平成元年

年次世界経済報告 本編

自由な経済・貿易が開く長期拡大の道

経済企画庁


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第2章 長期拡大のミクロ的要因

第1節 家計行動の変化

83年以降の世界経済の拡大に対してアメリカの景気拡大は大きく寄与したが,このアメリカの景気拡大を主導したのは活発な個人消費である。82年から88年までアメリカのGNPは年率4.1%で拡大したが,そのうち6割強は個人消費の寄与によるものである。この個人消費の増加には可処分所得の増加に加えて貯蓄率の低下が相当程度寄与しており,個人貯蓄率は81年の7.5%から87年には3.2%まで低下している。しかし個人貯蓄率の低下は消費増を支える一方でアメリカ経済全体の貯蓄不足の主因ともなり,外国資本流入への依存度の高まり,これと裏腹の経常収支赤字の継続にも寄与しているとともに資金コストを高め,民間設備投資の阻害要因ともなっていることから今や貯蓄率の向上がアメリカ経済の大きな課題となっている。

本節では先ずアメリカの個人消費の動きを概観し,80年代の活発な消費の要因分析を行った後,今後貯蓄率の向上を図っていくために必要な課題に言及する。次に,今回の景気拡大で特に個人消費の寄与の大きかったイギリスについて金融の自由化と資産価格の上昇が消費増加に果たした役割について分折する。最後にアメリカ,イギリスに比べ消費の伸びが低い西ドイツについて日本とも対比しつつ消費動向の分析を行う。

1. アメリカの消費・貯蓄動向

(消費の増加と貯蓄率の低下)

アメリカの個人消費(実質,以下同じ。)は,83年から86年まで4%台の高い伸びを続けた後,87年には株価大幅下落の影響等により2.8%に鈍化し,88年には3.4%と堅調な伸びに回復したが,89年に入ってからは再び2%台に鈍化している(第2-1-1図)。このような個人消費の動きは可処分所得(実質,以下同じ。)の動きとほぼパラレルであるが,83年から87年まで(84年を除くと)いずれの年も消費の伸びが可処分所得の伸びを上回っており,貯蓄率の低下が消費の伸びに寄与したことが分かる。個人貯蓄率は81年の7.5%から87年の3.2%までほぼ一貫して低下し,88年にはやや回復レたものの4.2%と依然低水準にあった。その後89年1~6月期には5.5%まで回復した。

また消費者信用残高の可処分所得に対する比率の推移を見ると(第2-1-1図),82年から86年まで急速に増加していることから,消費者ローンに上る借入れの増加(付表2-1)がこの間の消費の増加にも相当寄与していることがわかる。同比率が87年,88年とほぼ横ばいとなっているのは,86年の税制改正により消費者ローンに係る金利の所得控除が87年以降段階的に制限され91年からは完全に廃止されることとなったことの影響とみられる。しかし86年の税制改正でもホーム・エクィティ・ローン(住宅を担保とする消費者ローン,住宅を担保とした住宅資金の貸付であるモーゲジ・ローンとは異なる。)は金利の所得控除が可能であったことから,87年以降,それまで通常の消費者ローンを利用していた個人がホーム・エクイテイ・ローンに相当程度シフトしている(87年末残高2,000億ドル程度,86年末に比べ約300億ドルの増加)ものとみられる。因みにホーム・エクィティ・ローンにより税制上有利な借入が可能な潜在的な金額は2兆5,300億ドルに上るとの試算(Manchester and Poterba(1989),NBER working paper no.2853)もある。

なお80年代初めのようにインフレが激しい時期においては,貯蓄率は見かけ上高くなるのでこの影響を除くべきとの考え方がある。すなわち,有利子資産からの利息収入の一部は当該資産のインフレによる減価の補償にあてられるものとしてとらえ,可処分所得への収入としてとらえない方が適当という考え方である。この考え方に沿ってインフレ調整済の貯蓄率(S*)を試算し,その推移をみると第2-1-2図のようになる。これによれば,80年代初めの貯蓄率の低下はもっぱらインフレの低下によるところが大きく,インフレ調整済ではむしろ上昇しているが,80年代半ば以降の貯蓄率の低下は,インフレ調整済でみても通常の貯蓄率と同じく顕著であることがわかる。さらに長期的な動きをみると,インフレの低かった50年代半ばから60年代半ば過ぎまで両者の乖離は小さいが,その後80年代初めまで継乖離がかなり拡がっていることが読み取れる。

(消費増加の要因分析)

