平成元年
年次世界経済報告 本編
自由な経済・貿易が開く長期拡大の道
経済企画庁
第2章 長期拡大のミクロ的要因
88年には経済の長期拡大を背景としつつ,世界的な設備投資ブームが起こった。これは,①高水準の稼働率が示すような設備制約に対応して生産能力を増やそうとするストック調整が基本的な背景として考えられるが,さらに,②企業収益の本格的な回復,③資本財価格の低下,④ハイテク等の技術革新の進展とその設備化,⑤EC統合に向けた投資の増加等が今回の旺盛な投資拡大の要因と考えられる。
この設備投資は,GNPの需要項目として成長率を高めるだけでなく,生産能力化した後は,生産要素たる資本ストックとして労働の資本装備率を高めるなど,生産性向上や産出増加等に寄与している。
資本ストックとフローのGNPの関係を示す資本係数(年初の実質粗資本ストックを年間の実質GNPで除したもの)をみると,旺盛な設備投資ブームを反映して実質粗資本ストックは着実に増加しているものの,フローの実質GNPの伸びも大きいことから,最近,アメリカ,イギリスではやや低下してきており,西ドイツでは横ばい気昧で,日本だけが上昇している(第2-2-1図)。
資本係数の現在の低下は資本ストツクが相対的に不足していることを表しており,中長期的に設備投資を促進する方向に作用していると思われる。また,短期的には稼働率の上昇の面からも設備投資が増加しているとみることが出来る。
そこで,ストック調整原理(将来にわたり予想される需要に見合った最適な資本ストックに対して現在の資本ストックとの間にギャップがある場合に,そのギャップをうめるべく現実の資本ストックを適合させる調整過程から設備投資が行われるとする考え方)にしたがって,簡単なマクロのストック調整を基本とした設備投資関数を推計してみると(付表2-3),おおむねストック調整原理を支持する結果となっている(ただし,西ドイツについては粗資本ストックに住宅が含まれているためにややフィットが悪くなっている)。今回の世界的な設備投資ブームにはマクロにおけるストック調整からの設備投資増が基本にあり,高水準にある稼働率が示すような設備制約が設備投資を増加させていることがうかがえる。
設備投資の決定要因として,ストック調整原理の他に,将来の期待収益の現在割引価値と投資のコストとを比較し,前者が上回っていれば設備投資を増加させるとする考え方(キャッシュ・フローの考え方)がある。
税引後の企業収益についてみると,87年以降,80~86年までのトレンドを上回って大きく増加している(第2-2-2図)。特に,アメリカでは,トレンドは減少傾向であったのが,87年以降大きく増加している。イギリスでは,トレンドからの乖離は大きなものではないが,増加傾向がさらに強まっている。日本では,トレンドは緩やかな増加傾向にとどまっていたが,87年以降はこのトレンドを大きく上回って増加している。これら企業収益の改善は,将来に対する期待収益の増加から企業の投資マインドを向上させ,設備投資の拡大に結びついていると考えられる。同時に,企業収益の改善は,企業の設備投資資金に対するアヴェイラビリティの面からも設備投資を増加させる要因として作用していると考えられる。
キャッシュ・フローの考え方からは,将来の期待収益が大きいことと現在の設備投資のコストが低いこととは同じ効果を有する。
85年以降,設備投資デフレータとGNPデフレータの比率の推移をみると,ハイテク技術革新等により,アメリカ,日本では最近時点で80年の80%近くまで低下してきており,イギリス,西ドイツでも80年当時よりは,相対的に低下してきている。アメリカ,日本では,設備投資デフレータは絶対的にも低下している。このような設備投資デフレータの相対的な低下が設備投資を拡大させた面があると考えられる(第2-2-3図)。
また,資本ストックと労働の生産要素の相対価格について設備投資デフレータと単位労働コストの比率を指数化したものをみると,設備投資デフレータとGNPデフレータの比率の動きと同様に,アメリカ,日本では最近時点で80年から10%以上資本ストックが労働より有利化している。西ドイツでは,80年当時に比べ労働より資本のほうが不利となっているものの,イギリスでは,88年半ばから賃金上昇率の加速とともに急速に資本ストックが有利化している(第2-2-4図)。この資本ストック価格の単位労働コストに比較した相対的な下落は,生産要素間の代替を通じて,一層設備投資を増加させる方向に働いたと考えられる。
