昭和61年

年次世界経済報告

定着するディスインフレと世界経済の新たな課題

経済企画庁


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第2章 ディスインフレへの道

第3節 原油価格低下の要因

原油価格(アラビアン・ライト)は73年の第1次石油危機にそれまでの2.8ドル/バーレルから10.8ドル/バーレルへと約4倍となり,70年代の一次産品価格上昇の発端をなした後,79年から81年にかけての第2次石油危機には34ドル/バーレルへと再び約3倍にも引き上げられた。また,80年代初頭からの一次産品価格の傾向的低下の中にあっても,OPEC(石油輸出国機構)によるカルテル機能と経済上の重要性等を背景に,非OPECの増産等による需給緩和にもかかわらず,サウジ・アラビアを中心とするOPECの減産によって価格の大幅下落を避け続け,わずかに83年3月にOPEC史上初めて5ドル/バーレル(34ドル/バーレル→29ドル/バーレル),また85年1月に1ドル/バーレル(29ドル/バーレル→28ドル/バーレル)値下げしたほかは,中・重質油の油種間価格差の調整があったに過ぎない。しかし,第1章第1節でみたように,サウジ・アラビアが主導したOPECの戦略転換を直接的要因として,85年末から原油価格は急落した(北海ブレント・スポット価格,85年12月26.15ドル/バーレル→86年7月9.70ドル/バーレル)。

本節では,この原油価格低下の背景にある需要と供給のバランスの変化及びそれに伴う石油取引形態の変貌についてみてみることとする。

1. 需要側の要因

(需要総量の変化と原単位の低下)

第2次石油危機以降の自由世界の一次エネルギー需要動向をみると,主要国の景気停滞もあって80年から82年まで連続して前年を下回った後,84年にはアメリカの景気拡大に伴いOECD諸国の成長率が前年比4.8%と高かったこともあって,同4.3%増となったが,85年にはOECD諸国の成長率が同2.8%と鈍化したことから,再び同1.4%増と低い伸びにとどまった。一方,石油に対する需要の伸びは更に低く,84年に5年振りに前年を若干上回ったものの,85年には再び前年を下回った。すなわち,一次エネルギーの需要増以上に代替エネルギー供給量が増加したのである(第2-3-1表)。

この需要の減退の要因としては,原油価格を中心とするエネルギー価格全体の高騰による省エネルギー,省石油,代替エネルギーへの転換,産業構造の軽薄短小化等があげられよう。主要国の実質GNP1単位当たりの一次エネルギー及び石油消費量をみると,一次エネルギーの原単位は,85年にはアメリカ,イギリス,西ドイツ,フランス,日本の5か国計で,73年時点に比べて約27%も低下している一方,石油の原単位は一次エネルギー原単位よりも急激な低下を示し,5か国計で同期間に約40%も低下したのである(第2-3-1図)。

(代替エネルギーの動向)

このような一次エネルギー需要を上回る石油需要の大幅な減少は,石油系資源の供給上の不安及びそれらの価格上昇の下での,代替エネルギーへの転換の進展によるものと考えられるが,それを自由世界の一次エネルギー需要に占める構成比の推移でみてみると,73年には石油,天然ガス,石炭,原子力の構成比はそれぞれ,55.3%,19.5%,19.5%,1.1%であったものが,第2次石油危機後の80年にはそれぞれ,50.2%,19.1%,20.1%,3.2%となり,85年にはそれぞれ,44.6%,18.9%,22.3%,6.0%と変化してきている。すなわち,石油が73年から85年までに構成比を約11%落としたのに対し,石炭,原子力は同期間にそれぞれ約3%,約5%高めたのである。また,その構成比の変化の大きさを第1次石油危機から第2次石油危機までと,第2次石油危機から85年までに分けてみると,原油価格が30ドル/バーレル台に達した第2次石油危機以降の後半の方が大きい。

このような一次エネルギーの構成の転換には,原子力のように,エネルギーの安全保障上の観点から各国政府が主導的な役割を果たしていたものもあるが石炭への転換などは,かなりの程度まで石油と石炭の相対価格の変化に基づく自発的なものであり,価格の変化が直接的に影響する度合が高いとみられる。産業用(電力用を除く)の重油と石炭との相対価格と相対消費量の関係をアメリカ,西ドイツ,日本についてみると,第2次石油危機以降の石炭の消費量の増加が,石油価格上昇によるものであることがみてとれる(第2-3-2図)。

(石油需要原単位の価格弾性値)

このように原油価格高騰の下で,石油需要は大幅に減少したのであるが,石油需要原単位の価格弾性値を推計してみると,主要各国とも短期では小さいが,長期ではかなり大きい(第2-3-2表)。このことからみると,今後,現在の低水準(15ドル/バーレル前後)で原油価格が推移すると仮定する場合,今回の原油価格急落は,長期的には石油需要のかなりの増加をもたらす可能性もあり,また,探鉱開発活動の停滞によって,非OPEC地域の供給能力の減退速度が増すおそれもあることから,石油消費国のOPECへの依存度が再び高まることも考えられる。したがって,この点からも,省エネルギーや代替エネルギー開発を更に進め,石油依存度を低めるという方針は堅持されなければならないと考えられよう。

2. 供給側の要因

(非OPECの増産)