アメリカの個人消費の増加,貯蓄率の低下がどのような要因でもたらされてきているかを知るため,消費を①可処分所得,②家計純資産,③年令別人口構成,④企業買収等に伴う個人株主への現金支払いで説明する関数を推計し(付注2-1を参照。),要因分析を行ってみた。ここで可処分所得と家計純資産は,消費の説明変数として通常用いられているが,年令別人口構成は人々の年齢によって消費・貯蓄パターンが異なる点に着目して説明変数に加えたものである。四番目の変数は,企業買収や株式買戻しに伴う個人株主の株式売却金の現金受取が消費を助長している面があるという考え方に基づき説明変数として加えたものである。資産の売買であるため可処分所得に計上されないこのような企業買収等に伴う個人の現金受取は86年で580億ドル,可処分所得の約2%の規模を有するといわれており,貯蓄率への影響は無視し得ない。

第2-1-3図は,推計された関数に基づき80年代各年の消費率(個人消費を国民純生産で除したもの)と70年代平均の消費率の差がどのように要因分解されるかを示したものである。可処分所得の寄与が全般的に大きいのは当然としても,84年以降,企業買収等に伴う個人への現金収入の増加が大きく寄与している点は注目される。すなわち84年以降のM&Aの隆盛(本章第2節参照)は,個人株主への株式買収代金の支払いを通じて,消費率の上昇,貯蓄率の低下にかなり影響しており,アメリカのM&Aのマイナス面は,企業経営面にとどまらないことがわかる。このほか,15歳以下の人口構成比はベビーブーム世代が年を経るにつれて一貫して低下しており,80年代を通じて消費増加に寄与している。資産要因も年により大小はあるが,消費増加に相当程度寄与している。

さらに実績値と推計値の乖離をみると(付注2-1),86年と87年について推計値が実績値を下まわっており,この両年の消費の増加にはまた別の要因が働いていたことが示唆される。すなわち,第1には87年の株価大幅下落の直前までの株式市場の活況に代表される,経済の先行きに対するコンフィデンスの高まりである。第2には86年の税制改正の影響が考えられる。例えば,IRA(Indi-vidual Retirement Account;退職後の資金に充てるための積立預金口座,毎年2,000ドルまで所得控除が可能)の利用可能者から企業年金計画でカバーされる高額所得者を除くなど対象に制限を加えたことやキャピタル・ゲイン課税の税率を引き上げたことは,貯蓄インセンティブを減じる効果を持ちうる改正点である。ただし一方で,税率を引き下げ,投資・貯蓄についてより中立的な税制となったという点も見落とすことができない。また,86年の改正で消費者ローンの利払いの所得控除が段階的に制限されることとなったことも,将来の消費の前倒しに結びついた可能性も考えられる。

(消費抑制・貯蓄率向上のために)

アメリカの個人消費拡大は,83年以降の景気拡大に大きな役割を果たしたが,反面,個人貯蓄率の低下による民間貯蓄の低下は財政赤字の継続とあいまって,不十分な国内貯蓄につながり,民間投資をまかないきれなくなっている。このため外国資本への依存度を強めており,その裏腹として経常収支の赤字につながっている(第2-1-4図)。80年代前半には民間貯蓄は対GNP比17%台であったが,個人貯蓄の滅少を主因として87年第2四半期には13.7%まで低下し,民間投資(15.3%)もまかなえず,政府部門の赤字(△1.6%)もあって,外国資本に3.4%も依存しなくてはならなくなった。その後個人貯蓄率は多少回復しているものの,依然不十分な水準にあり,外国資本への依存は続いている。

また貯蓄不足は,資金コストを高め,今後の発展基盤となる投資を阻害し,将来の生産性の低下,生活水準の低下にもつながりかねない。

したがってアメリカにおいてはアルシェ・サミソトの経済宣言でも指摘されているように消費抑制,貯蓄促進のたやの方策が求められる。

まず,消費抑制については,第1にホーム・エクィテイ・,ローンの利払いの所得控除等消費促進的な税制の見直しが必要である。住宅抵当貸付債務全体(ホーム・エクィティ・ローンとモーゲジ・ローンの合計)に占めるホーム・エクィティ・ローンの比率は80年の3.2%から87年には10.8%にまで高まっている(付表2-2)。86年の税制改正で消費者ローンの利払いの所得控除を段階的に制限し,91年以降は完全廃止としたものの,ホーム・エクイティ・ローンについてはその対象外とされたことから,同改正の消費抑制の趣旨は不徹底なものとなっている。その結果,ホーム・エクィティ・ローンの相対的な有利性が増し,その利用が増えなお消費促進的な要因となっているものと考えられる。