ハイテク等の技術革新の進展は設備投資デフレータの低下に貢献するだけではなく,技術革新の成果を取り入れる形での設備投資を増加させていることが今回の設備投資ブームの特徴のひとっである。特に,欧米各国において,日本のマイクロ・エレクトロニクス(ME)やロボット,FA(ファクトリー・オーメーション)化等の進んだ技術を取り入れる設備投資が盛んに行われている。技術革新の設備化について,アメリカの財別設備投資(GNPベース実質)をみると,FA化等の技術革新の設備化の要素を多く有している財に対しての投資の増加が著しい(第2-2-1表)。即ち,構築物よりも機械設備の方が伸びが大きく,特に,機械設備の中でも,コンピュータ等の事務機器を中心とする情報処理関連機器の伸びが大きい。88年には情報処理関連機器は82年価格の実額で機械設備全体の47%を占めるとともに,その伸び率は金属加工機械等の産業機器,航空機,トラック等の輸送関連機器を上回っており,機械設備全体の伸びの大きな部分を占めている。
さらに,アメリカについて製造業の設備投資支出計画に占める能力増強投資の割合をみると,70年代後半の50%近くから低下してきており,85年以降は30%を下回る水準となっている。(付図2-2)。これは,生産能力増強には直接結びつかないが,技術革新の設備化を進めるような設備投資が盛んに行われていることを裏付けている。
ECの1992年の市場統合により,EC諸国は巨大な市場に統合され,規模の利益が生まれることから,EC統合をにらんだ設備投資が増加した。これは,定量的に他の要因からの設備投資の増加と切り離して把握することは困難であるが,EC域内での設備投資の拡大に一定の役割を果たしていることが考えられる。例えば,EC諸国の85年価格の実質GNPに占める実質固定投資の比率は80年代前半は下落傾向にあったが,85年6月の「域内市場完成白書」(コーフィールド・レポート)発表以降上昇に転じており,88年からは20%を超えている(付図2-3,名目GNPに占める名目固定投資の比率も20%程度)。
EC統合に向けた設備投資増加の要因は,第1に,EC域内市場の統一による競争の激化である。現在,何らかの保護的措置によって国内生産を続けている企業については,域内各国からの自由な通商により,競争がより激化することが考えられ,企業の体質質改善を迫られているとみられる。
第2に,統合された市場の規模の利益を享受するための生産設備の拡大であり,これにはFA化等の技術革新の設備化による生産設備の高度化が大きな役割を果たしている。現在の各国国内市場と若干の輸出市場を合計した市場よりも統合されたEC市場ははるかに大規模なものとなり,この巨大市場の規模の利益を得るためには,市場規模に見合った生産設備の拡大・高度化が必要となっている。
第3に,研究開発投資の伸びである。これまで,EC各国では,個別に研究開発が行われてきたが,市場統合に向けて,市場戦略を練り直す企業も多く,また,エC開発についてのJESSI(「欧州サブミクロン・シリコン計画」のことで,半導休での日米依存を脱却するためにシーメンス(西ドイツ),フィリップス(オランダ),SGS・トムソン(フランス・イタリア合弁)が年間5億ドルの資金を拠出し,次世代のコンピュータ用記憶素子の開発を目指したプロジェクトで,4国政府とEC委員会が資金の半分を負担する)のようなEC全体のビッグ・プロジェクトもあり,統合されたECという巨大な市場を目指した研究開発投資が盛んに行われている。
第4に,規格統合に向けた投資である。例えば,現在EC各国では,電話交換の方式は国によって全て異なっており,市場統合からさらに進んで,これらの規格を統一することとなれば,巨大な市場が出現することをにらんでの設備投資も行われている。
第5に,ECの市場拡大に投資機会を見出し,あるいはECの域外に対する要塞化のリスクを回避するため,域外各国の企業がEC内の企業としての地歩を確保するための直接投資が行われている。これは,企業買収等の直接には設備投資に結びつかないものもあろうが,自動車産業等で域外からEC域内に直接投資により工場進出するものもある。これについて,ECに対するアメリカ・日本からの直接投資をみると,86年以降伸びが大きく,直接投資全体に占めるシェアも大きい。特に日本では,86,87年には前年の2倍近い伸びを示している(付表2-4)。なお,88年のアメリカからECへの直接投資が減少しているのは,西ドイツ等における製造業子会社等の収益拡大及びドル高による再投資収益の落ち込み等から,アメリカ親会社への返済金,収益送金が大幅に増加したためである。
