平成元年
年次世界経済報告 本編
自由な経済・貿易が開く長期拡大の道
経済企画庁
第2章 長期拡大のミクロ的要因
第1章でみたような長期の経済拡大を可能にした要因のひとっとして,財サービス市場の一層の広がりと市場機構の積極的な活用があげられる。市場の厚みを増すとともに,市場の効率性を高めることによって,家計・企業等の経済主体が本来持っている活力が一層力強く発揮されるようになっている。本節では,これらの市場の活用について,輸入の拡大による市場の広がりと競争促進及び規制緩和・公的介入の縮小による市場機能の一層の活用についてみる。
今回の長期における経済拡大において,物価が比較的落ち着いた動きを示している背景には,安価な輸入品の流入が供給の厚みを増し,需要の増大が国内需給のひっ迫に直接的な形でつながらなかったことが要因のーつとしてあげられる。いわゆる輸入の安全弁効果である。
実質国内総生産に実質輸入を加えたものを総供給と考え,この総供給に対する実質輸入の比率をみると,アメリカ,日本,イギリス,西ドイツの各国で着実に上昇している。供給を輸入でまかなう割合が大きくなり,供給の厚みが増していることがうかがえる(第2-4-1図)。この背景には,経済の国際化が進展する中で,直接投資による海外進出先からの輸入の増加,部品のアウト・ソーシングの増加,発展途上国の工業化による途上国からの輸入の増加等が考えられる。
海外からの輸入品は国内の需要を満たして直接的に製品需給のギャップを緩和するだけでなく,国内製品とこれら輸入品との競争が促進されることから価格の引下げ圧力となることが考えられる。
これについて,アメリカの稼働率,輸入額,生産者物価上昇率をみると,化学製品,紙製品,機械類等において,特に87年以降,稼働率の上昇がみられ,製品需給のひっ迫があるにもかかわらず,輸入が従来のトレンドよりも大きく増加したことから,70年代後半の稼働率上昇期ほどには価格が上昇していないことがうかがえる(第2-4-2図)。これは,70年代末が第2次石油危機前後に当たり,石油価格上昇の影響もあることから単純な比較は出来ないが,製品需給ひっ迫の下での最近の輸入増加が供給制約の緩和,競争の激化を通じて価格の動きに影響を与えていることが考えられる。
さらに,アメリカの品目別の生産者物価と輸入物価の最近の動きを物価上昇が加速した直前の88年1~3月期を100とした指数でみると(付図2-4),衣料品,機械類(除電機)では,輸入価格の方が国内の生産者価格より水準が低く,国内価格の引下げ圧力となったことがうかがえる。紙製品についても,88年7~9月期以降輸入価格の方が国内価格よりもやや高水準であるが,国内価格の一層の上昇を抑制する効果があったと考えられる。
アメリカ,イギリス等では70年代から規制緩和に取り組んできたが,現在では,これは世界的な大きな潮流となっている。航空,通信等,これまで公的部門が直接これを供給したり,規制を行ったりしてきた産業において,規制を緩和し,競争原理を導入している例がみられる。
ここでは,規制緩和の理論的側面及び規制緩和の実際についてみることとする。
公的規制は大きく分類して経済効率性の確保を目的とした経済的規制と効率性以外の何らかの社会的価値の実現を目的とした社会的規制の2種類に分類される。経済的規制は,さらに,①電力産業,電気通信事業のような費用逓減産業の自然独占多に対する監督,②トラック輸送業,バス運送業等に対する価格規制,参入・退出規制,③郵便等にみられる政府・公的企業の直接的な財・サービス供給,の3種類がある。経済的規制の本来の趣旨は市場機構では効率が維持されないと考えられるために,政府が市場に介入するものである。社会的規制には,自動車の廃ガス規制等の健康,安全,環境などに対する規制が含まれる。社会的規制の経済的な意味付けとしては,公害などのように企業や個人が他者にコストを与えることがありながら,それが市場では適切に処理されず,外部不経済が生じている場合や,逆に,公共財のように他者に便益を与えるものであるが,市場では供給されない場合に政府の介入か必要というものもある。
規制緩和は,「小さな政府」の実現と民間部門の効率化・活性化へ向けての大きな流れの中に位置づけられ,供給面の重視,規制導入時からの経済社会情勢の変化の認識等を背景に両国で推進されている。
そこで,早くから規制緩和に積極的に取り組んできたアメリカ・イギリスにおける規制緩和の流れをみると,1970年代から運輸,通信,エネルギー等の分野を中心に規制緩和が進められている(付表2-14)。