第2に,消費増加の要因分析でみたようにM&Aブームが消費促進的に働いているとみられることから,行き過ぎたM&Aブームを抑えることも考えられるべきである。第2節にみるように外部からの借入れに依存した形(銀行借入れ,社債発行等)で企業買収,株式買戻しがなされることが多いことから,借入金利払いが所得控除可能なデット・ファイナンスに有利な制度を見直すことも検討に値しよう。

逆に貯蓄促進のための積極策も考えられる。例えば,税制上の措置としてIRAの対象の拡大,教育資金等他の目的の資金積立てについてもIRAと同様の優遇策を講ずること,あるいはキャピタル・ゲイン課税の減税などが考えられる。

2. ヨーロッパの消費・貯蓄動向

(1) イギリスの消費・貯蓄動向

(景気拡大と消費)

イギリスでは,82年以降息の長い景気拡大を続け,88年には景気は過熱気味となったが,このような景気拡大に対して個人消費(実質,以下同じ。)は極めて大きく寄与した。81年から88年までの実質GNPの拡大(年率3.O%)に対する個人消費の伸び(年率4.0%)の寄与度は8割強にのぼっている。特に88年の個人消費の伸びは6.4%と急速であり,先進工業国のなかでも群を抜いている。

88年には民間住宅,民間設備投資もそれぞれ11.2%,17.9%と高い伸びを示しているが,ウエイトの大きさからみて個人消費が88年のイギリス経済を過熱させた主因といえる。以下,イギリスの80年代の消費・貯蓄動向をふりかえりその特徴をみたうえで,消費の堅調を支えた要因を検討する。

(個人消費の増加と貯蓄率の低下)

イギリスの可処分所得(実質,以下同じ。)の伸びは,82年の0.2%の減少とは対照的に88年には順調な雇用の伸び(87年2.8%,.88年3.2%)にも支えられ,4.8%と5%近い伸びにまで高まっている(第2-1-5図)。このような可処分所得の伸びの高まりに沿って個人消費は82年以降伸びを高めてきており,特に,86年から88年にかけては5~6%台の伸びとなった。この間,個人消費の伸びはほぼ一貫して可処分所得の伸びを上回っており,特に,86年から88年の乖離は大きい。他方,個人貯蓄率は80年の13.9%から急速に低落し,88年には4.5%とほぼ80年の3分のlの水準となった。イギリスの個人消費の高い伸びは,可処分所得の伸びに加えこのような急速な貯蓄率の低下によってもたらされたといえる。

(消費者ローン借入れの増加と個人資産の増加)

イギリスの貯蓄率の低下の背景にあった要因として,消費者ローン借入れ残高の増加と80年代半ば以降の住宅価格の値上がりを主因とする個人資産の増加が考えられる。

先ず,消費者ローン残高の推移をみると,70年代の年率9.5%の伸びから80年代には年率19%と70年代末より急速な伸びを示しており,可処分所得に対する比率でみても,81年の8.7%から88年の14.7%まで一本調子で増加している(第2-1-5図)。消費者ローンは消費者の流動性制約を緩和し,消費促進的に働き,貯蓄率の低下につながると考えられることから,消費者ローン残高の急速な伸びは,80年代の消費の増加及び貯蓄率の低下と密接に関係しているものと考えられる。

消費者ローン残高が急速に伸びた背景としては,金融の自由化の進展による消費者ローンの利用可能性の高まり(より多くの機関からより多様な使途で借りれるようになったこと)や住宅等の資産価値の上昇(第2-1-5図)による借入能力の高まりがあるものとみられる。

次に個人の資産の増加がどれだけの大きさのものであったかをみるため,個人の純資産から現・預金を除いた非流動的純資産の可処分所得に対する比率をみると,81年の3.4倍から87年には4.7倍にまで拡大している。住宅資産の可処分所得に対する比率は,81年の1.8倍から87年には2.7倍にまで拡大していることから,純資産の増加に対する住宅資産の増加の寄与が大きいことがわかる。

このような個人の資産価値の上昇は,個人が最適な資産形成を行うのに必要な年々の貯蓄額を減らす方向に作用し,経済全体として貯蓄率の低下に寄与したものと考えられる。

(住宅プームとその背景)

ここで,個人の資産価値の上昇に大きく寄与したとみられる住宅価格の動きをみると,80年代半ばからの住宅建設ブームにより住宅価格は86年以降急騰した。特に88年前半には住宅抵当金利が低下し底に達したことや同年8月から,住宅抵当借入れの利払いに関する所得控除制度の対象が借入人ごとから住宅ごとに制限されることとなったことによる借り急ぎから,住宅建設需要が急速に高まり価格も一段と上昇した。しかしその後,金利の引上げが続いたこと等から住宅建設ブームも一段落し,価格の伸びも低下している(第2-1-5図)。