設備投資は,当初,需要要因として需給ギャップをひっ迫させる方向に働くが,設備が生産能力化してからは,製品の需給ギャップを緩和させる方向に働き,物価の安定にもつながる。
第1章第2節でみたように,現在のところ,生産の伸び率の方も大きく,設備投資による資本ストックの増加が稼働率を下げ,需給ギャップを緩和するには不十分であるが,設備投資が生産設備化されるには一定のラグが存在する場合があることから,今後,これらの効果がより大きく出てくることが考えられる。
生産要素としての資本ストックは労働投入とともに,産出の規模を決定する重要な供給側の要因であり,資本ストックの増加が経済成長を高めることにもつながる。今回の世界的な設備投資ブームとその生産能力化は,フローとしての設備投資が需要増加をもたらし,ストックとしての資本が供給能力の増大につながるという需給両面で経済拡大に寄与している。
設備投資が資本ストックとなれば,労働の資本装備率が上昇し,労働生産性の向上から労働コストの低下,労働の需給ギャップの緩和,物価安定につながる。また,労働の資本装備率が短期に高まらないとすれば,資本ストックの増加にみあった雇用者の増加が見込まれる。
アメリカ,日本,イギリス,西ドイツの各国について,労働生産性に対する労働の資本装備率の弾性値を推計すると,イギリス,アメリカでは1を超える大きな値となっている(付表2-5)。これら2国では,積極的な設備投資により,一層の労働生産性向上が可能であることがうかがえる。
今日,アメリカではM&A(Mergers and Acquisitions(企業買収・合併))やその一形態であるLBO(Leveraged Buy Out(買収先企業の資産を担保とする,借入による資金調達に依存した買収))が盛んに行われている。M&Aは本来,企業の所有する経営資源が有効活用されておらず,株価がその潜在価値よりもかなり低いとみられる場合に,TOB(株式公開買付)等により買収・合併がなされるものである。経営資源の有効活用を通じて生産等の効率化につながるものと考えられ,アメリカ産業のリストラクチュアリングに少なからず貢献してきたものと思われる。
しかし,これが現在マネー・ゲーム化し,LBOの様な形で行われることについては,企業の負債比率が大幅に高まっていること等にも照らし,アメリカのマクロ経済全体の効率性や信用秩序に悪影響を及ぼす可能性がある。本年10月のニューヨーク市場等における株価急落(ニューヨーク市場での下落率,終値で前日比6.9%)は,87年10月に次ぐ史上2番目の急落を記録したが,これは一企業のLBOのための資金調達不調が引金となって,全般的な株価の下落につながったものであり,LBOの行き過ぎに対する市場の警告を現実に示したものと言えよう。
以下では,M&A,LBOの功罪について述べ,合わせてアメリカで現在議論されているLBOに関する規制についても触れてみる。
歴史的にみれば,アメリカでのM&Aは今日に特有の現象ではなく,1890年代の企業の水平及び垂直統合ブーム,その後の反トラスト法による規制が最大の前例である。しかし,異業種企業を買収して経営多角化を図る今日のような形態は1960年代後半から始まり,その主体が大企業及び巨大企業となってきたのは80年代に入ってからである。さらに近年になり,M&Aの買収金額が多額に及ぶようになったため,買収の際に買収先企業の資産を担保とし,借入金(銀行借入,社債発行等)による資金調達に依存した買収の一形態であるLBOと呼ばれる手法が盛んに用いられるようになってきた(第2-2-5図)。
こうしたM&A,なかでもLBOが活発化した背景には,買収資金が巨額化したというこどの他に,①税制が企業の借入金依存にインセンティブを与えていること,②金融イノベーションにより,,借入金の金利リスクの軽減がなされ得ること等があげられよう。
税制においては,企業の借入金利払いは所得控除がなされるのに加え,86年の税制改革によって,企業からのリターン(利子,配当)に対する個人投資家への課税が軽減されたため,企業が借入金に頼った方が個人投資家への最終的な収入が86年税制改革前よりも多くなったことから,企業が外部からの借入に依存した方が有利になる仕組みとなっている(付表2-6)。
一方,金融の自由化・国際化にともない金融イノベーションが進展し,金利リスクがスワップ,金利先物,オプション等を通じて軽減され得るようになってきており,資金供給サイドである投資銀行等にとっても容易に貸出に応じ得る環境が整ってきていることも,LBO関連融資の増加につながっているものと考えられる。