まず,アメリカでは,航空産業について,78年の「航空規制緩和法」により段階的な路線免許制の廃止や国内運賃規定権限の失効等が決定された。トラック輸送業については,80年の「自動車運送事業者法」により事業者免許の交付に関し,免許申請者側での公共の利便・必要性の証明が不要となり,申請に反対しようとする者に逆の証明の義務が課されることとなったほか,前年運賃の上下各10%以内であれば,原則として自由に運賃変更が出来る等の規制緩和が行われた。バス運送業については,82年の「バス規制改善法」によりトラック輸送業と同様の参入規制の緩和が行われたほか,3年後の運賃規制の廃止が定められた。電気通信事業については,司法省のAT&Tに対する第2次反トラスト訴訟の同意審決に基づき,AT&Tからの22のベル系電話会社の分割,7の地域持株会社のもとでのこれらの再編成,160のローカル・サービス区域の設定等が決定されるとともに,ベル系電話会社と独立系電話会社は86年までにすべての長距離通信事業者に対して,同じ条件で接続出来る(イコール・アクセス)ようにすることが義務付けられた。
次に,イギリスでは,航空産業について,71年「民間航空法」により独立の規制機関である民間航空庁を設置するとともに,英国航空公社(BA)を設立し,同時に,その競争相手となる2番手の民間航空会社として,合併によりブリティシュ・カレドニア航空(BCal)を誕生させた。82年「民間航空法」では1路線に2社が乗り入れるダブル・トラッキングの推進,長距離国際線におけるBA,BCalの優先条項の削除等が決定された。さらに,85年からは,運賃規制が届出制に移行した。バス運送業については,80年「交通法」により30マイル以上の急行乗合バスには事業者免許の要件が軽減され,路線や運賃の設定も届出制とされた。85年「交通法」では,ロンドン以外での事業免許が廃止された。電気通信事業については,81年「電気通信公社法」により郵電公社の郵便事業と電気通信事業への分離によりブリティシュ・テレコム(BT)が設立され,翌年にはBTと競争事業者としてのマーキュリー社に営業免許が交付された。84年「電気通信法」では,BTの民営化,電気通信事業の監督機関としての電気通信庁の設置のほか,BTに対して価格キャップ制が導入された。
規模の経済が働き,生産量の増加にしたがってコストが低下する費用逓減産業については,経済的には自然独占が形成されることとなる。このような費用逓減産業については,従来,公正収益率規制(付注2-2)として,また,公益目的を達成するため,政府が価格設定を規制している。
この費用逓減産業に対する規制緩和のあり方として,第1に,価格の直接決定に代わる価格キャップ制が導入されている国がある。これは,ある特定期間での企業が設定できる価格又は価格上昇率に何らかの上限を定め,それを超えない範囲で企業が自由に価格を選択することができるようにするものである。
現在,イギリスのBTにこの価格キャップ制が適用されており,主要料金(基本料と市内・市外通話料)の加重平均の消費者物価上昇率マイナス4.5%(89年7月までマイナス3%)の範囲内での価格キャップ制が導入されたが,制度導入以来5年間で料金は8.7%(加重平均)上昇した。
第2に,施設の共同所有権制度の導入である。これは,ショッピング・センターにおける共同スペースや大西洋横断電話のファイバー・ケーブルの共同所有などの例がある。自然独占が形成されるような要因があったとしても,制度を整備しその中で各企業が競争をするような条件を導入することが可能である。
航空産業等の運輸業には,伝統的に,公共性の観点から,低需要地域でのサービスの維持,過当競争による安全比阻害の防止等を理由に参入や運賃が規制されてきた。しかし,70年代以降,アメリカにおいて規制緩和が進んでいる。
アメリカでは,78年「航空規制緩和法」(AirlineDeregulationAct)に基づき,81年末に路線認可制が,83年に運賃認可制が,それぞれ廃止され,さらに,85年末には,規制の主体である民間航空委員会(Civi1ian Aeronautics Board:CAB)自休が解散した。
アメリカにおける航空産業の規制緩和の評価については,大きく2つに分かれている。即ち,第1に,肯定的な評価として,競争の促進によって距離当たり実質運賃の一層の低下がもたらされたこと(第2-4-3図),1人当たり座席・マイルで測った労働生産性が向上したこと(第2-4-4図)等がアメリ力議会予算局(CBO)によって報告されている。他方,第2に,否定的な評価として,不採算路線における路線の切捨てやスケジュール,運賃面での格差が生じたほか,航空便の採算路線への集中等により,主要空港の混雑化が進み,航空便の遅延,空港でのサービスの低下等が生じるようになった。また,寡占化の進行による運賃の上昇,サービスの低下等の指摘もある。なお,安全規制については,その主体である連邦航空局(Federal Aviation Administration:FAA)はCAB廃止後も存続している。