このような88年前半までの住宅建設ブームは個人の住宅資金借入能力の拡大があってはじめて可能であったわけであるが,住宅資金借入れの利用可能性を拡大したのは80年代初の住宅金融の面での規制緩和であった。規制緩和以前には住宅建設組合がカルテルを組んで信用割当を行っていたが,規制緩和により銀行が住宅金融市場に参入したことから住宅金融市場での競争が進み,個人の住宅資金借入能力(住宅価格に対する借入可能額,借入額の所得に対する比率の上昇)も拡大した。これが80年代半ばからの住宅建設ブームの素地となり,住宅価格の上昇を通じて個人の資産価値をふくらまし,消費の増加,貯蓄の低下につながったものと考えられる。

(2) 西ドイツの消費・貯蓄動向

(個人消費と景気拡大)

83年以降の西ドイツの景気拡大期において,個人消費は一貫して内需拡大に寄与してきている。特に86年,87年には減税や石油価格の下落に伴う実質所得の増加により個人消費は3.5%程度に増加し両年の内需拡大をリードした(86年,87年の成長率,それぞれ2.3%,1.8%に対して,個人消費はそれぞれ1.9%,2.0%寄与している)。88年には民間設備投資が大きく伸び(7.5%),寄与度を高めているが,個人消費も(伸びを低めたとはいえ)2.5%上昇したことから,依然成長への寄与度では個人消費が最大である。,しかし,西ドイツとしては堅調な個人消費もG7諸国あるいはOECD諸国のなかでみると依然伸びが鈍いと言わざるを得ない。第1章第1節でみたように89年上期の消費は前年同期比1.7%増にとどまっている。

(個人消費の増加と貯蓄率の緩やかな上昇)

個人消費は86年以降の西ドイツの内需拡大に相当寄与しているが,,この個人消費の伸びは概ね可処分所得の動きによって説明できる(第2-1-6図)。86年の可処分所得の高い伸びは,同年に実施された所得税減税とインフレの低下によるものである。88年にも86年より若干規模の大きい減税があり,名目可処分所得は86年と同程度の伸びを示したが,インフレが前年よりl%ポイント高まったことにより,実質可処分所得は3.0%の伸びにとどまった。個人消費は可処分所得とほぼ足並をそろえて伸びてきているが,特徴的なことは,84年,86年,87年,88年と個人消費は可処分所得よりも0.5%ポイント以上低い伸びとなっていること,これと裏腹に貯蓄率が83年の10.9%から88年には12.6%にまで高まっていることである。

このような西ドイツの個人消費の動きは,日本と比較すると極めて対照的である。すなわち日本では80年代を通じてほぼ一貫して個人消費の伸びは可処分所得の伸びを上回っており,貯蓄率も81年の18.3%から87年には15.1%にまで低下している(付図2-1)。特にこの2,3年の個人消費の伸びは顕著であり,88年には前年比5.0%増とG7諸国の中では,消費を中心に経済が過熱していたイギリスの6.4%に次ぐ大きな伸びとなった。

(貯蓄率上昇の要因)

西ドイツの貯蓄率の緩やかな上昇については所得に占める非賃金所得のウェイトの高まりと関連があるのではないかとみられている。すなわち賃金所得と年金収入の合計額の可処分所得に占める比率をみると,80年の75.0%から88年には69.7%にまで低下している。通常,資産からの利子収入等の非賃金所得については貯蓄性向が高いといわれており,このような所得のウェイトの高まりは貯蓄率を引き上げる方向に作用したものとみられる。

また87年から88年にかけての貯蓄率の高まりについては,①インフレの高まりに対応して資産の減価を補償するため貯蓄を増やす行動をとったのではないかとみられること,②89年1月に導入された利子源泉課税(89年7月に廃止)に対応して家計が大きく資産の再編成(国内債から外国債へ,また,より流動的な資産へなど)を行い,その際の取引コストを考慮しても資産の再編成が有意義なものとなるよう追加的な資産形成を行ったのではないか(88年の金融資産の取得額は1,505億マルクと前年の1,404億マルクをかなり上回っている)とみられることが関係しているのではないかと考えられる。

西ドイツにおいては,対外不均衡の縮小を図っていくためにも内需の一層の拡大が求められるが,内需のなかでも最大の需要項目である個人消費の拡大への期待は大きい。個人消費の伸びを今後一層高めていくためには,実質可処分所得の伸びを高めることが重要であり,そのためには,90年に予定されている所得税減税の実施に加え,インフレの抑制がポイントとなろう。また,商店の開店時間に関する規制など消費を制度的に抑えている要因を取り除いていくことも必要と考えられる。