希望する新債務戦略(ブレイデイ提案)適用のための交渉もはじめられない状態となっている。
88年の財政運営について,政府は,88年8月にIMFと結んだ経済構造調整協定(財政赤字の対GDP比を88年は4%以内,89年は2%以内にとどめる等)を遵守すべく,小麦の消費補助金廃止,公務員数の削減,銀行に対する法人税率の引き上げ,連邦政府予算の減額修正等の財政赤字削減措置をとったものの,議会で歳出の上方修正が行われたこともあり,財政赤字の対GDP比はオペレーション・ベース(注参照)で4.26%と目標値(4%)を超過した。
そのため政府は,89年1月に発表,実施した「サマー・プラン」((4)物価・賃金動向を参照)の中に,財政赤字の削減や行財政改革の具体策を盛り込むなど,厳しい緊縮政策をとることとした。しかし,省庁の統廃合,国営企業の民営化の促進,公務員数の大幅な削減等,主な財政赤字削減策が議会において否決されたこともあって,赤字削減の実効はほとんどあがらず,逆に社会福祉制度の赤字増大,高金利政策による国内債務支払い負担の増加などが加わったことから,財政不均衡はさらに深刻の度を増しており,89年の目標値(財政赤字の対GDP比2%)の達成は不可能とみられている。
政府は,90年度連邦一般予算案の策定に当たり,歳出の大幅削減とともに,税制改革による歳入増を検討していると伝えられるが,議会の信頼を失った形となっているサルネイ現政権の下では,思い切った財政赤字削減の実行は難しく,90年3月に発足するコロール新政権は深刻な経済状況の中,厳しい船出となるとみられる。