本来は,市場への参入・退出は自由であるが,公共性の観点から,過当競争による多数の事業者の共倒れによる非効率の防止,独占の形成の防止,低需要地域でのサービスの維持等を目的として参入・退出の規制が行われる場合がある。
しかし,市場経済本来のパフォーマンスは効率的な新規企業の参入圧力によって維持・改善されるものである。さらに,本来の競争までも過当競争とみなされるおそれがあるなどの問題がある。参入・退出規制は安易に行うべきではなく,仮に,経済的あるいは社会的な理由により市場における企業数の制限を設ける必要がある場合でも,新規参入企業にとって不利な障壁を設けるのではなく,既存企業のうち効率で劣る企業の退出を促す等の方法も考慮されるべきであろう。
80年「交通法」以前のイギリスにおけるバス運送業は,車両免許のほか,乗合サービスの場合には,運転手に公共輸送用車両免許が,事業者に道路輸送免許が,それぞれ必要とされた。さらに,交通委員会が置かれ,道路輸送免許の申請があると,路線の適切性,公共の利益等の要件を考慮して,免許の交付を認可した。要件を満たすかどうかの挙証責任は申請者が負い,既存事業者はサービス悪化を理由に異議申立てが可能であった。
80年「交通法」により,30マイル以上の乗合急行バスについては,道路輸送免許が不要とされ,車両と乗務員に関する適格証明書と公共輸送運用者免許を持つ事業者は28日前までに交通委員会に届け出るだけで,自由に路線・運賃を設定して事業を開始出来ることとされた。同時に,ノーフォーク,デボン,ハリフォードの3地区は規制緩和の実験地区に指定され,乗合急行バスに限らず道路輸送免許が不要とされた。さらに,85年「交通法」によりロンドン以外の全国で道路輸送免許が不要とされ,公共輸送車両免許を持つ者は42日間の告知期間があれば,路線の開設,変更,廃止が登録のみで可能となった。
これらの規制緩和による競争の導入の結果,第1に,運賃の低下がもたらされたところもある。80年「交通法」により運賃設定の規制が緩和されてから,イースト・ミッドランズ発着路線の都市間急行バスの運賃は,以前の水準に戻りつつあるものもあるが,20%以上下落したものが多い(第2-4-6図)。第2に,イギリス全体としては減少したが,ハリフォード実験地域内では,車両走行キロ数が増加した。規制緩和の実験地域とそうでない地域ではバスの週間車両走行キロ数の伸びに規制緩和後違いが表れたとの意見もある(付表2-15)。第3に,サービス水準維持のための補助金支払額の減少がみられたところもあるが,これは補助金支給路線の廃止等によるものも含まれている。ハリフォード実験地域においては規制緩和後は補助金支払額は半分近くに減少している(付表2-16)。これらの結果,利用者の利便が増すとともに,地方公共団休の財政的負担も軽減されたという意見もあるが,一方,2万人程度以下の都市ではサービスが行われなくなったことや参入事業者の急激な増加によりバス・ターミナルが麻痺を起こしたこと等の弊害が生じ,また,旧国営バス会社への集中が進み全国的な独占体が形成されたとの指摘もあり,規制緩和の評価については慎重な検討を要する。
現在,政府又は公的企業が独占的に供給を行っている財・サービスがある。現実的な適応には難しい面もあるものの,理論的には,完全競争あるいは市場がコンテスタブル(付注2-3)であれば最も効率的な資源配分が実現され,独占状態ではこれらに比べ経済厚生は損なわれると考えられる。また,利潤極大化を目指す民間企業と異なり,政府又は公的企業による独占的供給は,利潤が発生した場合にそれを吸収するような形でコストが上昇し,X非効率(付注2-4)が生じやすい場合もあると考えられる。この場合には,何らかの形での企業の効率化が必要である。
イギリスにおいては,戦後の労働党政権下で多くの企業が国有化された。保守党政権はこれらを逐次民営化している。特に,70年代に公的企業の労働コストの上昇から生産性が低下し,その後の民営化のきっかけとなった(第2-4-1表)。
この民営化の方法は,国有企業を民間経営に移管することから,政府の出資比率を下げるものなどがある。この政府持株の放出について,イギリスの実績と計画をみると,79年のサッチャー政権の成立とともに,これが盛んとなっている(付表2-17)。エネルギー産業については,英石油公社(BP)の株式が83年には5億ポンド売却され,英ガス公社の株式は86年に50億ポンド売却されている。電気通信産業については,ケーブル・アンド・ワイアレスの株式が81年,85年と売却され,84年にはブリティシュ・テレコムの株式が37億ポンド売却されている。航空産業については,87年に英国航空の株式が8億ポンド売却された。製造業関係では,84年のジャガー,87年のロールス・ロイス,88年のブリティシュ・スティールの株式が売却されている。一方,西ドイツにおいても,エネルギー関連のVEBA,アルミ・化学関係のVIAG等の株式売却が行われている。