一般に,アメリカの企業は株主への利益還元を第一義において行動するといわれている。,企業経営者は四半期毎に収益報告が求められ,長期ビジョンに立った企業戦略に基づく投資活動よりも,短期的な期間損益にウェイトを置かねばならず,必然的に経営方針も短期業績主義になりやすい。株主への利益還元とは,換言すれば配当を増やすが,または株価を上昇させてキャピタル・ゲインの形で報いるかのどちらかであり,それが短期業績主義と結びついた場合には,M&Aを通じて企業資産の再構築(リストラクチュアリング)がなされる動機につながりやすい。つまり,短期間に業績を挙げ,また,市場の客観的な評価として自社の株価を上げるためには,成長分野での企業買収,不採算部門の売却の形をとりつつ,経営資源の最適配分,有効活用に努めることが最も有効であると考えられるからである。
こうしてアメリカの企業は,80年代前半のドル高期に製造業の国際競争力が著しく低下するなかで,M&Aを通してリストラクチュアリングを盛んに行ってきたものと思われる。
しかし,M&Aが企業経営の活発化,合理化,国際競争力の強化等に結びつく本来の意義から外れ,企業の売買益を狙ったマネー・ゲームの手段としての色彩が強く出てきている今日,行き過ぎたM&A,LBOによるアメリカのマクロ経済への悪影響が心配されている。特に多額の借入金に依存するLBOについては幾つかの問題点が指摘されている。
ここで,アメリカの製造業の財務状況の推移をみてみると(第2-2-6図),負債比率が近年急上昇していること,有形固定資産の自己資本に対する比率が84年以降低下傾向にあること,がわかる。
アメリカ製造業の負債比率を日本,西ドイツのそれと比較した場合,水準としては低いものの(1980年=アメリカ101.5%,日本377.9%,西ドイツ215.3%,1987年=アメリカ133.9%,日本201.8%,西ドイツ186.8%),最近の急上昇はアメリカに特有な現象であることに気がつく(第2-2-7図)。BIS(国際決済銀行)の推計によれば,1982年から1988年までのアメリカ企業の信用市場における債務の増加(アメリカの部門別債務残高のうち,企業部門の債務の増加は,同期間1兆2326億ドルであった。付表2-1参照)の約半分はM&Aによるものであり,その10分の1以上がLBOによるものであるとされている。LBOの資金調達源としては,ジャンク・ボンド(格付けがBB以下(標準はBBB)と信用が低いが,相対的に高利回りである債券)が重要な位置を占めており(公募で発行されたジャンク・ボンドの残高は,88年末の推計で2000億ドル近くにのぼるものとみられ,アメリカの企業部門の債務残高(同時点で2兆7000億ドル程度,付表2-1参照)の一割弱を占めている),ジャンク・ボンドは返済不能や利払い停止のリスクが相対的に高いといわれている。
負債比率の上昇は,①キャッシュ・フローの面から,研究開発投資を含めた設備投資に対する意欲が失われる懸念があり,実際,有形固定資産の対自己資本比率が低下してきている(第2-2-6図)ことは,供給能力増強に結びつく建物・機械等の有形固定資産への資金配分に滞りが生じてきている可能性があること,②景気後退期及び金利上昇期には借入金の返済に困難(ジャンク・ボンドの元利払い停止等)が伴い,企業は資産の切り売り等で対処する可能性が高く,そのことが生産の縮小を通じて産業全体の景気後退をさらに助長しかねないこと,③貸付を行っている投資銀行等にまで経営不安が及べば,信用秩序にも悪影響が出てくる危険性があること等,行き過ぎたM&A,LBOはアメリカのマクロ経済全体の効率性を損ない,ひいてはアメリカの国際競争力の低下に結びつく可能性が高い。
さらにM&A,LBOの盛行は,各企業の短期業績主義を助長する面がある。
すなわち,株価の低下や収益の悪化が企業買収を挑発しやすいことから,各企業は短期的な財務内容に過度に敏感になりがちである。
こうしたM&A,LBOに関する問題点を背景に,アメリカの議会では規制を設けるための議論がなされている。その主要点は,企業の借入金に対する税制優遇措置を減らすことや,LBOに関与している投資銀行等に対し一層の情報開示を求めること等である。また,長期的な視点に立った投資を行っている結果,収益が見かけ上小さくなっている企業が不当に低く評価されないよう,企業の所得申告の際に期間収益とともにキャッシュ・フローを報告させる案も検討されている。
上に述べたようなM&A,LBOの問題点は,景気の後退局面ではさらに増幅されることとなることから,今後アメリカ経済の体質強化を図っていくために,行き過ぎたM&A,LBOに関する何らかの対応を検討することも考えられる。