一方,供給側の構造変化で特徴的なことは,OPECの減産と非OPECの増産,その結果としてのOPECのシェアの低下である。この非OPEC原油の台頭は,原油価格の高騰によって未開発油田が採算にのったことや,第1次石油危機前後の資源ナショナリズムの下でOPEC原油生産に占めるメジャーズ(国際石油資本)のシェアが著しく低下したことから,メジャーズが新規油田開発に努めてきたこと等によるものであった。非OPECの増産が本格化した第2次石油危機以降の,OPECと非OPECの生産の動きを79年を基準とした増減幅でみると,非OPECの生産は北海,メキシコを中心に増加の一途をたどり,85年には79年対比日量約490万バーレル増量している(北海の生産量は本格的生産が開始された75年の日量約20万バーレルから85年には日量約350万バーレルヘ,メキシコは75年の日量約80万バーレルから85年には日量約300万バーレルヘ)。一方,OPECは,85年秋までは,スウィング・プロデューサーの役割を果していたサウジ・アラビアを中心に,大幅な減産によって世界的需給緩和に対処しようとしたために,82年には79年に比べ日量約1,220万バーレル,85年には日量約1,480万バーレルの減産を行ったのであった(第2-3-3図)。

(OPECの減産と石油収入の低下)

このOPECの減産は,OPECがその生産能力を大幅に下回る生産を行い,カルテルとしての機能を保っていたことを意味する。OPECの原油生産能力と実際の生産量とのギャップは,第2次石油危機以降,81年から大幅になり始めている。このギャップは,OPECの生産能力も徐々に低下してきているため,拡大こそしていないが,現在まで大幅なまま推移しており,稼働率という観点からみると,79年の87.5%のピークから,85年には58.3%にまで激減している。特に第1章第1節でみたようにこの減産の中心的役割を果たしていたサウジ・アラビアは,稼働率を同期間に88.1%から40.6%にまで大幅に低下させている(第2-3-4図)。

この結果,地域別の原油生産の推移をみると,OPEC,なかでも中東OPECのシェアが大幅に低下した。OPECのシェアは第1次石油危機前の56.6%から85年には30.0%に低下した一方,同期間に非OPECのシェアは26.6%から42.2%にまで高まっており,82年以降OPECとの関係は逆転している(付注2-3)。

このOPECの減産の,産油国の石油収入に対する影響をみてみると,産油国の石油収入は,80年の2,788億ドルをピークに低下を続け,84年には5年振りに輸出量が前年を上回ったこともあって,83年と同水準の収入が確保されたものの,85年には再び前年を下回り,ピーク時点の約半分にすぎないものとなった。特に減少の大きいのはサウジ・アラビアで,同国の石油収入は,85年には大幅な減産のために,前年比35.9%減,81年のピークに比べると,約4分の1の280億ドルにまで減少している(第2-3-3表)。

この石油収入の減少を輸出量要因と価格要因に分けてみると,84年だけは輸出量の増加をみたが,他の年は輸出量,価格とも低下している。この苦しい情勢の中で,第1章第1節で述べたOPECの戦略転換が行われたのであるが,その結果としてもたらされた価格急落の影響のために,86年上半期の石油収入は前年同期比34.9%減と,大幅に減少した85年上半期よりも更に減少したのである(第2-3-5図)。すなわち,輸出量は前年同期比20%以上増加したものの,原油価格が半分以下に下落したことから,石油収入としては大幅な減少となった。

このような戦略転換の不本意な結果もあって,OPECは最近では,8月初の総会での合意にもうかがえるように,減産及び価格回復の方向を目指して動き始めているとみられる。

3. 石油取引形態の変貌

従来の石油取引は1年以上の期間にわたって価格と取引量を固定する長期契約が主流となっていたが,上述のような世界的石油供給過剰傾向の下で,スポット価格が長期契約価格よりも下回る傾向が定着してきたため,取引形態としても長期契約による分が減少し,次第にスポット市場からの調達が拡大した。そして,85年9月にサウジ・アラビアがネットバック方式(第1章第1節参照)による販売に踏み切ったことがはずみとなり,他の産油国もネットバック方式をとり入れたり,長期契約物でも価格の決め方をスポット連動にするといった形に変更し,いわゆる「公式販売価格」は有名無実化した。

このようにスポット市場は原油取引に重要な役割を担うようになってきているが,スポット市場はその性格上,価格が不安定でリスクを伴う。こうした価格変動のリスク回避の役割を担って登場したのが,先物取引である。ロンドンにおける北海ブレント,ニューヨークにおけるWTI(ウェスト・テキサス・インターミディエート)などが,この先物取引の中心であり,取引量は急速に増加している。今回の原油価格急落の主役ともなった北海ブレントのスポット取引量は82年の日量36万バーレルから,85年には日量840万バーレルと約23倍に急増した。この取引量は,85年の実際の生産量96万バーレルを大きく上回っており,また特に先物の取引量が中心になっている。

8月初の減産合意による価格上昇の局面にみられるようにOPECの影響力はまだ失われたとはいえないが,石油価格は他の一次産品同様,短期的需給や投機的要因によって大きく変動するようになってきている。すなわち,価格決定力がOPECというカルテルから市場原理へ,このところ移ってきたということもできよう。